See visionS / Fragments 10 :『Re;』-Index-Librorum-Prohibitorum-◆ANI3oprwOY







雲が流れ過ぎていく。


空を覆い隠していた灰の壁が取り払われ、陽の光は再び地上に降り注ぐ。
しかしそこにもう、昼の群青は無い。
既に時刻は夕刻に至り、落ちる日の色は穏やかな茜。
四時間ぶりの空は、人の目を奪う夕焼けだった。

茜色が島を照らす。
長く長く降り続いていた雨と同じように。
この世界に存在する全てを、平等に包み込む。

そして、光は、彼らのもとにも。
とある喫茶店。
五人で囲んでいたテーブル、その傍らにある窓から差し込む。

この世界で最後に残った。世界に抗う者達。
穏やかな夕焼けの光は、彼らのもとにも、届いていた。




◆ ◆ ◆










See visionS / Fragments 10 :『Re;』 -Index-Librorum-Prohibitorum-









◆ ◆ ◆



そして、夕暮れ時になった。
窓からは眩いオレンジ色の光が、部屋の中へと流れ込んでくる。
僕達、数人だけで使うには広すぎるように感じる喫茶店内は、それで少しばかり温度が上昇する。




「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「――――」


どこか、気怠い空気が流れていた。
晩餐の終わり。全員が箸を置いて、手を合わせた後、直ぐには誰も口を開こうとしなかった。
僕の理由は、何か言えば『始まってしまいそうだから』といった漠然としたものだったけど。
みんなそれぞれの理由があったはずだ。

全員のポジションは少しずつ変わっていた。
僕は窓際でぼんやりとしていて。
式は違うテーブルで一人、椅子に深く腰を下ろしていて。
インデックスは入り口付近で置物のようになっている。
平沢だけが、率先して後片付けをしたいと言い出したので、一人でキッチンの方にいる。

そして枢木は食事が終わってすぐ、どこかに行ってしまった。

開けられた窓から、陽光と共にひゅうひゅうと風が吹き込んでくる。
そういえば誰がこの窓を開けたのだろうと考えて、それが平沢だったことに気がついた。
食事が終わった後、最初に声を発したのも彼女だった。
『開けますね』、と。
ただそれだけを告げて、窓を開いた後、食器を運んでキッチンに引っ込んでしまって。
その後、彼女はどうしているのだろうか。
数時間前までなら心配になって見に行ってしまっていたところだけど、今は何故だかそうする必要性も感じなくなっていた。

何故だろうか。
彼女から危うさが消えたワケじゃない。
今も、どこか不安定なままで平沢がここに留まっていることは分かってる。
少しのきっかけで彼女がまた崩れてしまうことは僕だけじゃなく、全員が察している筈だけど。
ただ、それを根本的に何とか出来るのは、結局のところ平沢自身しかいないからこそ、誰にも何も出来ないだけで……。

「…………」

立ち上がることにした。
別に何かしようって考えてるんじゃない。
ただ単にキッチンに行って、喉の渇きを誤魔化せるものはないかどうか、探したいだけだ。
他意はない。本当だ。アイツを助けられるのはアイツだけだって、言ったのは僕なんだし。
って、誰に言い訳してるんだか。

さっさと済ませてしまおう。
ついでに関節を伸ばして、軽く体を動かす事もできる。

そうして、ぐっと伸びをして。
歩き出そうとした時だった。

「どこか、行くんですか?」
「……ぁ」

キッチンから、平沢が出てきた。
なんだか出端を挫かれるような形になって、無駄に狼狽しかける。

「い、いや、なんか飲み物は無いかなって」
「麦茶ならまだ、余ってますよ」
「じゃあ、取りに」
「持ってきます。待ってて下さい」
「……はい」

凄まじくキビキビとした動作で、平沢は再びキッチンに引っ込んでしまい。
僕は中腰の姿勢のまま、平沢が帰ってくるまでの間、硬直する事になった。

「はい、麦茶です」
「あ、ありがとう」

茜色差す部屋の中。
空気のように黙する二人と、床に座ってぎこちない会話をする二人がいた。

「……」
「あのー」
「……」

そりゃ当然僕らの事なんだけども。
渡された麦茶に口をつけながら、対面に座る平沢を見る。
平沢は何故か俯いていて、表情は伺えない。なんだろう、機嫌が悪いのか。

「平沢。なんか、怒ってるか?」
「そう、見えるんですか?」

しかし顔を上げた平沢の目は、そう見えなかった。
どちらかと言うと、寂しそうな目をしていた。

「いや、なんだろう、その」
「どこかに……ぃ……そうだっから……」
「なに?」

そこで唐突にブンブンと首を振る平沢の精神構造は、相変わらずよく分からない。
また表情が髪に隠れて、分からなくなってるし。
何を考えているのか伺えない。黙りこくってしまわれては対応に困る。
ホントに、コイツは今まで僕が接してきた女の子たちとは、どうにもタイプが違うなぁ。


「――ごめんなさい」

いや、だからそこで、いきなり頭を下げる理由も、僕には分からないから。

「いやいや、なにがごめ――」
「あのっ、わたしっ!」

だからお茶を濁そうとした僕を、遮るように。
平沢は、あの雨の中の戦い以来になる、大きな声を出した。

「あなたに、謝らなくちゃって……」
「……ぁ」

だけどそれは、考えてもみれば当たり前のような行動でもあって。

「あれからずっと苦しくて、やっぱりなにも分からなくて」
「…………」
「だけど、ひとつだけ、分かったことがあって、ううん、ずっと、わかってたことなんです……」

今の平沢の言葉は、考えてもみれば、とても凡庸なことだった。

「わたし……あなたにたくさん、悪いこと、しました」

一般常識に照らしあわせれば、普通の反応だった。

「たくさん、悪いこと、言いました」
「……」
「だから、ごめんなさい」

そこでようやく、納得した。
今目の前で僕に頭を下げる女の子は。
平沢憂という少女は、なるほど確かに、僕が今まで接してきた女の子とはタイプが違うらしい。
世界観が違うと言っていい。

感じる罪悪感、それに伴う行動。……普通だ。なんとも普通だ。
僕の近くに居た女性たちよりも、ずっと、なんというかこう、常識的なのだ。
思いを取り戻した本当の平沢は、こんなにも、普通の女の子だった。

「……ごめんなさい」

だから僕は、そんな彼女の精一杯の謝罪に対して。
考えなしにはねつけるとか、適当に許すとか。
そんな簡単な解答は出せない。出してはならないと思ったから。

「――あ、ああ」

そこそこの狼狽と、何故か少しだけ安心をして、

「ごめん……なさい……」
「わかったよ」

受け止める事にした。

「ごめんなさい。今は……それだけしか言えなくて……ごめんなさい……」
「わかったって」

そして少しの間。

居心地の悪くない静寂が――

「………」
「………」

いや、撤回。
なかなか気まずい沈黙が流れていた。

「………」
「………」

「………」
「………」

な、何故だ。
二人分の沈黙が、先ほどよりも、どこか重苦しく感じる。

気のせいか、僕を見る式とインデックスの目が少し冷めてる気がする。
インデックスの視線は元々アレだったけど。

黙って僕らのやり取りを聞いている二人が、心なしかキツイを目を僕に向けているような。
どうして二人してそんなふうに見てくるのだろう。
気を使えよ的な、ちゃんとやれよお前的なオーラを微妙に感じる。

なんだよ。僕は何も悪いことしてないのに。
むしろ悪い事をした側から謝られているのに。
平沢に、頭を下げられているだけなのに。

そう、女の子に、ひたすら頭を下げさせている、男子高校生。
それが今の僕だ。
……お、おや、わりと最悪の印象ではないだろうか?

「………」
「………」

改善したいところだけど、しかし平沢は謝る姿勢をやめない。
僕も場を和ませるようなネタなんて、浮かばなかった。
というかここでフザけたりしたら、平沢に悪い気がして容易に出来そうにない。

だけど一度場の冷たさが気になると、もう際限がなくなる。
どうにかして空気を変えたくなる。

「………」

……う、うわぁ。うわー辛くなってきた。
絶妙に、シリアスを崩さないように、場を和ませることはできなだろうか。

そもそもアレだ、おかしい。
僕に長期間ボケさせてくれない辺り、まったくこの空間は芸人殺しだ。
いや違う違う、僕はどちらかと言うとツッコミだ。そもそもボケが居なのが致命的なんだ。

…………あ、不味い。
本当に辛い気がしてきた。
ボケが居ない。いない? 存在しない?
居ないってことは、このまま? ずっと? ツッコミ厳禁? このSERIOUSな空気が最後の最後まで続く……だと?

「平沢、お前ボケれるか?」
「は……い……?」

しまった。
あまりの辛さに、一番振ってはならない奴にネタを振ってしまった。

「ごめん……なさい……」
「すまん。もう謝らないでくれ。いまのは僕が悪かったから」

いっそう冷える空気が辛くなるから。

「ボケます……ごめんなさい……」
「だからボケなくていいって」
「時間をください……三十秒で考えますから……」
「僕が悪かったって言ってるだろッ!!」

外部の視線がキツイ。
キツすぎる。

「でも、阿良々木さんに、ずっと一人でツッコミ続けさせるなんて、そんなの……」
「……な、なんだよ。
 気を使ってくれてるのかよ。本当に、お前にボケがつとまるのか?」

ふむ、僕をツッコミと断定しての発言だな。
平沢憂。こいつ、案外出来る奴かもしれない。
思えば何事もパーフェクトにこなす奴だった。
あるいはコメディも行ける口なのかもしれない。
少しばかり期待が膨らむ。
できれば平沢は(空気的にも相性的にも)避けたかったが、相方が見つかるなら、この気まずさも多少は改善するだろうし……。

「……はい。大丈夫です。私の、ここに至るまでの自虐なら、この数秒で幾つか……」
「やっぱり僕が悪かったッッ!!」

無理やり作った表情が痛々しすぎる。
冗談じゃないぞ!
僕が気を使わせてどうする!
これ以上、気まずくしてどうするんだ!

「おい! ちょっと誰でもいいから空気変えてください!
 インデックス! お前なんか十万三千冊の魔導書の中に持ちネタとかないのか!?」

シカトを決め込みながら視線で僕を攻め続ける奴に助けを求めるも。
堅物どもからは駄洒落の一つも出てきそうに無かった。

「……」
「……」
「……」

インデックスは実に事務的な目線で、『女子高生に謝らせる男子高校生の図』を眺めている。
援護は全くもって期待できない。
だけどそこに見え隠れする『感情のようなもの』は、僕にも分かるようになってきた。

式も意外と態度が露骨なもので。
考えが読めないようで、実際はただ単に天然で自然体な奴なのかも、なんて思えてくる。

今は居ないけど枢木も、居たところで戦力にならなかったろうなぁ。
真面目が服を着て歩いてるような奴だから、ギャグのセンスは見込めない。
だけど、非情で冷徹ってイメージはもう無い。今は感情の動きが見て取れる、隠し事とか出来なさそうな奴に見えていた。

そして平沢も、少しずつ自分の思いと向き合おうとしてる。

結局、ここに集まったのは、わりと自分に正直で、願いに真っ直ぐな奴らばかり、なのかもしれない。
……なんだ、その程度なら分かるくらい、僕はコイツらと関わったのかな。



「ところで式、お前はボケとかでき―――すいませんでした」




凄まじい殺気で黙殺された。













◆ ◆ ◆

その後。
個人差はあれど、僕たちはだいたい十分ほどで倦怠感を振り払い、それぞれ瓦礫の町に散らばっていった。
お互い何も告げず。何の予定も組まず。結局、自由に、好き勝手に動いている。

決戦まで残り2時間くらいしか無いというのに、最後の抵抗勢力は未だまとまりがない。
一丸となって最後の戦いを頑張ろう、なんて誰も言わないし、多分、誰も心から思ってないんだろう。
枢木も、式も、そして僕でさえも。

思えば最初から結託とか連帯感とか、そういうのからは程遠いメンツだった。
笑えるほどのバラバラ感。こんなことで二時間後の戦いに勝てるかどうか。
なんてことすらもしかしたら、もう誰も考えていないのかもしれない。
ただ、それでも戦うとすれば、それぞれに理由があるからってだけで。

自分にはまだ、頑張る理由がある。
そして自分以外にも、頑張る理由を持つ奴がいる。
全員、それだけで良いと思っているのか。
じゃあ僕は、僕はどんな理由で、この長く続いた戦いの最後に、臨むのだろう。


「ひとまず、これが限界……か。やれることは全部やった、よな」


ショッピングセンター跡地。
佇む鋼鉄の巨人を見上げながらの、僕の呟きは実に軽やかに、夕焼けの外気に溶けていった。

ガンダムエピオンの修理。僕はこの期に及んでそれを続けていた。
忍野がどうだとか、そのあたりのフラグを完全に放棄してまで、残り少ない時間を費やしていた。

しかも結果は予想通り芳しくなく。本当に、こんなことをやっていて良かったのかと、未だに疑問が拭い切れない。
枢木に調達してもらったパーツとインデックスの知識を合わせても、やっぱり作業が捗ることはなく。
どれだけ道具が増えた所で、やはり素人では傷ついた装甲の補強までは出来なかった。

出来たことはコンソール関係の修復、
システムのメンテナンス(これはインデックスが宇宙語を喋りながら全部一人でやってくれた)、
そして水道管から引っ張ってきたホースで汚れを落とした、それだけだ。
最後に至っては戦いに使う上では本格的に意味が無い、できることが無くなってしまったからやっただけだ。
見栄えは多少、良くなったかもしれないけども。


「おつかれさん」

残念な思考を断ち切るように振り返れば、そこには夕日に照らされる平沢がいた。
最初に出会った頃と同じ、どこかの制服を着ていた。
後ろでひとまとめにした亜麻色の髪に、オレンジ色の光が降り注いで、少し赤みが掛かったように見える。
結局、彼女もまた、ここに来ていた。その隣には、インデックスが立っていて、虚空を眺めている。

「手伝ってくれて、ありがとな」

ここで彼女らに対する最初の一言は、お礼の言葉と決めていた。
僕の自己満足みたいな行為を、平沢とインデックスは最後まで文句もなく手伝ってくれたのだから。

ガンダムを自分で操縦できるわけでもないのに。
きちんと最後まで責任持って修理できるわけもないのに。
そもそも心を挫かれたグラハムさんに、また戦ってもらおうだなんて、他力本願な前提に成り立った僕の行動。
幾つものイタイ部分に、何一つツッコミを入れること無く、自分の時間を割いてくれた。

「私は全然、力になれませんでしたし」

なのに平沢は今も首を横に振って。

「それに私は、ただ…………」

口ごもるのは何故だろう。
まさか照れている、ワケもなく。

「なんだ?」

意地悪ではなく、僕は再度、問いかけている。
やり直せるように、なんて僕はこんな嫌味な気の、回る奴だったろうか。

「……私が……やりたいから。やったんです」

苦しそうな、しぼりだすような声だった。

「うん」
「だから私が――」
「だからお礼、言ってるんだ」
「…………」

平沢は『私も行きたい』ってちゃんと、自分で決めて、ここに来た。
さっきの事といい、彼女は変わりつつあるのかもしれない。
あるいは、自分を取り戻しつつあるのかも。
まだまだ彼女の心は不安定なまま、なのだろうけど。
少しは良い兆候になるのだろうか。そう願いたい。

「どう……いたしまして……」

だけど少しずつ、安心できるようになっている。
あまりにも時間が足りなすぎるけど。

僕が彼女に言ったことが、絶対に正しいかなんてそりゃ分からない。
人の数ほど真実はあって、だけど少なくとも今の僕は、そう感じていた。

あの雨の戦いから、今も平沢は苦しそうで、見ていられないほど痛そうで、ずっとずっと、辛そうで。
だけどそれでもきっと、思いを手放していたあの楽そうな彼女よりも、ずっとずっと、
僕には、生きているように、思えたから。

「……だいたい、僕の行動が滅茶苦茶だったんだよ」

なんて、そんなことを考えていたから、だろうか。

「こんな無計画で穴だらけなこと考えた奴に、少しくらい怒ってもいいくらいだ」

気恥ずかしさに喋り過ぎた僕は、見事に失言した上に。
不覚にも気づくのが遅れて。

「だから平沢は、堂々とお礼を言われれば良いし、少しくらいなら、怒っても――」
「じゃあ、私も一緒ですね」
「へ?」
「私も、その無計画さんのお手伝いを自分からした、無計画仲間、なんですよね」
「……あー」

そう言われると言葉に詰まる。

「阿良々木さん」
「……ハイ」

久しぶりに、真っ直ぐこっちへ飛んでくる視線にも、気圧されていく。

「あなたは、自分で助かれって、言いましたよね」
「ああ」
「私のこと、助けないって、言いましたよね」
「……ああ」
「自分を助けられるのは、自分だけ」
「……そう言った」
「でも、あなたはぜんぜん、そんなこと、まるで信じてないみたいに、私に手を差し伸べるんですね」

助けないと言いながら、助けたがっている。
救いをチラつかせるようにして、ただ残酷に、彼女が救われようとするのを、待っている。
そんな身勝手を暴く言葉に、なにも言えなくなる。

「ううん、信じてるんですよね。そして受け入れてる。
 あなたは、きっとただ単に、それが本当は嫌なだけ」

何一つ、言えなくなる。
彼女の言葉は事実だから。
僕の勝手は本当だから。

「あなたは私を心配してくれて。
 それでも絶対に私の手を、あなたから掴んではくれない。
 私が、私から掴むのをずっと、ずっと、だた待ってるんですね……」

だから反論なんて出来ない。
それに、今は、

「私がどれだけ苦しんでも、痛んでも、辛がっても。
 絶対に助けない。
 きっと私が、私を救おうとするまで……」


初めて見るものが、そこにはあったから。



「阿良々木さん」
「……ハイ」
「へんなひと」


涙はなく、だけど悲しそうな。
苦しそうで、痛そうで、とてもとても、辛そうな。
それは僕にとって初めて見る、平沢憂の、笑顔だった。


「変な人、なんですね。あなたは……」
「そうかな?」
「そうですよ」

実に、困る。
女の子に泣かれると困るけれど。
そんな顔をされたら、もっと困る。いったいどう反応すればいいのやらだ。

「一旦、帰ろうか。そろそろ枢木も帰ってきてる頃だろ」

だから僕は誤魔化すことにした。
ちょっと早めに歩きながら、平沢とインデックスを通り越して。

「…………ですね。帰りましょう」

元きた道を進んでいく。
すれ違いざまに、誰かの手が、僕の手に触れたのを感じながら。
握る手の暖かさと、後ろからついてくるもう一人の足音に、また少し安心しながら。
僕らは、帰ることにした。

「でも、その前に私にもひとつだけ、やっておきたいことがあるんです。
 だから一緒に、きて、くれますか?」

もうひとつだけ、寄り道をして。

「あれ……聞くつもりか」

こくりと、頷きは一度。

「まだ覚悟なんて、出来てません。
 でも、ここで逃げたらもっと、後悔するかもしれないって、今は思うから」

言葉以上に、手から伝わる震えが、隣を歩く彼女の心を伝えてくる。
僕にその震えを止めることは出来ないし、内面の恐怖を拭うことなんて、到底無理だろう。

僕らはどこまで行っても、どうしようもなく別々で、互いに何かを補い合うことなんて出来ない。
誰も、本当の意味で、誰かを救うことは出来ない。

「いいよ、付き合ってやる。僕の用事だって、手伝ってくれたしな」

出来るのは自分を押し通すことだけだった。
自分勝手な救いを、身勝手な愚かさを、空想上の誰かの救いを。
あくまで自分のために、実行する。
たとえそれが、悲しい結末でも、誰も救われない結果でも。
自分自身を救うために精一杯やることしか、出来ないなら。

せめて違う思いを、同じ重いで、感じられるように。
今は彼女の、傍にいよう。

最後に、一度だけ振り返る。
沈む太陽を背景にして、佇む巨人を。



――誰も、誰かを救えない。

なあ、それでもきっと、救われたいと思うんだ。
悲しいこと、苦しいこと、辛いことがたくさんあって、一番大切な物を失って。
もうハッピーエンドも、グッドエンドも、ベターエンドも、無くて。
既にバッドエンドしか残されいないとしても。

それでも求めてしまう。
僕も、平沢も、その形も分からないままで、まだ求めてる。

だから生きてるんだよ、ここに居る全員。
救われたい、自分を救いたいから、まだ生き続けてるんだよ。

今、僕と、僕のとなりに居る奴はさ。
自分を救いたいって、そう思えたからきっと、今もまだ生きてるんだ。
苦しくても、痛くても、辛くても、それでもそう思えたから、頑張ってるんだ。
だからさ、きっと、まだ生きてるってことはさ。

あなたもそうなんだよな、グラハムさん。










◆ ◆ ◆

「ここで、いいのか?」
「どこで聞いたって、ホントは一緒なんですけどね……」



ゴミの散乱した砂浜。
朽ち果てた海の家。
夕の紅に染まる海面。
黒、青、赤、三色交じる空。

「終わるまで、これ、預っていてください」
「ん、了解した」

海辺。沈み行く太陽の見れる場所。
平沢がようやく足を止めたのは、エリアE-1の西南に位置する海岸だった。
僕達がなし崩し的に拠点にしたアパートからは、それほど離れていないから問題はないけど。
ショッピングセンターからはそこそこ長い距離を歩いていた。
ここに至るまで、最後の踏ん切りがつくまで、やはり平沢には相当の覚悟を要したということか。

「行ってきます」

解かれていく、手。
潮風が、人肌から離れた掌の上のなでていく。
生ぬるい筈の空気がどうしてか酷く冷たく思え、それは平沢も一緒だったろうか。

「大丈夫ですよ」

強がりにしか見えない、あの痛そうな笑顔のままで、平沢は僕から距離をとった。
大丈夫、大丈夫だからと。
繰り返しながら、一歩一歩、後ろ向きに、僕の顔を見ながら、砂浜を歩いていく。

「大丈夫だから、そんな顔、しないでくださいよ」

馬鹿、こっちのセリフだ。
本当に、こっちのセリフだけど、僕にはなにも出来ない。
僕に出来たのは平沢をここまで連れてきたことだけで、最後の一番大事な事は、ぜんぶあいつが一人でやらなきゃいけない。

「早く行け、日が暮れるだろ」

だから僕はその背中を押す。
最後にできたことすら、それだけだ。

「……はい」

ただ、見守っていて欲しいと、彼女は言った。
自分一人で向きあうから、もう一度、誰かの思いと、そして自分の思いと向き合ってみるから。
その時、後ろで見守っているだけでいいと。それだけを平沢は僕に頼んだ。

元より僕にできることはそれだけだろうし。
それを彼女が許してくれるなら、自分からやりたいと言ったかも知れない。
だから今は、ただ見送ることにした。

彼女が何を思おうと。
そして、『奴』が彼女に、何を残そうとも。
僕にはただ、ここから見ていることくらいしか出来ないのだから。


僕と平沢との距離は数メートル。
だけど、今だけは、踏み込めない大きな境界線があるように思えた。
ここからは僕と平沢のやり取りじゃない。
きっと、『奴』と平沢の、最後の対話になるだろう。

不公平な対話だ。
なんとも一方的な、一方に圧倒的に有利なやり取りだ。
何しろむこうは、死人だから。

僕に背中を向け、海を眺めるようにして砂浜に座った彼女は、ディパックを膝の上に置いて、そっと開いていった。
そこに何があるか、彼女が何を手に取ろうとしているのか、僕は知っている。

枢木スザクが平沢に手渡した、黒い、何の変哲もない、ただラベルに『to Ui』と記されたカセットテープ。
そしてそれを再生できるようにと渡したのだろう、これも変わったところのないラジカセ。
平沢はラジカセから元々入っていたテープを取り出し、枢木から渡されていたものを入れた。

そこに、込められたモノは言葉。
もう居ない、失われた誰かの、残したモノ。
『奴が』、ルルーシュ・ランペルージが平沢憂に残した。
残された、思い。

それはきっと、重い。
ただでさえ自分自身の重圧で押しつぶされそうな彼女にとって、耐え切れない負担になるはずだ。
もう自分の声は届かない、喪失の証である小さなテープと向きあうためだけに。
彼女は今、どれだけの無理をしているのか。

「……聞きますよ……ル…………っ!」

吐き気を堪えるような、くぐもった声が潮風にのって伝わってきた。
手で胸元を抑える平沢の表情は見えないけれど、震えてまるめられる背中は、背後からもハッキリと見えていた。
思わず駆け寄りたくなる衝動を、全力で、止める。

今を逃したら、機会はないかもしれない。
もうじき、決戦のときは訪れるのだから。
邪魔をすることは出来ない。だけど。

「は……ぁ……っ……っ……」

荒い息、苦しそうな声が聞こえてくる。
なんだよ平沢、お前、準備なんて、全然出来てないじゃないか。

「やめて……」

ぜんぜん大丈夫なんかじゃ、ないじゃないか。
見守るだけって、無理だろそんなの。
今のお前見てたら……でも……。

「……助けないで、ください」

お前がそう言うなら。
ああ、僕はいつまでも、納得出来ない僕自身を、納得させることしか出来ない。
僕にはやっぱり、お前を救えないってさ。

「…………」

沈み行く夕日だけが、彼女を正面から捉えている。
ぎゅっと。
胸元を押さえる力が強まるのは、分かった。

そして、僅かに、動く、平沢の指先と。
回り出す。テープの音。
紡がれ始める。誰かの言葉。


『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』




長い、長い、沈黙の先に。










『――平沢憂』




久しぶりに聞く。
いけ好かないアイツの声が、もう一度だけ、彼女の名前を呼んでいた。





『お前がこれを聞いているということは、俺の目的は、概ね達成されたということだろう』










◆ ◆ ◆

――そうだな、まずは労いの言葉を贈ろうか。


よくやった、平沢憂。
お前は、実に役立つ駒だったよ。


本当に、お前はどこまでも、俺にとって都合のいい存在だった。
その凡庸な姿は交渉する保守派を欺く、良い装飾になった。
その非凡な才能は襲い来る外敵に対向する、良い戦力になった。
そして、その他者に依存し信頼する愚かさは、俺の見ていて飽きない、良い玩具になってくれた。


初めてお前を見た時、使いにくい駒を手に入れたと思ったよ。
誰のために行動したのかすら定まらない、自分が何を選んだのかにさえ気付けない、不安定な奴だとな。
だがギアスを掛けてみれば、優秀な道具に化けてくれたものだ。

……ああ、ギアスについて、説明したことは無かったか。
俺は目を見た相手に、暗示をかけることが出来る。
それは絶対に遵守される制約となって、対象を縛る。
憶えていないだろうが、初めてあった時、俺はお前に、こう言ったんだ。

『俺を裏切るな』、と。

覚えがあるだろう。不可解なことにこれで説明がつく筈だ。
現に、お前はその言葉通り、俺を裏切れずに、使い潰されることになっただろう。
最後まで俺の掌の上で無様に踊らされて、限界まで酷使されて、何一つ報われることはなく、捨てられただろう。
つまりは、そういうことだ。

ああ、そういえば俺はお前を助けると言ったな。お前に何か優しい言葉をかけた気がするな。
アレは嘘だ。そうさ、お前の言うとおり、俺は嘘つきだとも。
俺は最初から最後まで、お前を救う気などなかった。
『お前の為に』などと思ったことは一度もない、俺は俺のためだけに戦っていたさ。

冷酷か? 非情か? そうだな。
だが俺は何一つ、その事を悔いることはない、お前を道具として扱って、何も思わなかった。
俺はな、そういう人間なんだよ。

ここまで仕えた褒美だ、教えてやろう。

我が名はルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
神聖ブリタニア帝国第99代唯一皇帝。
何千万もの民衆を殺戮した、悪逆皇帝と呼ばれる者だ。
今更、お前一人傷つけた所で、何も感じない。

俺の理想の世界を創るために、身勝手な理由の為に、数えきれないほど人を殺してきた。
数えきれないほど、人を傷つけ、裏切ってきた。
憂、所詮お前もただの、その数えきれないうちの、一人に過ぎないんだよ。

俺はお前に、侘びなど言わない。
こうなって、俺には何一つ、悔いなどない。
最後の最後まで、お前を裏切り続ける、だから――





――だから憂、お前は俺を憎め。



お前の恨み憎しみ、憎悪を、全部俺にぶつければいい。
この身はもとより、世界中の憎悪を集めたもの。
お前ごときの感情など、今更俺にとっては取るに足らない、瑣末なものだ。


さあ、最後の命令だ、平沢憂。


好きなだけ憎むがいい。
俺を憎み、俺を恨み、憎悪しながら。



そして、最後まで――――












◆ ◆ ◆






『最後まで――』。
その先を告げぬまま、テープの声は聞こえなくなった。
カチリと音を立ててラジカセは止まり、メッセージの終わりが、僕の耳にまで届く。

「…………」

以上が、ルルーシュ・ランペルージ、いやルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが残した言葉だった。

「…………」

平沢だけじゃなく、僕も暫くの間、声を発することが出来なかった。
テープに関する感想じゃなくて、平沢になんと声をかけて良いか分からなかった。

「…………」

最低だった。
そして最悪だった。
率直に、マジで最低最悪なメッセージだった。
思い返せばそれだけで胸糞悪くなる。
とりあえず僕に浮かんだ感想は、そんなものだった。

「…………」

平沢の顔は、見えない。
どんな表情で、彼女はこれを最後まで聞いていたのだろう。
背中はもう震えていないけれど、胸元の手はそのままだ。
駄目だ、情報が少なすぎる。
ショックだったのか? 心の負担は? 傷ついてる? 悲しんでいる? あるいは怒ってる?
何一つ、見えてこない。さっきまでわかり易かった平沢の感情が、まったく伝わらない。

かと言って、気の利いたセリフもなく。
声をかけられないなら、踏み込んで、行動で何かできないだろうかと。
一歩、僕が踏み込んだ時だった。
やっと、平沢が一言だけ告げたのは。

「…………き」
「え?」

反射的に声を上げてしまった僕に、応えるように。
だけど実際は、もう僕なんかまったく見ていない彼女は――





「……うそつき」



もう居ない『彼』にむかって、そう言った。


「やっぱり、ルルーシュさんは、うそつきだ」

後ろからは見えない表情。

「そうですね。
 私、怒りますよ。
 怒らないわけ、ないじゃないですか」

海面か、空か、どこかを見つめる瞳に、きっと彼を映しながら。

「勝手なことばっかり言って」

痛そうな、声。

「人をさんざん利用しておいて」

苦しそうに、体を震わせ。

「自分だけ、私を残して死んじゃって」

辛そうに、幾つもの雫を、砂浜に落としながら。


「なのに最後まで……生きろ、なんて、そんな残酷なこと言うなんて……っ」


僕には聞こえなかった。きっとルルーシュも言わなかった。
最後の言葉を、それでも彼女は正しく受け止めながら。
自分を騙し続けた男の言葉に、遂に怒った彼女は、


「好き勝手なことばっかり、本当に、頭にくる。だから――」


平沢憂は、最後の最後で。


「だからもう、騙されてなんて、あげない」


ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを、裏切った。


「私はあなたを、恨んでなんかあげない……。
 絶対に、憎んでなんかあげないッ!!」


そして平沢憂は、最後の最後まで――



「たとえ世界中の誰もがあなたに騙されて、憎悪していても、私だけはもう、二度と騙されないからッ!
 絶対に、嫌いになんか、なってあげないから……っ!」



ルルーシュ・ランペルージを、裏切らなかった。



「誰よりも、あなたは私を、助けてくれたんだって。
 救ってくれたんだって、言ってみせるから。
 どれだけ否定されたって、私は胸を張って、言い切ってみせるから……っ!」





――絶対に、最後まで、あなたの思いを、裏切ってなんかあげない。





そう言って、平沢憂はその胸に、ラジカセを抱きしめながら。
もう一度だけ、嗚咽した。






◆ ◆ ◆

そこからはひたすら大泣きだった。


海辺に響き渡る。一人の少女の、全力の嗚咽、全開の泣き声。
胸の奥に溜まった全ての感情を吐き出すような。
そんな平沢を、結局のところ、僕は後ろから見ていることしか出来ない。

ラジカセを抱きしめ、大切だった人の名前を呼びながら泣く平沢のむこう。
真っ赤に染まった海の、その更にむこうで、日が沈んでいく。

平沢はこれで乗り越えたのか、そんなわけがない。
きっと彼女はまだ、何も成せておらず、むしろ背負うものが増えただけだ。
やっと問題が見えてきたってだけで、大変なのはこれからだし、彼女にはまだまだもっと大きな問題が待っている。
状況は進展どころか後退してるような気さえする。

これでよかったのだろうか。
長い時間をかけて、別に問題を解決できたってこともない、状況は大して変わってない。
平沢のことだけじゃない。
ここまで進めた僕の行動の全てが実は無意味なんじゃないかって、思わなくもない。

残り時間は極僅か。
第七回定時放送は目前に迫っている。
それが終われば、文字通り終わりの始まり。
今までのことが全て、無意味になる。
だというのに、こんなことをしていて良かったのかな。

「良かったんだよ」

自分自身の感情を軽く一蹴する。
これで、よかったんだよ。悪い気分はしてないから。
僕の相変わらずの、空回りする行動にも、価値の無い優しさにも、後悔なんてないのだから。
今も、僕はこうするんだよって、もう居ない誰かに胸をはれるから。


「……って、なんだ、これ?」


唐突に僕の思考を打ち切ったのは、ズボンのポケットから聞こえた小さな電子音だった。
僕の私物に鳴り物は無かったはず。ではなんぞや、と。
ズボンから引っ張り出すと、それはまだ見慣れていない機材だった。

「……ぁ」

それと平沢とを、交互に見る。
ポケットから出てきたそれは、小さなイヤホン型の通信機だった。
平沢から、ルルーシュのメッセージを聞き終わるまで持っていてくれと渡されたものだった。
それがいま、小さな電子音で着信を伝えてくる。

既にルルーシュからのメッセージも終わったことだし、彼女に知らせようか僅かに迷ったけれど。
今の平沢に無粋な声をかけるのはどうにも憚られれた。
暫くそっとしておいてやりたい。
だけど、この通信が気がかりなのも確かだ。
応答できるのは相手が掛けてきてくれてる間だけ、なんだろうし。

なにより、このタイミングで平沢にかけて来る相手は限られてる。
それは大きな意味を持つような気もするし。
さて、どうしようかと、少し迷ったあと、僕は――




「――もしもし」

平沢に気づかれないように、少し距離を取りながら通話ボタンを押していた。


『…………誰だ?』

予期せぬ相手に応答されて、おそらく戸惑ったろう電話の相手は、とても澄んだ女性の声をしていて。
そして僕は、唐突に直感する。
これはもしかしたら、運命かもしれない、と。
馬鹿みたいな感想を抱いていた。

阿良々木暦だ。平沢の代理で出てる」

この時、このタイミングで、この人物からコンタクトがあって、応えたのが僕だったという、事実。
いくつかの偶然と、いくつかの必然で整った、状況に。

『……そうか』

相手はこれまで一度も会ったことのない人物で、だけど特定は容易だった。
いま生き残っている人物の中では、もう僕の会ったことのある人より、会ったことのない人物の方が少ないぐらいだし。
ここで平沢に連絡を取ろうとしていた人物なんて、一人しかいないだろう。

幾度か聞かされた、又聞きの人物評価で、僕と同じくらいの気苦労っぷりに、実は少しばかり共感を憶えていた人物。
生き残っている僕の知り合いのほぼ全てと面識がありながら、何故だか僕とだけはこれまで一度も会うことのなかった人物。
限られ過ぎていて。


「平沢に代わるか? 少し時間はかかるけど」
『いや、だったらいいよ。……これも、運命かもしれないな』


そして何よりも、先ほどの直感が、告げている。
多分むこうも、同じくらいの確度で、感じているんだろう。


『私は、秋山澪だ』


彼女がそう名乗るってこと、そして、もう一つ。
奇妙なくらい会うことのなかった気の合いそうな奴と、ここにきて繋がった、その理由。

『そして』

ずっと見えなかった僕の役。
最後の戦いにおいて、僕が担うことになる役割が、見えた気がした。
ああ、確信する。きっと、彼女は――



『私は、あなた達の敵だ』



彼女こそが、この世界における、阿良々木暦にとっての、最後の敵になるのだと。



























【 Fragments 10 :『Re;』 -End- 】





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324:See visionS / Fragments 8 :『あめあがり』 -Index-Librorum-Prohibitorum-  阿良々木暦 :See visionS / Fragments 12 :『黄昏』-Index-Librorum-Prohibitorum-
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最終更新:2014年09月01日 01:15