crosswise -black side- / ACT3:『勇侠青春謳(ゆうきょうせいしゅんか)』(一) ◆ANI3oprwOY
―――ただ一つ、この心臓に残るものが在る。
一人の男が歩んでいる。
黒き奈落の道を進んでいる。
男は何者にも頼らず、己の二本の脚で歩んでいた。
影のような薄い足場を踏みしめて奔放に、力強く前へと進んでいた。
前方には何も見えない暗闇だけが、どこまでもどこまでも続いている。
先には何も無く、何も見えぬ場所に繋がる、地獄に通じるような道。
されど側面に興味は無く、後方などそもそも振り返るつもりもなく。
ひたすら前に進んでいた。
男は闇の向こうにしか、興味が無かったのだ。
たとえその向こうに、何も無かったとしても。
己の歩む影の先が、どこに続いているか男は知らない。
回り道もなく、引き返す道もなく、ただただ男は己の道を行く。
長く細く、光の無き混沌の渦へと通じている、それは黒き道だった。
悪きし、と言う声が在る。
暗きし、と誰かが叫ぶ。
汚れし、と誹られる。
ちらつく音、ならば上等。
是非もなし、と。
男は笑い、払いのけ、また闇の深くへと踏み込んでいく。
こう在るべきなのだと、男は信じていた。
己とは、人とは、この道を行くべきなのだと。
信じるが故に目指していた。
人として進む禁忌の魔道を、人としてどこまで行けるか、男は知りたかった。
ただただ深く、より深く、更に更に深淵へ。
奈落の底へ転がるような道中、幾度もの戦いがあった。
暗き道に、稀に差し込む光がある。
白く、眩い、突き刺すような、精錬された純粋色。
俗に正義、英雄と呼ばれる、その光こそが男の敵だった。
己の目指す深淵の果てに降りる旅路と逆に、
底から這い上がってくる輝かしき閃光の白き道。
暗きを照らし、消し去っていくもの。
時に決して相容れぬその色が男の道と交差する。
交わってしまったが最後、排斥し合うより他に無き相克だった。
故に男は払う。
これこそが人の生き方であると確信して。
双方に容赦なく、一切の呵責は無く潰しあう。
ただただそう、「道を開けろ」と、告げる代わりに殺すのだ。
白は黒を、黒は白を、相対する光と闇はそうせねば、己は前に行けないのだから。
だから何度も払って、砕いて、潰して、
道を阻む光を尽く滅して止まる事無く歩き続ける。
男はそうやって生きてきた。
いき続けて今、男は進む魔道の底が見える場所までたどり着いていた。
たどり着き、そうしてやっと気づく。
己を染め上げる邪気に、己が周囲を満たす禍々しさに。
そして発する漆黒の根源とは今まで歩んできた道でなく、紛れも無く己の内側であったことに、ようやく気づき。
こんなのもか。
しかし感想は、ただそれだけだった。
進んできた道の到達点を前にしても。
至るべき存在に、己が限りなく近づいていたとしても。
人としてどれだけ進めるか、それを知りたかった筈の己が、既にヒトの範疇を超えつつあると知っても。
未だ、身を震わせる歓喜など欠片も無く。
こんなのもか。
男は思う。
こんなものか。
こんなものか。
こんなものか。
と繰り返し、繰り返し、白き光を払う度に掠めていた僅かな落胆。
今も胸に巣くい燻る何がしか。
進むほどに体は黒く染め上がり、既に存在は概念に変わろうとしていて。
ひたすらに目指した場所は目前で。
それでも、ここにきて、男は何かを捨てられずにいる。
強く、絶対的であり、迷う事など何も無かったはずの男が、
こんなものか。
こんなものなのか。
何かを、未練に感じている。
男は既に黒き何かであり、ヒトであった頃の何もかもを払い退けた。
限りなく、男は最早ヒトではなく、魔の王を名乗るに相応しい、上位の存在。
故に、その黒き腕は腕でなく、黒き脚は脚でなく、黒き胴は胴でなく、無論脳は脳でなく。
思考は全て黒き、暗き混沌。
波乱と破滅とそして創生を与える、その名は『魔王』。
されど、ただ一つ、残されし臓器に、
「こんなものか?」
ただ一つ、この心臓に残るものが在る。
■
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crosswise -black side- / ACT3:『勇侠青春謳(ゆうきょうせいしゅんか)』
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/勇侠青春謳・劍撃ノ参
そこからは、なんら見応えのない陥落だった。
サーシェスのリーオーを失った時点で、ルルーシュの策は完全に瓦解していた。
城が防備の拠点に成り得るのは、そこに十分な兵と武器があればの話である。
兵がなく、撃退する砲門もなければ、どれほど堅牢な城もただの豪勢な置物と大差ない。
守りが消え、容赦なく魔王の斬撃射撃を受け続けた艦艇はもはや見る影もなかった。
張り巡らせた弾幕は容易く避けられ、戦略の全ては突き崩され、船体には無数の傷跡が造られる。
炎を上げる城砦、ホバーベースは今や完全に静止していた。
必死に船を動かし必死に逃げ切ろうとあがいた結果か、E-1エリアの中部までは辿り着いていたものの。
機関部を撃たれたことで艇の制御をなくし、壁に激突して推進の機能を停止させている。
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが操る最後の武装にして鎧、城は、完全に敵の手に落ちていた。
「ふむ……漸く墜ちおったか。煩わせおって」
黒く変色した高層ビルの屋上に陣取り、西洋剣を軽く振り払いつつ落城を見届ける。
己が身一つ、単騎で機械の軍勢を打ち破り、敵城の攻略を成し遂げたるはこの男、
織田信長。
攻め落とした城塞の惨状ぶりを見てさも愉快そうに笑う。
事実、今の彼は悦に浸っていた。
征服者としての矜恃、責務とすらいえる通例の儀式。
引き籠る臆病な主を丸裸にし、その痴態を嘲笑する。
中に収められた兵糧や財、女子供を簒奪した後、哀れな敗将を引き摺り出し首級を上げ晒しに処す。
これこそが勝者の特権というものであろう。
「いざ仕上、よ」
己が黒く染めたビルの壁を蹴り、漆黒が降下を開始する。
残る仕事はただ一つ、敵将の首を取る、それだけだ。
踵で踏みつけたコンクリートの塊は、ただそれだけで砂と化し、風に流れて消えていった。
着地した場所は、停止したホバーベースより数メートル前方の大通り。
コツコツ、と質量を響かせながら信長は進んでいく。
敵へと、斬るべき存在へと、真っ直ぐに。
「しかし…………目障りよなァ」
目を細める。
言葉少なに不快を告げながらも、やはり歩みを止める事はなかった。
その必要もなしと断じているのか。
魔王は歩き続けていた。
表情に、しかし悦の色は既に無い。
かしゃかしゃ、かしゃかしゃ、と。
水を差すような雑音が、信長の周囲を取り囲んでいた。
多足が金属の音を鳴らす、駆動音が響き渡る。
「下らぬ、このような玩具。求めておらぬわ」
機械の兵団。
船が停止する前に地上に降ろしていたらしい、オートマトンの群れは彼我の差も考えずに向かってくる。
意志なく、感情なく、ただ、ただ、向ってくる。
向うために、時間を稼ぐために、壊されるために。
それだけの存在が、無数の銃口で信長を出迎えていた。
「とく失せィ。我意無き塵芥」
無機質に、簡素に、簡単に。
恐怖も知らず、狂気も分からず、ただ主の意のままに動く人形。
それに、生きとし生けるもののみならず、万物を畏怖させる大六天魔王は、何一つ感情を乗せず。
彼が斬って捨てるは、敵の五体のみならず。
「我を刺すは、我を殺さんとする一太刀のみぞ」
黒い羽衣を振るう。
艶やかな闇が、オートマトンのアイセンサーを覆い尽くした。
■ ■ ■
幾重もの対策を揃えてきたルルーシュがここまで追い詰められた要因とはいったい何か。
それにはやはり、この戦場における位置と、周囲の状況が関係している。
この戦い、始めからルルーシュの不利な状況で開始されたものだった。
戦闘の発端は、自分達と同じ大規模の対主催グループと合流する道中で起きている。
大型帆船故に小回りも利かず、殺気を隠さず臆面もなく現れた魔王相手に、ルルーシュ達は迎撃せざるを得なかった。
ルルーシュにとって一番の誤算は、全く同時期にもう一方の集団に別の襲撃者が現れたことだった。
そこに
枢木スザクがいることを知ってしまった事もまた、選択肢を阻めることに繋がってしまっている。
ルルーシュにとって決して捨てられないスザクの存在が、対峙する敵への撤退を許さなかった。
弱みにつけ入られ飛び込まざるを得ない戦場、味方を同タイミングに分断する鮮やかな連携、
まるでルルーシュのために編まれたような戦術に、完全に機先を制されていた。
とはいえ尤も、どれだけ戦術的な要素があっても、それはあくまで副次的なものでしかないのだろう。
進んだ道を焦がし、進む先をも燃やし尽くす戦国の悪鬼。
策も数も武装もどれだけあっても、全てを吹き飛ばす暴威の権現。
ルルーシュにとっての最大の失敗とは、
紛れもなく、この織田信長を敵に回したことに他ならないのだから。
実際、対策は万全だった筈なのだ。
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは如何なる敵が現れても迎え撃てる布陣を整えていた筈。
たとえ信長と対敵することになろうとも、戦いそして斃す算段はついていた。
抜かりは無かった、にも拘らず、状況はこうなっている。
第六天魔王を名乗る武人の地力。
一切合財、何もかもが、ルルーシュにとって計算外と言ってよかった。
前提(ルール)を決め、戦略を練り、手順を踏んで達成すること。
ルルーシュのような策士が絶対とする戦いの基礎である。
故にこそ、彼らは絶対的に相性が悪い。
人の身で機動兵器二機と戦艦一隻と撃ち合い、押し克つ存在など対策の立てようもない。
異能者の存在はルルーシュもまた知りえたが、差し引いても魔王は怪物だった。
物事の尺度、物事の程度を測る理(ことわり)、常識とよばれる全ての基準を破壊している。
織田信長にはルールがない。
事前に聞き及んでいた実力よりも、データよりも遥かに強大な存在だった。
まるで戦う敵に対応して能力が向上しているが如く。
底力に、底が無い。
常識を知るものには絶対に及ばない存在。
故にこちらにも必要だった。
常識を超える、非常理、理屈を凌駕する何か、が。
とはいえ、今は何もかも遅く、及ばず、
決着の光景だけが広がっている。
誰の目にも明らかな、戦いの顛末のみが――
「ぐっ――――――あ―――う―――……」
指令室に焦げ臭い煙が上る中、床に力なく横たわる姿。
死体と見紛う程に傷付いた体は、僅かに動く指がそれを否定していた。
それでも、肉体が限界に達しようとしていることには疑いようがないだろう。
「ご―――ふ――――――、―――づ―――」
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの肉体の疲労、損傷はピークを超えていた。
元より体力のない貧弱な身、これまで溜め込んだ疲労と負傷。
他者の手がなければ無様に朽ちる他ない身である。
右の腕は折れ、頭部に銃撃を喰らい、休みなく一昼夜を無理に動かせ続けてきた代償。
疲労困憊、満身創痍、いつ動かない死体になってもおかしくはないだけの重態であった。
「―――はぁ―――――――――」
死が、近づいてきてるのがわかる。他人事のようにそう知覚する。
息を吸い、吐くという行為だけでも消耗を強い、全身にじわじわと染み入ってくる。
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアはもうじき死する。
自分自身で他者よりも確信を持てるのは、それは彼にとって既知のものだったからか。
胸の中心を剣で貫かれた、あの時のように。
「―――、――――――、――――――――――――――――――」
寒気はやがて全身を包み込み、熱を冷やす。
感覚を奪い、まどろみのうちに眠気を誘う。
痛みも恐怖も麻痺していき、安らぎのうちに生を終える。
それはある意味で救済だ。
今までの生を激動に費やしてきた男にとって、その終着は紛れもない祝福だろう。
「っっっ!!!」
だからこそ、彼はそれを受け入れなかった。
ガヅンと、鈍い音がした。
周囲から火が吹き出ている指令室にしてはやけに不釣り合いな音。
自分で叩き付けた頭の衝撃で逆に飛びそうになる痛みを堪え、彼は意識を覚醒させた。
「…………………………まだ、だ」
脳内のブレーカーを強引に上げ、弱弱しくも立ち上がる。
とうに骸になっている筈の五体。
いつ動かなくなっても不思議ではない筈のそれを、意思の力だけで縛り上げる。
手遅れになると分かっていながら―――、否、だからこそこの一瞬を足掻く為に。
「安息に眠る権利など、俺にはない……!」
痛みを刻み付けて思い出させる。
忘れるな。己の犯した罪の数を。貫き通すべき誓いを。
多くの嘆きを産み出してでも、より多くの幸せを造り出そうと決めた。
地獄に落ちることを承知で今まで駆け続けた。
そして最後は、悪として撃たれる道を選んだ。
結果が幸せな未来(もの)であったとしても、そこに至る犠牲と憎しみを流してはいけない。
神の慈愛に看取られての最期などという幸福な眠りが、己に許されるはずがない。
それなのに、こんな所で死ぬ?
ここで死んで、殺される?
――――――馬鹿を言うな。
死ぬのは構わない。どうせ本来はとうに死人になる筈だった身だ。
だがそれでも、貴様ら如きにやれるものじゃない。
下らぬゲームの酔狂に、くれてやれる筈がない。
自分の命は自分で使う。使い道を決めるのは貴様らじゃない。
つまらない命ではあるが、汚れきった魂だろうが、こんな所で費やせるものではないのだ。
「づ―――ぐ………!」
視界が、上手く利かない。眼球から入り込む映像は砂嵐がかかっている。
煙のせいか、眼がやられたのか、あるいは脳に及ぶのか。
ぼやけた景色を手探りながらコンソールまで近づき、船の損傷状態を確認する。
現在のホバーベースの状態。全長に至るまで数多くの箇所が破損している。
無傷の部位を探す方が困難だった。
機関部にも軽微だが損傷があり、出力は落ちてるが、しかし航行には問題ない。
外部の攻撃兵装も半分以上が破壊されているが、少しばかり残っているだけでも僥倖だろう。
策は僅かだが残っている。完全に手詰まりではない。絶望するにはまだ早い。
諦観は決してせず、生き残るための手段を模索する。
たとえ――
白煙の晴れた先の視界に、死神が鎌首もたげて待ちかまえていようとも。
「………………………」
「―――――――――」
ルルーシュの真正面、操縦室前面のデッキに仁王立ちする偉丈夫。
黒き鎧に、背に広がる魔の光景。
人の域を超えた、戦鬼の魔貌だった。
遠目に見ていた時とは比べ物にならない、肌を切りつけるほどの威圧感。
鬼が、口を開き、牙を覗かせ、言った。
「……小僧、貴様がこれの将か?」
「ああ、その通りだ」
「……ほぉ」
ブリタニアの皇帝。
戦国の大名。
2人の『王』が、遂に対面を果たす。
奇しくも互いが、世を震えあがらせ支配した「魔王」の名を冠する反英雄。
あり得ざる奇跡は、血と硝煙、戦の炎に塗り固められた部屋で行われていた。
鉄火場での接敵。限りなく詰みを決められた上での。
たとえ弱小の雑兵であっても、即座に剣と銃で裂き散ることになるはずである。
それがこの魔王となれば穏便にすむわけがないと思われた。
しかし、意外にも紡がれたのは会話の言葉である。
そも信長は既に理解しているからこそ、こうしているのかもしれない。
目前で立つ男はもはや死に体であると。
敵は今や満身創痍。
追い詰めた敗残の将など、わざわざ急いて首を斬る必要もない。
敗者を嬲り、嘲り、見下すは勝者の責務であり矜持であると捉えているのか。
対して、ルルーシュは気軽な調子で言葉を投げる。
「戦国時代に一時代築き上げた武将、大六天魔王・織田信長。拝謁にかかり光栄だ」
「余の名を知り、その業を知った上で余に弓引くか」
「こちらにも、引けぬ理由が……あるのでね」
敵の放つ余裕を知ってか知らずか、ルルーシュもまた咳き込みながらも会話の姿勢を取る。
生ある者を否応なく射殺す視線にも、傷付き衰えた体は怯む事はない。
むしろ身近に死の脅威を捉えたことで活が自然と入っていくから丁度いいと言うように。
死中に活を見出さんと、目を逸らすことなく両眼で魔王を睨みつける。
「よかろう。大人しく頭を垂れ首を差し出すか。
無様に逃げ惑い、向けた背を撃ち抜かれるか。好きに選ばせてやろうぞ」
「生憎だが、どちらも遠慮させてもらおう。死出の道は既に自分で進むと決めているのでね」
「ククク……実に慇懃無礼。では、何とする?」
たとえ勝敗が明らかだとしても、
形の上ではまだ戦闘続行中の関係だというのに、王の会話は妙に静かなものだった。
たった今まで、明確な殺意を持って殺し合っていた敵同士とは思えない。
内容が剣呑極まりない分、余計に違和感が付き纏う。
呼吸と等しく闘争を続けて来た信長と、いかな局面であれ冷静であろうとするルルーシュ。
この二人だからこそ奇跡的に意志の疎通が成っているのか。
「すぐに、教えてやろう」
だが、そんな偶然に欣喜することもなく。
絶命の危機にあるはずのルルーシュは不敵に笑みを見せ続けていた。
別に、末期の土産に語らいたくて彼は言葉を続けているわけではない。
鬼謀を携えるかの王にとっては、弁舌の一声、演技の一つさえも立派な「策」として機能する。
「簡単だ―――こうするのさ」
突如、轟音と振動が信長を揺らす。
原因は、今信長が足場にしているホバーベースの移動。ビルに激突している状態で無理やりに発進していた。
無論ルルーシュは操縦桿になど触れておらず、微塵も動いていない。
そんな隙を見せていたら信長が即刻斬り捨てている。
仕込みの種は自動操縦。気絶から目覚め、信長が来るまでの間に艇の操縦はオートパイロットに設定していた。
移動のタイミング、方向は周到に織り込んである。
ルルーシュの役割は起動の時間までせいぜい喋りに華を咲かせるだけでよかったのだ。
定めた進行方向は『直進』。速度は全開フルスロットル。
半壊状態の艇を更に砕きながら、ひたすら瓦礫の中を突き進む。
高速で動くホバーベースとビルとの間に挟まれては、第六天魔王といえど挽臼に轢かれる豆粒も同然だ。
「貴様――――――まだ抗するか」
謀られたことを察し、信長は抜き身の殺意を解放する。
山脈との本格的な衝突にはまだ一刻の猶予がある。
瞬きほどの時間だが、戦国の徒にとっては如何様でも対応は取れる。
挟み撃ちとなる現地点を跳躍して離脱するなり、直撃よりは安全な指令室に飛び込むなり、選択肢は豊富だ。
そうして苦し紛れの凡策を嗤い、改めて敵将の首を落とす。
それで終いだ。
だからこそ、王はもう一手を講じていた。
強力無比な王札(キング)すら黙らせる、最上の鬼札(ジョーカー)を。
“ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる―――――――――”
信長が異常を察してルルーシュから目を離し、再び視線を戻すまでの刹那の瞬間だった。
瓦礫の崩落にかき消されないように、船内のスピーカーを最大で開いた上で唱える。
『――貴様は動くな!その場から、微塵たりともッ!!』
紅く輝く双眼。浮かびあがる紋様。
顕現する王の力。絶対遵守のギアスが開眼する。
脳髄が破裂するような痛みを食い縛り、命令を出し終える。
硬直する信長。絶え間なく我を誇示していた男が崩落するビルの傍において沈黙する様は、些か以上に奇妙な絵面だ。
ギアスが戦国武将と同質の存在である筈の
セイバーや荒耶に対しても効果があるのは実証済み。
直接死に到らない命令であれば無効も減衰もない事も把握できている。
どれだけ強大な自我を保持していようとも、神の如き存在だったとしても、ギアスの呪いには抗えない。
これまでに呪いをかけられた数多の犠牲者同様、魔王もその従順の意志を首肯で証明――――――
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――否」
しなかった。
「な――――――に……?」
今度こそ、ルルーシュの顔が驚愕と絶望に染まる。
在り得ざる返答、理解出来ぬ事態に。
金槌で思い切り殴られたような衝撃が頭に響く。
信長の眼前には、背中より噴出している黒い影が躍り出ていた。
分厚い外套の幕はギアスの主動力たる光情報を両の眼から完全にシャットアウトし、ただの売り文句へと意味合いを堕としていた。
「否、よ。断じて否だ。いかな策を用いてくるかと思いきや、詰まらぬ。
この織田信長に貴様の如き愚昧が命令するなど……無礼不敬にも飽き足らぬ、万死に値するわ」
ギアスを見破られた。否、気付かれていた。
何故。疑問の究明だけがルルーシュの意識を結合していた。
信長の取った行動、それは明らかに対ギアスを想定していたものだ。
何故奴がギアスを知り得ている?信長と直接邂逅したのはこの一戦のみでしかない。
いったい、何処に気付く余地があった?
答えの出ない問いは胸中を飛び交い、何度も何度もループする。
「かような小娘の諫言の通りなのは些か解せんが……それ以上に、貴様の方が遥かに不愉快よ」
小娘―――諫言―――
その一言を聞いた瞬間、カチリと歯車が噛み合う音がした。
ちりばめられたピースが揃い、綺麗に形を作る。
全てに合点がいった。この戦いで多くあった幾つもの疑問に。
出来過ぎたタイミングで自軍に襲いかかった事も、ギアスについて知り及んでいた事も。
ルルーシュのギアスについてはじめから知っているのは、ユフィを除いた自分と同じ世界の参加者だけ。
だがその誰もが、わざわざ味方に成り得る人物の秘策を口外する確率は限りなく低い。
そして、ルルーシュが知る中でギアスを知るのは、二度図らずも目の前で見せた彼女と、主催の一員である
荒耶宗蓮のみ。
荒耶が第二放送時点で死に、ここに至る条件までを踏まえれば、行き当たるのは1人しかいない。
”桃子……いや、澪か。大したものだ、二人だけでここまでの事を仕出かすとはな……”
どうやったのかは皆目見当がつかないが―――信長との接触に成功した二人は敵の位置と数、情報を教えた。
事細かに説明する必要はない。一方的に耳に入れるだけでも効果は覿面だろうし、事実結果はそうなった。
桃子のステルスは相手の都合の悪い展開に持ち込むための工作にはうってつけだ。
そして、今度は待つだけでなく自ら有利になる展開を作り出す真似までした。
果たしてルルーシュの
東横桃子に対する評価は、決して過小評価ではなかったわけだ。
歩く暴風雨とでもいう織田信長に対し、まがりなりにも交渉を成功させた。紛れもない彼女たちの功績。
運気に助けられた分もあるだろうが、こうも見事に嵌められては、賛辞のひとつでも授けたくなるものだ。
「ふむ―――決めたぞ。貴様は、蜂の巣だ」
当然、そのような俗事に口を挟むわけもなく、逃げようのない処刑が実行される。
見開かれる眼には、堪え切れないといったようにありありと殺意を孕んでいる。
向けられる左腕。回転を始める砲身。秒読みで死が歩き出す。
万策、尽きたか。
諦めるつもりなどない。だがこれ以上の手は本当に残っていなかった。
防護服に『歩く教会』を着込んではいるが、銃口から捻じり出される光の機関銃には抗いようがない。
よしんば貫通を免れても、銃弾がぶつかる衝撃だけでも肉を灼き骨を砕き絶命せしめるだろう。
「逝ねい」
火砲が咆哮を上げる。無数の銃弾をばら撒き華奢な肢体を八つ裂きにする。
その直前、
天(そら)より降った刃が、廻る銃身を斬り落とした。
「ぬッ!?」
補足の外からの攻撃に目をしかめる。
不意を取られた信長ではあったが、その程度で動揺するほどの肝の持ち主ではない。
機関部を放り捨てすぐさま態勢を直し、決着に水を差された憤怒を不埒者へ向けんとする。
見上げた信長の視界に飛び込んできたのは、
減速なしで突っ込んでくる、白銀の蹴脚―――――――!
「――――――――――――!」
落ちてくる岩盤と、切断されたビームガトリングの誘爆から逃れるため宙へ飛んだことが仇となった。
超高速の『飛び』膝蹴りを受けた信長は、反射的に覆った外套の防護を突き破られて大地に叩きつけられる。
その衝撃は、黒の騎士団総出で蓄積した損傷と釣り合う程の、かつてない大打撃だった。
「………………っ!」
暫し唖然となるルルーシュ。だが落ちる瓦礫の雨の音で現実への対応に迫られた。
咄嗟に遠隔操作を解除し、ビル群から離脱する。落盤する前にギリギリで脱出し指令室の破壊は免れる。
抜け出たホバーベースを守るように、白の騎士は背を向け前に起つ。
淡い緑光の翼をはためかせ、絶望の戦場を塗り潰していく。
或る世界において、最強を値するに相応しい真なる皇帝の剣。
片膝を付き、倒れ込む身体を押さえて、己の救世主を見上げる。
「ランスロット、アルビオン―――」
援護を期待していなかったわけではない。
最後の策、大音声でのギアスによる副次効果。
その声に気付いた者が参ずることに一縷の望みを賭けてはいた。
だが、これほどに相応しい救援が来るとは、どうして思えようか。
第9世代KMF、ブリタニア軍ナイトオブゼロ専用機。
白兜の華麗なフォルムは自身の記憶に一寸の違いない。
この機体で、この状況で、ルルーシュを助けに現れる存在。
それに当たる者など―――ルルーシュの中では、一人しか思い至らない。
かくして、運命を誓い合った二人は邂逅を遂げる。
■ ■ ■
平沢憂に救助されたスザクは置かれてる状況を知ると、一も二もなく決断に踏み切った。
最優先対象であるルルーシュの危機、はぐれた阿良々木達、計られた天秤は秒針を刻む間もなく傾いた。
義手の性能は違和感なく、本物と相違ない本物の実感を与える。
紅蓮に埋もれたランスロットを掘り起こしてもらい、機体の状態を確認。
異常なく起動させ、背中のエナジーウイングを広げルルーシュの待つ戦場へと飛翔した。
障害物のない空、隻腕時とは比べ物にならない速度を以て、地上を走る憂を置いていき僅か一分足らずで現場へ馳せ参じて見せた。
目標の機影を補足し、指令室と思しき位置に陣取り銃を構える敵を発見した時点で行動は決まっていた。
存在を気取られない真上まで昇り、一気に急降下してからの奇襲をかける。
スラッシュハーケンで銃を叩き、怯んだ一瞬に間合いを詰め蹴り飛ばす。
五秒あまりの時で位置関係、形勢の奪還に成功した。
スザクの魔腕と、ランスロットの超越的な性能が合わさったからこそ可能にした絶技である。
「……………………」
そうして救出したルルーシュに背中を向けたまま、スザクは黙したまま後ろを振り向かないでいた。
傷だらけの体を押して、戦場に立つ朋友(とも)の姿。
一日越しの再会。けれどあまりにも永く感じる乖離。
知らずとも、いずれも片方が散ることを良しとせず探し求めた。
そして今、待ち望んでいたその時が来ても心に感動はない。
約束し合った誓いのとき以来の邂逅。
無事の再会を喜ぶでも、身の安否を窺うでもなく、彼らはただそこに在り続ける。
「……………………」
ルルーシュもまた、己の窮地を救った騎士に対し何も言わない。
沈黙を押し通している。
遂に叶った生きての対面。暗闇の牢獄を這い回って探し続けた希望の道。
実際会う際には慎重を期する気だった筈だ。
果たして両者がいかな立場に立ち、いかな意志を持ってここにいるのか。
ここに至るまでの障壁を鑑み、段階を踏んでの接触を考えていただろう。
されど、この沈黙はそういう意図ではない。
予定が早まって言葉が出ないというわけではなく、声を出す気力がないでもなく、彼らは静寂に身を任せている。
『―――ルルーシュ、君に問おう』
無言の圧力が広がる中、先に口を開いたのはスザクだった。
お互いに、聞きたいことがある。
問い質したいことも数多い。確かめたいことも無数だ。
しかし、彼らに多くの言葉は必要なかった。
質問は最初から、ひとつだけで事足りた。
『君は、何を為す者だ?』
騎士は王の、号令を待つ。
■ ■ ■
『君は、何を為す者だ?』
その一言で、ルルーシュは全てを察した。
意思の疎通、対話の時間など無用であると。胸に懐く僅かな感傷すら消えていく。
この一言、ただ一言で、そして枢木スザクがここに存在するそれだけの事実で、あらゆる理解を得られた。
以心伝心。友情などという領域を超えた、それは魂の共振。
故にこの沈黙は、自分の意思を待つ行間なのだ。
授ける指示、託すべき言葉は、これもひとつだけで事足りるのだから。
「―――我が名は神聖ブリタニア帝国第99代皇帝、ルルーシュ・ヴィ・ヴリタニア」
己が真名を世界に示す。
決意を顕に。誓いを新たに。
不退の意志をこの瞳に宿し、彼は告げる。
「俺は旧き世界を壊し、新たな世界を造る者。
故に今、この世界を壊すッ!
その為にもう一度命ずる。
俺の力となり、意志を継ぎ、そして『生きろ』! 枢木スザクッ!!」
王は騎士に、命を下す。
「―――イエス、ユア・マジェスティ!!」
そして、トリガーが引かれた。
枢木スザクの脳が脈動する。
遣わされたギアス(命)を完遂せんと、全身の全ての機能を発揮する。
スザクの意志に呼応して、ランスロットもまた息吹を上げる。
注がれる力と意志を燃料に、『帝国最強』の名のもと敵を誅する。
討つべきは第六天の魔王。漆黒の殺意を眼に宿し新たな贄を見上げるは鬼の形相。
だが、ここに迎えるのは智謀の魔王と邪竜を刈り取る伝説の騎士。
遂に集う、一つの世界における最強の戦術と最強の戦略。
退転の二文字はなし。いざ往かんと、騎士はグリップを握る力を高める。
で
「枢木スザク。ランスロット・アルビオン、出撃る!」
肉を銃に。骨を剣に。
気高き魂を灯に。
守護すべき主君を背負い。
討つべき敵を見定め。
交わした約束を果たし合うため、騎士は翔ぶ。
■ ■ ■
「ルルーシュ、さん?」
指令室のルルーシュの安否を窺うように、小さな声が聞こえる。
半壊したホバーベースの足元に佇む紅の機兵。帰還した平沢憂の紅蓮だ。
その巨体に関わらず、そこから発せられる気配は子犬のように委縮している。
「憂、か。よくやってくれたな。ありがとう」
「―――っ、は、はい!」
素の声で無自覚に発した、紛れもない賛辞。それを聞いた憂の心が晴れ渡る。
先程まで記憶に張り付いていた少女のことも、自分に纏わり付いていた煩わしい言葉も心から締め出し、彼の無事をただ喜ぶ。
そう、これでいいんだ。自分は彼の為になることだけ考えていればいい。
そうすればあの人は自分を守ってくれる。
辛いことなんて考えなくていい。必要なこと、大切なことは、みんな彼が与えてくれる。
それ以外にすることなんて、なにもない。
そう、傾きかけた心を立て直す。
「ぐっ――――――」
忘我の中にいた憂の意識は、ルルーシュの苦悶の声を聞いたことで引き戻される。
「だ、大丈夫ですか!?すぐに助けに……」
「……いや、問題ない。お前はスザクの援護に向かえ」
「そんな、危ないです。もうボロボロじゃないですかっ!」
「俺の仕事はまだ残ってる。お前がちゃんと任務をこなしてくれた以上、俺も途中で放棄するわけにはいかないからな」
救助に向かおうとする憂を苦笑しながらルルーシュは制する。
自分の状態を把握できていないわけではないが、今はまだ戦いの最中。身の安全を確保する暇はない。
何せ相手が相手だ。油断も慢心もあったものではない。
スザクだけでなく憂も加えて万全の布陣で臨むべきだ。
王が逃げては戦場で兵は付いてこない。自分もまたここで指示を取り続けなければならない。
「憂、お前のことは頼りにしている。俺達が生き残るために今少し、力を貸してくれ」
煽てとも誤魔化しともいえる激励に、嬉しさと不安が入り混じった顔を俯ける。
こう言われると、憂には何も言い返せない。ルルーシュの敵がいて、それを倒せと指示をもらうのなら拒否する理由はなかった。
「……分かりました。行きますっ!」
空洞の胸に懐いた希望、それを抱き締め紅蓮も戦線に加わる。
自分が死なないため、自分を守る人を死なせないために。
駒が集い、盤上に置かれる。二つのナイトはただキングを討ち取る。自らの王に勝利をもたらす為に。
全ての条件はクリアした。後はただ邁進するのみ。勝利へと。誓いへと。
「さあ……決着を付けるぞ、大六天魔王」
長きに渡る、様々な者の思惑入り乱れる戦い。
条理を覆し、道理を引き裂く天地鳴動の大乱戦はここに佳境を越える。
晴天に浮かぶ灼熱の影だけが、決着の時を見守っていた。
■ ■ ■
―――ただ一つ、この心臓に残るものが在る。
今や野望の実現は目前であり、至る場所はここにある。
男の進んできた魔道は終局を迎え、魔王となり君臨する。
もう、終局だと、知る。
交差した光の全ては撃ち払った。
刺し込む白は既になく、一切合財は黒く染め、沈めた。
もう、ヒトの何も、己を止められはしない。
事実止められはしなかったのだから、魔王はいま此処にいる。
征服した玉座。
一抹の疼き、残る何かを置いて。
しかし阻む物は既に絶無。
戦国の火は、己以外全て絶え果てた。
それ以外の瑣末な世界のヒト風情に、止められるはずもなし。
ならば残すは、天に現る神のみか、と。
魔王は今も続く、目前の戦いを終わらせる。
「こんなものか」
ヒトとして戦う、ヒトを相手取る、最後の戦に幕を下ろす。
「こんなものか」
魔王として相手取る、神殺しの前座にもならぬ瑣末な戦。
「こんなものなのか」
それなのになぜか、僅かな未練が脈を打ち―――
「―――ほぅ」
いま、刺し込んだ新たな白光に、やはり鼓動は歓喜していた。
叩きつけられた衝撃。己の体の損傷を確認する。
当然の如く軽微。しかし――
「まだ、終わっておらぬ……か」
立ち塞がる黒白、二つの闘志。
見知らぬ世界の見知らぬ誰かが織り成した、苛烈な意志。
未だ折れず立ち塞がる、ヒトの輝きに、己の中に残る何かが疼いている。
「ならば―――」
それは男の、魔王の内側で燻り続ける。
ヒトとして唯一残る臓器に宿る、最後の感情であったのか。
嗚呼、面白い、と。
「ならば、是非も無し」
ただ一つ、この心臓に残るものが在る。
血が騒ぐ。
こうでなくてはならない、と。
最早止まらぬ。
止められぬ黒き体と、黒き意志を引き連れて。
今もまた己を阻まんと君臨する、白き光、打倒すべきヒトの強さに歓喜して。
第六天を統べる魔王は、再び進軍を開始した。
【勇侠青春謳・劍撃ノ参――了】
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最終更新:2012年06月17日 22:28