See visionS / Fragments 12 :『黄昏』-Index-Librorum-Prohibitorum- ◆ANI3oprwOY





壊れた町。
瓦礫の山に埋もれるように、男は壁に寄りかかり、座り込んだままでいた。
何もかも放り投げ、何もかも欠けたまま、グラハム・エーカーは、それでも確かに生きていた。

近づいてくる足音がある。
だが、グラハムの興味も危機感も働くことはない。
自分を覆うように影が伸び、そこで初めて目を動かす。
まるで視線に質量があるかのように、ゆっくりと顔を上げる。
視界に捉えたのは、見慣れない服に身を包んだ、見知った顔だった。


「―――――スザク、か。君が来るとは、思っていなかった」



影の主を確かめて、グラハムは声を出す。
その声に熱はない。
来訪者を歓迎するでもするでもなく、予想外だったという事実だけを告げる。


「………そうですね。僕も、そう思います」


グラハムに対し、枢木スザクもまた、事実だけを告げる。
スザクは自分に、目の前の男を立ち上がらせる力があるなどとは思っていない。
そもそも、説得する気も、励ます気も、慰めるつもりもない。
グラハムが戦闘に参加するに越したことはないが、それも絶対に必要なことではない。
グラハムが動くかどうかに関係なく、スザクは既に己の為すべきことを定めている。
考えれば考えるほど、スザクにはここに来なければならない理由が、何もない。


「……君も、続けるのか?」


グラハムが問う。


「はい」


スザクは答える。


「何故だ? 我々はとうに負けたというのに」


その声に、戦いに敗れた者の自嘲はなく。


「僕は、ここでは終われないから」


その声に、戦いに赴く者の覇気はない。

互いに、ただ事実を述べているだけのやり取り。
だが、二人が選ぼうとしている道は、決定的に違っていた。

グラハムの視線がゆっくりと落ちていく。
スザクに向けて上げられた時と同じように重さを持って、今度は地面へと引かれてゆく。


「……わかっているのだよ、私にも」


漏れた呟きは、誰に向けたものでもない。


「いつまでもこんな所で座り込んでいても仕方がない。
 立ち上がり、年長者である私が皆をまとめ、戦いに備え準備を進めるべきだということくらいは、わかっている。
 だが、動けんのだ。
 こんな自分を、私は知らない。
 情けなくみっともない……いっそ殺してしまいたいが、それもできん」

グラハムの独白。
風が吹けば飛ばされてしまいそうなほどに、弱く、軽い言葉が紡がれてゆくのを
スザクはただ、黙って見ていた。


「天江衣が言っていた。自分を殺すことはできないのだと」


その一言に、スザクが息を飲み、表情を変えたことをグラハムは気づかない。


「どんなに自分を殺そうとも、それが自分の意志である以上、自分を殺した後には、自分を殺した自分が残る。
 たしかにそのとおりなのだろう。だが―――」

「それは、ただの言い訳だ」


グラハムの言葉を、スザクが遮る。
積み重ねられた戯言を、容赦なく切り捨てる。


「……言い訳、か」

「違いますか?」

「どうだろうな。私には、もはやそれさえわからない」

「なら、僕が断言します。貴方の言っていることはただの言い訳だ」

「厳しいな。何故そこまで言い切れる?」

「本当に殺したいなら、心だけでなく身体ごと殺してしまえばいい。僕と違って貴方ならできるはずだ。
 それに僕には、今の貴方が『グラハム・エーカーを殺した後に残ったグラハム・エーカー』には見えない」


その言葉にグラハムが返したのは、消え入りそうなほどに小さな、乾いた嗤い。
それから


「弱いな、私は。――いや、君達が強いのか」


口先だけの、卑下と称賛。
そこに自身を省みる気持ちは微塵もなく、他者を慮る想いは欠片もない。
ただ己を蔑み憐れむだけの言葉。淡い羨望すらない、独り言にしかならない弱音。


「僕らは、強くなんてない」


それをスザクは否定する。
声に、怒りを滲ませて。
瞳に、悲しみを滲ませて。


「貴方が言ったとおりです。僕らはとうに負けている。
 何も手に入れることなく、ただ、失い続けた。
 大切なものを守りたいなら勝たなければならなかったのに、僕は勝てなかった」


グラハムは、何も言わない。


「負けたという意味においては、僕も貴方も変わらない。
 一方通行やサーシェス、秋山澪も含め、この殺し合いの参加者の生き残りは皆等しく敗者だ。
 強者なんて、もうどこにもいない。ここにいる人間、全てが弱者だ」


グラハムの視線は、動かない。
スザクを見ない。


「私はその敗北を、失ったかけがえのない物を、君たちのようには背負えない」


ただ諦めの言葉だけを口にして


「背負っていないのなら立てるでしょう。何も、重くはないのだから」


それさえも、許されず。

グラハムは俯いたまま黙り込む。
スザクも何も言わない。
会話が途切れれば、そこにはもう、時間の流れを麻痺させるような静寂しか残らない。

数秒か、数十秒か、数分か。
静寂を終わらせたのは、スザクだった。
デイパックの中を漁る音。

「これを」

たった三文字の声を最後に、再び静寂が訪れる。
影の動きで自分に何かを差し出しているのだと気づいたグラハムは、目だけを僅かに上げる。
スザクの顔まで視線を上げることなく、それが何かは確認できた。
一着のパイロットスーツ。


「………私には、不要な物だ」

「そうですか」


言うなり、スザクは、あっさりとパイロットスーツから手を放す。
落ちるそれを、グラハムは意味もなく目で追った。
それだけだった。
パイロットスーツは湿ったアスファルトに落ち、グラハム・エーカーは立ち上がらない。

スザクは、ゆっくりと目を閉じ、そして、告げる。


「―――――天江衣は生きている」


唐突に為された宣言に、グラハムは思わず顔を上げた。
ゆっくりと目を開いたスザクと、視線がぶつかる。


「……そう言えば、貴方は立ち上がれますか?」


グラハムは自分の中でもう一度、スザクの言葉を反芻する。

天江衣は生きている。

冗談にしては笑えない。
だが、スザクがそんな冗談を言う人間でないことをグラハムは知っている。
グラハムが視線で続きを促せば、スザクはグラハムの求めに応じ言葉を連ねた。


「ルルーシュのメッセージが残されていました。
 誰にも言っていませんが、彼の推測によれば、僕と彼さえも同じ世界の人間ではない。平行世界の住人であろうと。
 そして、もしその推測が正しいのであれば、僕らの世界にだけ平行世界があるとは考えにくい。
 おそらく、無限に存在するのであろう世界の中には、天江衣が生きている世界も存在していると思います」


その言葉にグラハムが浮かべた表情は、失望、だった。


「そんなものに、意味はない」


掠れた声で


「仮にルルーシュの推測と君の考えが正しくとも、どこかの世界で生きている天江衣が存在するのだとしても」


俯き


「それは、私が一心同体であると誓った天江衣とは、別の誰かだ」


拒絶する。

それ以上は話さず、ただ赤いカチューシャを握る手に込められた力だけで訴える。
そんなものはいらないのだと。
そんなものには、何の価値も無いのだと。

『もう一人』に既に逢っているか否かという決定的な違いはあれど、
スザクの心を揺らした『もう一人の存在』を、グラハムは何の迷いもなく放棄した。
それは違うのだと、手放した。

グラハムを見つめるスザクの瞳に浮かぶ想いは、短くはない沈黙の後、瞳の奥へと隠される。


「……天江さんと、一心同体なんですか?」

「ああ。たとえ異なる世界にいようとも、我らは共にあるのだと。そう言った」

「なら、彼女は今、貴方と共に、立ち上がれずにいるんですか?」


スザクの、素朴な疑問を口にしただけといった調子の一言に、
カチューシャを握るグラハムの手が震える。


「天江さんとはろくに言葉を交わしたこともありませんでしたが、
 それでも彼女が何のために戦っていたのかは知っているつもりです。
 僕にでもわかるのだから、貴方にわからないわけがない」


天江衣の最期を、グラハムは見ていた。
彼女の最期の戦いも、最期の笑顔も、グラハムは見ていた。


「最後まで戦い抜いた彼女が、こんな所で座り込んでいるんですか?」


スザクの問いに、グラハムは答えず。
スザクもまた、グラハムに答えを求めることはしなかった。


「……それ、美味しかったですよ」


グラハムの傍らに置かれたタッパーを指差してそれだけ言うと、
スザクは踵を返し、振り返ることなくその場を後にする。


壊れた町、いずれ己の至る末路と同じ背景に、グラハムだけが取り残された。
最後まで立てなかった男。
生きる理由を見失った者。
それでも、捨てられない何かを抱えて生きている人。
泥に沈んでいた碧の瞳は、残された物だけを見下ろしていた。





◆ ◆ ◆










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◆ ◆ ◆






夕刻。

街を燃えるような姿に染めていた空は、段々とその色を濃くしていった。
日落ちは早くに訪れて夜の到来を如実に知らせている。
黄金、山吹、赤、茜、深紅、
白紙の画用紙の上で、ひたすら絵の具を重ね塗りたくっていくように景色は移ろう。


やがて日の光も完全に失われるだろう。
夜の帳は下り、舞台は闇の中に呑み込まれ始める。
滅茶苦茶にされた街の中で、ギリギリその機能を保っていた電柱にライトの光が灯る。
外灯の数は微小で道を照らすには頼りなく、虫食い穴だらけの路面が映し出される。

変化する景色。
進んでいく時間。
それが示すのは即ち、刻限。
六時間毎に繰り返されてきた定時放送、その七回目。

しかし、此度の放送は今までとは質の異なるものだと誰もが知っている。
始まるのはただの通達ではなく、開戦の号砲。
ルールの変更。ゲームの第二段階。
殺し合いの裁定者、この世界における神が現れる。

放たれた弓の如く、駆け抜ける速さで過ごした一時。
同時に、果てしなく続いてきたようにも思えた地獄の宴。
その道程にも、ついに終着点が見えてきていた。

裁きと称された掃討。
一方的な殲滅に抵抗を試みる参加者。
もうすぐ全ては始まり、そして決する。
未来は予測できなくとも、起きる現実はひとつだけ。
次が最終戦(ラストバトル)となり、後に物語のピリオドは打たれる。

生きている誰もがそれを知り、各々に時を迎える為の準備をしていたこれまでの期間。
抗う者、殺す者、仕掛ける者、暗躍する者、
各々の役割、目的のため準備を進めている中。
そのどれにも属さず、ただ廻る時計を観るのみだった端末装置は未だ己の役目に準じたままでいた。


雨が降って埃が晴れた地面の中で、修道服の少女が立つただ一点だけ、白が浮きぼりとなっていた。
塗り忘れた絵画の空白、欠けたパズルの一ピース。
人型の教会は外界からの異物を拒絶する。故にソレは、世界にとっての異物となって表れている。

「…………………」

特別注視する動きをしているわけではない。祈りを込める事もなく、ただその場に立ち尽くすだけ。
そこに意思はなく、感情は薄れ、意味はとうに消失している筈の用済みの端末――インデックスは。
帰る者を迎えるように、身動ぎひとつせずその場に立ち尽くしていた。





◆ ◆ ◆




「――よお」

己に向けた、他愛のない呼び声がした。
存在は知覚していても、今まで認識しないでいた背後からの言葉に反応して、インデックスは振り返る。

目前に立つ少年と少女。
生存の意志を捨てず、神である主催者に反抗する集団。その最後の参加者のうち二人。
数時間ほど前と同じ場所、似たようなシチュエーションでの再会。
阿良々木暦はどこにでもいる平凡な人間のように振る舞い。
平沢憂は沈痛な表情のまま一歩引いた位置で、ラジカセを抱きしめながら立っている。

「準備は済みましたか」

スピーカーじみた、感情の抜けた文字の羅列。
殺し合いが始まる時から変わらない、機械的な応答で戦意を確認する。

「ああ、もう出来たよ。僕の方はな。
 ……何の意味もない事だったかもしれないけど、やれる事は全部やった。後悔はしてないさ」

阿良々木暦にとって、今のこの少女はどう見えているのか。
用済みの道具、使い捨てられ程なく来る崩壊を待ちながら価値のないルーチンを続ける哀れな人形か。
それはない。人物評、過去の行動パターン、あくまで収集した情報の統合結果としてインデックスは結論する。
過去の大小様々な蟠りを捨て、阿良々木暦はインデックスに人として接している。

その姿勢からは、戦いに勝つという強い決意は感じられない。貪欲に願いを求める熱意も持ち合わせていない。
変わりない、お人好しの少年のまま。
誰かの言葉を借りるなら「胸がむかつくほど優しくていい人」のまま。

「……あ、そうだ。ひとつだけ頼み、というか質問みたいなのがあるんだけど。
 この辺に遠い場所に一気にいけるようなやつってないか? ワープとかそういうの、お前らなら用意してるんだろ?」

ない、という答えはない。主催者側の立場であれば、ある程度の転移は自由に行える。
実際に阿良々木もこの場で幾度かその様子を見ている上、彼自身にも転移の経験はある。
だからこそ言葉に確信を込めて質してくる。
インデックスの答えは素早く、そしておそらく阿良々木の望むものだった。

「【F-2】地点の施設・遺跡において、任意の座標へ移動が可能な転移装置を起動できるサービスが施行されています。
 料金は一人一度につき三千万ペリカです」

「遺跡か。近いけど海を渡るのか……一人で泳ぐのは、キツイな」

「象の像から、遺跡内部と直通の隠し通路があります」

都合のいい補足に目を見張る阿良々木へと、インデックスは単純な答えを述べた。

「発見したのは両儀式です。隠匿の必要性はないものと判断しました」

「そう、か。…………まあ、今回は聞いてない僕が悪いしな」

「また情報の蒐集中に判明しましたが、休止していた電車の運休が再開されたようです。
 およそ前回の放送から作業が行われ、先ほど修復を終えました」

会場中に走っている電車の復旧。これもまた移動手段を求める阿良々木には嬉しい事実だった。
しかもこれなら阿良々木だけでなく、他の人も移動が楽になる。

「好きに使えってことか。準備いいなあ。
 けど根本的に気の遣い方を間違ってるよなコレ」

少年は頭をかきながらはあと小さく溜息をつく。


「で、お前はどうすんだよ、これから?」

「私、ですか?」

疑問を以てインデックスは阿良々木を見た。

「ああ、お前だよ。やりたいことがあるから、ここにいるんだろ?」
「それはあり得ません」

何かを探るような阿良々木の指摘に、否定を返す。

「このインデックスはこのゲームで課せられた全項目を終了しました。
 私の機能は既に完結し、結論は満たされています。
 また私が次に再利用される機会も存在しません。よって私にはもう、なにひとつ行動の、存在の理由がありません」

だがそれは阿良々木への問いの答えにはなっていなかった。
今言った前提に沿えば、現在のインデックスがこうして生きている事実と噛み合わない。
自己否定の発言は、生きているという隠しようのない実証を前に霧散してしまう。
機械的に自己基準を判断できるのなら、それこそあり得ない。

つまり、インデックスがここにいるのは。
道具としての利用価値がないと理解し、その上で存在することを続けているのは、合理にそぐわない。

だが理にかなうにせよ、かなわぬにせよ、阿良々木にインデックスを救う手立てはない。
そしてインデックスにはその意思がない。

人の手に持てる量には限りがあるし、何よりそうした形での救いを彼自身が望まないだろう。
そして彼女は、手を伸ばされても取ろうとはせず、後ろから押されても歩こうとはしない。



「何もないんだったら、何をしても自由ってことだろ」

だからだろうか、代わりに送られたのは小さな肯定だった。

「意味とか価値とかなくったって、それしか考えつかないんだったら仕方ないよ。
 役割がないならそれこそ好都合じゃないか。やりたいことだけやってればいい。
 誰も指図しないのならなおさらさ」
その言葉が、紛れもなく自身に向けられた言葉だと認識して。
カメラのレンズのように、インデックスの瞳が微かに揺れ動く。
動いてそのまま、視線を眼の前の少年から逸らした。

「……あなたは、どうなのですか」

学生服に着替えた少女を両眼に捉え、同じ問いをする。
少女は己の足のみで立ち、ここまで歩いて来た。単なる視覚上での違いだ。
例え精神面に変化がもたらされていても、それで戦力が増加する事なぞありえない。
平沢憂は相変わらずの弱小の位置。戦力に加えるには余りに微小で、そもそも数に加わるかすらも曖昧でいる。

「私は……まだ、大事なことが分からない。何も決められていない。
 今でも、そう思います」

案の定、ここで出るのは白紙の内容。
まだ終わってはいないと。決戦が間近に迫っている中で、未だ選択をしていない。
内に抱える問題の解決に至っていない。
だが、彼女は答えた。声に窮するだけだった今までとは違う、自分の言葉で語ってみせた。

「だけどここに、失くしたくないものが、まだあったから……」

……予測とは僅かに異なった結果に、対応にラグが生じる。

「まだ時間が残されているのなら。
 それまでは答えを、探し続けたいって、思います」

阿良々木暦もまた驚きを含んだ表情をしている。
遅延の原因は測定外の答えにエラーが生じたのか。
それとも破損した代償に取り戻した感情――驚き、あるいは喜び――が揺れ動いたのか。

「そうですか」

真実の在り処を脇に置いて、ただ答えについて了承のみする。
その間に阿良々木は、再びインデックスの方を向いた。


「枢木と式は、もう来てるのか?」
「いえ。この場に姿を表したのはあなた達が最初です」
「そっか……。じゃあもう少し待ってるかな」

そう言って、かつては一軒家が建てられていた瓦礫の山へと腰掛けた。
その位置から空に目を向ければ、遮る障害物が吹き飛んで空にはっきりと太陽の姿が見えている。
憂もまた何も言うことなく座り込んで、何をすることもな夕日を眺めている。
間に立つインデックスは不動のままで、二人を観察する。

「放送前に、四人でこの座標に集合すると約束していたのですか」
「え? ……ああ、いや別に? そういえばしてないな、そんなの」
「では、何故」
「なぜって……なあ……」

気がつけば、何一つとして問う必要のない質問をしていた。
情報の収集はもう十分であるのに。それどころかその行為すら意味のないものだというのに。
弁えた上で、一切の益をもたらさない会話を始めていた。
阿良々木の方も意外だったのか、やや間の抜けた受け答えをする。

「言葉による対話をするまでもなく、彼らとは既に分かり合えているのですか?」

感情を復元しつつあるとはいえ、端末の枠を超えられていないインデックスは気付かない。
無意味な意見の交換、利得の生まれない会話を続ける理由に思い至らない。

「そんなんじゃないよ。ここに来たのは一度集まったことがあるってだけだし。
 まあ……他に行くところもなかったけど、他の奴らだって多分そうだよ。
 だからここで待ってれば皆揃うかなんて漠然に考えてた。その程度でしかないものなんだ。
 何にしたって、帰る場所があるってのはいいもんだしな」

生まれるのは些細な疑問の解消。
その程度の価値でしかない交流だった。





◆ ◆ ◆




やがて短い会話も打ち切られ、辺りは静寂に包まれる。
次の行動を見いだせず、インデックスは阿良々木に倣って同じ方向を眺める。
風は嵐を前に一時静かに、それ以外の音は無く、秒針だけが進んでいく。

「夕日見るの、好きなのか?」

不意に、阿良々木から疑問が投げかけられる。
問われたのはインデックスではなく、瓦礫の椅子の上に体育座りをしている平沢憂にだった。
少女はじっと沈み行く半球を見つめていた。

「ん……そうですね。考えたことはないですけど、多分好きなんだと思います。
 今まで何度も何度も見てきてるものだけど、見飽きたことはありません。
 だってあれは、新しい一日が来る合図だったから」

いきなり話題を振られたことに戸惑いつつも、彼女は答えを返す。
煌めく斜陽は、一層輝きを強くして地平線を越えていく。

「今は沈んでも、次の日にはまた元気に昇る。
 そんな当たり前を知っていたから、私も当たり前に明日が楽しみでした。
 だから不安なんて何もなくて、何の疑問もなく――なんでもない次の朝を楽しみにして眠れました。
 意識したことはなかったけど、そうだったんだって、今は思います」

主催の城塞の隠れ蓑だった日輪は、燃え尽きていく流星のように輝きを増していく。
崩れた街の中で落ちていくそれは、現実を夢に変える幻想的な光を放っていた。
殺し合いの為だけの会場。全てが仮初、作り物の世界。
だが美しいものを美しいと感じる心に真偽はない。
あの光に、少女はかつての記憶、ありふれたいつも通りの日常を想起しているのだろうか。

「けど、今はすごく恐いです。胸の奥が、とても冷たくて。
 あれが最後に見る夕日かもしれないって。もう二度と次の朝は来ないかもしれないって、思ってしまった、から。
 だから、目に焼き付けておきたいのかも……しれません」

万物を暖かく包んでくれる陽光を浴びていても、心の震えは止まらない。
遠い彼方に浮かぶ、燦然とした輝きを放つ太陽。
人の手では届かない、近づくことすら許されない、見るだけでも禁忌の理想の箱。
それは少女にとっては、日常でありながら万金の価値であった、一生の幸福の象徴なのかもしれない。
希望が消えていく様を、自分ではどうしようもないと分かっているから、見届ける気でいるのか。
取り戻すことも叶わないのなら、せめて、真新しい記憶にその残像を留めておきたいと。

「……ごめんなさい、おかしなこと言って。今から皆が戦おうっていってる時に、迷惑ですよね」

今この地で生きている人間で、何も失わなかったものなど恐らくひとりとしていない。
そしてその中で最も傷と根が深いのが平沢憂であった。
他と比べて一際凄惨というわけではなく、彼女にだけ耐性が無かった。

本来であればこの場面まで残れはしない者。
いかに稀なる才があっても、それだけで安寧を過ごせるほどこの場所は甘くない。
彼女は寿命を伸ばす度に精神を軋ませ、結果として心が砕けていった。
大切だった人たちを亡くす度に、少しずつ感情が悲鳴を上げ。
だからこそ、気持ちの重さを神に預けさえして。ならば重さを取り戻した今の彼女は――

「いや、そんなことはないよ。
 まだ次の日を見たいって思ってるんだろ? それが悪いなんてことはないさ」

戦う覚悟とするには余りに微力な感想。
だがその言葉に阿良々木はひとり納得したように、今一度消えていく太陽を見つめ直していた。

「……」

もう二度と立てない筈の彼女は、しかし、生きる事を選び、今も阿良々木の隣にいる。
叶わない願いだとしてもまだ何かを望んでいる。
生きた人の思いが、死した人の願いが彼女を離さない。

「阿良々木さん。私、少しだけ、分かったかもしれません」
「なにが?」
「あの人が、ルルーシュさんが、いつか言ってたこと」

少女もまた、太陽を見つめながら、何かを口にしようとした時だった。


「人の接近を感知」


遮るように発せられたのは、兆候をいち早く察知したインデックスの声だった。
それは阿良々木達の前に姿を現す参加者の到着であり、
緩やかに続いてきた、温かな暇の時の終わりを意味していた。


「枢木スザクの帰還を確認しました」



◆ ◆ ◆


己の意志という刀を研ぎ澄ませて、頑なに正面を貫く姿。
数時間前の雨の中で見たときとはまた違う、覚悟ある騎士の顔だった。
殺し合いの始まり、あるいはそれ以前からスザクの意思は強く固まっていた。

「先に来ていたか」
「ああ。……そっちは準備できたのか?」

話題を切り出した阿良々木に対して、スザクは律儀に受け答えた。

「動力は確保出来てる。とりあえずの戦闘には支障はないだろう。
 これから最後の確認のために、ランスロットのある場所に向かうつもりだ」
 ならばそれを後回しにしてまでここに来たのは、それが枢木スザクの選択であるからに他ならない。
 ろくな関係も結べていない、仲間ですらない赤の他人にも等しい誰かを優先していた。

インデックスは観察を続ける。
目の前の男は今までの枢木スザクと変わりない。
だが、むしろこれこそが本当の枢木スザクなのだと思える何かを見た気がした。

「それよりも自分の方を見ていたらどうだ。
 ……他人に気が回るぐらいの余裕はあるのなら、聞くまでもないことだろうけど」

スザクの声は呆れているのではない。
阿良々木の前を素通りし、その後ろに控えていた憂へと近づいていく。

自分に向かってくるスザクを目にして、憂の顔が強張る。
またしても、数時間前と似たようなシチュエーション。
平沢憂は今度こそ視線を下げず、自分の前に立った男と初めて目線を重ね合わせた。




「あなたは……」

一度として話しかけることのなかった相手。
一方的に要件を言われるしかなかった相手。
そして平沢憂が殺した、ルルーシュ・ランペルージの友。

「どうして私を責めないんですか……?」


恨んでいないのか。憎んでいないのか。殺したいと思わないのか。
少女はどれも聞くことが出来ないでいた。話すことも出来ずにいた。
それは罪と喪失の証。
生きたまま強くここに立つ彼がずっと怖くて、向かい合うことが出来なかった。

そんなスザクに、平沢憂は初めて向き合った。
結果、内容に関わらず、彼とは話をしなければならない。


「どうしてあなたは、そんなに傷だらけになっても、強くいられるんですか……?」


スザクもまた、憂からの初めての言葉に耳を向けている。
言葉にならない感情を受け止め。
そうして、彼もまた自分の思いを打ち明けた。


「僕には僕の約束がある。叶えたい願いがある。どれだけ僕が傷つこうと関係ない」

「わたしは、あなたの……!」

「ルルーシュは君を残した」




その言葉は、少女に二の句を継げさせない。




「それが彼の選択だった。……僕は、そう思ってるよ」






◆ ◆ ◆




「あとは式か。こっちに来てくれるかな……」

決まった約束もしてない以上、ここに全員が集まってくる保証はない。
群がるのを好まないと一目でわかるほど人間嫌いの式が果たして来るかどうかは不鮮明であり。
阿良々木の口調は不安気だった。

「オレがどうしたって?」
「ぅおわっ!?」

背後からの声に、阿良々木は咄嗟に振り返る。
その先には紐で結わえた刀を肩に背負って、両儀式が立っていた。
いつの間にここまで近づいていたのか。気配もしなかったというのに。
スザクも憂も驚いていない様子からすると、単に阿良々木だけが気づかなかったようだ。

しゃんとした背筋で立つ自然体の姿は優美。
佇まいは凛として、恐れや不安どころか感情すら感じられないように見える。
だがそれは己の内を他人に開かまいと蓋を閉じているだけだ。阿良々木には少なくともそう見える。
見えない場所できっと、式も何かを感じ、誰かを思っている。その終わりに彼女は答えを得ていると。

「人の顔を見て驚いたり笑ったりして忙しいやつだな。人間観察が趣味か?」

「……む。そんな顔してたのか僕」

「ああ。ちょっと刺してやろうかって一瞬思うぐらいには」

「待て待てどんだけひどい目で見ていたんだ僕は?」

ぶっきらぼうな口調は変わらずだが、式は嫌悪感というものは表してはいない。
殺意は放送の頃からずっと萎えたままで、持て余すまでもなかった。
時間の隙に清算しておくべき事柄も、心中はともかくとして行動に移したものは何もない。

ある意味で平沢憂以上に消極的ともいえた姿勢だったが、それは元から式の中に不純物が少なかった事も起因していた。
死生観に諦観を持ち、無駄な交流は削ぎ落とし、生活に必須な要素以外は廃してきた。
他人の世界に無関心だからこそ負った傷も少なく済んだ。
大きな疵となったのは、両儀式の世界のみ。比べればひっかき痕のようなものだ。
……その痕が消えずに残り、気を留めて仕方がないのも事実であるのだが。




「これで、全員揃った…………な」


再び集結をした者達。
理不尽にして不条理な神の気まぐれで選び抜かれた、殺し合いの参加者。
ルールへの反抗を志した集団、その最後の生き残り。
六十四名の中から今立っているのは、たったの四人。
敵対する者や、いまだに再起の成っていない者を含めれば八人が、主催の言う第二フェイズの参加者だった。

阿良々木の口調には翳りがある。その影響で僅かに語尾が口淀む。
最後の一人、グラハム・エーカーはいまだ膝を折ったままで立つ事が出来ていない。
誰も彼の再起を掴ませる切欠にならないまま時は来てしまった。
いない者を数に含めるわけにはいかず、戦う覚悟を持った人のみを数えるならば、ここに全員が揃ったといえる。

最終地点にまで歩を進めたプレイヤー。
始まりの鐘を待つ今、その響きには強い重みが込められている。
背負う背負わないに関わらず、この地の全ての死者の屍の上に生者は成り立っている。
その事実を忘れ去るほど、ここに残った者達は死に軽薄ではない。
感じ方の違いはあれど、それぞれが強く生を想うからこそ今の彼らがある。


「……」
「……」
「……」
「……」


立ち会う四人は何も言わない。
誰も、主張があってこの場に戻ってきたわけではないのだから。

頑張ろう、という団結の意思はない。

一緒に力を合わせよう、と協力を呼びかけようともしない。

誰もがはじめから、そんな言葉は期待していない。
本来ならここに向かう理由は無かったのに何故か、最後の時間に皆で一緒にいる事を誰もが選んでいた。

「もうすぐ、放送か」

いつまでも押し黙ったままで、いたたまれなかったのか。
口火を切ったのは阿良々木暦だった。

「これで最後……なんだよな」

意味のある対話をしようと考えたわけではなく、彼はただ最後に話がしたかっただけかもしれない。
家族に友人や恋人と比べるべくもない僅かな時間だったが、それでもこの出会いは彼にとって得難いものだった。
平沢憂と、枢木スザクと、両儀式と、グラハム・エーカーと、天江衣と、インデックスと。
多くの人と知り合えた事。それだけが殺し合いという環境下で、唯一肯定できる事だった、と。
故に、何かを残したいのだと、そう思って―――


「ああ。覚悟のあるなしに関わらず、次の戦いですべてが決まる。
 誰が勝ち、誰が生きる結末になろうとも――この戦いがここでの僕らにとって、最後の殺し合いになる」

何の益もないただの自己満足。
慣れ合いでしかない言葉に、もうひとりの男の声が続いた。

「そうだな」

そのある種容赦の無い声を聞いているうちに、焦りが消えたのか。
阿良々木の表情はどこかサッパリしたものになっていた。
別れの言葉なんてものに悩む必要はなく。
難しく考えたところで詭弁、偽善の類しか出てこないだろう。

言うべきは、自然に浮き上がってきた何気ない声であればいい。
そして何より、別れる前に、彼らにはやるべきことがある。


「式。首輪を外してくれないか」

爆弾入りの首輪。この殺し合いを強制的にでも滞りなく運営させる抑止力。
その戒めは実質既に消失していた。

両儀式の魔眼。ルールブレイカー。そしてインデックスによる助けによって解除の手段は明白となっている。
つまりいつでも、この首輪は解除する事が出来る。
殺し合いを進めるうえの第一定義は揺らぐどころか完全に崩壊している。
こうして主催者が自ら出張って来ているのも、そうした事実があってのものだ。

「別にいいけど。何も言わないからずっとつけてたいのかと思ったぞ」
「……悪い、気にする余裕がなかったんだよ」

そういう背景を知っておきながら誰もが解除を先送りにしていたのには、特に理由があるものではなく。
強いて言えば外すだけの暇が無かったからだろう。
疲弊しきった体を休めるばかりに気をやり、その後の方針もバラバラで、そこについて触れる機会が掴めなかった。
好きな時に外せるということは全員に知れ渡っていて、なおかつ主催が脅しに利用出来ないと判断したのもあって後回しにしていた。
ようは、タイミングが合わなかった。ひたすらに間が悪かったということだ。

「あとまあ、これは僕の場合だけど、まだ気持ちがしっかりしてなかったからさ。
 これを外すってことがどんなに意味が重いか分かってなかったんだ」

首輪の解除。その行為の意味するところは、殺し合いへの明確な否定。
これ以上誰も殺しはしない。上の思惑には乗らずに生きるという意志。
死の恐怖から逃れるというだけではない、遥かに大きな意味がそこには込められてる。
天を睨みつけ唾を吐く強固な信念が、まだ彼らの間で確かになっていなかった。

「だけど、もう大丈夫だ。今ならはっきり生きたいって言えるし、やれることも分かってる。
 もう首輪は要らない――僕らはもう殺したりなんかせずにここを抜けて生きる。
 コイツを外すのはそれを証明するためにもなるだろうから」

恐れや不安はなくならない。勝機なんて全く見えない。
けれど希望はあった。
たとえどんなに遠くても足を止めたくない自分に気づくことができた。
生きる意志の証明をここに。この遊戯の象徴ともいえる円環を破壊する。

式は僅かに目を細めて何かに思いを馳せるような表情をして獲物を抜いた。
指を入れたデイバッグから引きぬいたのは、およそ戦闘に耐えられるものではない、歪な形状の刀身をした短剣。
名を破戒すべき全ての符。
魔力に紡がれたあらゆる関係を初期化する裏切りと否定の対魔術宝具。

「……」

彼女は、手に握った短刀を翻す。

「頼む。みんなも、それでいいよな?」

間を置かず、全員が頷いていた。





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最終更新:2014年09月08日 20:58