186
その手で守ったものは(中編)
ぎこちない空気ながらも、落ち着きを取り戻した穂乃果は銀と一緒にもう一度屋内を探索し始めた。
万が一だが、何か花陽の助けになるものがあるかもしれないし、気分転換という意味もあっただろう。
この中には、本当にごく一般的な民家で穂乃果達現代人ならば、誰でも触れた事のあるようなものばかりが置かれている。
それがいつもの日常を彷彿とさせ、僅かな安らぎを与えてくれた。
しばらく辺りをさまよってから、台所に入り適当に辺りを漁ってみると、幾つかのお菓子やジュースが見つかる。
気紛れに一口食してから、穂乃果は改めて食欲がないことを思い出し、台所を出た。
「――ん……」
「声?」
この時、ふと聞き覚えのある声が聞こえてきた。
男の声だ。あまり男の知り合いは多くない穂乃果だから、突き詰めればこの場で出会った男性の声か。
マスタングではない。
エンブリヲは論外、ならこの声は――
「――銀!!」
銀の名と声が穂乃果の中で一致し、声の主を連想させた。
数時間前に別れたばかりの黒の声だ。
確か花陽の話では、御坂に襲われた彼女を助け交戦に入ったらしいが、きっと御坂に打ち勝ちここまで来たのだろう。
後藤を相手に、あれだけの立ち回りを見せたのだ。御坂相手でも引けを取ることはない。
銀も先ほどの話を思い返し、黒が自分を探しにきたのだと確信する。
「黒さん、黒さんだよ!」
「黒……黒なの!?」
「銀? 銀なのか!?」
僅かな間だが、共に行動した穂乃果は溜息を吐き安心感に浸る。
これでもう一安心だ。黒と一緒ならば、これ以上頼もしいことはない。
銀も盲目であるにも関わらず駆け出し、民家の扉を勢いよく押し開ける。
やっと、最愛の二人は再会できたのだと穂乃果は安堵し――
(待って、本当に黒さんなの?)
嫌な予感がした。
この時、彼女は自分達があまりにも安易で、迂闊な判断をしているのではないかという疑念に駆られる。
そうだ。もっと冷静に事態を判断して、先に銀の観測霊を飛ばして本当に黒なのか確認した方が良いのでは。
遅れて銀の後を追い、手を伸ばすがもう遅い。
「黒、ヘ――」
「……見ーつけた」
銀の胸を光線が貫通した。
「イリヤ、ちゃん……」
黒ではなく、イリヤは笑っていた。
どうしようもなく嬉しそうな顔でいて、どうしようもなく楽しそうな顔で。
「な、んで……黒は……」
『銀、すまない』
「……え」
「この杖、声が変わるんだ。
ほら」
『だって可能性感じたんだ! ジャッジメントですの!』
イリヤの杖から発せられる声が黒から穂乃果のものへ、そして穂乃果から黒子のものへと変化していく。
ルビーの持つボイスチェンジャーを使用し、彼女はこの辺一体を黒の声を流しながら汲まなく探索し続けた。
銀ならば、きっと反応するだろうと考えて。
「本当はね。ルビーにこんな強制できないんだけど、広川が私の自由にルビーを使えるようにしてくれたみたい」
穂乃果が以前見たルビーは、もっと生気に溢れていたはずだ。イリヤもルビーを相棒のように信頼し、戦っていたのを覚えている。
それが今は主従関係、いやそんなものではない。情も何も感じないほど、冷徹に道具として扱っているイリヤに穂乃果は身震いした。
「あとは黒さんも殺さなきゃいけないけど、その前に穂乃果さん達も殺してあげるね」
穂乃果は反射的に銃を抜いて、イリヤに構える。
震えた銃口はイリヤに照準を定めさせない。引き金を引いても弾丸はあらぬ方向へと飛んでいく。
対してイリヤは十分に魔力を溜め、穂乃果の眉間へと撃ち込んだ。
「ひっ」
足を縺れさせ、尻餅を付いてしまったのが幸いした。
イリヤの放った弾丸は穂乃果の頭上を通過し、民家へと直撃し爆音を巻き起こす。
コンクリートや木材の混じった灰を被りながら、穂乃果は冷静さを取り戻し倒れた銀を抱き起こした。
「逃げないと、早く……」
ディバックに銀を収納すれば、穂乃果は大した労力もなく逃げ出せる。
だがいくら無限の収納を誇るバックとはいえ、人一人を入れるにはある程度の時間が掛かってしまう。
しかも花陽の時とは違い、イリヤは健在。モタモタしている穂乃果を見逃すはずがない。
イリヤはもう一度狙いを定め、魔力の弾丸を射出した。
「マスティマ!」
騒ぎを聞きつけた未央が咄嗟に翼を広げ二人を庇う。
弾丸が弾かれ、穂乃果は銀を連れたまま未央の元まで駆け抜ける。
何時でも殺せる穂乃果達から視線を逸らし、イリヤは未央を睨み付けた。
あの翼は邪魔だ。先ほどの、ヘルメットの一件もある。下手に不確定要素を残せば、足元を掬われかねない。
真っ先に未央から潰すべきとイリヤは決めた。
「ッ、はや――」
マスティマを除けば全ての能力はイリヤが勝る。
一瞬で距離を詰め、翼の展開が間に合わない超至近距離でイリヤは魔力を放つ。
その寸前、身体に掛かる負荷にイリヤの動きは止まった。
――身体が辛め取られている。蜘蛛の巣に掛かった蝶のように、イリヤは全身を糸により拘束された。
未央の影に隠れた卯月が糸の手応えを感じ、恐る恐るイリヤの様子を伺いに顔を出した。
「あ、ぶな……しまむー、ナイス」
「怪我は?」
「大丈夫、だけど銀ちゃんが」
穂乃果に支えられた銀を見て卯月は顔色を変える。
胸を撃たれているのだ。急所は外れたお陰で息はあるが、早めに治療をしなければ命に関わってしまう。
だから、先ずは捕縛したイリヤを早急に無力化させなければ――
「な、何?」
糸の手応えが増していく、いや強引に引っ張られていく。
不味い、イリヤは糸に捕らわれながらも無理やり身体を動かそうとしている。
このままでは、彼女の身体が糸で細切れになるのは時間の問題だ。
「やめて下さい! このままじゃ貴女……」
イリヤの身体に糸が減り込み、今にもはち切れそうだ。
その痛ましい姿が殺したくない、傷付けたくないと卯月の中の良心に働きかける。
まどかやほむらよりも、幼く小さな少女の姿に揺らいでしまう。
だがそこで気付く、イリヤの身体に傷一つ付いていない事に。
何より、イリヤの力が少女のものを既に超えたものであるという事に。
結び付けられた身体をイリヤは強引に動かし、糸と繋がった卯月を手繰り寄せる。
「だ、駄目……!」
一重に言えば、実戦不足。卯月がクローステールを使った相手は、殆どが一般人か抵抗しない死体のみ。
糸の鋭さに耐えた上で力づくで動く相手など、卯月の数少ない経験にはない。
そんな卯月と、物理保護に身体能力を向上させたイリヤが力比べをすれば、当然イリヤに分がある。
「これで、二人目……」
卯月がイリヤの元へと引き摺られていく。
足元の卯月に杖が翳された。
未央が駆け出すが、もう間に合わない
「うわあああああああ!!」
「――ッ」
悲鳴にも似た叫びと共に、イリヤに向かい花陽が飛びかかった。
卯月達に気を取られていたイリヤは裏口からこっそりと抜け出し、イリヤの横方にまで接近した花陽に気付けない。
穂乃果からのヘルメットの不意打ちといい、今回のことといい、ルビーはイリヤに対して意図的なサポートを行っていないのが裏目に出た。
イリヤの知覚能力自体はただの小学生と大差はない為、ルビーのサポートがなければ、素人でも容易にその隙を突ける。
腕力で尚且つ相手が隻腕であると、場面だけ切り抜けばイリヤが優勢だが、不覚の事態に弱い元来からの弱点と体格差から、彼女は花陽にルビーを奪われてしまった。
「ルビー、返して――」
「は、早く……この娘を!」
イリヤと共に地べたに叩きつけられ、右腕の切断面が更に痛むのを花陽は耐え、残った左腕でルビーを強く握り締める。
情報交換で得ていた通り、杖をなくした瞬間、イリヤはその力を全て失くし転身が解けていく。
一番近くに居た卯月が駆け出し、イリヤへと手を伸ばす。この好機を逃せばきっとイリヤも自分達も、傷付けあう事を予見し糸を張り巡らせる。
あとは軽く締め上げ、彼女を気絶させ拘束すれば良い。
『いけません! 皆さん逃げて!!』
「――夢幻召喚(インストール)」
花陽の腕の中でルビーが叫ぶ。
同時に銀色の閃光が瞬き、花陽の身体を貫いた。
「ごっ、は……あ、ぁぁ」
最早悲鳴すら上げられない。
声を上げる為の器官すらズタズタにされ、彼女の身体は無数の剣の山と化していた。
流れゆく血の量が、花陽の僅かな寿命を示しているようだった。
「いや、いや……花陽ちゃん……いやああああああああああ!!」
眩い閃光の中から、赤の外套を纏い、髪を束ねたイリヤの姿が視認出来た。
まるでその姿は以前、穂乃果が見たクロエのものと瓜二つ。
ただ違うのはその肌の色と、クロエからは全く感じられなかった冷酷な殺意。
「クロース――」
目にも止まらない神速で、イリヤは両手に握った双剣で卯月の糸を全て両断する。
彼女を拘束しようとした糸は全てが糸くずとなり地面に重なった。
もう一度、周囲に糸を囲おうとして、その全ての手応えが消えた。
先は糸を斬られたという感触があった。だが、次はそれすら感じさせないほどの速さ。
次元が違いすぎる。帝具だけ持っていても、勝ち目どころか逃げられすらしない。
「しま――」
名前すら未央は呼びきれない。
いつ取り出したのか、いつ射たのかも分からない矢が卯月の眼前に迫っていた。
その余波だけで未央達は吹き飛ばされ、民家の壁に打ち付けられる。
(死ぬの?)
セリューに助けてもらった命だった。これらずっと、贖罪を重ねていく命だった。誰かを守ろうと思った命だった。
でもそんなものは、圧倒的な力の前には全てが塵芥と化す。
意志も決意も全てが蹂躙され、後には敗者の骸しか残らない。
穂乃果も花陽も銀も未央も、このまま朽ちて果てていくのだろう。
矢が発光し、爆音と爆風が巻き起こる。
その余波で地面が抉れて土煙が煙が吹き荒れた。
「うそ、だ……」
土煙が晴れていく。
ミサイルでも、激突したのかと思わせるクレーターが刻まれる。そこに人が居れば肉片すら残らない。
「……ぁ」
ただし、それが人であったのなら。
未央は、その黒色の巨人を見たことがあった。
エンブリヲから、自分を救ってくれたペルソナというお化け。
それが今、まさに卯月を片手に抱き上げながら土煙の中から姿を見せた。
「鳴上、くん……?」
鳴上のイザナギが卯月を連れて、未央の横へと座らせる。
そして、静かにイザナギと共に鳴上は歩を進ませていく。
その後ろ姿は見ているだけで、何とかしてくれるような不思議な迫力があった。
「……覚えてる」
イリヤが戸塚を殺してしまった場面が蘇る。
そう、本当ならイリヤはこの男を殺していた筈だった。
あの殺意は刷り込まれたものだとしても、忘れようにも忘れられない。
イリヤにとっての終わりでもあり、そして始まりを告げさせてしまったのは、他の誰でもないこの男なのだから。
「ああ、俺も覚えてる」
おぼろげな意識の中で、それでも自分を殺そうとした少女とそれを庇った少年の姿は、鳴上の記憶に刻み込まれていた。
きっと、この少女は目の前で鳴上が死に掛けてさえいなければ、こんな道を進むことはなかったのだろう。
「……っく」
無数の剣で串刺しになった血塗れの少女が、胸を貫かれ今にも死に掛けている銀の姿が。
全ては目の前のイリヤがやったこと。それも戸塚の時とは違い、紛れもない自分自身の意志でだ。
「君はどうして、こんなことを」
「亡くしたものを取り戻したいの。お兄さんにもあるでしょ」
「それは……」
意識をなくす直前まで、一緒に居た
タツミはいない。ジュネス付近のさやかの氷像も消えている。
考えたくはないが、気絶している間に何かがあったのは明白。
この場でイリヤと真っ向から戦えるのは、鳴上一人ということになる。
だが、それで良いのだろうか。
偶然であったとしても、恐らくがイリヤをこのような凶行に走らせた元凶は鳴上だ。
タツミ曰く、様子がおかしい何らかの洗脳があったのではないかと考察はしていたが、善悪を超えたところできっとイリヤを止める資格は鳴上にはない。
あの場に鳴上さえ居なければ、イリヤはこんな道を選ばなかったかもしれない。
本当にイリヤを救うべき男は、タツミから聞いたイリヤを助けると戸塚に約束した黒はこの場には居ない。
「……ぁ、はぁ……が……」
「ッ?」
「ほ、のか……ちゃんを……み、んな……ぐっ……ごほっ……!!」
「花陽ちゃん、花陽ちゃん!!」
声を発するだけで想像を絶する痛みを以っていても尚、友と仲間を思い鳴上に懇願する声。
駆け寄り抱き上げた穂乃果の腕の中で、花陽の視線は鳴上の方を向いていた。
今にも消え入りそうな痛んだ身体で、それでも仲間や友の身を案じている。
「必ず、守る。だから安心してくれ」
「……よ、か――」
言葉に出さずとも、花陽が最後に紡ごうとした台詞が鳴上には分かった。
鳴上は花陽の事を知らない。
だが友を想う強い花陽の絆に敬意を、そして彼女自身を救えなかった自らの不甲斐なさの謝罪を込め、鳴上はそう約束した。
最後に救われたような安らかな笑顔を浮かべて、花陽は腕の中で息を引き取った。
「……俺なんかに君を止める資格はない」
この戦場に立ってい良いのは鳴上ではない、他の誰かなのだ。
それでも、場違いの役者だとしても構わない。
花陽が守りたかったものを、壊させるわけにはいかない。それが戸塚という少年と、黒が交わした約束を守らせない結果になろうとも。
「俺を庇ってくれた人の約束を破らせることになっても、君を思ってくれている全ての人達の思いを踏み躙ることになったとしても―――俺は君を倒す」
イリヤの眼前に立ちはだかり、鳴上は宣戦布告した。
例えどんな理由があったとしても、同情すべき点があろうとも鳴上はイリヤの敵で居続ける。
自らが救えなかった少女の願いの為に、鳴上は拳を握り締めた。
願わくば全てのケリが着く前に、彼女の救世主が現れることを祈りながら。
常に悪者をやっつけ、弱者の味方であり続ける光の存在。
子供心ながらイリヤも憧れていたことはあった。
目の前の鳴上も、そういう存在なのだろう。
例えどんなに傷付こうとも前に進むことの出来る、強い存在であり常に正しい人間だ。
だからこそ相容れられない。
“悪”であるが故に、“正義”とは必ず対峙しなければならない。
「この先、大勢の笑顔をお兄さんは守るんだと思う。
でもね。お兄さんが居たら、美遊とクロは二度と笑えない。だから―――貴方を殺(タオ)す」
だから、ここに誓いを立てる。独善的で矮小で無価値な己への誓いを。
カッ
「ペルソナ!!」
「――――投影、開始(トレース・オン)」
譲れぬ境地を踏みしめ。
今、同じ愚者たる正義と悪がここに交差した。
□
イザナギと黒と白の夫婦剣、干将・莫耶が火花を散らす。
体格及びその得物を見れば、イザナギが遥かに上回りパワーも並みのサーヴァントを凌ぐ。対するイリヤはその身を英霊化させたとはいえ、その格は神話に名を連ねた神には及ばぬ無銘の存在。
劣化しているとはいえ、仮にも神格の存在が無銘の英霊に劣る道理はない。
「ぐっ……!」
しかし、圧されていたのはイザナギだ。
神格とはいえ、それを操るのが鳴上である以上技量、経験、判断力は英霊と化したイリヤに劣る。
加えイリヤが夢幻召喚した英霊は、とある聖杯戦争において知名度の恩恵を受けられず、己の身体スペックの不利を補う戦いを強いられてきた。
格上との戦いは、むしろこの英霊の得手ともいえるのだ。
互いの剣が打ち合い続け、既に数は二十を超える。
耐久の限界が訪れ、罅割れゆく干将・莫耶に機を見出した鳴上はイザナギを一気に攻めへと転じさせた。
同時にイリヤも後退し剣を手放す。
瞬間、干将・莫耶は光に包まれ起爆する。爆破に巻き込まれたイザナギは鳴上に激痛を齎しながら、地面へとその巨体を打ちつけた。
壊れた幻想(ロークンファンタズム)。英霊が己の宝具を壊すことで、暴発させる捨て身の技。
正規の英霊ならば躊躇う、それをイリヤは構わず発動させる。彼女にとって宝具など替えの効く武器でしかない。
爆風に晒されたイザナギを視認しながら、イリヤは新たに投影した干将・莫耶に更に魔力を流し込む。
「オーバーエッジ」
二対の双剣の刀身が歪み、その姿を翼へと変貌させる。
先の倍以上の長身の刃を携えイリヤは駆け出す。
「ジャックランタン!」
イザナギから、かぼちゃの悪魔へとペルソナが変化する。
ジャックランタンのランプが揺れ、その瞬間炎が増大しイリヤを包み込む。
エンブリヲ戦で見せた、ホテルの一部屋を軽く焼きかねない炎の威力は生身の人間が耐えうるものではない。
だがイリヤは双剣を×字の形に振るい、疾風を巻き起こしながら文字通り炎を切り捨てた。
更に切り開かれた炎の跡をなぞるようにして、干将・莫耶が投擲される。
白の剣は、ジャックランタンの脳天に突き刺さる。頭をかち割るような鈍痛が鳴上を襲う。
もう一つの黒の剣は、鳴上の脇腹を抉った。不幸中の幸いは頭痛により、鳴上が僅かに体制を崩したことか。
でなければ、既に彼の身体は串刺しになっていたことだろう。
「が、ああああああああああ!!!」
耐え切れない苦痛に鳴上は悲鳴を上げる。
少なくない数のシャドウを相手にしてきたが、これほどの痛みを感じたのは鳴上の生涯ではこれが初だ。
傷を抑え、頭痛に耐えながらぼやけた視界で敵を見る。
既に視界にイリヤはない。あるのは、宙を舞う無数の干将・莫耶。
理解よりも早く、直感で察知する。これより繰り広げられる死の剣技を。
「アラハバキ!」
「―――鶴翼、欠落ヲ不ラズ(しんぎむけつにしてばんじゃく)」
左右から双剣が降り注ぐ。ジャックランタンからチェンジしたアラハバキがその物理耐性を利用し鳴上を庇う。
この二対は引かれ合う性質を持っているのだろう。それを利用した剣戟だが、間一髪で鳴上は凌ぎきったと確信した。
「―――心技、泰山ニ至リ(ちからやまをぬき)」
即座にまた双剣を投影したイリヤ。
終わらない。先の一撃ははじまりに過ぎない。
「―――心技黄河ヲ渡ル(つるぎみずをわかつ)」
(これは、防げない……!?)
アラハバキが防いだ双剣がイリヤの持つ双剣に引かれ、鳴上へ降り注ぐ。
後方からの双剣と前方からのイリヤの剣撃。
挟み撃ちの両撃に対し、鳴上の使用可能なペルソナは一度に一体のみ。
アラハバキの目が光り放たれた光弾が地面を打つ。その地響きはイリヤの剣筋にも影響し、引かれ舞う後方の双剣も同様に鳴上から逸れた。
「―――唯名別天ニ納メ(せいめいりきゅうにとどき)
―――両雄、共ニ命ヲ別ツ(われらともにてんをいだかず)……!」
鶴翼三連。
これはその全てが必殺であり、相手の予測や想像の裏をかく業。
如何な場面、窮地にあったとしても、その都度姿形を変え敵を屠る剣技。
既に鳴上はその術中に嵌っている。
崩れた体勢から一気にイリヤは飛躍し、同じくアラハバキの攻撃で体勢を崩した鳴上に剣を滑らせた。
イリヤの剣はアラハバキが盾となって遮られる。だが、死角から降り注ぐ双剣は鳴上の身体を切り裂いていく。
「ラクシャーサ!」
アラハバキが光に包まれ、イリヤと同じく二対の剣を携えた異形が鳴上を抱え飛翔する。
先ほどまでのペルソナとは、比べ物にならない身のこなし。
ラクシャーサは、向かいくるイリヤの剣戟を全ていなし、投影した双剣を次々と打ち砕いていく。
正史においてラクシャーサは最強クラスの剣技を持ったペルソナであるヨシツネとすら斬り合える。
この場において幾らか劣化しようとも、これしきの剣技を捌きえない道理はない。
相対する敵に対し、柔軟にペルソナを変えられるワイルドの力が本領を発揮した。
「投影、開始(トレース・オン)」
しかし、無限の可能性を秘めるのは鳴上だけではない。
イリヤの身に秘めたる二つの力もまた無限の可能性を有する。
(アレを殺せる何かを―――)
聖杯の器、願望器としての機能。
望んだ魔術を理論や過程をすっ飛ばして行使するその力は彼女の魔力が及ぶ限り、あらゆる願望を叶え続ける。
そしてもう一つはクロエの力でもあり、今はクラスカードとなったアーチャーの投影魔術。
ある世界では無限の剣製とすら呼ばれたその力の片鱗はあらゆる剣を模倣し創り出す。
投影するはDIO戦において
ウェイブが手にした黒の片手剣エリュシデータ。
そしてもう一つ、
サリア戦でキリトが振るった妖刀・一斬必殺村雨。
駆ける。
光すら思わせる踏み込み。
秒さえ追いつけない神速の剣閃が交差した。
剣風の嵐が巻き起こり、鳴上の身体を斬り裂かんばかりに吹き荒れる。
ラクシャーサにノイズが走り、そのダメージがフィードバックされ激痛が全身を襲う。
(凌ぎきれないのか?)
物理攻撃に対し、前線を張ってきたラクシャーサが遅れを取るほどの剣技。
それも無理からぬことだ。何故ならイリヤの放つ剣裁きは、アインクラッドに置いて英雄とすら称された黒の剣士キリトとナイトレイドの切り札
アカメの暗殺剣を完全に模倣したもの。
イリヤの投影はその剣の姿形、性質のみならず刀剣に宿る「使い手の経験・記憶」ごと解析・複製している。
エリュシデータからはキリトの技量を、村雨からはアカメの技量を。百戦錬磨の剣士達の技量が合わさったいま、ヨシツネすら退けたラクシャーサですらその太刀筋は見切れない。
「―――ッ!!」
ラクシャーサの剣が跳ね上げられ、片腕が舞い上がる。
ノイズがより酷くラクシャーサを蝕み、鳴上の右肩に痛みが集中した。
残った左腕で振るわれた剣をイリヤは屈んで避ける。
「スターバースト・ストリーム」
二刀流上位剣技。
連続16回攻撃。二刀流の俊敏さを以って、二刀による剣撃を敵の体に次々と叩き込む。星屑のように煌き飛び散る白光は空間を灼く。
SAOプレイヤーの中でも最大の反応速度を持つキリトにのみ許され、彼の象徴ともいえる二刀流スキルの一つ。
イリヤがエリュシデータの他に村雨を選んだ理由はここにある。キリトのみが使えるスキルを再現するには、曲がりなりにもこの場でキリトが振るった剣が必須だった。
僅かながらではあるが、キリトの動きを覚えていた村雨は見事、スターバースト・ストリームの模倣へとイリヤを補佐してくれた。
真の担い手たるキリトの放つものに比べれば、数段劣る歪な贋作に過ぎないが、その16の剣戟の壮絶さは想像に固くない。
まさしく空間ごとラクシャーサを斬り刻み、妬き尽す。全身を細切れにされたラクシャーサのダメージは最早常人が耐え切れる許容量ではない。
悲鳴すらあげられず、意識を失いかけながら、その衝撃に身を嬲られ鳴上は後方へと吹き飛んでいく。
「―――、ぁ」
求めるは、これ以上ないほど確実な止め。
イリヤは弓を投影し村雨を矢として変形させる。
即死の効果を得た凶悪な矢は、如何なペルソナで防ごうともその身を呪毒が回り、本体を死に至らしめることだろう。
「……バイバイ」
ふと口ずさんだ言葉に、クロエの面影を感じ取る。
実は少し期待していないでもなかった。もしかしたら夢幻召喚で、またクロが笑ってイリヤに語りかけてくれるのではないかと。
―――ただの幻想だった。以前のセイバー戦とは異なり、意識もはっきりとイリヤのものでクロエの意識は何処にもない。
イリヤの中の願望機の力も美遊とクロエを生き返らせてはくれない。
「二人の為にもっと殺さないとね」
残る四人の少女達を殺し、あの黒の死神もこの手で葬り去る。
残りの魔力量は決して多くはないが、元より膨大な量の魔力を有するイリヤだ。
黒の戦いまで十分に魔力は温存できるだろうし、その後は回復に充てれば良い。
まだ戦える。そして何より、もう――誰でも殺せる。
花陽の腕を斬り、ズタズタに斬殺しても何も感じない。鳴上を殺しても同じだ。
『皆さん、逃げて!』
銀の治療の為に穂乃果達はまだこの場に留まっていた。
追う手間もない。銀に止めを刺し、彼女達を全員殺しつくすのに三秒と掛からない。
「ベルゼブブ!!」
強大なエネルギーが村雨を弾き飛ばす。
とっさに壊れた幻想として村雨を起爆させるが、その爆破ですらこのエネルギーに飲み込まれ消滅する。
爆風を巻き上げながら、男のシルエットがはっきりと写し出され、そしてイリヤの視界に鮮明に刻み込まれた。
「ここに居る誰もが、見たくもない現実を突きつけられてきたんだ」
再度村雨とエリュシデータを投影しイリヤは駆け出す。
剣の記憶を辿り、キリトの記憶と経験を引き出す。
再現するはジ・イクリプス。二刀流最上位ソードスキル。
その剣閃は太陽のコロナの如く、相手に全方位から27連劇の剣尖を殺到させる最強のスキル。
速度威力ともにこれは避け得ない。耐えようがない。
それに対し鳴上は手を翳す。瞬間、舞い上がった土煙が吹き晴れ、視界がよりクリアに写し出される。
「君だけが全てを失った訳じゃない!!」
これより相対するは最速にして、暴食を司りし魔王ベルゼブブ。
高速の羽音を響かせ、その巨体をイリヤへと叩きつける。
「―――ガ、ァ」
捉えきれなかった。
その速度はジ・イクリプスを以ってしても追いつけない。
否、キリトが放ったジ・イクリプスならば、あるいは魔王すらも捉えきったかもしれない。
しかし贋作を本物が超えることは叶わない。ましてや、本物の意志が贋作の意志と相反するのであれば、その本来の力を引き出すことなど到底不可能。
(きっとキリトさんが、私を止めようとしてたのかな)
キリトもイリヤと同じく人を殺めた。
だが彼は最期まで罪を償い戦い抜いた。誰かを守る為に、その対象の中にきっとイリヤも含まれていたはずだ。
ならこれは彼に対する裏切りなのだろう。だからこそ、キリトから借りただけの文字通り、ただの贋作では本物を超える事など出来なかった訳だ。
「……死んだ人間は……帰っては来ない。君の絆を誰かの血で染め上げても良いのか?」
やっぱり鳴上という男は強いのだろう。
その口からは全て正論と綺麗事しか吐かない。ずっと正しくて強くあり続ける。
「……お兄さんは強いね」
地面に叩きつけられ、腹部と背中に強い打撲痛がイリヤを蝕む。
声をあげるのも辛いが、それでもきっとここで黙ってしまったらイリヤの負けになるような気がした。
「でもね、どんな理由があっても。
好きな子のことを守るのは当たり前でしょ」
鳴上の言うことは正しい、でも正しいから人はそれを選べるわけじゃない。
例え間違っていたとしても、守りたい縋り続けたいものがある。
「―――私は〝友達と妹〟を見捨てたままじゃ、前へは進めないから…ッ!」
二人だけの味方は立ち上がる。
どうしようもない悪でありながらも、全てを敵に回してもイリヤが戦わない理由にはならない。
「ルビー!!」
イリヤは手放したルビーへと手を伸ばす。
逃げようとするルビーだが英霊の脚力に対しそれは些細な抵抗だった。
ルビーはあっさりと、その手の中に握り締められた。
『イリヤさん、貴女はどうしてここまで……もうやめましょう』
「駄目だよ、ルビー。私最低の悪者だから」
『悪者なんかじゃ、イリヤさんは被害者で……イリヤさんは救われなきゃ駄目なんです!』
「ありがとう。だけど、私やらなきゃいけないから」
―――他人が嫌がることしちゃダメ。ワケもなく人を傷つけるのは……いけないことなんだよ……。
いつかそんな事も言っていた。自分がしていることは、それを否定する行為なのにだ。
キリトと同じく過去の自分までイリヤは裏切っている。この先もずっと裏切り続ける――友達も母親も戦友達も、救うべき対象である二人さえも。
「投影、開始(トレース・オン)」
使っていて良く分かった。
これは戦うものではない。
この英霊(ちから)は生み出すものだ。
余分な事は考えるな。現実で勝てない敵ならば、それに勝ち得るだけの自身を生み出せば良い。
イメージするものは常に最強の自分。外敵など要らない。自分とって戦う相手とは、自身のイメージに他ならない。
分かる。願望気としての機能が、英霊の使い方を教えてくれる。
『なっ!? これはまさか……』
最強の自分、それを担う自身を思い浮かべた時、イリヤの中に浮かんだのは剣ではなく杖。
既に失われたはずの、もう一つのカレイドステッキ・マジカルサファイア。
機能全てが完全に再現された訳ではない、無論サファイアとしての意志もそこには存在しない。
だが真に迫った贋作として、サファイアをイリヤは再現しきった。
「ごめんね、嫌だと思うけど力を借りるねサファイア、ルビーも!」
『……』
二本の杖が合わさった時、その真の力が発揮される。
イリヤが光に包まれた。
ステッキが重なり一つの杖を形作る、それと同時にイリヤの姿が大きく変貌する。
ピンクを基調としたフリルのドレスに背より大きく羽広げた魔力の翼。
ツヴァイフォーム。
ルビーとサファイアの同時使役による両ステッキの融合化で顕現する最強形態。
「それが、君の……」
鳴上の使役するベルゼブブとは対極にあるような神々しさ。
それを例えるのなら、天使あるいは女神と呼べば良いのだろうか。
「貴方ごと、全力で全て薙ぎ払う!」
「そんなことはさせない!」
何をする気か、鳴上は否応なく理解する。
あれだけのエネルギーを有した存在だ。やろうと思えば、この辺一体を消し飛ばすことも可能。
同時にベルゼブブとイリヤが飛翔する。
しかしイリヤはベルゼブブを優に追い抜き、一気に遥か上空へと上り詰めた。
そして上空のイリヤから、ベルゼブブの脳天目掛け魔術の刃が降り注ぐ。
対してこちらの氷属性の攻撃は全てが回避され、上空に対象を逃した無数の氷が精製され続けた。
回避しきれなかった刃がベルゼブブを貫き、羽を破き、足を?ぐ。天空の覇者たる魔王は無様に地べたを這い蹲る。
「ぐ、あああああ!!」
邪魔な蝿を落とし、天空の制空権はイリヤが握った。
これから成すは悪そのもの。
正義を堕とし、悪が打ち勝つ最悪の物語。
ステッキに集結する膨大な魔力。鳴上が今までに見たどの攻撃も比較にならないだろうそれは、避けるとか逃げるといった選択肢がなかった。
ただ一つ、残された選択肢は迎撃のみ。鳴上本人が助かるのはおろか、この場に居る全員の命を救うにはそれしか術はない。
鳴上はベルゼブブへと目を向ける。
地に堕ちた魔王は満身創痍、だがその戦意はまだ衰えてはいない。
これならばあと一撃だけ、あの直斗の影ごとダンジョンを消し飛ばした最大攻撃ならば放つことができる。
「逃げろみんな、ここから今すぐ離れるんだ!」
無意味かもしれないとは知っていても鳴上は大声で未央達に叫んだ。
「鳴上くんは……鳴上くんはどうするの?」
「俺はあの娘の攻撃を止める」
「だけど、だけど鳴上くん! 危ないよ!」
「早く行ってくれ! ……もう誰かを死なすのはうんざりなんだ」
恐らくは未央の友達だろう少女をみすみす目の前で死なせ、クマと雪子を亡くし、千枝には死ぬ間際まで世話をかけてしまった。
挙句の果てに自分の知らないところで、またさやかとタツミまで恐らくは―――。
「そん、なの……」
止められなかった。
とても悲痛で痛々しい鳴上の顔を見た時、未央は言葉に詰まった。
そのまま強く腕を引かれ、為すがまま未央の視界から鳴上は小さくなる。
「―――多元重奏飽和砲撃(クヴィンテットフォイア)!!」
「メギドラオン!!」
未央が最後に見たのは強い光の渦に飲み込まれた鳴上と大きな蝿の姿だった。
□
新たに現れたのは盾を持った壮年の男。
いや、もう少し若いのかもしれない。外見と内面の年齢が合っていないようなそんな奇妙な印象を受けながら、御坂はその男ヒースクリフに視線を向けた。
「久しぶり……というほどでもないか黒くん」
「ヒースクリフ、気を付けろ。知っているとは思うが奴は手強い」
「状況としては簡単だな。
君と黒くんが戦っている。余程何かが拗れたのでなければ、御坂くんが殺し合いに乗っていると見て間違いないかな」
「そうよ、大正解。
で、どうすんの? ここで私とやり合うのも良いし、あの黒いのに任せて逃げるの?」
まあどっちにしても逃がさないが。
そう心に付け加えながら、御坂は改めてヒースクリフを観察する。
一見隙がなく武術の達人にも見えるが、果たしてその実態は何なのか。
何故かは分からないが、妙に彼だけが何処か遠くに離れた場所から、ここを除いているような感覚を覚えるのだ。
「黒くん、私と組んだとして彼女に勝てると思うかな?」
「さあな」
他人事のように黒は受け流す。
なるほど、簡単に勝たせてくれるほど甘くはないと解釈すべきなのだろう。
となれば逃げるか。しかし、これもあまり取りたい方策ではない。
単に逃げれば、それだけで黒からの印象は下がる。無論、ここから一人切り抜けられる策がないでもない。
銀の名を出せば、黒は喜んでヒースクリフにその探索に行くよう指示を出し、合法的にこの場を離脱できる。
「そうだな。少し、話を聞いてもらえないかな御坂くん」
だがヒースクリフが選んだのは敢えて駒の保持だった。
エスデスと別れて以降、ヒースクリフはアカメ達や黒個人に恩は売れたが、仲間そのものをまだ手にしてはいない。
この先のゲームで、ソロを続けるのは厳しい。ブラッドレイ戦で嫌と言うほど思い知らされたものだ。
エルフ耳のような一時的な共闘も、それを相手が受け入れるなどの運がなければ、安定した戦力にもならない。だからこそ、戦闘力が高い黒をこの場で抱え込む事をヒースクリフは企んだ。
「先に結論から言うと、ここは見逃して欲しい」
「駄目に決まってるでしょ」
「そうなるだろうね。だから、それに見合うものを用意しよう」
「何だってのよ」
「情報だよ。君が喉から手が出るほど欲しがるような情報さ」
HPに余裕があれば黒と共に御坂を退けるのも悪くはない。
だが如何せんヒースクリフは、この場での戦闘にまだ自身が適応していないことを痛感する。
ブラッドレイの戦いやエルフ耳での戦闘で、はっきり分かったのが攻撃の反応がまだ鈍いという事だ。
他の参加者とは違い、アバターで参加している以上そこには生身とは違う余裕があり、なまじ余裕があるからこそ油断が生まれてしまう。
ブラッドレイの脳天を狙った突きもアバターだからこそ耐え、そこから反撃に転じれたように見えがちだが、あれは避けて反撃するのが正解なのだ。
やはり意識の違いというものが、土壇場で生まれてしまうのか。文字通りの実戦を重ねた猛者達に、たかだがゲームプレイヤーが何処まで通用するか。
よほど切羽詰った状況でなければ、戦闘は避けるのが無難だ。それがあのレベル5の電撃使いともなれば、なおさら。
「先ず、君と相性が悪いと思われる同じ電撃使いの情報から話す」
電撃使いという言葉に御坂と黒の関心が一気にヒースクリフへと向いた。
どうやら話を聞かせるというお膳立ては済んだらしい。
これで御坂は少なくとも、話を聞くまでは手を出しては来ない。
「
足立透という男だ。聞いた事はないかな。
非常に危険で狡猾、そして君の電撃をものともしない同じタイプの能力者だ」
黒と戦っていたということは、恐らくだが同じ電撃を身体から発生させるが故に、能力の強みを最大限発揮させられなかったのではないか。
御坂の内心を予測したヒースクリフだが、それは見事的中したらしい。
同じ能力者ならば、俄然彼女の興味を引くだろうと見越して話したこの情報は、かなり取引を優位に進ませてくれる。
「足立、ねぇ」
「そうだ。だから戦うのなら気を付けた方がいい」
嘘は何一つ言っていない。実際、電撃を操ったのは本当だ。
ただ本体にまで、電撃が効かないかどうかまでは知らないが。
「でもさ、私その情報を知っちゃったらアンタ達を逃がす理由がもうないわ」
(掛かってきたな)
御坂の言葉が脅しているようで、その実かなりの積極性を帯びてきていた。
彼女はまだヒースクリフから、情報を引き出したいと耳を傾けている。
「これでもIT技術者だ。首輪の解析には自信がある」
あえて足立の情報で好奇心を煽ったところで肝心の切り札を出す。
あの好戦的な雰囲気だった御坂ならば、あるいは嘘と切り捨てたかもしれないが、今の彼女はそう簡単に物事を決め付けはしない。
「何ですって?」
「証明する術はないが……なにか適当な質問をしてみてくれ。答えて見せよう」
御坂もまたその手の知識には能力の性質上詳しい。
数問、技術者でなければ答えられないような質問をぶつけたが、ヒースクリフは難なく答えてみせた。
「さて、ここからが本題だが、君の目的は優勝だね。
生き残るというよりは、何か願いを叶えたい。それが理由だろう」
「……知った風な口を聞かないで。
殺すわよ?」
「すまない。
どちらにしろ、君の目的が生存優先でも何でも構わない。
不安じゃないかな? 連中が約束を守るか否か、君は心の底からそれを信じてるとは思えない」
改めて問われたのは主催への信憑性の有無だった。
はっきりいえば、考えたくもないことだと言わざるを得ない。本当に御坂が優勝したとして、連中がそれを叶えるのか。
実に今更だ。もう何人も手に掛けた癖に。
「優勝者への願い、元の場所への生還。それら二つは、別に連中が叶えなくとも構わないものだ。
むしろその約束を破る方が、ずっと理にかなっている。馬鹿正直に乗った参加者ならば首輪も外していないだろうし、それを起爆させるだけでわざわざ守る必要もない」
「それが、何だって言うのよ」
「保険を掛けないかと言っている」
「保険?」
「そうだ。もしも連中が約束を守らないようなら、それなりの報復をしなくてはならない。
その為には、彼らを脅す材料が必要ではないかな?」
つまりヒースクリフはこう言っている。
やりようによっては、首輪を外し連中を潰せるかもしれない。
万が一に連中に願いを叶える意志がない場合、主催と渡り合えるかもしれない切り札をここで潰すのは惜しいと。
(ようは自分を売り込んでるって訳か)
ここまで進んだ道を引き返せというわけでもない。
ただいざという時、利用し合える仲でいることは御坂の意志や決意にも反さない。
確かに、そういった時に備えての保険は必要かもしれない。
「一つ、連中が願いを叶えないんじゃなく、叶えられないって可能性はないわけ?」
「それはないな。主催も馬鹿じゃない、余程の捻くれ者でなければ、やれないモノを取引に使いはしない。
誰だって保身は考えるはずさ、その時に何が一番使えるのかもね。でなければ、そんなもので我々を釣ろうとはしないだろう」
「……良いわ、今回だけは見逃してあげる。その代わり次はないわよ」
「話が分かって助かるよ」
乗った側の参加者と協定を結べるというのも悪くないメリットだ。
いわゆる仲間ではなく、ビジネスとして接することのできる御坂は、もしもこの先、主催との戦いに突入したとき利用できる。
彼女も願いを叶えられる確信がなければ、こちらの話に乗る可能性もあるだろう。だからわざわざああやって揺さぶってやったのだ。
御坂に言った保険は、そのまま裏を返せばヒースクリフの保険の一つでもある。
互いが目を合わせたまま後退していく、それが一定の距離に達した時、その場にいた全員は一気に踵を翻し駆け出した。
「何とか助かったな、黒くん」
「ああ、お前のお陰だ」
「それと黒くん、聞いてくれ。銀という少女の居場所が分かった」
「何?」
エルフ耳から得た情報を黒に教える。
やはり銀は南東の方に居たのだ。下手をすれば、先ほど出会った花陽が銀と既に接触しているかもしれない。
焦りが募る黒をヒースクリフは宥める。
「まずは学院の方が良いだろう。参加者の接触機会の多さを考えれば、穂乃果や黒子といった少女達はかなりのものだ。
銀の情報を掴んでいてもおかしく――――」
知性と平静さを常に兼ね備えていたヒースクリフの口が開いたまま、彼は空を見上げていた。
呆然としていたのだ。その思考を一気に放棄するほどの神々しさに。
「なんだ、アレは……」
天空に君臨する天使の如き少女とそこから放たれる光の放流。
何が起きているのか完全な理解は二人には出来ないが、しかしあれが破壊を司っていることだけは分かる。
「銀、まさか」
嫌な予感というものは当たってしまうものだ。
黒の脳裏を過ぎった銀の姿を振り切ろうとして、限界が来た。
冷静さを保てないまま、黒は光の方角へと走り出す。
遅れて我に帰ったヒースクリフも思考を再開させ、黒の後を追う。
「……美しい」
いや、本当に我に帰ったのかも自分自身で怪しいぐらいだった。
ヒースクリフはあの光景に心打たれ、惹かれているのだ。光に集まる哀れな蛾のように。
□
最早、そこに広がるのは神話の戦いに他ならない。
圧倒的な光の濁流が灼熱を生み出す。
それは空間すら捻じ曲げ、軋ませるほどの莫大なエネルギーの衝突。
「ォオオォオオオオオオオオ!!!」
「ハアアァァアアアアアァアアアアアアアアアアアアアア!!!」
鳴上が駆るは、あのルシファーにも次ぐ最強の悪魔ベルゼブブ。
その万能属性攻撃メギドラオンは、その実力に相応しい強大な力を有している。
しかし、敵もまたそれに匹敵、いやあるいは凌駕しうるかもしれない強大な力の主。
イリヤの駆るツヴァイフォーム、それが放つ多元重奏飽和砲撃。
これはかの英雄王の宝具、天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)すら退けた正しく最強の砲撃。
(圧しきれない……!)
拮抗は決して長くはなかった。展開は鳴上の劣勢という節目を迎える。
まず鳴上の力が、この場では薄れていたことが要因の一つか。
本来誰かとの絆によって広がるワイルドの力が、エンブリヲの感度50倍に晒された結果、ほぼ誰とも関わらず完全に発揮できなかったことはかなりの痛手だ。
だがイリヤにも、それは言えることだ。残り少ない魔力に加え、元よりあの英霊の投影は剣を模倣することにのみ、特化している。
強引に投影したサファイアは、これまでの投影品に比べあまりにも拙い。当然これを使ったツヴァイフォームは完全な力を引き出せていない。
このツヴァイフォームで、あの天地乖離す開闢の星と打ち合えば、イリヤの敗北は免れない程に弱体化していた。
(ダメージが抜け切らない……このままじゃ!)
勝敗を別ったのはダメージの総量だ。
ペルソナのダメージ総量とイリヤの受けたダメージ総量を見れば、明らかにペルソナで受けたダメージが大きすぎる。
むしろ、スターバーストストリームをモロに受けながらも、立ち上がれている鳴上が異常だと言っても良い。
スタンドと違い痛覚のみで致命傷にはならないものの、土壇場において鳴上にフィードバックされてきたダメージが表面に出てきたのだ。
『イリヤさん可能な限り短期決戦を、このツヴァイフォーム通常の魔術回路だけでなく筋系、血管系、リンパ系、神経系まで擬似的に魔術回路として誤認させています!
長ければ長くなる程イリヤさんの身体に深刻なダメージが残ってしまうんです!』
「ルビー?」
そして何より。
『イリヤさんには負けました。良いですよ、一緒に世界最大の悪党になろうじゃないですか。
地獄に行くときは一緒ですよ!』
「……だけど。あんなに酷いこと言ったのに」
『今更。何言ってるんですか、私にも責任がない訳じゃない。もう貴女と私は立派な共犯者です。
仲直りです、イリヤさん。この先何処までも、お供します!』
使われるだけだったルビーがイリヤに助力し始めてしまったこと。
例えそれが間違った信念だとしても、どうして彼女がイリヤを見捨てられようか。
これまでも、ずっとそうだった。イリヤの決めたことに、ルビーはずっと助力し共に戦ってきた。
ならば、これからもそうであるべきだ。マジカルルビーとしてイリヤの大切なパートナーとして。
もうルビーに迷いはない。それが誤りであっても構わない。
イリヤが望み選んだ道ならば、それを助けるのが自分の役割だ。
「ごめん、ありがとう、ルビー。
―――行くよ!」
『はい!!』
何時だって一人と一本で切り抜けてきた。
ずっとルビーは力を貸してくれた。
一人と一本の力が合わされば、どんな敵だって乗り越えられる。
光の波がより強く輝きだす。最早ベルゼブブは風前の灯、そこには魔王としての威厳など微塵も残っていない。
鳴上の最大の敗因は、皮肉にも彼が信じる絆をまた彼女達が築いてしまったこと。
元より鳴上に勝ち目などなかったのだ。
結束した彼女達の絆に、たった“一人”の鳴上が勝てる訳がない。
「これ、でェ……!!」
魔力の渦が鳴上を包み込んでいく、きっと痛みも感じずに死ぬのだろう。
(俺は……ごめん、千枝……みんな)
―――壊せ。
あの時の声がまた響く。
鳴上を引き摺り下ろそうと、何かが絡み付いてくる。
それは女性のようなフォルムをした幽霊のような存在。
違う。最早それは肉体を得た人間の姿。
『諦めないで』
千枝の、みんなの声が響いた気がした。
後ろに視線が泳ぐ、今にも倒れそうなほど覚束ない足取りで銀が鳴上の元へと歩んできていた。
「銀……逃げろ、君は……」
「千枝なら、きっと逃げないから」
「……!!」
あの時の声が薄れていく。
纏わりついた女の姿が消える。
かわりに不思議な安心感があった。
「私の力なら……」
千枝のペルソナを進化させ、鳴上に呼びかけたあの力。
あれならばきっと。
「だけど、あの声は……」
「大丈夫押さえ込む。私も、みんなと黒を守りたい」
「っ……!」
ドールとは思えない固い決意の表情は鳴上の心に響いた。
「……?」
だが現実はいつだって薄情だ。銀の身体に、はもう足を動かすほどの力も残っていない。
彼女の意志とは裏腹に足は崩れ、全身を地面に打ちつける。
だが痛みはない銀を支えたのは、とても柔らかく温かい人の腕だった。
「私が、銀ちゃんを守るよ」
「……穂乃果」
「ここで逃げたら私、花陽ちゃんにもμ'sの皆に顔向けできないから!
私も一緒に戦う!!」
花陽も真姫も凜も海未もことりも、皆が皆にの戦いに望んで散っていった。
それを穂乃果だけが、逃げるなんて許されるはずがない。いや穂乃果自身が許せない。
やれることなどたかが知れている。どうせ銀を支えて、庇うぐらいしかできない。
構わない、自分のやれることを、今この瞬間に立ち向かっていかなければ、きっと明日へのゴールには届かない!
「これは……」
力が沸いてくる。
不思議と前にも感じたことのあるような力だった。
その出所は銀。以前、ジュネスでも似たような共鳴をしたことがあったが、あの時とは違う。
憎しみに染まり、破壊しかもたらさない憎悪ではない。これはこの力は絆の力だ。
「……ずっと私は私が怖かった」
自分が自分でなくなるあの感覚。
きっとそれが目覚めれば、誰もが死に絶える最悪の災厄を齎すだろう自分が。
この場でもより強く、銀のなかに語りかけてきたあの娘が。
――抗っても無駄なのに。
違う。今はこの力で誰かを救うことができる。
抑えてみせる。どんな災厄だって―――
「――――ッ!!」
死にかけていたベルゼブブの目に光が戻り始める。
同時にメギドラオンの火力が増大し始めた。
『イリヤさん、相手の力が増してきてます!
気を付けてください! このフォームも長くは!!』
「わか、てる……!!」
穂乃果も銀も覚えている。
詳細までは分からないが、穂乃果も自分と同じ友達を失った同類だ。
けれどやはり、彼女も鳴上と同じ正義の人間。イリヤの敵。
そして銀、イリヤの中身を見透かしていた彼女とは恐らく性根の部分でも繋がっているのだろう。
だからこそ、ここで決着を付ける。
「もっと、もっと力を……!!」
『ですが……いえ分かりました。イリヤさん!!』
血が滲む、頬が赤く染まる。
全身がズタズタに壊れていくのが分かる。だけど止まれない、ここで止まれば二人を助けられない。
全力で目の前の壁を越える。越えて、イリヤはその先へ進む。
「マスティマァァアアア!!!」
「クローステール!!!」
「なっ……!?」
全身を捕縛する糸、イリヤを囲い降り注ぐ白翼。
二人の帝具使いが放つ全霊の一撃がイリヤに直撃した。
「……本田?」
「今だよ、鳴上くん!」
所詮、一般人が操る帝具にツヴァイフォームを破るほどの威力などない。
だがその二撃は間違いなく、イリヤの気を逸らし隙を生んだ。
「ああ……任せろ!!」
――お待ちしておりましたお客様。
青い発光に包まれたタロットカードが並ぶ。
鳴上の脳裏に浮かぶ鼻の長い老人と鳴上の動きがシンクロした。
二枚のカードが二人の腕に合わせ、一枚のカードに重なり合う。
瞬間、二体のペルソナが一体のペルソナへと生まれ変わった。
ゾロアスター教に伝わりし大天使。
邪悪を討つ者。
「スラオシャ!!」
ベルゼブブが光に包まれる。鳴上のペルソナが、新たな力を向かえ変化していく。
千枝と同じだ。正史の未来で目覚める筈の力を銀の力で数段すっ飛ばし、鳴上に覚醒を齎したのだ。
瞬間、イリヤの手元に違和感が走る。
鳴上を圧倒していた多元重奏飽和砲撃が反射されていた。
『イリヤさん、あの化け物は光を反射をする力がある。
真っ向勝負は危険です!』
「ぐ、ゥ―――」
スラオシャから放たれたメギドラオンと、固有スキルである光反射はイリヤの多元重奏飽和砲撃を正面から打ち破る。
絆なんて言えるほど、鳴上にとって未央も穂乃果も銀も卯月も付き合いは長くない。
だが、それでも彼女達は共に戦ってくれた。それだけで鳴上は戦える。
「俺は一人なんかじゃない!!」
遥か天空へと向かい光の柱が迸る。
暗闇を割くように夜空を切り裂き、光は徐々に薄まっていく。
そして上空より女神が堕つる。
否、堕ちているのではない。己が意志で下降しているのだ。
イリヤはルビーを柄として魔力の刃を大剣として形成する。
下降の勢いに乗せ、鳴上をペルソナごと両断するつもりだ。
「ゴホッ……ぁ、ハァ……勝つ、よ……ルビー!!」
『はい、イリヤさん! 勝ちましょう!!』
喉に血が絡む。全身が血で染まっていく。視界は赤く、色を正しく認識できない。
最早、痛みという感覚すら麻痺するような重態。
でも諦めない。まだ戦える。ここで倒れたら、それこそ嘘だ。
「行こうか……イザナギ!!」
己が絶対の信頼を寄せる無二のペルソナを呼び出す。
鳴上に逃げる気はない。
ここで全てを終わらせる。
イリヤに惨劇を始めさせてしまった者として、全てのケリをつける。
「はああああああああああ!!!」
「―――ッ!!」
交差は一瞬、イリヤとイザナギの剣が閃く。
月明かりよりも鋭い。それでいて透き通り、美しい刹那の閃光。
全てを乗せた剣閃が闇夜に輝いた。
□
改めて考えると主催が願いを叶える保障は本当に何処にもない。
「もしアイツらが願いを叶えてくれなかったらさ、私何の為に人殺してたんだろ」
それこそ救いようがない。だから、御坂はヒースクリフという保険に敢えて乗ったのだから。
とはいえ次に顔を合わせれば殺すつもりだが。
(そういやエドワードが言ってたっけ、首輪を外すのを試すのは許されるとかなんかと)
首輪に関して御坂はここまで何一つ考えてきていない。
だが、そろそろ考察に移るべきだろうか。
殺し合いを否定する気はないが、確かに主催を脅す切り札は欲しい。
一先ずサブプランとして、検討はしておいた方がいいのかもしれない。
(まあ、それを理由に殺しを止めるなんて逃げは……もう私には許されないけど)
そこまで考えた時、ふと空がやけに明るいのに気がついた。
黒とヒースクリフが向かった方向だ。
その上空にあったのは、馬鹿でかい蝿と両翼を生やした銀髪の少女。
少女の方は見たことがある。名前は……美遊という名に反応していたところを見ると、名簿で彼女に近い位置にあった名前。
多分、
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンという名だろう。
「あれ、やばいわよね」
遠目だがイリヤの振るう力の強大さは嫌でも分かる。
そしてそれがどんなインチキでリスクを背負っているか、赤く染まり続ける身体が物語っていた。
「止めなさいよ。死にたくないでしょ、馬鹿なんじゃないの」
ふと口走った言葉に自嘲げに御坂は笑った。
誰であろうと死んでくれたほうが、楽に決まっているのに何を心配しているのか。
しばらく見ていて、よく分かった。
きっとどうしようもなく愚かで、馬鹿げた願いを叶える為にその身を削り続けているのだろう。
奪われた日常を取り戻す為に自分以外の全てを敵にして。
「よくやるわよね」
御坂は背を向けた。
あのイリヤとやり合う気はない。どうせ勝手に自滅してくれるだろう。
避けたほうが労力も割かずに済む。
まあ首輪換金で復活するかもしれないが。
「……頑張れ」
一言だけ呟く。
もう何処にも味方は居ないだろう少女に向かって、この瞬間だけ御坂はイリヤにただ一つの声援を送った。
次、対峙すれば容赦も加減もなく殺す敵同士でも。今だけは――
□
「ァ、ア―――」
先に倒れたのはイリヤだった。
血反吐を吐きながら、着地もできず地べたを転がっていく。
悲鳴すら上がらない。あるのは声にならない呻き声。
「勝った……鳴上くんが勝った!!」
「……ガ、ハッ……」
「―――え?」
未央の目に写ったのは剣ごと両断、その上体を両断され、崩れ落ちるイザナギ。
そして袈裟掛けに血を噴出し力なく倒れていく鳴上の姿。
「そん……な」
絶望に染まった未央の顔、酷くイリヤの脳裏にこびりつく。
でもこれだけの絶望じゃ足りない。もっと多くの屍の先にイリヤが辿り着く場所がある。
「……ゥ、ウゥア、ァ―――!!」
禄に動かない身体で杖を大振りに振り回す。
ここに呼ばれた戦う力を持った者なら、なんてことはないただの光弾。
威力も速度もまるでない。しかし、力を持たぬ弱者からすれば別だ。
イリヤにとっての強敵はもういない。残ったのは戦う術を持たない弱者達。
いける。彼女達を全て抹殺するぐらいなら、そして首輪換金で身体を回復させる。
先に進める。二人を助け出すことができる。
「ひっ……」
漏れ出した悲鳴は、誰の者だったか。少なくとも銀のものではなかった。
既に彼女は声も上げられないほど死に掛けている。
胸に穴を穿たれ、更に切り裂かれた銀は文字通り人形のように力なく倒れ逝く。
固めた決意の贄として、死神の枷は断ち切られた。
(どう、すれば……)
後ずさる未央。もうどう抗えば良いのかも分からない。
花陽が死んだ、鳴上も倒された、銀が殺された。
マスティマで戦う? 逃げる? 無理だ、死にかけの女の子一人に勝てる気がしない。
「い、や……」
「―――イリヤ!」
未央に放たれた魔力の刃は盾によって遮られた。
その盾より飛び出す黒い影を、イリヤは忘れない。
自分が殺すと宣言した男を。
もう、その目には殺意しかない。イリヤを殺さないという選択肢は、既に消え失せている。
それでいい。それでこそ、やっと黒を殺せる。
足をバネにして一気に飛びあがる。
そのまま脳天目掛け、ステッキを振りかざす。
「……ゴフッ!」
血が喉を逆流する。視界がまともに見えない、目の前の全てにモザイクが掛かっているようだ。
右腕に力が入らず、感覚がない。きっと神経がいかれたのだろう。
動くたびに骨が軋む音がする。骨折か罅か、無事な骨の方が少ないくらいだ。
皮が裂け、肉が破裂する。もう色んな痛みが混じって、何が痛いのかも分からない。
黒の包丁がイリヤの胸を捉えた。
「……何?」
だがイリヤはそれを読んでいた。
使い物にならない右腕を盾にする。友切包丁はイリヤの心臓へとは届かない。
友切包丁を持つ手に力を込め、捻り下ろす。骨を砕き、肉を切り裂いてイリヤの右腕は半分以上が切断され、皮一枚で辛うじて残った。
黒はそのまま、イリヤの左腕を友切包丁で薙ぎ払う。
「ッッ!!」
イリヤの左腕の肘から先が消えた。
声帯すら壊れたのだろうか、声にならない悲鳴と引きつった表情が黒の目に焼き付けられる。
宙を舞うステッキ。両腕を失ったイリヤ。
決着は付いた。あとは本当の止めを―――
『イリヤさん!!』
「ガ、ァアアアアァァァアア!!!」
宙を舞うステッキをイリヤはその口で噛み咥える。
少女には似つかわしくない咆哮で、先端を刃化させたステッキは黒の胸を穿たんと向かう。
完全な不意打ちと共に、イリヤの威圧に蹴落とされた黒はたじろいでしまった。
「何をやっている黒君!!」
糾弾が響き、イリヤを一筋の剣閃が貫いた。
強く噛み締められたステッキが、零れ落ちる。見開いた目が下手人を睨みつけ、穿たれた胸から血を流し、ボールのように落ちていく。
『う、あああああああああああ!!!』
まだ終わらない。
ルビーが消えゆく刃を携え、黒の腹部へと突き刺した。
「ぐっ……!!」
だが如何な霊装と言えど使い手のない霊装は無力だ。
腹部のルビーを握り締め、黒は全力の電撃を流し込む。
外装が内部機能が、蹂躙し破壊され尽くされる。
ビクビクと痙攣し力の弱まったルビーを引き抜き、黒はそれを堪らず投げ飛ばした。
『■■■■■■■■■』
言語機能すら、まともに働かない。
黒とヒースクリフからすれば訳の分からない雑音を残しながら、ルビーはその機能を停止させ砕け散った。
イリヤは瞳に涙を溜め、何度も顔面を地面に打ちつけながら立ち上がる。
可愛らしかった顔は見る影もない。美しかった身体のラインは全て崩れさり、赤黒い肉の塊にしか見えない。
「やめろ、イリヤ……」
目の前が真っ暗で、歩いているのか平衡感覚も分からない。
それでもまだ戦える。武器だって、喉笛に噛み付けば殺せる。
まだ……まだ……!!
□
「削除だと?」
エンブリヲがキーを打ち続ける。
数分前には、モニターに表示されていた死亡者の情報は微塵もない。
消されたのだ。エンブリヲが
エンヴィーに構っている間に何者かに。
穂乃果は先ずありえない。これらを弄るほどの知識はない、初春も死んでいる上に仮に生きていたとしても消す理由がない。
ならば他の参加者か。しかし、これもまたありえない。あれだけエンヴィーが大暴れしているなか、学院に近づく参加者が果たしているだろうか。
何より、ディスプレイに触れられた形跡が全くない。つまり外部から消されたのではなく、内部からこのデータは削除されたのだ。
そこから導き出される答えは自ずと決まってくる。
(裏切り者(ユダ)が居るな)
何百年と前に滅ぼした世界に存在した聖書に例え、エンブリヲは一人胸内で呟く。
このデータを消した理由は単純明快、知られたくないデータがそこに存在したから。
これはエンブリヲが推測した、知られても困らない情報だから会場に敢えて残したという考えから、大きく逸れる。
ならば、どうしてそんなものを会場に用意したのか。主催側に殺し合いの破壊を目論む、何者かが居るからに違いない。
より複雑に考えるならば、参加者にこの殺し合いを開き遂行しようとしている者を倒させたいと考えるものが居るのかもしれない。
これは考えれば考えるだけ結論が出ず確信には至らないが、何にせよ反旗を翻そうという者は間違いなく存在している。
もう一度キーを打ち込み、データの復元に望むがやはりモニターは無機質な光をエンブリヲに照らすだけ。
モニターには何も写らない。
入念に消されている。それだけで、このデータの重要性が分かる。
忌々しさと腹正しさが沸き、同時に一つの勝算がエンブリヲには見えてきていた。
まずは裏切り者と接触する。それがエンブリヲにとっての策の一つ。
これだけあからさまな情報を与えるということは、参加者全体で見ても首輪の解析は芳しくないのだろう。
エンブリヲは知る由もないが、実際に
タスク、エドワードといった知識及び技術に明るい者達は戦闘などに巻き込まれ、大した考察を行えずにいる。
それに痺れを切らし、この場で最も首輪の解析に明るいであろうエンブリヲに情報を提供したと考えれば矛盾はない。
若干の自身への過大評価も交えながらも、エンブリヲはキーをまだ打ち続ける。
(危険な賭けではあるが)
これはメッセージだ。
エンブリヲが打ち続けたキーはこのパソコン内にメッセージとして残り続ける。
ネットワークとして繋がっている以上、主催側なら誰でも中を垣間見ることが可能だろう。
他にも、裏切り者に気付けるようにお膳立てはしている。
例えばエンブリヲが打ち続けるキーボートの音。これには規則性がある。
軍が扱うモールス信号だ。彼はメッセージを残しつつ、この信号を敢えて盗聴させるよう姿勢を低くし、首輪を近づけて鳴らし続けていた。
都合よく裏切り者にのみ通じればそれで良し、他の主催に筒抜けになったとしても構わない。
主催のなかに混じった裏切り者にエンブリヲが気付いていると、裏切り者本人に伝わればそれで十分。
無論、既に裏切り者が処分されたことも想定しているが、恐らくそれはないとエンブリヲは推測する。
もしもエンブリヲが主催ならば、この消されたデータを見た可能性のある者は確実に処分している。しかし未だエンブリヲは健在だ。
つまりは泳がせたいのではないか。それは裏切り者の正体を見極める為に。
殺し合いに無意味な干渉をして、参加者に妙な疑惑を持たせたくないだけかもしれないが、それでも今のエンブリヲは一人だけ、首輪を爆発させても疑念を持つ者は少ないだろう。
ましてや今までに大多数を敵に回したエンブリヲとなれば、尚更誰かの報復を受けたと考えるものもいるかもしれない。
よって裏切り者は、まだ完全にはばれていない。のうのうと奴は殺し合いの運営に関わっていると考えられる。
(場合によっては私の首も飛ぶかもしれんな。フフ……久しぶりだよ、死ぬかもしれない博打を打つというのは)
ユダはイエスを銀貨30枚で売ったという。これは決して高い値ではない。
むしろ、ユダはイエスの生まれ変わりと神格化を補佐する使いだったという説があるほどだ。
上手く向こうの裏切り者とコンタクトが取れたところで、その裏切り者がこちらの完全な味方とは到底いえない。
どちらに転ぼうと、非常に危険な綱渡りだ。どの方策も必ずリスクが付いて回る。
調律者と名乗ってから、これほどのスリルを味わったことは一度もない。
だからか、妙な高揚感が胸をしめたのは。
一通りのメッセージを入れエンブリヲは僅かに伸びをすると席を立ち、穂乃果の探索へと向かった。
「さて、穂乃果もそろそろ探さねばね」
穂乃果とは何処かでニアミスをしたのは学院内に居ないことから明白だ。
大方、花陽や
ヒルダ辺りの心配をして飛び出したのだろう。
どうせ少女の足だ、そう遠くまでは行っていない。若干の余裕を持ちながら、エンブリヲは倒壊した学院を後にした。
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最終更新:2018年08月24日 11:33