GEASS;HEAD END 『戦場』 ◆hqt46RawAo



――その攻防は十秒にも満たぬ程の短い時間の上に織り成されている。


結論から言えば、東横桃子の読みは的外れもいい所であった。
ルルーシュを殺した瞬間、全員の注目がそこに集まる。
己の姿が知れるには少し時間が掛かる。
確かにその読みに間違いは無い。

しかし、そこで『己が優位に動ける』という考えは度し難い勘違いと言わざるをえないだろう。
簡単に言ってしまえば、彼女はプロを舐めていた。
デュオ・マックスウェルアリー・アル・サーシェスを侮っていた。
あの時、最も早く動いたのは桃子ではなく、憂でもなく、その二名だ。

桃子の考えとは相手が素人であった場合、つまり平沢憂のみを想定した状況のことだった。
彼女が期待する隙など、かの二名は決して与えまい。

まず、サーシェスは状況理解を必要としない。
場の抱える事情に関係なく行動できる立場を確立していた。
なぜなら彼は完全なる部外者、故に最も行動が早かった。結果がそれを証明する。
もしサーシェスの隣に居た人物がデュオ・マックスウェルでなければ、
それこそ隙をさらしていた桃子と憂は自覚する間も無く、まとめて撃ち殺されていただろう。

次にデュオ。
彼こそはあの場で最も早く状況理解を得ていた人物だった。
事情背景に関しては憂とは違い、桃子とルルーシュの関係を知らぬ彼には理解が出来ない。
だがそれと現在の状況とはまた別だ。
いま起こっている事態、しなければならないこと。
それに関しては事情を知る平沢憂よりもはるかに早い段階で理解し、実際に動いている。


――事実、その瞬間における彼の心情はかなり凪いだものだった。


(くそッ……! やっかいな事になったな。 『最悪の想定』通りによ……っ!)

想定通り。
射殺されるルルーシュを見た彼の感想とは、短縮すればその一言だった。
頭に最悪がつくものの想定していた事態の一つ。
この危険分子たる少女を抱えた状況での合流、十分ありえるし嫌な展開だ。
彼は分っていた。にも拘らず防ぐことが出来なかった。
この点については責められまい、存在を隠蔽する相手を想定することなど流石に無理がある上、
彼はサーシェスにも注意を裂かなければならなかったのだから。

とはいえ、突然の攻撃に驚くでもなく、倒れるルルーシュを心配する心情でもなく。
ただ一瞬の理解と、次にするべきことのみでデュオは己の思考を彩っていた。
まず銃を抜く。
それは理解しているし、既に自分の手は頭が働く前に、勝手に動くようにしてフェイファー・ツェリザカのグリップを握っていた。
問題は銃口の向かう先。

(この女たしか……あの時の……ずっと俺達の近くにいたってことか!?)

目下最大の危険は目の前の――そう今ならば見える――空間に突如『出現』した東横桃子である。
彼女は銃を持ち、ルルーシュを攻撃した。
ならば次に狙うのは平沢憂か、はたまた自分か。
いずれにせよ止めなければならない。
殺してでも、その額を狙い撃ってでも阻止せねばならず、
またそれはデュオにとって容易に可能なことだった。

相手は素人だと一目見て分った。
今まで正面に居た事に気づかせなかったことには、ただただ驚嘆させられる隠密性だが、
この自分や隣に居た少女の前でこうもアッサリと身を晒すなど自殺に等しいだろう。
撃ち方一つで技術の無さも明白。
まさかこの滅茶苦茶な奇襲でデュオの動きを止められると思ったのだろうか、単純に不意を撃てばそれが活路になると信じたのか。
だとすればやはりただの一般人。本来はこのような戦場になど居るべきでない人間。
一撃目は痛いが、その後の対処は比較的楽な部類に入る。

にも拘らず、

「くそ……」

デュオは動けない。

「くそ、コイツやっぱり……!」

なぜなら、この時彼の隣に居た人物は、

「――はッ」

「やっぱコイツも動くつもりかよ……!」

傭兵、アリー・アル・サーシェス。
デュオと同質の生業を持つ人物であったが故に。

隣を歩いていた茶髪の少女は、デュオとまったく同時期に銃を抜いていた。
防げなかった第二の脅威による襲撃。
そして、このタイミングで動き出した第一の脅威。
最悪の事態は連鎖して泥沼へと。

これもまた予想しなかった展開ではない。
二人目の侵入者による奇襲が成立した場合、かなり高い確率で、混乱に乗じて一人目も動くだろうとは思っていた。
だからこそ、そんな状況を生み出さないように警戒していたというのに。
悪い想定とはそもそも、未然に防ぐために在る物で、実際に起こってしまえば対処の難度は何倍にも膨れ上がっていく。

「クソッタレがっ!」

感情を握りつぶすように振り切って、銃口の向かう先を変えた。
東横桃子を捨て置き、サーシェスへと。

彼には分っている。
東横桃子を放置すると言う事は、半ば平沢憂を見殺しにするに等しいのだと。
憂は気づいていない、ルルーシュの死に気をとられ、桃子を見ていない。
このままでは、死ぬ。

(くそ……それでも……コイツを放置したら……!)

だが素人の少女と、手だれの少女、己が対処するべきはどちらか。
分りきっている。

(コイツを放っておくわけにはいかねえ!)

東横桃子を倒している間に、サーシェスが何をするか、想像するだにおぞましい。
悪くて全滅、良くて生き残るのはデュオ一人。
こうする以外に、選択肢は無い。

(けどまずは、それ以前に俺がコイツに勝てるかどうか……!)

サーシェスの狙いは、やはりデュオだった。
敵もまた、一番最初に黙らせる対象を心得ている。
ここでデュオが倒れれば、サーシェスを止められる者などいない。
平沢憂はきっと冷静に動くことなど出来ない。
仕掛けてきた東横桃子など論外だろう。

結局彼には選択肢など、最初から用意されていなかった。
ただ正面の敵と正面からぶつかる事しか出来ない。

「「――――ッ!!」」

後に銃を付き合わせる少女二人。
その数秒前、二メートル手前で既に、二つ銃口は交差する。
互いの右手が合わせて円を描くように旋回し、互いの頭蓋を狙い撃たんとする。

(間に合え)

勝負は一瞬。
初動、銃を抜く速度、腕を伸ばすスピード。
どれも両者は劣らない。
完全に、同時。

(間に合えッ)

ならば差をつけるのは何か?
念じる力か、思いの強さか、心の在りようか。
どれも、否だ。

(間に合え――――!)

差を発するのは事実。
形容できない感情論ではなく、ただそこにある事実のみ。

(間に――)

バチ。
と、音が鳴る。
電光と共にサーシェスが振るう腕、その速度が跳ね上がる。
体内電流操作。
腕の神経、筋力、そこに駆け巡る電気信号がただ一つの命令を実行するために、倍加速で流動する。
つまりは撃て、殺せ、それだけの為に敵を凌駕して辿り着けと。
かくして小さな紫電纏わり付く少女の細腕は、その内部にて圧倒的な動作伝達回路を実現し。
デュオの腕より速く、中心点に辿り着く。
引き金が、引かれる。

「間に合ええええええええッ!」

寸前に、足刀によって払われた。
ぱしっと軽い音とは裏腹に、サーシェスの右腕は行き過ぎるように、右に流された。
腕を強制的に、折り畳ませられた。

「!?」

何が起こったのか、という表情をサーシェスが浮かべている間に、
数瞬遅れて、デュオの銃口がサーシェスの額に押し当てられる。

その蹴りは保険。
銃を抜く動作と並行して、前もって放たれていた蹴撃。
確かに制圧は難しい間合いだ。拳もナイフも敵の身体に届かない。
しかし蹴りならば、伸ばされた腕の更に先にある銃口を狙うならば――当てることは可能。
銃撃と同時動作で片足を上げる一連の挙動。無茶な姿勢。
可能としたのは精神論ではなく、ただの事実。
デュオの方が壁に近かったというその一点。
左手を壁についてバランスをとれるメリットを持っていたという、それだけだ。

「んなにィッ!?」

少女の顔が、驚きと危機感に歪む。
その顔に向けて。

「喰らえッ」

銃口は火を噴いた。
響く轟音。
額へと真っ直ぐに突き進んでいく銃弾。

「ぐぁッ――――!」

瞬間、頭を撃ち抜かれて弾かれるように、凄まじい勢いで仰け反る少女。
そのままふらりと、サーシェスの全身から力が抜けていく。

(やったか……!? 次は……)

一つ目の脅威を潰すと同時、二つ目に目を向ける。
即ち、東横桃子。
彼女はまだ動いていなかった。
いくら素人とはいえ動作が鈍すぎるような気がしたが、なんにせよ好都合。
これ以上死人が増える前に、無力化する。
そのために、銃口を動かす。
それが間違いだと気づかずに。

「……!?」

跳ね上がった。

力が抜けきり、後はもう仰向けに倒れるだけに思われたサーシェスの体躯。
その右腕だけが生きているかのように、上げられる。
デュオ・マックスウェルの、心臓を狙う軌道上に合わされる。

『甘めぇなぁ。他人なんか気にしてるからだよ』

仰け反りながら首を僅かに上げて哂う少女から。
電速で仰け反り、銃弾をかわしていた少女から。
そんな声が、聞こえたような気がした。

(――しまっ)

無慈悲なる発砲。
体感時間に反して二人の銃声はほぼ同時期に発せられている。
倒れ行くもの、起き上がるもの、入れ替わるように、立ち代る。

(ちく……しょう……)

己の胸部から噴出す血飛沫を見て、デュオは叫びだしたい衝動に駆られた。

(畜生ォ!)

だが声が出ない、口から溢れる物は粘ついた血糊だけだった。

(こんな所で、終わるのかよっ……)

まだ何も守れていないのに、やるべき事が為されていないのに。
何も出来ずに死んでいく。
守るべき者を残して終わる。
守ろうとした故に、己は死ぬ。

(なんてこった……。あーあ)

自分に呆れる心境で、彼は一人、心中で呟いた。

(俺ってかっこ悪い……)

すとん、と。
壁に背を付けて、滑るように落ちていく。
己の背中が壁に擦り付けられて、赤い血で一本の線を書く。

その音だけが、何故かやけに耳に残った。












――Next Chapter▽



■ 『ニノ章:対決4/LEVEL1 -wickedness- 』 ■


その問答はどれくらい前の事だったろう。
おそらく一日も前のことではない。
けれど何故か、桃子には遠い昔の事のように感じられた。

そう、あれは確かまだ彼女と出会って間もないとき。
デュオ・マックスウェルや両儀式秋山澪と出会うよりもずっと前、まだルルーシュと彼女と桃子の三人きりで、揚陸艇で行動し始めていた時期のこと。
あの狭苦しい船内で、桃子は彼女――平沢憂に問いかけた事があったのだ。
状況は確か、ルルーシュが展示場の次にむかう施設を考えていて、最終的にホールに行く事が決定するまでのごく短い間のこと。
どうにも退屈だった桃子が看板に出ていったとき、はち会ってしまった時だ。

『あ……ゴスロリさん……』

『……えっ? あ、どうしたの……っと確か東横桃子さん、だっけ』

潮風が吹きぬける船上で。
そう確かこんなふうに、まだこの頃はお互いにぎこちない空気だった。

『ちょっと風に当たりに……。ゴスロリさんは何をしてたんすか?』

『私は……私も、風に当たりに、かな』

『そっすか、私と同じっすね』

それだけで長い沈黙が流れた。
あの時期は確か、彼女に対して少なくない苦手意識を感じていたと、桃子は憶えている。
だからこそ気まずくなってしまって、ふとした拍子にあの質問を投げたのだ。

『ねえ、ゴスロリさん……あなたは、人を殺したことがあるっすか?』

『うんあるよ』

返答は思いのほか速く、軽い調子だった事を記憶している。

『……』

その調子に少し引いた。
というよりも怖かったのだと思う。
彼女の異常性をあの時の桃子はまだ意識できていた。
単なる慣れか、それは桃子自身が彼女と似たようなものに切り替わったからか。
今はもう感じなくなっているけれど。

『……じゃあ、えと……じゃあゴスロリさんには……』

だが、その時は若干ビクビクしながら、勇気を出してそれを聞いたものだ。

『人を殺してでも守りたい人……生きていて欲しい人はいるっすか?』

『………………』

長く、冷たい沈黙だった。
けれど最後には、彼女は笑顔でこう言った。

『いないよ。私が守りたい人なんて、どこにもいない。私は自分が死にたくないってだけだから』

回答には安堵した。
そもそも、質問の動機はこれと同じものでありたくないという、少し汚い感情だったように思う。
だからこの時、ああやっぱり彼女と私は全然違うものなんだなと、
桃子はほっと胸を撫で下ろしたのだ。

「そっすか」

そして少し軽くなった心地で、そこから立ち去ろうとしたとき。
彼女がポツリと呟いた言葉は今も耳に残っている。

『……いなくなっちゃったんだ』

『え?』

『私の内側からね、消えちゃったんだ。不思議だよね。
 あんなに強い想いだったのに、どこに行っちゃったんだろう……?』

『ゴスロリ……さん……』

『でもね、だからかな、今は心も身体もすっごく軽いんだよ。ほら』

そう言って彼女はふわりと風に舞った。
ゴスロリのヒラリラと、一つに纏められた彼女の髪の毛がふわりと揺れる。
実に軽やかな、身軽というよりも宙に浮かぶようなステップ。

なるほど、と桃子は納得する。
元の彼女は自分と同じような道を歩いていたのかもしれない、と。
けれどやっぱり、彼女は私とは全然違うのだ、と。

東横桃子は抱え込み、平沢憂は捨てた。二人は決定的に違う。
だから彼女はあんになにも気楽そうなのだ、だからあんになにも軽いのだ。
抱えるものがないから、背負うものがないから、全てを投げ捨てて楽になる道を選んだから。

彼女に何が起こったのかを知る機会は、結句その後も来なかった。
あの蟹が絡んでいたのではないかと、今更ながらに考察するが最早それも意味のないこと。
ただ、そのとき、
桃子は、目の前で優雅に浮かぶ彼女を――鎖から解放されて笑顔を浮かべる彼女を心底――羨ましいけれど――

哀れだな、と。
やはり、なんとなく思っていた。
だってその時の憂の軽やかな笑顔は、桃子の目にはどうしても、幸せなものには見えなかったから。

そして出来る事なら尋ねてみたかった。
そんなに寂しそうな笑顔を浮かべていて、何が幸せなのか、どこが楽なのか、と。




「っぁぁあああああああッッ!!」

振り返る。首に続き、全身を反転。
銃を握る右手は胸元を通過して新たな敵に突き出される。
さらに同時、沈ませる姿勢。
曲撃ちの様な動作でありながら、動きにムダや間違いは一つもない。
狙いのつけ方も、姿勢も、反動の逃がし方も完璧。
もう言い切ってしまって構わないだろう。平沢憂は紛れもない天才だった。
驚愕と恐怖に見開いた目を更に開き、手は震え、膝は震え、声は震え、全身が悪寒に支配されている。
誰がどう見ても狂乱状態。
にも拘らず、ここまで正確無比な射撃動作を実現したのだから。

「消えてッ!」

三度目の銃声が鳴る。

「おっせえッ!!」

サーシェスは全身に電流を走らせる。
さながら回路を開拓するように、車を動かす為のガソリンをエンジンに注ぎ込むように。
ギャギャギャギャッという急ブレーキの如き摩擦音が銃声に負けぬ音量で廊下を軋ませた。
サーシェスは足を上げる事すら無く、弾丸を横に回避する。
右足で地面を蹴る動作だけでスライド移動を行いかわし切った。
人体の限界から逸脱した行為、かの枢木スザクですらこんな芸当は不可能だろう。

「チッ」

回避行動と同時、サーシェスは既に弾切れとなったコルトガバメントから弾倉を弾き出した。
デュオ・マックスウェルを撃ち殺す段階で残弾はすでに一発のみだった。
連戦、怪我、その後すぐ再捕捉されたこともあり、装填する暇がなかったのだ。
新たな弾倉を送り込むまで最低でも残り一、二秒は掛かる。

「……くはっ!」

そして、痛む全身の筋肉。
今の回避運動、おそらく連発することは出来ない。
この若干人間離れした動作は能力と、そして調整されたシスターズの身体があってこそ。
しかし何度も何度も繰り返し使えば当然身体にガタは来る。
能力行使には体力使用、カロリーを搾り出しているのだから当然だ。
加えて今は応急処置は施したとは言え、傷も負っている身。
銃弾をかわすほどの動作をそう何度も連発していては、限界はすぐに来るだろう。


故に、この戦いは次の一合で終わらせる必要性が有る。
にも拘らず、銃弾が無いのだ。

(くくっ! やっぱ……おもしれぇよなぁ! 戦争ってのはよぉ!)

では、この避けられない隙をいかにするか。
いつ誰の血が迸るかもわからない鉄火場の渦中、サーシェスは状況を最大限楽しんでいた。


一方で東横桃子はとても楽しむ気には為れなかった。
もう、計画もステルスもガタガタだ。
正面切った戦いで己が生き残れるとは思えない。

(いま……私のするべきことは……!?)

迫る死の影、絶望に停止しそうなる思考回路を無理やり回す。

(目の前の敵を……殺して……)

先程まで平沢憂を捕らえていたはずの視線と銃口は、一瞬にして標的を見失っていた。
一拍子遅れて、憂が屈みこんで射線から逃れたのだと気づく。
同時に彼女が今、こちらに背中を向けていたことも。
なんという無防備。
だが仕方のないことだろう、平沢憂にとって今一番の脅威たるはあの茶髪少女。
何しろ戦闘開始と同時に背後を取られている。
すぐさま対処しなければ無防備な後頭部を撃ち抜かれてしまう。
正面の桃子にかまけている暇などない。

しかし、その対処のために桃子に背を向けていては本末転倒だ。
一番の脅威に対処すれば、二番目の脅威に刺される状況。
サーシェスと桃子に挟まれた憂は不運にも、最初から絶対的不利な位置に立っていたのだ。
桃子は両腕で握った拳銃を下ろしていく。
焦る気持ちを抑えながら、憂の背へと射線を再調節して、

「――――!?」

視界が、襲い来る凶刃でいっぱいになった。

(これ……は、ヨーヨー!!)

今度こそ、その一撃を制止するものは誰も居なかった。
ザリザリと肉をこそぎとる嫌な音。
三度目の鮮血が宙を舞う。

「つッ……っ……あぁあぁッ!」

経験した事のない衝撃に、声を抑えることが出来なかった。
痛いというよりも熱い。ジクジクとした疼きが切り裂かれた肉から発せられる。
肩口から血を迸らせながら、桃子は激痛に咽ぶ声を上げて後方に転倒した。
頭が思いっきり床に叩きつけられ、視界に星が幾つか散る。

(……ぁ……ちが……う……!)

仕掛けヨーヨーの顔面直撃コースを逃れられたのは幸運と経験の賜物、としか言いようがない。
憂は右手の拳銃でサーシェスを撃ち、左手のヨーヨーを腰元から飛ばして桃子を撃つ。という隙の無い同時攻撃を実践していた。
利き手ですらない左手で、背後に立つ桃子の顔面を狙い穿とうとした彼女のコントロールは驚嘆の域である。
けれど流石に、視界にすら入れていない場所への攻撃となると、どうやっても精度の下降は否めなかったらしい。
さらなる要因として、桃子がこの不意打ちを受けたのは一度目ではない。
初対面たるあの時、同じように顔面に飛来したギミックヨーヨーは桃子の記憶の中で絶対に消せないものとなっていた。
それが、事前に無意識の回避運動を誘発させ、桃子は致命傷を避けることが出来たのだ。

(私は……なにを……やってるんだ……!)

だが顔面破壊を免れたところで窮地を脱したわけではない。
代償として右肩口が大きく斬り裂かれた。
幸い動脈は傷ついていないが、決して少なくない血液が身体から溢れ出している。

(殺す事なんかじゃ……ない……)

完全なる失敗を悟る。
東横桃子とは存在しない者。
そのスタンスを崩して憂を殺しに掛かった結果がこれだ。

(消えなきゃ……)

影となる、居ない筈の殺人者となる、それが己の戦い方だったはず。
桃子は床を這って凶弾から逃れるべくあがきながら、その為の最優の方策を思い出す。

「麻雀牌……を……切る……感覚……」

切る、切り捨てる。

「不要牌を……切る感覚…………」

イラナイモノを切り捨てる。

例えば敵、
例えば味方、
例えば友達、
例えば家族、
例えば倫理、
例えば情、
例えば絆、
例えば善意、
例えば悪意、
例えば殺意、
例えば愛憎、



例えば私。



一切を無に変えて、無に変わる。



それこそが――





「死んでッッ!」

平沢憂は念じる、そして叫ぶ。
初弾こそ外れたものの、次の一撃は外さない。
敵のリロード、その最大の好機を活かす。
この距離ならば、捉えることができる。
サーシェスは構う事なく、空になった弾倉を吐き出したが、それでは憂の目にもサーシェスの弾切れは明白。
後は慎重に狙うのみ、のはずだ。

――

(嫌……だ……)

思えば、平沢憂はそればかり考えていた。

――


「こっちはこっちで、やかましい嬢ちゃんだなぁ! ま、クソ素人の消える嬢ちゃんよりは、多少は話になるみてえだけどよッ!」

勝負はサーシェスのリロードとの競争。
とはいえ敵が普通の手合ならばこちらが先んじるに決まっている。
相手は弾倉を取り出して、送り込む二動作。
対してこちらは引き金を引くだけの一動作。
負ける道理がない。

だがこの相手は普通の手合いなどではありえない。
傭兵、戦争屋、プロ、その中でも郡を抜いた手腕を持つ者。
名をアリー・アル・サーシェスなれば、ただの才能あるだけの素人が、それを超えることなど許されない。
決して埋められぬ才の差がこの世に在るように、決して埋められぬ経験の差が、ここに存在する故に。

――

(嫌……嫌だよ……!)

この島に着てから、そればかりをずっと考えていた。
暗闇を歩いたときも、初めてディパックを開いたときも。
初めて、他の参加者に出会ったときも。

――

「……な」

後ろの回されていたサーシェスの左手が、憂にむけられた。
そこにある筈のない銃がある。
黒く、巨大な銃器。
フェイファー・ツェリザカ――倒れるデュオ・マックスウェルの手からもぎ取った代物。
それの銃口が憂を捕らえている。

「ッ―――!!」

反射的恐怖から、憂はそれを撃ってしまった。
狙いは見事なもので、サーシェスの左手から拳銃は弾け飛ぶ。
床の上を転がって、主人の下に戻るようにデュオの足元に転がっていった。
憂はそれを見送った後、今度こそサーシェスの心臓を撃ち抜こうとして、


「……はッ!馬鹿がッ、かかったな」


その状況変化を目の当たりにする。
片足を軽く上げたサーシェスを目視する。

その一瞬前、サーシェスは腰元に挟んであった弾倉にむかって、肘を振り下ろしていた。
当然の理として、弾倉はサーシェスの足元に落下する。
けれどそれを拾わない。手を伸ばさない。屈んだりしたらそれこそいい的だ。
これはミス、なのか。
しかし、弾倉が床に落ちる音はしなかった。代わりにトンッと言う音をたてて、弾倉はサーシェスの足の上で停止した。
軽く持ち上げたつま先、靴の上で直立している。
ちょうどサッカー選手が落ちてきたボールを受け止めるように、鮮やかに丁寧に、けれどここから先は――鮮烈に。

――

(……死にたく、ない……!)

始めて人を殺したときも、憂はその思いに支配されていた。

(死にたくない……死にたくない……死にたくないよッ!!)

二人目を殺したときも、三人目を殺そうとしたときも。

(私はまだ……死にたくないよぉっ!)

そして今も、その叫びが、心の内を駆け巡っていた。

――

サーシェスにとって、左手の銃はこの一動作の為だけのブラフ。
リロードに繋げる、間に合わせる為だけの罠。
一瞬だけ銃口を逸らすために。
銃に関する知識のない憂は知らなかったが、そもそもフェイファー・ツェリザカはシングルアクション。
撃鉄を引く手間を考えれば、迎撃に間に合うはずも無い。
危険など無かった、放置すればよかったのだ。
けれど今となってはもう後の祭り。もう間に合わない。

「…………そんなっ」

引き金を引く、ただそれだけの事なのに体が重い。
自分の体がスローモーションで動いているような錯覚に陥っている。
憂の意思に反して、指はゆっくりゆっくりと緩慢な仕事をする。
対して、拳銃越しに見える敵の動きは遅すぎる世界の中で唯一の自由を得ているかのように。
世界法則を破るように、

「――ちぇいさァッ!!」

雷速一閃の上昇蹴撃が天にむかって跳ね上がる。
弾倉を乗せた蹴り上げがコルトガバメントの銃底に叩き込まれる。
迎え入れるように開かれた漆黒の入り口へと、新たな凶弾が飛び込んでいく。
憂が引き金を引ききるよりも――速く。


――

(助けて……)

そして同時に、憂はいつもそう叫んでいた。
一人目を殺したときも、二人目を殺したときも、三人目を殺そうとしたときも。

(助けてよ……)

口では誰かを守るためと言いながら、誰かに死ねと告げながら、その心の中ではいつも恐怖に泣き叫んでいた。
怖いのだと、死にたくないのだと、助けて欲しいと。
今も変わらず、叫び続けている。

(助けてよっ……助けて…………お□え□ゃ□……)

けれど、今はその先がノイズが掛かったように分らない。誰に助けを求めればいいのか分らない。
手を伸ばしたくても、伸ばす方向を失っている。
なぜなら、憂が誰よりも大切に想い、そして誰よりも憂を大切に想ってくれていた存在。
平沢憂の救いそのものだったあの人は、彼女自身がすでに切り捨てていたのだから。

――


「たすけて、おねえ――」

だからその名を呼ぶことは許されない。

「あばよ」

轟音。

先立ったものは浮遊感。
胸に刺すような衝撃を覚える。
押し出されるように全ての酸素が口から排出される。
撃たれた。
認識と同時、憂は壁にたたき付けられ、床に倒れる。
四肢が投げ出され、視界が揺れて天井を映す。

救いは、やはりどこにも見えなかった。

「……ぁ」

そして最後に縋ったのは、『あの人』の代わりに為ってくれるかもしれなかった彼のこと。

「たす……けて、ル……ル……ーシュ……さん……」

けれどその彼すらも、先程いなくなってしまった。

「……」

平沢憂は終わりを見る。
今の一撃が、例え致命傷で在ろうと無かろうと、関係ない。
もうすぐ全てに幕が下りるのだろう。

なにか奇跡でも、起こらない限りは。


時系列順で読む


投下順で読む


283:GEASS;HEAD END 『離別』 東横桃子 288:GEASS;HEAD END 『死神』
283:GEASS;HEAD END 『離別』 アリー・アル・サーシェス 288:GEASS;HEAD END 『死神』
283:GEASS;HEAD END 『離別』 デュオ・マックスウェル 288:GEASS;HEAD END 『死神』
283:GEASS;HEAD END 『離別』 平沢憂 288:GEASS;HEAD END 『死神』


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最終更新:2011年08月04日 09:05