junction <異理(コトワリ)の問答(ハナシ)> ◆ANI3oprwOY
―――それは残存するすべての参加者が戦闘を開始する、その直前の幕間―――
言峰綺礼は黙して通路を歩いていた。
分厚い筋肉に覆われた長身に黒い僧衣を被り、首にかけられたロザリオは真摯に照らされている。
口元は締められ、その静かな表情には一切の情緒も見られない。
地を踏む靴の音だけが通路に残響し、薄い照明だけが通路に光を差していた。
現在、バトルロワイヤルの仮運営を任せられている彼だが、肩書きに見合うほどの忙しさがあるわけではなかった。
機械的作業はほぼ全自動で管理されており、口をはさむ必要性もない。
既に局面は最終段階まで進んでいる。
ここまで着けば、あとの差配は『あちら側』で統制していることだろう。
極論してしまえば、ただ眺めているだけでもいいのだ。
そう弁えていてもこうして動いていたのは、彼自身が動く意味のある、彼専用の仕事があったからだ。
ショッピングセンターに設置されていた、販売機と連動する特別措置。
対象者が購入した義肢の接続作業。
治癒魔術を習得している綺礼はその役割を果たす任を負っている。
今も会場に設営したサービスの執行者として会場に降り、購入者の施術を完了させていたところだ。
健常者が今まで自由に動かしてきた四肢を失う痛みや喪失感は、並大抵のことでは耐えられない。
爛れた皮膚、潰れた肉、折れ曲がり砕けた骨。
変わり果てた体を直視し、それを自分の一部なのだと認めるのは、精神的にも強い苦痛と拒絶感、絶望感をもたらす。
だからこそ、その設備は喉から手が出るほど欲しい救済となる。
料金は必要となるが、それを除けば別段問題はない。
傷の治療という曖昧な定義がある薬局店のサービスと比べて、こちらのそれは隠しようがないほど単調だ。
接続の時間は最小で済むし、機能も本物と変わらぬ精度で動く。システムそのものに不備は全くない。
あるのは、構造的に除外できない要素に潜む欠陥。
当然、このサービスを受けるのは大きな傷を負った人物だ。
機械で動く全自動でない以上、施術を行う人物がいるのも自明の理。
そこには必ず、"治す者"と"治される者"の二者が存在する。
そして前者に添えられた人物が言峰綺礼であることに、最大の落とし穴が潜んでいる。
待っていたのは、二人の少女。
薄暗がりの通路を歩きながら、綺礼は先に起きた邂逅を思い起こす。
東横桃子。
孤独を起源に持つ存在不鮮明者。
真実の愛、偽らざる真実に開眼して唯一の勝者を目指す。
秋山澪。
生き残りの中で最弱と目されている圧倒的弱者。
にも関わらずここまで生き延び、奪われたものを取り返す奇跡を望む。
どちらも、綺礼の空虚を埋めるに足る美酒だった。
久しく味わうことのなかった、魂の輝きがもたらす生々しさと、繊細さ。
自然と口の端が上がる。声に出しこそしないが、その表情は微笑を浮かべて胸の歓喜を表している。
東横桃子はまだ未練を残しているようだが、脱却は近い。
全てを捨てる覚悟に至るのはそう遠くないだろう。
彼女については既に観察を終えている。どういう道筋を辿るかについても、大凡の見当はついている。
むしろ、興味の度合いでいえばもう片方の少女にあった。
あまりに弱く、あまりに脆く、願いを叶えるには何もかも足りていない。
今にも折れてしまうかと危惧してしまうほどに小さく憐れな命。
それでも諦め絶望することなく、望外な願いへ手を伸ばす。
その徒労を愛しいと思うのは、あるいは檻の中の小鳥を玩弄するものなのだろうか。
慈悲は見せた。
道は示してやった。
あとは、本人の意志次第だ。
そこに辿り着くまでの苦悩と最期を眺められれば、己はそれで満ち足りる。
言峰綺礼にとって、今の生活は一時の夢のようなものだ。
泡沫の幻想。終わりを迎えた筈の物語の後日談。
生涯を助走とし死に向かい飛翔するのが人の生であるのなら、今自分は着地した地点から動いているようなものだ。
有り得ないはずの延長。続くわけのない挿話。
そして行き着いたのは結局、生前と変わらぬ役目。
自分はとうの昔に終わった人間であり、拾った命に関して強い執着もない。
しかし自ら命を断つのも、己が信ずる神の教義に反する行為である。
ならば、趣味に走るしかなかったのは道理だったのだろう。
目的と呼ぶには程遠い、純粋な興味と疑問。
この喜劇の完結の瞬間に、その答えを見届けることができるのならば。
道を外れた哀れな求道者にも、慰み程度の救いは得られるだろう。
或いはもっと大きな、生前にすら得られなかった答えを見れるやもしれぬと、僅かな期待も持ちながら。
豪奢な飾りつけもされてない関係者用の裏通路を進み、扉を開ける。
そこは本来彼が向かうべき司令室でもあてがわれた休憩室でもない。
なんらかの作業部屋と思しき一室。人は入っていないのか照明は付いておらず、計器類の点滅のみが淡く室内を灯している。
ゆっくりと足を踏み入れる言峰だが、すぐに立ち止まることになる。
誰もいないとされていたその部屋に、先客がいたことに気づいたからだ。
成長期を超えきっていない未熟な肢体。
短く切られた亜麻色の髪。
どこかの学生服と思しき衣装。
生気を抜かれた両眼が綺礼を射抜いた。
「やあ、こんな所でなんの用だい、言峰綺礼?」
それ自体―――妹達《シスターズ》がそこにいることに疑問はない。
船内の各機能の調整役として送り込まれた駒だ。
最低でも一人はいると考えていた。休みなき調整こそが彼女らがここに来た目的であるのだから。
意外であったのは、そこに対話の機会が存在していたこと。
手の込んだ芝居をうってまで生を偽装した、天上の支配者が顔―――借りものの器だが―――を見せて。
リボンズ・アルマークが言峰の前に現れたことだった。
「よいのかな?表向き、君は死んだ立場の筈だが」
「気にすることではない。そもそもはじめから君は信じていなかったろう?」
あどけない、瑞々しい少女の声。
しかし内包されたものは断じてそれとは違う色。
絶対者。超越者。天上者。
ヒトには渡れぬ位置に立つもの。
そう呼ばれるに相応しい威圧感を金の眼に炯々と寄せている。
「君がこちらの偽装に気づくのは分かっていたし、気づいても派手に動き回ることはしないことも知っている。
なら、こうして姿を見せたところで大きく変わることもないさ」
呆気なく正体を晒した管理者の代理人は微笑で応える。
その顔には、余分なものがなさすぎるが故の歪みがある。
人では断じて有り得ない、感情が欠落した表情だった。
「便利なものだな、イノベイターというものは。
人の手で鋳造された生命。自己を乗り移る器さえあれば何度でも蘇ることが出来る不死性。
三百年も先の技術というのも頷ける」
「そういう君の世界の方にこそあったろう、似たような技術は。
ホムンクルスとやらも、それに当たると思うのだけれど」
「ホムンクルスは魔術的にはともかく生命的にはひどく脆弱だ。
鋳造の段階で役割を定めて設計している故に寿命もごく限られている。
自己の完全な後継を造り出す技術を、この時代で確立させたのは希少だ」
あくまで仮初の運営係である綺礼と、主催陣営で頂点に位置するリボンズとは立場も権力も違う。
それを枠まえた上で神父は謙ることなく、リボンズもそれを気にした様子もない。
暗闇に向かい合う二者は、まるでそのために集まったとでもいうように立ち話を始める。
弛緩しているのか緊張しているのか判然としない空気の中、他愛もない雑談が続けられる。
「会場で確認された蒼崎橙子は肉体を移し替えた荒耶宗蓮だったことが確認されているが。
懸念材料が消えたことには安心したかね?」
「そうだね。本人があの場所に辿り着く事は万に一つも無かったろうけれど、それでも杞憂に終わったのなら僥倖だ。
荒耶宗蓮が何をもってこちらに疎意を抱いたのかは、まぁ大体想像はつくけれど。今更だろう。
すべて、ね」
話題は、会場を設え首輪の製作にも携わりこの計画に協力的だった魔術師へと移り変わっていく。
会場を囲う結界を組んだのは魔術師だが、それを維持する魔力源は別にある。
即ち荒耶が死しても、現状については問題はない。
よってそれについての内容ではない、魔術師自身についての話題となった。
「彼の目的については知り及んでいるけれど、僕には正直理解に苦しむよ」
「無理もない。根源への到達は魔術師のみが目指す悲願だ。
部外者がとやかく言えるものではない」
根源の渦。あらゆる現象の始まりの場所。
聖杯戦争もまた、そこへの到達を目的として開発された儀式のひとつである。
それでも、運命の舵を取るこの二人にはその言葉に魅力を感じていない。
この儀式が名を変えたと同じくして、その意味もまた変化しているのだから。
「世界の"内側"を破り"外側"へと逸脱し『根源』へと至る。それが彼の目的らしいけど……そんなに執着する必要もないだろう。
だって、ここにはその”外”から集められた者ばかりが集っている」
ゆっくりとした歩調でリボンズは室内を歩く。
丁度部屋の中心にたつ綺礼の周囲を回るように。
両手を広げ、講義でも始めるかのような大仰さで。
「僕にとっては内なる世界だが、君ら全員にとっては外なる世界。
因果も並行も突き破った、複数の平行世界の住人が一堂に会しているこの状況。
壁越しの隣人を扉から引きずり出し見せた、まったく違う景色。
ほらとっくに、世界なんて超えている」
物わかりの悪い生徒を諭す口調で、そうリボンズは告げた。
「確かに、そういう見方も出来るな。
尤も、魔術師にとっては到達することそのものが目的だ。
ただ純粋に真理というものがどんな形をしているかだけを求めて研究を続けている。
そこに至ってなにをするか、などとは考えてはいまいよ」
「成る程。理解は出来ても、共感はできないな」
綺礼の返答に、やはり飽いた表情で返す。
結局、魔術師の思想、その理念というものをリボンズはついぞ理解出来ず、またする気もない。
無意味を重ねるつまらない企てとしか認識しなかった。
「そうなると、彼はこの結果(セカイ)には納得しなかったということか。
新たな価値観を得たことで欲に駆られたのかもしれないね」
失笑混じりの、嘲りを含んだ皮肉。
しかしリボンズの言はまるきり見当違いというわけでもない。
交わるはずのない平行線を捻じ曲げ、永遠に重ならない虚像を合わせた世界。
幾多もの因果が集約し、相克する特異点。
抑止力の介入が行われないこの世界に荒耶は新たな意味を見出したのだから。
「まぁその気持ちも分かる。数多の世界。無数の可能性に並行して連なる異界。どれもが興味深い。
例えば彼女等の世界にしてもそうさ」
言って、リボンズが傍らの「それ」を視線で示す。
大型の水槽のような透明の箱の中に、少女が一人、浮かんでいた。
一糸まとわぬ裸の姿は、まだ女として育ちきっていない青い果実を思わせる。
喪失した筈の腕はその部分だけ時戻しにかけられたように残されている。
意識を剥奪されながらも、
宮永咲はまだ人としての原型を保っていた。
「盤上の遊戯をもって競う社会、面白いね」
「同感だ」
「君の場合、その社会の在り方よりも、彼女等の心の持ち様に、だろう?」
「……ふ、流石だな。全てお見通しというわけか」
「当然」
ここに閉じ込められて以来、傷ばかり負ってきてきた宮永咲は意識を失っている。
目を覚ます気力も、最早ないのかもしれない。
既にあらゆる役目も残ってないと思える少女は今なお生命活動を続けている。
そこにはまだなんらかの意図があるかもしれず、ただの戯れかもしれない。
いずれにせよ、彼女が持つあらゆるものを弄ばれてる事実に違いはない。
見やりながら神父は、少しだけ惜しむように言った。
「だが彼女に関しても、この場で閉じ込めるより参加者として迎えた方がよりよい結果が生まれる可能性もあったのではないかね?」
展示室に飾られた、お気に入りの玩具を眺めるような眼差し。
名残惜しげに、綺礼は動かぬ少女を見つめる。
もしそうなったら、というifを妄想する益体のない行為でしかない。
そも『娯楽』とはそういうものだ。無意味さの忘却。苦にならぬ徒労。
もし彼女が参加者として会場入りしていればどのような花を咲かせてくれるのか、つい期待してしまう。
死後であろうとも変わりようがない、それが言峰綺礼の魂の鋳型だった。
「あぁ、その点に関しては少しだけ考えがあったんだ」
「―――ほう、どういうことかな」
空想に耽っていた綺礼に、思い出したようにリボンズの声がかかる。
「どういう理由かは知らないけど、世界を『観察』する際には必ず”視点”が固定されるんだ。
そこでは常にある一定の人物の動きを中心に据えられ、そこに集まる人物達の行動を傍観している形になる。
まるで、彼らのために世界が回っているかのようにね」
「あの二人は、その枠組みから外れた存在ということか?」
「逆だよ。彼女らは彼女らの世界において、どちらも大きなウェイトを占めている。
特に、宮永咲は彼女の始まりを基点として話が紡がれていく。
陳腐な言い回しだが、"主人公"と呼ぶのに差し障りのない立ち位置だったよ。
……そうだね、ひとつ例え話をしようか」
膨大な数が収められてる書庫で埃を被っていた情報(ほん)の海(やま)。
賛辞でもなければ批判でもない淡々とした事実として、本を紐解いた読み手は登場人物をそう評する。
「この儀式の参加者は"主人公"とそれを取り囲む人物……"ヒロイン"や"宿敵"とでも名付けようか、それらから選出している。
観測の焦点となっているそこからしか選べないというのもあるけど、それは都合がよかった。
何故なら、彼らはその世界の縮図とでも言える形をしているからだ。
出自、所属、能力、業績……どれひとつとして単一のものはなく多様性と特殊性、絶対性に富んでいる。
さながら、伝説や神話に綴られている英雄のようにね」
「ならばなぜ、仮にも主人公であった彼女をこんな端役に?」
「だから主人公故に、だよ」
「……なるほど、またいつもの戯れか」
「実験、と言ってほしいな……」
一拍置いて、含み笑うゲームマスターは語った。
「つまり役柄の編成、さ。
主人公が主人公とかくあるように、ヒロインがヒロイン足るように、宿敵が宿敵として死ぬように。
世界の強制のような、予め定まった配役は変更できるのかという。
荒耶宗蓮に言わせれば抑止力、というやつかな。そして結果は――概ね成功さ。
彼女はこうして脇役に収まっている。主役になる気配はない。
そしてまた、他の参加者についても、定めた役柄を果たせていない」
綴り手が違えば物語の構成も異なる。
違う創作者の手に渡った作品は創作者の色に染め上げられる。
力の階層、心の光景、世界の有り様すら書き変わる。
主人公は日陰に転げ落ち、世界を救う筋書きにあった役者は悉くが死に絶えた。
事実、かつて主役であった少女は今、水槽で浮かぶ贄である。
脇役どころか役割すら承前としない、舞台装置に近い存在だった。
「世界観の跳躍は配役の変更すら可能にすると、証明された」
「いまのところ、そのようだな」
「ついでにもう一つ、そもそもなぜ世界にとって重要な人物ばかり集めたのか。
答えは簡単。君のところと同じだよ、聖杯戦争監督役」
サーヴァント。
それは過去の伝承に名を馳せた英雄を使い魔として現界せしめた存在。
世界の『座』へ召し上げられた英霊の魂を留めさせ、一気に解放することで"世界の外"―――『根源』への孔を空ける。
それが、冬木における聖杯戦争の本来の役目だ。
今回の儀式においては、魂の対象は並行する他世界の人物としている。
複数の世界へ魂が還る瞬間を固定し、世界の孔を繋げ合わせることで魔法級の業を使うだけの魔力を確保する狙いだ。
だが、名も残されていない程度の凡百の魂では利用出来るだけの孔を広げられはしない。
下手をすれば利用すらされない脆弱さだ。
だから必要だった。
名のある魂。永劫に称えられる功績の持ち主。
世界に名付けられ、世界に必要とされ、世界を救うもの。
あらゆる理不尽、いかなる不条理を遂げる機械仕掛け(エクス・マキナ)。
世界の中心に立つ英雄(ヒーロー)、偶像(アイドル)が。
主人公と銘打たれるような―――舞台の花形が。/悪役と定められた―――奈落の道化が。
「……いや、少し話しすぎたかな。これだけ饒舌になったのははじめてかもしれない。
君は監督役より聞き手の方が向いてるみたいだね」
「これでも神父だ。告白を聞き届けるのには慣れているさ」
みたいだね、とリボンズはほがらかに笑む。
しかし、その笑みはどこか冷たい色をしていた。
「さて、種も尽きたところで……次の話だ」
特段、違和感があったわけではない。
変化の兆しがあった訳でもない。
だが先ほどから変わらぬ、穏やかな空気が僅かに歪み始める。
「まだ話すことがあるのかね?」
「ああ、もう一つだけ」
確固たる、悪意の形を成す。
その形は――
「宮永咲は主人公から外れている。そう、いまのところは」
「その話はもう終わったのではなかったかな?」
「聞きなよ。確かに今の彼女は主役から外れてはいるけれど、彼女はやはり、一つの世界の主人公だ。
そうそう簡単には本来の役を外れてくれないみたいでね」
「ほう」
「バトルロワイアル、端末との接触、及び莫大な影響、物語の中心へとまるで引き寄せられるように近づいていく。
どこぞの世界の言葉を使えばフラグというものか、それを形成しようとするんだよ」
「それはそれは、厄介なことだ」
「ああ、本当に厄介だよ。今この時だって、事の中心に立とうとしてるんだから、ね」
黄金に輝く、千里の目。
それは確信の眼差しだった。
「……なるほど、またしても、お見通しというわけか」
「当然」
それを受けて神父もまた、酷薄に笑っていた。
完全なる、己の詰みを確信して。
歓談は、処刑前の審問へと擦り替わっていた。
「参加者への恣意的な幇助、私的な物品の譲渡。そして、英雄の魂の収集。
賢しく立ち回りすぎたね。君のような男がなにも事を起こさない方が不自然だというものだろう」
「拮抗した状況を崩すには最適だと思ったまでのことだ。殺し合いの促進はそちらも望むことだろう。
それに私は選択肢を与えただけだ。なにを選ぶかは彼女次第だろう」
暴かれた告発を罪科には値しないと理屈で返す言峰。
だがその理論武装も、彼が信仰するのとは全く異なる神の前に黙殺される。
「ああ、その通り、問題ない。問題ないのさ、何もね。
事実あの少女はよく立ち回ってくれたし、そうならなくとも僕は君に何もするつもりは無かった」
「だろうな、君はそういう存在だ」
「だけどね――」
影に隠れて見えなかった右手が上がる。
そこには、少女の手には不釣合い極まりない、無骨な鉄塊があった。
武器というよりも玩具のような形状の銃。
学園都市で開発されていた銃身を、イノベイダーの技術力で更に推し進めた改造型。
火薬ではなく電磁力によって撃たれる豪速の弾丸。
威力のみを換算すれば、本家がコインで放つそれにも匹敵する。
「彼女は渡せないな。
君が持つアレは見逃しても、組み合わせ生み出されるそれは少々、逸脱が過ぎる。
女神を殺しかねないからね。懸念は除くさ」
「…………」
「驚く事はないだろう言峰綺礼。君はこうなる事を十分に理解して、ここに来た筈だ。そうだろう?」
携行するには剣呑に過ぎる銃を前にして、言峰は動きを見せない。
超音速で飛ぶレールガンは避け切れるものではないし、鉄を溶かす熱を伴う弾体は防弾服で防ぎ切れはしない。
沈黙したまま処刑宣告を聞き入れている。
「ここまで話に付き合ってくれた礼だ。今までの仕事ぶりも見事だった。
君と違って苦痛を与える趣向は僕にはない。時間をかけず、一瞬で終わらせよう。
生 死体
―――ご苦労、言峰綺礼。その役目を終えて、もとの場所に還るがいい」
量産能力者(レディオノイズ)の電磁力を、レールガンを稼働させる人間発電機として使用する。
充填時間は三秒に満たない。
それだけで、男の胸には大きな風穴が空くことになる。下手をすれば肉体の大部分が蒸発するだろう。
その僅かな時間に、代行者は行動を完了していた。
腰を入れ、少女の辺りが帯電して引き金を絞るその一瞬に、綺礼の体が爆ぜた。
助走なしの一足跳びで銃の射線上から外れるように離れる。
それと同時に、法衣から長身の剣が飛び出した。
黒鍵と呼ばれる、代行者の基本装備。刀身を霊体化して仕込んでいたそれを抜きざまに投擲する。
標的は当然、銃撃する少女の眉間。
黒鍵と綺礼。二点に散った照準が少女に迫る。
剣を撃ち落としてはその隙に綺礼の接近を許す。
かといって電撃による撃墜も使えない。能力は現在銃の電源に充てられている。
本物の超電磁砲《レールガン》ならいざ知らず、劣化能力者でしかない妹達《シスターズ》ではそこまでが限界だ。
移動するにも、砲撃に備え重心を落としていた状況からでは飛び退いての回避は間に合わない。
動けても、態勢を立て直すよりも先に綺礼の拳が届くだろう。
故に、回避と迎撃を並行して行なう。
落ちていた重心を更に深く落とす。
上半身を支える筋力までも弛緩させて重力に身を任せた。体がくず折れ、大きく後ろに仰け反る。
頭を狙っていた剣は、沈んだ頭上を越えて闇へと消える。背後で、硝子が砕ける音が鳴った。
背筋で腰から下の姿勢を維持し、右手の銃を掲げる。
綺礼との間合いは、徒手空拳の範囲にはまだ遠い。
駆けて三歩、並外れた身体能力を込めてもあと一歩要る。
それでいて、決して回避行動が間に合わないだけの距離。
また黒鍵を投擲しても、この距位置なら剣ごと消し飛ばせる。
いずれにせよ綺礼の拳は届かず、神父は電磁砲に貫かれるしか道はないはずだった。
「、――――――!」
それを覆すのは、科学の真逆たる、生の肉体が起こす真髄。
頭頂から腰、大殿筋、大腿筋、腓腹筋―――
上から下へ流れる力の流れが、前に出ていた綺礼の右脚を膨張せんとばかりに震えさせる。
踏み鳴らした震脚は地面を伝播し、神(リボンズ)の尖兵の不自然な態勢をさらに崩させる。
華奢な背中が地に倒れることを免れようと銃を持つ手が跳ね上がり。攻撃の機会が一手遅れる。
僅かな、しかし拳士が必殺の間合いを詰めるに足るだけの時間。
綺礼が構える。鮮やかに空いた内界に滑り込む。
少女の細い首をへし折り生命活動を停止させるべく腕が唸る。
抵抗不可、如何なる防御も打ち崩す八極の秘門が直撃する。
「……が……っ!?」
それを、突如襲った掌握に阻止させられた。
綺礼の攻撃が強制的に停止させられ、口から血が逆流する。
心臓を直接鷲掴みにされたような、血も凍る激痛。
胸に傷はない。目前の少女は動いていない。
文字通りの意味で、胸を掴まれていたとしか思えない痛みを発していた。
肉体の稼働に欠かせない血液の流れを循環させる心臓が、外部から干渉を受け乱脈に陥っている。
「―――――――――」
血を流し動きの止まった神父を見て黄金の目が、笑う。
骨肉が潰れる湿った音が闇に溶けて、消えた。
■ ■ ■ ■ ■
暗がりの保管室は先程と変わらない静寂でいる。
交差は一瞬。
熱は急速に引き、元の沈んだ空気を取り戻していく。
見下ろすものがあり、倒れ伏すものがあった。
放たれた必殺の一撃は外れることなく急所を潰し、被害者は瞬く間に沈黙する。
故に全てが終わったこの場には、単なる結果。
たったひとつの死者の骸しか残らない。
「……逃げた、か」
頭蓋を叩き潰された、妹達《シスターズ》の首なし死体だけしか。
死体と同じ声が暗黒に浸透する。
音の主はたった今絶命した少女と何一つ変わりない造形。
一人に留まらず、何人もの同じ姿が集合している。
予め用意していた肉体に意識を降ろし無尽の生を続ける。
挿げ替える器が無数にあるリボンズにとって肉体の損壊など問題ではない。
一器の生命反応が消失しても、傍にいた別の個体に憑き直すだけだ。
停止した個体から情報を抽出して、直前の記憶を回想する。
あの瞬間。
心臓を破られ倒れ伏す筈の綺礼は、すぐに飛び跳ねて攻撃を再開。
捻る五体が連動した拳で反応する間もなく頭部を粉砕。
それが、破壊されたシスターズの両眼が捕えた最後の映像だった。
水の滴る音が耳に入る。
視線を上げ、割れた水槽を見つめる。
そこは宮永咲が封入されていたはずのカプセル。
すぐ下の地面には、先ほど綺礼が投擲し避けられた黒鍵が放置されていた。
おそらくは、硝子に突き刺さっていたのをさらに深く押し込み破裂させたのだろう。
先の一投も、これに繋げるための布石であったのか。
綺礼の反応は、既にこの船内にはない。
通信履歴からは転送装置の使用記録が残っている。
宮永咲を入手してすぐさま監視の目が張り巡らせている飛行船から脱出していた。
ディートハルト達が会場に降りた際の経路を利用する手際の良さといい、予め逃走ルートを確保していたとしか思えない。
処刑されることすらも織り込み済みだったのだろう。
事実、心臓一つを代償にしてもこちらの手から逃れている。
「ここまですべて予定通りだ―――お互いに」
しかしそれは、リボンズが予め予期していた事でもあった。知っていた、と言い換える事も出来ようか。
「残り少ない命だ。有意義に使うがいい。どうせ仕掛けてくるのだろう?」
故に、リボンズの中での余裕は一片も崩れない。
いくら特殊な状態といえども心臓を潰されたには違いない。
決して長くは保たない。途中で野垂れ死んでいることもありうる。
吹けば消える風前の灯火ほどの時間しか残されてはいないだろう。
会場を探し回るのも非効率だ。
こちらとて時間は有限ではない。他にも進めていかねばならないことが多くある。
どの道、間もなく会場一帯は焦土となる。逃げる場所などどこにもない。
それでもなおこちらに牙を向けるというのなら、堂々と迎え撃つまでだ。
綺礼の行動の理由、狙いには見当がついている。
使われれば確かに状況の変動は激しいだろう。大きな番狂わせもあるかもしれない。
それでもリボンズは、『己が勝利する』と信じて疑わない。
黄金の目が見通す未来故か、何にせよ当人以外誰も知らぬ絶対の自信がそこにある。
だから綺礼が宮永咲を奪取することは知っていたし。そもそも本来は綺礼が何を企もうと黙認する気でいた。
彼が手にしたものが、何であるかを知るまでは――
「それにしても……余計なことをしてくれたね」
誰もいない虚空に向けてリボンズは話しかける。
他にあるのは死体か、彼に帰属する端末だけしかない。
しかし、返答はあった。
『なにいってるのよ。危なかったじゃないあなた。
ああ、別に借りとか思わなくてもいいわよ。私、個人的にあいつがキライだったって、それだけのことだから』
声は、当人の頭蓋の中のみで伝わった。
冬の聖女、ホムンクルス、聖杯の器。
遠く離れた電想の空間を通して、
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは答えている。
魔術師としての技か、あるいは量子を通しての対話か。
離れた場所にいながらも、リボンズとイリヤスフィールは意思を交わしあっていた。
『一体壊されたところで兵士は無数にいる。遅かれ早かれ結果は同じだったさ。
それに話はそっちじゃない。彼の「心臓」に干渉したことだ。
もし万一君がアレに汚染されたら一大事じゃないか。
アレと切り離すためにわざわざ聖杯を新造したというのに』
汚染された聖杯。アンリマユを宿す濁った心臓。
その呪いとリンクが繋がっている言峰綺礼とイリヤスフィールとの接触は常に禁じていた。
防備は万全とはいえわざわざ近づける理由はない。
余計な茶々を入れたおかげで儀式が台無しにでもなったら笑い話にもならない。
『なぁに? 心配してくれてるの?』
『あぁ、もちろん。当たり前じゃないか』
だから器を保持する彼女は優先的に保護しなくてはならない。
別の要塞へ隔離し通信網とも外しているのは、そういった理由だ。
当然それは弱々しい少女への庇護欲ではなく、
『聖杯の、ね』
「ふふ、でしょうね』
『何が面白いのやら』
願いを叶える願望の杯の保全でしかない。
それを弁えているイリヤスフィールも態度を崩さないまま小さく微笑う。
『じゃあ僕はそろそろ出向くよ。僕がいない間になにかあったら適当に処理しといてくれ』
会場では、生存している全参加者が一箇所に集結し始めている。
脱出した
ディートハルト・リートと禁書目録がいい中継ぎになってくれているようだ。
そこで必ず、大規模な戦いを呼び起こすことだろう。
混沌とした魔女の鍋で生まれるのは、首輪の解除などという予定調和に終わるものではなく、戦い(ゲーム)の終わりというひとつの結果。
目の前に結ぶ果実、収穫の時は近い。
掌の上で、運命の円盤は回転を続ける。
来るべき結末に向けて、シナリオは加速をする。
揺るがぬ自信を秘めながら、リボンズは端末の体から意識を遊離させた。
―――始まる神の戦線介入、その直前の幕間―――
【junction -END-】
時系列順で読む
投下順で読む
最終更新:2013年09月08日 23:23