ひたぎエンド(ビフォー) ◆0zvBiGoI0k
#1 RETREAT(敗走)―――――――――――――――――――――――――――――
阿鼻叫喚ともいえる戦場跡―――元薬局で
枢木スザクと
グラハム・エーカーは黙々と作業を続けていた。
正式な名乗りも対話もなしに、ただ「生きる」という共通目的のもとにこうして負傷者の救出にあたっている。
その余裕もないほどに状況は過酷であり、急を要するものだったからだ。
今必要な認識は、自分たちは戦いに敗れた敗残兵ということ。その事実だけだ。
戦い―――あれを戦いといえたのだろうか。
怪我人や非戦闘員も多く含めていたとはいえ5人以上もの徒党で1人を囲み撃つ。
多勢に無勢。言葉にしてみれば惨い虐殺だろう。事実あれは虐殺に近いものだった。
ただし立場は、全くの逆だったが。
死を与える側はただの1人の悪鬼(バケモノ)で、
他は、それに狙われた被害者(イケニエ)でしかなかった。
まさに災害。
嵐や洪水はヒトが立ち向かっていいものではない。
あれは抗うものでなく、逃げるべきものであった。
それでも逃げる選択を取らなかったのは、そこに留まる命があったから。
蜘蛛の糸の様に絡めとられてしまった男の命。
それを救わんと手を伸ばした結果、全員が糸に捕らわれることになり、結果がこの惨状。
あの場に集っていた4つの命を瞬く間に奪い、消して行った。
残ったのは糸から解き放たれた男、スザクと、敵の直接的な殺意を受けなかったため辛くも命を拾ったグラハム。
そして今も眠る
白井黒子と、
阿良々木暦のみだ。
誰もが浅くない傷を負い、体力も枯渇しかけている。
特に黒子と阿良々木の2名は深い傷を負っており、早急な手当てが必要だった。
「不幸中の幸い、とは……このことをいうのだろうな」
「……そうですね」
ここで数少ない幸運だったのは、施設の自動販売機がギリギリ原型を留めて機能していたこと。
それと、ユーフェミアの持っていた荷物から大量のペリカが見つかったことだった。
その額は現金でおよそ3000万、カードに入っている分も含めて総額は6000万を超す。
破壊の痕を免れていた、スザクの治療魔術が行われていた控え室に置かれていたため戦闘の余波で失われることもなかった。
元はギャンブル船にて
伊藤開司を殺して奪われたそれが、ここにきて彼らの命綱となるのは皮肉としか言いようがない。
それでも、正気を取り戻した彼女が最後に残したこの荷物は、
絶望にまみれたこの場においての、唯一の希望といってよかっただろう。
薬局というだけあって、品ぞろえは医療品が多かった。
包帯一巻き20m、2000ペリカを5つ。
痛み止めと、注射タイプの麻酔をひとつずつ。
その他適当に治療に使えるものを買い込み、計2万ペリカ。
「生きろよ……2人共……」
青ざめた顔で眠る2人にグラハムは希うように包帯を巻く。
肩口の損傷が酷い黒子に麻酔を打ち、ガーゼをあてがい包帯を巻く。
阿良々木の方は全身に及ぶものだった。体の至る個所に銃創が見られるが、奇跡的に致命傷になる傷は残されていなかった。
元吸血鬼という特異な体質のおかげだろうか。腹部などの比較的重い傷を優先的に処置した。
時間をかけずにごく簡易的な処置に留めたがこれでひとまずは急場を凌げるだろう。
散らばった荷物は集める暇がない。散乱しているデイパックだけを拾い集めた。
瓦礫の山になった薬局では細かいものは見つけられないし、そもそも殆どが大破しているからだ。
戦場ヶ原と阿良々木が放ったGNビームキャノンは砲身が喪失して完全に使用不能。
ファサリナの所持していたプラネイトディフェンサーも流れ弾で何個も損壊している。
探せば無事なのも見つかるかもしれないが、それで効果があるかは疑わしく、また探す時間も到底なかった。
目に付いた程度だけでも拾おうと思ったグラハムの目に付く輝きがあった。暗闇の中でもその存在を誇示する、鮮烈な赤を。
手に取ったそれはファサリナが所持していた槍だった。ゲイボルグという、英霊の象徴ともいえる神秘を宿した武具。
それをグラハムは知る由もないが、仲間の遺品というだけでも手に取る価値はあった。
柄を強く握り締め、短く深く、黙祷の意を示した。
この場に来ている筈の、
C.C.の姿は終ぞ見つからなかった。
印象的な緑髪も、その肢体の一片も薬局には残されてはいなかった。
ひょっとすれば上手く逃げだせたのかと思えたが、赤いペンキをぶちまけたような変色した壁、
そこに落ちていた、血濡れた首輪に掘られた名前を見て、その期待は脆くも砕かれた。
(死んだ……?C.C.が?)
不死者であるC.C.の死。スザクには俄かに信じ切れるものではなかった。
だが、1人の生き残りを賭けた殺し合いという場にいること。
最初の
一方通行との戦いの折に体の治りが遅いと漏らしていたこと。
そして、参加者の誰もが嵌められている首輪がここにあること。
ならば歴として残された証拠から、事実は事実として認めなければならない。
彼女は、死んだのだと。
彼女は、これでよかったのだろうか?
永劫ともいえる時を生き続けた不死者。
無意味で無駄で、人としての生の意味が薄れ切り、それでも生き続けるしかない日々。
その苦悩を、苦痛を、スザクは知らない、知る術もない。
そんな無味乾燥な存在の終焉を願っていた魔女も、最後はその願いを拒否した。
ゼロレクイエムの成就、ギアスを持つルルーシュの死にも彼女は異を挟まなかった。
心中はどうあれ望み通りに死を迎えられたここでの彼女と、望みを捨てて呪いの人生を生きていくことを良しとしたいつかの彼女。
それは、いったいどちらが幸せであったのだろうか?
にゃあ、と鈴を鳴らしたような音が意識を現実に呼び覚ます。
見れば足元にアーサーがいる。見上げてスザクを見るその瞳は、いったい何を語るのか。
「ああ……行こう」
首輪の硬質な感触を握る手で確かめる。
不死者の死という不条理も、死者への悼みも後だ。
今は、生きる。それだけを見ていればいい。
血の海に倒れ伏す妙齢の美女。生々しい赤に濡れたその様は、誰に施されたのでもなく艶やかな死化粧を象っている。
その遺体―――ファサリナからグラハムは今、彼女の首に嵌められていた首輪を採集した。
元より、彼女の損傷は酷いものだった。
頭に、首に、胸に、内蔵に、全身をくまなく抉り取られた姿はあの時の爆発の凄まじさを如実に物語る。
意図していたかは分からないが、彼女が前にいたことでその後ろにいた少年達は吹き荒れた散弾の暴力を免れたのか。
スザクから、ファサリナの首を刈る提案を受けたグラハムは難色を示しながらもそれを受け入れた。
これほどの傷ではここから運び出すこともできない。衝撃を与えてしまえば五体がバラバラになってしまいそうだ。
そしてそのまま放置することも許されなかった。ファサリナの強さは今し方見せつけられたばかりだ。その首輪より得られるペリカも相当な筈。
一方通行のような危険人物にそれが渡ってしまえば手の付けようがなくなる。
それはそのまま、自分達の生き残る確率の減少だ。捨て置くわけにはいかない。
実に合理的で、まったく正しい選択なのは疑いようがない。
故にグラハムも否定しようがなく、葛藤を胸に秘めながらもその首を落とした。
首も繋がってるようでそうでない位に傷付いていたから、首を落とすのにも殆ど力は要らなかった。
まるで枝が花弁を散らすように、あっけなく首は千切れ落ちる。
細く、虚ろに見開かれた光の無い眼を閉ざしてやることが、彼に出来る精一杯の施しだった。
同様の理由で
ユーフェミア・リ・ブリタニアと
戦場ヶ原ひたぎの遺体も運び出した。
こちらは損傷が最小限だったために首だけ落とすこともなかった。
それだけは阿良々木を案じるグラハムと、スザクにとっても有難いことだったろう。
体力の限界もあり、デイパックに詰め込む形になるしかないのもやむを得ない。
彼女らの首が無残に落とされ、更なる破壊を呼び起こす温床になるよりは耐えられる苦痛だ。
「……さて、それではどこへ向かう?」
デイパックよりジープを取りだし運転席に乗り込むグラハム。
ややガタついてるが走行には支障がない。
「できるだけ、ここから離れて下さい。徒歩では簡単に辿りつけない所まで」
後部座席に阿良々木、黒子を横たえさせ助手席にスザクが乗り込む。
眠る2人にとって乗り心地は劣悪だろうがそこは耐えてもらうしかない。
「それはどういう意味だね?」
「説明します」
訝しむグラハムにスザクは説明する。先ほど相対した敵、一方通行(アクセラレータ)の能力と、それにかせられた制限を。
あらゆる事象のベクトルを操作する万能にして不可侵の能力。
それ故に15分という短時間でしか能力を行使できず、再発動には1時間のインターバルを置く必要があること。
「……そうか。力が使えない今なら追われる心配もなく、距離を離せば次に会うまでの時間が稼げるというわけか」
その意図を悟ったグラハムの言葉にスザクも頷く。
一方通行が仮にグラハム達を見つけても制限が解けない限り追跡はできない。
今見つけられたら彼にとっては一巻の終わりだ。絶対に補足されないよう立ち回るだろう。
体力が尽きかけてるスザクやグラハムでは見つけ切れない住宅街に身を潜めてる筈だ。
時間が過ぎても能力で追うわけにはいかない。肝心の戦闘時に時間が切れては元も子もないからだ。
よってこの与えられた1時間で態勢を立て直し、残りの逃げおおせた時間で迎え撃つ準備をしなければならない。
他の殺し合いに乗った者同士での潰し合い、というのは淡い期待だろう。4回目の放送での死亡者の数がそれを裏付けている。
明らかに少ない数。積極的に殺害に踏み切る参加者がかなり少なくなったことを意味する。
そしてここまで生き残ったからには、誰もが一方通行に並ぶ実力者だということ。
そんな者が偶然出会い、戦い、共倒れになることを狙うなどあまりにも見通しが甘い。
あの敵は、いつかまた必ず道を阻みに来る相手だ。
その時の為の対策。装備、戦術、人材を揃えて、打ち倒さなければならない。
そうでなければ、散った命がなにひとつ報われることがない。
「了解した。ならば早急に船に戻るのが先決だが、それでは後ろの彼らの体力が持たないかも知れない。
どこかで一端休憩を挟むべきだが……」
「船……ギャンブル船のことですか?」
「ああ済まない、伝え損ねていたな」
グラハムは簡潔にギャンブル船について説明した。
様々なギャンブルでペリカを稼ぎ、商品を購入できること、そこにはKMFを始めとした機動兵器も売りに出されていること。
戦いに向かない者をそこに待機させていることを。
情報交換も兼ねてやはりどこかで息を整えることが必要そうだ
思い至るのは【憩いの館】だが、そこは船とは真逆の位置だ。
それだけではなくそこまでの道を挟む【D-3】はじきに禁止エリアになってしまう。
行きはともかく帰りには多大なロスだ。
だが結局グラハムが憩いの館へハンドルを向けることはなかった。
理由は、まずその異常に気付いたスザクが発端だった。
「……待って下さい。あの方向、煙が出ていませんか」
スザクが指差した方角、北の山岳地帯からうっすらと黒い線が空に伸びている。
深夜を越えたのもありあまり目立たなかったが確かに黒煙が上がっていた。
森が燃えてるにしては限定的過ぎる。延焼もしてないようだ。
そう、森林と切り離された場所にあるものが燃えたら、ああいう風に煙が立つのでは―――
「っもしや、あそこは……っ!」
誤りがなければ、煙が昇る地点と、デバイスの地図上にある憩いの館の地点とは方角が一致する。
戦闘の余波か、意図的に放火したのか。
どちらにせよ安息を得られる場所でないことは容易に想定できた。
「北行きは断念だな……」
「……僕も賛成です」
◇
「……誰もいないか。当然だな」
半ば諦めていたとはいえ、それでも表情を曇らせざるを得ない。
ここは【E-3】の象の像。かつて
ゼクス・マーキスが参加者を呼び集める集合場所に指定した位置だ。
無論、そこには人の姿は一切見えない。集合時間は3回放送の前後だ。
既に4回目の放送を越えた後、6時間以上留まり続ける道理もなかろう。
「ですが、ここに誰かが来たのは確かでしょう」
周囲を見渡していたスザクの視線が指す先は、まぎれもなく人の残した痕跡。
巨大な像の台座の一部に空いた穴。明らかに人為的に崩された隠し扉。
扉の先は一寸先の闇。洞窟特有の風を切る音が耳に響く。
「気にはなるが……今はその暇もないな」
怪我人を背負った疲労困憊の状態では探索もままならない。
闘技場付近で見つけた地下施設といい、調べる対象が多いのは幸運であり、不運でもある。
「販売機は剣や槍が多いようですね。ナイトメアは……ヴィンセント、か」
販売機の品を確認するスザク。「New!」の文字に続く『RPI-212ヴィンセント』【2億3000万】の表記に目が留まる。
ランスロットの量産型として開発された機体だ、そのポテンシャルは高い。
けれども片腕がない今の自分では宝の持ち腐れだ。そもそもペリカもまったく足りない。
『腕の再生までは当サービスでは不可能です。別途のサービスにて対処ください』
目覚めたばかりの途切れ途切れの意識の中、誰かがそう言っていた、気がする。
それは、別の施設でなら腕を繋げるサービスがあるということか?
半信半疑だが、それができるのなら戦力の大きな補強になる。
ここのサービスは―――
【施設サービス:換金律2倍(この換金機で首輪を換金した場合、金額は2倍になる)】
―――そう都合良くはいかないか。
内心でそう独りごちる。
背後を振り返ると、内容を見たグラハムの渋い表情が見える。
「グラハムさん、でしたか?この施設サービス、使わない手はないと思いますが」
グラハムの表情の意味を察しながらもあえてスザクはそこを突く。
人物像はおろか名前すらまだ正確に聞いてないが、これまでの短いやりとりからこの男が優れた軍人であることは確かなようだ。
この場で行うその行動の意味と、その有用性にも当然気付いてるはず。
「………………………………」
デイパックよりファサリナの首輪を取りだし見つめるグラハム。
ギャンブル船で
ヒイロ・ユイと共に出会った妖しい雰囲気を身に纏う女性。
主催を打倒するという意志の元で同調し、短い時を同行した。
上条当麻を橋に落としたことについて言及することこそあれど、嫌悪するまでの理由にはならない。
善し悪しはどうあれ、これが全員のためになると彼女なりに考え起こした行動だ。
上条当麻は無事だろうか。脚を傷付けられ川に落ちたのだ。最悪溺れ死んでいる可能性もある。
だがグラハムは彼を救出するという選択を取れなかった。より言うなら取る余地がなかった。
満身創痍のグラハム達ではこの暗闇の中、川に流された少年一人を見つけ出すなど至難の極みだ。
あの場を全力で退避する以外に自分達が取れる行動はなかった。それほどに余裕がなかった。
その間に襲撃者に会えば自分達は間違いなく全滅する。それはきっと過ちではない。
それでも、グラハム・エーカーが上条当麻を捨てたという事実は、決して覆りはしない。
そして今も、自分達を守るべく戦った女性(ひと)の首を刈り、それを捨てようとしている。
直接的な危機に見舞われていなかった伊藤開司の時とは何もかもが違う。
この行為の如何次第で自分達の生死までもが変わってくるかもしれないのだ。
その葛藤、苦悩もまた帝愛の望み通りなのか。
体中から滲み出んばかりに嫌悪と憤慨がこみ上げてくる。
だがそれは主催、帝愛グループへではなく、グラハム自身へと向けられたものだ。
あの戦いで一番役に立てなかったのはまぎれもなく自分だ。
これ程に戦いで無力感を感じたことなど生涯においてない。ガンダムとの戦いですら。
心の何処かで、侮りがあったのかもしれない。
安寧な時間であったとは決して言えないが、24時間の間一度として戦いというものに直面した機会がなかった。
この島で繰り広げられている「殺し合い」がこれ程に激しく、残酷なものであると思いもしなかったことを、果たして否定できるのか。
いったい幾つの悲劇があったのだろう。どれだけの血と、涙と、慟哭が吐き出されたのだろう。
その全てに責を感じる必要はないかもしれない。
所詮自分はフラッグファイターであり、一介の軍人であり、一人の人間だ。
全ては救えず、誰もが幸福になれる結末など望めない。
どうしようもないと、仕方がないことなのだと切り捨ててしまってもよいのかもしれない。
だが散った命は、救われなかった人々の死は、そんな言葉では済まされない。
彼らの、彼女らの人生はここで終えてしまったのだ。
誰もこんな所で、こんな死に方をしていいはずがなかったのに。
ささやかでも誇れる、輝かしい日々が待っていたはずなのに。
意志は元より、純粋な体技が逸脱したファサリナ。
特殊な能力を持ちながらもあくまで一般の学生である白井黒子と阿良々木暦。
非力でありながら想い人の為奮起した戦場ヶ原ひたぎ、ユーフェミア・リ・ブリタニア。
仔細は知らぬが、おそらくは誰かを守るため身を投げ出したC.C.。
先ほどまで半死人でありながら、強靭なまでの「生きる」力を見せ生き延びた枢木スザク。
あそこで散った者も皆、何かの強い思いをその胸に抱いていた。
大切な人の死に悲しむみながらも、黒子は生を続け人を守る道を選んでいる。
阿良々木と戦場ヶ原。愛する者の為に戦うその姿は人の強さを、未来の可能性を感じさせた。
ファサリナには夢があると言った。命を懸けるに値する使命なのだと。
ユーフェミアは己の罪を認めそれに向きあうために、そして掛け替えのない人のために命を尽くした。
「生きる」。単純だが誰もが持つ純粋な希望はスザクをあそこまで燃え上がらせた。
自分には、なにがあっただろう。
軍人に戦う意味というものを問うのはナンセンスだという事は理解している。
だがこうしてこの目で戦う意思を見せつけられると、思う所はある。
己の生きる証。ガンダムの打倒。戦友を、矜持を奪っていった、愛と憎しみが相克する特異点。
個人的な妄執であるのは百も承知だ。承知の上で、阿修羅の道へと足を踏み入れた。
世界など、どうでもいいと言い切る程に。
彼らとの違いは、それなのか。
未来のない一つの目的にのみ固執した男と、未来を目指す人々との。
それもやはり承知していた。それが愚かであると弁えていたはずだ。
だから、自分は非力なのか?
故に、己は誰も守れないのか?
「……だとしても、それが私の歩みを止める理由にはならない」
ガコン。
意を決するように、換金機へ手を差し出す。
ゴミ箱にリサイクル品を出したような軽快な音。これが人の生の証と思うには余りにも軽薄過ぎた。
途端、下からバサバサと紙の束が落ちてくる音が聞こえる。
元の金額が6500万。それが倍加し1億3000万ペリカの表示が出る。
それは果たして彼女の価値に足り得る値なのか。
―――問うまでもない。
「――――――行こう。この辺りは工場地帯だ。隠れる場所には事欠かない」
非力も、恥も、屈辱も甘んじて受けよう。罪も罰も、受け入れる。
最も愚かな行為は歩みを止めること。その時グラハム・エーカーは阿修羅から餓鬼道へと身を堕とす。
戦えぬ弱き人々を守る。それが軍人としての責務であり、信念。
ここでグラハムが動く理由にはそれだけで十分だ。
そこに偽りはないと信じ、男は歩みを続けていく。
その象徴ともいえる小さな友を思い浮かべながら。
#2 REST(一息)―――――――――――――――――――――――――――――――
工業地帯、つまり工場というのは脂臭く、衛生環境に欠けるイメージがあるがそれは誤りだ。
今となってはほぼ全てが機械任せであるが、それでも機械である以上人が制御する管理室というものがある。
それら作業員たちの休憩部屋も当然存在する。機械にだって清潔な整備が欠かせない。
滅菌作業が必須な部屋も多くあるだろう。食料品の生産工場であれば尚更だ。
それらが売買されるにあたって最も重要なのは商品の安全性だ。
不純物や細菌の混入を防ぐためには徹底的な、病的ともいえる程に神経質になる。
グラハム達が訪れた工場も、そういう類に含まれるものだった。
食品工場ではないようだが、某かの精密品を扱う場所であったらしい。
壁は白を基調とした色で揃えられ。一定の大きさの機械が来訪者を迎えるように整頓されている。
人のいた形跡は皆無であり、やや大きめの無人のスタッフルームへと足を運ぶ。
積荷を降ろし、隣の仮眠室と思しき部屋に怪我人を寝かせ、デイパックに詰め込んでいた遺体も静かに横たえる。
薬局での戦いからようやく訪れた休息にスザクも脱力して椅子に腰を下ろす。
「――――――ふう」
深く息を吐いた途端、残りの腕と足に一気に重みが乗せられた。
四肢だけではない。肩、腰、胸、首―――全身の間接が悲鳴を上げ軋み出す。
走ってもいないのに、息が切れる。汗が噴き出す
当然といえば当然の代償。正しい流れなら既に冷たい死体になっていた体だ。
戦いの間はギアスで捻じ伏せてきたがそこから先はスザク個人の意思だけで保ってきた。
一度その意思を放棄した瞬間に、思い出したように体の負担が蘇ったのだ。
あまりに重く、眠ることすら苦痛になりそうだ。
「君も休んでいるといい。あれだけの重傷だ。本調子になるまで治させてはもらってないだろう?」
ガラスの破片で出来た全身の刺し傷に包帯を巻き終えシャツを着直したグラハムが前に座る。
正確には傷自体は完治していても体がそれに馴染み切ってないだけだが、そう大差はない。
「遅くなったが自己紹介だけでもしておこう。私はグラハム・エーカー、見ての通り軍人だ」
「……ナイトオブゼロ、枢木スザクです」
「ナイトオブ……何かの称号かね?」
「そう受け取ってもらって構いません」
「ふむ、まあそこは後々に置いておくとしよう。今は互いの名乗りだけで十分だ。君にも今多く語るのは苦痛だろう」
デイパックから大量のミネラルウォーターのボトルを取りだしながら言葉を続ける。
苦痛というのは肉体のことを言ったのか。それとも、心のことか。
キャップをひねり中の水が外気に晒される。そのまま飲むかと思いきや、それをスザクへと渡した。
一礼をしながら受け取り口へと運ぶ。一口だけと思ったが、喉に流れる水分を感じてから二口三口とのどを鳴らす。
「…っ…っ…っ…っ…っ…っ……はぁっ」
息をつきボトルから口を離したときには半分以上も中身が減っている。
そこでようやく自分が乾いていたことに改めて気付いた。
心底喉が渇いた時はただの水でも至高の清水に思えると言うが、どうやら本当らしい。
「食糧も揃えている。気は進まないかもしれないが蓄えられるうちに蓄えた方がいい。
彼らの看病は私に任せて、今は英気を養ってくれ」
サンドイッチやピザの箱を机に並べ席を立つグラハム。
阿良々木達が眠っている部屋を開け、部屋にはスザク一人となった。
「………………」
おもむろにサンドイッチを手に取り片手で器用に封を開ける。中身はレタスに包まれたトマトサンド。
口に運び、租借し、飲み込む―――気が起きないので水で無理やり流し込む。
食指が湧かない。体に必要なのは分かるがそれを受け付けない。疲労した状態ではままあることだ。
せき込みかけながらも1人分を完食し終え、椅子に体重を投げ出す。
部屋の2人が目を覚ますまでこのまま弛緩していようとも思う中で。
一つの黒い影を見た。
「…………アーサー」
呼び声に振り向くことなく一点を見つめる黒猫。白で統一された部屋の中で目立つ黒い毛並みの背中をこちらに見せている。
視線の先には、毛布で隠された大きな膨らみ。
僅かに、赤く滲んでいるのが見える。
油の切れたゼンマイ仕掛けのように鈍い脚を動かし傍まで腰を下ろし片腕でアーサーを抱え上げる。
……中身は、見ない。「それ」を見ても感じるものは先と同じだ。
告げるのはあの一言だけで十分だった。ものいわぬ骸に何を語っても、酷く空しいだけだ。
そのまま席を戻ろうとする途中に、指先に鋭い痛みが走った。見れば、いつものようにアーサーが指を噛んでいる。
その感覚も、今ではどこか懐かしい。
椅子の近くで下ろし、適当な皿に水を注ぎパンを添える。
と、何が不満だったのか机に昇ったアーサーはそこに置いてあった複数のデイパックのうちひとつを弄っている。
そこに入ってる何かを出そうとするように。
スザクもそれが気になり荷を開く。そこから出てきたのは、
にゃあ。
にゃあ。
…にゃあ。
猫だった。三毛と子猫の。
「……猫?」
こんなにいたのか。主催は何を思って猫を支給したというのか。
自分らにとってのアーサーのように、この猫も参加者が飼っているのものだろうか。
デイパックの中は窮屈だったのか体を大きく伸ばす2匹の猫。アーサーもそれに釣られて体を震わせる。
見た所仲がいいらしい。外に出してやりたかったのかとアーサーの心中を考えてみる。
1匹が3匹に増えたことで水とパンを少し増量する。いずれも地面に降り、近づき鼻をひくつかせている。
やがて揃って水を呑み始めた3匹を見て、今度こそスザクは四肢を投げ出した。
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最終更新:2010年09月09日 00:41