BRAVE SAGA『螺旋終落』 ◆0zvBiGoI0k
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手の上に乗せられてコクピットまで乗り込む阿良々木と抱かれる衣。
一人用の操縦席はやや、いやかなり手狭だが贅沢をいえる立場でもないのは重々承知している。
そのまま再び飛び立ち崩れる大地をあとにする。この世の終わりといえる光景とは縁のない静寂な空間へと。
「無事だったか、阿良々木少年」
「……なんとか、ギリギリには」
無言で視線を下げる阿良々木。その姿勢が覆りようのない答えを如実に示している。
「……そうか。ならば私からは一つだけ言わせてもらおう。よくやった、阿良々木少年」
「え」
阿良々木暦は困惑する。
自分は何をやったというのか。何を為せたというのか。
「よくぞ生き延びてくれた。よくぞ……
天江衣を守ってくれた」
声を僅かに潰しながら出されたのは感謝の言葉。
生きてくれてありがとうと、傍にいてくれてありがとうと。
たった一言に彼が抱いた思いが凝縮されていた。
「…………はい」
それを聞き、ただ俯くだけの阿良々木。
手放しに喜べるだけの気力もないが、その言葉に少しだけ救われた。そんな顔を隠して。
地盤沈下という表現すら生ぬるい破壊を見せている工業区。大地は今なお鳴動し罅割れその範囲を広げていく。
恐らく最低でもF-3エリア全域は完全に奈落に呑みこまれることになるだろう。
その予測範囲から外れているE-3の一画に大空を舞う巨人は腰を下ろす。
コックピットが開かれ、窮屈な部屋から解放される。
何気なく吸った息の冷たさが生きているという実感を阿良々木に味あわせる。
そして、もう片方の手に掴まれていた人形も手放された。
全長は5メートル、エピオンには及ばないまでも常人からすればまた巨大な姿だ。
白で統一された神聖さ、高潔さを示すデザインに兜のような頭部の造形は、まさしく物語に出てくる伝説の騎士を思わせる。
これがロボットだとして、それに似合う人間は―――
「枢木!」
そう、
枢木スザクのような人物が相応しいだろう。
背部のボックスから展開して姿をみせたスザクは疲労の色こそ強いものの―――最初から無い腕を除けば―――外見的にはほぼ無傷だ。
「かなりの荒業だったが大事には至らなかったようだな。緊急時とはいえ手洗い真似をした、すまないスザク」
「……いえ、あの状況ではベストの判断でした。ありがとうございます」
コクピット越しに当時の状況を思い返す二人。
あの未曾有の事態で行った対応はあまりに「荒い」といえた。
大地の崩落で足場を失い真っ逆さまに落ちるのみだったスザクは間違いなく死を覚悟した。
底が見えない闇の狭間。そこが正真の地獄だと信じる他ない。
けれどもスザクは諦めない。生を放棄できない。
生きろと命じられた。生きてと願われた。
その命令を、約束を、誓いを、決して反故にするわけにはいかない。無意味にしたくない。
藁をも掴む思いで虚空に手を伸ばす。当然、そこに天へ引き上げてくれる蜘蛛の糸はない。
だが必死に打開法を巡らすスザクは落ちることなく―――巨人の腕に掴まれた。
今し方魔術師の繰り出した不可視の掌握とは違う。現実の感触を持つ、鉄の巨人であった。
スザクの常識に照らせばナイトメアの4倍はある機動兵器―――ひいてはそれに乗り込んでいるグラハム―――が何をするかと思えば、
あろうことか、そのままスザクを投げ飛ばしたのだ。
腕だけの力のこもってない投擲といえサイズが段違いだ。風圧は身を裂き呼吸は強制的に止められる。
どう見ても殺意を向けられたとしか思えないその凶行を、だがスザクはその意図を一瞬で理解した。
ギアスが依然継続していたのもあるだろうが、このままではそのまま叩きつけられて死ぬのだ。理解するほかなかったといえよう。
投球(スザク)の行き先には、もはや原型を留めぬ『元』コンテナから全身を覗かせる白い影。
スザクの物語に姿を変えつつ常に傍に置かれるナイトメアフレーム。
選任騎士。ナイトオブセブン。そして、ナイトオブゼロの名を冠したスザクを象徴する“湖の騎士”。
ランスロット・アルビオンが、主の到着を待ち望んでいた。
それに応えるべく、ほぼ水平に投げられた勢いで縦に回転、速度を落としつつ適切な体勢を整える。
タイミングは直観任せ。ただ己にある身体能力と呪い(ねがい)を信じるのみ。
頭でも体でもなく、2の脚が白い装甲を踏み叩く。
瞬間、駆け上がる衝撃。足起点に雷光の速さで脳まで揺さぶられる。
脳震盪で前後不覚となっている体と脳に鞭打つ新たな衝撃が脳に芽生える。
ギアスでどうにか意識を回収したスザクはすぐさまコクピットを開く。未だ危機を脱したわけではないのだ。
現在位置は地面が残ってるが崩壊は今も続いている。一分といわず今の場所もなくなるだろう。
シートに座り次第片腕のみでシステムを機動させる。自分の愛機だ。手が加えられた形跡もなく滞りなく機体に光が宿る。
緑光を宿したランスロットだが、搭乗者は片腕を喪った状態だ。両の腕で操縦桿を握るのが大前提のナイトメアにとって致命的、
まともな移動もおぼつかない。
だから必要なのは一動作。腕を伸ばし飛ばす。ただそれだけ。
照準を固定し発射されるスラッシュハーケン。ナイトメアの標準装備だがそれは攻撃以外の補助にも機能できる応用性があってのこと。
目標は、大地を発つ紅い騎士が伸ばす右腕。
飛爪は目論み通り腕にかかり、繋がれたワイヤーが巻き付かれていく。
それを確認したや否や、手綱を握る騎士が咆哮を上げる。
仰向けの体勢からスラスターを吹かし中空を制止、上空へ向け飛翔する。
繋がれたランスロットもただ引き摺られるだけでない。背中から展開された光の翼、エナジーウイングを姿勢制御のみに費やす。
奈落より抜け出たのもあり、阿良々木の感想通りそれは悪魔を思わせた。
そして地割れに侵されない空へ逃げ延び、互いの無事を確認し次第、巻きこまれたであろう者達を救助に向かって、今に至る。
「阿良々木少年、酷と知ってあえて言わせてもらおう。
白井黒子、
両儀式の二名は―――」
ひとつ波乱を乗り越えても弛緩することのない空気でグラハムは状況確認を行う。
この場に姿のない2人の少女の安否を阿良々木に問う。
「……生きています。
さっきまで一緒に戦っていたんだ。まだ―――」
苦い顔で大穴を見つめる。目の前にいながらも取りこぼしてしまったという、強い後悔の念が窺える。
傲慢とわかっていても捨て切ることは出来ない。それは疑いなく阿良々木暦の美点といえよう。
「わかった。ならば私が両名の救助に向かおう」
即断するグラハム。驚く阿良々木を尻目に稼働の準備を始めていく。
「本気ですか」
「無論だ。私はしつこく、諦めの悪い男でね、可能性が残ってるというのならばそこに賽を投げ込まずにはいられないのだよ」
あくまで冷静にグラハムは答える。冗談じみた言葉だがその表情はいつになく引き締まっている。
それは紛れもなく、己が役割、己が使命を果たす戦士の顔。
戦う者として、守る者として、ユニオンのモビルスーツパイロットとしての顔がそこにあった。
「手筈通りだスザク。放送前までにE-2の学校、そこで落ち合おう」
スザクはいち早くこの場を後にするというのは互いに決めていた。
操縦が出来ないという点と、ここで死なすわけにはいかないという2点からの指針だ。
「阿良々木少年、スザクを補佐してやってくれ。やや窮屈だがなに、その方が操縦はしやすい」
「……操縦って、僕が、アレを?」
「主導する必要はないさ。彼の指示通りにレバーを動かす程度でいい。隻腕よりはよほど安定できるだろう」
気後れしながらも阿良々木はランスロットへと歩いていく。
中はグラハムの言った通りにかなり狭い。平均より下の男子と小柄な女子の二人とはえ小型の一人乗り、
表現するなら「ややこしい」ことになってる。
式と黒子が間に合わず、自分までもが死に、敵が壮健となればそれは最悪の事態だ。
そうさせまいと砕身の腹積もりだが絶対という言葉は戦場にはない。万が一とはそういうことだ。
その場合、複数の因縁が絡まるルルーシュ一団に阿良々木がひとり相対することになるが、そこは立ち向かってもらうほかない。
人には何があろうと背負うべき重荷がある。阿良々木暦にとってのそれが
平沢憂だ。
背中を支え道を開きこそすれ、背負うべきは彼ひとりだ。
「わかりました……ご武運を」
背中のハッチが閉じられていく。だがその前に外へ手を伸ばす小さな影があった。
「グラハム……」
力なく手を上げながら衣は膝を折る騎士を見る。視覚として見えてはいないがその操者へと届く眼差しを。
「天江衣……私を笑ってくれ。幾度となく約束を反故にし、今もまた君を置いて戦地へ赴く私を」
憂いの表情を帯び謝罪をするグラハム。その顔は今まで戦気に溢れていた男と同一とは思えない。
悔恨、無力感、諸々の負の念が伝わってくるのがわかる。
「……なにを言っているのだ」
そんな気負いは無用と切り捨てる少女の喝が一蹴する。
「国益を守り民草を守る。それが軍人というものなのだろう。
己の口でグラハムは言ったではないか。魑魅魍魎する地獄変を産み出したものどもの思惑を潰すと。
衣ひとりのみを加護することなどない。常に誰かに守られ続けなければならないほど―――衣は弱くない!」
あらん限りの力を込めた叫び。その小さな体にどうしてここまでの大音を引き出せるのか。
駆動音が生み出す雑音の中で、そのつたない叫び声が世界を彼女色に染め上げる。
至近距離で抱えていた阿良々木達は鼓膜が破れそうになる。
だが、それ以上の衝撃を受けているのは紛れもなく数メートル離れたグラハムだ。
(ああ――――――そうか)
心に根付いた闇を根こそぎ切り払うかのような叱咤を受け、グラハムの中の何かが氷解する。
自身もまた、彼女を縁(よすが)としていたのだ。
それはオアシス、砂漠に浮かぶ一滴の光。
掬い、救われ、巣くう泥を洗い流してくれた浄化の水。
「答えよ!!お前は何者だ!何を為す者だ!」
響く問い。あまりにも分かり切った、単純な答え。
だがあえてだ、あえて言わせてもらおう。
地響きすら静まりかねないほどに響く男の声。
天変地異さえ止めかねないほどの、それは魂の宣言だった。
「―――ならば果たすのだ。己の義務を。使命を」
「了解した。グラハム・エーカー、出る!」
友の鼓舞に柔和な微笑みを返し、今度こそ機体に呑みこまれるグラハム。
操者の心に応えるかのようにバーニアが雄叫びを上げ大空を飛び発っていく。
空を切る音を残し、残されたのは3人と1機。
やべえ、カッコイイ。
素直に阿良々木はそう思った。
何と言うか、心に残ったやりとりだ。今まで続いてきた鬱展開なんかなかったんだと思える位の清々しさだった。
一瞬とはいえ、あの姿に憧れた。
ていうか、ホントに高校生なのかこの子は。年齢と体型と精神年齢がまったく釣り合わない―――
「って天江!大丈夫かおい!」
そこで自分の腕にいる衣が以前よりなお脱力してうなだれてるのを見て慌てふためく。
考えてもみれば今の今まであわや失血死するところだったのだ。それであんな全力発声などすればすぐさま力尽きるのも自然。
ガス欠寸前の車をトップスピードで飛ばしたようなものだ。
「す……まぬ、少し憤り過ぎたようだ。だが、これ以上グラハムのあのような顔を見たくはなかったか、ら……」
「ああもう、よくやったよお前はホント……だから休んでろ、な?」
必死の激励を遂げた衣を労う。何も言わず、安心したように衣は瞳を閉じる。
事実あれでグラハムの気力はマックスを突きぬけ限界突破しただろう。今なら冗談抜きに阿修羅だろうが羅刹だろうが凌駕しそうだ。
グラハム専用ファイト一発!衣ちゃん!!偉大である。
「彼女は僕が預かります。阿良々木君は操縦桿を握ってくれ」
スザクは片手で衣を抱えてスペースを空ける。元々腕がないぶん前に乗り出す隙間はあった。
今の阿良々木の体勢はスザクの横から無理やりに阿良々木が割り込んでいる状況だ。
腕や足が絡まりそうな息苦しいが背に腹はかえられないのもまた事実。
操縦といっても機体がブレないように抑えていればいい単純な作業だ。緊張しながらもゆっくりと移動を始めていく。
閉じられた箱で唯一空けられる正面の空を見る。
薄紫色に変色していく空を茫然と眺めながら、阿良々木達は逃走を開始した。
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眠りから醒めるように、自然と意識が戻った。
とはいえ最後の眠りの前の
最後の挨拶の為かと思えるほどに浅い覚醒だったが。
「……まだ生きてる」
ぽつりと呟く声は誰にも聞こえることなくかき消えていく。
夢か現か、どちらか曖昧だったが全身から発する痛みからして後者だろう。
瓦礫の山の中腹で私は倒れている。
前触れもなく起きた天変地異。地面が割れてなくなるという大惨事。
等しく陥没した土地で更に沈んだ窪みに寝転がっている状況だ。
そこよりなお深い穴からは水の流れる音がする。
そういえばここが船着き場だったことを思い出す。そこが抉れたのなら、じきに水が押し寄せてくるかもしれない。
なら、急いで逃げなければ。そう思うが体はまったく言う事を聞かない。
疲労も痛みも、この間よりは幾分余裕のあるほうだ。ここから本格的にすり潰していくというところでこの様だ。
では問題は何かと思えば、埋もれた右腕を見て納得した。
潰れてはいない。だが奇跡的に岩と岩の隙間に挟みこまれたらしく微動だにしない。
なら切ればいいとしたが、刀は右手に握っていたのを思い出す。
何か都合のいい、尖った石の破片でも近くにないか探してていると、少し離れた場所に小さなナイフが見える。
けれど私の目はそこから先、うつぶせで倒れ込む白井黒子の方に釘付けにされていた。
「……生きてるか?」
返事がない。ただの屍のようだ。
「勝手に殺さないで下さい」
顔をこちらに向きなおし返事が一拍遅れて返ってくる。
混濁して曖昧だったあの崩壊の時の記憶が甦る。
憶えてるのは、確か―――
開いた冥底に呑み込まれる鎧武者。
息を荒げながら自分の目の前に現れた少女。
そのまま自分の手を取り地割れの影響を受けない空へと跳ぶ。
だがそのまま自由落下すればひしゃげた肉塊になるしかない。転移を何度も微細に繰り返しどうにか着地できたところに第2震。
今度は手もなく奈落に落ちて、こうして今に至る。
まったく、運がいいのか悪いのか。
「そうか、よかった。また約束を破るとこだった」
赤髪の少年との刀剣と引き換えの契約。白井黒子を護れ。
責は自分にあり、彼女は悪くないという証明書。
「白々しい、言い草ですわ、ね」
途切れた声を絞り出しながら体を起こす白井。
その身が危ういことは、誰でもわかる。
「動かないほうがいい。それ以上使うと、死ぬぞ」
線が、駆け回っていた。
野太い蛇が何匹も絡みつくような死は線を越え孔と化している。
今から時間を休息に費やしても、はたして元に戻れるか。
今から時間を休息に費やしても、はたして元に戻れるか。
「そんな有様で言える立場、ですの?ほんとに、ばかなひと」
浮かべる微笑は何が起因か。嘲笑か、自嘲か。
ビデオのスロー再生みたいに、時間の流れが狂ってるかと思うほどゆっくりと腰を上げる。
すぐに力なく倒れるが、今度は四つん這いになりながらも向かってくる。
どうあっても、私を助ける気でいるらしい。
馬鹿呼ばわりされたことといい一言もの申したいのは山々だがお互い言い合う余力もないのは分かってる。
「……じゃあ、そこのナイフ持ってきてくれ。それならここから抜けられる」
視線を足元のペーパーナイフに移して拾うよう示唆する。
指示通り拾い上げ白井は近づく。程なくして、私と触れあう距離まで近づいた。
「なんで来たんだ」
白井からナイフを受け取りつつ私は言葉をかける。
ずっと疑問だったことだし、ここで聞かなければ二度と機会がないような気がした。
「あなたに守られっぱなしなんて、まっぴらごめん、ですわ」
動く力が尽きてしまったのかその場を動かぬまま白井は返答する。
「そもそもあの子はどうした。まさか放っていったのか?」
「まさか。阿良々木さんが戻ってきたので、交代しただけですわ」
単に切っては上に重なる岩が土砂崩れを起こす危険があるので慎重にやらなければいけない。
今の白井では逃げることはできない。私だけでこの穴倉を這い出るのは相当厳しいだろう。
「それに、言ったでしょう?絶対に許さない、あなたの望み通りの死に方なんてさせないと」
叫ぶ気力がないからか、白井の口調はとても静かだ。
虚ろな目でか細い声を出す姿は末期の病人に近い。
「じゃあどう生きろっていうんだ」
「それくらい自分で見つけなさい」
あっけからんと拒否される。
それだけ言っておいて答えは自分で見つけろときた。
ああ、こいつは本当に―――。
「勝手だな」
「お互い様ですわ」
簡潔に、お互いを批判をする。
なまじ静かな言葉で交わされる分滑稽だけど、笑う余裕すら惜しい。
「生憎わたくし、読心能力(サイコメトリー)なんて持ち合わせておりませんの。あなたの、他人の気持ちなんて真に理解し切ることはできませんわ」
ようやく影響のなさそうな綻びを見つけナイフを握る。意味は文脈から分からないこともないけど、急に専門用語を持ち出されても困る。
「あなたが思う以上に、あなたのことを考えてくれてる人間は多いですのよ?それを余計なお世話と捨てるのも自由ですけど―――」
元来私は人間嫌いなんだ。白井の言う通りそれは迷惑なおせっかいでしかない。
こうやって、黙ってるのをいいことに勝手に人の像を形作る。
どこか弛緩しきった空気。
それが急速に冷めていく。
「――――――」
魔法使いのように、有無を言わさず現れた黒い影を見た瞬間に。
「―――跳べっ!!」
「え―――」
私が言い切った後に、白井が言い切る前に、握られた拳が振るわれた。
「――――――!!!」
結果を知るより先に、新たな要因が式を釘づけにする。
全身に絡みつくように伸びる三重のサークル。
当然、動けない私は糸に囚われる。
「アラヤ――――――!」
敵を見る。黒衣に黒髪の女。姿が変わってるのはどうでもいい。だが、その風貌はより本来の姿を思い起こさせる。
魔術師、荒耶宋蓮。両儀式にとって最大の脅威。
在り方として許せない相手。
自分の肉体を狙って数々の手を打ち、幾つかは成果を上げ、それでも最終的にはこの手で殺した怪物。
「――――――遂に、叶う」
万感の思いが、声には籠っていた。聞く者の脳髄を鷲掴みにするような、沈んだ声。
歓喜に感じ入っているというのに、笑いを堪えきれないという声なのに、顔の表情は変わらない。
魔術師はもう目の前だ。確実に殺されるとわかっていながら、体は動かない。
全身は酷使で感覚が麻痺し、腕を繋ぎとめられ、念入りに静止の結界まで張っている。
ここまで鉄壁の壁に囲まれては、どうあろうと行動を許されない。
ゆるりと伸ばされた右腕が、首をへし折ろうと近づいていく。
「さらばだ両儀。おまえの死を以て、この螺旋(セカイ)は完結する」
冗長な言葉は無用ということか。一刻も早く自分の首を叩き落とそうとする。
指が、喉仏に触れる。
寒気が走る。絶望感は脊髄を伝って全身へと行き渡っていく。
駄目だ。
動け。私の体。何のために今まで足掻いてきた。何のために生きると決めた。
首全体に指が巻き付かれる。あとは力を込めるだけ。絞首刑に抗えるような筋力を持たない私の首は百合の花のように落ちるだろう。
答えだなんて言えるほど上等なものじゃないけど、それでも何かを見つけられたんだ。
無駄でもいい。無様で構わない。それを知るまで私は死ねない。
そんな理不尽(キセキ)が叶うわけもなく。
魔術師は、指に全ての力を送り込んだ。
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「―――何故、まだ活動できる?」
心からの疑問と、その結果による焦燥を抱いた声を荒耶が上げる。
顔を動かさず、視線だけをそこに向ける。
式と荒耶の場所より少し離れた距離に倒れ込む少女。
死体にしか見えないほどに傷付いた姿でありながら、白井黒子は動いた。
疲労困憊の上で能力の過度の使用の結果、もはや黒子の中身はズタズタだ。
おそらくは意識すらも殆どない中で、この少女は荒耶を制したのだ。
不安定な筈の能力行使は正確に行われている。
「蒙昧―――まだ妨げるか抑止力……!」
嘆くその右腕には、小さなナイフが侵入している。
刺さった刃は筋に潜り込み握り締める機能を奪っていた。
腕は首に添えるだけで、そこから先の工程には決して進まなかった。
その隙を、式は決して見逃したくなかった。
荒耶の意識が緩んだ間隙に全霊を注ぎ左手を動かす。
伸ばした先は、魔術師の腕に張り付いた、銀色の玩具のようなペーパーナイフ。
逆手で掴み引き抜き、そのまま自分の右腕があるらしき所へ振り下ろした。
バターのように断ち切られた岩から右腕が解放される。手には、刀身の半分が折れた九字兼定。
破損すれば砕け散る投影の品は、最後の希望のように未だ存在を保っている。
荒耶が憎悪の目でこちらを睨む。その視線を受け止めず、式の眼は足元に下ろされる。
左のナイフを地に走る境界線に突き立てる。
いつぞやとは違い、一番内部深くに配置されてた円形が殺される。
これで体は自由に動く。問題はそもそも肉体の動力が壊れてないかだが例えそうだろうと最後まで動くなら問題なんてない。
女の胸の中心に渦巻く、落書きのような線の塊。荒耶宋蓮という“死”のカタチ。
そこに―――短剣程に短くなった刀を押し込む。
「―――たわけ!」
だが、敵も甘くない。回避は不可能と取り刀の射線上に右手を割り込ませる。
筋が断たれ武器としての用を成さないなら、盾として活用しにきた。
肉が抉れ、鉄と骨とか触れる感触が指先に伝わる。
勝機はある。冷静に荒耶は戦力比を分析していた。
式の状態は万全ではない。激戦続きで疲労はつのり、損傷を無視して行動できる刀もここにはない。
荒耶も万全でないとはいえ日本刀を持たない両儀式であれば戦闘力は荒耶が勝る。生け捕りでなく、殺す意思を以てすれば競り勝つのは己だ。
式の右手の刀は自らの右腕を犠牲にし封じている。
左の手に握られた小刀が、今度こそ胸の死を突かんと煌めく。
同時に荒耶も左腕を掲げる。転移した肉体とはいえ頭蓋を砕く程の筋力は残っている。
速度に勝るのは荒耶だ。胸にナイフが到達するより前に拳が先に届く。仮に相打ちになろうとも死を突かれてもすぐには死なない。
その間に、首が落ちた両儀の肉体を頂くのみだ。
時間が停滞する。
永遠と錯覚するほどに反射が研ぎ澄まされる。
一秒後の結末すら、もどかしい。
はやく結果を。根源を。世界の終焉を。人間の性を。私に見せてくれ。
ぶち、と繊維が切れる音がした。
ぶちぶち、と緩慢に右腕が裂かれていくのを実感する。
直視の魔眼を持たない荒耶は気づかない。気づきようのないことだ。
適合率の低い肉体に移る事で、多少なりとも己の死が濃くなっているのを。
真中の点から枝分かれするように引かれた、右腕に走る線を。
既にいちいち筋を切るにはとどまらず、滑らかに刀は荒耶の体を通っていく。
出した拳も、身を屈み回りこんだ式へは届かない。
「言ったよな、アラヤ。お前が『有る』のが我慢できないって」
横一閃に、死線が引かれる。
荒耶に背を向け、振り向かないまま魔術師の“死”を突き刺す。
最初の邂逅、二度目の死闘とも異なる確かな手ごたえ。
ぱあん、という硝子細工が砕ける音が鳴る。
幻想に編まれた刀は、その役目(ネガイ)を果たしたかのように、星の砂となって世界に溶けていった。
「―――――――――」
荒耶は何も言わない。末期の遺言もなく、それを紡ぐこともない。
口から粉のような血をとめどなく流し続ける。
永遠に解けない命題に挑む哲学者のような険しい顔を変えず、ただ立ち尽くす。
忘れていたように、地響きが再動を始めた。
窪みである式達の場所も所々がひび割れる。
そして一際大きな揺れが来た時、式の背後の地面が沈んだ。
咄嗟に飛び退き巻きこまれることはない。だが式の更に後ろに位置し、動力を壊された荒耶には成す術もない。
亡霊のような視線を式は正面から見返す。
その間に散らす感情は、なにがあったか。
ほどなくして荒耶の全身は宙に投げ出される。落ちる先は、海底よりさらに深い奈落。
世界の果てを目指した魔術師は、この世で最も深い奈落(はて)へ堕ちていく。
それが最上級の皮肉だということを誰も口にせず、荒耶宋蓮はこの世界から消失した。
【荒耶宋蓮@空の境界 死亡】
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最終更新:2010年11月02日 14:36