See visionS / Fragments 12 :『黄昏』- normal phantasm - ◆ANI3oprwOY
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/黄昏 ― normal phantasm ―
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首輪の解除には数分もかからなかった。一人済ますのに十数秒かかったかも怪しい。
それぞれの首に式が指を伸ばし、肌に触れるか触れないかまで刃先が近づける。
首輪に軽く触れた瞬間接合が外れ、軽やかな音と共に輪は断たれて地を鳴らした。
これによって名実ともに主催への反抗、ゲームルールからの脱却が果たされた。
しかし、所詮これは前提、スタートラインでしかない。
脅威をひとつ取り除いても肩の荷は下りず、素直に喜ぶことができない。
皮肉にも首輪を外したことで今の自分達の状況を再確認してしまう。
戒めひとつ解いたところで、真の意味で殺し合いの脱却は成っていない。
乗り越えるべき壁は、霧に隠れて見えない巨山の頂のように。
全容が見えない曖昧さと、絶対に辿りつけまいという遠大な距離感が、立ちはだかる現実を思い起こさせる。
「――――式?」
その中で、短剣をバッグにしまい、いち早くその場を後にしようと準備する影があった。
両儀式は阿良々木達へと無防備な背を向けようとしている。
「もう、行くつもりか?」
「ああ。やることは済んだ。わざわざ時間になるまで待ってることもないだろ」
声に、顔を振り返って見せた、髪と同じ玄の瞳には淀みというものがない。
「そうだな。もう動き出すべき頃合いだ。早く行動するのに越したことはない」
式の見ている方向とはまた違う道に、スザクもまた足を向けている。
決して合わさらない線上の上を歩くことになろうとも、二人には戸惑いも不安も無縁だ。
それはそのまま二人の生き様、そして強さを表している。
自身がやるべき行いをスザクは明確に、式はやりたいと思うことを単純に捉えている。
「敵があの機動兵器で現れ次第、僕はランスロットで出る。
敵は自然、僕に向かってくることになる可能性は高い。
モビルスーツよりに比べればナイトメアも大きいとはいえないが、人よりは遥かに視認がしやすいからね。
主催……
リボンズ・アルマークが全員を始末する気でいるのなら、索敵をかけて探し回るより目についたものから先に手を出して来る。
その間は、流れ弾の被害でも貰わない限りは君達に被害が及ぶ危険は僅かながらも落ちるだろう。
そうすれば、薄くとも誰かしらに活路が見つかるかもしれない」
「枢木、それって――」
やや唐突に、来る戦場の推移を見据えたプランを解説するスザク。
それを聞いた阿良々木は驚きに目を白黒させていた。
今語った作戦、それは実質ランスロットを囮にするのと同然の意味を持っていたからだ。
「妙な勘違いをしないでくれ。
人とナイトメアじゃ行動範囲が違いすぎる。まとまっていても互いの阻害にしかならない。
単騎であることがランスロットを動かす面において一番持ち味を引き出せる戦術だというだけだ。
作戦だなんて綺麗なものじゃない。それ以外しようがないという理由なだけの単純な選択だ。
それでもこれは、僕らにとっての最善策だと思ってる」
お互いの戦いの邪魔にならない為にそれぞれの得意とする場へと赴く。
スザクの主張に間違いはない。
エピオンを駆るグラハムが戦意喪失している今、スザクのランスロットは主催の機動兵器に対抗出来る唯一の航空戦力だ。
主戦場になる空中に、翼を持たぬ人間は介入する余地がない。
故に天から降りる主催者の前に出るのはスザク以外にありえない。
わかりきった結論だからこそ、スザクは課せられた役割を口にした。
「―――僕もさ」
新しい武器が増えたわけでもない。状況を動かしうる新たな情報を得てもいない。
傍から見れば、何一つ変わっているものはない。
六時間かけても、
阿良々木暦に劇的な成長は起こらなかった。
「ついさっき、会わなくちゃいけないやつができたよ。
たぶん、戦うことになると思う。そんな気がするんだ」
代わりに見えるのは決意の顕れ。
自己満足にして自分勝手ではあるが、故にこそそれを通すべきという、ある種の開き直りに近いものだった。
「それって、秋山のことか?」
「うんそう…………なんっ!?」
その細やかな配慮という自己満足を台無しにする、あまりに空気の読めない一言。
鮮やかに切り捨てるような式の台詞に阿良々木はたちまち狼狽してしまう。
「隠したからってどうなるっていうんだ。だいたい今の言い方で思い当たらないほうが無理だろ」
「ぐ……」
「ふうん、でもそっか。あいつと戦う気なんだ」
その時見せた式の顔は、今まで見てきた顔とは違う、曰く言い難い顔つきだった。
この少女もまた、変化というものには乏しい道行だった。
明らかに浮いた存在。交流は挟まず、ただひとりで完結している。
答えはすでに出ていて揺らぎはなく、試金石のように他者を計っていた。
「……秋山と、何かあったのか?」
「特に。ただの約束があっただけだ。
それより、オレよりも気にしたほうがいいやつがいる気もするけど」
横に振った視線を追えば、阿良々木を見つめる少女と目が合った。
理由はどうあれ、
秋山澪と最も関わりが深いであろう彼女に伝えなかったのは事実だ。
気を回したといえども隠していたやましさもあったのだろう。
「ごめん、平沢。黙ってて」
「……いいんです。どうしてかな、あんまりショックじゃないんです。
なんだか自然と、受け止められたんですよ」
謝罪に返ってきたのは、悲しみはあれど、驚きとは無縁の言葉。
表情に暗い影はある、だが憂は秋山澪が敵だという事実を、周囲が思うより簡単に受け止めていた。
「あの人は、私なんかよりもずっと強くて、強くなろうとして。
私が一番はじめに捨てたものをずっと離さなかった。
だから、あの人がそういう選択をしたってことはきっと、誰にも否定出来ない想いがあるんだって……今は思うから」
どこか、そうであってくれたことを誇るように、憂は澪を強いと言った。
同じ世界の、同じ町、同じ場所で生きていた人。
奪われたものを取り戻すと告げた。誰にも否定させないと言い切った。あの瞳を思い出す。
今、
平沢憂が抱えるこの重い思いを、耐えられない程の胸の痛みを、彼女はずっと背負い続けていたのだから。
それほどまでに彼女は、この痛みを、大事だと感じてくれたのだから。
平沢憂にはもう、彼女を否定することは出来なかった。
「お前ぐらいはそう思っててもいいって、僕は思うよ。
だって、秋山澪も、お前にとっては大切な人なんだろ?」
阿良々木の言葉に、少女は頷くことしか出来ない。
疑念はない。当然だと再認する。
二人はいつかの日常の中で、立つ位置は少し違っていても、きっと同じ場所を好きだと思っていた。
それは今も同じはずで、なのにどうして、こうまで進む道だけが変わってしまったのだろう。
「それでも本人に言いたいことがあるんだったら……会いに行けばいいさ。
だれも止めないし文句なんかない。好きにしていいんだよ」
誰も咎めはしないと言う阿良々木に、式もスザクも特に異論を挟むことなく黙ったままでいる。
殺し合いを否定する側としては矛盾してる発言だが、そうではないのだと少女もまた気づいている。
ここにいる全員の立場は平等だ。強制・無理強い・懇願の類は通じない。
誰が何をしようとも、それが誰かにとっての不利益であっても。
「……はい。けど、なんだか……」
「ん?」
「今更すぎることなんですけど……ずっとバラバラでしたね、わたしたち。
もうすぐ、はじまっちゃうっていうのに」
このチーム―――そう呼べるかどうかも分からない集団の性質を、彼女は的確に言い当てた。
「誰も話しあったり、力を合わせたりしないで、みんな好きに、やりたいように動いてます」
ルルーシュはよほど人員を的確に動かしていたのか。
それとも、憂本人が元々から周りに気配りする気質だったからなのか。
少女はふと浮かんだような疑問を口にしていた。
「最後まで誰も、『助け合おう』なんて、言いませんでしたね」
弱さから目を背けているのでも、力を過信してるわけでもなく。
絶望に陥らず生き抜くという決意があるにも関わらず。手を取り合おうとはしない。
意見の不一致があるとしても、共通の目的があれば協力に足るものなのに。
「――ああ。それでも、僕はよかったと思うよ、これで」
肯定は、ある種の確信にも似た感情を持った強さ。
少女の言葉に、阿良々木暦は截然とした声で答えていた。
「もとより協力するような仲じゃないんだよ。
僕の大事なものは皆のとはそれぞれ違くてさ。戦う理由だってみんな違ってる」
それは彼にとって皮肉や自嘲でない、本音の言葉。
各々の思い、考え、信じるもの。それは誰もが差異のある形をとっている。
誰もが、自分だけの理由を持っている。
「皆大事なものがあって、それを守りたくて生きたいから戦う。
そう思うやつが僕だけじゃないって、分かってる。
それだけは分かってるから、だから信じられる」
けれどこの枠組みにも共通していることはある。
大切な思いを持つことと、生きようと願うこと。
小さくとも、たった一つでも叶えていきたい望みがある。
独りのままでも、前に進んでいける理由がある。
「僕は僕のために。お前はお前自身のために頑張ればいい。
今も、それよりも前から、僕らはそれでよかったんだ。
皆が自分のために動いていくことが、きっと最善になる」
それを知っていればもう十分だった。
不干渉ではあっても無関心ではなく、むしろ個人を尊重しているからこその別離。
これからも、皆はバラバラのまま、それぞれの戦いに向かっていくのだろうと。
隣の式とスザクは何も言わない。
肯定もないが反論もなく、阿良々木の話に耳を傾けている。
興味を惹かれることもないのか、自分の心情と一致しているから黙っているのか。
「だからさ、お前にもあるんだろ? お前なりの、『理由(ねがい)』がさ」
「私の……理由……」
贈られた答えを、少女はうわ言のように反芻していた。
生きたいと願う理由(わけ)。
今ここにいる理由(わけ)。
遠く離れた場所で、平沢憂とは真逆の道で、今も強く立ち続ける秋山澪。
彼女と同じように、譲れぬと誓える何か。憂にもあるのだろうか。
今も生き続ける憂にとっての、何より大切な、いつかの願い。
それこそが――
「私が、最後に、向き合わなきゃいけないもの」
「平沢……」
その時ようやく、少女の言葉に滲んだものはなんだろう。
阿良々木の声にも幾分かの驚きが混じる。
「逃げられない……ですね。多分、この思いだけは――」
「お前」
伸ばされていた少女の手に、何故か阿良々木の方がたじろいでいた。
差し出された手のひら。
傍目からは訳の分からない動作の意味を、彼は理解しているのだろう。
相変わらずの、痛ましい笑顔から、少年は目を背けた。
「まだダメだろ……お前は……」
「でも、今しかない。分かってますよね、あなたは」
遮る声。
首を振って答えたのは、やはり苦しそうな微笑だった。
「いまさら逃げ道をくれるなんて、やっぱりへんなひと、ですよ。
それにずるい人です。いまさら甘やかすつもりですか?」
それでも、ほんの少しだけ、痛くなくなった。
傍にいてくれた誰かのおかげで。
ほんの少しだけ、辛くなくなった、少女の。
「阿良々木さん。私、よかったって思ってるんです。
あの人の声を聞けて、ルルーシュさんの声をもう一度聞けて。
辛かったけど、痛かったけど、それでも、よかったって……」
差し出された手はやはり震えている。
掴み過ぎた制服の胸元は皺になってしまっている。
だけどその言葉は、もう切実すぎる程に、切実な色を帯びていて。
「だから最後の思いも、私は、聞かなきゃいけない」
阿良々木暦は分かっている。
そして誰よりも平沢憂が知っている。
それは避けられないもの。
ルルーシュ・ランペルージの思いとは違って、もう、聞こえないものだとしても。
それでも、一番大切だったいつかの願いに、向き合うために。
「今なら返して、くれますか?」
少女は、少年に、暫しの別れを告げていたのだ。
「……そうか、行くつもりなんだな。お前」
「はい。これだけは、私が一人でやらなきゃいけないこと。なんですよね?」
ならばこの後の、少女の行き先も自然と分かる。
伸ばされた手に必要なものは、今だけは、彼の手ではなく。
「ああ、そうだな」
いつかの願い。いつかの記憶。いつか失った夢、もう届かない、誰かへの思い。
阿良々木と共に行くことの出来ない場所にある、彼女だけの想い。
そこに至るための切符を、求めている。
「だったら今度こそ、しっかり受け取れよ」
少年の取り出した一本のギター。
ゆっくりと行われる、三度目にして、最後の譲渡。
それは彼らの出会いであり、そしてここまで続いてきた、繋がりの象徴であった。
「どうだ?」
おずおずと受け取る手。
ギターを抱いた少女へと、心配そうに問う少年。
少女はやはり、涙なく、笑顔もなく、ただ――
「……重いです」
噛みしめるように短く、そう言った。
「今までで一番、重いですよ」
きっとまだ、早かった。
少女はその重さを受け止めきれていない。
誰よりも阿良々木暦が分かっていたはずだった。
けれど平沢憂は行かなければならない。
彼女が最後に残してしまった思い、そして原初の思いが眠る場所へ。
最後の戦いに臨むも、臨まないも、全ては、その思いに決着をつけなければならない。
だから彼と彼女との間にあった最も大きな繋がりを、ここで渡した。
もう彼らの間に、目に見える形での繋がりは残っていない。
「また、会えますよね」
それでも、俯いた少女が零す言葉は、阿良々木暦に向けられていた。
今も変わらない、結局最後まで変わらなかったその、痛みに耐えるような言葉。
夢を失った少女の、何かを訴える声に。
少女を救わないと言った、少年は。
「ま、約束、したからな」
「…………ぁ」
「キミの手を、引くってさ」
少女の痛みを吹き飛ばすような、満面の笑みと共に、小指を差し出していた。
目に見える形が無くても、雨の中の戦いで告げた、一つの口約束が残っているのだから。
ここにもう一つ、生きてまた出会うという、約束を。
「だから絶対、また会おう。
会って、そしたらまた、僕は約束を果たすから。
そのためにも、早く決着つけてこいよ」
「…………はい。待っていて、くださいね」
憂もまた手を上げて、絡む小指。
それは彼らにとってありふれた、そして今は平行の世界すら超えた、この場の誰もが知る誓いの形。
「そしたら私も……きっとあなたに、何か――」
その先はまだ、言うことが出来なくても。
「……また会います、絶対。だから、死なないで」
「ああ、生きてみせる。生きて、待ってるよ」
ここに約束は交された。
「平沢だけじゃない。ここにいる全員、生きて、また会おう」
それだけでは満足できなかったのか、阿良々木暦はぐるりと周囲を見渡す。
枢木スザク、両儀式、平沢憂。
「それくらいの約束なら、いいだろ?」
彼らの中央に立ち、集う全員に呼びかけた。
「死ぬつもりはない。
機会があれば、また会うこともあるだろう」
枢木スザクの確固たる意思を込めた返答。
「お前たちが生きてたらな」
そして両儀式のそっけない回答。
どちらも、阿良々木暦は嬉しそうに受け止めて。
「よし、じゃあ、約束だ」
もう一度、満面の笑みで、そう言った。
日が沈む。
最後まで一つに纏まらなかった集団の、ほんの小さな連帯感を照らして。
「―――阿良々木さん。
あなたはやっぱり、主人公みたいなひとですね……」
そのとき、少女が呟いた焦がれるような言の葉は、誰の耳にも届かないくらい小さく。
ただ、隣に立ち尽くしていた白い端末機のみが観測していた。
◆ ◆ ◆
空はいよいよ黒ずみはじめ、支えを失った天が落ちてくるような黄昏の時を告げている。
光と闇の境目。始まりと終わりを切り分ける境界線に入っていた。
誰がという切っ掛けもなく、もう全員が荷物を持っていつでも出発できる状態になっていた。
準備はやり遂げた。伝えるべき言葉も言い終えた。
もう残ってるものはない。最早この場所に止まる意味はない。
「準備は、済みましたか」
アナウンスを読み上げるような、感情の抜けた声が聞こえた。
この場にいながらも、輪に加わることなく外側で立っていた観察者は口を開く。
インデックスは
オープニングの頃と変わらない、機会的な応答で戦意を確認する。
しかし完全な焼き直しとはいかない。変化はある。それを聞く者も、言う者にも。
「……会場内する生存する参加者から全ての首輪が解除されたことを確認。
現時点を以て、あなた方は殺し合いへの明確な脱却と、否定を示しました」
目録は語る。宣戦のように。
「規定の時刻に達し次第、第七回の定時放送が流されます。
このゲームの主催者たるリボンズ・アルマークの降臨。
ルールを無視する者達の殲滅作業が開始されます」
事実を。無力を。絶望を。
「あなた方を拉致し、殺し合いの参加者として登用した、この会場においては神に等しい力を持つもの。
人の身には未だ天災は抗えない星の理。
戦闘能力、必殺能力、神秘能力、概念能力、精神能力、力(パラメーター)の差は、歴然です」
だがそれに悪意はない。善意もまたない。
「希望はありません。救済は望めません。命は生き残れません。
あらゆる論理性、確率性、精神性を鑑みて、あなた方の勝率は皆無です」
人間性の消えた声は、時に神性すら帯びる。
それはさながら、戦場に赴く騎士を送り出す、聖女の凱歌のように。
「ですので私は今一度問います。
それでも―――あなた方は、戦いを続けますか?」
無垢に、無雑に渡される問い。
観測機の少女を前に、全員の言葉は一致していた。
当然だ。
こんなところでは終われない。
この結末は違うと思う。だから、諦められない。
夢の続きはまだ終わらない。遥か遠い、届かない地平にあるとしても。
生きている限りは、足を止めることはしたくない。
ただ、そう叫んでいる心があった。
「―――全員からの強い生存の意志を確認。
世界への敵対。神への反逆を疑わず向かい出す。
……理解は出来ませんが、この情報は正しく保存しました。
これをバトルロワイアル内におけるインデックスの最後の記録とします。
それでは、どうかご奮戦を」
そうして、インデックスは瞳を閉じた。
その言葉を最後に、自分の役目は終えたというように。
少なくとも、観測機としての機能を彼女は完全に止めた。
◆ ◆ ◆
示し合わせたわけでもなく、全員が同時に顔を見合わせる。
一人残らず傷だらけの顔で、誰しもが生存の希望を捨ててない貌をしている。
六時間ばかりの同行者。なし崩し的に集まり、最後まで纏まることなく離別する者。
けれど互いに分かり合えるものがあって、それぞれの尊さを優先した人。
弱々しくても、いつ千切れるとも知れない脆い結びでしかない絆でも、
彼らは肯定する。その繋がりを。死しても絶たれない意志の軌跡を。
「――よし。それじゃ、またな」
「行ってくる」
「ああ、じゃあな」
「はい。みなさんも、お元気で」
無事の祈りと、今生の別れを含んだ挨拶で締める。
別れは、学校の帰り道のように気軽で鮮やかだった。
立つ位置は重ならず、目指す先はどれも異なっていても。
誰かの未来を応援して送り出すくらいには、関係が結べているのだから。
こうして彼らの旅は終わる。
主役の消えた本は幕を閉じ、新たな題目に差し替えられる。
これから始まるのは一人一人が主題になる、貴方の為の物語。
筋書きがどれだけ暗く重くても、ピリオドは未だ打たれていない。
ページをめくるまで本の結末は分からない。
希望か絶望か、先の未来は不確定。
故に、誰も知らない終わりへの、物語がようやく、始まろうとしていた。
◆ ◆ ◆
――――そうして、禁書目録(わたし)は観測を終える。
語りはこれにて終了。
彼女の視点はそこで切り替わった。
まとまることなくそれぞれ違う方向へ歩き出した四人の参加者を見送る。
勝機は皆無に等しい、絶望しかない未来に恐れることなく彼らは別れて歩いていった。
「――――」
残るのはこの身ひとつ。
主催としての役目を終え、用済みとして打ち捨てられ、ほどなく自壊する体と心。
リボンズ・アルマークに掃討されるでもなく、己はじき朽ちるだろう。
そう客観的に自己の状態を解析しても、悲観はない。
自分を認識しても、感情があると理解しても、ココロといえる領域には漣が立つことはない。
例え壊れていても、機能が停止する瞬間までその動作を続行を止めないのが機械たる所以だ。
不要だったプログラムが復旧しバグが起きて、それが己の破滅の予兆だと理解していても、
止める理由、合理性が規定されない限りは、対策の手段を指定する間もないでいた。
なぜならインデックスには意味がない。自発的に明確な行動を起こす理由がない。
感情を修復してもそれは赤子よりも幼く無垢。
生きる衝動を発露しない草木と同様だ。
「――――」
この体は時を置かずに崩壊する。
蜻蛉の如く数時間後には消える、小さく脆い生命。
正しく情報を了解するがゆえにインデックスは自発的になることができない。
もうすぐ死ぬと分かっていても、だからこそ動く意味を見いだせない。
救われないまま、彼女は終わる。
その結末を当然と、平然としてインデックスは受け止めていた。
彼女にはもう希望がない。
彼女を救うものも、彼女に救えるものも既に存在しない。
願望も、後悔も、もう全ては失われた残留物でしか―――
「みー」
その時、音がした。
インデックスの足元から、小さく、人でない何かの鳴き声が。
「みぃ」
インデックスは思考する。
壊れかけの回路で、思い出そうとした。
足元に擦り寄ってくる子猫。
どこかで見たことのあるような、一匹の猫の名前を。
「―――――す――――ふぃ―――ン―――クス―――?」
存在の意味を、形にしようとした。
瞬間、それが最後の堤防を崩したのか。
「――――――――、」
そのとき何かが、壊れた。
そして何かが、生まれた。
これ以前から、少しずつ、少しずつ、彼女は壊れていた。
ずっと、この場所で、抗い続ける誰かを見る度に、誰かの声を聞く度に、誰かの願いを知る度に。
広がり続けていた亀裂が、今遂に致命的な何かを破壊した。
歯車がまたひとつ外れ、機械の倫理が形を無くしていく。
寿命と引き換えに、インデックスの人間性が少しずつ取り戻される。
「――――――……………」
瞳の焦点が定まらない。
涙の代わりに血が流れていく。
破滅の足音は加速度的に近づく。
オープニングの時点で開始されていた崩壊は、この局面にきてその侵度を著しく早めていた。
「…………」
全身が小刻みに震わす姿は異常をきたした機械そのものだ。
時間を置くまでもなく、今すぐにで活動を停止してもおかしくはない。
「………………………ぁ」
意思なき道具であるのなら、動く限りは己の機能を維持しようと行使を続けるだろう。
だがインデックスは中途半端にも自我を取り戻していた。
それが機能の続行に疑問を生む。
壊れ行く体で、何を望もうというのか。
砕ける心が祈ったところで生み出すものがあるのか。
体の異常に対する苦痛は感じないが、苛まされ続ける肉身は速やかな終わりを要求する。
利ももたらさないが不利益を呼ぶこともない。
ならここで自ら速やかに終わりを選ぶことこそが正しいはずなのに。
「――――――――――――あまえ、ころ――――――も」
なのに芽生えた心は、訴える言葉を止めようとはしない。
求めるように、請い願うように。
彼女にも確かにあった、『願い』の名を呼ぶように。
「――――――――――――――――かみじょ―――――――――と――――――ま」
忘れていた名前。
思い出した声。
消え去っていた記憶が感情と共に呼び起される。
魔道書図書館と畏れられ、疎まれ、濫用されてきた少女が
幾度となく消されても変わることなく、残されてきた思いを。
「と―――――――――、も―――――――
と、も、だ、ち――――――――――――
――――――――――――――――――友達」
課せられた役目は完全に完了した。道具の価値は無くなった。
ならばここにいるのは、確かに一個の人間の少女だ。
誰に促されてでもなく、導きを受けたでもなく。
紛れもなく自己のみで為すべきものを獲得した。
「――――いっしょ――に――――い――たい―――」
その願いを口にした瞬間。
確かに、一人の人間がここに居た。
この奇蹟も、所詮はあと数時間も保たない泡沫の夢に過ぎない。
破滅と絶命は確定し、覆すにはそれこそ正真の奇跡が必要となる。
それほどまでにインデックスには未来がない。予め決められていた結果であった。
だが、悲惨に違いなくとも、それでも今の彼女には選択肢がある。
意味や意義に囚われずに、自分の考えだけで行動を起こせる。
全てから見放され、自我だけが残った今ならば――
どんなに低い優先順位の行為も、どれだけ無意味な行為でも自由に選び取ることができる。
「―――――――――――――わたしは―――――」
空が、堕ちて行く。
天を塞ぐ天蓋が罅割れていく。
血の赤は地の底に沈み、白貌が夜を開く。
厚い雲は晴れ、表れるのは暗黒の天幕と、一面に降りしきる星の砂。
幽玄麗らかに落下する月を、もはや端末ではない『少女』は濡れた瞳で見上げていた。
【 Fragments 12 :『黄昏』 -End- 】
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最終更新:2015年03月08日 00:16