GEASS;HEAD END 『死神』 ◆hqt46RawAo





「なんだそりゃ?」

首を傾げるしかない、というのがサーシェスの率直な感想だった。
コルトガバメントの連射、確かに『吹っ飛べ』という意志を込めて撃ちはした。
が、これはいくらなんでも吹っ飛びすぎではないか。
一発目が平沢憂の胸元に直撃した瞬間、彼女は文字通り後方にぶっ飛んだ。
角度の関係で壁に激突して止まったものの、事と次第によっては廊下のむこうまで飛んで消えていたかもしれない。

「たく、ふざけた奴ばっかりだな。俺も人の事言えた身じゃねえけどよ」

なんにせよ、そのせいで一発目以外の銃撃の全ては憂の身体を捕らえることが叶わなかった。
しかも確実に胸倉を打ち抜いたと思ったその一発目は。

「それになんだ、その亀は? いつの時代のドラマだってんだよ」

倒れた憂の懐から顔をだした一匹の亀、名をカメオ。
彼はただの亀ではない、その堅牢なる甲羅は銃弾すら通さない。
すでに一度銃弾を防いだことによりくぼんだ背中に、更に鉛球を打ち込まれた彼は非常に不愉快そうな顔をしていたが、
どうやらその身も無事のようだった。
であるならば当然、ペンダント状になっていた彼を身に着けていた平沢憂も。

「っ……ぁ……けほっ……けほっ……」

「息がある、みてえだな」

蹲る憂が激しくむせかえった。それは生存の証。
しかし既に力が抜けきっているのだろう、起き上がる気配も見せない。
虚ろな目で、虚空を眺めている。

「しゃあない、めんどくせえがさっさとトドメを……ん? そういやアイツはどこ行った?」

そこでサーシェスは気づく。
音の消えた廊下、そこに在るはずの人間が欠けている。
東横桃子が、いない。

「逃げた……か……それとも……?」

先程背後から刺された痛みはまだ消えていない。
同じ鉄を踏むものか、と。
背後を振り返るも、やはり誰もいない。

「んーっと……」

サーシェスは少しの間、指を顎に当てて考え込む。

そして、

「おし、ここはいっちょシンプルに行くか」

自分のディパックの中から接着式爆弾を一つ掴み。

足元に落ちていたディパックから『COLT M16A1/M203』を取り出して。

爆弾を後方に放り投げた後。

グレネードランチャーを前方に向けた。

「そいじゃ死ね。……ていうかよ、『お前さん』いつまで死んだフリしてんだ?」

返答を待たずに、平沢憂にむけてトリガーを引く。

一瞬にして、廊下が爆煙に包まれた。
炎が通路上の酸素を燃やしつくし、やがて引いていく。
サーシェスを囲うように、けれど傷つける事無く。
一切の逃げ場を殺す。

「なるほど、死ぬまでか?」

しかし、その返答は遅れて返された。

「違う……な……間違って……いるぞ……!」

掠れていた、消えそうなくらい小さかった。
だが力強い声だった。
爆煙の晴れた向こう、平沢憂の目の前に、一人の男が立っている。
頭部からだくだくと血を流しつつも、そこに立っている。
爆風に対する盾にしたのだろう焼き切れてボロボロになった『歩く教会』を片手に掴んで。
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、アリー・アル・サーシェスの前に立ちはだかっていた。

「へぇ、やっぱり生きてやがったか。しぶとい奴が多いねえ。楽しい限りだ」

「そいつは……良かったな……」

「ああだが、もうお終いときた。残念でならねえよ」

そう言ってサーシェスは、本気でつまらなそうにしながら突撃銃を構えなおす。

「それは、どうかな……?」

ルルーシュは、それに不敵な笑みをもって答えた。

「見ろ」

手に持っていたスイッチを小さく振る。

「俺が死ねば……この船は吹き飛ぶように設定してある。
 まあ、コイツを押せば事はもっと手早いがな……。意味が、分るか?」

「………………は?」

その言葉に、
サーシェスは一瞬だけ、キョトンとした表情を浮かべた。
しかし、すぐに絶えられないと言うように身体を折り曲げて、

「――はぁ? はッ、は、は、はッ、ッハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」

盛大に吹き出した。

「な……っなんだそりゃお前ッはははははッ! そんなのアリかよッ! ははははははッ!」

目尻に涙すら浮かべながら、
片腕で腹を押さえ、
銃口を下げる事だけはなんとか堪えながら爆笑する。

「さ、最高のジョークだな……はははッ……ウケ狙うなんざズルってもんだろ……」

対照的に、ルルーシュは表情を一切も崩さない。
同じ口調で同じように告げる。

「ジョークかどうか、試してみるか?」

「ははッ……い、いや、いいさ。なんか白けちまった。いやいや悪い意味じゃねえぜ、だがやっぱそれはずりぃだろ?」

「……………ならどうする?」

「いいぜ、話くらいは聞いてやる。その、なんだ、爆弾? を使われちゃ怖いからな……ぶっ……はははははッ!」

本気で哂い転げかねないサーシェスをルルーシュは呆れたような目で見つめていた。

「そんなに……可笑しいか?」

「ああ、最高のギャグだ」

そのあまりに見え透いたハッタリ、透けすぎて事実に聞こえかねない言葉がはたして、どのようなつぼに入ったのか。
サーシェスの笑い声は暫く止みそうに無かった。

「生き汚ねえ奴は嫌いじゃないんでな。で、交渉したいってのは事実なんだろ? 仲間が一人殺られたってのによ」

「ああ」

「聞かせろよ?」

「俺達につけ。その代わり、この船の設備とこちらの装備をいくつか提供してやる」

「なるほど、好待遇で迎えてやるから味方に付け、と」

「悪くないだろう?」

最初から内容など予想してだろうに、サーシェスは考え込むような動作をする。

「ああ確かに、だが困ったもんだな……? 俺はもう既に雇われの身だ。クライアントは先着順でね。
 雇い主を裏切って寝返るような尻軽を晒すとあっちゃあ、商売の今後に関わっちまうんだが?」

「なに簡単な事だ。寝返ったフリをすればいい。お前は今の雇い主との契約を果たすために、俺に雇われろ」

「あー、なるほどな」

それは予定調和の会話だった。
台本を読むように、あらかじめ決まっていたセリフで構成される会話、演劇。

「なら、いいだろう。俺はあくまで雇い主のために、一時的にお前に雇われる。悪くない」

「交渉成立か?」

「ああ。実は元々、話は聞くつもりだったしな。
 テメエともっと早くに話せりゃ、事はややこしくならずに済んだんだがねぇ。
 まあいい。それでさっそくなんだが。着替えと傷の手当をしたい」

「ならその廊下を真っ直ぐって右に曲がって最初の部屋に行け、そこに着替えとシャワー室がある。装備は後で見せやろう」

「了解だ。
 大将……じゃあ被っちまうな。旦那、また後でな」

そしてサーシェスは背をむける。
何も警戒せずに、踵を返した。
それは確信と信頼によって行なわれた行為であり、間違いは無かったが。

「まて」

呼び止める声があった。

「ん?」

「代わりに、お前は知っていることを全て話せ。その身体のことも、思惑も、もちろんお前の雇い主とやらに関してもだ」

「…………」

その言葉に、サーシェスは長い沈黙の後、

「ああ。かまわねえよ。お安いごようだ」

瞳を赤く染めて答えた。



「あ……が……あ……くっ」

ルルーシュは、しばらくの間、仁王立ちに構えていた。
けれど結局は激痛に耐え切れず、廊下を曲がるサーシェスを見送った後、膝をついてしまった。

爆風は防ぎきったものの、頭の血は止まらない。
痛みも止まない。早急に手当てしなければならない。

「ルルーシュ……さん……」

声のしたほうを見れば、憂がこちらに向かって目を見開いていた。
信じられないと言うように、現実に呆然としている。
どうやらどんな感情よりも驚きが先行しているようだ。

「……はッ、どうした憂? 幽霊を見るような顔をして。
 お前まさか、俺が死ぬとでも思ったのか?」

「……でも、なんで……頭……撃たれたのに……」

「大した……事はない、ふっ、桃子に……射撃に付いて……教えなかったのは……本当に……正解だった……な。あの……下手糞め……」

銃口をこめかみに密着させての自殺はよく見られる光景だ。
しかし、その方法は死亡出来ない事が、結構な確率で在り得る事でも有名だ。
確実に死にたいならば銃口は口に加えて引き金を引くもの。
こめかみでは撃つ瞬間に反動で手元が狂い、固定されていない銃身が跳ね上がることから、脳の重要な機関を打ち抜くことが難しい。
東横桃子のようなド素人ならば尚更だ。

「本当……に……?」

「ああ」

じわりと、憂の目に涙が浮かぶのが分った。

「本当に……生きて……」

「ああ、生きてるよ」

かすむ視界でも、彼女の顔がくしゃりと歪むのが見えた。

「嘘じゃない……ですよね……?」

「ああ嘘じゃないと、何度も言って――」

この怪我で、胸に飛び込んできた彼女を支えられたのはやはり、その重みが無かったからだろう。


「良かっ……た。良かっ……う……うああ……うあああああああっ……!」

子供のように泣き出した憂を見て。
ああそもそも、子供だったのかと、ルルーシュは一人で納得する。
同時に、どこまでも純粋なこの少女を、もう一度だけいつか裏切った唯一の肉親に重ねあわせ。
ゆっくりと、頭を撫ぜた。

「……約束……守ってくれないのかと……思いました……」

胸元に抱え込んだ少女の言葉を、受け止めた。
だけど、その純粋な瞳を正面から見つめるのには、また別種の痛みを伴う。

何故ならば、

「守るさ。俺が……お前を助けてやる」


その言葉だけはやはり、残酷極まりない嘘(悪意)なのだから。





ニノ章:悪意――了







感傷に囚われていたのはほんの一瞬のことだった。
今はもう心の硬化は済ませている。
泣きついてきた憂の頭を撫でながらも、ルルーシュは次の行動に関して考えていた。
少女が語った言葉を反芻する。

(アリー・アル・サーシェス、主催が用意した駒、用意された肉体、超能力、あちら側、サルベージ、そして『リボンズ・アルマーク』……か)

結果から言って、決め手となる情報は無かった。
しかし確かな前進を感じている。
幾つかのキーワードと、明かされた本当の主催者の名前。

(主催の命令に従わなければ殺される身でありながら、奴はここまで俺に喋って尚、なんらペナルティは無かった。
 これはつまり、この程度の情報は明かしてもいいと言う事か? 
 それとも……本当にこれもゲームの内だと言うつもりか? 首輪を外すことも、主催に近づくことすらも)

まだ、分らない事は多い。
だが、分らない事が見えてこその前進だ。

(だがやはりアイツは主催に繋がる者だった。戦力としても上手く使えば有用だが……)

果たして御しきれるのかと言う疑問がある。
最終的には味方に引き入れたが、やはりいつまで続くかも分らない状況だ。
なにより最大戦力の一つであったデュオを失ったことは痛い。

そう思って、デュオの死体に目を向けようとした時だった。

「…………?」

ズズズ、と何かを引きずるような音が聞こえる。

廊下の向こう、やはり誰もいない。
いやそもそも音はもっと近い。
もっと近くから、聞こえるはずの無い場所から聞こえてくる。
ゆっくりと、近づいてくる。

「……これ……は……?」

最初に見えたのは、音の発信源だった。
ずるずる引きずられるディパック、そこからそれを掴む手が見える。
後は比較的単純に、視認できた。

目の前に立つ、東横桃子の姿を見ることができた。

苦しそうに歩きながら、桃子はディパックを右手から離す。
当然の動作。
そうしないと目的を達することは出来ないだろう。
彼女は左手をぶら下げたまま、右手でポケットから拳銃を抜き取る。

「お……まえ……あの爆発の中で、無事だったのか?」

ルルーシュは動けない。
動くにも今度こそ本当に武器はない。
言葉も、この相手には通用しないだろう。
そしてルルーシュにしがみつく憂はまだ、背後の桃子に気づいてすらいないのだ。

「まあ、無傷では……無理だったみたい……っすけどね……なんとか……」

銃口が、ゆっくりとこちらに向けられる。
右手を上げるのも辛そうだ。

「そう言えば、あれがルルさんの能力っすか? 前に言ってた」

「ああ、実は見せるつもりなど、毛頭なかったんだがな……」

憂が漸く事態を把握し、自分の銃を探すが間に合わない。
彼女の銃は、彼女が撃たれた際に取り落とし、壁際まで離れてしまっていた。

「あはは……知ってったすよ。それくらいは……。
 それじゃあルルさん、今度こそさよならっすね」

「……ああ。まったく、お前は本当に……優しい奴だったよ」

「――ッ!」

そうして、引き金が引かれ、最後の銃声が轟いた。
これまでで一際高い音を響かせて、廊下の奥まで反響する。

着弾。

薬莢の落ちる音はしなかった。

ただ硝煙だけをなびかせて。

「…………くっ……なん……で……」

廊下の壁が吹き飛んでいる。
桃子から見て左前の壁がばこんと抉れて弾ける。
まだ、己は撃っていないのに。

事態の把握に、彼女は一瞬を要した。
右頬を伝う己の血が、そこを銃弾が掠めて言ったのだと知らしめる。
狙われていると、桃子は理解する。

「なんで……生きて……」

彼の生を告げられている。

「い……や、もう死んでるよ……」

声がした。少年の声。
変わらずに、そこに在り続ける死体から。

「とっくに……俺は死に体だ……けど……よ」

壁に背を預けるデュオ・マックスウェルの死体から、声が発せられている。

「そいつは……やらせねぇ………!」

立ち上がらない、血は止まらない。
だが、腕は上がっていた。銃を握っていた。
確かにまだ、生きていた。

「さっさと失せろよ……! 次は……はずしてやらねえぞ……」

デュオ・マックスウェルの双眸が、東横桃子を捕らえていた。

「………………」

桃子は僅かだけ迷った後に、拳銃へと飛びついた憂を見て。

「…………っ!」

意を決し、足元のディパックを右腕に引っ掛けて、廊下の奥へと走り出した。

「逃がさないッ……!」

「よせ」

その背後を狙う憂を、ルルーシュが制す。

「ルルーシュさん、なんでですか!?」

「俺に考えがある。だからあいつは殺さない」

「…………」

「分ったか?」

「まあ、ルルーシュさんが……そう言うなら……」

渋々と拳銃を仕舞う憂を、ルルーシュはもう見ていなかった。
真っ直ぐに、デュオ・マックスウェルに視線を向けている。
壁に背を付けたまま、一切動かない彼を見ていた。

「助けられたよ……ありがとう」

「ははっ……言ってろよ。この……タヌキ野郎……め」

笑いながら、デュオは悪態をついた。

「チクショー……騙された……ぜ。最初から……ずっと騙してやがったのか……この野郎……」

彼は言葉を掛ける。
東横桃子と関係があったルルーシュへ。
己を殺す人物とすぐさま手を結んだ男へ。

「五飛……殺したのも……お前……なんだろ……?」

そして戦友を殺した男へと。

「ああ」

「やっぱり……な。おかしいと思った……んだ……」

銃口を向けている。

「俺を殺すか?」

「ああ、殺してやりたいね……」

ごとん、と。
重たい響きと共に、廊下に銃が落ちた。

「鉛球の一発でも……ぶちこんでやりてえけど……さ……。もう、無理みてえ……だな……」

濁りきった目がルルーシュを見ている。

「もう駄目だ……見えねえ……畜生……血……流しすぎた……。
 くそ……当てるつもりで撃ったって……のに……」

彼が東横桃子に放った銃弾は『外した』のではない。
単純に外れたのだ。
狙う事が出来なかったのだ。

「なんでこんな中途半端に生きながらえちまったかなぁ……。
 なんで助けちまったかな……」

「…………」

「こんな奴助けて、俺が死ぬなんざ……くそ……やりきれねえ……ぜ
 あーあ……やっぱり俺って……かっこ悪い……」

そう言って空を仰ぎ。
けどよ、と続けて、
もう一度、デュオマックスウェルはルルーシュの目を正面から見据えていた。
力強い、最後の生に溢れた目でルルーシュの全身を射抜く。

「てめえ……絶対勝てよ……!」

これで終わる自分の分も、同じように犠牲にした友の分も。

「絶対に……無駄にすんじゃねえぞ……俺達を……!」

犠牲にしたのなら、踏み越えていくのなら。

「負けたりしたら承知しねえ……あの世でぶっとばしてやる……」

その命に懸けて、目的を成し遂げてみせろと言った。

「いいか、約束しろ。てめえが何をしたいのかは知らねえが……やり遂げるまでは死ぬな……。
 死ぬなら全部終わらせて、それから死ね……! 分ったかよ……?」

その言葉にルルーシュは目を逸らす事無く、真っ向から宣言を返す。

「ああ、言われるまでもないさ。無駄にはしない。無駄にはしないさ……絶対にな」

「そりゃ楽しみだ……じゃあ見ててやるよ。
 ただし……お前がもし…………なら……俺は…………本物の……死神として……お前を……」

声は次第に小さくなる。
代わりに指で鉄砲の形を作り、ルルーシュの頭を狙い撃つ。

やがて、その手も床に落ちて。
デュオ・マックスウェルは眠るように、ゆっくりと目を閉じた。



【デュオ・マックスウェル@新機動戦記ガンダムW 死亡】





Next Chapter▽






■ 『三ノ章:lie&hope』 ■



沈む夢を見ていた。

私の身体は仰向けに、落ちていく。

ここは暗い海の底。

私が居て、私以外の誰もいない。

ここが夢だと自覚することは容易いものだった。
私は精神の専門家じゃないし、難しいメカニズムとかは分らないけれど。
夢を見ている最中に『ああこれは夢だな』って、自覚することはそれほど珍しい事でもないだろう。
そして夢と知りつつも、夢から覚めたくないなって、無理に夢を見続けることも良くある話だ。

私はそんなふうに、夢に留まっていた。
きっと、現実の私はここに至るまでの疲労と、さっきの戦いのダメージで根を上げてしまったのだろう。
疲れていた、私は本当に疲れていたんだ。だからもうちょっとだけ、ここで夢の続きを見ていたい。

少しでいいから、休ませて欲しいと思う。
少しでいいから、私自身の心を整理したいと思う。

「………………」

どこまでも静かだった。
何もない空間、誰もいない空間。
当たり前のことだ、ここには私しかいない。
ここは私の夢なのだから。

「…………」

けれど唐突に、もやもやしたものが目の前にあった。
黒くて、形容しがたいもの。
何でもあって、なんでもなさそうな物。
それが変質を開始する前に、私は察していた。
ああこれは嫌なものに変わるぞ、と。

なにもない夢が悪夢に切り替わったのはそれに気が付いてからだった。

もやもやした黒い影は形をハッキリとさせ始める。
頭、二本の手、胴体、二本の足。
人間の姿に変わる。
それは当然、私の知っている人物だった。

「今晩は、お久しぶりですね、澪殿」

現れたそれは、現れるなりおどけたように膝を折る。
それはなにかに似たモノ。似ているだけで違うもの。
当然だ、死人は生き返らない、例え夢の中であろうとも。
きっとそれは私の中のモノ、私の中の『畏怖』の権化みたいなモノだ。

「……」

もちろん、会いたくなんかこれっぽっちもなかったけど。
精一杯の虚勢を張って、男に向き合う。
夢の中であっても、やっぱり怖いものは怖い。
けれど現実よりはマシかもしれないから。

「おやおや、たくましくなられて……」

言葉を掛けられるだけで、忘れられないあの怖気が全身を巡る。

「ふふふっ、更に美味しい具合に育ったようですね。味わえないのが本当に残念だ……」

人に散々トラウマを残してくれただけあって、中々に再現された夢だったように思う。
私は身震いしながらも口を開いた。
今更何の用だと聞いてみる。
夢の中にまで出てきて、この男は何を言いたいというのだろう。

「いいえ、何も言いたいことなど。ただ、少し尋ねたい事があっただけです」

尋ねたい……こと?

「ええ」

私は男の言葉を待った。

「貴女は私を殺した……」

そう殺した。
だからなんだというのか、いまさら文句でも言いに来たのだろうか。

「いえいえまさか、そんなつまらない事ではありませんよ」

それじゃあ、いったい?

「聞きたい事は一つだけです。
 貴女は何故、私を殺したのですか?」

意外だった。
そんな事をこの男は気にするのかと。
分りきっている事じゃないか、そんなもの……。

「タノシイからですか? 
 ツマラナイからですか? 
 コワイからですか? 
 イタイからですか? 
 イキタイからですか? 
 シニタクナイからですか?」

「……っ!?」

男は問いかけながら、私に詰め寄ってきた。
ぐっと私の肩を抑えて闘技場の壁に押し付ける。
闘技場……?
ああ、闘技場だった。
私と男の周囲は、いつの間にかあの闘技場の風景に切り替わっていた。

「違いますよね? 違いますよね? どれも不正解だ? そうでしょう?」

怖かった。
私を見下ろす男の形相が、あの時の恐怖を呼び起こす。
怖くて怖くてたまらない。
けれど同時に、恐怖と共に、ある感情も思い出させた。

……違う。
そう、その通り、今男が言った理由は全て不正解だ。
あの時の私はそんな感情でこの男を殺した訳じゃない。
いやそもそも彼など眼中に無かった筈だ。

「……ちがう」

湧き上がってくる。
あの時の想いが体中に駆け巡っている。
ふと右手が何かを握っていることに気が付いた。
それを、あの時の感情のままに、もう一度、男へと向ける。

「……ひはッ……」

一本のドラムスティックが、男の胸へと吸い込まれるように突き刺さった。

「ああ、違うよ、どれも……」

あの時と同じように引き抜いて、正面から血を浴びる。

「私は……逃げたくなかったから……進みたかったから……殺したんだ」

あの時と同じように殺す。

「弱い自分を殺して……一歩でも前に踏み出したかったから、あなたを殺したんだ……!」

決意も、誓いも、あの時のままに。
私は男にもう一度、その誓いを告げる。

「そう……ですか……なるほど、わかりました……、、、、、、、……そっか、そうだったんだ」

「……!?」

息を呑む。
突然、男の声が女の声に切り替わった。

「……知らなかったな」

私に胸を貫かれたまま、姿かたちも切り替わっていく。
やはり、私が知っている人物によく似た姿へと。

「それじゃあ私も、そんな感情で殺したの?」

悪夢の渦中、片腕の無い少女が私の前に立っている。

「あんたは……」

紅と蒼の目が私を射抜く。

「逃げ出したくなかったから……殺したの?」

私は――

「………………」

私は答えられなかった。

「前に進むために、殺したの?」

「…………」

何も言えなかった。

「違うよね。あなたはあの時、私にこう言ったはず」

『私は―――いやだ! それが“現実”だって、“運命”だって言うんなら、私はそれから逃げきってみせる!』

彼女の言うとおりだったから。
私はあの時、違う理由で戦っていたから。
前へと進む為じゃない。後ろへと逃げるために。
私は、一度は拒絶した『逃避』をあの瞬間、受け入れていた。
残酷な摂理も、運命も、すべて振り切って、求める希望を掴むために。

「……ああ、そうだ。違うよ」

ああ、彼女を目の前にすると、あの時の感情が蘇ってくる。

「私は逃げるために殺したんだ。私を邪魔するもの全てから目を背けて、逃げて、逃げて、逃げ切って、辿り着くために」

「そう、その通り」

彼女は微笑む。
そんな彼女のことが。

私は――嫌いだった。

理由は本当に単純だ。

平沢唯の信用を勝ち得ていたこと?
彼女なら唯を守れたかもしれないという劣等感?
自分を正当化するための必要悪者?

違う。
確かにそんな感情があったことは確かだけど、どれも核を為した理由じゃない。
本当の理由はもっともっと単純なことだ。
唯のことなんて間には挟まない、結局は私と彼女、二人だけの関係に帰結する。

彼女は……本当に……どこまでも……嫌になるくらい。

「あんたは私に似てた」

「そうかな」

「そうだよ」

ああ、似ていたんだ。
姿かたちじゃない、その心の在りようが同じだった。
始めて見たときはただの予感だったけど、再開したときには確信に変わった。

一目で、わかった。
彼女の異質に変質した瞳は、私の淀みきった瞳と同質だった。
彼女の歪な腕や黒い泥は、私がこの身を固めた武装と意味を同じくする。
その心情を、私は自分の事のように理解できてしまったのだ。
きっとあの疲れ切って擦り切れた身体と表情は、私と同じような経路を歩んできたからだろう。
奪われて、奪われて、どれだけ守ろうとしても喪失を止められない、どうしても守りきれない、そんな理不尽に直面した者の表情。
あの黒い異能の力は、ただ異能であったというだけで、私が抱える銃となんら変わりない。
誰かを守りたくて、どうしても守りたくて、やむを得ず手を伸ばした禁忌の力。
私と同じ道を歩んでいた筈の彼女。

「でも違った」

だけど、同時に、彼女と私はどこまでも正反対だった。
どこまでも私と同じ筈なのに、決定的に違うものだった。
まるで、コインの裏表のように、同質でありながら絶対に相容れない存在。

それを証明するように、彼女は私にこう言ったのだ。

『だったら分かるでしょ? そんな唯ちゃんが誰かを犠牲にすることなんて望むわけ無い!』

唯は望まない、だから止めろ。

そんな、当たり前のことを言ったのだ。
馬鹿みたいに、真っ当なことを言ったのだ。
唯が望まない? 皆が望まない? 当たり前だろう、何を今更。
私がそれを承知で動いていたことなんて、言うまでもないだろうに。

けれど、他の誰が言っても別にいいと思った。
士郎くんが言ったのならまだ流すことが出来た。
綺麗ごとだ、何も理解していない奴の戯言なんだって、吐き捨てることが出来たのに。
なのに、よりにもよって彼女が……私に向って言ったのだ。

正直、許せなかった。
彼女が私を止めるためだけに言ったのではなく、本気でそれを信じているとことが理解できたから尚更だ。
別に、似ているんだから気持ちを理解しろと言っているわけじゃない。
ただ彼女は知っていたはずだ。私の心に誰よりも近かったはずだ。
私の憶測が間違っていないのなら、彼女が私に似ていたのなら。
誰かを守る為にあそこまで変貌して、変わり果てて、身を犠牲にしていた彼女。

その、彼女が――

『唯ちゃんが誰かを犠牲にすることなんて望むわけ無い!』

唯は望まない――死人は望まない――だから、やめろ、と。

彼女が本気で、そんなふざけた理由を、『私を止める』為の正当な理由だと確信していた事が、何よりも許せなかった。


なんだ、それは、どうしてそんなふうに考えられる?
あんたはおかしいのか?
それとも、私がどうかしているのか?
なんにしても私には絶対に理解できない。

大切だったのなら、本当に大切な者だったのなら、死人がどう考えてようと関係ない。
取り戻したいと思うじゃないか、もう一度会いたいと願うじゃないか。
許されないことでも、何を犠牲にしてでも、方法が一つでもあるのなら。
割り切ることなんて絶対に、出来ないだろう。

それを、あなたは知っている筈なのに。

なのに何故、私の前に立ちふさがったんだ。
あの馬鹿げた正論を振りかざす事ができたんだ。

気に入らない。
許せない。

「あなたは……何を思って戦ってたんだ……?」

最後の問いは言葉となって溢れ出していた。
同時に、結局私はそれを知るのが怖かっただけなのではないかと、予感する。
彼女の理に合わない言葉が、私の知らない、何かを、見たくない物を見せるような気がして。
耳を塞ぎたくて、だから私は彼女を消してしまいたかったのではないか、と。

「…………」

けれど答えは返されない。
当たり前だ、彼女はもうこの世にいない。
私の問いが彼女に届くことも、彼女の答えが私に届くことも二度と無い。
私の知らない答えが、私の夢で明かされることなどありえない。
すべてはもう終わってしまったことなのだ。

「そうか……だったら……」

いつの間にか、私の肩に一匹の黒猫が乗っていた。

「……もう一度、消えてしまえ」

猫が肩から飛びだして、彼女をその巨大な口で覆い尽くす。
いつか見た光景と同じように、咀嚼し、磨り潰し、消滅させる。

そしてまた、私は一人になった。

目の前には黒猫が、最初の黒いもやもやへと姿を変えていた。

もやもやはもう一度変異する。

もちろん、私が一番よく知っている人物の姿へと。

それこそが、この黒い影の正体だった。

「さて、まあ若干話は逸れたけど。本題に戻ろうか、澪」

それは初めてハッキリとした輪郭を持った。
一人の少女。
知っている誰かに似た影じゃなくて、確固たる肉体。
特徴を述べれば、長い黒髪、気弱そうな顔、両頬の傷。
私がよく知っている、私自身そのもの。

あの男も、彼女も、この私が派生したものに過ぎない。
当然だ、これは私の夢なのだから。
私以外に誰が居るというのだろう。

「本題?」

「ああ、本題だよ」

少女は語る。
今の私ではありえないくらい軽やかに、けれど普段の私なら当たり前なくらい冷静に。

秋山澪は前に進むために明智光秀を殺した」

そうとも、もう逃げないとあの時に誓った。

「秋山澪は逃げ切るために福路美穂子を殺した」

そうとも、全てから逃避してやるとあの時に受け入れた。

「おかしいな。矛盾しているな。本当はどっちなんだろう? 秋山澪は逃げるのか? それとも逃げないのか?」

そうとも、矛盾している。
一方で前に進み、一方で後ろに進んでいる。
これはどういうことだろう?

「なあ、どっちが澪の本音なんだ? どっちが正しいと思ってるんだ? どっちを選ぼうと思ってるんだ?」

表裏。
正否。
選択。

私自身が私に突きつける、私の思い。

ぐるぐると世界は回る。

私は思う。

「きっと、どちらも本音だ、どちらも正しい、どちらも私が選んだ道だ」

双方とも、確かに思いは本物だった。
一度はどちらも選んだ道だ。
いつの間にかすり替わっていただけで、嘘はどこにもない。

そして、どちらも正しいと、私は身勝手にも思う。

逃げる道とは一見、聞こえが悪いように思う。
逃げない道とは一見、聞こえがいいように思う。

けれど逃げることも間違いじゃない。
それは強く言える。
だって後ろ向きであろうと、みっとも無かろうと、それは確かに道なのだ。
前進じゃないけれど、後ろには『進んでいる』のだ。
重要なのはその一点だけ。
私は立ち止まって蹲ることだけは選択しない。
『あの子』みたいにはならない。
進めさえすれば辿り着けると信じている。
『後方』でも『前方』でも目指す先は一緒、道の続く先には求めるものがある。
例えば地球のような巨大な球体に立っているとして、目的地たる『裏側』に行くためには、もちろん前進でもいいけれど。
後ろ向きに進んだって、進み続ければ行くことができる。

「だから、間違いもなにもない、二つとも私の道だ」

「ああその通り。でもさ、澪は分ってる?」

「…………うん、分ってるよ」

そう、どちらも間違いじゃない。
けれど、意味はまったく違うのだ。
進み続けた先にあるものが同一でも、それを手に入れることの意味がガラリと変わってしまうのだ。

「私は……いつか選ばなくちゃいけない」

そして、前に進んだり、後ろに進んだりをいつまでも繰り返していては、それはやっぱり止まっているのと同じなのだ。
目指すものまでは、決して辿り着けない。

「前に進むのか、後に進むのか、決めなくちゃいけない」

「そう、澪はいつか選択を迫られる。二つの道は同時に歩けない……だから」

だからその時、私は――

「選択の時、逃げるのか、それとも逃げないのか」

『逃避』を拒絶して踏破するのか。

『逃避』を受け入れて辿り着くのか。

道は二つ。

私が選ぶ答えは――




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288:GEASS;HEAD END 『戦場』 デュオ・マックスウェル GAME OVER
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最終更新:2011年08月04日 09:21