ひたぎエンド(アナザー) ◆0zvBiGoI0k
#3 WAIL(慟哭)―――――――――――――――――――――――――――――――
はじめに見えたものは天井。
部屋の天井だと分かるのは空と、光があまりに白かったからだ。
まだ目が霞んでいるから、そう判断した。
背中からは、地面よりは柔らかい感触。少ししてそこがベッドの上だと分かった。
まずは起き上がろうとして膝を起こしたら、
「……痛ってぇ…………」
全身を走る様な痛みで崩れ落ちた。
寝起きの第一声。痛え。
情けないものだが、でも実際痛いんだから仕方ない。
それに、そもそも何かを考えることなんてもうないと思っていたんだから。
もう、死んでしまったものだとばかり思っていたんだから。
けれど、体は痛い。
声も出た。
そこから導ける答えは、きっとひとつだけだろう。
「…………あれ、生きてる」
そういうことだ。
あの目前で起こった大爆発に巻き込まれながらも、全身金縛りにあったような傷を負いながらも、生きている。
……なんだろう。変に実感がわかない。
嬉しいことは嬉しい。そりゃ死ぬよりは生きてた方がいいに決まってる。
でも完璧に死んだと思ったからな、アレ。無事どころか頭ごと吹っ飛ぶくらいは覚悟していたんだが。
こうして生きてるのはホントに奇跡的といえるだろう。
そうだ、これは偶然の産物だ。意図しない要因が重なって重なり合ってできた縫い目の隙間にたまたま潜り抜けられたに過ぎない。
こんなこと、もう2度と起きはしないだろう。
2人目にも。決して。
「目が覚めたか、阿良々木少年」
僕を呼ぶ声に(動けないので首だけをひねるように動かして)振り向くと、そこにはグラハムさんがいた。
所々に傷が見えるが僕よりはよっぽど五体満足だ。心底安堵したように表情を和らげるグラハムさん。
でもさ、どうしてだろう。
グラハムさんの表情から、僕が起きたことに対して何か不安があるような気がするんだ。
首を逆方向に向ける。
隣のベッドには2つに結わえられた髪の少女が見える。小柄な体躯と制服から白井だろう。
慎ましやかな胸がゆっくりと上下し、呼吸の証が表れている。彼女もギリギリで命を拾ったようだ。
それは純粋に嬉しい。彼女が生きていることは喜ばしく、とても感謝したい。
けど、何だ?この落胆は。
白井が生きてたことに悪感情はない。ただそこに『白井しか眠っていないこと』が残念で、とても不安だった。
「安心しろ、ここは安全だ。ゆっくり休むといい。
君の体質とやらなら動けるのにさほど時間はかからないのだろう?」
「……はい、ありがとうございます」
グラハムさん、及び薬局で会った白井、天江、浅上には僕の体質、吸血鬼もどきであることを話した。
駅での失態は僕にも責任がある。あの時に自分がただ守られるだけの、
なんの力もない一般人でないことを話しておけば、僕を探しに
セイバーが離脱することもなく真田が死ぬこともなかったかもしれない。
隠しごとが出来るほど余裕のある身分じゃないんだ。持つものは見せ、それを前提に組み込んで行動していかなければならない。
あんなことを繰り返させないためには。
皆からあまり内容は理解されなかったようだがようはその体質、いわば能力を知ってもらえればそれでよかった。
つまり『常人より耐久力や運動力や回復力が高く死ににくい』と知ってもらえさえすればいい。
そう教えておいたからここでグラハムさんも行動を急く必要はない。
致命傷はないから少し待てば歩けるくらいには治ると知ってるから治療を急ぐこともない。
ああ、それはきっと正しい。議論を挟む余地なんてない。
けどさ、ごめんグラハムさん。
たぶん僕は今寝起きでボケてるんだ。脳が覚醒し切ってないから突拍子もないことを考えている。
『せめてもう少し何も知らずにしておいてあげたい』なんていう天邪鬼も甚だしい考えを抱いているんだから。
「白井も、無事だったんですね」
「……ああ、肩の傷が酷いがそれ以外は比較的軽傷だ。」
まあいいや。どうせ寝惚けだ。起きてりゃそのうち忘れることだ。
けれど一度疑問を持つとそれを問いたくなってくるのが人の性らしい。
それに聞いた所で問題なんてない。どの道アッサリ答えは返ってくるのだから。
「一通り処置し麻酔も打っておいたが傷口から菌が入り化膿する危険もある。今一度適切な処理を施す必要が―――」
「グラハムさん、」
だから僕は、
「戦場ヶ原は、どこですか?」
躊躇いなく、地雷原に足を踏み入れた。
グラハムさんの表情が、凍る。
ああ、駄目じゃないかグラハムさん。そういう時はスムーズに返してくれなきゃ。
隣の部屋で緑髪の人(
C.C.、だったっけ?)とピザを頬張ってるとか。僕の看病も無視して3匹の子猫と戯れてるとか。
真面目な軍人キャラであるグラハムさんにそこまでの芸人属性は期待してない、というかしたくないけど。
そこで押し黙ってちゃ、縁起でもない想像をしちゃうじゃないか。
「っ阿良々木―――」
バネ仕掛けでも付いてたかのように体が起き上がる。
不思議にも痛みは気にならなかった。手に脚に腰に首に力を込めるたびギチギチと骨が擦り切れる様な音が聞こえるけど気にならない。
そんな体の痛みよりも、胸のよく分からない箇所から発する痛みの方が何倍も辛い。
まるで心臓を鷲掴みにされたような怖さ。生物的なものでない痛みの原因を消す方が何よりも先決だった。
グラハムさんが立ち上がり手を伸ばしかけたけど、途中で止まってしまう。
やっぱりいつものグラハムさんらしくない。この人なら無理やりに抑えつけてでも怪我人である僕を制止させようとするものだけど。
それが出来ない理由が、どこかあるのだろうか。自分に止める権利がないという後ろめたさが。
ナニニ?
ナニガ、ソンナニ心苦シインダ?
コノ扉ノ先ニ、ソレガアル?
(駄目だ、開けるな)
ドコカノダレカが声を荒げる。
けれど止まらない。引力に吸い寄せられてるように体は扉に近づいていく。
その声が正しいと思いつつも、その引力には逆らえない。
その矛盾した思考は肝試しに似ている。
怖くて、恐ろしくて、見るのも聞くのも知るのも厭だというのに何故か興味をそそられる。
ドアノブに手が触れる。後は回せば部屋が開く。
それだけのことだ。それだけのことに、僕は全神経を集中させている。
指先の神経が脳の命令を受諾する。稲妻の早さで命令は実行される。
扉が、開く。
その先には―――
「―――やあ、起きたか阿良々木くん」
3匹の猫に囲まれピザを頬張ってる
枢木スザクの姿が。
「……ああ、今起きた。助かったみたいでよかったよ」
知りあいの小汚いオッサンの声に良く似た声に表面的には普段通りの対応をする。
この声でこのイケメンだからアイツを知る僕にとってはどうにも馴染まない。
「やだなあ、アニメじゃ僕も中々のイケメンだったろう?」なんて声は無視した。
「簡単な状況はグラハムさんから聞いている。君達には助けられた。礼を言いたい」
そしてこの声で感謝の言葉を聞かされて以下略。
緊張の糸が弛んだように一気になごみムードになり肩の荷が下りる。
……けれど、胸の動悸は治まらない。
枢木の顔を見つめる。視線を一点にまとめやすい的に集中する。
決して視線を外に向けては、いけない。
「あのさ枢木、」
「僕達にとっても、」
言葉を被せられる。僕は黙り、枢木は続ける。
不満はなかった。
だってそれは、僕が求めていた答えそのものだったから。
「そして何より君にとっても、黙っていることは何の得にもならない。
無駄に希望を持たせたくもないから、先に言わせてもらう。
「――――――――――――――――――――――――――」
……………枢木が、何か言った。
よく、聞こえなかった。
まるで、理解できなかった。
とても、信じたくなかった。
今の僕はこの時、まさしく混乱状態の極みであっただろう。
半ば放心した僕は、枢木が首で刺した方向を何の疑いもなく見てしまう。
綺麗に整頓された部屋の隅が、薄汚れている。
やや黒い、赤い塗料だ。
盛り上がったシーツの一部分が滲んでいるらしい。
ならば血―――もう、そうとしか理解できなくなった―――は、そのシーツの下から漏れ出たものだろう。
一歩、前に出た。それだけで、ひどく疲れた。
体の状態が状態だから当然だけど、理由はそれ以外。
僕は地雷原を何の手がかりもなしに歩いているに等しい。
一歩を間違えば即、ボン!だ。
―――いや、違う。訂正する。
地雷の位置は分かってる。数もだ。一つしかない。
あまりに明々白々で、この上なく目立つ。
けど僕はそれを踏む。位置を知り、数も分かり、その威力も想像できるのに避けられない。
僕は、あの地雷を踏まなければいけない。
何故、そう思い込んでしまうのだろう。
二歩。遠い。もっと近くに。
三歩。まだ遠い、あと一歩。
四歩。惜しい、もう少し。
五歩目、無事到着。あとはめくるだけ。
……ああ、喉が渇く。
水が欲しいけど、もう今更引き返せない。
手を、伸ばす。震えた手でシーツをめくる。笑う足で、それを見下ろす。
表れたのは、一人の眠り姫。
永遠に覚めない呪いをかけられ、どんな魔法も効果のない、腐朽の病。
戦場ヶ原ひたぎという、一人の少女に降りた死(やまい)。
「――――――――――――――――――――――――――――――」
膝が折れる。笑い転げる力も失せて地面にこすりつける。
遺体(かのじょ)の顔が、少しだけ近づいた。
よく見ると、その唇は微かに吊り上がっていたのに気付いた。血で塗られた、艶のない微笑みのままに。
その顔は、僕が気を失う前に見た笑みととてもよく似ていた。
似ているだけで、今はもう色褪せて見える。
彼女を輝かせていた大きな魅力は失われている。生きた人が誰しも持つ活力が。
それだけで。
それだけが。
どうしようもない、終わりを示していた。
「ぁ―――――――――――――――――――――、」
小さく、一声だけ漏れた。
これでも必死に絞り出したものだ。もう頭は声を上げるどころじゃなくなっていた。
そう思っていたら、そこからは堰を切ったように音が溢れ出てきた。
「あああ―――――――――――――――――――」
放りだされた手を握る。指は最後まで僕の指を握り続けた照明として残っている。
―――冷たい。
それが死の感触だと、脳より肉体が先に理解した。
「うあぁ――――――――――――――――――あ」
強く、折れそうなほどに握り締める。もう一度この手が暖かみを取り戻すことを願いながら。
固く、もう一度握り返すことを祈りながら。
けれど現実は冷たく、正しく、激しく僕を打ちのめす。
それで、心は決壊した。
「う、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
深夜のとある工場で人目も憚らず恋人の死に咽び泣く男子高校生の姿がそこにはあった。
……まぎれもなく、僕だった。
#4 SYMPATHY(共感)――――――――――――――――――――――――――――
その時目を覚ましたのは、生物が備える本能的な機能だったのだろう。
眠っている時に大声が耳に入ったというのもあるが、
それが泣き声だったというのがもっと大きな理由だ。
動物界において声を出すという行為は大事なコミュニケーションだ。人間もそれに相当する。
特にヒト独自の交信手段といえる言葉が使えない幼少期などはより顕著だろう。
赤子は何かあれば大抵は泣く。それが親の気を引き自分を守らせる最適な手段と知っているからだ。
記憶や人格ではなく遺伝子としてそれは根強く刻まれてる。
それを続け、体験していくうちに人は泣き声に敏感になっていると思える。
それが単なる音でなく、何かを訴える感情が込められてると、成長して知ることになる。
それは発作的な癇癪だったり。
堪え切れない怒りだったり。
今回のような悲愴な悲しみだったり。
「………………………」
それへの理解がどうあれわたくし、
白井黒子が目覚めた切欠はそういうものだった。
彼女が始めに確認したのは自身の生存。
次いで、気を失う直前の記憶の洗い出し。
薬局での戦い。最強の超能力者(レベル5)。自分は今まで気絶…………、
その瞬間、状況の厄介さを一瞬で理解しベッドから跳ね起きる。
起きようと、した。
「―――ッ!?」
自分の意思に関わらず再びベッドへと倒れこむ身体。
右の肩に力が入らずバランスを崩したのが原因だ。
見ると、袖の辺りまで破られた制服から包帯とガーゼで包まれた肩が露出している。
少しだけ、左の肩より小さく見える。抉られたような欠損が。
「……起きたかね、白井黒子」
声のした方向には端正な軍人、グラハムさんが座っていた。
所々に微細な傷が見られるが、それでも自分に比べれば遥かに軽傷だろう。
寝顔を眺められていたことには羞恥心があるがここでは不可抗力というやつである。
ずっと看病してくれていた人に対してそんな態度を取るほど落ちぶれてはいない。
「肩の損傷が酷いがそれ以外に目立った外傷はない。
麻酔を打っておいたから痛みは幾分和らいでるだろうが、動かすことは難しいだろう」
「……ありがとうございます。気を失う前のよりは随分楽ですわ」
指先に力を込めようとするが、殆ど動かない。麻酔のせいもあるが、動かすだけの筋を断たれてしまったのかもしれない。
痛みは確かに引いている。けれどまだ思考を侵すような痛覚が残留している。
以前ほどの正確なテレポートはもう望めないかもしれない。
自分の持つ優位性が失われたことを悔しがる反面、これだけの損害で済んだと思う気も確かにあった。
あの
一方通行(アクセラレータ)を相手取り、どうにか生き残れた。
強く課せられていた筈の制限を加味してもあれだけの差だったのだ。全開時はいったいどれほどの存在(もの)なのかなど想像すらしたくない。
あの戦いを潜り抜けられたのは、本当に幸運といえるだろう。
そうだ。彼との戦いの結果はどうなったのか。
どれだけ生き残ったのか。一方通行は倒せたのか。
聞きたいことは多くある。話したいことも山積みだ。
けれど、それはしない。する必要がないと、理解ができてしまう。
もう二度と戻らない人を失ったのだと、聞こえる声は暗示しているから。
「………………阿良々木、さん……」
薬局で会った、片目を前髪で隠した男子高校生。
快楽殺人者であるという
浅上藤乃を庇いたてる位にお人好しな人。
誰が死んでも彼は等しくそれを悲しみ、嘆くだろう。
けれど彼があそこまで声を張り上げて泣くことは、きっと誰にも向けられるものではない。
こんなに深く、悲痛な叫びで嘆くのは、彼にとっての特別な人が死んだ時だ。
この悲しみの生まれた死。あの場で思い当たる人物なんて、一人しかいない。
「他に……生き残った人は…………?」
「向こうの部屋には枢木スザクもいる。あの場を切り抜けられたのは……我々を含めて4人だけだ」
「……一方通行は―――」
「―――取り逃がした。追い返すまでが、限界だった」
目を瞑り、唇を噛みしめる。全身に乗りかかる虚脱感を柔らかいベッドが受け止める。
今し方の自分の楽観さを呪いたくなる。
幸運?冗談じゃない、
3人。10分にも満たないあの時間で、あの小さな空間で人が3人も死んでいった。
最悪。気持ち悪いほどその言葉が似合う。
もう一度、ベッドから起き上がる。今度は右肩に負担をかけないように気を払って。
眠気か、疲労か、貧血か、立ち上がった際の目眩に足をよろけさせながらも歩く。
「……今の彼には慰めの言葉を聞くだけの余裕もない。もう暫くは―――」
「それは―――分かっていますわ。けれど……」
立ち上がったグラハムさんが手を貸してくれながら言い出す。
体は扉の前にあり、前に進むのを遮るように。
分かっている。何か言うつもりはないし、何を言うべきかも分からない。
けれども、彼が今どんな気持ちであるかは理解できる。
とても失礼なことかもしれないが、この声にどこか共感している部分があるから。
放送で呼ばれた名前。人知れず死んだ大切な人。
その言葉を聞いた時の衝撃は、慟哭は、絶望は、今も焼き付いて離れない。
地面がなくなり、空が落ちてきたような、自分の世界が壊れていく感覚。
彼と自分は似ている。
けれど、同じではない。
姿は見えず声も聞かず、ただ胡散臭い放送で名前を呼ばれただけと、
手を握れる距離にいながら目の前で失うこととでは、まるで違う。
彼と私は違う。
だから自分と同じように心が壊れかけてしまうとは限らない。
同じように縋り、心を補強出来る人に会えるとは限らない。
「………………っ………………!」
嗚咽が続く。血を吐くような悲しみが。
それを諌めることなどできない。溜め込むよりは、吐き出すものは吐き出した方がいい。
だから、似た体験にあった人の悲しみを目撃して、封じ込めていた感情が甦ってしまっても、それは耐えなくてはならない。
1人でもこの様だというのに、ここで自分までくず折れてしまえば残りの人にどれだけ負担をかけることか。
理性で分かってる、知識で理屈づける。分解しかける心を緊迫する。
ああ、けど、そうだ。
苦しいんだ。
親しい人が、慕う人が死んでしまうのはこんなにも悲しいんだ。
悲しみに暮れる声を立ち尽くしながら聞く。
扉を開けることもなく、ベッドに座ることもなく。
進むことも引くこともできない、今にも崩れてしまいそうな積み木細工のような危うさ。
ここでこうして 耳を傾けることだけが、自分の限界だった。
#4 TEARS(涙)―――――――――――――――――――――――――――――――
始まりは、とても幻想的なものだった。
いつものように遅刻ギリギリの登校の中、彼女は空から落ちてきた。
重さは感じず、羽毛のような軽やかさでゆっくりと降りる彼女をとっさに受け止めたのが馴れ初め。
後に口内にカッターを差し込まれホチキスで口元を縫われその幻想はぶち壊されたわけだが。
彼女がかつての僕の様な苦しみを抱いてることを知り、手を貸すことにした。
地獄のような春休み。
悪夢のようなゴールデンウィーク。
あんな思いを体験する不幸な人間は、僕だけで十分だろう。
散々世話になった男にまたしても世話になり、色々あって彼女の思いは返却された。
牛の迷い子の件が終わるころに、僕らは恋人になった。
……何が好きかと問われれば、今となっては何もかもとしか言えない。
それ位入れ込んでいた。
彼女という全存在に、きっと恋して(イカれて)いた。
だから。
なんのフラグも、脈絡もなく彼女が消えてしまうような事態に遭ったら、
僕はきっとイカれて(壊れて)しまうんだって思っていた。
そして僕は今、盛大にイカれて(泣いて)いる。
「あ―――――――――――あああああ――――――――――――あああ――――――!」
泣く。
鳴く
啼く
哭く。
失く。
亡く
……無い。
体から何かがなくなっていくのを感じながら、僕は構わず声を張り上げる。
「う―――――――――ううううううううううううううう――――――!」
伝わるのは、手元にある冷たさ。
陶器のように、氷のように冷やかな感触。
とはいえないがそれでもこの世の全てよりも冷たい物質なのだと理解する。
触覚だけでなく、五感で冷たいと感じるからだ。
「っご―――ふ、――――――は――――――――!ああぁ――――――――」
開けっぱなしの口から声以外の何かが漏れる。
赤い、粘性のある水。血であるのは明白だ。
口だけでなく、体中のあちこちから噴き出してるのが分かる。
「!………………っ!―――――――――――――――――――!!!!」
けれど、声を出すことを止めない。
音として出て来なくても、意思として泣き叫ぶ。
声にならない叫びとなって、込みあげる。
だって、もう。
泣いて、悲しんでやることしか、彼女にしてやれることなんてないじゃないか。
「…………ぁ――――――!っっっっっっっっ~~~~~~~~!!!」
頭の中はやけにクリアだ。雑音が聞こえない。
そこに混乱はなく、錯乱もきっとしていない。実にシンプルな一念だけが脳内を巡り回っている。
「は―――――――――!っはぁ――――――――――――ああ、あ」
怖いとか。
痛いとか。
辛いとか。
自分の不甲斐なさを呪うとか。
この声を聞く羽目になってる周囲への配慮とか。
残った人に八つ当たりするとか。
殺した奴が憎いとか。
今までの事とか。
これからの事とか。
彼女の後を追うとか。
生き返らせる為に殺し合いに乗るとか。
そんな余分な事なんて無かったぐらいに。
…悲しかった。
ただ…彼女が死んだ事が悲しかった。
あの笑顔がもう見られない事が。
あの手を取れない事が
あの声がもう聞けない事が。
戦場ヶ原ひたぎという人が死んでしまった事が、例えようもなく……悲しかった。
「うっ………………うう…………ぐっ……あ――――――――――――」
昂りが、治まっていく。
どれだけ悲しいことでも、永遠に泣き続ける事は出来ない。
頂点まで上がり切った感情は時間と共に下がり始める。
けれどこの悲しみは、もう一生消えることはないだろう。
「――――――っ――――――っ――――――っ―――――――っ――――――
――――――っ――――――っ――――――っ―――――――っ――――――
――――――っ――――――っ――――――っ―――――――っ――――――
――――――っ――――――っ――――――っ―――――――っ――――――
――――――っ――――――っ――――――っ―――――――っ――――――
――――――っ――――――っ――――――っ―――――――っ――――――ごめん」
ようやくものを言えるだけの落ちつきを取り戻した口から、やっと言葉らしい声が発せられる。
謝罪の言葉は何に対してか。
助けられなかったこと?勿論だ。それはもう、言い訳のしようがない。
目の前で、手を握れる程近くにいてみすみす死なせてしまったのだ。
自分の限界とか、敵の反則さとか、運とか補正とか、そんな理由は関係ない。
阿良々木暦は、戦場ヶ原ひたぎを守れなかったのだ。それが冷徹なる事実である。
だから、この謝罪は別の意味。
「――――――――――――――――――――ごめん、戦場ヶ原」
まだ、お前の後は追えない。
音でなく、心の中でだけでそう吐露した。
約束がある。
彼女が明日を生きてくれるなら、僕もまた今日を生きていくと。
格好良く死ぬよりも、無様に生きててくれと。
それは死に場所を求めていた吸血鬼に向けたものだけど。
やっぱり、今の僕にも言えた事だ。
あの時、お前と一緒に死ねるならそれでもよかった。
一緒の時を生きて、一緒の時に逝けたのなら、それでもいいかなと。
けれど僕は死んでない。戦場ヶ原は死んでしまった。
決して越えられない一線を、彼女は一足先に越えて逝ってしまった。
けれど僕は生きている。戦場ヶ原は生きていない。
まだ、生きているんだ。
それだけは良かったと、思えてしまうんだ。一度死んだ体になった自分には。
生きている以上、人は色々なものに縛られている。ここに来てからも色んな思いに縛られた。
戦場ヶ原は僕にとって一番の人だけど、唯一の人ではないんだ。
彼女への思いは何よりも強いけど、僕はそれ以外にも思いを持っている。
それら全部を捨てるのは、辛いから死ぬなんて選択はどうしても取れないんだ。
助けられなかった人への痛みも苦しみも、全部背負わなくちゃいけない。
当然、彼女を失った悲しみも一生背負って。
格好いいだなんて微塵も言えない。もうここからは最低最悪のバッドルート一直線だ。
その結末も、バッドエンド一筋しか存在しない。
けど、デッドエンドだけは回避させてやる。そんな馬鹿みたいな意地があった。
最後に、血に濡れた手で彫像の様な戦場ヶ原の頬に触れる。
こんな恋人らしい行為も一生ないまま終わってしまった。
触れた肌からは、やっぱり冷たく硬い死の感触がした。
あれだけ泣いたに関わらず、涙は貯蔵されていくが、目から流れるのは必死に耐えた。
みっともなく大泣きするのは、全部終わってからにしよう。
揺らぎ過ぎで、足場も脆くて、今にも壊れてしまいそうな僕の、それは精一杯の虚勢だった。
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最終更新:2010年09月06日 23:46