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ゲームセット(前編) ◆ENH3iGRX0Y

「イリヤちゃんはそんなことを……」

黒の話を聞きながら、雪乃は後悔に苛まれていた。
最初にイリヤと出会った時、雪乃はその違和感に気づいていた。それが、後にあんな惨劇に変わるとはあの頃は夢にも思わない。
雪乃はあまりにも軽率だった自分を恨めしく思う。
あの時点なら、彼女を救うことが出来たはずだった。アカメを説得させて無理やりにでも同行させれば――

「お前のせいじゃない。けじめをつけれなかった、俺の責任だ」

雪乃とイリヤの邂逅はほんの数分間の出来事であったが、黒とイリヤは違う。
戸塚から託され、何よりかつての自分を重ねてしまっていた黒にとっては、あれは己自身でもあった。
結局銀を殺めたのも、穂乃果の友達を死なせ、連鎖的にその穂乃果や未央もあの世に引きずり落としたのも、全ては黒の迷いと弱さが齎してしまったもの。
全てが後手であり、迷いを吹っ切た時には手にする物など何もなかった。
そんな自分を嘲笑わずにはいられない。

「どうして、こんなことになってしまったのかしらね」

いつもそうだ。全てが悪い方向に噛み合ってしまっているような気がする。
本当に簡単で些細なことで、そんな最悪は避けられたはずなのに。
あの時も、あの場面でも――ずっと同じことを繰り返し続けてしまっている。

「あの娘はただ、友達を想っていただけなのに」

正直、羨ましいとさえ思っていた。"こう"できるなら、自分たちはどれほど楽だったかと。あの時も同じ事を思い、そして今も。

「へ、黒か……? やっと見つけた!!」

陰惨な空気を壊すようにコミカルで渋い声が響いた。
へとへとになりながら、蛇を連れてゼェゼェ息を荒げた猫がようやく念願の黒を見つけて、歓喜に沸いている。

「良かった、早速だが俺を抱っこしてくれ」

「……その蛇は光子のペットか」

ふてぶてしく猫は雪乃の元に駆け寄ると、死んだように足元に持たれかける。
そして頬で足首を擦るが、悪くない。きゅっと細身でありながらしっかりと肉付きは良く、骨が出張りすぎて無骨という訳でもない。
見た目も触れ心地も一級品だ。そのまま、ネコ特有の甘えた鳴き声をあげて雪乃に可愛いアピールを続けた。
生粋のネコ好きである雪乃がその誘惑に勝てるわけもなく、落ち込んだ自分を慰めるように猫を拾い上げ胸に抱いた。
こうして猫は安心して楽に移動できる足を手に入れ、満足だった。
一方エカテリーナちゃんは、嫌々ながら黒に拾われティバックに放り込まれた。

「猫、お前死んだんじゃ」
「組織のバックアップから復活したって蘇芳の件の前に聞いたろ?」
「やはり、お前は俺の知らない未来から来たのか」

今更、時系列の違いで話を拗らせる事もない。黒はクロエが言っていた時系列が違うという仮説を元に、猫はジョセフや花京院等の話を元に同じ結論へと辿りつく。



「そうか、じゃあお前はイザナミの事も知らないのか」
「名前ぐらいは、光子が蘇芳から聞いたと言っていたが要領を得ない説明だったな」
「銀のことなんだが……これは話していいのか?」

猫は蘇芳の旅と黒と銀の結末について、その一部始終を目にした生き証人もとい証猫だ。
しかし、いざ自分の知り合いが過去から来たと分かると猫はその未来の情報を話すべきか迷った。
ありがちだが、未来を知った過去の人物はそれと同じ未来を歩もうとはせず、結果的に未来が変わるタイムパラドックスが発生するのではと危惧したのだ。
それはそれで良いが、バタフライ現象のごとく周り巡って世界が崩壊するという、とんでもない展開になったりでもすれば笑うしかない。

「もう遅いと思うわ、猫さん。タイムパラドックスが起こるかは考えるだけ無駄よ。
 これだけ時間軸を乱してるのだもの。私も詳しくは分からないけれど、この程度は些細なことじゃないかしら」

雪乃の指摘通り、確かに今更かもしれない。
銀も既に死んでいるのだから、未来の心配をしてもしょうがない。というよりは、考えたところで今から対策ができる訳でもない。
出来れば猫が帰還したときに地球が猿の惑星になっているとか、そんなSF映画のバッドエンドみたいにならないことを祈るばかりだ。

「俺も、ほんの一部しか見てない。だから、謎はかなり残ると思うが」

銀はイザナミとして覚醒し、黒はそれを殺すために動き、ゲートの中で2人は復活したBK201の星の輝きと共に消えた。
かなり掻い摘んではいたが、猫の語る内容は光子の話より鮮明ですんなり頭に入り込んだ。

「だが……言い方は悪いが、銀は死んだんだろ? ……少なくとも俺の知る未来みたいに、イザナミが目覚めることはもうない」

結末は変わらないが、黒が銀を殺してしまうという悲劇は避けられたのだ。
後味は悪い。決して最善ではないが、それでも後に起こるはずの災厄の芽が潰れたことだけは不幸中の幸いかもしれない。

「……だと、いいがな」
「?」
「雪乃、猫を連れて先に戻っててくれ」

2人は南下し西に繋がる橋が見えてきたところで、黒は雪乃にそう促した。

「どうして? 黒さんはどうするの」
「俺は俺で用事がある。戸塚のこともイリヤのことも全て話した。先に帰ってろ」
「嫌よ。私を1人にして、あの変態(エンブリヲ)に襲われでもしたらどうするのかしら。戸塚君と私を守ると約束したのだから、きっちり守ってもらわないと困るわ」
「そうか……あいつか……」

エンブリヲの台詞から戸塚との約束の内容を聞かれていたらしい。
バツが悪そうにする黒だが、雪乃の言うことは一理ある。あの性犯罪者が1人で人知れず行動しているのだ。乙女にとっては、ある意味殺し合い以上に身の危険を感じるのは無理もない。

「分かった……好きにしろ。大した用事でもないんだが」

黒は呆れたように呟き、雪乃は黒の後をぴったりと追う。2人はそのまま橋を渡った。

渡る前から所々戦闘の余波なのか、周辺は荒れ果てていたが、その橋もまたところどころ血で汚れていた。
既に乾いてきていることから古いものだとは分かっていたし何より殺し合いは既に終結した。それでも雪乃は僅かに身構えてしまう。
橋を渡りきるとそこには大量の血と、三つの土の膨らみがあった。

「穂乃果はここで死んだのか」

ぽつりと呟き、黒はその場を後にした。
汚れ仕事は自分が背負えばいい。かつてはそう考えて、穂乃果と黒子を残して黒は去った。だが結局、黒が生き残ったのは皮肉でしかない。

そうして黒は目的の場所に着いた。

それは亡くなったヒースクリフのディバックが落ちていた場所だ。
黒はある疑念を抱き、彼のバックを確認したいと考えていた。
バックを拾い上げ、黒は手を突っ込むと彼の予想通り一つのカードが出てきた。



「それは?」
「俺にも良く分からない」

クラスカード『アーチャー』

本来なら、埋葬されていなければおかしいカードだが黒の頼みを無視しヒースクリフはそれを回収していたらしい。
黒はそれを回収しディバックを自分のものに無造作に突っ込んだ。

「それをどうする気だ。黒?」
「さあな」

黒はあえてぼかしたが、このカードは元々クロエだったものだ。彼女の死亡時に死体が消滅し現れたことから逆算すれば間違いない。
エドワードは生物を元にしたものならば、それがエネルギーになるのではと帝具を利用した時、考察していた。黒の能力は物質に干渉する錬金術に近い部分がある。
あるいはこのカードも能力の増幅に役立つかもしれない。

「戻るか」

それから、近くのイェーガーズ本部に少し立ち寄ってから黒は来た道を引き返した。
その道中は誰も口を聞かない。
疲れからか、それとも一日半に及ぶ殺し合いを想い、必然と口が重くなったのか。
沈黙を破ったのは、一つの遺体だった。
銀髪の少年で、整った容姿だがその片目が抉れ、血の中に沈んでいた。

「あの時の……」

見覚えがある。エンブリヲにいたぶられていた少年だ。
銀を看取った場所でも、彼は酷く衰弱し倒れていた。その後の事は分からないが、きっと学院のいざこざの中で死んでしまったのだろう。
殺された後も散々蹴られたのか、靴のあとがびっしりとその服にこびりついていた。

「ここまで来たら、平気だろう。先に行っててくれ。俺はこいつを埋葬しておく」
「私も手伝うわ」
「……要らない。お前は少し休んでいたほうが良い」

訝しげに黒を見つめてから、雪乃は猫を連れて去っていった。
黒は学院を去る前に入手していたスコップを取り出し、穴を掘り始める。

「すまなかった」

この少年にはイリヤの時も、そして黒に代わり銀を守り続けてくれた。エンブリヲの言っていたように黒の尻拭いをさせていた。
なのに黒は話したこともなかった。
土を掘るスコップが嫌に重く感じる。疲れからだろうか、それとも精神的な理由なのだろうか。

穴を掘り、そこに少年を安置して土を重ねていく。
その作業で体制が傾き、懐からアーチャーのカードが零れ落ちた。

「何をやってるんだろうな、俺は」

カードを拾い、黒は自嘲した。
我ながら柄でもない。人の死はいくつも見てきた。なのに、この場ではすがり付くようにその死を引きずっている。
こうまでして、人との繋がりを感じようとしていたのかと。
カードをわざわざ回収したのも、鳴上を埋葬したのも自分には守るものも帰る場所もない空っぽだったからかもしれない。だから動く理由が欲しかったのか。
白が救ってくれたことも銀が黒を想い続けてくれたことも分かってはいた。だが、この殺し合いが終わった時、黒は何処へ流れていけばいいのだろう。
今は動く理由がある。前に進む意味がある。しかし、黒にはその先が見えなかった。
生きて、帰れたとして黒はどうすればいい。

また、殺しの世界に舞い戻るのか。それこそ、何の意味もなくただ戦い続けるだけなのか。

「契約者なら、何も考えずにすんだのか」

あまり待たせても心配を掛けるだけだ。鳴上を丁重に埋葬して、黒は先を急いだ。
少なくともすべきことは、まだこの場には残っている。黒を突き動かす理由は―――

「行くか」












エドワードの錬成は結果から言えば成功した。
御坂の手足は生え揃い、以前のように自在に動く。御坂やエドワード本人ですら拍子抜けするほどに呆気なく、手足は取り戻せた。

「流石に寿命を削っただけはあるってことか」

御坂の皮肉の通り、決して軽くはない代償であったからこそ成功したのだろうか。

「何だっていいさ。それより、御坂……分かってるよな」
「……とんだ人手不足ね。アンタが馬鹿にみたいに、色んなトコに首突っ込んでは掻き乱したせいじゃない?」
「かもな」

一々取り合う暇も惜しい。ここで反論したところで何のメリットもない。
エドワードは淡々と受け流し、本題へと斬り込んだ。

「あの姿、上条って奴と同じだよな」
「間違いないわ。能力までそっくり、どうやってやったんだか」
「なあ、どうして広川は……まあお父様の意志かもしれないが、上条を見せしめにしたんだろうな」

エドワードの台詞を御坂は一瞬理解しきれなかった。
だが、ここで上条が殺された理由は見せしめだという事を思い出す。
逆らった者の末路としての抑止力であり、参加者の命を握ってるという強迫でもあるが。

「広川はわざわざ、懇切丁寧に幻想殺しについて説明してたが、だったら最初から分かりやすい奴を選んで殺すべきだったんじゃないか」
「分かりやすい奴?」
「異能を制御できるって触れ込みにしちゃ、その肝心の見せしめが異能を無効化するなんて能力じゃ説得力に欠ける。
 エスデスやお前みたいな氷や電撃を操れる奴を、ねじ伏せた方がもっと分かりやすくててっとり早い」

思えば御坂もエドワードも、最初は首輪の解除が可能かどうか試みた。
その結果として、首輪は解除不可能だと結論づけたが、もっと分かりやすく最初から異能を無力化するところを見せつければ良かったのではないか。

「きっと、アイツを殺しておかないといけなかったんでしょ。お父様ってのがあの姿になる為に」
「そうだ。けどよ、そんな大事な役目を何で広川に任せたんだろうな」
「何でって、それは……」
「あの時点でお父様はまだ、人目に触れることができない……。恐らくあの外界に対応できなかったんじゃないか」

お父様はエドワード達との交戦の中で動きづらい、折角作った入れ物と言った台詞があった。
それらを突き詰め、状況証拠から合わせて考えればお父様は殺し合い開始から今に至るまで体を構成してた可能性が高い。

「ここまでお父様はずっと肉体を構築し続けていたのかもしれない。そう思わないか」
「肉体の構築って点から、色々分からないんだけど」

「お父様の正体はフラスコの中でしか生きられない、ちっぽけな目玉だ……ホーエンハイム……俺の親父曰くだが。
 そこから外で動くために入れ物、ようするに肉体が必要なんだが、この殺し合いは俺達が死ねば死ぬほどその肉体の構築も比例して完成へと進むんじゃないだろうか」

「だったら、最初から全員皆殺しにすれば良いでしょ」
「そう、そこだ」

エドワードは予測していたかのように御坂に賛同した。

「俺らを全員あの時点で殺してりゃ、何の目的だが知らないが全部事は済んでいたんだ。
 けど、そうはしなかった」
「……急激な変化にお父様が付いていけなかったから」

御坂にも経験があった。
能力の規模が上がれば上がるほどその意志に反してしまうことは少なくない。御坂の場合、あの時は上条が救ってはくれたが。



「あの幻想殺しってよ……多分だけど、一つの基準点なんじゃねえかな」
「基準点?」
「俺ら錬金術師も物理法則に沿ってるとはいえ、既存の物を別の物へと変えちまう。いわば、小規模ながらも世界を改変してるわけだ。
 お前の電撃もエスデスの氷もなんかもな。その場に無い筈のものを作り上げて、本来あるべき形だった世界を上書きしてしまっている。
 それを元に戻すのが―――」

「幻想殺しと言いたいのか」

突如、エンブリヲの声が響く。二人の背後から不敵に笑いながらエンブリヲは近づいてきていた。

「良い読みだ。まあ、正確にはアレは―――まあいい。その認識でも問題はないだろう」

「何よ、言いなさいよ」

「止めとけ御坂、どっちにしろこいつは口を割らねえよ」

諦めたようにエドワードは御坂を静止した。

「奴は君を人柱として強引に扉を開けた。さて、奴が開けた扉、その情報量は果たしてどれだけ膨大だろうね。
 一つの意志が、意志として意識を保つことなど不可能だろう。何せ、複数の世界を同時につなげたのだからね」
「だから、あの幻想殺しを一つの基準点として、お父様は自我を保っている」
「分かりやすく言えば、幻想殺しはバックアップということだ」

お父様は力に呑み込まれるのを防ぐために幻想殺しをバックアップとして使用していた。

「だったら、あの右手を切り落とせば……」
「多分だが力の制御は出来なくなると思うぜ」

光明が見えてきた。
明確な弱点があるのなら、戦いようはいくらでもある。

「取り敢えず、詳しい話はみんなが集まったとこでしよう。そこで色々打ち合わせだ。
 幸い、もう盗聴の心配もないから堂々と話せるしな」









幻想殺しをバックアップに意識そのものを保っている、だからそれを切り落とせばお父様は力を制御できないのでは?

再び全員が集まったところでエドワードは仮説を纏めた。

「難しいな」

弱点というグッドニュースを聞きながら、黒は淡々としていた。
もしもこれが本当だとしてもお父様もそれを予見した対策は練っているはずだからだ。むしろ、弱点を狙ったこちらの動きが予見されたやすい可能性もある。

「分かってるよ。けど、これしかねえと思う。……あとは、お父様に力を使わせ続けて消耗を狙うって方法もあるけど……」

お父様の力の源が賢者の石だ。ホムンクルスとの戦闘経験から考えれば理論上はそれで倒せる。
問題は実現不可能という点だけだが。
正しい未来においても人間側が総戦力でようやく倒しきれた化け物なのだ。この人数、戦力ではとても賄いきれない。

「アイツがいれば―――」
「え?」
「チッ、黙ってろチビ」
「チビゆうな……」

あまり認めたくはないが、火力という点ではやはり鳴上悠の右に出るものはない。あそこで殺したのはやはり失敗だったのだろうか。
足立のなかで後悔が沸く。
本当に何故かすべての選択肢が最悪の方向に絡んでるとしか思えない。

「私は一応、軍隊と同等ぐらいなんだけど」
「それで足りてれば、今頃こんな反省会開いてないさ」

杏子の言うようにそもそも火力で優っていれば、正面切ったあの戦いで全て終わっていたのだ。
お父様を倒しきるという方法は現実的でないどころか絶対に不可能だと言い切れる。

「もう、どうしようもねえよ。ここまで生きてるのも偶々上手くいっただけじゃねえか。
 こんな大雑把な適当な作戦しか思いつかないなんて……」

足立は振り絞るように声を荒げた。だが、今まで吐いた叫びの中で最も掠れ、消え入りそうなほど小さい怒声だった。
もうあまりに疲弊と絶望感に足立は完全に諦めきって、八つ当たりする体力もないのだろう。
傍から聞けばイラつかせる足立の声を聞いても、喧嘩っ早いエドワードが反応しない。
辛うじてチビというワードに突っかかるだけだ。

「パラメイルがあればかなり違うんだけど」
「サリアさんも言ってたわね。ドラゴンと戦うロボットがあるって。あの時は、頭の病院を勧めたほうが良いのか本気で悩んだけれど」
「パラメイルでは足りん。ラグナメイルでなければね」
「そうだ。エンブリヲ、首輪が外れたんだし、もう制限もないんじゃ……」

エンブリヲはラグナメイルを自在に呼び出すことが可能だ。タスクも異能やそういった類に制限が掛けられていることは知っていた。
だが、殺し合いは終わったのだ。エンブリヲもその力を再び取り戻したのではないだろうか。
信用できない男だが、それでも調律者の力は味方としては頼もしい。

「猿が。それが出来れば既にしている。
 制限そのものは解除されているが、私はこの空間に完全に孤立させられている。ヒステリカは呼べない」
「…………人を、生き返らせることは出来ないのか? マスタングさんや、事情を話せばエスデスって人も協力してくれるかもしれないだろ」

マスタングの炎の錬金術やエスデスのデモンズエキスの力は強大だ。
後者は人格に難ありとしてもマスタングならば、復活すればこれ以上ない助っ人になる。
それどころか、極論だが後藤などを除いて全参加者を蘇生させることが出来れば、お父様を真っ向から打倒することも可能かもしれない。



「その方法も考えたさ。だから試した」
「何?」
「しかし、肉体そのものは蘇生しても……些か非科学的だが、いわば魂と呼ばれるものだけが戻らない。傷ついた死体から、傷一つない綺麗な死体へと変わっただけだ」
「人体錬成は成功しない」
「黙っていてくれ。そういう話じゃない。
 恐らくだが、参加者の魂はお父様とやらが掌握しているのではないだろうか。奴を倒さない限り、この場の死人は誰一人甦れないはずだ」

しかし、その考えもあっさり否定された。

「性欲以外、全てを没収されてしまったようね。流石にその下半身は要らなかったみたいだけど」
「何を言う。君への愛は残されているよ」
「頭が悪いの? それを性欲というのだけれど。小学生の保健体育から義務教育をやり直してくるのをお勧めするわ」
「君はまず道徳から覚え直した方が良いな」
「大丈夫よ。人類相手のモラルは心得ているもの」
「まったく手の掛かる花嫁だ」
「……キモ」

この後も無意味なやり取りが続き。これ以上、明確な打開策は浮かび上がらなかった。
せめてお父様を倒した歴史を知るマスタングがいればまた別なのだろうが、現状の情報量では判断材料が足りないのだ。

「飯にしよう」

話は終わったと言わんばかりに黒はそう言うと、ティバックを掴み踵を返した。

「飯なんて食ってる場合かよ」

杏子は状況にそぐわぬ黒の態度に怒りを露にする。

「このまま話し合っても良い案は浮かばない。まず、頭に栄養を回した方がいい」
「黒の言う通りかもな。杏子、特にお前は……休んだ方が」

エドワードは言葉を濁しながら休息を促す。
彼が気にしているのは足立との交戦で見えた、竜の鱗のようなものだった。
あれが何か分からないが、インクルシオが関係した良からぬモノであることは想像がつく。
かといって今更インクルシオを使うなとは言えない。杏子も強く拒むことは目に見え、何よりインクルシオがなければ戦力は大幅に減少する。

「契約者としても、一度頭を休ませるのは合理的だと思うぞ」
「猫さんもこう言ってるし、少しリフレッシュするのも大事かもしれないわね」
「腹が減っては戦もできないっていうしね」

思いのほか賛同者が多いのは、この陰惨な雰囲気を脱したいという思いが強かったからなのだろうか。
対お父様の作戦会議は一度幕を下ろした。








近くの施設のキッチンを利用し、黒は食材を広げていた。イェーガーズ本部からまたもや盗んできたものだが、品質はまるで落ちていない。
中に入れたものは劣化せず、腐りもしない。
このティバックが一般向けに発売すればきっと大ヒット商品になること間違いない。
冷蔵庫は姿を消し、サバイバル向けの非常食もなくなることだろう。

黒はボウルに水、塩、溶き卵を放り込み混ぜ合わせる。
さらに強力粉を加えてから、ゴムベラでよくかき混ぜ全体的にまとまらせる。

「ず、随分本格的に作るのね……」

意外な一面に雪乃は驚きと感心の混じった声でつぶやく。
食事を摂るとは言ったが、ここまでやるとは思わなかった。

「なんの用だ?」
「手伝おうと思ったのだけれど」
「要らん」
「ペリメリでしょ? 具を作る手間が省ければ、時間の短縮になるんじゃない?」

まとまったボウルの中身を手で練り上げて、滑らかにしている黒の横で雪乃は手を洗浄してから具材に手を付けた。
玉ねぎとニンニクはすりおろし、ボウルに合挽き肉、塩、こしょう、玉ねぎ、ニンニクを入れてよく混ぜる。
鮮やかなプロのような手際は黒も感嘆した程だった。

「役に立つでしょう」
「……具材のほうを頼む。俺はスープをやる」

滑らかになった皮にラップをして寝かしてから、黒は鍋を用意しひと口大のキャベツ葉、薄切りの芯、ひと口大のじゃがいも、乱切りのにんじん、薄切りの玉ねぎ、半分に切ったソーセージを入れた。
そのまま火にかけ煮込み始める。
眺めながら何を作るのか分かりだした猫が呟いた。

「ペリメリ……懐かしいな」
「思い入れでもあるのか」
「ちょっとな」

実質、蘇芳の最後の晩餐にもなった料理だ。確かあの時は、蘇芳の下手糞な具材の詰め方で酷い不格好なペリメリが出来た。

「旨そうな匂いすると思ったら、何作ってるんだ」

匂いに釣られ、エドワードがキッチンへと飛び込んできた。
薄く丸く伸ばされた生地に具材を詰める雪乃を見かけ、エドワードはどんな料理かとっさに察しを付けた。

「俺も手伝ってやるよ。雪乃みたいに詰めればいいんだろ」
「やめろ」
「大丈夫だって、皆でやったほうが早いだろ」
「出てけ」
「任せとけって」









「まあ、肉まんになるとは思ってたんだ俺は」

悟ったように目の前の惨劇を見つめ、猫は呟いた。
綺麗に積まれたペリメリと、その横で不格好な薄汚い肉まんがドサドサと積まれていた。
肉まんと形容するのも失礼な、どちらかといえば泥団子のような歪な形は食欲が失せそうになる。

「悪いけど俺、肉まん嫌いで……。横のだけ食べさせてもらっていいかな」
「駄目よタスクさん。皆で平等に食べるのよ」
「えぇ……」

渋々肉まんに齧り付くタスク。見た目があれだが、内容物は同じだ。
味自体は黒が仕込んだものなので悪くない。むしろ美味だ。

「悪かったよ。本当に……ごめん」

戦犯のエドワードは項垂れながら、自分の更に肉まんを乗せていく。
本当に自分が関わったのが具材を詰めるところだけで良かったとしみじみ思った。
下手に味付けを間違えれば、もっと悲惨なことになってしまっていたと考えると身震いする。

「私はいいや。食欲ないんだ」

調子の悪そうな杏子に黒は皿を手に取り、杏子の前へと差し出す。

「スープくらいなら飲めるだろう? あとそこにペリメリを入れても合う。
 無理にとは言わないが、少しは腹に入れておけ」

皿に盛られた少量のスープをスプーンで掬い、杏子は口に含む。
コンソメの香ばしい風味が広がり、温かな舌触りが体に染み込むようだった。

「美味しい……そういや家庭料理ってこんな味だったけ」

本当に久しい味だった。今までホームレス同然で生きてきて、手料理など殆ど口にしてこなかった。
父が亡くなってからこんな料理を食べるのはいつ以来だろうか。

「好きに食え。ここに残りは置いておく」

そう言うと黒は半分近くの肉まんとペリメリを自分の更に盛っていく。

「おい、それどこ持ってくんだよ」
「俺の分だ」
「いや、食いすぎだろ」
「足りないのか」
「俺たちの分は十分だけど……」

あまりの量にエドワードは騒然とした。
その横で涼しい顔で黒はペリメリを口に放り込んでいく。

「三十超えたら、気を付けたほうが良いぜ」
「お前も二十超える前に背は伸ばしておけ」
「んだとゴラァ!!」

下らないやりとりだ。呆れるほど意味のない会話で、だが少し明るくなるような。
少し前は食事を取るときはこういった会話が多かったのかもと杏子は思った。

「やっぱ皆で食ったほうが旨いんだな」
「そうね。一人で食べるより、ずっとね」

雪乃もそうだった。家族で食事を取ることは多くはないし、しても談笑もない。
昼食だけは由比ヶ浜と取ることもあり、思えば楽しい一時だったが、それも奪われてしまった。

「そうだ。今度、俺の店にみんなで来てくれ。実は俺、喫茶店やろうと思ってるんだ」

二人の物憂げな表情に気付いたのか、タスクは大きな声で皆に語り掛けた。
喫茶アンジュ。
タスクが夢として語り、実現させたものだ。本来ならばそこにもう一人いるべきではあったのだが。

「喫茶店? マジかよ」
「ああ、俺とアンジュの……夢だったんだ」
「良い夢だな。
 ……必ず叶えてやれよ。アンジュっという奴の分まで」

静かながらもタスクを後押しするような黒の言葉にタスクは少し力付けられた。

「そうか……。エドワード・エルリック異世界へ進出ってのも悪くないな。タスクの世界も見てみたいしな」
「ただ飯食わせてくれるなら行くよ」
「ええ、私もきっと行くわ」
「黒さんも、コックに来てくれないかな」
「あぁ、考えておく」

黒は大量のペリメリを持つとキッチンから出ていく。
その後を猫が追った。








「飯食ってる場合かよ!!」

近くの民家を陣取って団欒してる子供達と、まっ黒くろすけを睨みながら足立はゴミ箱を蹴飛ばした。
中から生ごみが雪崩れ出し、足立の鼻孔を臭さが襲った。
何故こんなにゴミが入っているのか、普通こんなところ誰も使わないだろうし、使っても72人しかいないのだからこんなにゴミが溜まるはずがない。
最初からゴミをセッティングしていたに違いない。しかも、考えればここは足立の初期一から近い。主催はまた狙ってこんなものを置いといたのだろうか。
被害妄想を飛び越えた精神異常者のような発想に自分でも少し引きながら、足立はゴミの山から避難していく。

「クソ……クソ……」

何故あんな余裕をこいていられる。恐怖で頭がおかしくなったんじゃないのか。
エンブリヲと御坂も終始無言で険悪な雰囲気だ。このまま戦いに行っても死ぬだけだ。
つまり、これは最後の晩餐であいつらは開き治っているのではないか?

「まさか、集団自殺とかしてねえよなあ!?」

考えられない話ではない。こんな状況だ。諦めて、全員ポックリという選択を選んでも何ら不思議ではない。
エドワードなら、あの妙ちくりんな術で練炭とか簡単に用意できるはずだ。大いにありうる。
もしそうなら、正直非常に困る。残されたレイパーと恋愛脳と足立の三人でどうしろというのだ。

「おいお前ら、早まんな!!」

何であいつらの安否を気にかけねばならないのだと内心愚痴る。
そもそもこの戦い自体、連中が始めたもので足立は巻き込まれただけだ。それを自分だけ置いてのうのうと逃げれるなど絶対に許さない。

「あ? なんだよ」

だがドアを開けた瞬間、飛び込んできたのは食欲をそそる香りと和気藹藹と食卓を囲む場面だった。
アホみたいな妄想をした自分に急に気恥ずかしさを感じ、足立は頭が真っ白になる。
疲弊とストレスで完全に頭がキてしまったのだろう。

「いや、……おい……死ねよこの!」
「私ら死んだら、お前ひとりでどうすんだよ。アホか?」
「…………クソがぁ」

何も言い返せず、足立は怒りのまま目の前のペリメリを取り上げた。

「め、飯だよ……そうだ。手を組んでやってんだから、俺もこいつを食う資格くらいあるよなあ!?」

気づけば空腹であったこともあり、足立は食欲のままに食らいあげた。
形の悪い肉まんを放り込み、口内で咀嚼する。

「げっ、何だこれ」
「うるせえな……もう肉まんの悪口は聞き飽きた」
「少しは反省しろよ」
「具と生地のバランスが悪すぎだろ! 全然肉の味がしねえぞ下手糞!!」

「………………今、なんつった」

逆鱗に触れてしまったのか? お父様の前にガチの殺し合いなど頼むから御免だと足立は嘆く。
だがエドワードは足立の予想に反して、小さく笑う。

「ハハっ……そうか……天才だなお前」
「い、いきなり何さ……」
「頼む。エンブリヲと御坂を呼んで来てくれ!」

頭に栄養を回せとはこういうことか。
エドワードは黒と足立に感謝しながら、勝利を確信した笑みで鋼の右手を強く握りしめていた。






「どういうことだ、エドワード?」
「具と生地だよ」

エンブリヲからは下らない話ならば、この場で同盟を破棄しても先に殺しても良い。そういった威圧と殺意を込めた視線を向けられる。
だがエドワードは確実な勝算を得ているのだろう。それに対し、勝ち誇った笑みで返し、逆にエンブリヲを呆気に取らせた。

「もっと早くに気付くべきだった。具に対して、どう考えても生地が足りないんだ」

エドワードが自身の失敗作である肉まんを手に取り、御坂とエンブリヲの前に差し出した。

「この肉まん、中に具を詰めすぎて少し齧っただけで肉が溢れ出てきちまう」

手にした肉まんを口にし実演して見せる。これでは肉まんではなく、皮が入ったジューシーな肉団子だ。

「同じだ。奴が扉を開いて、その中身をあの体一つで本当に収めきれるのか? 違う、何処かでこういう風に溢れなきゃおかしい。きっと別の場所に分割しているはずなんだ」

「あいつの体と小麦粉を一緒にしないでよ。あんた馬鹿なの?」

「いや同じさ。扉の中身がたかだか、一つの肉体に収まるはずがない。質量保存の法則を無視している。あれを収めるだけの器が必ずある」

容量の足りない器ではその中身が溢れ出る。子供でも分かる当たり前の理屈だ。
しかし、そんな理屈を軽く超えた超常の現象を御坂は何度も見た。特にこの支給されたティバックなどがそうだ。

「奴の体で収めるとしても、それを可能とするなら、国一つ分の賢者の石が必要だ。
 しかし、奴は大佐からしてみれば既に一度倒されたらしい。さっき雪乃に確認したがブラッドレイの戦いで確かにそう言っていた。
 そこから復活したのなら、賢者の石は大幅に減っていてもおかしくない。実際戦ってみて分かったが扉を開く前は錬成の制度が以前より遥かに落ちていた。それは何故か? 決まっている石の数がそこまで多い訳ではないから」

お父様に抱いた違和感が賢者の石の不足であったのなら、理屈は合う。
エドワードのお父様は当初、外界に対応できなったという仮説も解決する。
つまるところ、扉を開く前のお父様は既に弱体化していた状態だったのだ。

「じゃあ、何処にその扉の中身とやらを保存してるわけ?」
「まだ気づかないのか? 会場だよ。この会場、そのものが奴にとってのフラスコだ」
「ハッ」

溜まらずエンブリヲは苦笑を漏らした。
なるほど、そうきたかとある意味想定内であることがツボにはまった。

「発想は悪くないよ。私もそれは考えたがね、この会場の立地には錬金術的な意味合いは何一つない」

エンブリヲが錬金術を取得したときに真っ先にそれは考えていた。
この会場そのものが錬成陣で何かしらの意味合いを持つ、一つの儀式場なのだと。しかし、少なくとも会場そのものには何ら意味はない。
何処をどう繋ごうが、決して陣にはなりえなかったからだ。

「エルリック君……」

雪乃はエドワードに歩み寄り、そっと肩に触れた。
きっと考えに考え抜いて得た結論なのだろう。それが仮に間違っていたとしても、責める気にはなれない。むしろ、よくやってくれたと感謝すべきだ。



「雪乃、そんな男は置いて私とくるといい」
「この状況でよく言うわね。そもそも、貴方はどうするつもりなの?
 一々、無駄に虚栄を張って余裕ぶるのは止めてもらえるかしら。カッコいいと思ってやっているとしたら、とんだ道化よ」

エンブリヲから、物事の根本的な解決を聞かされたことは一度もない。それどころか、一々悪態をついて場を乱すことがほとんどだ。
いい加減、雪乃の堪忍袋の緒も既に切れているが、そこから更に破裂するほど苛立ちが募っていく。

「……なんだ、エンブリヲ。お前、案外大した事ないんだな」

だが、エドワード本人は鼻で笑いながらエンブリヲを小馬鹿にした。

「この会場を繋ぐものは物理的な線だけじゃない。もう一つあるだろ」

もう一つの線? エンブリヲはそう聞かされ、脳内に叩き込んだ会場の地形を張り巡らせる。
何処かに見落とした地点があるのか? いやそれはない。どうあっても、この会場に錬成陣など出来はしない。
その横で杏子がはっと目を見開き、咄嗟に口を開いた。

「……もしかして?」

「ネットワーク。錬成陣が物理世界だけにしか適応されると誰が決めた」

それはマスタング、キンブリーが気づかないのは無理もない。
彼らの世界にはネットといった技術はまだ存在しない。そしてエンブリヲも錬金術に対し、電子的な意味合いと離して考えてしまっていた。

「俺が気づけたのも本当に偶然だ。首輪を外すときに杏子にネットワークの話をしただろ。
 あれと足立の話を聞いたときに、思いついたんだ」

「そうか……足りない場所は何処かで代用する。ヒースクリフの言っていたことと、同じだな」

「エンブリヲ、ここまで聞いたら分かってるよな」

舌打ちと共に、エンブリヲは学院で回収したPCを始めとした電子機器を立ち上げた。
その操作から数分後、忌々しくもエンブリヲはエドワードを睨みつける。

「当たりかもしれないな。錬金術師」














「どうです。お体の様子は」

玉座に腰掛けるお父様へ広川は声を掛ける。言葉とは裏腹に一切の情が籠っていない台詞は聞くものからすれば皮肉と取られそうだが、あいにくと目の前の存在は感情という余分なものを捨てたまさしく神だ。
憤怒を見せるでも皮肉で返すでもなく、お父様はありのままを口にする。

「早急すぎたな」
「やはり、彼らが首輪を外してしまうというのは想定外でしたね」

お父様の肉体に僅かながら、ノイズのようなモノが走る。左手を凝視しながらお父様は右指でコツコツと玉座を叩いた。
元々、聖杯戦争をベースに殺し合いという形を取った儀式であったのが今回のバトルロワイアルだ。彼らが全員死に、生き残った一人、この場合扉に送り込んだタスクを器とし疑似的な聖杯として錬成するのが本来の完結地点だったが、その計画は大幅に変更せざるをえなくなった。
予備プランとして用意したもう一つの保険。かつての正史と同じように、人柱を利用し扉を開くという方法を使わざるを得なくなったのだ。
力そのものは手にしたが、それを抑え込むのに苦労していないと言えば嘘になる。

「もっとも、奴らを殺すには十分すぎる」

「どうでしょうか?」

広川は異を唱えた。

「一つだけ、貴方に私の経験から得た教訓を」
「なんだ?」
「殺しという点において、人の右に出る者はいない……そして奇しくもここまで残ったのは人だけだ」
「下らん」

エンブリヲ、佐倉杏子。既に二人も人外の存在が生き残っている。
人だから生き残れたのではなく、単に人数の多さから残っただけに過ぎない。
だが広川はあえて人であると強調した物言いだった。

「まあ、そこまで恐れることでもない。人はあらゆる生き物を駆逐し、おこがましくもその頂点に位置する長(おさ)であろうとしているが、そんな罪人どもを裁くのは他ならぬ神なのですから」

敗北などない。あってはならない。
広川が含めた意味にお父様は眉を歪めた。

「そうだ。私は神だ」

既に人の域を調律者すらも超越した存在になりつつある。
残された8の贄を食らい、その先へと必ずや到達する。

仮に奴らがあらぬ発想に至り、この身を食い破ろうとも手札は無数にある。
あの戦いに於いての最大の敗因は、国土錬成という巨大かつたった一つの陣を主軸にした柔軟性のない計画に問題があった。

「来るか」

錬成光が眩く。
扉を開き、エドワード・エルリックを先頭とし8人の生き残りが姿を現した。



「最後だ」

左手に火球を作り出す。
極小サイズの太陽、広川の言うそれが人であるのならば容易に消し炭へと変えてしまう。
8人の中から佐倉杏子が真っ先に飛び出し、剣を構えその名を叫ぶ。

インクルシオを開放し竜の鎧を纏った杏子と太陽が激突する。
その灼熱の炎は摂氏という宇宙規模の大熱量を誇るが、インクルシオもまたあらゆる環境に適応しその担い手も既に人の形をした異形だ。
閃光と巨大な火柱と共に一人と一つの球体は飲まれ、轟音が炸裂した。

杏子は地面に打ち付けられながらも健在。残る七人はエンブリヲを筆頭し、彼が展開するシールドのような物に身を潜める。
太陽が消滅し、白に包まれた空間が暗闇を取り戻した時、黒とタスクが躍り出る。
ノーモーションの錬金術でもほんの僅かにその前兆たる現象がある。術者の目線の動き、錬成光の予兆などだ。
黒は瞬時に術を見切り、お父様が繰り出す柱の数テンポ先に身を翻し距離を詰める。
その右腕に刃が届く。後藤、魏、御坂といった強者の戦いの中一切の刃こぼれも傷も受けず、黒を支え続けた業物友切包丁。
それはお父様が地面を錬成し、展開した盾すらも容易に両断した。しかし、右腕を庇うように乗り出したお父様に対し黒は軌道を修正した。
刹那、切り落とされたのは首だった。

「――――!」

その顔は誰でもない。御坂美琴が望んだ。最愛にして最大の男のもの。
しかし、それは皮だけである。
何故なら、首元から溢れだすその血は人のそれとは違っていた。赤い真紅の血ではなく、漆黒の闇に染まったかのように血だった。
滝のように流れ出した血は生物のようにうねり出し、触手のようにしなる。
黒の左腕に巻き付き、取り込むかのようにその身を引きずり込む。
その背後から、雷鳴が轟き雷光が振り下ろされた。
黒ごと雷はお父様を呑み込み、その破壊の閃光と共に肉体を焼き尽くして行く

雷光から黒は飛び出し、その前方に燃え盛るお父様を凝視する。
炭のように黒焦げた肉体が赤い光と共に再構築し、唯一無事だった右手を起点に再びその姿を再現した。

「マガツイザナギ!」

タロットカードを潰し、赤く黒い巨人が剣を携え突っ込む。
お父様は左手を翳す。それだけでマガツイザナギに重力が掛かり、宙を舞う巨人は地へとねじ伏せられた。
舌打ちと共にペルソナを消し、再召喚する。だが、その瞬間足立の腕を銃弾が貫通した。

「ぐああああああ!! てめ、この……!」

発砲したのは他の誰でもない、広川その人だ。
更に数発射撃し足立の肩を掠らせる。血を抑えながら足立は悲鳴を上げて広川を睨み続ける。
広川は無表情で両足を撃ち抜き、足立は転倒した。

「ウ、オオオオオオオオオオオオ!!!」

雄叫びと共にお父様の背後に回ったエドワードの機械鎧の剣が輝る。
狙うは右手、お父様の秘密を握りエドワード達にとっての唯一の勝機を握る手綱だ。
刃は右腕に触れ、そして皮を裂き肉に食い込む。

「ッ!!」

だが、甲高い金属音と共に剣は弾かれる。その右腕は手の分を除き黒く染まっていた。
炭素硬化。グリードが、エドワードが使っていた錬金術の応用。それをお父様が使えない道理はない。
刹那、エドワードの地面から刃が錬成され、エドワードを貫いた。
致命傷を咄嗟に避けるが、エドワードは横腹を抉られたまらず地べたを転がっていく。
血が道しるべの様に続き、それを追うようにお父様は指を鳴らした。

「う、そだろ……」

炎の錬金術。
マスタングが受け継ぎ、その術式は既に彼の脳内にしかない失われた秘術をお父様は容易に再現して見せた。
しかもその効果は更に爆発的に上昇し、この部屋一帯を呑み込まんとしている。

「世話の焼ける―――」

御坂はティバックから砂鉄をぶちまけると磁力を用いて、一気に巻き上げた。
それから全員を覆うようにドーム状に構築し、更にエドワードが手を合わせ砂鉄をより強固な物へと錬成する。
だが、それでもなお炎の衝撃は抑えきれない。熱によるダメージは防げたものの、砂鉄は消し飛び全員が余波に煽られ全身を強打した。



「遊んでいるな」

服に着いた砂鉄と埃を払い、エンブリヲは忌々しく呟く。
やろうと思えば一息に全員殺せるはずだ。それをしないのは、力の使い方をテストしているのだろう。
あるいは前倒しで手に入れた力を馴染ませるという目的もあるのだろうが、どちらにしろ我々は奴と同じ土俵に立ててすらいない。

「まあいい。それもこれまでだ。決めてしまえ、タスク」

お父様の視界に影が飛び込む。それはアヌビス神を構えたタスクのものだった。
気配を消し、全員の攻撃に意識を囚われたその隙まで好機を伺っていたのだろう。殺意を込めた瞳が交差した時、既にお父様の懐へと飛び込んでいた。
だが、そこまでしても尚お父様の動きは俊敏かつ的確だ。剣が右腕に触れるより早く、その顔面を掴む。
ミシミシと頭蓋が軋む音が鼓膜を打ち、顔を圧縮される激痛がタスクを襲う。

「お、まえ……なん、かに……」

「まさか、これが切り札なのか?」

黒が杏子が御坂がエンブリヲが足立がエドワードが絶望し打ちひしがれているのを見て、お父様は呆れた声で話す。
何らかの対策か秘策を用いるだろうとは思ったが、この程度の浅知恵しかないとは。なりふり構わず、敗北覚悟でこちらに挑んできたのだろう。
所詮、人間だ。以前の国土錬成陣の時のような時間を与えさえしなければ取るには足らない。
歴史より学び、進化したホムンクルスの敵ではない。

「驕っているわね。人数も数えられないなんて」

ザンという音が耳に着いた。
消失感と共にお父様の右腕より先の感触が消えていく。
痛みはない。元より、そのようなやわな作りではない。それよりも驚愕の方が上だった。

タスクの手から零れ落ちたアヌビス神は砕け散り、そして何も手にしていない筈の雪乃が何故かお父様の背後を取り、異能のごとくアヌビス神を召喚し右腕を切り落としていたのだ。

「透明化、か」

恐らくタスクのアヌビス神はエドワードが錬金術で作った偽物で本物はずっと雪乃が持っていたのだ。
ただし、刀身を透明にし雪乃が隠し持っていることでお父様を欺き続けていた。

「良くやった。人間にしては」

何らかの弱点であると推測した右腕を消失しても、お父様から余裕は消えない。

「右腕(これ)に着眼したのは悪くないが、もう一つ足りなかったな」

「なん、だと」

「大方、会場の秘密にも気づいたのだろう。そして妨害の錬成陣を掛けたのだろうが、生憎あれは更なるカウンターの錬成陣を内包している。
 それこそ、ヒースクリフの言っていたように、欠損部分を代用する。いわば、無限に組み広がる錬成陣だ」

つまるところ、知られたところで何の問題もなかったのだ。むしろ、気付かせたことこそがお父様の最大の罠だ。
妨害を仕掛けた人間は確実な勝利を確信し挑んでくる。それが、彼らを一網打尽にする餌だとも知らずに。
これは逃げ待とう虫けらを一か所に集め、消す為の撒き餌に過ぎなかった。

「今度こそ、本当の最期だ。諸君、よくぞ扉を開いてくれた礼を言う。死ね」

太陽で焼き殺すのも悪くはないが、さすがに三度目となると詰まらない。ならば、ここは切り刻むというのもありかもしれない。
大規模な真空状態を発生させ、一人ずつかまいたちで切り刻み虐殺していく。
手にした力のコントロールに慣れるにも丁度いい。



「何、やってんのよ……」




御坂が苛立ち、声を荒げる。




「まだなのか……」



黒の目はまだ死んではいなかった。



「エドワード・エルリック!!」



そして、奴は今なんと言った?



何故奴の名が出る? 今更あれに何が出来る?



既にエドワードは腹の血を抑えながら満身創痍だ。奴如きに何が―――









時はわずかに戻る。

「だが、お父様も馬鹿じゃない。大佐が一度倒したってことは逆に言えば、そこから学んで改良しているはずだ」

その推測を打ち立て、見事証明したエドワード本人が自ら否定するように言葉を紡ぐ。
しかし、彼の言う通りお父様が一度敗北した以上、国土錬成陣のようなカウンターへの対策もなければおかしい。
ここから錬成陣を弄ったところで、果たしてそれが有効打につながるかは分からない。エドワードとしては恐らく無意味だとも考えている。

「じゃあ、お前どうすんだよ。わざわざ勿体ぶって言ってたくせに結局駄目なのかよ」

「……俺という一つの人間を一個のデータとして錬成し直すということは、可能だろうか?」

足立の野次にエドワードは疑問で返した。当然、足立は意味が分からず硬直する。
その意味に気付いたエンブリヲは足立を押しのけ、エドワードの眼前に立つ。

「また力を貸せということか」

「そうだ。俺とお前は首輪を外す時、そしてお父様が神を手に入れた時、同じタイミングで扉を開けた。精神はより混雑し密接とは言わないものの交じり合っている可能性が高い。
 俺に必要なのはお前のネットといった未来の知識だ。もう一度、あの時のように精神から意識を繋いで、必要な知識を引きずり出し錬成に利用する」

「それって普通にネット弄って、錬成陣とかいうのを何とかするのと何の違いがあるんだ?」

杏子の言うように彼女からしてみれば、違いが分からない。そもそもエドワード自身が電脳世界に飛び込む必要性が理解できない。

「簡単だ。俺自身がその場に立ち会うことで、臨機応変に錬成陣に対応できる。奴のカウンターに対する対策の更なるカウンターになりうるってことだ」

「ようは、アンタがウィルスになるってことよね」

「ウィルスってのが何なのかわからないが、その認識で良いんじゃねえか」

全く知識のない杏子でもウィルスと聞けばネットに害のある存在だと理解できた。

「問題はエドワードの不在をお父様とやらが、不審に思うということじゃないかな」

タスクの疑念はこちらが用意したウィルスも気づかれて対策されれば、意味がないということだ。
何時誰が欠けてもおかしくない殺し合いの最中ならまだしも、今の休戦中に戦闘要員が一人でも減ればそれだけで何か企んでいると察してしまう。

「いや、エンブリヲ。お前の変身能力を使えばいけるはずだ」
「そうか、分身も出せるから本人とエドワードを演じきれるのか」

銀に化けた時のようにエンブリヲの持つガイアファンデーションなら、容姿だけならばエドワードへと完全に変身することも出来る。
何より制限の解けたエンブリヲならば、その能力を使いエドワードの錬金術を再現することも可能。ほぼ、エドワード本人へと成り済ませる。

「頼めるか、エンブリヲ?」
「……良いだろう。乗ってやる錬金術師。ただし一度電脳化してからもう一度物質(こちら)側に戻れるかは保証はしないぞ」
「戻るさ。戻らなきゃいけない場所があるんだ」

エンブリヲの力で扉を開き、残ったメンバーは全員お父様との最後の戦いに赴く。
そしてエドワードはエンブリヲの知識を使い、自身の肉体を新たに再構築していく。



「俺という一個の情報をデータ化させる。消えるわけじゃない、肉体という質量すらも情報として組み替える」

手を合わせ、そして消失していく肉体と意識。だが不思議と恐怖はない。
これは無謀でも何でもない。ネットと呼ばれる、将来エドワードの世界でも開発されるであろう技術を100年の時を飛ばして今利用しているに過ぎない。
何も変わらない。ただ、質量に縛られた世界から別の方式で成り立つ世界へ飛び立つだけだ。

「イメージしろ、そこにあるのが当然だ。ないものねだりじゃない。新しい法則(ルール)に沿って俺を俺へ錬成し直すだけだ――」











「なn」


呂律が回らない。
体の感覚に異常があり、意識を保てない。錯乱するなか、お父様は攻撃を中断し、内から溢れ出るなにかを必死に抑え込み繋ぎ留める。
気付けば体はノイズが走り、崩壊していく。



「待たせたな」



―――奴の声だ。勝ち誇ったあの笑顔とあの声だ。

―――しかし、その身体には私が付けた傷はない。何故だ? 回復でもしたのか? いやそもそもアイツが二人いる?

「ガイアファンデ―ションだよ。自分が支給した玩具も覚えていないのか」

―――見れば、血を抑えたエドワードが次第にエンブリヲの分身へと姿を変えた。有り得ない。見た目は変えられてもその能力まではコピーできない筈だ。

「残念だが、私は真理を見た。貴様が開けた扉、その末端程度だが十分すぎる真理を理解したよ」

―――そうだ。あの時、奴は……奴らは確かに扉を開けた。それでも、あの強引な開き方で得る扉の情報では手合わせ錬成を得ることは不可能だ。

「私は調律者だ。君のような似非ではなくね」

―――錬成陣は完全に崩壊している。エドワード、奴が破壊したのか? 馬鹿なあれを突破できるはずがない。
   ネットワークを使った器は崩れ去り、今や神を留めるだけで精一杯だ。

「貴様の敗因は一つ。一度目の敗北も二度目の敗北も―――」

―――敗北? 誰が?

「人の技術に頼り切ったことだ。神を気取ってはいるが、所詮人の敷いたレールの上でしか走れない。
 思い上がったな。真理如きに縛られるしかない貴様如きが、神を名乗ろうとはな。まさに身の程も弁えず太陽に近づき、堕とされたイカロスのようだな」

―――思い上がり? 思い上がりだと? 誰が? この私がか?
   見下すな。この私を。

「終わりだフラスコの中の小人。そして、広川……この殺人ゲームも狂った計画も全部な」

―――許せない。許せるわけがない。
   エドワード・エルリック。貴様だけは、貴様さえいなければ全ては―――





「なるほど」

呆れたように広川は笑う。
やはり、人間は殺しにおいてはあらゆる生物を退ける。
闘争に向かぬ貧弱な肉体でありながら、その脳裏にはあらゆる殺害方法を画策し張り巡らせる。

それに対し神としての視線で挑んだ時点でフラスコの中の小人は誤っていたのだろう。
一度目で既に負けているのに対し、やはり二度目もそのプライド故、敗北したのだ。
ネットワークを使い錬成陣を会場内に引くという発想は悪くないが、それを人間が更に利用するという発想に至らなかった。否、神としての領域に人間が踏み入れるはずがないという決めつけがあったのだ。
しかし結果は御覧の有様だ。エドワードは瞬時に機転を利かせ、全てを突き崩してしまった。

「だが、三度目ともなれば学習はするようだ」

地鳴りが響き渡った。空間そのものを震わすような巨大な地鳴りだ。

神としてのプライドと驕りがあったのは事実だ。しかし、お父様も最悪を想定していない訳ではなかった。
もしも、自らが神として成り上がるより早く、参加者による反乱が成功してしまえばという懸念はあった。故にそれ相応の“奥の手”を用意するのは必然だ。

自壊していくお父様がその寸前で辛うじて、形を取りとめている。上条当麻としての姿はすでに微塵もなく、切り捨てられた腕からは本来現れるはずの竜は現れない。
神上へと至るはずの己を否定するその現象にお父様は憤怒を抱いた。そして、眼前に広がる人間たちに対する憎しみも。

一度目の敗北の時、お父様はある一つの可能性に気付いた。感情とやらを切り捨てたからこそ、自らは敗北したのではという疑念だった。
考えた自分本人ですら愚かしいと思った仮説だが、存外間違っていないのだと自嘲する。

本当に万が一という時に備え、お父様は自らが追い込まれた時に切り捨てた自らの“感情”をもう一度インプットするよう仕込んでいた。

皮肉にもそれはお父様を救い、支えていた。本来は自戒的ないわば負ければ人間と同レベルという意味合いだったが、よもやまさか感情により沸いた執念がこの肉体を形あるものとして留めてくれているのだ。

「止めを刺すわよ」

地鳴りやいまだに力尽きないお父様に対し、直感的に御坂は動いた。
電撃を込み上げ、槍状に放つ。完全に的を捉え、数秒も置かず、それは消し炭になる。

「なっ!」

だが壁が遮り、電撃は露散していく。錬金術による防御かと考えたが、それに伴うあの特徴的な光がない。
お父様はノーモーションで錬成しても光そのものはエドワード同様発生していたハズだ。
何より、これは何もない虚空より現れた。それもわざわざ手の形をしてだ。
防御の壁に何故、手の形を作る必要あるのか、いやそれ以前にこの腕は一体なにか。
腕があるということは、本体もあるのではないか。



「早く、扉を開けろ!!」

真っ先にすべてに気付き叫んだのはタスク。
彼には、この場で目の前の脅威に対し最も近しく、かつ理解があった。
大雑把に言えば巨大ロボットという、SFの極みに対し常日頃より接していたためにそういった類を瞬時に連想しやすい。
だが、エドワードは所詮オカルト側の人間だ。それに気づくのが遅れたのは無理もない。
すぐに我に返り、手を合わせるが既に時は遅い。巨大な人影が生存者たちを覆い、そして影は一瞬で光へと変貌した。










最強とは何か。
あるスタンド使いは強い弱いの疑念はないと言いながら、自らを最強と自称等していたりもしたが、実際その定義は難しい。
契約者も錬金術師も超能力もパラサイトもパラメイルも魔術も帝具も魔法少女もペルソナも物事には一長一短があり、その場に適した能力もあるため最強とは言い難い。
しかし、至高という意味ではこれに勝るものなど他にはないだろう。
始まりにして至高の帝具。

「帝都守護……否、神に相応しき名はやはりこちらだろう。―――護国機神シコウテイザー」















エドワードは完全に死を覚悟していた。エドワードだけではなく全員だ。
圧倒的破壊に成す術もなく、塵に還る筈だったが結果はまだ生きていた。
全員が扉を潜りあの玉座から、帰還してきていた。

「なんでだ」

誰が発したか、その疑問に答えるように巨大なもう一つの人影が全員を覆う。お父様が繰り出したものとは数段サイズで劣るが、それもまさしく機甲兵器の類。
それ一つで一国など軽く蹂躙せしめるであろう威圧感を放っていた。
何より、その方に鎮座する男こそ他の誰でもない。唯一にして無二の調律者に他ならない。

「私が君たちを救ってやったということだ」

エンブリヲはヒステリカの頬を撫でながら微笑む。そこにあるのは調律者としての威厳と余裕だろうか。

「雪乃、君には無様な姿を見せたが……これが本当の私だよ」
「なにg「おいやめろ!!」

足立は悪態を吐こうとする雪乃の口を両手で覆い抑え込む。
既に彼はこの場のヒエラルキーを理解したのだ。今この場でもっとも強いのはあの男だ。逆らえば命はない。全面降伏しかないのだ。
どんなにペルソナを使おうが、あんなモノに勝てるわけがない。

(クソが……ふざけんなよ……)

足立はあの刹那の一部始終を見ていたのだ。

(あのバカでかいロボットの光線を……こいつのロボットが相殺しやがった……)

エンブリヲは怯えきった足立の顔を眺め、満足そうにしていた。
しかし、気に入らないのは敵意むき出しの猿とチビ猿とゴキブリだ。

「雪乃、美琴、私と共に来ないか?」
「お前少しは状況考えろよ!」

エドワードは大声で張り上げる。
目の前の事態に頭が付いていけず、叫びながらエドワードは状況を整理する。
錬成陣を無力化し、お父様は神とやらを抑えきれなくなったはずだ。事実、奴は体を構成できず元の黒い目玉へと戻りかけていた。
しかし、その後だ。巨大な鋼鉄の戦士が現れたと思えば、またエンブリヲの傍に同じような兵器が現れ光線を打ち合った。
あとの光景は閃光に遮られ分からなかったが、少なくともエンブリヲが完全に本来の力を取り戻し、またお父様もそれに匹敵する力をまだ有しているのだけは理解している。

「でも、それよりも……なんでお前がいるんだ。ヒースクリフ」

エンブリヲの愛機ヒステリカの方にはもう一人真紅の騎士が佇んでいた。
それこそがエドワードが死なせた、生存者の一人ヒースクリフに他ならない。

「遅れてすまない。私のせいで罪悪感に苛まれているのだとしたら、別に気にする必要はない」
「そういう問題じゃねえ。一体、何がどうなってんだ!?」

エドワード同様他の面子も驚きを隠せないなかエンブリヲはさも当然といったように平然としている。

「お前達、グルだったのか」

真っ先に気づいたのは黒だった。

「妙だとは思っていた。アンバーの反乱計画を、お前らがすんなりと飲み込むなんてな」

「ああ、そうだ。アンバーを信頼していない訳ではなかったが、こちらも最低限の策を練るべきだろう?」

「恐らく、こいつらは俺たちが全員合流する以前から話を進めていたんだ」

「冴えているじゃないか、何せゲームマスターが目の前に居るのだからね。利用しない手はない」

「私はエンブリヲに、あるデータを作成してもらった。
 私の記憶と性格を忠実に再現したプログラムとでもいうのかな。それを主催側に流すことでヒステリカの制御システムに干渉し、後はヒステリカ側のエンブリヲと交渉して、これが少し時間を食ってしまったんだが肉体を構成してもらったという訳だ」

「……待って、主催本部にウィルスを流したようなもんでしょ? いくら何でもセキュリティに引っかかるわ。エドみたいに魂を電脳化させて、錬金術で干渉したわけじゃあるまいし」

「このゲームを創り出したのはこの私だ。私が創ったモノなら、私に突破できない筈がない」

御坂も遅れて理解する。
ゲームの最も早い攻略方法は製作者を利用することだ。どんな腕利きも最初は初見であり、予めゲームを作り上げたクリエイターとはスタート地点からして違う。
エンブリヲの取った攻略はそれだ。如何なゲームも創造主にクリア出来ないものなど存在しない。



「まあ、良く分からないけど。ヒースクリフは生きてて、この変なの連れて増援に来てくれたったことだろ?」
「……生きてねえよ……全然違う。ヒースクリフは死んだんだ。あれは生前のヒースクリフを元に作ったプログラムを再現したアバターに過ぎない」
「え?」
「さっきも言ったが、別に気にする必要はないよエドワード君。元々、記憶人格を電脳化させるつもりだったんだ。
 エンブリヲの手を借りたとはいえ、それが可能であったと立証出来たことは非常に「そういう問題じゃねえよ!」

地面に鋼の拳を打ち付け、エドワードは叫ぶ。

「確かに、命はそんなに軽々しく扱うべきものではない。君の言いたいことは正しい」
「はあ? おまえ、このクソゲー作ったの誰だと思ってんだ!!」

足立は頭を抱える。
ヒースクリフと話を聞いていると頭が狂いそうだった。
今になって思えば、卯月も生き延びたいという点は理解できたし、エスデスのS趣味も苛めが楽しいのは分かるし、セリューのように正義と称して暴れるのだって非常に爽快だろう。
後藤のバトルジャンキーぷりも、喧嘩の強いガキ大将が調子に乗っていると思えば可愛いものだ。エンブリヲなど、男なら皆共通する下半身に率直なだけだ。
しかし、ヒースクリフの言い分は理解できない。一切として共感出来る部分がない。

(こいつマジで何言ってんだ……)

「……ヒースクリフさん、でしたよね。俺は貴方の事を良く知らないけど、貴方は一体何がしたいんですか」

「私は――」

ヒースクリフの声が掻き消される。全員がいるゲートの反対側の古代の闘技場あたりからだ。
巨大な真理の扉が現れ、それをこじ開け地響きと共に巨神兵は現れた。

「あいつ、こっちまで来れるようになったのか」

エドワードは驚嘆する。その全長は何メートルだろうか、少なくともこの浮遊島からは下半身は見えない。
とても人間が挑み太刀打ち出来るような相手ではなかった。
これを打ち滅ぼせるとするならば、最早それは人ではなく神といった天上の存在に他ならない。

「フッ」

調律者は天を舞い、華麗に至高の帝具の前へと降り立った。

「この時を待っていたよ。フラスコの中の小人、その不相応な容れ物ごと今すぐ貴様を消し去ってくれる」
「下らん」

女神を模したオブジェが光る。刹那、世界を割く閃光が眩いた。
シコウテイザーの外装へ命中し、その全体が傾きかける。
更に光の粒子が剣を形作り、光明の刃がシコウテイザーを貫いた。
その刃は頭部から股関節までに亀裂を刻み、シコウテイザーはその巨体を揺らし後ずさる。

「おやおや、神とやらの力はその程度なのかい」

銃より発せられる光弾がシコウテイザーを撃ち続ける。



「痒いな」

その漆黒の巨体を引き締め、シコウテイザーもまた光を放つ。ヒステリカは攻撃を中断し瞬時に遥か後方へとジャンプする。
数秒置き、先に響く爆発音と燃え盛り炎上する浮遊島。シコウテイザーはたったの一撃でこの会場の半分を消し炭へと変えたのだ。
ヒステリカの肩からエンブリヲも口笛を吹く。シールドも貼らずに一撃でも貰えば、あそこで煙を上げる残骸の仲間入りだ。

「なるほど、神を自称するだけはある。ならば、私は世界を滅ぼして見せよう」

はるか上空にいるエンブリヲの声をタスクは聞いたわけではなかった。しかし、敵として彼と対峙した経験から次の一手を瞬時に把握する。
エンブリヲはもうこの箱庭に囚われるゲームの駒ではなく、世界を掌握し人々の命を玩具のように弄ぶ調律者に他ならない。
故にあの男はやるだろう。この会場、いやこの世界そのものごと目の前の神の紛い物を葬り去る事ぐらい、ハエを払うような手つきで。

「みんな逃げるんだ! ずっと遠くへ!!」

それが無意味であることはタスクは理解していた。
物理的に逃げられる代物ではない。そんなものであれば、リベルタスなど起きてはいない。




「幾億数多の―――命の炎、滑り落ちては星に―――――――――――」


この空間全てに響き渡る調律者の歌声、その美声に聞き惚れる間もない。
両肩の外装が外れ、衝撃波が集中する。エネルギーが集約した二つの波動は世界を一つ終わらせることなど造作もない。



「強く―――強く―――天の金色と煌く」



風とも雷とも取れない波動はこの世界そのものを穿つ。

さあ、終わりにしよう。ここまでの茶番も神を気取った偽神の盤上も全てに幕を下ろそう。
錬金術師も黒の死神もレベル5もゲームマスターも猿もその他多数も全ては有象無象へと還っていく。
残るはエンブリヲとアンジュ、そして雪乃を始めとした新たな妻たちの理想郷にして新世界である。



「――――永遠を――――語らん―――――」



旧世界は破滅の波動に蹂躙され、破壊の中から新たなる創造が始まる。






「何?」




「どうやら、新世界には貴様は不要らしい。なあ、調律者よ」




しかし、光が明けたその先にシコウテイザーは健在。世界どころか会場一つ消すことすらかなわない。
ヒステリカには世界を終わらせ、新たに作り上げる力が備わっている。忌々しい制限も解かれ、調律者の力は完全に開放された筈だ。
だが、現実は調律者に無常を突きつける。忌々しい、虫けらの生存者達はおろか、目の前の神擬きすら壊す事も叶わない。

「確か……粛清モードだったか」

シコウテイザーの騎士のような装甲は剥がれ落ち、体の各部に眼球を備えた歪な異形が眼前に立ち尽くしていた。

本来ならば、シコウテイザーは皇族の血が必要だ。そうお父様にこれを駆ることは不可能なのだ。
故に調整を施した。その過程で別の世界線のシコウテイザーに搭載されていたこの機能をさらに同じ錬金術を用いて強化したうえでお父様は搭載した。
その威力規模は精々が一国程度滅ぼすしかなかったシコウテイザーが、世界そのものを滅ぼすヒステリカを相手取り、優勢であるほどだ。

「チィッ!!」

エンブリヲから余裕が消えた。
シコウテイザーの巨拳から振るわれたラッシュを捌きながら、ヒステリカは転移し距離を取る。
だがその黒紫のボディに影が纏わりつき、ヒステリカは引きずり降ろされる。
そのまま、身動きの取れないヒステリカにシコウテイザーは拳を殴りつけ、地上に巨大なクレーターを刻み込んだ。

「ぐ、馬鹿な……あり得ん……ヒステリカが、私が……」

遥か上方より頭上に振り下ろされる踵を目にし、痛む肢体を無視しエンブリヲは命からがら転移する。
クレーターはより深く刻まれ、その振動だけで全身を打撲しかねない程の轟音を巻き散らす。
これでは象と蠅の戦いだ。俊敏性だけはヒステリカが勝るが、それ以外の全てはシコウテイザーが上回る。
動きで幾ら翻弄しようともいずれはヒステリカが追い詰められ、エンブリヲごと滅ぼされるだけだ。

「……使わざるを得ないか」

制限が解かれた今、このカードを切ることは非常に気に入らない。それはあの神擬きをこの調律者の敵として、対等に扱うことに他ならないからだ。
だが手段を選んで勝てる敵でもないのも事実。ならば、出し惜しみは終い。

「力を貸してもらうよ。イリヤ」











「勝てる訳ないだろ。あんなの!!」

足立は地上から神々の戦いを見上げ絶望していた。もうペルソナ程度では相手にもならない。
あれと見比べれば、後藤やエスデスなんてまだ戦えるだけマシだったのだと思える。いや、実際のところ万に一つの勝ち目があるだけまだマシだったのだ。

「ふざけんなよ、あのツンツン頭形態のがまだ良かったよ!! あんなの反則だろうがクソが!!」

足立は喚き、走り出す。もうこの場から一刻も早く逃げ出したい。
こんなことなら、捕まってずっと刑務所にいたほうが遥かに安泰で安心で幸せだった。
それもこれも全てあいつが悪い。もう何もかもあのガキ共とここにいるクソガキ共と変態と真っ黒すけが全て悪い。

「やってられるかよォ!! 畜生ォ畜生ォ!!」

「ばっ! 足d―――」

エドワードが目を見開き、手を伸ばそうとするのを黒が襟首を掴み引き戻す。その奇妙な光景に戸惑いながら足立は周囲の景色がやけに遅く流れていることに気付いた。
今走っているのに止まっているかのように緩やかな時間を感じている。そして、異様に眩しい光が足立を覆っていた。

「あっ……」

足立は消し飛んだ。
それは偶然会場に被弾した流れ弾だったが、人一つ分の人体なら容易く無に帰す程の火力を秘めていた。

「無意味に動いたアイツの自業自得だ」
「……また、かよ」

立ち上る黒煙を見つめながらエドワードは無力さに打ち震えた。
足立の気持も今回ばかりはエドワードも理解できた。ここまできて、ようやく光明が見えてまた絶望に突き落とされたのだから。
いくら何でもスケールが違いすぎる。本来の力を取り戻したエンブリヲですら、太刀打ちできない強大な敵にどう戦えばいい。
ここまでの戦いなど遊戯に等しい。この小さな拳で何を掴めるというのだ。

「笑っちゃうわ。本当」

御坂も呆れを通り越して笑いを堪えていた。最初から勝ちの決まったゲームに何を必死こいていたのか思えばアホらしい。
こんなことなら―――

「終わりなのかよ……! せっかく、ここまでやっと……!!」

両手を握りしめタスクが地面に打ち付けた。
多くの犠牲を重ねながら、辿り着いた終点がこんな結末で終わるのだ。納得など出来るはずもない。

「なあ……ちょっと気になることがある」
「なんだよ」
「足立がさっき死ぬ前に言ってたよな。ツンツン頭の時のがマシだったって。
 もしかしてさ、あのロボットって使うと何か凄い反動が来たりとかするんじゃないのか」

反動、それは杏子が咄嗟に思いついた事だが何かしらのデメリットがある可能性はあるかもしれない。

「今まで使わなかったのはデメリットを恐れて、か……」

エドワードの中で何故、お父様は上条の姿になったのか。その解が構築されていく。
右手が本当にバックアップ、あるいは何らかの制御の役割を果たしたうえで、本来は神の力を手にするつもりだったのかもしれない。
あのロボットはそれが失敗した時の予備プラン、いわゆる奥の手であった。
しかし、予備である以上何らかのデメリットを抱え出来れば使いたくはない。

あり得ない話ではないが、それを上回る驚異的な戦力でカバーしているのも事実だ。
はっきり言ってそのデメリットを突こうにも無理やり力押しされる。

「あと素人考えだけど、ああいうバカでかいロボットも結局のところ操縦してる奴を叩くのが一番手っ取り速いだろ」
「それはそうだけど。簡単には……」
「私が何処かに一か所、穴をこじ開ける。エド達は何とかして、そこからロボットに乗り込んでアイツを潰してくれ」

そう言い杏子はインクルシオを握った。
タスクも話を聞き、機体そのものを壊すのではなく何処かに集中して攻撃を入れ、その破損した部位から本体を狙うという案は悪くないと思えた。
あれだけのデカさだ。攻撃を当て続けること自体は実のとこ飛行手段があれば難しくはない。
インクルシオならば火力も申し分ない。



「ただ、エンブリヲが全力を出した一撃をアイツは無力化した。例え一か所だけだとしてもかなり厳しい」
「いやそれ以前の問題だ。杏子、お前本当に死んじまうぞ」
「え?」

タスクは目を丸くし杏子を見つめる。
咄嗟に右腕を隠そうとする杏子を、エドワードは無理やり引き寄せる。
そこには、鱗でおおわれた痛々しい皮膚が広がっていた。

「ドラゴン……?」

タスクが普段見慣れたドラゴンに近いが、杏子はあちらの住人とは無関係の筈だ。

「あの鎧か?」

猫がティバックから顔を出す。
彼は生前のウェイブと最後に出会った時、明らかに戦闘以外でのダメージを負っていることに薄々気づいていたが、あの鎧もドラゴンを模した物だった。
そう考えれば後は合点がいく。

「インクルシオのデメリットだ……。察しが良すぎると思ったんだ。あのロボットにデメリットがあるって考えも、お前がこの鎧に蝕まれてるからこそだろ?」
「これぐらい、どうってことないさ。こう見えてもゾンビみたいな体だからね」
「馬鹿言うな。ウェイブの奴が死んだのも……きっとその鎧の反動もあったはずだ。
 恐らく、力を出せば出すほど反動は増すって具合にな。あの木偶の坊とやり合ったりなんてしたら、ただじゃすまない」

魔法少女が人並外れた肉体なのは分かるが、それを加味しても杏子の体が耐えきれるとは思えない。
ソウルジェムが仮に無事でも、肉体が限界を迎えればその先にあるのは普通の人間と同じ死であるはず。
これ以上、杏子に負担は掛けられない。

「俺がそいつを使う」
「無理だよ。これには相性がある。多分、今残った面子じゃ私以外誰も使えない」
「けど……!」
「私はここから生きて帰るために最善の方法を考えてんだよ。それじゃあ、他に良い方法あるのかよ」
「それは……だからって、お前を死なせに行くわけには―――」

「エドワード」

引き下がらないエドワードの肩に黒が手を置き口を開く。

「こいつは、ここまで誰よりもお前を信じてくれていた。……今度はお前が信じてやる番じゃないのか?」

「…………」

「俺も黒の言うことに賛成だな。
 まあお前の気持も分からなくはないが、考えてみろ。杏子のしぶとさは折り紙付きだ。
 というより、ここにいる全員殺しても死なないような連中ばかりだろ」

「そうだな。何処かの黒ネコも死んだと思えば復活したしな」

「分かったよ」

一人と一匹の話を聞き、エドワードは渋々納得しながら杏子の腕を離した。



「話は聞いてたよな、御坂」

沈黙を貫いていた御坂に杏子は語り掛ける。

「何よ」
「いや、そういやアンタとは決着ついてないなと思ってさ」
「そう……じゃあ後で白黒着けましょうか」

言っていて、御坂は自嘲した。
まるでこの言い方じゃ杏子に生きて帰ってこいと言っているようなものだった。
互いに思う所がない訳じゃないのかもしれない。もしかしたら、違う形で会えば―――

「……そうだ猫」
「なんだ?」
「やるよ」

杏子は思い出したようにティバックからカマクラを取り出した。
新たに登場した新ネコに猫は何を考えてこんなものを支給したのか、主催の勝機を疑い始める。

「その子確か、比企谷君の……カマクラよね」

カマクラはようやく見知った顔に出会えたのか、トテトテと走りながら雪乃へと駆け寄る。
誰一人として知ることもないが、凛の手を離れてからはエルフ耳に所持されたり、穂乃果と卯月たちの険悪なムードに挟まれたりとこのネコも少なくない修羅場を目撃し潜り抜けてきた。
雪乃と再会しその安堵から甘えだしても不思議ではない。

「そうね……貴方も帰してあげないとね」
「ニャー」

雪乃はカマクラを優しく抱き上げてから背中を撫でてやった。
もうその主人の人は亡くなったが、八幡の家族と小町がカマクラの帰りを待っているはずだから。

「カマクラ……雪ノ下……まるで神奈川だな」

黒の呟きは誰にも聞こえなかった。





「ヒースクリフさん」

意を決しタスクはヒースクリフへと詰め寄る。

「俺は一応この殺し合いの優勝者です。願いを叶えてもらう権利は今俺にあって、貴方はそれを叶える立場にあるんじゃありませんか?」
「……確かに私は一応このゲームの製作者だ。もっとも、全ての権限は奪われてしまった“元”だが」
「俺が今一番望むのは力だ。貴方なら俺が望む力を持っている……違いますか」

ヒースクリフは不敵な笑みを見せてから、懐に手を滑らせた。
そこから見えたのは銀の光を放つ指輪だった。
タスクにとってはなじみ深く見覚えのあるものだ。それこそが他でもないラグナメイルを呼び出し操る鍵となる。

「やっぱり……」

タスクはヒースクリフから手渡された指輪を強く握りしめる。

「何時気づいたのかな」
「エンブリヲと裏で組んでいたという話を聞いた時、あいつは必ず貴方を殺すだろうと思ってました。
 それを分からないような人が、こんなゲームを作る筈がない。何か、対抗策を用意しなければおかしいはずだ」
「良く分かっている」
「親の仇ですから」
「……先に言っておこう。ヴィルキスだけは手に入らなかった。恐らく破壊されているのかもしれない」
「そうですか……」

指輪を握りながらタスクは遥か彼方、上空にて行われる戦いを見つめた。
自分のパイロット技術でどこまで通用するか。如何にラグナメイルといえどあの戦いに介入できるか。
不安要素はある。むしろ、それしかないといっていい。だが、杏子にだけ全てを任せるよりはずっとマシだ。

「俺も行くよ杏子。翼は手に入れたし、君の役に立てると思う」

「そっか……じゃあ乗り込むのはエドと黒と御坂……」

「私も行くわ」

雪乃もこの現状では、アヌビス神があれば十分な強さを発揮してくれる。
タスクがシコウテイザーの方に回った以上は妥当だ。

「お前はどうするんだ。ヒースクリフ」

黒はそう言いヒースクリフを睨む。

「私はやめておく。正直、楯も剣もない私は役に立たない。
 唯一の武器も彼に渡してしまった。ここから低見の見物といこう」

「……」

「信用できないかな? だが私は君達に手を出すこともフラスコの中の小人に干渉するつもりもない。
 ただ、このゲームの作り手として全てを見届ける、それだけだ。私はもう脱落者だからね」

「変わったな」

黒はそれだけ言い残し、踵を翻し戦場へと赴く。
その背中を見ながら、ヒースクリフは名残惜しさを感じていた。



本来ならば、フラスコの中の小人が鎮座するあの玉座には自分が君臨するはずだったのだから。












光の濁流が爆ぜては消え、更に閃光が瞬いては潰えゆく。
調律者が駆るヒステリカは迫る光線をシールドで弾き、その翼を広げ上空へと飛翔する。
シコウテイザーの頭上、脳天から光粒子の剣を展開し重力と機体そのものの加速を載せた刃を振り下ろす。

「チッ」

その巨腕をクロスさせ、シコウテイザーは剣を受け止めた。
並みの戦艦、ラグナメイルであれで一瞬で沈める程の武装だが、シコウテイザーからすればかわすまでもない。
両目が光りシコウテイザーが光線を放つ。肉薄したヒステリカに避ける時間はない。
剣を翳し盾代わりに受け流しながら、シールドを広げ機体へのダメージを最小限へと留めていく。

「ぐ、ゥ……おの、れェ……!!」

シールドへ走った亀裂からビームの一部が漏れ、エンブリヲの頬を過ぎり、赤い線を刻み込む。
更に機体にビームが直撃しヒステリカは体制を崩し、浮遊体制を保てず落下していく。

「邪魔だ。消え失せろ、調律者」

足を振り上げ、身動きが取れないヒステリカへと踏み下ろす。
これでようやく一人だ。残るは7人、いやヒースクリフの人影もあったが為に8人か。
しかし、どうでもいいことだ。重要なのは奴の始末、鋼の錬金術師を一刻も早く抹殺し勝利することだ。

そこまで考えた時に、お父様は目的を見失っていることに気付いた。

神となる手段にエドワードがあった筈が、今や奴を始末することが目的になっているではないか。

だが、同時にそれがここまでのお父様を執念という形で支えている。

構わない。神を下す前に奴らが立ちはだかるのなら―――

「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

シコウテイザーのボディに衝撃が走る。僅かなズレにより攻撃はヒステリカを逸れ、エンブリヲの機体をもう一機のラグナメイルが支えて飛行していた。

「き、さまァ……! この、猿がァ!!」

エンブリヲは怒りのままに喚き散らし、その相手を罵倒する。
ラグナメイル、テオドーラを駆るタスク。
宿命の敵でもあり、我妻に破廉恥な真似をした無粋で下賤で下等な猿ごときに一度ならず、二度までも救われるなど調律者としてのプライドが許さない。

「離せ! 私に触れるな!」
「ああ、そうしたいさ。けど、今はアイツを倒すほうが先だろ!!」

テオドーラを振り払いビームライフルを向けタスクを威圧するが、タスクは見向きもせずシコウテイザーへと向かっていく。
今ならばその背を撃つことも出来る。照準を合わせ、トリガーを引く――その寸前でエンブリヲはライフルを下ろした。
調律者としての力を以てしても、それでもホムンクルスが今は上なのだ。



「マジかよ……!」

竜と魔法少女の力を上乗せした鉄拳が炸裂する。優に百は超える連打を叩き込んだ上でシコウテイザーの攻撃を避け、ターンを決めてさらに攻撃を入れる。
見事なまでのヒットアンドウェイを繰り返しながら、杏子には焦りしかなかった。
全ての攻撃が全くと言っていいほど手応えを感じないのだ。確実に拳を入れたという感触はあるが、恐らくダメージはない。

「ちょっと……不味いな」

シコウテイザーのボディを覆う無数の目が杏子を嬲るように視線を送る。
まるで嘲笑っているかのようでもあった。
タスクがテオドーラを駆り、この機体が特化する遠隔射撃能力を最大限フル活用しビームライフルを連射する。
ビームはシコウテイザーへと降り注ぎ、光の渦にシコウテイザーの姿は隠れて見えない。
しかし、タスク本人もこれが聞いているとは微塵も思わない。そもそもかわす必要がないから、避けないだけだ。

その予想通り、シコウテイザーは大地を揺るがしながら歩を進め、手を伸ばす。
後方へ加速しながら、テオドーラは手から逃れ更に射撃を続けていく。

「小賢しい蠅が増えたか」

シコウテイザーは足を軸に上半身を180℃回し光線を放った状態で薙ぎ払う。
二機と一人は回避に専念し、その隙を突きシコウテイザーは一人を捉えた。
シコウテイザーはインクルシオをその手で握りしめ、杏子はその圧力で鎧の下で目を見開き苦痛に喘ぐ。
インクルシオの防御力を以てしても尚、ただの握力でここまで圧倒されるとは。見積もりが甘すぎたと少し前の自分に腹が立つ。

「調子に、のんじゃ……ねェ……!!」


その両腕に張り裂ける程の魔力を回し、鎧に秘められた竜の力を最大限開放する。
シコウテイザーの拳は緩みその中央にあるインクルシオは一気に飛び立ち、シコウテイザーの眼前へと迫った。
両拳に全てを乗せた最大の一撃を込める。
攻撃は当たった。一分の狂いもなく、確実に入った。

「―――!!」

杏子の全身を光が飲み込み、インクルシオの鎧に罅を入れながら凄まじい速度で急降下し撃墜する。
不味いなと杏子は思う。

こんな姿を見たらまたどっかのお人好しが騒いでしまう。


「こっちだ!! フラスコの中の小人!!!」


ビームソードを振り上げ、シコウテイザーへ切りつける。
粒子の刃にノイズが入りシコウテイザーの拳がテオドーラへ直撃した。
分かっていたことだが、この程度の火力ではとてもシコウテイザーに傷一つ付けられない。

機体から通じる衝撃に耐えながら、空中で体制を持ち直しビームライフルを撃ち続ける。
シコウテイザーは構わずビームを受けながら、前進しテオドーラへ肉薄した。



「―――ゴッォ!?」

声にもならない呻き声を上げ、シコウテイザーの裏拳に煽られテオドーラは吹き飛んでいく。
ヒステリカ同様素早さではテオドーラがシコウテイザーを上回っていた。タスクも目では動きを追えていた。
問題はタスクの肉体だった。
ブラッドレイ戦での負傷、足立戦での疲労、あらゆる負担がここにきて膨れ上がり暴発した。

「こんな、時に……!!」

痛みが沸き上がり、血が止まらない。
考えうる限り、最悪のタイミングだ。
まだ何も成せていない。自分がここで朽ちれば、残された仲間はどうなる?

必ず道を繋ぐと約束した。

彼らと生きて帰り、もう一度集まると約束した。

アンジュの騎士としても一人の男としても、俺は……まだ何もしていない。

「きょ、うこ……」

薄れゆく景色をカメラ越しに見つめながら、共に戦っていた仲間を見つめる。
彼女も巨大なクレーターの中心で血に塗れながら、力なく横たわっていた。
助けに行きたい。そうは思っても、動かない。
タスクの意思に反し、肉体は限界を超えそれでも尚動いて、もう残された全てを使い果たしたのだろう。

「あ、ァ……悪い。エド」

横たわる杏子が少しだけ顔を動かし、シコウテイザーに集まる光を見て呟く。

どうやら、少なくとも自分にはハッピーエンドを迎えることは出来そうにない。
またアイツに重荷を背負わせてしまう。





『なんじゃあ、もう諦めるのか?』



とても懐かしい声だ。
というより、つい数時間前まで行動を共にしていた男の声だ。
DIOの戦いで散っていた波紋戦士、ジョセフ・ジョースターのその人の声。
何故、彼の声が聞こえてきたのか不思議だ。彼に対して敬意の念はあるし、彼があって杏子はここまで来れたのも事実だ。
けれども、死ぬ間際に真っ先に思いつくほど親交が深い訳ではないというが、正直なとこだ。

「ごめん、私さ……助けてもらった命……無駄にしそうだわ」

不思議ではあるが、杏子本人はどうでもいいことだった。
ただあるのは申し訳なさと、言いようがない言葉にならない気持ちだけだ。
嫌に世界が静かな気がした。また走馬灯かと思う。何度もこの場で似たようなものを体感してきたからか、ある意味走馬灯のプロフェッショナルみたいになってしまった。





『でもさ、逃げ切ることが出来そうにも無いんだよ……悔しいけどあいつは馬鹿みたいに強い』


『それも知っておる。だからワシが時間を稼ぐ間にお前だけでも逃げろ』


あの激戦が鮮明に浮かぶ。
そうだ。DIOの時の……まだサファイアもいた。
まるでタイムリープしたかのようだ。

考えれば、もっと上手く立ち回れていれば誰も死なずに済んだ。
死ぬ間際に後悔が浮かぶなんて、本当に嫌になってくる。




『またそうやってあたしの周りから人が死んで……あたしだけが生き残る』



ああ、こうやって厄病神気取りをしていたな。



『何も死ぬつもりは無いわい。それに―――』




私ってほんと―――………………あれ?





ポンと頭に優しく大きな手が置かれた気がした。



「ははっ、そっか……」



少し愉快になっていた。

ゆっくりと体を起き上がらせ、目の前にまで迫っていた光線の射程外へと退避する。次の瞬間、時は動きだし光線は地面を抉り、土煙を巻き上げる。

「なるほど、こりゃ似てるわ」

本当の本当に自慢できることでもないが、あんだけ死にかけた自分だからこそほんの些細な違いというのが良く分かる。
いや自分だけでは気づけようがない。

時の止まった世界を他の誰でもない、ジョセフ・ジョースターがDIOの前で暴かなければ止まった時という概念を理解できず、杏子は時の止まった世界に入門することなど出来なかった。
そう、DIOの元であれだけ止まった世界を動き続けたのだ。インクルシオがそれに対し、進化”しないはずがない。


……少し、驚かせてやるか。

「アンタは次に『確実に当てた筈だ』という」

「確実に当てた筈だ―――」

驚きがなくてあまり面白みがない。
まあいい。

「やれるかい、タスク」

ボロボロの機体の中にいるであろう仲間に声を掛ける。
別に聞く必要もなかったし、返答など決まっていたが、それでもあえて彼の口から聞きたかった。



「……当、然―――」

機体の中で激痛に苛まれた体を精神で抑え込み、機器を弄り機体を立て直す。
どんな手品を使ったのか知らないが、杏子はまだ生きて戦おうとしている。そんな横で自分だけ寝ているなんて悪い冗談だ。

「力を貸してくれよヒルダ。これから、あの糞野郎をぶっ飛ばしにいくんだ……。
 だから、俺に力を―――」

機器を殴りつける。
アンジュ式、ヴィルキスの起動法だ。

その次の瞬間、テオドーラの瞳に光が宿り天高く飛翔する。
全身の緑と黒の装飾が塗り替わり、上書きされるように赤のカラーリングへと変更される。

ラグナメイル テオドーラ ミカエル・モード。

ヒルダの想いにより、エンブリヲの支配を退け覚醒したテオドーラの新たな姿。

「死にぞこないめ」

お父様は苛立ちのまま吐き捨てる。
ここまでの戦いに於いて、奴らは何度死んでもおかしくはなかった。むしろ、死ななかったことの方が異常なくらいだ。
尋常ではない幸運と執念で奴らは食らいついてくる。

「邪魔だ」

いくら振り払おうとも、いくら捻り潰そうとも。
幾度となく立ちはだかる。まさしく壁だ。そう、生まれて初めてフラスコの中の小人は人間を敵だと認めた。
故に邪魔だ。
それが虫けらであるなら踏んでしまえばいい。だが、奴らは邪魔なのだ。
故に排除する。故に抹消する。

「消え失せろ!!」

インクルシオが飛び立つ。
時を止め、その間僅か3秒にも満たない短時間で縦横無尽に放たれた光線を全て華麗に避け、シコウテイザーの懐へと迫る。
やることはかわらない。何処か一か所にどでかい穴を開けて、エドワード達に道を作る。



「拳じゃないな。私の性に合わない」

やはり、槍が良い。
それもあんなバカでかいのではなく。もっと使いやすくて、利便性に優れたやつだ。
そう思った時、手には異様に馴染んだ槍の感触があった。魔法で創ったモノではない。インクルシオが作り出した副武装だ。
細長く、杏子が普段から愛用する槍と寸分違わない、それでいて強度は遥かに凌駕する代物。
便利な鎧だ。こちらの注文にちゃんと答えてくれる。

「行くよ、インクルシオォォォォ!!!」

叫ぶ、その魂で以て。
槍から放たれた渾身の突きは空間すら歪むほどの轟音を放ち。シコウテイザーへと直撃する。
しかし、その神体はやはり無傷。舌打ちと共に杏子はいったん距離を取り、更なる助走をつけ追撃。
だが堂々巡りだ。幾ら殴ろうが突こうが、シコウテイザーの体には一切のダメージはない。
そして攻撃を続けるということはインクルシオの性質上、近接戦が主になる。光線が降り注ぎ、杏子は時間を止めながら紙一重でかわし槍を振るい続ける。

「ぐ、ゥ……!!」

ただでさえ、その巨大な体から放たれる攻撃は範囲がデカい。しかもほぼシコウテイザーと密接した状態にある。
幾ら時を止めようが、処理しきれない攻撃が出るのはやむをない。光線が肩を抉り、太腿を掠る。直撃こそ貰わないものの杏子の肉体には死へと近づく、ダメージが蓄積されていく。

「――――――――――――!!!」

赤い影が一筋の線のように割り込み、光線を切り裂く。
テオドーラが庇うようにインクルシオの前に立ち、そのビームソードを携え肉薄する。
これも既に幾度どなく繰り返されてきた光景だ。
無駄な攻撃を重ね、それを叩き落とす。だがいくらシコウテイザーを叩こうが意味はない。
これはお父様を核にした、今だその身に取り込んだ神とやらを燃料にしている。それらの膨大なエネルギーはシコウテイザーのボディーを覆う不可視のシールドとしても働いている。

「何――――」

一撃、タスクが入れた光の剣がほんの僅かだけシコウテイザーの鳩尾に触れ、その表面を削ったのだ。
ダメージというダメージではない。しかし、掠り傷程度だとしても攻撃が通ったという事実。
タスク本人も驚愕していたが、その理由にすぐ当てが付いた。

「フフフ……フハハハハハ……」

テオドーラの後方、黒のラグナメイル ヒステリカを駆るエンブリヲがその右手で見せ付けるかのように突き出したもの。
赤黒くも生々しい掌に収まるほどの肉の塊だった。それは人の体内の中でも重要な部位である心臓。

「貴様……それは……」
「そうさ、イリヤの聖杯(しんぞう)だよ」

杏子はそれを聞き、敗戦してからエンブリヲが一度単独行動していたのを思い出す。
恐らくあのタイミングで回収に向かったのだろう。

「神とやらを制御しきれない貴様は器をその機体に移した。そして、その中で神を抑え込むには我々以外の参加者の魂と貴様が持っていた既存の魂を利用しているはずだ。
 残念だが、これにも似たような機能がある。サーヴァントと呼ばれる神秘の存在を内包し、手にした者のその願いを叶えるというね。同じホムンクルスでも、貴様如きより数段出来がいい。
 見ろ。貴様の手持ちの魂もこちらの方がよほど居心地がいいと見える」

多少の手こそ加えたが、その心臓はまさしく万能の願望機として魂を収集し自らの務めを果たそうとしていた。
彼女らの親が願った普通の女の子として育てよう。そんな想いなどエンブリヲは知る由もなく、また知っていたとしても止めないだろうが。



だが、戦況が好転したわけではない。ようやくダメージが入るようになっただけであり、シコウテイザーの硬さも火力もいまだ健在だ。
お父様もこうなった以上は一切の手を抜かず、全力で来る。

世界が灼熱に包まれる。シコウテイザーの等身ほどの光線が放たれ、爆炎と爆風を巻き上げる。
燃え盛り、天へと上るドーム状のような雲からインクルシオは飛び出し、タスクが刻んだその僅かな亀裂へと槍を向けた。

シコウテイザーの拳がインクルシオを殴りつける。全身が圧迫され、血が噴き出し、体の内容物が飛び出しそうだ。
メキメキと軋む音が鼓膜を刺激し、体が危険信号を幾つも出し杏子の脳に報せてくる。
だが止まらない。もはや、防御に回す力すら惜しい。殴られながらも軌道は変えず、進行先もそのまま杏子は突っ切る。

「ッッ―――」

光線が杏子を包み込み、その身を焦がしインクルシオごと焼き尽くす。
それはもう生物であるのなら、適応など出来ようもない超高温の灼熱の世界と言ってもいい。
まさしく神による最後の審判とやらが本当にあるのなら、こういった最後で世界は包まされるのかもしれない。
だが生憎とインクルシオという生物は何処までも生き汚い、ましてその装着者たる杏子も死ぬ気など毛頭ない。

「借りるよエスデス!! ムカつくけどな!!」

無の灼熱から、大規模な氷が生成されインクルシを包んでいく。
エスデスの帝具、デモンズエキスの力を受けたことでインクルシオが進化し身に着けたのは氷に適合し、その氷を自ら生成する能力だ。
これも遡れば、エスデスがDIOと交戦した際にDIOが知らぬ間に起こったことだろう。

炎を突破し、更なる疾走。加速、加速、加速し続ける。
姿は青く変化し、雷を纏いそれをブーストすることで速度を最大限にまで高めた。
雷鬼纏身インクルシオ アリエル・モード。
ウェイブが進化させたインクルシオの新たな形態だが杏子には知る由もない。しかし、不思議と鎧から語り掛けてくるようだ。

(いいさ、好きにくれてやるよ)

鎧は語り掛けてくる。力を望んだだけやると。だが、見返りがいる。
杏子が払う見返りはただ一つ、その肉体を寄越せ。
この鎧は何処までも生き汚く、杏子の体を食い散らしてでも生きることに固執しているらしい。

「だからさ―――絶対に私達を勝たせろよ!!」

次元を超えた疾走が炸裂する。
雷光が瞬き、インクルシオの力は最大限開放される。
槍を通じ、雷がシコウテイザーを焼きタスクが刻んだ亀裂へと流れ込む。

「もう……一度ォ!!」

時を止め、迫りくる手をかわし更に助走をつけ疾走。
叩きつけた槍に確かな手応えを感じ、杏子はいけると確信した。
壊せる。体はくれれやっただけはある。この鎧、コスパは悪いが爆発力という点ではこれ以上にない性能を秘めているらしい。

「足りねェ……まだ、足りねえ! 気張れ、インクルシオ!!」

叱咤を込めた叫びでインクルシオは変化する。
その黄金の光は雷光すらもあまりの眩さに霞むほどに神々しく、黒く覆われたシコウテイザーと対を成すようだ。
光の中から黄金に包まれたインクルシオは砲弾のように槍を携え、シコウテイザーのボディへと食らいつく。
その衝撃音だけで会場そのものを揺らし、内部のお父様すら顔を歪ませる。



危険だ。

この鎧、予想以上に危険だ。

正史では確かにシコウテイザーはインクルシオに敗北したが、それを加味した強化を施していた。
だというのにこの鎧はこちらの予測すらも遥かに凌駕した進化を果たす。
何の因果だ。まるでシコウテイザーを滅ぼすかのような、この鎧とその適合者がこの場面まで残ってしまったのは。

シコウテイザーは膝を折り曲げ、一気に跳躍した。この巨体で飛翔した際の大地への震動はいかなるものか。
それは空中であっても例外ではなく。震動は空気を伝い杏子の体をも揺らしていた。
その僅かな隙に遥か上空から、シコウテイザーは両手を組みその杏子の脳天へと振り落とす。

「ガッ―――――」


その重量と重力を乗せた一撃はあまりにも重い。
全身の骨が砕け、脳みそは飛び散り、収まっていた目玉も吹き出し。
骨と体液と肉が入り乱れ、インクルシオの中でシェイクされながら人間のミックスジュースを作り出していた。

それでも、まだ脳は生きている。
体がどんなに壊れようともソウルジェムは無事だ。だから、まだ戦える。
壊れた体を魔力で補強し再生し、インクルシオは地面に叩きつけられる前に受け身を取り、大地からバウンドするように飛び立つ。
迎え撃とうとビームを放つシコウテイザーにやはり杏子はかわす素振りはない。
放たれたビームは秒を置かず杏子へと直撃する。

「―――ロッソ・ファンタズマ」

一人では足りなかった。
ここにきてよくよく痛感したことだ。
この場に於いて、タイマンで勝ったことなど一度だってない。
だからこそ数を増やせばいい。本当に簡単で単純な理屈だ。

13人の黄金のインクルシオがビームを跳ね除け、シコウテイザーの亀裂へと辿り着く。
亀裂はより深く、より広く。刻まれ広がり穴をこじ開けられる。




「―――あーくそ……」



鎧が崩れる。
力を使い果たしたという奴だ。多分、ソウルジェムも真っ黒だろう。

あと一歩というところだったのに、本当に惜しかったなぁ。

まあいいか……。

それでも……。

「あとはたのんだ……」

任せられる仲間がいるからきっと無駄にはしないさ。








「うおおおおォオオオ!!!」


崩れる鎧と共に散っていく、杏子と入れ替わるようにテオドーラが突撃する。
全ての意思はテオドーラとその操縦士タスクが受け継ぐ。
ビームソードは亀裂へと打ち立てられ、抉るようにタスクも操縦桿を力の限り捩じ回す。

「ホムンクルスゥゥゥゥ!!!」

自らを叱咤するかのように怨敵の名を叫ぶ。

「貴様に何ができる」

嘲笑うようにお父様は手を翳し、機体が揺れた。

「ああ、その通りだ。だからこそ私がいる。フラスコの中の小人」

ビームを放ったのはエンブリヲが駆るヒステリカだ。
その光景は意外以外に他ならない。あの傲慢が服を着たような男が、タスクを助けただと?
何が起こっている。

「ッ―――」

シコウテイザーの亀裂がより深まる。
溜まらずテオドーラを振り払い、シコウテイザーは後退する。

テオドーラへとビームを放つ。だがヒステリカが割り込みディスコード・フェイザーで相殺する。
光が明けた刹那にテオドーラが加速する、それは人型のものから完全な飛行特化であるフライトモードに変化していた。
速度を増した機体の突撃はシコウテイザーにも響き、その巨体を揺さぶる。
更にフライトモードを解除し零式超硬度斬鱗刀「ラツィーエル」を抜きシコウテイザーへ切りつけた。
斬鱗刀の名の通りドラゴンの鱗を貫く程の切れ味を誇るビームソードだ。
シコウテイザーの鳩尾は更にひび割れ、鳩尾を抑えるように手で覆い、膝を折る。

「何故だ……お前たちは……敵同士では……」

人間の結束が予想しえぬ力を生み出すのは認めよう。それが敗因でもあったのだから。
しかしながら奴らは敵同士、本来殺し合うべくして生まれた宿敵同士である。
なのに何故これほどの力を発揮しコンビ―ネーションまで息を合わせ、こちらを追い詰めてくる?

「決まってるだろ!」

「何?」

「良いか、良く聞け! 俺達は確かに敵同士だ! けど、アンジュが大好きだったんだよ!!」

「貴様に内包されたわが妻の魂、返してもらうぞ!!」

「俺の妻だァ!!」

「貴様ァ!!」

ディスコード・フェイザーが直撃し傷を隠すシコウテイザーの手を跳ね除ける。そこへ更にテオドーラがビームライフルを打ち込む。
機体の損傷が激しくなる。このままでは本当に―――

たった一人の人間によって宿敵同士すら結託する。
タスクもエンブリヲもヒルダ(テオドーラ)もアンジュを愛し続けていた。
だからこそ、目の前の訳の分からない理由で殺し合いに巻き込んだ馬鹿には、制裁を与えなければならない。
その為ならば例え殺したくなるほどいけ好かない奴であっても利用するだけ利用する。

ある種の下半身で繋がった奇妙な絆による愛の力は神さえも凌駕する。



「意味の分からないことを」

「フッ、お前には分からないだろうな!」

「何?」

「俺を包んでくれた、一番深いところの気持よさと暖かい温もり……溶け合いそうな甘い感触。それがどんなに幸せで、俺に力をくれたか……。
 何時まで経ってもカッコつけてスカしてるだけの、女もろくに抱けない変態親父“共”には分からないだろうなァ!!!」

「タスク……貴様……なんという破廉恥な」

「なんだこいつ」

再度、テオドーラが肉薄しビームソードが切りつけられる。
これ以上のダメージは危険だ。距離を開けたうえで遠距離攻撃から、奴らを始末する。

密接するテオドーラを掴み引きはがす。
だがテオドラ―らは力強く動かない。否、光の障壁は手を遮るのだ。
ミカエルモード。その真価は全身を覆う防御障壁だ。もはや、その全身が一つの武器である。

「エンブリヲ……やれェ!!」

タスクの叫びと共にテオドーラは逆に加速しビームソードをより深く突き立てる。

「良いだろう。貴様ごとフラスコの中の小人よ、宇宙の藻屑となれ!
 ―――また生と死の揺りかごで―――柔く泡立つ―――」

テオドーラを後押しするようにディスコード・フェイザーが直撃する。
光の障壁によりディスコード・フェイザーを耐えながら、その勢いに後押しされテオドーラはより力を増す。

「これ、でェ……!!」

機体内部へと突き進むテオドーラを両手で掴み打ち止めるも、勢いは止まるばかりか増していく。
このままでは貫通する。
だが、突如としてテオドーラの光の障壁が止み、一瞬にしてディスコード・フェイザーに飲み込まれていく。

「燃料切れか……肝心なところで……」

ディスコード・フェイザーを受け止めながら、シコウテイザーは光線でヒステリカを貫く。
機体が揺らめくヒステリカに舌打ちし、攻撃を打ち切ってからエンブリヲは瞬間移動で後退する。
爆風に煽られながら、脱出機能を使いタスクは生還していたようだが、ラグナメイル一機の消失は手痛い。
ようやく追い詰めたフラスコの中の小人をここで仕留めそこなうとは。



「残念だったな、調律者よ」

「……いや、構わないさ」

まあ、今回は全て美味しいところはお前たちにくれてやろう。


エンブリヲは笑みと共に背を向ける。
逃げるつもりか。お父様は追い打ちをかけようとしたところで異変に気付く。

それは地獄門の付近にあった。膨大な炎を糧に天高く飛び立ちこちらに向かってくる。
棒状の鉄の塊。人類が神の天上の領域を超え、更なる世界の進出を図った叡知の結晶。



「ロケット―――」



杏子がタスクがエンブリヲが刻んだ唯一の亀裂にロケットは一切の躊躇なく突っ込んだ。



「あとは君たちに任せよう。私の欲したものは手に入った」



大方、あのロケットにエドワード達が乗り込んでいるのだろう。
本体の後始末は彼らにやらせておけばいい。
エンブリヲはその手の心臓を見つめ、恍惚として笑みを見せる。



「アンジュ……君の魂は確かに取り戻した。待っていてくれ……天使の再臨は近い」








ロケットが爆散し、爆風がシコウテイザー内部へと吹き荒れていく。
シコウテイザーとロケットの破片がばら撒かれながら、煙に囲われ視認できないその爆発の中央部へとお父様は意識を向ける。
アレに乗り込んでいるであろう連中はどうなったのか。普通ならば死んでいるだろうが。
刹那、紫電が弾け雷撃の槍が放たれた。更に煙を割くように柱が錬成され、水流が巻き上がりお父様へと叩きつける。

「―――ブラックマリンか」

三者の攻撃よって体を貫かれ、吹き飛ばされるお父様は眼前の敵が如何な方法で爆発から逃れたか気づいた。
恐らくは魏のブラックマリンが誰かが回収しそれを使い、水の膜を全員の周りに貼ることで一種のシールドとして爆発から防いだのだろう。

その証拠に煙の中から見せた一人の人影、黒の指にはブラックマリンの指輪が嵌められていた。
ティバックの中に水を貯めておけば、その真価はいつ如何な場所でも発揮できる。

「立てよ、ド三流」

吹き飛ばされ、地べたに膝を着けるお父様へあの錬金術師が忌々しく見下ろしてくる、
まるであの時の再現ではないか。

御坂美琴、黒、雪ノ下雪乃、そして―――





「俺達とお前との格の違いってやつを見せてやる!!!」





エドワード・エルリック、あの死神がまたしても――――

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最終更新:2017年07月31日 19:46