3rd / 天使にふれたよ(1)◆ANI3oprwOY




/境界色






――――ひとりの少女が、そこにいた。



真っ白で、真っ黒で、真っ赤で、真っ青で、思ったとおりに変わる世界がある。
形を定めぬ不定形。何でもあって、何にもない。
ここはそういう、ガランドウの場所だった。

境界に染みる色。
不在なる空間は変遷する。

ごく短い時間、あるいは常しえの追憶を費やして、その場所は少しずつ変わりつつあった。
伽藍の洞は、接続されたとある空間に通じている。
共鳴するように、相反するように、引き合い、離れ合い、分離しながら融合する。
それは天の杯の通した道が、根源に近づいている証拠であり、『 』が確かに存在する証左だった。

アーカーシャの剣と、かつて呼ばれたモノの保存されていた場所。
ガランドウと対を為す、集合無意識を内包した黄昏の神殿。
黄金の、夕焼け。

もうすでに境界線の曖昧になった二つの世界。
接合し、混在し、再編される空間の最果て。

一人の少女が、そこにいた。

永遠に広がる、黄昏の空の下で、たった一人。
広がる水源に足を付け、ぽつりと立っている。
じっと、じっと、暮れゆく茜色を見つめたままで。

そよぐ黒い髪。
たなびく白い着物。
たたえられる淡い微笑み。

静止した時の中、彼女は永遠にそこにいる。
そこにいる彼女は、そこにしか居られない彼女は、ずっと、ずっと、ただ、そこにいる。

足を付ける水面に、映る陽光の線。
それはもしかしたら、境界なのかもしれなかった。
あちら側とこちら側。
遥かと彼方。
その、境界線の真ん中で、あちらでもこちらでもない中間で。

何をするでもなく。
誰を待つでもなく。
彼女はただ、そこに在り続けた。
在り続けたまま、暮れゆく過程の空を見上げていた。


何もしない彼女の傍らを、誰かの影が通り過ぎていった。
陽光に照らされたその誰かの表情はよく見えない。
視えないまま、去っていく。ちゃぷりと、水面を揺らしながら、あちら側から、こちら側。
或は、その逆なのだろうか。

いずれ、一線を越えた誰かは、彼女の隣を通り過ぎ、ガランドウの反対へと。
神殿の最奥、扉のように開かれた光の中へと消えていく。
その背を、静かに、見つめて。


「――――――」


もう幾度目かしれぬ、去りゆく誰かの背中を、見送った少女は再び、茜色の陽光へと向き直る。
ふと流れた、うろこ雲。
ゆっくりと動き出した空模様。
止まっていた筈の永遠が、留まっていた筈の永久が、静かに変わり始めている。
暮れの来ないように思えた陽光に、僅か、影が差した。

黄昏に、ほんの少しの夜が滲む。
近づいてくる世界の終わりを、物語の終わりを、示すように。
この世界の何もかもが消えて無くなる刻限を、告げるように。

ここはなんでも在って、なんにも無い場所、そうしてもうすぐ終わる場所。

少女は、そこにいた。
特段の悲しみもなく、別段の喜びもなく、強いて言えば、なにもなく。
俯瞰するガランドウの少女は淡い微笑みを讃えたまま一人、いつまでも、いつまでも――――


◇                                        ◆



       ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






              3rd / 天使にふれたよ






                     ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇       



◆                                        ◇


/クオリア





神を殺す剣がある。
神威を貫く魔弾がある。
ただの一撃、人が創り出した破壊の結晶。

星のきらめきに装飾された空を、一筋の軌跡が昇っていく。
フレイヤ。
人知が至る科学の兵器。
超常の要素は何一つ含まれていない。
魔法も、魔術も、超能力も、そこに入る余地はない。

特別があるとすれば、一つだけ。
一人の少女の祈り。秋山澪という存在の願い。
何の変哲もない、普遍的な日常を願ったちっぽけな人間の、ありふれた思い。
神がとるに足らないと切り捨てた純粋な切望のみを乗せ、破滅の兵器は飛翔する。

―――閃光。
弾頭の炸裂は呆気なく。
しかし威力は圧巻だった。

瞬時に広がる淡い桃色の閃光は範囲内のすべて抹消する。
それも、一撃で終わりはしない。
殺し合いの各地から射出されたフレイヤは各地で一斉に炸裂を開始する。

もとは全てが終わった後、このかりそめの世界を終わらせるために作られた装置だ。
システムは『ON』になった瞬間から、滞りなく役目を実行する。

世界が、閃光に包まれていく。
世界が、終わっていく。

「―――――――?」

破滅の光景。
それを、世界の神を名乗る存在は、しばらくの間、理解することは出来なかった。

墜落して行くエピオンへの追撃を忘却したように、
『これはなんだろう?』
などと、のんきに考えていた。

フレイヤは確かに、神に『それ以外の存在』が抗しえる数少ない手段だ。
しかし、それが使われることはあり得ないと考えていた。
なぜなら、それは誰にとっても、『どうしようもない破滅』だからだ。

一度起動したフレイヤは止められない。
地上を破壊しつくすまで炸裂を止めない、文字通りのリセットボタン。
そうするために作ったのだから当然だ。
帝愛の連中は緊急時の切り札などと考えていたようだが、そんな甘いものではない。

遠藤の死後、フレイヤの起動権が言峰の手に渡ったことも知っていた。
だから『一応』言峰を始末しようとしたことは、それも理由の一つだ。
仕留めきれず、言峰は逃げ遂せ、フレイヤの危険性は残り、しかし、しかし、それでも、それでもだ。

あくまで使われることは無いと考えていた。
フレイヤの起動は言峰の目的すら壊してしまう。
現にいま、言峰の計画の要であったバースディすら、フレイヤによって砕かれた。
まして、参加者に至っては、それこそ破滅を意味し―――


「――――」


思考が途切れる。
言峰が黒聖杯を起動したとすれば、その場から動くことは出来なくなる。
地下深くの起動場所に赴く事は不可能だ。
となると、今、フレイヤを起動した人物は別人、すなわち参加者ということになる。

ならば動機は? 目的は?

いまイリヤスフィールの器を壊してしまえば、大規模な魔法の行使は不可能になる。
結果として、地上に降りるのは、せいぜい一握りのカケラだけ。
回収したところで永遠の平和は訪れない。
出来る事と言えば、たとえば数人を生き返らせて、数人を戻す程度の、たったそれだけの、
それだけの、それだけが、これを為したモノの目的だったとするならば―――


「そうか」

リボンズは、やっと状況を理解する。

「そうか、そうか、なるほど、人間にはそういった感情があったね。忘れていたよ」

そうして彼はようやく、

「嗚呼、どこまで―――どこまで愚かなんだッ!! 人間ッッ!!」

怒気が爆発するに至ったのだ。

「己が願望の追及だと? そんなもので僕を落とすだと!?
 世界の救済を止めるだと!?
 ふざけるなよ愚かさの極みだ。やはり人間は救えない。ああまったく救えないなぁ。悲しくなるほどにッ!!」

抹消の球体が迫る。
空を揺るがし、塗りつぶすように。
今、遂に、難攻不落のダモクレスに到達した。

無敵を誇っていたブレイズルミナスを呆気なく砕き散らし、城に住まう女神へと切っ先は前進する。
出自の世界を同じくする二つの兵器の衝突。
確かに、些か荒すぎるとはいえ、城壁を打ち破るにはこれ以上ない選択と言えただろう。

「だけど、それでも、僕が救ってあげよう!!
 救えない君たちを!! 不可能を可能にするのが聖杯の、神の、役割なのだから!!」


女神の住まう城塞を目前にして、停止した爆壁。
しかし既に、更なるフレイヤ弾頭が数発、ダモクレスに到達していた。
炸裂は一瞬の後に。

ノイズの走る(うちゅう)
揺らぎ始めていたリボンズの世界。


「ヴェーダ!!」


統制を失いつつあったモノが、号令と共に落ち着きを取り戻す。
フレイヤの破壊範囲は機械で統制されたモノだ。
ならばより上位の権限を持つシステムの支配下に置いてしまえば―――


「静まれ!! くだらない人の玩具がッ!!」


自然、その被害範囲はコントロールされる。
及ぼされる破壊のすべてはイリヤ(せいはい)に届かない。
次々と炸裂を止められ、落ちていく。


「無意味だよ。何度も言わせるな、人間風情の力で僕に届くことは無い」


そう、無意味。
リボンズの言葉通り無意味だった。

フレイヤ弾頭。
最強の破壊兵器。
その威力をもってしても、神には届かない。
秋山澪の抵抗は、リボンズ・アルマークに傷一つ付ける事かなわぬまま、終わった。

出来たことと言えば、ブレイズルミナスの破壊と。
ほんの一瞬、神から『余裕』を奪った、ただそれだけ。
心に、衝撃を与えた。
人の愚かさを、救えない愚かさを知らしめた。
それだけだ。




―――それだけで、全てが、変わったのだ。





◇ ◇ ◇





空に憧れていた。
澄み渡る蒼天。
大切な物は何かと問われたとき、グラハムの脳裏で真っ先に浮かび上がる物はそれだった。
泣いたような曇り空ではない。
見上げる者の心すら澄み渡るほどの、鮮やかな青空が理想だった。

だから今、自分は空を守る職務に就いているのだと、彼は思う。
青い空と、それが見下ろす尊き市民を守る職。
例え、何度戦火が地を襲い、天が赤く染められようとも。
全力で戦い、守り、取り返す為に。


「そうだ。私は信じていた」


暗闇の中、たゆたう。
ここはどこなのか。
自分はどこにいるのか。
なにも分からない。

分かる事実は一つだけ、グラハム・エーカーは神の前に敗北したという事実のみ。
閉じたまぶたの裏には、いつ見たのかも思い出せない青空が広がっている。

海の青、空の青、混ざりあい、境界すら分からなくなる程の蒼。
それはきっとこの世のどこにもない。
グラハムの内側のみにある、心象風景とでも言うのだろうか。

「そんなものに意味はない」

何を見たところで、何を考えたところで、勝利は得られない。
理想は理想のまま、グラハムごと朽ち果てる。
今のグラハムに力をもたらすのは、断じてこんなものではないと振り払う。

目を開いた。個人の理想よりも、現実を見るために。
勝つことの出来ない敵を、見るために。
それなのに―――


「まったく、この期に及んで……」

開いた目に移した景色も、また、理想に過ぎなかった。

「恥を知らないのだな、私も」

腰掛けるのは簡素な椅子。
目前には、表面に緑色の広がる机。
卓上には乱雑に置かれた麻雀牌。
そして、対面の席には一人の少女。
当然、このシチュエーションで出会う存在など、1人しか居ない。

「死に瀕した者が見る走馬灯の一種か。
 それともゼロシステムが見せているのか」

「さあ、どちらだろうな。グラハム」

長く煌めく金髪と、赤いカチューシャが、少女の動きに合わせてひょこりと跳ねる。

「どちらでもあるし、どちらでもないかもしれない。
 それは、衣にも分からん」

生前の彼女が再現されたようなその動きに、グラハムは苦笑いとともに目を伏せた。

「なんにせよ困ったな。
 私は今、君に会わせる顔を持ち合わせていないのだが」

「言うな。衣が哀しくなってしまう」

その声に、呆気なく顔を上げ、少女を視界に入れてしまう自分の愚かさが恨めしい。
これは弱さだ。
屍の為には戦わないと決めたはず。
今、生きている者、泣いているものの為に戦い抜くと誓ったばかりだというのに。
ここに来て、彼女の姿を幻視するなど、それは結局のところ、グラハム自身の未練。


失ってしまった者への哀切。
後ろを振り返る愚鈍の発露に他ならない。
即刻断ち切って、戻らねばならない。

己に念じる。
さあ戻れ戦場へ。
たとえ1%の勝ち目すら無い状況だとしても。

それすら叶わないなら、目の前の少女が死に際に見る『許し』なのだとしたら。
せめて疾く死すべきだ。
誰一人守れずに倒れる男に、死に際の救済など不相応だから。

「……い」

なのに、

「すま……ない……」

彼女を目にしてしまえば、自然と、謝罪の言葉を口にしてしまっていた。
堪えることも、迷うことも、出来はしなかった。
それが、許しを求める滑稽な縋りであると分かっていて尚、口にしてしまった。

「すまない私は、君を、守ることが出来なかった」

ああ、なんて愚か。
なんて弱さだと、自らを詰り、それでも言葉は止まらない。

「あまつさえ今、二度目の敗北を喫した。また、勝てなかった」

せきを切ったように、喉から、心から、弱さは流れ続けて終わらない。

「エピオンの性能を最大まで引き出しても、ゼロシステムを使いこなしても、それでも届かなかった。
 所詮、神が与えた力で、神に敵う道理がなかったのだ。
 私は……弱い。『全力』を振り絞っても、届かなかったッ!!」

生き恥だ。
こんな弱さを曝すなど。
何より、己が弱いと自覚するのは、分かっているからだ。

グラハムは彼女が許してくれると分かっている。
もういい、十分よくやった、もう眠ってもいいのだと。
彼女はきっと言うだろう。
優しく労い、眠らせてくれるだろう。
それを知っていて、だからこそ、だからこそ、グラハムは、


「―――なあ、グラハム。それは本当に全力か?」


彼女の一言に、声を失った。

「エピオンの性能。ゼロシステム。
 そんなものが、グラハム・エーカーの『全力』だったのか?」

正鵠を射る言葉に。

「衣の知っているグラハムの強さは、そんな後付の物じゃあなかったぞ」

何もかもを見通した視線に。

「神から授かった力で神に勝てない? なる程それは道理だな。
 だったら簡単だ。神に貰った覚えの無い、元々持っていたグラハム自身の、グラハムだけの、力で戦えばいい」

グラハムの『弱さ』そのものを、粉々に打ち砕かれていた。


「さすれば、グラハム・エーカーが、ただの神様如きに負ける筈が無い」


そう、少女は花のような笑顔で、当然のように言い切った。


「だから、ほら、そろそろ目を覚ませ。分かっただろう?
 今でも衣とグラハムは―――」







◇ ◇ ◇


眩い閃光に灼かれ、痛む目を開く。
すると、そこには空があった。
憧れたもの、好きだった筈の、しかしそこにあるのは、違っていた。

炸裂するフレイヤの輝きに照らされた空は、様々な色で染められている。
黒き背景に、偽りの天体で飾り付けられたプラネタリウム。
敷かれた星座方陣の中心で、白き燐光を散らす聖杯の光。
弄られた天上。まるで神の遊び場だ。

ああ、これは違う。

違うな、と。
一瞬の微睡みから覚めたグラハムは、落下の渦中、思う。
これではない、これは己の好む空ではない。
断じて、彼女に見せたかった、誇りたかったあの空では、ない。

「……そうか、そこにいるのだな」

陳腐な話だ。
ありふれた物語だ。
特段、珍しくもない。
だけど、それだけに、胸が高鳴る。
約束は、一つだけ、確かに果たされていた。

「そう、我々は今も、一心同体だ」

生涯。忘れることは無いだろう。
二度と、彼女を失うことは無いだろう。
なぜならここに、確かに、いるのだから。


「では、凌駕するとしようか」


―――いつ?

これから。

―――誰を?

無論、ただの神様如きを。

―――誰のために?

かつて失った者の為、これから守る者の為、そして何より『自分』の為に。

―――では何のために?

決まっている。


「このグラハム・エーカーの鬱積を晴らすためだ」



空を睨み、満身創痍の全身を起こす。
機体ごと持ち上げていく。


「はあああああああああッ!!」


そうだ、最初から気に入らなかったのだ。
あの空、あの要塞、あの機体。
頭上に浮かぶ余計な何もかも。

今、我が物顔で空を支配する神を。
蒼を余計な色で塗り潰す聖杯を、グラハム・エーカーは絶対に認めない。

聖杯? 人の救済? 幸せな結末?。
不要だ、まずはどけ、お前達はそもそもが邪魔なのだ。
神だろうがなんであろうが、そこに胡坐をかくことは許さない。
無粋な装飾を、今すぐ剥がさねば気が済まない。

さあ、今一度、取り返しに行くぞ。
返してもらおうか、私の愛した『空』を。

これがグラハム・エーカーの理由。グラハム・エーカーの矜持。
誰の為でない、己だけの戦意。
最初から、立ち向かう力の源は、ここにあったのだ。

そうして最後に、黒き天上の奥の奥。
夜に囚われたような円形の光を見上げる。

―――煌く、黄金の満月。


「共に、飛ぼう」


報いる。
守る。
そして取り戻す為。
何度でも、グラハム・エーカーは空へ舞い戻る。









◇ ◇ ◇


―――フレイヤの輝きは収束していく。


世界の神に唯一、反撃できる威力を秘めていた暴力の光が、呆気なく消されていく。
消えた後には何も、残らない。
それが在った痕跡すら残されない。

静寂が戻る。
きらびやかに装飾された空の下。
在るのは未だ、聖杯の白一つ。

けれど今ここに、入れ替わるように更なる輝きが新生する。
空へと、昇る光がある。
ガンダム・エピオンを駆り、神を名乗る存在へと、天で高みする者達へと、邁進する者。
それは何度地に堕ちようとも、再び光を纏い、空を目指す光。
愚直な、人の生(ひかり)だった。

「度し難いな」

見下ろすリボンズ・アルマークは、目を細めていた。
何度でも立ち上がる人の意志。
だから、何だというのだろう。

今生き残る全ての個の、願い。
望み、希望、叶えんとする祈り。
全てが、愚かしい。

全人類を救う儀と、個々人の願望。
如何なる天秤にかけようと、どちらが軽いかは瞭然で、
こんなにも簡単に『死ぬ理由』を用意したにも関わらず、何故未だに彼らは生きているのだろう。

―――ご都合主義が見たいのだろう?

それを用意したと言っているのだ。
お前たちの悲劇は悲劇でなくなる。
救済の物語がもうすぐ完成しようとしている。
なのになぜ?

「消えろ」

無意味な思考に、一瞬だけ顔を顰め、リボンズは考えを打ち切った。
満身創痍のまま向かってくるグラハムへと、銃口を向け、トドメの一撃を放つ。

この攻撃は躱せない。
躱せるはずが無い。
黄金の目から、逃れることは出来ない。
未来を見通す千里眼。
変革の力。
ヴェーダとそして聖杯に直結した未来視はこれまで、リボンズを裏切った事など無かった。

そう、人は愚かだった。
どこまでも愚かだった。
現実を拒否したまま、自ら盲目となって向かってくる事もあるだろう。
度し難いが、それが弱い人間の自衛策だ。

最初から『参加者』に、リボンズを傷つける術などありはしない。
そんな力は、与えていないのだから当然だ。

ここでこの人間を排除すれば、もう儀式は終わったようなもの。
ファングの掃射によって、下方の泥の勢いは減衰している。
フレイヤを止めた今、後は矮小な黒聖杯さえ消してしまえば、
リボンズ・アルマークを脅かすものは、彼の女神の脅威に値するものは全て排除されたも同然。

グラハム・エーカーを処刑した後、下界の展示場に内包された存在を黒聖杯ごと打ち抜けば、それで全て収束する。
黄金の眼は見通す。
聖杯に直結したヴェーダから平行世界中の脳量子波を読み取り、描き出した恒久的世界平和の形。
人に与えられるべき理想の未来を。

穢れの払われた展示場跡地に、イリヤ・スフィールは降臨し、彼女を手に入れたリボンズ・アルマークは己が願いを成就させる。
最初から決められていたシナリオ。
今もゆるぎないストーリー。
何もかも予定調和。
何一つ、計画を脅かすものは無い。

なのになぜ、今になって心がざわめく。
あの光を、フレイヤの輝きを見てからだ。
なんなのだろう、この感情は、分からない。


―――そして何故、今、放った銃撃は躱されたのか。


完全に、予測して放った弾道。
ガンダム・エピオンの動きを予測、否、決定して放つ。
それは確定された未来に向けた銃撃であり、覆せない絶殺だった。
にも拘らず、ガンダム・エピオンは、グラハム・エーカーは回避した。
当然のように、神の決定を覆した。

再起動したエピオン。
神への突貫を仕掛けていく閃光。

何が変わったわけではない。
先程までと同じ、愚直な突貫だ。
愚直な、そう、『先ほどよりも尚、愚直すぎる突貫』だ。

ゼロの予測、エピオンの性能を活かした立ち回り、すべてを捨てた単純な操縦技術のみの飛翔。
余計なものを取り払った『グラハム自身の力』でもって、弾幕を踏破する。

当たらずは通り。
神は、グラハムが頼ると思っているのだから。
ゼロに、エピオンに、グラハムは、グラハムより強い全てに縋るしかないのだ。
神に勝つためには、そうするしか無いのだからと。
断じて撃つから当たらない。



「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッッ!!!!!!!」



自然、下がる性能。
されど雄叫びのみが、上回る。
先ほどまでの彼を、一秒前のグラハムを凌駕する。
エピオンも、ゼロシステムさえも、越えて。
もっと大きく、もっと鮮烈に、知らしめよと吠えるのだ。

―――人の愚かさを。
底知れぬ愚かさを知れ。

感覚のズレが引き起こした回避劇も長くは続かない。
リボーンズ・ガンダムの隣に、幾つもの銃口が並んでいく。
黒聖杯が沈静化したことによって呼び戻された、大量のファングだった。

千里眼の予測を上回ろうが、今度は単純な性能差に押しつぶされる。
幾重ものビームがエピオンを貫く。
強制的な幕引きをここに、圧倒的な暴力でもって茶番劇を終わらせる。
その、寸前に。
遥か下方から放たれた銃撃が、並ぶファングを薙ぎ払っていた。


「嗚呼、本当に、本当に、愚かだな」

レーダーに捉えたその姿へと、リボンズは言葉を贈った。
遥か下方、展示場付近に陣取ったジングウと、一機の射手。


「君には『僕の声』が聞こえているのだろう?
 ならば尚更だ」



そう、聞こえていた。
今、天上の神を照準に捉える彼には。

ヴォルケイン。
ヨロイを纏った枢木スザクは今確かに、『声』を聞いていた。

己へと語りかけるリボンズの声。
人の愚かさを憐れみ、無意味な抵抗を続けるグラハムとスザクを、どこまでも脅威とは見做さない言葉。
人を救おうとする神の声を。

「ああ、聞こえているよ。リボンズ・アルマーク」

だが、それだけではなかった。
スザクに聞こえる声は、人を憐れみ救おうとする神様の声だけではなかった。

―――今、鮮烈に戦う者達が居る。

空へ手を伸ばすグラハム・エーカーを初め、戦い続ける全ての者達の声。
脳量子波。
人の想い、世界へと放たれる感情の音。


なぜ聞こえるのか、枢木スザクには分からない。
ルイス・ハレヴィの薬剤。
かつて死に瀕した際、ユーフェミア・リ・ブリタニアが彼に飲ませた薬剤が元来の要因であり、
リボンズの放った強力な脳量子波によって、僅かながらもその『副作用』が発露させられたこと。
そのような理は知る由も無く、また彼にとってどうでもいい事柄だった。

ただ、聞こえている。
今を戦い続ける全ての声が。
絶望的な状況の、絶望的な世界でも、一人ではない。
たとえ理由すらバラバラでも、『救われまい』とするのは一人ではない。
ならば今、抗う事に厭は無く。

「リボンズ・アルマーク。
 お前には、聞こえていないのか」

そしてスザクに聞こえる音は、それだけではない。

「聞こえるのに、耳に入らないのか」

音がする。
遠い、遠すぎる音がする。
それは失われた声。
いつかどこかで失われた、けれど確かに在った幾つもの言葉。
頭の中で響くその音色の一つを、スザクは放つ銃撃と共に口にする。


「―――削除(デリート)


空へと伸びる狙撃はグラハムを追い越し、先にある障害(ファング)を撃ち落していく。
熱が伝わる。
いつかこの機体に乗っていた誰かの熱。


『―――二度と取り戻せないもののために、傍から見れば馬鹿げた真似に命を賭ける。
 もうそれしかできないからだ。亡くした者のために、どう足掻こうがそれしかできないからやるんだ。
 それを悪と呼ぶなら、間違いと呼ぶなら俺はそれでも十分だ…………!!』


復讐。
何も生み出さない、誰も幸せに出来ない願い。
哀しい、切ない、どうしようもない。
それでもそれは、彼にとっては残された唯一無二の『夢』、だったのだろう。

其れしかないからと彼は言った。
彼とは違う道を、スザクは選んだ。
大切なモノを失っても、『殺したものを殺すこと』をスザクは夢としなかった。
だけど同じだとも思う。

ゼロ・レクイエム。
鎮魂を歌う事。
結局のところスザクも、失くした物の為にどう足掻こうが、それしかできないから。
やり方は違えど、それはきっと、ある意味では復讐なのだ。
失った者の為に、自分の為に、出来ること、やると決めたこと。
彼と同じであり、また違う、『生きた夢』。

ならばそれを殺すことを、許しはしない。
例え、誰かに間違いだと言われようと、愚かだ、悪だと断じられようと、それでも十分だ。
この場の全員の死が、全世界の救済となり、正しい道理なのだと神が定めようとも。
スザクは生きることを選択する。生かすことを選択する。
未だここに、残る夢を。


天性のセンスと、微かに聞こえる声に従うようにして、
スザクはヴォルケインを辛うじて固定砲台として駆動させている現状だった。
けれどそれでいい、出来ることがある。
確かに今、天に手を伸ばしている。
空の戦場に、スザクは帰還を果たしていた。


土壇場で発現した力は、まだまだ弱い。
一方的に『受信』できるだけで、『発信』することも出来はしない。
だから、代わりに、一撃に込めて届けようと思う。

天上の存在が、聞かないなら、聞かせてやる。
この引き金に乗せて。
今、聞こえる、失われた(ユメ)の残滓を全て、撃ち込もう。
それが、この世界における鎮魂歌(レクイエム)になるのなら。


『―――――生きろ』


そして、また一つ。
色濃く残された誰かの言葉。
過去、どこかで消えた、知らない誰かの想いを今、スザクは受け取っていた。



『――世界を……変えろ。頼んだ、ぞ――』



空を睨み据える二つの眼。
左は契約の紅。
そして、右は、変革の黄金。

過去と未来。
自己と他者。
幾つもの想いを乗せて、騎士はトリガーを引き続ける。


天上から放たれる迎撃に晒されながらも、只管に狙い撃つ。
空と地を結ぶ閃光。
幾つも想いが交差した、色めく世界にて。





―――最後の、戦いが開始された。




◇ ◇ ◇




そうして、目指し続ける少女は、見上げていた。



いま、たどり着こうとしている場所。
黒き塔、変わり果てた展示場、その麓に彼女は、平沢憂はいた。
脱出した紅蓮のコックピットからここまで、それほどの距離は無く。
歩いてたった数分で到達できた。

幾多の光が空に舞い上がる。
彩られる宇宙の下。
ゆらゆらと、黒き泥に支配された建造物は揺れている。

身体の震えが抑えられない。

憂は思う。怖い、と。
この先に何が待っているか分からない。
死ぬかもしれない、何かを失うことになるのかもしれない。
やっと見つけられた物すら、消えてしまうかもしれない。

からっぽのままならば、ここまで怖いとは思わなかった。
何かを得てしまったからこそ、死ぬのは、失うのは、こんなにも恐ろしい。

それでも、ここには、彼がいる。
いま、会いたい人が、居る。
求めたモノが、この先にきっと在ると信じている。

夢を、抱いた。
破りたくない、約束をした。
嘘にしたくない、想いを抱いた。

そしてもう一つ、彼女は決めたことがある。

だから―――

少女は一歩、踏み込んだ。
黒き塔の内側へと。

他の誰でもない、平沢憂を待っていてくれる、誰かもとへ。
いま、ふれたいと願うから。



少女は前に、進んでいった。








◇ ◇ ◇






時系列順で読む


投下順で読む




338:2nd / DAYBREAK'S BELL(5) リボンズ・アルマーク 339;3rd / 天使にふれたよ(2)
グラハム・エーカー
枢木スザク
平沢憂