疾走スル狂喜 【肆】 ◆hqt46RawAo
■ 『第四の戦局:ブラック・アウト』 ■
瞬間、戦場に漆黒が落ちてきた。
デパートの屋上全てを覆い尽くす程の、絶大なる瘴気の塊。
その冗談のような攻撃範囲に加え、密度はこれまで
福路美穂子が左腕に宿していた瘴気とほぼ同等。
晒された身にしてみれば正に悪夢、逃れられない死の具現。
決着を迎える二人の女性、屋上に居た士郎、そのいっさいを頓着せず。
放たれた瘴気の巨壁が戦場に襲い来る。
デパート一棟を丸々焼き尽くして余りある漆黒とその中心に滲む赤。
士郎はその光景に原初の過去、今の自分を構成した記憶を思い浮かべ。
同時に死の運命を悟る。
上空から迫り来る絶対的な圧力を前に、まともに立つ事すらままならない。
思わず片膝を付き、両腕で体を庇うが、そんな事をした所で無駄だと分りきっている。
直後、彼の視界は漆黒に覆われた。
空を上昇していた
ライダーにとって、それは最低最悪の不運だった。
福路美穂子との交差を終え、ペガサスを反転させて今度こそ美穂子を屠ろうとした寸前である。
ライダーの視線の先、夜空が見えるはずの上空に突如現れた極大なる瘴気の壁。
腕一本大の死線を抜けた先に広がっていたのは世界を覆い尽くすような、あまりに規格外な死の権化だった。
気づいた時にはなにもかも遅すぎる。
かわす方向も、隙間も、暇も、皆無。
故に後の展開は必定であり。
「――――――――!!」
声無き断末の叫びが、夜にこだまする。
死の概念に向かって、自ら突っ込んでしまったライダーは魔王の瘴気に全身を焼かれて。
焼却されていく、ライダーの全てが、骨の髄まで燃やし尽くされて、
「――――ぐッ―――あぁぁぁッ――!」
それでも意地で、天馬の推進力をもって瘴気の壁を突き破り。
視界に、もう一度、夜空を収めた。
原型を留めないほどに破壊された天馬と、全身に甚大な火傷を負ったライダーが空中で、しばし制止する。
「―――ぁ……」
そして数瞬の後にゆっくりと、直下の夜景へと落下を開始した。
消滅する天馬、力を失ったライダーの掌から零れ落ちるカリバーン。
彼女の瞳は呆然と星空を映したまま。
夜空の中心で重力に引かれて、ライダーは戦場から墜落した。
■ 『第四の戦局:怒りの日』 ■
訪れるはずの破滅が一向に訪れないことに疑問を抱き、
衛宮士郎はゆっくりとその目蓋を開く。
「これ……は……?」
落下してくる瘴気の壁、死の濁流は彼の頭上で止まっていた。
否、押し留められいる。
士郎の前方に立つ、一人の少女の左腕によって。
少女――福路美穂子は拮抗させていた。
頭上から降りてくる巨大な瘴気の壁を、左腕一本で受け止めている。
そう、これは彼女にしか成せない所業だ。
全てを焼き尽くす瘴気の渦を、全てを消滅させる瘴気の左腕でもってして打開する。
「……あッ……!」
規模が違いすぎた。
魔王が放った瘴気に比べれば美穂子の左腕の漆黒など矮小すぎる。
徐々に押しきられ始める状況を前にして、左腕の壊滅がピークを迎える。
だが、それは美穂子も承知の上だ。むしろそれを待っていた。
絶壊を承知で、それどころか早めるために、左腕に瘴気を送り込み続ける。
「う……ぐッ……ぁぁぁぁぁぁあああああああッ!!!!!」
限界を超えて、超えきって、遂に漆黒の左腕が終わりを迎えた。
流し込まれた膨大な瘴気によって、左腕が水風船のように膨れ上がり破裂する。
少女の咆哮と共に、左腕が起爆する。粉々に、砕け散る。
悪魔が死ぬ。
それだけの代償を支払うことによって、瘴気の壁を撃破した。
左腕一本と、魔王の初撃が相殺される。
士郎はその光景をただ呆然と見続けていた。
ビル街に堕ちていくライダーの姿。
霧散した瘴気の壁。
その向こうに再び現れた満天の星空の下、左腕を失った少女が地に崩れ落ちる。
左肩口の断面から迸る汚泥が、屋上の床に撒き散らされていく。
そんな、凄惨なる光景すら及びつかない程の、強大な気配が頭上に在った。
「ほう、耐え切りおったか。
フハハッ……よいぞ、ならば剣を振るうに値すると認めてやろう」
上空から響く声に、士郎はもう一度上を見上げる。
デパートに隣接する高層ビルの屋上、まるで彼我の実力差を示すかの如く、遥かな高みにその男は立っていた。
――漆黒の武人。
闇夜を背にしつつもなお、深い深淵を思わせる黒の鎧。
風にはためくマントもまた漆黒。
左手に握った大型なチェーンソーが凶暴性を際立たせ。
たった今男が右手で掴み取ったカリバーンだけが、ただ一つアンバランスに黄金の光を放っている。
どこを見ても、どれを見ても。一目で、理解できた。
この敵には絶対に勝てない。
挑む事こそがそもそもの間違い、自殺に等しいと。
存在としての格が違いすぎる、この敵はどう倒すかを考えるのではなく、どうやって避けるかを考えねばならなかった。
まず根本からして勝負に成らないと理性でなく、人の本能に対して一瞬で思い知らされたのだ。
漆黒の男が跳ぶ。
摩天楼からデパートの屋上へと落下してくる。
それだけで士郎は、瘴気の壁が降りてきたときの十倍以上の圧力に襲われていた。
魔力は一切感じられないが、男は確実に人間ではない。
当たり前だ、あれほどの高度を身一つで飛び降りて無事な人間などいるものか。
だがそんな単純な理屈とは別に、近づけば近づくほどにその強大さが伝わって来る。
決闘は終わり、新たな戦端が幕を開けた。
最後の戦国武将、魔王――
織田信長が戦場に介入する。
地鳴りと共に、信長はデパート屋上の床を踏みしめて。
しばし、士郎と美穂子を値踏みするかのように眺めていた。
先程、まずは小手調べにと放った瘴気の奔流。
極大な瘴気を備え怪我の全てを回復させた信長による、自身の力試しの意味も篭った挨拶代わりだ。
これを耐えしのぐことが出来ないようなら、剣を合わせる価値もない戦場だと考えただけの事。
まずはその点、美穂子と士郎は認められたことになる。
だが信長は暫しの間、士郎を眺めた後、すぐに興味を失ったように視線を逸らす。
もう興味はない、お前は後回しだと言う様に。
そして、眼が留まったのは福路美穂子の姿。
瘴気を操る少女。
信長と似た在り方をしている存在だ。
「面白い体質をしておるな小娘。先の一撃、防いだのは貴様か?」
美穂子は蹲ったまま、答えない。
ただ泥をこぼし続ける左肩を庇いながら荒い息を吐き続け。
それでも、気合だけでゆっくりと立ち上がりながら。
信長を睨みつけていた。
「負け……ない、今度こそ。わたしは……もう二度と負けたりしない。ぜったい……に」
その瞳に光る感情も、発せられる言葉も、間違いなく福路美穂子本人のもの。
断じてこれは悪魔の意志でも、アンリマユによって捻じ曲げられた意志でもない。
これは彼女の真に純粋な心だった。
既に体は限界を迎えているにも関わらず、意志の力だけで魔王に挑もうとしている。
肩の断面を泥で覆って止血を施してはいるが、体力と魔力が枯渇している現状に変わりはない。
もう立っているだけでやっとの筈、それでも少女は立ち向かう。
なぜなら、彼女は漸く前に進む事が出来たのだから。
彼女は大切な人達との辛い離別の死にもう一度だけ向き合って、新たな決意を胸にした。
敵にも、そして自分自身にも打ち勝って、己だけの揺ぎ無い勝利を手にするのだ、と。
それだけが、今の自分のやるべきことであると。
これまで失ってきた全ての人達の死を無駄にしないために。
支えてくれた人達の死に報いるために。
ただ己が正しいと信じたことを為しとげるのだと誓う。
心を硬化させていた悪魔はもう死んだ。
少女は一点の曇りなき心で、己の中の聖杯の泥すら捻じ伏せて君臨していた。
勝てないと分っていても、一歩も退かずに魔王の前に対峙する。
「貴方はここで、私が止める」
ただ一人、死ぬなといってくれた少年を背に言い切った。
例え己がここで倒れようとも、ここで少年を生かす事が出来れば、それが次に繋がる勝利だと。
自分が背負った全ても、何も無駄にはならないと考えていた。
最早指一本動かせないほど疲労を溜め込んだ体でハッタリをかます。
「私が勝つ!」
美穂子は待つ。信長がこちらに向かって仕掛けてくるのただ待っていた。
己は確実に切り殺されるだろうが、抵抗ぐらいはしてやるつもりだ。
信長が自分の体を切り裂いた瞬間に、体内の全魔力を暴発させて道ずれにしようと。
その結果確実に己は死ぬが、背後の少年を生かし、最後にちっぽけな勝利を手にする事が出来るのならそれで構わない。
永らえた自分の命をそうやって使えたのなら、死んでいったみんなに胸をはれる。だから本望だと。
数秒の時は稼げた。
相対する信長は既に白けきっており。
少女の浅慮など、とうに見越している。
「……もうよい。くだらん、やはり茶番だったか……」
信長が動く。
神速の踏み込みをもってして、
両腕に握られた二つの断頭台と共に美穂子に迫り来る。
美穂子は最後に少年を振り返り、ただ一言なにかを告げようとして。
その顔が、驚愕に包まれた。
少年の行動に、少年――士郎を知るものにしてみれば当然の行動に彼女の計算は狂わされる。
「やらせない――!」
その言葉が美穂子の耳元を掠めて、士郎が美穂子の正面へ、信長の目前へと飛び出した。
彼もまた両手に刀を握って。
振り下ろされる信長の腕。
士郎の刀がチェーンソーとカリバーンを受け止める。
「小僧風情が我が道を阻むか、面白い。貴様の力を示してみよ」
振り回される信長の左腕。
チェーンソーが暴虐の限りを尽くし、士郎に襲い掛かる。
旋回する刃がそれを刀で受け止める士郎の腕に強烈な衝撃を与えていく。
「ぐあぁッ……ッ!」
圧倒的腕力の差、数秒もたたない内に士郎が左手に握る打刀が圧し折れた。
ノコギリの刃が少年の体を浅く斬る。
着ていた服が大きく裂かれて、皮膚に赤い線が刻まれていく。
少年の迎撃は明らかに間に合っていない、信長の一振りごとに少年はその切り傷を増やしていく。
「そんな……」
先程までは決意に満ちていた美穂子の表情に、再び絶望の色が滲む。
少年の行動、あんなものは馬鹿げた自殺行為だ。
もはや殺されるのは時間の問題である。
この少年は一体何を考えているのだろう。
勝てると思っているのかこの敵に、実力の差が分っていないのか。
いや分らない筈もない、少年は勝てないと知った上で挑んでいる。
おそらくは福路美穂子を守る為に。
美穂子とはまた違った事情であったが、彼もまた自分の命を犠牲にしてでも他人を守ろうとする破綻者だった。
お互いがお互いに、自分が戦っている間に、相手に逃げて欲しいと考えている。
なんと言う思惑のすれ違いだろうか、互いが互いを救おうとするが故に両者が危機に陥っている。
美穂子は頭を抱えたくなる心境だった。
既に自分のからだは立っていられる体力も尽き果て、床に座り込んでしまう。
ああ、無駄になってしまう。
結局何も出来ないまま終わってしまう。
そんな感情に囚われて居たのだが。
相反して、少年は異様な粘りを見せていた。
刀が一本になって以降、少年は終始押されっぱなしではあるのだが……。
「オオオオォッ!」
徐々に、徐々にであるが迎撃が間に合うようになっている。
空に舞い散る細かな血の量は減少していく。
僅か数秒で決着を見ると思われていた防戦は数十秒、数百秒と長引いていき。
その剣速は確実に、一撃ごとに進化を重ねていた。
士郎が振るう剣撃は放たれるたびに、速く、強く、鋭く、正確なものへと昇華されていき。
やがて無軌道な攻撃姿勢は、規則正しい戦国の剣術を為す。
「小僧――まさか!?」
不満げだった信長の表情が、突如として喜悦に変わった。
彼はそのその変貌に興味を示している。
そして変貌はそれだけでは終わらない。
「――トレース・オン(投影開始)!」
両手で振るっていた刀を片手に持ち替えて、空いた手にもう一本刀を投影する。
この刀、福路美穂子がライダーとの戦いの最中に落としたもの。
その解析は、士郎がこの屋上に至るまでに完了していた。
二刀でもって迫り来るチェーンソーを受け流し、そこから更に刀の持ち方を変える。
通常の、五指で握りこむ形から。刀を二本の指の間に挟んで振るう奇怪な持ち方へと。
「――トレース・オン(投影開始)!」
二度目の投影魔術。
現る三本目の刀。
これも右手の空いている指と指の間に投影する。
「――トレース・オン(投影開始)!」
四本目。
これは左手に。
「――トレース・オン(投影開始)!」
五本目。
これを右手に。
「――トレース・オン(投影開始)!」
六本目。
これをもって完成する。
――竜の爪。
その世界でただ一人が扱っていた流派の名を、織田信長は知っていた。
もう一人、今の士郎が背中に守る、一人の少女も。
「……嘘。あれは……伊達さんの……」
福路美穂子が今目の前にしている構えは、
かつて彼女と共に戦った戦国武将が振るうものとまったくの同一であった。
六本の刀を両手で振り回す、超攻撃型の特殊剣術。
「フ……ハハッ……フハハハハハハハッ!!六爪流の見真似となァ!?
面白い……面白いぞ小僧!我を愉快にさせた褒美だ、もう暫し戯れてくれる」
眼前の魔王を打倒するために、
伊達政宗の得意技である『六爪流』を、士郎は今ここに模倣(トレース)した。
カリバーンから騎士王の剣舞を引き出していた時と同じ理屈。
士郎の行使する投影魔術が通常の投影と異なっている最大の要素の一つ――扱う剣における元の持ち主の技術を模倣するという技能。
それをもって、士郎は握る六爪から伊達政宗の剣技を引き出している。
「はぁッ!」
暴風の如くに繰り出される。六本の竜の爪。
下段からの切り上げ、右からの切り払い。
右からの三爪、左からの三爪。
鮮やかに、蒼い竜の爪が信長に襲い掛かる。
「遅いわッ!」
それらも全て信長の一閃で払われる。
一瞬だけ怯んだ士郎だったが、すぐに持ちなおして連撃を打ち込んでいく。
次に放ったのは突き、一度に三本の切っ先が同時に繰り出され、間隔を挟まず更なる突きが射出される。
それは信長をチェーンソーの『面』で受け流し、士郎のバランスを崩したとこで切り上げを放つ。
あわや上半身を下半身が泣き別れる寸前で三爪を割り込ませて、士郎は死地を切り抜ける。
魔王は明らかに余裕を持っていた。
証拠に、せわしなく動く左のチェーンソーと対照的に、右のカリバーンは全く使っていない。
士郎の振るう六爪流の尽くは左腕一本であしらわれていた。
明らかに手を抜かれていた。遊ばれていた。
信長は今、期せずして振るわれた戦国の剣に多少の懐かしさを覚え、楽しむ気概のみで戦っている。
余興、あくまで余興だ。士郎が振るう六爪流などなんら脅威になりえない。
なぜなら、いくら士郎が伊達政宗の技術を引き出した所で、所詮それを行使しているのは衛宮士郎の肉体だ。
どれだけ再現しようとしたことろで伊達政宗本人が振るう六爪流には到底届き得ない。
「まだまだッ!!」
だがその限界の壁にはまだ遠い、未だに士郎の攻撃は成長を続けている。
一撃、一撃ごとに技術を吸収して更なる高みへと。
そして、士郎が六爪流を振るうにおいて一つだけ、通常の六爪流より優れている面も在る。
「ふんッ!」
成長する士郎に合わせて力を強めた信長の一撃が、六爪に直撃。
重たい、車でも衝突したかと錯覚する衝撃に、士郎は思わず六爪を何本か取り落とす。
当然拾う間など与えず、サイドから迫り来るチェーンソー。
「――トレース・オン(投影開始)!」
取り落としていた分を拾うまでも無く、士郎の手に六本全ての爪が揃った。
通常の六爪流より優れた面とは即ちこれ。
取り落とした刀を瞬時に投影魔術によって回収でなく、新たに調達できるのだ。
これは六爪流を扱うにおいて、明らかに握力が不足している士郎にとっては実に有効に作用した。
攻撃に傾きすぎている替りに崩れやすいという六爪流の弱点も上手く補っている。
加えて、どれほど無茶な攻めで剣を落としても、瞬時に補給が出来るというのは非常に効率的だった。
そして遂に、尚も成長を続けていた士郎の剣が信長と拮抗する。
猛スピードでぶつかり合う六爪とチェーンソー。
未だに士郎の攻撃は及ばないが、もう信長の斬撃とて士郎の体までは届いていない。
「すごい……」
美穂子はその様子をただ唖然と見ていた。
目の前の光景が信じられない。
この少年のどこにここまでの力が眠っていたのかと、驚きに晒されながら。
数時間前に見たばかりなのに、どこか懐かしさを感じてしまうその剣技に、ただ心を打たれていた。
美穂子の戦術眼をもってしても、実際に戦っている士郎の感覚としても。
勝負をかけるタイミングは今をおいて他に無い。
士郎が引き出せる技術がピークに達する瞬間、まだ信長が余裕を見せている間にこの戦いを終わらせる。
そして遂に、その時はやってきた。
士郎がこれまでで最大の攻めを見せる。
体の中心に大きな隙を作ることは一種の賭けだったが、士郎は恐れる事無く両腕を広げ、左右からの切り払いで信長を挟み撃つ。
片腕ではガード不能と思われたこの攻撃を、信長は左腕を円形に旋回させることによって吹き飛ばした。
弾けて消える、士郎が握っていた六爪すべて。
だががこれで終わりはしない。寧ろここからが本番だ。
刀を持たぬまま、六爪流突撃の構えを取る士郎。
そのまま、徒手空拳のまま一気に地面を蹴り、跳ねて。
「――トレース・オン(一斉投影)!」
六本の爪を一気に同時投影。
そこから裂帛の気合と共に、更なる踏み込みが地を叩く。
眼前の魔王へと、最大最速の一突きを撃ち放つ。
「――“Magnum Strike Blade Works”」
叩き付けられる突撃は、その名の通りマグナム弾を体言していた。
渾身の踏み込みと後方の三爪を推進力にして、前方の三爪がうねりを上げながら信長に迫る。
信長が咄嗟に振り切ったチェーンソーを粉々に破壊し、尚も前進し続ける六爪。
その先端が今遂に、信長の鎧に届く――寸前に。
「ぬぅんッ!!」
たったの一撃。
カリバーンの一振りによって、叩き潰された。
全力の突撃は勝利を呼び込むには遥か至らず、ただ魔王に右腕を使用させたという、それだけの事だった。
魔王の迎撃。士郎の突撃の勢いを殺しきってなお余りあるその威力。
六爪を砕き、屋上の床に叩き付けられるカリバーン。
飛び散るコンクリートが散弾の如くに士郎の体に襲い掛かり、彼の体は大きく後方に吹き飛ばされる。
美穂子は目の前まで飛んできた士郎の体を見て、今度こそもう駄目だと確信した。
命の危険を基準にした怪我の程度を言えば、士郎の怪我はいまや美穂子のダメージを超えるほどだった。
美穂子は片腕を失ったが、止血が済んでいる以上命には関わらない。
だが士郎の怪我は甚大だ。
全身に渡る浅い斬り傷、全身打撲、頭を打ったことによる頭部からの出血。
限界を超えて体を酷使したツケも相まって、既に意識が在るかどうかも怪しい。
それでも士郎は諦めていなかった。立ちあがろうとしていた。
しかし、彼の意に反して体の方が限界だった。
「多少は楽しめたが……。
その芸もそろそろ飽いたわ。次の出し物を見せいィ」
そんなことには頓着せずに、魔王が言う。
「どうした?早く立つがよい。もっと我を楽しませてみよ……!」
士郎は立つ事が出来ない。
体を起こすことすらままならなかった。
「……無為……か。
ならば是非も無し、その首一刀のもとに跳ねてやろうぞ」
近づいてくる。
魔王が、死が。
二人に向かって迫ってくる。
(また……私を守ろうとして人が死ぬ……)
そして、その事態だけは福路美穂子には黙認できなくて。
「それだけは……」
これ以上、自分に関わった人が死んでいく光景だけはもう見たくないと言う思いで。
少女は力を行使した。
「――させない!」
少女の体から立ち昇る瘴気。
己の中の忌むべき力、それでも今はこの力の他に頼れるモノが無かったから。
既に疲労によって指一本動かせない身なれど、後一撃だけならば泥の行使も可能だった。
空中に停滞していた瘴気を一斉に射出する。
一発一発には先の戦闘で使用していたほどの威力は無い。
だが、その散弾は壮観だ。
さすがに魔力の総量だけは大したものといったところ。
放たれた瘴気の弾幕が剛速球で信長へと飛来し取り囲む。
が、しかし、それから全てが信長に触れるまでも無く、倍の瘴気で跳ね返された。
「――っ!?」
「その程度の『泥遊び』で、この信長に挑むなど片腹痛し!生ぬるいぞ小娘。我を染めたくばその三倍は持ってくるがよい」
爆ぜるコンクリート。
浮き上がる美穂子の体。
すぐに落下し、叩きつけられて、美穂子もまたこれ以上は動くことも出来ず。
頭を床につけたまま、倒れ付した士郎と、こちらに近づいてくる魔王を見つめていたとき。
突然、夜空に銃声が鳴り響く。
止まる。魔王の足。
「……虫けらの増援か?」
魔王の視線は士郎と美穂子を飛び越えて、屋上の入り口へと注がれていた。
そこに立っている、二人の人物へと。
「衛宮士郎、動けるか?」
「ごめんなさいね、遅れてしまって」
少々遅れて登場した、援軍の姿だった。
■ 『場外:ゲームオーバー』 ■
この戦場における最後の戦局が目前に迫っている。
そんな時、一人の脱落者の姿がビル街の路地裏にあった。
「っ……私は……まだ……ッ……」
戦場の遥か下方、ビル郡の光も届かない薄暗い路地にライダーはいた。
全身に深刻な火傷を負った満身創痍の体で、行灯光を頼りにおぼつかない足取りで夜を進んでいく。
肩口に突き刺さっていた刀を抜き捨て、そこから血が流れ続けていようが頓着しない。
上手く回らない思考回路で、自分がどこに向かおうとしているのか、自分が何のために戦っているのかを思考していた。
脳裏に浮かんでいたのはただ一人の少女の姿。
「私は……あの子を……」
選択肢は二つに一つ、もう一度戦場に駆け上がり、敵の殲滅を優先するか。
早急にここから離れて体力の回復に努め、同盟を組んでいた者との合流を優先するか。
優勝を急ぐか、合流を急ぐか。
それは即ちライダーの優先順位を明確にする選択だった。
「あの子には……私がいないと……」
再びノイズが響き始めたライダーの思考。
それでも彼女が選び取った選択は明瞭であり。
しかし、その選択が示されることは無かった。
「……あっ」
バランスを崩し道端に倒れこむ。
悲鳴を上げ続ける体を持ち上げようをするものの、既に立つ事が精一杯。
到底これ以上は戦う事も、走り出すことも出来はしない。
「早く……あの子のもとに……行かないと……」
それでも彼女は倒れ付す己を良しとせず、なおも足を進めて行き。
霞む視界の前方に――。
「なンだよ。やっと獲物を見つけたと思ったらとっくに死にかけじゃねェか、くだらねェ。
ま、いいか。これもボランティアだ。逝っとけ」
己を殺す、怪物の姿を見た。
「――ガッ!?……ハッ……!?」
大きく後方に飛ばされる体。
理解が追いつかない。
地面に打ち据えられた後、自分の体を見下ろして初めて、正しい現状を理解する。
墓標のように胸部へと突き刺さっているコーヒー缶が、己の最後を示していた。
「…………」
ライダーは最後まで星空を見上げていた。
この空の下で終わる自分のことよりも、いまあの少女は何をしているのだろうか、と考える。
誰かに危害を加えられていはいないだろうか。今すぐに助けに行きたい。でもそれはもう不可能になってしまった。
ごめんなさい、と。詫びて。
そして、徐々に意志の光が消えていくライダーの瞳。
反して彼女をしとめた怪物の目は爛々と輝きを強めていく。
「――すげえ」
この渇きに任せて、生きた者を死者に変える感触。
ライダーを殺した怪物、
一方通行はいま最上の歓喜に包まれていた。
「すげェ、すげェッ!想像以上だ――最高だ!
ハ……ハハハッ!ひゃはっ!ぎゃははははははははははははははははははははァァッ!
ヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハァァッッッ!!!!!」
――これまで行なってきた殺人の全ては、心を冷たく凍えさせるだけだった。
だが今回はどうだ。
こっちが死にそうなくらいの快感に脳みそが貫かれている。
どうしてか、なんて明白だ。
これでまたアイツを守ることに近づいたから。
今ならば一人殺すごとに、ぶち殺してぶち殺してぶち殺してぶち殺すたびに、アイツを守っていると実感できる。
だから楽しい、嬉しい、最高にハッピーな気分だ。
ああ守ろう(殺そう)。もっと守ろう(殺そう)。守り(殺し)続けよう。最後(みんな死ぬ)まで。
守って(殺して)守って(殺して)守って(殺して)守って(殺して)守って(殺して)守って(殺して)守って(殺して)。
アイツを守り抜くまで(スベテを殺し尽くすまで)。
一方通行は笑い続ける。
ひたすら歓喜に酔い続ける。
死に行くライダーと同じく空を仰ぎながら、顔面を片手で覆いながら。
その指の間から滑り落ちた一筋の水滴の意味すら理解できぬままに。
そしてライダーは目を閉じる。
もう狂喜の叫びすら耳には入らない。
聴力も、視力も、既に無く。
ただ案じていた。
己が守ろうとしていた一人の少女を。
無事であって欲しい。生き抜ぬいて、救われて欲しいと。
そう願っていて。
「どうか……幸せになってください……」
最後に発した、三つの音からなる少女の名前は――。
「―――」
怪物の狂笑によってかき消され、誰の耳にも届くことは無く。
ただライダーの内にのみ、最後まで在り続けた。
【ライダー@Fate/stay night 死亡】
■ 『場外:ゲームスタート』 ■
そして、一方通行はそれを視界に収めた。
「さァて……次だ……」
一方通行の視線の先、ライダーが落ちてきた方向。
デパートの屋上がそこある。
脱落者の死をもって、新たな怪物が戦場に上がる。
一方通行は高層ビルの屋上に飛び上がり、
敵の数を数え始めた。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ。
「五人か……」
殆どの敵が今の一方通行にとって脅威にはなり得ない。
塵芥に等しい存在だ。
しかし、一人だけ一方通行をして警戒を強いる者がいた。
「織田……信長……。ハッ――面白れェ!ここいらで借りを返してやりましょうかねェッ!」
能力を全開にして飛び上がる。
おそらくもうベクトル操作を行使できる時間はそう長くはない。
だが構うものか。
首輪を解析しきってから攻めるべきという思考など欠片も存在しない。
今の自分ならば負ける気がしない。
あれしきの三下共、瞬殺出来るという自信が在る。
織田信長とて例外ではない。
今はただ、目の前の敵をぶち殺す事のみで全思考を彩ろう。
「うざってえンだよ!どいつもォ!こいつもォ!俺の視界から消えやがれェェッ!」
そんな、どこか悲鳴に似た雄叫びを上げながら、一方通行は夜を飛んだ。
時系列順で読む
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最終更新:2011年08月04日 10:52