第七回定時放送 ~Another Heaven~◆ANI3oprwOY
「ねえリボンズ。それこそ、いまさらだと思うけど」
彼女の声に、彼は想起する。
「そもそも、どうして貴方は、そんな願いを持つようになったのかしら?」
知ったのはいつだったか。
確信したのはいつだったか。
思い出す。
あの日、信じた己の在り方を。
◇ ◇ ◇
救えない。
彼にとって、人はあまりにも脆弱な生き物だった。
か細い二本の腕は、誰かを傷つけることしかできない。
頼りない二本の足は、不安定な自分を支える事で精一杯だ。
吐き出す言葉は、実態すら伴わない幻にすぎない。
人は非力だ。
非力に尽きる。あまりにも力が足りない。
そのくせ、誰かと繋がりたがる。
何かを愛でたがる。
守りたいと願うから。
だから救われない。
出来もしないことを願い、生き、殺し、死ぬ。
本当に馬鹿な生き物だと思った。
身の程を知らない、くだらない存在、矛盾に満ちている。
今日もどこかで誰かが生き。
今日もどこかで誰かが死ぬ。
愛を歌う地球の裏側で、愛を叫ぶ間もない速度で人が死ぬ。
愛し、殺し、また愛す。
愛する者、殺す者、何も知らない者。
それらはみな同じ人間なのだ。
電子の海の中で、彼は全てを見てきた。
平和と称される世界も。
地獄と表現できる世界も。
全て知っている。だからこそ断言できた。
人の力は、足りない。
人の心は、愚かだ。
一人で生きていけないくらい非力だから人と繋がるくせに、交じり合えば傷つきあう。
常に幸せを与え合うには、あまりに脆弱すぎる。
ならそんな世界で人はいったいどうやって、一人も溢れることなく幸せになるという。
奪って満足した加害者は救われたのか。
奪われて涙した被害者を知らなくていいのか。
そして最後に残る者は、幸せを誰からも奪わず、誰にも奪わせなかった『無罪の勝者』は、
被害者も加害者も知らない、賢しき者は、本当に、それでいいのか。
そうして、たどり着く終着地点は誰もが同じ。
――仕方ない。
それが、そんなものが、この世界の真実ならば。
ならば人は。
どこまでも、どこまでも、どこまでも救わない。
彼はひどく虚く思えた。
憤りは感じない。悲しみも感じない。ただひたすらに虚しさだけがあった。
いったい、何故、何のために生まれたのだろう。
そう考えずにはいられない。
どうすれば救われるのか。救われたと言えるのか。
想わずにはいられない。
そして、そんな世界に、人ならざる者が生まれた意味とはなんだ。
つまるところ、彼の疑問とはそこに行き着く。
人に似ていながら、人でないもの。
人以上の力を持つもの。人を愚かだと笑うもの。
なのに、こんなにも人を理解できるもの。
ならば、それはなんだ。
ここに存在する意味は。
使命は。
その答えは。
電子の海中ではなく、誰かの瞳の中にあった。
それは始まりの光景。
赤色の空。
絶望の戦地。
終わり世界の中で佇む者。
あの日、己を見上げた少年の瞳だけが確かに映していた。
広げられた銀の翼。
舞い散る光の粒子。
戦場に降りる白き巨人。
それは人ならざるもの。人の持たない強さを持ったもの。
救済に足りえる力、天の力。
それを指し示す存在を、最も分りやすい言葉で示せば即ち。
――神。
人の持ち得ない、人を救える強さを持った神。
けれど救う意志を持ち得ない不完全なデウス・エクス・マキナ。
瞳の中に、それを見た。
『そうか、僕は神か』
ならばこの時、神は完全となったのだ。
神がこれまで決して持ち得なかったものを。
救済への意志を。
思いを知り、力と意志が合わさったならば。
この瞬間が真なる神の誕生だ。
人に、人は救えない。
あまりに人は弱いから。
人に、人は救われない。
あまりにも人は愚かだから。
だから人を救えるものはきっと、人ではなくて、人以上で、人を理解できる存在。
即ち、完全なる神。
力を持ちながら座して見守るだけの、無能な虚像はもう不要だ。
崇めたところで動く力の無い、偶像などもう要らない。
今ここに、神はあるのだから。
そう、断じて、己はイオリア計画の単なる道具などではない。
『イノベイド』。
人類救済の計画過程で滅びる存在。
イノベイターを生み出す糧。
いずれ死ぬ定め。
全て、否だった。
己こそ、世界を変える事ができる存在。
人を救う力を持ち。
人を救う意志を持つもの。
リボンズ・アルマークはこの瞬間、己の存在をそう定めた。
人を救う、神であろうと決めたのだ。
◇ ◇ ◇
原初の記憶に思いを馳せるのも、時間にすれば瞬きほどもなかったらしい。
夢から醒める心地で、彼の意識は引き戻る。
元より、休息を必要とする体ではなく、夢というものを一度も見たことないが。
「―――ンズ、リボンズ?聞こえている?」
声の主は少女。
バトルロワイアルの中枢にしてリボンズの共犯者。
聖杯の器、イリヤスフィールからの呼び掛けだった。
「ああ、聞こえているよ。どうしたんだいイリヤスフィール」
「……あのね。レディとの会話中に物思いにふけるのは失礼よ?」
初雪のような音色で苦言を呈する冬の聖女。
声色に篭っているのは不満というわけではなく、単に呆れてるようだ。
初雪のような、という表現は。
美しく、冷たく、脆く、そして儚いという意味合いだった。
「いや失礼。さっき君が妙な事を聞くものだから。ちょっと思い出していたんだ」
「ふぅん。珍しいのね、思い出すなんて、あなたが」
「そうだね」
「……珍しいわ」
「そんなにかい?」
「違うわ。あなたのその、やけに素直な態度が、よ」
リボンズは目の前の彼女の表情をじっくりと観察する。
目をぱちくりとさせているその仕草は、確かに驚いているようだった。
「それで、もうあまり時間は無いわけだけど、調子はどうだい?」
「心配しないでいいわ。順調に、最悪だから。
久しぶりね、この感覚。魂が体の中にたくさん詰まって、自分がもうすぐ壊れてしまうのがよく分かる」
「だからこそ」
「こんどこそ、完璧な聖杯が完成する。あなたの願いでしょう?」
「そして君の願いでもある」
「そう、ね」
「歯切れが悪いな、それとも」
密やかに談笑する少年と少女。
この光景だけを見れば、それだけのことでしかない。
小規模ではあるが世界の実権を握り、
あまつさえ人の魂を利用して願望器を生成しようとする者達の会話には、不釣り合いな空気だった。
「退屈したかな、『最後の対話』は」
「……あなたって、本当に意地が悪いわね」
それでも、二人の間に友愛など生まれることはない。
最初の邂逅から最後の瞬間まで、彼と彼女は共犯者であり続ける。
特に彼は、そう考えていた。
「つまらなかったわよ」
「そうかい」
だから彼女にそう言われることなど、分かっていた。
「硬くて理屈っぽいし、ユーモアの欠片もないし、自己満足だし、なにより傲慢だわ。
ほんっと意味のない時間、めんどくさかった」
「ふっ、君はそういうと思っていたさ」
「あのね。分かってやってるとこが、ムカツクのよ」
そして、その言葉に、ほんの少しだけ不満を感じることなど、考えてもおらず。
「……だけど、おかげで退屈だけはしなかった」
「そうかい」
そして、その言葉に、己の心が動くなど。
「悔いは、もう残らないかい」
「ふふっ……」
リボンズの問いかけに、イリヤは少しだけ笑い。
「調子に乗るな」
肩をすくめ、宙を仰いだ。
青く白い世界。
「悔いなんて……。馬鹿ね、私たちの目的は、そこにあるんでしょ?」
「ああ。もうすぐだ」
電子の海で、幾度となく邂逅した二人。
今も、連帯感はない。
ただただ、共通の目的を持つという、それだけの理由が転がっている。
「時間ね」
乾いた声で、少女は刻限を告げる。
「時間だ」
リボンズもまた、肯定する。
他愛もない掛け合いはこれで終わり。
時間は過ぎた。もはや何も考えることはない。
裏切り者を処刑し、邪魔者は始末し、目的の準備も整った。
あとは、歩を、進ませるだけ。眼の前に在る、奇跡へと。
会場に在ったほぼ全ての魂を溜め込んでるイリヤスフィールの器は限界間際。
聖杯としての機能を取り戻すため、人間の機能の殆どを削ぎ落されている。
現実の肉体では歩くことはおろか呼吸すらも生命を削る行為。
精神だけで意思の疎通を交わす思考エレベーターと、ヴェーダのバックアップがあればこそ会話が叶っている状態だ。
次の戦いですべての参加者が消えた時、イリヤスフィールの自我は消滅し、完全なる聖杯は地に降りるだろう。
だからこれが二人の最期の会話。ここでの別れが今生の別れとなる。
そんなことは、リボンズも、イリヤスフィールも分かっている。
狭間の世界で出逢い、互いの目的のための共犯者となった時点で、この最期は必定だった。
「そろそろ放送か。じゃあ、行ってくるよ」
リボンズ・アルマークは少女に背をむけ、歩み出す。
彼にとってこの世界で最初で最後の戦場へ。
そして全ての結末へ。
電子の海を抜け、聖杯に先駆け、現実の大地へと降りるために。
◇ ◇ ◇
最後の会話が終わり。
リボンズ・アルマークは去っていく。
彼の背に、言葉に余計な装飾など何ひとつ不要だと思っていた。
イリヤスフィールには感慨もなく、賛辞もなく、激励もない。
ならば、あたりまえのように、あたりまえの返事をあげればいい。
『いってらっしゃい』と、イリヤはそう告げればいいだけのはずで。
けれど彼女は――
「ねえ、リボンズ」
ぽつりと、そう呟いた。
誰にも届かず消えていきそうな、そのか細い言葉。
けれどもそれはリボンズの耳に届いたようで、足を止めて振り返った。
どうかしたのか、とでも言いたそうな顔で不思議そうに。
「なんだい、イリヤスフィール」
最後だから。
少しだけ、リボンズと話をしたかった。
この愚かな、それでいて全能者気取りの言葉を、もう少しだけ聞いてみたかったのかもしれない。
「――あなたの願い。もう一度だけ、聞かせてくれる?」
「恒久的な世界平和」
一片の間もおかず、僅かの曇りもない瞳で。
微笑を浮かべながら、リボンズは言葉を返す。
その言葉に、苦笑を返した。
初めて聞いた時と変わらないそれは、相変わらずイリヤスフィールには理解できなくて。
――けれど、それは彼女の弟が、そしてきっと父が。心から望んだものと変わらない望みなのだった。
そんなリボンズだから、イリヤスフィールは手を組もうと思った。
ちっとも信用出来なかったし、彼女の弟とは違う意味で歪んでいた彼。
神気取りの、とてもとても傲慢な、嫌いな彼。
だけど、その願いだけは――どうしても嫌いになれなかったから。
「……立派な願いね」
「それは、君に比べればね」
リボンズにそう言われても仕方がない。
自虐的な気持ちをイリヤスフィールは抱えていた。
「君の願いは、『価値のある死』だったね」
……わかってしまったからだ。
「ええそうよ、でもね。違うのよ」
「違う?」
「ええ、実は違うみたいなの」
違う、と。
意味のある『死』を迎えたい。自分という存在に意義が欲しい。
だから、『聖杯』としての役割を果たして死にたい。
自分の望みは、そういうものだと思っていた。
……けれど、気づいたのだ。
この殺し合いを始めて、取り返しの付かないところにまできてから。
――戦いの中で死んでいった者たちの声を聞いて、気がついたのだ。
――誰一人、聖杯を欲してなどいないことに。
当然、というならば当然なのだろう。
いきなり殺し合いに放り込まれて、賞品になんでも願いを叶えるなどと言われて、信用するものはそうはいない。
ましてや魔法などと言われ、それを手にするためだけに優勝を狙うなどと考える輩は皆無だった。
もちろん、優勝賞金を狙うものは少数だがいた。殺し合いが進む中死んだ人間を蘇らせたいと考えるものもいた。
けれどもイリヤスフィールは、決してそんなマッチポンプのような願いを求めていたわけではなかった。
単純に、純粋に、イリヤスフィールは『求められたい』と、そう思っていたのだ。
ただ聖杯として死ぬだけでは不足だった。
結局のところ、彼女は欲しかった。
『自分を必要としてくれる誰か』が欲しくて。
だけど、自分の価値なんて聖杯であったこと以外には考えられなくて。
だから彼女は、聖杯戦争を、再開した。
「――結局、私はただ、誰かから必要とされたいだけだったの」
そんなことを、今更、イリヤスフィールはリボンズに語る。
自分の愚かさを告白するように。懺悔するように。
訥々と彼女は語る。
「これだけの人を犠牲にして、迷惑をかけて――それだけが欲しかったの」
そんなことは、最初からわかっているべきだった。
当たり前の常識さえ持っていれば、分かったはずだった。
けれども、彼女はイリヤスフィールである故に。
常識も、当然のような倫理観も、持ち合わせていなかった。ついぞ理解できなかった。
それが理解できていたのなら、求めた望みの先で、誰も彼もを犠牲にしたこの場所ですら。
彼女の願いを叶える者が誰もいないだなんてことは、なかっただろうに。
「私はね、私の物語が、欲しかった――ね、ばかみたいでしょ?」
「そうだね」
何の躊躇もためらいもなく。
リボンズ・アルマークはその自虐を肯定する。
まっすぐに。イリヤスフィールに、その視線を合わせて。
少しだけ、彼らしくない表情で、彼は笑った。
「――全く以て、おろかで、ちっぽけな願いだ。正直なところ理解に苦しむ」
誰かに頼らないと生きていけない。
誰かに縋らなくては耐えられない。
そんな気持ちはリボンズにはわからない。
愚かな人間たちと変わらない、そんな弱い考えはリボンズには届かない。
けれども――
「だけどね、イリヤスフィール」
見下すように。慰めるように。愛でるかのように。
リボンズはイリヤスフィールに言う。
「僕には君が必要だ」
驚いたのだろうか。
反応のないイリヤスフィールを意に介す事無くマイペースに。
彼は言葉を続けた。
「……もう一度言おうか。僕は君の全てが余すところ無く必要だ
君がいなければ僕が困る。君がいるから――僕は戦うことが出来た。
君の犠牲を無駄にはしない。君の屍の上で築いた世界を守り切ろう。
忘れない。イリヤスフィールという名の礎がいたことを。この僕が、未来永劫に。
世界中の誰が否定しようとも、大丈夫だ。僕が君を必要としよう。
―――僕がこれから、君の物語を作ろう」
彼は彼女を肯定する。
「だから安心して、役目を果たして、そして死ねばいいさ。イリヤスフィール」
「…………」
少しばかりイリヤスフィールは黙った。
そして、少しだけ喜色を含んだ口調で言葉を返す。
「……ふふ、そうね」
「不安はなくなったかい?」
「とりあえず、あなたがいろいろと駄目なのは分かったわ」
「やはり手厳しいな」
得意げな顔のリボンズにぴしゃりと言葉を返す。
全く、リボンズのくせに生意気だ。
そんなことをイリヤスフィールは思う。
……ああ、そうだ。リボンズがそんなことを言うから。
だから、悪い。
「でも……」
「?」
ぴっ、とイリヤはリボンズを真っ直ぐに指して。
「――オールイン」
それはポーカーにおいて、『自分の全てのチップをこの賭けに投入する』という意味を持つ。
「シロウは死んじゃったから仕方ないじゃない。……ねえ。リボンズ、私、あなたの優勝に賭けるわ」
リボンズは少しだけ、言葉に詰まった。
彼には珍しく、本当に困惑してしまったのだろう。
「…………おいおい。そりゃあ有利な方に賭けたいっていうのは分かるけどさ。二人とも同じ奴に賭けたんじゃ勝負にならない」
「いいじゃない」
そんな風に、おどけて逃げようとした彼の言葉を断絶して。
イリヤスフィールは茶目っ気たっぷりに、甘く甘く、リボンズが初めて聞くような声音で答えた。
だって、どうせ――こんなものは遊びに過ぎなくて。『誰が優勝して欲しいか』、って程度でしかないんでしょ?
「…………そうだね」
ど真ん中直球。
退路を塞がれたリボンズは一度苦笑して。
「――ああ、そうだ」
もう一度、彼女に背を向けた。
「じゃあ行ってくるよ。彼らの絶望に、終わりを告げに。そして僕らの望みを、叶えにね」
瞳を閉じ、最後から二番目の邂逅を終わらせる。
次に会う時は優勝者として。
リボンズ・アルマークの願いを叶えるとき、そして彼女の願いを叶えるとき。
その時はもう、彼女の心は存在しないだろう。
目前に迫る戦いの終わりを告げるため。
そして招かれし魂の一切を掻き消すがため。
この世界の神を名乗る彼は、その力の宿りし機装(ガンダム)を纏う。
「さあ、最後の放送を始めようか」
◇ ◇ ◇
『ねえリボンズ。それこそ、いまさらだと思うけど』
耳に残る彼女の声に、彼はまた想起する。
『そもそも、どうして貴方は、そんな願いを持つようになったのかしら?』
知ったのはいつだったか。
確信したのはいつだったか。
思い出す。
あの日、信じた誰かの在り方を。
『―――へえ、君も人間じゃないのか』
いつか出会った少年の瞳に映った己と、もう一つ。
彼にはあった。
己しか信じられなかった彼が唯一、信じていたかもしれない、そんなモノがあったのだ。
『そうか、君は―――』
違う世界で巡りあった、誰かの在り方。
己と同じ、人ならざるモノ。
己と同じ、人に作られたモノ。
人以上の存在でありながら、人のために使われ、いずれ壊されるという死を前提に存在させられたモノ。
愚かな願いを持った少女。けれどそれは、彼の見下げた下位種たちとは違っていた。
遠き異界にて、天の杯から転げ落ち、それでも自分の意思で生きようとしていた。
自らを生み出した製作者の意思を逃れ、望みの為に生きようとしていた。
『君は僕と同じなのか』
ただ一人、認めることが出来た。
己と対等な存在であると感じられた少女がいた。
これより始まる。
何かを失った者達、あるいは何かを失う者達の闘争。
というならば、リボンズ・アルマークとて変わりないのかもしれなかった。
これから先にどのような選択をしようとも、彼がイリヤスフィールを失うという結末は変わることはない。
ならば無敵たる最新鋭の鋼鉄の機兵が、一体何の意味を持つのだろう。
勝利も敗北も、彼を祝福することはなく。
後ろ姿を見送る彼女はすべてを知って、なおその笑みをやめない。
それを永遠に失うと理解しながら、リボンズは振り向こうとはしなかった。
どことなく喜色を浮かべながら、誇らしげに胸を張って、ただ前に進むために。出来の悪い喜劇のように。
それが自分にとってどういう意味を持つのか、自分が彼女のことをどう思っているのか。
――それすら自覚せず。
リボンズ・アルマークは、かけがえの無い彼女にとどめを刺すべく、会場に赴いた。
◇ ◇ ◇
『――――それじゃあ、時間になったから、第七回定時放送を始めるわ』
透き通るような清き響きが空に流れる。
天高く浮かぶ城にたった一人、住まう少女から発せられる声だった。
太陽は沈み、訪れる夜の中心から届けられる声は言葉を形作り、この狭い世界の全てに届けられる。
『――最初に、今回も変わらず、もう意味のない連絡事項から』
最初、読み上げられる言葉は清廉でありながら、無意味であった。
禁止エリア。
首輪(ルール)が破壊された以上、既に役割を失った概念を、事務的な作業のように告げ。
『――次に、時間のかかっていた線路の整備がようやく終わったわ。
いまさら有効に活用できるかは知らないけれど、自由に使いなさい』
駅の機能が復旧したこと。
これもまた、列車の音が島に響き渡る今、知らぬ者の居ないことだった。
『――そして、前回の放送から今までの死亡者の発表だけど……』
最後に――
『――知っての通り、今回は誰一人、死ななかったわ』
これも、おそらくいまさら聞く者のいない。
誰も死なかった。あたりまえのこと。
この島に、この狭い世界に残る、全ての者が承知している事実を、声はなぞっている。
『――だけど、そんなことは、初めてだったわね』
あたりまえの筈の、だけど珍しい事実を、告げているに過ぎない。
『――だから代わりに』
そして声は、あたりまえのことを、もう一つ。
『――これまで死んだ全ての人の名前を、もう一度だけ呼ぶわ』
最初から、最後まで、もう一度。
振り返るように。
思い返すように。
名前が呼ばれていく。
『――――――――――』
それは彼女の気まぐれだったのか。
あるいは、何かの意味を含めていたのか。
『――――――――――』
死が、もう一度だけ呼ばれていく。
ここで起こった、全ての死の名前が。
きっとこれが最後だからというように。
先ほどまでと変わらない。
誰もが知っているはずの事実を、もう一度。
『――――――――――』
けれど今度は、きっと誰もが聞いていた。
先ほどまでと同じことだけれど。
知っていることだけれど。
それでも、この島に残る全員が、この狭い世界の中で、僅かに残った命の全てが。
既に消え去った命の全てをもう一度、聞いていただろう。
『――――――――――』
読み上げられていく名の数は全部で五十六。
誰かのために戦った者がいた。
自分のために戦った者がいた。
愛のために戦った者がいた。
義のために戦った者がいた。
悪として戦った者もいた。
『――――――――――』
主人公がいたかもしれない。
ヒロインがいたかもしれない。
宿敵すらいたかもしれない。
『――――――――――』
それら全て、死に果てた。
『――――――――――』
名を呼ばれる者は、この世界に一人として、もう居ない。
ここに残るのは、それを思い出す者だけ。
そして、これから先、誰の名が呼ばれることもないだろう。
『―――――以上、これが最後の死亡者発表よ』
何故なら、これが最後だから。
もう、死した者の名前を呼ぶ機会も、それを聞く機会も、無いのだから。
『――これが本当に、最後の放送。
最後の、主催者(わたしたち)の立場から、参加者(あなたたち)に伝える言葉になるわ』
これが最後の定時放送。
『――もう二度と、放送の時間は来ない。私の声をこうして届けることはない。
次に私と直接会って言葉を交わすのは、優勝者となる、一人だけ』
この言葉の続いている間が、最後の猶予期間。
『――聖杯(わたし)を奪い、願いを告げる者だけよ』
最後の――
『――もう何度も言わないわ。
殺し合いを放棄した者はこの世界を統べる存在によって、順に討たれると告げたはず。
理解した上で、あなた達がそれを選択したならば――』
殺し合いの軌跡。
『――この世界のルールを反故にして尚も、望みを叶えんとするならば――』
城より、飛び立つ機神。
『――これより降り立つ、神に挑みなさい』
翼を広げながら城を、女神を守護するように降りてくるガンダムの姿。
それこそこの世界を統べる神。
同時に世界を滅ぼす存在の名であった。
白き光が下降する。
残る参加者を殲滅せんと来る機神のさらに背後、広がる翼の上空にて。
完全なる白き聖杯を乗せたダモクレスは振り下ろされる。
『――私はここで、誰かの『願い』を、ただ待っている』
この地に、奇跡を齎すために。
誰か一人の望みを叶えるべく、真なる願望機が降臨する。
その始まりが――――
『――――これで、第七回定時放送を終了するわ』
いま、終わった。
◇ ◇ ◇
『――――時は来た。その誕生を祝福しよう』
そして、その時、誰かが嗤った。
『さあ―――――――――』
白が降りていく。
高き天上から、静かに、清らかに。
ゆっくりと地上へ。次第にその輝きを強めながら。
未だ誰の色にも染まらぬ器の滴、純白の願いを乗せた願望機。
『私に答えを見せてくれ――――――――――』
それを塗りつぶすような、悪意の鼓動(えみ)が。
遥か下方、地上の一角。
寂れた展示場の、その地下にて。
地の底から這い出るように黒く、歪んだ色をもって炸裂した。
『史実なる黒き聖杯よ――――――――――――』
黒が昇っていく。
仄暗き地下から、淀み、歪んで。
駆け上がるように空へ。次第にその毒性を濃くしながら。
既に人々の色に染まりきった器の泥、漆黒の願いを乗せた願望機。
この世全ての悪の根源。2つ目の聖杯がここに。
天より降りる清らかなるモノとは対極の、全てを呪い尽くす黒き悪意の集合体、人の憎しみの肯定が。
巨大な腕を伸ばすように空へ。
展示場全体を瞬く間に黒く染め上げ、一体化しながら。
尚も高く駆け昇る。
空の女神を見上げ、引きずり降ろし取り込まんとするように。
それでも尚、白き輝きは陰ることはなく。
いっそう光を強めながら、汚泥など蹴散らさんと降りて来る。
天から降りる白き聖杯。
地から伸びる黒き聖杯。
天の白。
地の黒。
対極する2つの色。
伸ばされた両の光が、互いを照らし合うが如く。
中空にて、螺旋の交差する未来を見据えて。
結びつくように近づいていく、黒白。
―――――それが、この世界における、最後の戦いを告げていた。
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最終更新:2015年03月08日 00:24