crosswise -black side- / ACT2:『舞姫(まいひめ)』(二) ◆ANI3oprwOY



―――――――――――――――――――― ◆ ◇ ◆ ―――――――――――――――――――――――



















――AからCへ、BからDへ。




繋がりあうコードとコード。
そのメロディーラインが胸を満たす。
いつか在ったような、暖かい何かを思い出させてくれるから。




――AからCへ、BからDへ。




繋がりあうコードとコード。
そのメロディーラインが臓腑を抉る。
最初から在ったのかもわからない、取り戻せない何かを想起させるから。




――AからCへ、B♭からD♯へ。



途切れて消えたコードとコード。
焦がれと不快に肺が溺れて息も出来なくなる。
だからまた、目を逸らした。





耳に残り続ける誰かの音。
私はいまだ、逃れる事が許されない。














/舞姫・弐ノ劍閃(内核)














アクセル、常時フルスロットル。高機走駆動輪が唸りを上げる。
急激な回転がコンクリートの路面を削り、摩擦で燃やし、白煙を昇らせる。
疾走する二つの戦機、『紅蓮弐式』と『ヴィンセント』。
内に在る二人の少女、平沢憂秋山澪
激突する、譲れぬ想念。
戦いが始まってより、その事実は何一つ変わっていない。
しかし単純に戦況を評すならば、この戦場は既に一方的な様相を見せていた。

「くあっ……っ……ぅ」

襲いくる紅蓮の猛追。鋼の突貫。
幾重にも空間を引き裂いていく銀の軌道を、秋山澪はまるで図れない。

紅鋼の装甲と続く左機手――握る呂号乙型特斬刀が、ビル街の灰色を横一文字に薙ぎ払う。
超重量の高速旋回に鮮風が吹き荒んだ。
間髪一つ入れずに、すぐさま腕が引き戻され、転じる連撃は上段からの縦一文字。
十字(クロス)を描く斬撃に次いで、機体の全身を捻り片足のみでバランスを取るように調整した上での、

『たあああッ!!』

鉄鋼の重量を最大限に込めし蹴撃が放たれた。
計、三連撃。
歯を食いしばりながら、澪はそれについていく。

一撃目の斬撃はヴィンセントが握る振動剣で防ぎ、しかし姿勢制御を崩された。
二撃目の斬激は盾にした二刀目の振動剣がギリギリで防ぐ。
三撃目の蹴撃は直撃の寸前に的を退けた。つまり、自らの後退によって回避した。

結果、致命的な損傷は無く、やり過ごす。
しかし敵は小休止など与えてくれない。
澪に息をつく暇など許さず、更なる斬撃を浴びせてくる。

敵はひたすら攻めてくる。
手を止める気配は皆無。
足を止める予兆は絶無。

この状況は圧倒的に、紅蓮の、平沢憂の、優勢であると断言できた。
ヴィンセント、秋山澪はこのとき、絶対的な劣勢に立たされていた。

「…………ッ!!!」

澪は自覚していた。限界がそう遠くないことを。
紅蓮の片手が振るう特斬刀一本に対し、両手に握るメーザーバイブレーションソード二本がかりで、連撃を押さえることすらままならない。
隙を見つけることなど到底出来ず、反撃も一切出来ず。致命的な一撃を回避するだけで精一杯。まるで歯が立たない。
鉄をも叩き切る性能を秘めし赤き刀身が、これでは完全に錆びてしまっている。
状況はジリ貧。もはや防戦にすら満たない。無様な撤退戦に近似していた。

「逃げちゃ……ダメだ、まだ……!」

そんな状態で、しかし澪は完全に退くわけにはいかなかった。
彼女が持ちえていた策。現状の協力者、東横桃子と共に決めた役。
その最大の正念場がここなのだから。

狙うは漁夫の利。戦略的勝利。乱戦の隙間を縫う立ち回り。
桃子が想定していた事態の一つに、現状は上手く治まっている。この好機を活かさない手は無い。
相手取るべき敵は大別して四種。
東に存在したという強大な殺人者と、北へと赴いた信長。
この二者と、残る集団。
全てが互いに消耗しあい崩壊する展開こそ、澪と桃子にとっての理想形だった。

全てがご破算になるように、南も北も、皆諸共壊れてしまえばいい。
残る全てが焦土と化した後に残る物こそ、澪と桃子の望む物。

桃子からの情報と、傍受したルルーシュと暦による通信内容から、
南にて一つの集団が潰し合いを開始したことは明らかだ。
北もまた同様、既に信長とルルーシュの戦いが始まっている。
ならばここで秋山澪が果たすべき役目はただ一つ。
北の集団と南の集団、その連携を妨害する。即ちここで、平沢憂を食い止める。

だが事実として、この戦いが成り立っていたのは数分足らずの間だけ。
狭いコックピットの中で、澪はひたすら歯噛みしながら、操縦桿を引いて後退する。
今は既に攻めるどころか、戦線の維持すらままならない状況。
後ろへ、後ろへと、追いつめられる一方だった。

「くぅ!」

攻められる一方では駄目だ、と。
闇雲に前方へと突き出した剣はいとも容易く相手の剣に絡め取られ、反撃を許していた。
浴びせられた斬撃がヴィンセントの片足を思い切り薙ぎ、機動力を削がれる。
咄嗟、飛び退くのが遅れていれば、続く二撃めによって完全に足を殺されていただろう。
迂闊な攻めは危険。
本能が警鐘を鳴らし、冷や汗が頬を伝う。
そして尚、対敵は攻めの手を止めてくれない。

「そんな馬鹿な……」

ナイトメアの操縦など、所詮双方が素人芸。
歴戦の軍人に比べればお粗末極まりない付け焼刃のはずだ。
しかし、平沢憂はこの時既に、対ナイトメア戦に応じた戦いぶりを見せている。
それは驚異的な吸収の早さ、飲み込みの速さ。
少なくとも、機体を使った実戦経験においては秋山澪が一歩先んじていたにも拘らず。
僅か数分で一戦分の遅れを取り戻し、追いつき、追い抜き、更に先へと、ご都合主義の如き速度で上達する。
秋山澪のよく知る、平沢唯、彼女に酷似した才気だった。

『早くっ……どいてっ……くださいッ!!』

その上、憂の焦りに呼応するかのように、
紅蓮の攻撃は尚も激化していく。
一瞬ごとに、スピードも、キレも、増してくる。

「……っ……あッ……!!」

速まり続ける剣線。
乱れ飛んでくる左右の蹴撃連打。
ガリガリと、確実に、ヴィンセントの身を削っていく。

「これ以上は……もうっ」

既に窮地。持ちこたえる限界が、迫っていた。
一秒と同じ位置で立っていられない。
操縦桿を後ろに引きっ放しで、なけなしの牽制たる振動剣を振り回すにも、そろそろ無理があった。

『もう時間が無いッ!
 これ以上は……間に合わなくなっちゃうんですよッ!!』

耳には、悲鳴に近い懇願が聞こえる。

『死んじゃう。このままじゃ、また……』

助けたいのだと、
死なせたくないのだと。

『お願いですから、退いてください、澪さん!』

道を開けてくれ、と。
涙交じりの声が聞こえる。

『そうじゃないと私は……私はあなたをっ……』

――殺さなくちゃいけなくなる、と。
告げられた覚悟の言葉を、受け止める。

「…………っ」

一瞬、ほんの一瞬だけ、決意が揺らいだ。
決めていたはずの思いが揺れた。
今見せられた躊躇いと覚悟はきっと、澪が知る憂の思いに違いなかった。
かつての彼女なら、姉のためならば、きっとそうするに違いなのだから。

「だめ、だ」

だけど、拒絶した。
奥歯が折れるくらい噛み締めて、思いを飲み込む。
自ら定めた誓いを遂げる為に。
あの日常を、もう一度取り戻す為に。
東横桃子へと告げた言葉を、今こそ果たすために。
時が来れば、戦うと、決めたはず。

「私は……退けない!」

徐々にばらけていく機体と、
意識の渦中で、澪は必死に、操縦桿にしがみついていた。






 ◇ ◇ ◇







「どうして……っ!?」

もう何度、疑問を訴えたか分らない。
それでも平沢憂には問い続ける事しか出来なかった。

勝負は簡単につくと思っていた。
紅蓮弐式の操縦にも、憂は瞬時に慣れていた。
反して澪は未だに機体に振り回されている。操縦技術には天地の開きがある。
負ける要素が無い。そもそも勝負になってない、はずなのに――

「せああああッッ!」

気迫を振り絞り、放つ、特斬刀の二連撃。
上段からの唐竹割りモーション、そして下段からの打ち上げは赤き二刀に防がれる。
とはいえ、これは予測済み。
その後、左側から横薙ぎのフェイントを挟んで、跳躍。
中空で横一回転する紅蓮の軌跡。逆方向からの両足蹴撃二連発。
一撃はかするに留まったが、後発の蹴りがまともにヴィンセントの頭部に直撃した。

『――づぁ!!』
「くっ……」

敵の苦悶を聞きながら、憂自身にも重力と衝撃が圧し掛かっていた。
蹴りのインパクト。瞬間、紅蓮は未だ滞空している。
それは、初めて見せた隙である、と。
左側に流されていたヴィンセントが判じ、久方ぶりの反撃を突き出した。
しかしそれすらも、憂は特斬刀一本で容易く撃ち払ってみせる。

『っ!?』

その驚愕には心中で鼻をならす。
当たり前だ。何のために左腕を引き戻していたと思うのだ。
ともあれこれで狙い通り。
致命の隙を晒したと自覚した澪がまたしても後方へと跳び退る。
が、それすら既に見飽きた動作。
紅蓮の左胸より射出される飛燕爪牙(スラッシュハーケン)が後を追う。
ほぼ決まったと、確信する一撃が直撃する。
おそらくこれで完全に昏倒するであろう敵の頭上を、瞬く間に超えて突破すればそれで終わり。

『ぐああっっ!』

だというのに必殺の一撃は、苦し紛れの太刀筋(MVS)によって、急所を外されていた。
澪はやはり、十分な対応には至らない。
根元を叩きつけるように振るわれた剣は激突の瞬間に宙を舞い、傍らの建造物に突き刺さり。
それでも弾ききれなかった飛燕爪牙が右肩部のファクトスフィアを砕け散らす。
ヴィンセント本体は斜め後方へと弾き飛ばされ、高層ビルに叩きつけられ、止まった。

「また……!」

それでも、憂を激昂させるには十分な現象だった。
――また凌がれた。
もう何度も、このような一方的な攻防が繰り広げられている。
開戦以降ほぼ攻めっぱなし。だというのに、後一歩というところで勝負がつかない。
三度目くらいまでは偶然と思った。十度目を越えた辺りで、焦りが滲んできた。
逃げるように後退を続ける澪の機体を、完全に捕らえきることが出来ないのだ。
決定的な一撃だけが、何故か入らない。敵は弱く、だがありえない程しぶとい。
逃避、まるでその分野でのみ、強烈なプラス補正がかかっているかのように。

ひたすらに焦燥が詰み上がる。
これが単純な勝負なら、持久戦で決着は付く。
だが憂の目的は倒す事ではなく、一刻も早くこの先に進む事だ。
退かせる事には成功している。前進はしている。
けれど澪が障害としている限り、憂は逐一足を止めなければならない。

澪を完全無視してこの場を突破することは不可能。
左右に抜け道は無く、一対一である以上、ビルの上までハーケンを飛ばすには隙が多すぎる。
かといって他のルートを探すなど論外だ、結局前にしか道が無い。
超えていくしかないというのに、この敵は何故かどれだけ攻撃しても倒れない。

『はぁっ……はぁっ……はぁっ…………っ……はぁっ……』

通信機から聞こえてくる声は、先ほどから息切れの音が大半だった。
極度の集中、揺れ、衝撃、重力。それらは優勢者よりも劣勢者側に牙をむくもの。
既に疲労は限界まできているだろう。
満身創痍の体。なのに秋山澪は、未だ倒れない。

憂はその姿から受ける痛みを振り切るように、再び跳んだ。
先ほど弾かれていた飛燕爪牙は、ヴィンセントの手前にある高層ビルの鉄骨へと噛み付いている。
そのワイヤーを一気に引き戻して。

「もういいッ!」

ぐん、と。ヴィンセントの左上方へと抜ける軌道。
「許さない」と言うように、妨害の剣を振るおうとする敵機。
その頭部へと、接近の勢いを全て乗せた前蹴りを見舞う。

『がっ!?』
「もういいじゃないですか!」

後ろに跳ね飛ぶ敵機体。
それでも気迫を失わない澪へと、容赦なく追撃を振るう。
放つ特斬刀、それがいまだ顕在していたヴィンセントの左肩の、ファクトスフィアを打ち砕いた。

『しまっ……!』

通信機から聞こえる狼狽の声。
おそらくこれが、憂への待ち伏せを為さしめた機能、広範囲探索機器。
しかしもう、潰した。
此処を突破してしまえば、これ以上、紅蓮を追う事は出来ないだろう。

「もう無理だって分ったでしょう!?
 いい加減、逃げればいいじゃないですか! ここで止めればいいじゃないですか!
 負けを認めて、ここをどいて、そうしてくれれば……!」

斬撃が、蹴撃が、射撃が、鋼鉄の怒涛が、絶え間なくヴィンセントを引き裂いていく。
膨大の衝撃が敵機を揺らす度、苦悶と苦痛の声が鳴る。
その度に、胸が、軋む。

「もう、やめてよ……」

勝てないくせに。
本当は機体を立たせているのがやっとな状態のくせに。
どうして立ち向かえるのか。
どうして――失った者の為に、いつまでも強がりを続けようとするのか。

「どうして――」

『決まってるだろ』

問いかけた、問いに、返される答え。
苦悶の中、朦朧としている筈の意識の中で、
秋山澪のその一言だけは、驚くほどに澄んでいた。

『だって――』

まるで歌い上げるように、誇るように、
さも当然のように、断言する。


『だって私は、軽音部の一員だから』


―――だってわたしは、憂のお姉ちゃんだから。


瞬間、声が、誰かと、重なって。

「…………ぁ」

形は違っても、意図は違っても、二つは同じ形をしていたから。

「――ッッ!!」

故に、ふざけるな、と。
不意に襲った衝動に抗えず、
憂はそれを、全力で殴りつけていた。




 ◇ ◇ ◇





赤いナイトメアの攻撃は苛烈の頂点を極めている。
秋山澪は今度こそ、命の危機に直面していると理解した。
戦いは佳境に入っている。
覚悟していたが、いざその時がくると恐怖が体を縛る。

「……っ……っ……」

絶え間ない剣戟。
なんとか防ぐ。
なんとか避ける。
逃げ続ける。

一進できずにまた一退。最初からずっとこの調子だった。
澪は依然、後ろに下がることしか出来ていない。
ここまできて何一つ、前に進めていなかった。

逃げている。結局は逃げている。
それを一度肯定したとは言えど。
このままでは、これまでと同じだ。
何一つ変わらない。変えられない。
いつかは押し切られて、それまでだ。

もう明らかだった。
秋山澪では勝てない。
平沢憂には及ばない。

「……っぁ……くぅ………っっ……」

声は枯れ切っていて、呻きを発せているのかも分らない。
聴覚もほぼ麻痺していた。
流れ落ちる汗が、目に入ってくる。
頬を流れるものが汗か涙が、すでに自分でも分らない。
顔はぐしゃぐしゃな様相で、いずれにせよ視界は白む一方だった。

(――はっ。やっぱりさ、憂ちゃんはお前の妹だなって……思うよ)

意識が飛びそうになる。
そんな場合じゃないと知りつつも、澪はかの日々を思い出していた。
内の一つ、陽だまりの様な笑顔。
そして閃光のように煌いていた、一人の少女を。

(……なあ、唯)

いまの平沢憂を見れば、彼女を思い出さずにはいられない。
必死に練習していた機体の操縦をあっさり抜かれて、もうこんなに距離を離されている。
それはあの日常の中においても、憶えのある感覚だった。

(お前を見てるみたいで、なんか清々しいよ)

やっぱり才能の差なのかな。
などと思いながら、澪には不思議と、不快は無かった。
ギターの腕を驚異的な速度で上げていった彼女の姿は、眼に焼きついている。

(正直に言うとさ。その才能には、ちょっぴり嫉妬とかしてたんだ)

誰だって羨望する。あの才能と人格を見れば思う。
羨ましい。明るく、笑顔で、朗らかで、微笑ましくて。
あんな風に、生きることができたらいい、と。
それがどれだけ難しいかを、澪は人一倍知っていたし、少なくとも自分には無理だと確信していたから。

(それと同時にさ。ちょっぴり憧れてたんだよ)

激化する猛攻の中で、彼女を想起する。
あっという間に澪を追い抜いて、そのまま遥か遠くまで行ってしまいそうだと、最初は思った。
けれど、ずっと傍にいてくれると、すぐに分った。彼女が言葉にせずに、教えてくれた。
あの夏の夜、舞う火、広がる星空、それら全てを背景にした、彼女を忘れない。

彼女は――平沢唯はいつだってそうだった。
いるだけで、話せばもっと、遊べばもっと、演奏すれば最高に、傍にいる人をを楽しくさせる。
安心させてくれた。
彼女が合わせていたのではなく。
それが彼女の速度、彼女の好きな、歩幅だったのだ。
だから澪も、彼女も、軽音楽部の皆が、一緒に歩いていけた、一緒に歩いて、楽しかった。

(ああ、楽しかったよな。
 最高だったよな私達。
 もっともっと、一緒にいたいよな)

彼女が笑顔である限り、幸せな気持ちになれる。
だけどいまは、彼女の笑顔を思い出すたびに、辛い気持ちになった。
それはきっともう、二度と見られないと、知っているからだ。

(なあ……唯……間違ってるよな、こんなの。
 こんなふうに終わっちゃうなんて、嘘だよな、嘘にしなくちゃ……駄目だよな。
 だから私はいま……憂ちゃんと戦わなくちゃいけない、傷つけなくっちゃいけないんだ……間違ってないよな……?)

返答は聞こえない。
死人に口なし。
平沢唯は、肯定も、否定もしない。

(ははっ、うん、そうだよな)

けれど秋山澪はその答えを知っていた。

(間違ってないわけ……ないよなぁ……。
 こんなの、おかしいよな。私もそう思うよ)

間違った行為、答え。

(でも、私は間違えてるって知ってて、進んでるんだよ)

正解に変えるために、いまここにいる。

(だからごめんな、唯。
 恨むよな、当然。
 私のこと、絶対、嫌いになっちゃうよな……)

それでも、澪は自分の為に戦おうと決めていた。
許してくれなどと、言う気もなかった。
平沢憂にも、彼女にも、だから、恨まれたってかまわない。

『どうして――?』

けれど、どこからか、
彼女の問いが、ノイズに乗って聞こえた気がして。

「決まってるだろ」

答えるためにその言葉だけはハッキリと、口に出した。
いつだったか、こんな自分を「かっこいい」なんて言ってくれた、彼女の為に。
精一杯、かっこつけて。


「だって私は、軽音部の一員だから」


友達だから。
お前達と一緒にいたいから。
ただ、それだけなんだよ、と。
告げた瞬間に何故か、一瞬だけ、敵の動きが精彩を欠いた気がした。

「………い、いま……っ!」

大振りで、焦ったような一撃。
突如現れた隙に、澪はヴィンセントをこれまで以上に大きく後退させる。

追撃が、久方ぶりに停止した。
おそらく数秒後には、紅蓮はまた驚くべき反応速度で澪を追ってくるだろう。
けれどそれだけの猶予で、十分なのだ。

「……はっ……っ……はぁ……」

収まらない動悸、切れない息。
だけど距離が、開いた。体勢が、立て直せた。
要因は不明だが今は理由などに構っていられない。
余力は僅か、だが、まだ少し残っている。

「っ……いく、ぞ」

ならば、今しか無い。
不可能でも、可能にしてみせる。

「――――すぅ」

澪は、息を一つ、吸い込んで。

「――――っああああああああああああああああああああああああッッッ!!」

吐き出す気合と共に、澪はこの戦いで遂に前進を実行した。
回転方向を真逆に切り替えるランドスピナー。
コンクリートを裂くように、赤き二本の跡を残して、前へ、前へ、前へと進む。

突如の前進が予想外だったのか、紅蓮の動きが一瞬、躊躇したように見えた。
けれどそれも一瞬、すぐさま剣を構えて向こうも前進を続けてくる。
狙い通り、ここまでは、


「ああああああああああああッッッッ!」

思いすら整理のつかない。
真空のような真情の中で澪は、それを、その事実を思い起こす――


――秋山澪は平沢憂に届かない。決して勝てない。及ばない。
扱う機体の性能(スペック)にそう差は無いにも関らず、しかし圧倒的に劣勢。
何故か。
どれだけ機体性能の面で拮抗しようと、秋山澪がそれを制御する腕をもたないからだ。
故にいま、勝つために、秋山澪が頼るのは奇跡だった。運命を託す、大博打。
いまここで、一瞬でいい、ヴィンセントの本来の力を引き出さんと賭けに出る。
四基のランドスピナーとスラッシュハーケンが織り成す、三次元立体駆動の実現を、いまここで――


実行する、唯一の策を。


「いくぞッ」


――姿勢を、固定。

機体の向きと傾きを、定められた形に変える。

―ランドスピナーを、停止。

車輪の急停止。急激な慣性に傾く機体。

――スラッシュハーケン、射出。

ヴィンセントの腰元から、
伸ばされた二連のハーケンが上方と下方に放たれる。

「頼むッ! ヴィンセント!」

地を貫く、一。
天を噛む、二。

――脚部駆動。

この時、この瞬間の為に、限られた時間の中で何度も何度もシュミレートを繰り返した。
結果は一度も、成功しなかった。失敗しか、経験していない。
練習ではもちろん、想像の上でさえ。

「跳べええええええええええっ!!」

だけどいまだけはどうか、どうか叶えてくれと祈りを込める。
二つのハーケンと脚部によって、機体の全体重を押し上げ、引っ張り上げて。
天を掴むように、空へと跳び上がる金色の機体。

『なっ――!?』

同時、耳に聞こえる、虚を突かれた敵の狼狽――黙殺、直後。

「飛んでくれ……ッ!」

中空にて機体を捻り、ランドスピナーを再起動。
そしてビル壁を、今確かに――捉えた。

「……で、出来た!」

空を駆けている。
それは何百何千何万分の一の確率を掴んだのか。
澪はいま、狙い通りに、中空を飛んでいた。
ランドスピナーがビル壁を道と捉えて、走る、走っている。
紅蓮を遥か眼下に捉えたまま、その頭上を往く。
憂の背後を、絶対の死角を取る。逆転の一手を、掴む。
あとは駆け下りて、その背に一撃を――

「――――あ、れ?」

加えんとした刹那、手ごたえが、消えうせた。
振動が、無くなった。
ヴィンセントの足が捉えていた空(みち)の感触が、操縦桿から霧散した。
咄嗟に、澪は機体の足元を見、

「そん、な」

高揚していた頭は一瞬で冷め切って、全身から血の気が引く。
目に飛び込んできたのは、軌道のブレたランドスピナーがビル壁から滑り落ちるその瞬間。
機体のコントロールを失う、目前の光景。
それは、奇跡の終わりを意味していた。

「は――――まぁ、そうだよな」

これが、限界だった。奇跡はそんなに安くはない。分っていた。
所詮は素人の見様見真似。
才能も無いただの女子高校生に、為せる所業ではなかったということ。
これはただ、それだけの事なのだ。
視界だけは未だに空を仰いだまま、澪は空へと手を伸ばす。

「でもさぁ、こんなに頑張ったんだ。一つくらい、奇跡をくれたっていいだろ……」

永遠にも思えた刹那の後。
間隙が終わる。全ての浮力が虚無に変わる。
足場を掴み損ねたヴィンセントの全身は、秒の間隙を挟まず百メートル相当の高度を自由落下で堕ちていく。
落ちる。落ちる。落ちる。
胃がせり上がるような不快感とともに、澪は翼を失って、真っ逆さまに、
凄絶な勢いで、コンクリートの地面へと叩きつけられた。

「――っぁぁッ」

落下の振動が澪の全身を前後左右にシェイクする。
鼓膜を破くような耳鳴り。頭蓋の割れるような衝撃。
体内で臓器の位置が入れ替わってしまうのではないかとすら思えた。

「痛……ぅ……げほっ……あぅっ……」

咽る。
思考すらバラバラになりそうだった。
自分が今まで何をしていたのか、何をしなければならないのか、曖昧化しそうになる。
意識は断絶寸前で、今にも気を失ってしまいそうだった。
それでも、澪は弱弱しく額を袖で拭い、濁りきった視界で前を見据え、なんとか機体を起こそうとして。

『――――ぁ』

久方ぶりに、通信機からの憂の声をハッキリと聞いた。

『な……にが……!?』

それは息をのみ、驚愕に染まっている。
どうやら意表を付くこと、背後を取る事には成功したらしい。
しかし、いま澪が憂の後ろに回りこんだことで、当然二人の位置は逆転した。
気づかれたらお終いだ。抜けられる。突破される。
故に今ならまだ、間に合わせる、と。攻撃を再開しようとし、

「――なッ!?」

まだ眩む頭でヴィンセントを起こした瞬間だった。
紅蓮が、ターン運動で急速に振り返る。

『――――ッッッ!』
「まずっ……」

赤の軌跡を残し、紅蓮の全身が反転する。白銀の光が澪を突き刺すように煌く。
振り上げられた銀色は、左手に握られた剣ではなく、右の――爪。
来る。と、直感した。

――死が、やってくる。

ノータイムで後退を選択した。
いまは一秒でも早く、一歩でも遠くへと、あの腕の間合いから逃れるために。
振り下ろされる、紅蓮の右手。
アレが行使されるとき、何が起こるのかなど澪には分らない。
ただアレに触れられたらそれで終わりだと、絶大な寒気を感じ取っていた。
操縦桿を引く、退くことしか出来ない。

けれど、その選択は間違いではなかった。
あと一瞬遅れていれば、捕まっていただろう。
コンマの差で右腕の攻撃圏内から脱出できた。
目前で腕が止まる。
後退がギリギリで間に合った。
その早合点が、破滅への切符だと、気づけない。

「は?」

安堵と共に足を止めた澪の、ヴィンセントの真上に、紅蓮の右手がある。
一瞬、意味が分らず、唖然とした。

「腕が、伸び……た?」

瞬間的に、致命的な見落としを悟る。
異型の右手ばかりに注意を引かれ、右腕そのものの違和感に気づけなかった。
間接が幾つもある腕を、数度も折り曲げ畳むようにして、実際の長さよりも短く縮められていた紅蓮の右腕。
クランク伸縮ギミック。
枷を解かれたその長さは実に、初見の二倍近くまで伸び上がっている。

今回ばかりは年貢の納め時だった。
虚を突き返された澪の反応は間に合わず、紅蓮の腕が後退よりも一瞬早く下りてくる。
カギ爪が、降りてくる。

「だめっ……!」

苦し紛れ、迎撃の為に翳したヴィンセントの左腕、それを、捉えられた。
鋭利な爪が、ガッチリと左腕にまき付いていく。
逃がさないと言わんばかりに、ヴィンセントの後退を完全に引き止め。

「逃げられな――」

心は一瞬で、空虚に支配された。
もう遅いと、心のどこかで悟った次の瞬間。



幕引きの真紅が、澪の目前で瞬いて――







 ◇ ◇ ◇





不意を撃たれた。

背後に死がある。
平沢憂は、そう思った。

「――――ぁ」

勝てる。負けることは無い。
そういう油断を、頭から信じ込んでいたことが災いした。

「な……にが……!?」

一瞬にして後ろを、とられた。
まずい。
このままでは、まずい。殺される。
死にたく、ない。

断片的な思考。
思ったときには、体が勝手に動いていた。

「――――ッッッ!」

だから生きるために最適で、最悪の反撃を選択していた。
使いたくないと、封じていたはずの禁忌を躊躇なく解き放つ。
生きるために、死なない為に、反射的に実行した。
紅蓮の武装の中で最も強力で、最も殺傷能力の高い武器を背後に向けて。
反転と同時に、爪を、振り下ろす。

脳裏を支配する、死の恐怖。
それ以外には何も無い。



だから憂は、このとき何も見えていなかった。


発動を、止める事はできなかった。





 ◇ ◇ ◇






赤き機体。
銀の右腕。
紅蓮の光。

正しくこの機体の名を象徴する、反撃の緋。
その銘、『輻射波動機構』。
右手の爪で捉えた破壊対象へと、掌の中心から放出されるマイクロ波を極短い間隔で叩き込み、
内部より多大なる熱量を発生させ急激に加熱、膨張させ、爆散させる。

かつて、とある一人の少女が黒の騎士団のエースとして、
幾多の敵を葬り去った必滅の対ナイトメア兵装である。

機体の代を変え、名を変えようとも、原点はここに在った。
行使が示す、その意味は変わらない。
抵抗と、反逆と、殺害の意志、その具現。

つまりは、死の宣告である。





 ◇ ◇ ◇





捕まれた腕。放たれる波動。
紅蓮の光が巻き起こる。
先端から熱膨張していく機体の片腕。
瞬く間にコックピットへと迫ってくる死。

止まったような時の中で、澪は視界の隅にそれを見た。
その時、確かに見たのだ。
起源に従い、意図するまでもなく、
座席の下部に取り付けられた脱出装置に伸びようとする、己の『左手』を。

(――ああ、そうか)

その瞬間、秋山澪は理解した。
なんの前触れもなく。
理屈も無く、理由も無く、ただ理解してしまった。

(ここが分岐点、なんだ)

『逃げない道』『逃げる道』それを選ぶのは、今なのだと。
ここで己が何を掴むのか。『脱出装置(撤退)』か、『操縦桿(続行)』か。
その選択こそが秋山澪の答えであり、真実。

(私は――)

だから手を伸ばす。
選びたいと思った。
己が本当は何をしたかったのか。

逃げるのか、逃げないのか、なにを求めたのか。
その答えがここにある筈だから。
だから澪は、紅蓮に染まる視界の中で、

「私は……!」

遂に、至る。
それを――再度伸ばした『右手』で、もう一度、掴んだ。
その――操縦桿(こたえ)を。

逃げない。
逃げない道。戦いを続ける。
その意味を知る前に、紅蓮の光が世界を覆う。

解に至る。
全てが、赤色に染まっていく景色を前に、
秋山澪は己の死を、長い道のりの、終わりを感じた。






 ◇ ◇ ◇






市街地の中央で、爆音が轟いた。


装甲が砕け散る。
まるで膨らませた風船を握りつぶすように。
鋼鉄の弾丸を防ぎきる装甲も、内側からの破壊には容易く崩落する。

赤と黄の色が弾けて、残る色は黒い煙。
宙にばら撒かれた灰色の、鉄くずの欠片。
けたたましい音を奏でながら、かつてヴィンセントだったものが、地面にばら撒かれる。

「はあっ……っ……はっ……」

平沢憂は荒い息をつきながら、その光景を目視していた。

「どうし、て」

言葉は、

「どうして、あなたは……っ!?」

言葉は最後まで、『疑問』だった。
理解できない。
一体全体、何を考えているのか分らない。
分りたいとも、思わなくなるほどに。

「もう……いい……」

かぶりを振る。
答えはもう、聞きたくなかった。
平沢憂はいまこのとき初めて、秋山澪に恐怖した。

「さようなら……澪さん……」

背をむけて、逃げるように、走り出す。
既に道は開いた。
ならばこれ以上、関っている時間はない。

故に憂は、その場を後にした。
バラバラになったヴィンセントの左腕と、
そして路上に残る『残骸』だけを、後に残して。
















【舞姫・弐ノ劍閃(内核)――了】




















 ◇ ◇ ◇





しん、とした空虚さが、そこにはあった。
凍ったような世界。
誰もいないオフィスビル街。
誰もいない路上の冷たさの、滲む場所。
寂びれきった都市部の中央にて、残されたのはもう一つ。


「――――は」


前のめりに建造物へと突っ込んだまま、停止している大型の鉄塊がある。
放置された、ヴィンセントとよばれる機動兵器の残骸だった。
各部位の損傷は甚大で、左腕に至っては肩部から途切れている。
しかしそれはまだ、原型を留めている。
路上の真ん中で、まるで放置された残骸のように動かない。
その、狭いコックピットの内側で、敗北者は一人、横たわっていた。

「ははは……」

掠れた声で、笑っていた。

「ははははははっ……」

渇いた声で、泣いていた。

「……そっか」

敗北者の少女は、シートにもたれたまま、泣いていた。
終わってしまった戦い。
少女、秋山澪は負けた。

「そうだったのか……」

同時に、一つの答えを得た。
両手に握る操縦桿がそれだった。
示された答え、自分で選んだ道だった。

「なんだ、単純なことだったんじゃないか」

ボロボロとこぼれる、涙が、止まらない。
シートに落ちる滴が、赤色と混じりあいながら零れていく。
拭う気力すら起こらない。腕に、力が入らない。
暫くは身を小さく震わせる事しか出来そうになかった。

座席に、深く身体を沈める。
体中が痛んだ。
このまま眠ってしまいたかった。

「私は……また、逃げたんだ」

選び取った答えを理解している。
あの時選ぶべき選択が、どちらであったかを知っていた。
握り締めた操縦桿、その選択が示す意味を。

あの一瞬、起こった出来事を思い返す。
迫り来る死。捕まれたヴィンセントの左手は使えず。
活路があるとすれば、右手のメーザーバイブレーションソード一つのみ。
それをヴィンセントの左腕に叩き込み、膨張がコックピットに及ぶ前に意図的に腕を破壊する。
トカゲの尻尾切りのように。そうやって、窮地を凌いで、反撃に転じる起死回生の動作。

けれどそれが、決して『間に合わない』ことを、秋山澪は気づいていた。
今生きているのは、敵に生かされたからだ。
直前で波動が止められ、紅蓮の特斬刀がヴィンセントの左腕に突き立てられたからにすぎない。

澪自身が凌ぐ方法を思いついた時点で既に遅かった。
ヴィンセントの右腕が振るわれる前に、波動はコックピットにまで及ぶ。
分っていた上で、この選択をした。
それがつまりどういう意味をもつのか。

澪は操縦桿から手を離す。
宙に、翳す、両の掌を見た。

「逃げたんだ……結局、私は……」

生きている。秋山澪は生きている。
その事に喜びも、安堵も、何一つ在りはしない。
ただ愕然とした。
己の中の真実に、見つけた答えに、呆然と掌を見つめる事しかできなかった。

「私は……死のうと……」

脱出装置と、操縦桿。選んだ選択は、後者。
『逃げない道』、それは否だ。
己はいま起源を乗り越えたのではない。
寧ろ逆。
ただ、死にたかっただけなのではないか。
ただ、逃げたかっただけではないか、と。

「……はは……なんだよそれ」

そう考えれば不可解だった色々なことに説明がつく。
日常の中で誰よりも臆病だった筈の自分が、命をかけた戦いに挑み続けた理由。
誰かを殺す、そういう悪者へと、変ろうとした本質。

ずっと前から、無意識の内に、命を捨てようとしていた。
逃げ続けていた。
誰も追ってこられない『死』という場所に、逃げ込みたかっただけではないか。
秋山澪の戦う理由とは、ただそれだけの事だったのではないか、と。

「なんでだよ……なんでこんなに……」

涙が溢れて止まらなかった。
渇いた笑いと、掠れた嗚咽で、狭い空間が満たされていく。
憂の背中を追う気力は、欠片も無い。
彼女にいま何をさせようとしたのか、理解している。
だからあわせる顔が無い。最早誰にも、救いたかった友達にも。

「なんでこんなにも……私は弱いんだ……!」

嗚咽と共に、拳を壁にたたきつける。
憎かった。
自分さえ騙して、全てを投げ出そうとした自分自身が憎い。
どこまでも矮小な自分が憎い。
何も守れず、何も出来ず、結局全てから目を逸らしていたのは秋山澪の側だった。

「どうして……私はこんなにも無力なんだよぉ……」

力が足りない、足りなすぎる。
前に進む為のちっぽけな勇気さえ持っていない。
もう引き返せないと分っていて、幾つも犠牲を生み出したくせに、ここで足を止めてしまう。
そんな者に、何が出来るというのだろう。
立ち止まって、座り込んで、泣く事しかできない。
正義の味方どころか、偽善者にも偽悪者にもなれはしない、ただの軟弱者。

「くやしいよ……」

それが、秋山澪の正体であると、涙した。

「お前の強さがほしいよ……唯……」


ただ、己の無力さに震えながら。
鋼鉄の中、少女は一人、泣いていた。
















【 ACT2:『舞姫(まいひめ)』――了】




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最終更新:2013年08月13日 23:21