crosswise -white side- / ACT3:『Glossy:MMM』(2) ◆ANI3oprwOY
◇ ◇ ◇ ◇
/Glossy:MMM(4)/あるいは
阿良々木暦の俯瞰風景『抗物語』
――それは先触れだった。
対峙する僕と東横。
冷たい静寂が僕らの間にある。
拳銃を武器とする僕と、鎌を武器とする東横。
距離は五メートルも無く、両者とも迂闊に動けない。
しかしどちらが優勢かと問われれば、東横に軍配が上がるだろう。
拳銃を持っている分、僕の方が強いようにも思えるけど、問題は立ち位置だ。
戦場の全体を見渡せる場所にいる東横、スザクと
一方通行の戦いに背をむけている僕。
プレッシャーの差が違いすぎる。
今にも背後から、衝撃が僕の背を叩くかもしれないという脅威。
予見して対応できる東横。
絶対的差だ。
だからこそ僕はすぐにも攻め込まなければならない、のだけど。
またこれが難しいのだ。
背後に庇う
インデックスの存在とか、ふと気を抜けば見失いそうな東横の輪郭とか。
そしてなによりも東横の余裕の態度が、僕に攻めることを躊躇わせていた。
「どうしたんすか? 来ないなら、こっちからいくっすよ?」
にひるに笑んで、挑発する彼女の剣呑さ。
僕の銃口も、僕の背後で巻き起こる常識外の殺し合いすら何処吹く風と受け流し。
攻められるのを待っているかのよう。
焦燥の一つも滲ませず、超然とした
東横桃子を掴めない。
分らない。何が彼女の余裕に繋がっているのか。
って、駄目だこれは。
これじゃまたジリ貧だろう。
ただただ状況を引き伸ばすだけの、こういうのを敵のペースっていうんだ。
呑まれるな。呑まれている限り僕に勝ち目はない。
気を引き締め、もう一度、見る。
東横がどれくらい強いのかは分らない。
何を狙っているのかも知らない。
消える、そのチカラがどういうものなのかも、僕には分らないけれど。
「行ってやる」
動かないと始まらないのは確かなのだ。
体の力をコントロールして、僕は僕の強みを活かす。
本命は僕に残された吸血鬼の胆力。拳銃は使わない。
今に至っても人を殺す気になんてならないし、こいつはデコイだ。
東横の視線を集め、逸らし、そして本命を達成するための。
冷静に、作戦を立てなくちゃいけない。
まず銃弾を床にむかって撃ち、東横を怯ませつつ背後のインデックスを引っ張って走る。
今は東横と戦うよりも、崩れそうな立体駐車場からの離脱が最優先だ。
大丈夫、逃げ切れる。脱出先への距離は僕らの方が近い。
目指すは僕の右後方にある非常口。
ショッピングセンター本館内にインデックスを逃がす。
その後、僕はこの場所に戻って枢木のサポートを――
「あ、いやけど、もういいっすよ」
「――え?」
と、その時、唐突に聞こえた声に、僕は出端を挫かれていた。
見れば、身構えていた僕とは対照的に、東横は鎌を下ろしている。
その代わり、逆の手を上げてこう言った。
「もう決着はついちゃうんで」
「な、に?」
訝しむ僕へと、東横は微笑んでいる。
余裕の態度を欠片も崩さず。
「もう終わりっす」
僕の後方を指差す東横。
とたん、一際大きな破壊音が響き渡った。
「……っ!?」
砕ける天井、崩落する床、
そして終わろうとする枢木の戦場。
つい振り返りそうになるのを全力で耐えた。
結末がどういうものか、見るまでもない。
このままじゃ枢木は死ぬ。この場所も、きっともうもたない。
「私はそれまで、あなたに邪魔されないようにすればいいだけ、だったんっすよ」
意図的に姿を晒したと言いたいのか。
僕を足止めするために。
だけど一方通行による虐殺が行われれば、被害は東横にまで及ぶはずだ。
にもかかわらず何故、こいつは……?
「ああ、心配無用っす。
私は絶対に見つかりませんから、特にあの人には」
あの人、おそらく一方通行のことだろう。
その自信はどこから来るのか。
「目の前の殺害対象だけを追いかける怪物。
もっとも消えやすい相手っすよ、あのタイプは。
それに……あなた達からいいコト、聞いちゃいましたし」
言って、己の鎌を一振りする東横。
そうかこいつ、僕らの近くにずっと居たと言っていた。
つまり、聞いていたってことか、僕らの会話、作戦の全てを。
「時間切れと、GN粒子は通用する、でしたっけ。
情報ありがとうございました。分っちゃえば簡単っすよ。
私なら、きっと倒せる。最強だろうと、なんだろうと」
なるほど。
その為に、少なくない危険を冒してまで僕らに接近していたのか。
見つからないことに絶対の自信をもっている東横が、一方通行を倒せる武器を持っているのなら、打倒は可能かもしれない。
条件は揃っている。
しかしそれは、
「ここを切り抜けれたらっすよね、ええ、もちろん」
崩落に近づくステージの上で、
東横桃子は最後まで揺るがない。
「だからこうすれば、私の勝ちっすね」
東横の片腕が、上がる。
ナイトメアフレームの遠隔操作機材を持ったその手を。
銃口が、僕を捕える。
いやそれは、この場全て、枢木や一方通行すら例外ではなく。
正しく全員をロックオンした、砲撃の狙いだった。
東横の背後、銃口を上げる彼女の動きに連動するように、
はるか後方のビルの屋上にて控える機動兵器――ガレスがその全部武装を展開し――立体駐車場へと突きつけて――
「まさか……お前……ッ」
「その、まさかっす」
目の前で行われようとしている暴挙に、漸く我に返った僕が止める間も無く。
今、東横は迷わずトリガーを引いていた。
少女の指が、引き金を、かちりと、音をたて、不可視の弾丸を、撃つ。
「――!?」
ガレス。砲の塊のような兵器、その一斉掃射。
瞬間、巻き起こった衝撃はこの空間全てを激震させた。
東横を除いた全員が、巻き起こった現象に意表をつかれた筈だろう。
ロケット砲、ミサイル弾、レーザービームまで混じったそれが、この『場』へと撃ち込まれる。
振り返らない東横の背後から飛来したそれらは、コンクリートと鉄骨で形成された立体駐車場を容易く貫き、粉砕し、溶かす。
初めから設定されていたのだろう、東横の居る位置には一切の損害を与えず。
「作戦成功っと」
東横が操るガレスは、僕らのいる立体駐車場へと全火力を叩きつけた。
僕らが居る五階だけでなく、一階から四階までの中間。
支柱を砕く全開火力。
緩やかに迫っていた崩落が、それで一気に振り切れる。
天井は割れ、地盤は砕け、全てが瓦礫に飲まれ始める。
僕も、インデックスも、枢木も、そして一方通行すらも例外ではない。
決して彼個人には致命打にならなくも、フィールドを崩す攻撃は場にいる者全員に等しく影響を与えるのだ。
当然、僕や枢木にはそれが致命となることは言うまでも無いが。
ともあれこの一瞬、全員の動きが止まった。
「……な?」
けれど彼女はその条理に囚われない。
掻き消えていた東横の姿。
声だけが、辺りに漂うように残されて。
「――さようなら、阿良々木さん」
気を揺さぶられた一瞬の間に僕は、敵を見失っていた。
やられた。
おそらく僕とインデックスを確実にここで潰すことが、東横がここに留まった理由の一つ。
保身性と確実性の両立。
中途半端な気構えでは対抗できない徹底ぶり。
やりかたに少し、どこかいけ好かない男の面影を感じる。
「くそっ、走るぞ!」
銃を懐に突っ込んで、傍らの少女の手を掴む。
そうこうしている間にも僕らは瓦礫に飲まれ始めているのだ。
今すぐにインデックスの手を引いて走らなければ、辿り着かなければならない。
地盤の揺れで動けなくなる前に。
脱出口は、おそらく東横も向ったであろうショッピングセンター本館に繋がる非常口。
ルートが瓦礫で閉ざされる前に、行かなければと、闇雲に駆け抜けようと、
「痛!?」
して、僕は床に転がっていた。
「は? は? はぁ?」
唐突に膝元と腹部をを襲った激痛。
見れば、ああ、ああ、畜生、僕の制服が真っ赤に染まっている。
切り裂かれていたのだ、気づかぬうちに。
誰になどと、言うまでもなく。
「東横……ッ!」
あのやろう。
マジで徹底してやがる。
僕を完全に足止めして、自分だけ確実に逃げやがった。
半吸血鬼といっても重傷の回復には時間が掛かる。
これじゃあ這って進む位しか、しばらくは出来ることがない。
だから這って、這って、這うしかなくて……。
「くそ、が」
間に合うはずがない。
終わったと、理解した。
今度こそ、何もかもが終わったのだと。
東横が消えたことによって漸く振り返れた戦場では、枢木が遂に追い詰められていた。
全滅はもう目前だろう。
なにも出来ない僕の目の前で無意味に時間だけが過ぎていく。
地盤の崩落が、進行していく。
そして、どうしてか、
「お前なんで、逃げないんだよ?」
僕の前にインデックスは立ち続けていた。
「…………」
彼女は僕を見下ろしたまま何も話さない。
僕がしつこく手を握り続けているから、逃げにくいんだろうか。
そう考えて力を抜いたけど、何故か離れなかった。
「……?」
響き続ける地鳴り。
しばらく時間ばかり、流れ続け――
そして崩壊が僕に追いつく。
がらり、と。
僕の足元が砕けて、消えた。
「――っ」
ひぃ、と息が洩れる。
声にならない音を吐きながら、胃が持ち上がる不快を感じた。
落ちるのは慣れないんだろうなとか、東横に転落させられるのはこれで二度目だなとか、やけに暢気な感想が頭を麻痺させる。
色々と、思うことはある。
ただ、声になったのは一言だった。
「……ごめん」
ごめん。
守れなくてごめん。
ふがいなくてごめん。
何も出来なくて、ごめん。
僕は結局、誰も助けてやれなかった。
悔しくて、僕は死にたくなる。
どうしようもなくて、それでも諦めきれない。
何のための抵抗かも、もう分らない。思い出せない。
心の中はからっぽだ。
からっぽだっていうのに、どうにかして彼女だけは庇おうと、僕はインデックスの手を強く握り引き寄せようとして。
「……あ?」
だけどその時、違和感を感じた。
引こうとした彼女の手から、抵抗があった。
「お、おいっ!?」
引いていたはずの彼女の手が、逆に、僕の手を引き。
落下の間際、僕はインデックスに抱きしめられていた。
思い出す。
そうだ、コイツの服はなんだか凄い強度で、ってことは僕は今、逆に庇われているのか?
でもそれじゃあ……。
「……ぎ」
落ちていく。
インデックスの肩越しに見る、あいつの姿。
僕が生き残るとしても、
「……く……ぎ」
あいつはまだそこに居るのだ。
そこに、いるのに……。
「……くるる……ぎ」
未だ、たった一人で戦い続ける男が残っている。
崩落するフィールドの中で、敵う筈の無い大敵と対峙する彼が、まだ残っているのに。
雪崩落ちる瓦礫の隙間からまだ見えている。一方通行へとただ一人で立ち向かうその姿。
今にも、悪夢のような火力に押しつぶされそうな男の奮戦。
なのに僕は、僕はこんなところで――
「くっ……そぉ!」
何も出来ない悔しさに耐え切れなくて。
落ちていく世界のなか、僕は彼の名を叫んだ。
この期に及んで出来ることは、それっぽっちしかなかったのだ。
「くる、ぎッ!」
インデックスの肩越しに手を伸ばし、
声だけが虚しく轟き、戦場に繋がる視界は瓦礫の雨に閉ざされる。
だから僕は気づかなかった。
知るはずも無かった。
その叫びが、その名前が、戦場を動かしていたということに。
◇ ◇ ◇ ◇
/Glossy:MMM(5)/執行
その炸裂は致命過ぎるほどに、決定的な一撃だった。
がらがらと、音をたてて崩れていく戦場の檻。
内包する物者全てを例外なく飲み込み、瓦礫の海へと引きずり込む。
この場所においては間違いなく、地が割れ空が落ちてくる終末の姿。
局所的かつ人為的な天変地異と言っていい。
そんな光景にあたっては誰もが飲まれ、誰もが驚き、誰もが切迫するだろう。
半吸血鬼の少年も、白の騎士も、最強のレベル5ですら例外なく。
目前で巻き起こる事象に対応を迫られ、大なり小なり驚の念を感じていた。
しかし破壊の渦中でただ一人、平静を保ちながら悠々と闊歩する者がいる。
勿論、地がひび割れ天が砕けるこの場所で、これほどの余裕を保てる者など――
「さてと、これから忙しくなるっすねー」
事態を引き起こした張本人、東横桃子に他ならない。
「必要な情報は全て揃い、不確定要素は何もない」
桃子は天地砕ける戦場を、鼻歌でも歌いだしかねないほどの気軽さで歩んでいた。
切り札たる鎌を片手で引きずりながら、真っ直ぐ進んでいく。
若干足を引きずるようにしながらも、彼女には一切の焦りも迷いもない。
桃子が求めた二つのものが、全てここに揃っていた。
一つは、情報。
「あの白髪さんには、私を見つけられない」
未だ見知らぬ参加者の情報及び、対抗策の入手。
最大の懸念対象だった未知の敵(一方通行)への脅威はこれで去った。
彼に桃子が見切れない事は、隣のビルに隠匿したガレスを気取られなかった事で証明済み。
桃子の痕跡には例外なく消滅の因子が組み込まれるとはいえ、それすら見えなかった者に桃子本人を捕らえる事など叶うまい。
その上で弱点がハッキリした今ならば、容易に刺せる手合なのだ。
「加えて阿良々木さんと、龍門渕の大将はここで脱落、と。完璧っすね」
そして、もう一つの求めたものは、排除するべき命。
脅威たる『桃子を知る存在』も、ここで潰した。
目論んだ策は見事に事を成していた。
ステルスをもって敵地に進入、潜伏し、情報を得、命を奪う。
順風満帆。不安はない、後は得た情報に従い計略を練って動けばいい。
この場を離脱すればひとまず、目標達成だ。
今更自分を追ったところで、もはや阿良々木暦は間に合うまい。
未だに戦い続ける者達も、桃子がここにいるというだけで目を向けようともしない。
あえて自らこの場を崩落させることで、一方通行の動きを止め、己の逃げる隙間を作る。
同時に彼以外のその場の全員を殺す。
大胆でリスクも高いが、不足の無い戦術だった。
「――でも、怒られちゃうかな」
ただ一つだけ、心を咎めたのは、ただそれだけ。
予定にない事をやったこと。
天江衣の参戦とその能力による戦場の膠着は予想外で、
対抗するために、本来ならば対面のビルにて安全圏に留まっている筈の自分がここまで乗り込んだのは、『作戦』には無い事だった。
結果的に上手く行ったとしても、共闘相手の彼女はやっぱり怒るだろうかと、想像して。
「ま、その時はその時で。
上手く行ったんだし、文句言わせることもないっすよね。
どうせ――死なせてしまう相手なわけだし……」
ふと浮かんだ不快を自嘲気味に笑い飛ばし、歩みを止めた桃子は、冷たいドアノブに手を触れる。
それは崩落する立体駐車場から逃れ出る、唯一と言っていい脱出口だった。
ショッピングセンター本館へと繋がる古びたドア。
手にした鎌でドアノブを切り裂き押し開ける。
もう暫くすれば、立っていられないほどの揺れが来るだろう。
ゲートを潜る直前、桃子は最後に戦場を振り返る。
そこには一つの決着が訪れていた。
全てが瓦礫に飲まれていく光景。
降りしきる質量の雨の中で、終わろうとする戦い。
彼らは何一つ得られず消えていく。
だからこの時、この戦場、己の勝ちだと桃子は確信していた。
そして勝利を覆す要素は限りなく少ない。
第三者の視点で見ても、この戦場での勝者は彼女であると評したことだろう。
桃子の外界にいまや計略を狂わせる要素は何一つありえず。
だからこそ――
「――――!!!」
「え?」
彼女を、東横桃子を破滅させたモノは紛れもなく、彼女の内側にあったものと――
「――枢■■ザ■ッ■ッ!!!」
たったそれだけの、トリガとなるべくして『設定』された一言だった。
◇ ◇ ◇
/Glossy:MMM(6)
天が崩れる、地が割れる。
フィールドが死ぬ。
壊滅する空間全て、質量という純粋な破壊力に変換される。
上下左右如何なる死角も皆無たる破壊の本流は、いま正にスザクを飲み込まんとしていた。
「――あァ?」
だがしかし、それら全てがチンケな砂つぶに思えるほど、
いま彼の正面にある脅威は膨大すぎた。
「ァァァァァァあああああアアア――――ッッッ!!」
暴虐の爆風が吹き荒ぶ渦中にて、枢木スザクは雄叫びを聞く。
義理は果たした。
目前の敵と戦い続ける道などもう選んではいない。
この場で己に課す最大の目標は離脱であり、そして己にとって本当の戦場に馳せ参ずること。
何が最も大切で今何をするべきなのか、弁えているし迷いは無い。
だがしかし、同時に確信させられていた。
これを何とかしないことには、離脱は不可能だ、と。
怒りを顕にブチ切れる、白貌の怪物。
己の狙った戦法をすんでの所で掠め取られ、殺るべき獲物を横あいから掻っ攫われた彼の怒りは頂点に達する程であり。
「調ォ子こいてンじゃねェぞゴミがっ!
やり方がクソ狡いンだよ、悪党なら俺の前に立ちやがれェ!」
ぶつけるべき相手は何処を見渡しても存在しない。
ならば自然、向けられる暴虐は全てにだ。
文字通り一方通行の視界の全てに齎される破壊事象。
「上等ォじゃねェか、
だったらより早く完全確実にィ、
俺がぜンぶをぶっ潰せば速ェ話だよなァ!?」
風を集める。
力を収束させていく。
周囲一切を殺す力、衝動のままに解き放つ。
確実な手段?
勝つための戦略?
能力制限?
タイムリミット?
全て知ったことか。
「圧縮、圧縮、空気を圧縮――!!」
何のために力をセーブしてきたのか、忘れたわけではない。
余裕のあった残り時間が削られていくが、構わない。
己の矜持たる悪として、ここでこの悪は見過ごせない。
たとえ能力を使い切ってでも確実に殺す。
殺さなければならないと断定する。
方法は決まっている。
ここより半径数百メートル四方、全て残らず壊滅させる。
残る時間を総動員させれば出来るはずだ。
生憎、計算能力だけはやけに冴えているのだから。
「さァ――死」
「――止まれ」
だがそれを、黙って見過ごすスザクではない。
大技の予備動作に移行していた一方通行へと、砕けていく地を蹴って肉薄する。
崩壊の渦中にあっても流れるような動作で、腰だめに構えた腕を突き出し、矢の如き正拳突きを見舞う。
「ちィ……!」
すんでのところでスザクの存在を思い返した一方通行。
我武者羅にクロスさせた腕に高速の拳が突き刺さり、衝撃で大きく後方に弾かれる。
「っ……なァ、おい」
だが同時にこれは、
一方通行の逆鱗を鷲掴みにする等しい暴挙だった。
「おもしれェじゃねえか。どいつもこいつもよォ……!」
赤き瞳がスザク一人を捉える。
全世界を殺し尽くす意志に燃えていた大紅蓮が、たった一人の人間に矛先を向ける。
「あァまったくおもしれェ」
たんっ、と。
地を蹴る音は軽くとも。
「いィぜ。ノってやろうじゃねェかよ」
反転の勢いは圧巻だった。
今までと同じく、いや今まで以上に。
速度は常軌を逸している。
スザクの足が自然、後ろに下がる。
後退が唯一の生存手段であると、ギアスを含め断じたということだ。
タガの外れた一方通行とは、自身の限界を無視した彼は、
ともすれば知略を巡らせる頭脳など、小手調べにもならないのだと言う様に。
「逃がすかよ」
追う者はここに、一瞬にして追われる者に切り替わる。
大きく後方に下がったスザクへと、一方通行が迫り来る。
音よりも速く、光よりも速く、人の認識を超えた速度。
取る武装は己の手、確実に潰せる殺人接触。
崩落は既に間近。
何れ時が来ればスザクに退路は無い。
しかしそれまでに殺す。
お前だけでも必ず殺すと、対面する敵は告げているのだ。
対するスザクは拳を握った。
どちらにせよ、これしかない。
下手な小細工一切皆無のぶつかり合い。
激突は一秒後に待ち受けて、だがそのとき遂に地盤のヒビ割れがスザクの足元にまで及んだ。
崩落が佳境に入り、いよいよ世界が飲まれだす。
「こんな、時にッ」
迎撃を実行する寸前、踏み割った地盤に足が挟まれた。
力を込めれば抜けられる僅かな、しかしこの敵を前にはあまりに致命的な隙。
腕が目前に伸びてくる。
不完全な踏み込みを放棄し再度後方に跳ばんとするも、
薙ぎ払うように振るわれた一方通行の腕が、舞い散る天井の瓦礫を砲弾に変える。
「――ッ!」
飛来する瓦礫の砲弾は計三つ。
どれ一つとっても絶死に謙遜の無い威力であり、いずれもこの体勢では避けられない。
回避不能。
握る拳銃の威力では止められない。
拳で切り抜けるなど夢物語。
故に、
スザクの第六感が、これは負けると残酷な確信を告げた。
そのときだった。
斬
光の軌道が一度きり。
鋭利で鮮烈な一筋の燐光が、この場最後の戦端に、誰の目にも不意となる割り込みをかけていた。
超人と達人、両者にすら察知を許さなかった実体の無い刃の一振り。
空間に刻み付けるような、眼に焼きつくような、
燃え滾る情念の滲むその一撃はスザクの目前にあった砲弾を切断し、更に屈折の鎧に守られている筈の一方通行の脇腹をすら抉り抜く。
「がッ!?」
この戦闘で初めて驚愕を発露する一方通行を視界に捕えた次の刹那、
遅れて一方通行の手元で暴発した砲弾の、
破壊力の結晶によってスザクの五体は吹き飛ばされていた。
背後の折れた柱に激突し、全身を打ちつける激痛が走る。
軋む身体。脳震盪を起こしたかのように歪む視界と感覚の中にあっても、この時スザクは迷わなかった。
今、動くしか無い。
視界は暗い、いったい何に、いったい誰に、救われたのかも分らない。
正確に何が起こったのか不明瞭。
しかし、己が生きていることだけは確かなのだから。
行かなければ。
瞬時に引き起こす胴、踏み出す足、跳び上がる血塗れの全身そして、
「オマ、エ……!」
撃ち込む回転蹴りが遂に、一方通行に届いた。
数瞬のラグで取り戻す視界。
蹴り飛ばした敵の背後、床は抜け落ちいまや真っ黒の奈落のみがある。
そこへ落ちていく、遠ざかっていく、白貌の怪物。
燐光に貫かれたらしき脇腹から鮮血を拭き散らかしながらも、
降りしきる瓦礫の雨越しに歪んだ口元が健在を語っていた。
追撃の機会を逃したと言えるのか、この場を凌いだと言えるのか。
どちらにせよ、終戦の訪れには違いない。
秒刻みに崩落するステージの上で着地し、一人周囲を見渡すスザク。
「……?」
そこに、光の斬撃が過ぎ去った後に咲いていたものは、血の華であった。
脇腹の裂かれた一方通行の血飛沫、否、それにしては大量すぎる何かの血液、一面に舞い散る赤色。
からん、と。
何かが落ちる音がした。
スザクの傍らの床にある血溜まりの中心に落ちたモノ。
ひしゃげ壊れたそれは機械で作られた何かの武器の、残骸に見えた。
そう、見間違えでなければこれは確か、天江衣を殺害した――
しかし今は、考えている時間など残されておらず。
ノイズを含んだ音の向こうで、奈落が近づいてくる。
もうすぐそこまで迫っているのだ。
巻き込まれるわけにはかいない。
退避しなければ。
どこへ?
わからない。
わからないがここを離れなければ死ぬ。
やるべきことがある。
今すぐ行かなければならない戦場が在るのだ。
もうここで出来ることは全てやった。
残したものは無い。
だからこそ、次はスザクが本当に行くべき、彼のいる場所へと行かなければならない。
背後を見る。
ショッピングセンター本館への脱出口。
たったいま、瓦礫に閉ざされた。
前も後ろも逃げ場はなく、ならば道は一つしかない。
痺れる拳を握り締め、俯瞰する外の光景へと歩みだす。
先ほど阿良々木暦が転落していった方面とは逆側の、ビル街を見下ろせる落下防止の柵の向こう。
目前には外の空間にして五階分の高度。
生身の人間が落下すれば二秒と掛からず即死を免れない。
崩落する戦場の中ただ一人、彼は留まっている。
柵にもたれかかり、息を整え、足元にまで及んだ床の罅割れを見下ろしている。
選ばされているようだった。
自分で外へ身を投げて落ちるか、床が消えて瓦礫に埋まるのを待つか。
しかしどちらを取るかは決まっている。
大きく息を吸い込んで、吐き出して。
スザクは両手両足に力を込め、一気に柵を飛び越えた。
中空に放り出される五体。
何らかの保険があったわけでもない。
ただ前に進みたいと、己が行くべき場所に駆けつけなければと、思っていただけ。
故に奇跡が起きるわけもなく。
スザクの体は重力に引かれて落ちる。
当然のことだが承知の上でスザクは実行した。
一方通行のように能力の加護があるわけでもなく。
阿良々木暦とインデックスのように、歩く教会の備えがあるわけでもなく。
己の肉体一つで前に進むため、向うべき場所に行くために。
例えそこに道がなくとも、踏み出さなければならないからこそ。
飲まれる道など選べるはずもなかったのだ。
「……まったく」
とはいえ、スザクは現実を見失っていたわけではない。
生きることを諦観していた筈もなく。
だからそこに――『道があった』ということはある種、当然の理屈だった。
「奇妙な、因果だ」
スザクは率直に、思ったことをそのまま口にした。
己の二本の足で立ちながら。
ここは最早、立体駐車場の領域の外であり、ならば地面など無いはずの空にて、スザクは立っている。
鋼の大地の上に、伸ばされた救いの手の上に、彼は立っていた。
「まさか、これに助けられるなんて」
それは銀の手の平だった。巨大な機械の手。
スザクを救うために、足場となるべく伸ばされていた腕の持ち主。
この、紅蓮と呼ばれる機動兵器を、スザクは誰よりも知っている。
戦場で幾度も相対し、ぶつかり合った、宿敵の機体。
様々な人間関係が目まぐるしく変わる世界の中で、終ぞこの機体はスザクの敵で在り続けた。
だからあの頃から、何があろうとも、己がこの機体に救われることは無いだろうと思っていたのに。
ああだけど、この機体ほど、彼の使いに見合う物もあるまいか。
「…………はぁ……はっ……ぁ……」
見上げるスザクの前で、機体が動く。
コックピットを後方へせり出させ、パイロットが姿を現す。
その姿を見て、ほんの少しの安堵が掠めた。
本当に、彼女に救われるような事は無かったらしい。
「あなたが……スザクさん、ですよね……?」
けれどすぐに心を引き締めて、声を受け止め、頷く。
見知らぬ少女の操る紅蓮、その傍らではもう一騎、白の騎兵が既に控えている。
ここに来る過程で既に回収していたのか、手際の良さも十全のようだった。
「……お願い……します……」
極めて狭いコックピット。篭る熱気に当てられたのか、少女は喋ることすら辛そうだ。
操縦桿をつっかえ棒にするようにして、ぜえぜえと息も絶え絶えに胸を上下させている。
汗に濡れ、額にぺたりと張り付いた前髪に頓着せず、少女は必死にスザクを見つめていた。
スザクを通して違うものを、彼女が縋る何かに請うように。
「助けて……ください……ルルーシュさんを……私たちを……っ」
スザクを救うように伸ばされた手は、
まるで彼女自身の救いを求めて、伸ばされていたというように。
「ああ、分っている」
そして無論、伸ばされた手を取ることに、
取られることに、何の迷いも在りはしない。
逡巡など皆無だ。
「すぐに行くよ」
ここに道は在る。確かに今、踏みしめている。
ならば今こそ、今こそ参じよう。
「だから案内を、頼む」
――いざ、己が立つべき戦場へ。
◇ ◇ ◇ ◇
/Glossy:MMM(7)/偽還
時を一つ、遡る。
これは間隙の出来事だった。
枢木スザクには感知できなかった真相。
白の騎士と白の怪物が激突する、刹那の一場面。
「――――ぁ」
鼓膜を僅かに震わせた声は、電気信号と化し雷速で脳裏へと突き刺さる。
「な……」
次の瞬間、移り変わる景色を前に、東横桃子は呼吸を忘れる程の衝撃を受けていた。
なんのことはない。
崩落する戦場は変わらない。
白の騎士/枢木スザクと白の怪物/一方通行が激突する戦場は、彼女以外の誰が見ても違わぬだろう。
しかし今、彼女の目前に在るのは些細な違いだ。
それでいて、幼児むけの間違い探しのように分かり切った差異だった。
「……ぁ……え?」
なのに分からない。
理解不能。理解できるということが理解出来ない。
それは、理解したくないと願うことに等しく。
「なん……で……」
東横桃子は悔いた。
理解よりも早く、これからもたらされる結末よりなお先に。
何故見た。
何故振り返った。
何故あのまま戦場に一目もくれず立ち去らなかった。
何故聞いた。
何故耳を塞がなかった。
何故あのままノイズを無視して捨て置かなかった。
己が行為を呪う。
呪えど、遅い。
何故ならこの時、東横桃子の視界に在る存在の名を――
「せん……ぱい……?」
聞いてしまったから。
そして見てしまったから。
だからもう、戻れない。
「嘘……なんで……」
久方ぶりに思い出す、声があった。
――東横桃子、お前は――
瞳を覗き込む紅き眼。誓約(ギアス)に変わる言の葉。
その声はそれから、なんと言っていたのか。
――危機に瀕した『■木スザ■』を――
それから、何を。
あの時は銃声に霞んでよく聞こえなかった内容と名前。
けれどこれだけ何度も、そしてはっきりと、
あの少年が呼べば理解できてしまったその、あまりにどうでもいい名ともう一つ。
――『加■木■み』であると認識しろ――
決して聞き逃すことのない。
桃子にとって最も大切な名を。
――『■治■ゆみ』であると認識しろ――
汚し。
弄び。
侵す。
その呪言。
――危機に瀕した“枢木スザク”を――
変性する。
聴覚でなく、脳裏が捉える言葉の意味が。
荒唐無稽なアナグラムのように。
変性する。
視覚でなく、感情で見る存在の形が。
説明不能なモンタージュのように。
崩壊の渦中にあって尚、怪物に追い詰められる男/女の姿。
枢木スザク/加治木ゆみ の姿が今、見えるのだ。
「嘘、だ」
刹那の思考。
それは全くの幻想であり、嘘である。
そう桃子は断じた。
当然のことだ。彼女がこんなところに居るはずがない。
彼女は死んだ。あの決定的な喪失を見た桃子にとっては違えるはずのない事実であり、それはまだ覆していないのだ。
だからあれは嘘だ。
例え景色が如何に見えようと、理性が働けば誰でも分かる道理である。
「………は」
しかしそれは、理性が働けばの話だが。
「やって、くれる……っすね……」
知らず、踏み出していた己を自覚して、桃子は自嘲気味に笑った。
なるほどこれは逆らえない。
逃れる術(すべ)の無い計略だ。
ともすれば己は最初から、この時このためだけに掛けられた保険だったのか。
あの男。
悪逆の非道を憎悪する。
嘘だ幻だ罠だと、理解していても踏み出す身体を止められない。
当然のことだ。
この光景を前にして、この存在を目にして、理性に従うことなどできるものか。
できるはずがない。当然のことだ。
なぜなら真実これだけを、この存在だけを――彼女だけを求めて、桃子はここまで来たのだから。
「…………ッッッ!!」
分かっている。
嘘だと知っている。
それでも足は止まらない。
踏み出しは、歩みを飛ばして駆けよと動く。
この瞬間、桃子の脳裏を制圧する、思いは一つ。
――許さない。
こんな冒涜を仕込んだあの男を許さない。
それに絡め取られた己自身を許さない。
しかし何よりも、ここで、彼女の死を見過ごす事だけは、絶対に許せなかった。
理性の上では分かっている。あれは違う。嘘だ。幻想にして己の破滅そのものだ。
行ってはならない、手を伸ばしてはならない。目を逸らさなければならない、と。
だけど、だとしても、同時にやはり真実なのだ。
なぜならそれが絶対遵守の理であり、同一の重み。
この瞬間において、桃子にとって本物と意味を同じくする。
いまあの彼女は、桃子の中でのみ、本物だ。
桃子が守りたかった、生きていて欲しかった、共に生きたかった彼女の価値だ。
ならばここで、彼女を見捨てるという事は、桃子が今まで歩いて来た道を否定する事に他ならない。
ここまで歩んできた意味を、全て投げ打つ行為に等しい。
だから、どうあっても抗えないのだ。
何も還らないことは分かっている。
取り戻せないと知っている。
それでも、二度と嫌なのだ。
あんな思いをすることだけは、また亡くしてしまう事だけは。
だって掛け替えの無いものなのだから。
一番大切な者なのだから。
――もう二度と、私の前で、失われることなど許せない。
囃し立てるように魔王が笑う。
『さあ、今こそ望みを叶えてやるぞ。偽りの幻想で悲願を果たせ。特別だ、お前の意志で選ばせてやる』
だからこれは、呪いであると同時に祝福だ。
欺瞞に満ちし、祝言。
少女の夢を汚し愚弄し偽りの救いを押し付ける、悪魔の所業。
故にあの言葉はきっと、最適の言葉だった。
この時この瞬間、桃子は何よりも迅速に、全てを投げうって戦地へと舞い戻る。
己が命など度外視して白貌の最強に捨て身の一撃を加えるだろう。
例えば『守れ』という、単純な指令よりもきっと強く、鮮烈な想いを掻き立てる黒き祝福は限界を超えて桃子を突き動かす。
ましてや、己を明確に変性させる禁忌の術を、このとき桃子はその手に収めているのだから。
「……ゆる……さないっ!」
スカートのポケットへと手を伸ばし、それを掴み取る。
逡巡など皆無。理性など全て取り払ってしまえばいい。
手には命を刈り取る死の鎌を。
痛む脚には駆け往く無痛を寄越せと願う。
ただ目前の攻防へと、間に合わせしめるチカラを欲した。
その為だけに少女は今、小さな自壊(ブラッド・チップ)を口に含み――
「……ぁ…………ぐ……ぁぁぁっ!」
感情の膨張は臨界を迎え、炸裂する激昂。
確約された破滅を知っても尚、東横桃子は止まれなかった。
たとえ、一秒先に終わりがあろうと。
「……っ……せん……ぱい……にっ……ッ!!」
捨て身を承知で、ただ大切な者へと突き進む自我。
それは燐光を引き連れた最後の煌。
刹那、守るべき色彩を捉え、閃光に変じた深紅の双眸は正しく、覚醒された『孤独』の起源にして。
「……手を、出すな――ッ!!」
――そして誰よりも強く、絆に惹かれる疾走の軌跡だった。
【東横桃子@咲-Saki- 消滅(ロスト)】
【 ACT3:『Glossy:MMM』-END- 】
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最終更新:2013年08月13日 23:20