3rd / 天使にふれたよ(2)◆ANI3oprwOY








/jellyfish




黒い、雨が降っていた。
そこは室内であるにもかかわらず。

足元には炎。天上には煙。
目の前には、蠢く肉でできた道。

魔界と化した展示場の内部を、一人の少女が歩んでいた。
少女は今や、この世界で最弱と言って憚り無いほどに弱く。
それでも未だ、生きていた。
生きて、戦いを続けていた。
秋山澪は今も、戦う為に歩んでいた。

ぱたぱた、ぱたぱた、と。
廊下に響く雨の音。
天上から滴る黒い汚泥の鳴らす音が、少女の耳に突き刺さる。

鈍い動作で右手を持ち上げ、顔についた泥を拭う。
利き腕の左は使えない。
手首を襲う激痛を紛らわすため、きつく拳銃を掴むので精一杯だったから。

先の起動兵器戦で痛めたらしき左手首は、銃を撃つごとにその痛みを増していた。
今や真っ青になるまで鬱血したその腕で、澪は今も銃を握り続けている。

『あの場所』から、どのようにして逃れてきたのか、瞭然としていない。
澪にとって最後の切り札たるフレイヤ。それを起動した事は憶えている。
辛くも勝利した、阿良々木暦との戦いも。

そして発射時間の到達とほぼ同時に、巻き起こった施設全体の異変。
崩れ始めたシェルター、いや正確には、この展示場という施設そのものに起こった怪奇。
ぐずぐずに歪む床と壁が及ぼした危機感に任せ、ワケも分からずあの場を離脱した事は、何となく憶えていた。

しかし、どのようにしてここまで逃れてきたのかは、果たして瞭然としなかった。
阿良々木暦はどうなったのか。
展示場に何が起こって、ここは展示場の何処なのか。
状況は今、どうなっているのか。
上手く思考が纏まらない。

そして、もう一つ、憶えていることがあった。
地下シェルターから逃避する際、振り返り際に見たモニターの表示。

フレイヤは、止められていた。
何もかもを消し去る筈の破壊は、神の居城(ダモクレス)まで届かなかった。

絶対不滅の要塞たるブレイズルミナスを砕いたものの、ダモクレスを崩せず、ガンダムを落とせなかったなら、無意味に等しい。
澪の放つことが出来る唯一のカードが凌がれたのだから。
実際もうこれ以上、打つ手は無いのだから。
澪にとっては、何もかも終わったも同然であり、

「―――ッ」

それでも体は動いている。
少女は終わりを否定する。
己が体は動くから、何一つ終わっていないのだと、少女は断じて止まらない。

耳には黒い雨の音。
ぼやけた視界の奥底には、焼け落ちた、いつかの風景(ぶしつ)
朽ちた安息の残滓たち。
今も見つづける、ありふれた幸せの記憶(ユメ)

それを心に灯すたび。
強く求める事が出来た。
思い出を、今に回帰させる事を、心から願えた。

いつのまにか、目前には長い長い螺旋階段。
蠢く壁に、折れた刀を突き刺して、全身を引きずるように上へ。

手持ちの武器はあと、二つきり。
左手に握る銃と、右手に握る折れた刀が戦力の全て。

多くの物を失った中、
未だ手に残る東横桃子の残した銃と、福路美穂子の残した剣に、奇妙な縁を感じながら。
澪は階段を昇り続けた。

きっと上では状況が動き続けている。
何かが変わるかもしれない。
希望はある。
自分は生きている、だったら―――

「もう……すぐ……」

長い、本当に長く感じた道の終わり。
ようやっと、澪は登り終える。


「―――――っ」


そうして、第一声。
少女は小さく、息をのんだ。

展示場一階。
そこはまさに魔界その物と言える程の異常空間と化していた。

漆黒でありながら半透明の壁は内臓のように胎動し続け、ますます怪物の体内然とした混沌を生んでいる。
コールタールのような汚泥があちこちの床で洪水のように溢れ出している。
施設全体で降りしきる黒雨は激しさを増し、酷い場所では天井が完全に泥と化して『落ちて』すらいる。

怪物は動きを止めず、その腸たる施設の形は一秒たりとも固定されていない。
自分が今居る場所が在り続ける保証など無い。
ふとした一瞬に両側の壁と壁に挟まれ、押しつぶされる可能性すらある。

絵にかいたような危険地帯。
未だ建物としての体裁を保っているのが奇妙ですらあった。
外縁部の廊下でこれなのだから、中央の展示空間は如何なる光景が広がっているのか。

けれど、少女が反応したのは、そんな目先の危険などという『今さらなこと』ではなかった。
少女が見ていたのは、気味悪く動く廊下の壁でなく、天井でなく、床でなく、一秒後に自らを飲み込むかもしれない泥の胎動ですらなく。
傍ら、すぐそばに倒れているモノ。
既に気配すら無い、かつて人だった何かの残骸だった。

たった数メートル先の泥沼。
そこに浸かるようにして、一つの死体が浮いていた。

真っ黒な全身に微かに人の形を残す男。
朽ち果てたような神父の姿。
かつて秋山澪に一つの力を与えたその存在、言峰綺礼は今や、いやとっくに、それは死体だった。

瞳は開いていながら閉ざされたように何もうつさず、身体は両断され上半身しか残っていない。
残された半身すら端から真っ黒に埋められピクリともしない、明らかに死体となっている男。

「――秋山澪、か」

それが、少女の名を呼んでいた。
死体の姿を見つけた時に息をもらした一方、そこから声がしたことに、澪は驚かなかった。
感覚がマヒしているのだろうか、あるいは直感的に理解していたのかもしれない。
出会ってしまった以上、この男はきっと去り際に、そばに在る者へと何かを残すだろう、と。

「……ああ」


ちからなく答えた澪に、黒き神父は口元を歪めた。
顔をひきつらせているようにしか見えなかったが、恐らくそれは、今の彼にとっての『笑み』なのだと。
彼は今、喜んでいるのだと、澪は思った。

「……やはり、貴様も仕損じていたようだな」
「やはり……?」

嬉しそうで、かつ引っ掛かりのある言い方だった。
フレイヤによる神殺し。それが初めから失敗する事を知っていたような。
彼が澪に譲渡した兵器による計画であるにもかかわらず。
いや、譲渡したからこそ知っていたのかと、澪は理解する。

「そうだ、秋山澪。
 例えこの世界を消滅させるほどのフレイヤを投入しようとも、
 それが機械で制御されている以上は、恐らく妨害が入るだろうことは予想できていた」

「…………!」

「ヴェーダの制御をリボンズに抑えられている以上、不意は突けても、素直に破壊させてはくれんだろう。
 予想……などと勿体をつけるまでも無い。必然、だな」

「なんで……じゃあどうして、私に、フレイヤのことを教えたんだよ……!」

失敗すると分かっていながら。
上手く行くわけないと知っていながら。
何故、言峰綺礼は秋山澪にそれを伝えたのか。

「お前は、フレイヤを使った時、いったい何を感じていた?」

「……え?」

「フレイヤが最終的に破壊する範囲内には、両儀式が、平沢憂が、居たはずだ。
 お前に、関係の深いそれらの者を纏めて抹消すると決めたとき。……お前は、どう思ったのだ」

「……私、は」

「罪悪感を覚えたか? 達成感を感じたか? 優越感で満ちたか?」

「……………」

「そして、それらが失敗したとわかったとき。……どう感じた?」

「……………っ!」

「……安堵、してしまったのではないか? 人を殺せなかったことを、喜んでしまったでのはないか。
 ――――なるほど、自覚していたか。ならば理解できよう。それがお前の弱さだ。秋山澪」


どれほど覚悟を決めようとも。
どれほど逃げ場をなくしても。
どれほど誤魔化そうとも。
どうしようもないほどの、それは本質。

全く以て殺し合いには向いていない。
秋山澪の、どうしようもない結論。

「では、どうする? 己の心が拒否する現実を認識して。
 このまま心を偽り続けるのは、それこそ『逃げる』、という事ではないのかな?」
「……………」




暫くの間、沈黙が続いた。

やがて少女は一度、深呼吸をして、ゆっくりと口を開き。





「…………逃げるとか、さ。向き合うとか、さ」


二人が再び遭遇してから初めて、澪はまともに答えた。
死した男に、答えなくてもいい筈の言葉を渡す。
律儀に。愚かに。真剣に。

「そういうのは、言葉遊びなんだって」

どこか自虐的な笑みすら浮かべ、澪は倒れた男から目を逸らす。
言峰と向き合うのが辛くなったわけでも、怖くなったわけでもない。
どこかの、誰か。
それを、思い出している。

「たしかに、私は逃げてたって言えるのかも知れない。
 私自身の感情から……。
 でも、それが正しいとか、間違ってるとか……きっとそんなことでさえ、本当に大切な事じゃなかったんだ」


正誤など、最初から関係なく。


「苦しくて、辛くて、痛くて。……溢れるほどの弱さだったのかも知れない。……ほんの少しの強さだったのかも知れない。
 でも、それでも……きっと、私が選んだって、それだけが大切な事だったんだ。私が決めて、私がやってきた。
 ……ねえ、それだけはさ、本当のことだって、私はそう思うんだ」


少女にとっての真実は最初から、その一つだけだった。


「だから……最後まで、やるよ。私は……諦めないことにする。人を殺すのはやっぱり怖いけど」


―――それでも私は、皆にまた会いたいんだ。


そう、秋山澪は言い切った。
迷いがない、などと言うことは、もう出来ないだろう。
彼女の心はいつだって迷いばかりだ。不安で、押しつぶされそうで。
自分の出した答えは間違いで、逃げているだけなのかもしれないと、自覚している。

それでも、決めたのだ。震える心で選んだのだ、と。
少女は神父に告白した。

「―――――――」

黒い神父はそれに答えない。
歪めた口元をわずかにも動かさず、見開いた目をそのままに、泥濘に埋まっている。

「……死んだんだ」

確認するように、口にする。
どれほど意味があるのかわからないその言葉を、吐き出す。

ため息が、もれる。
きらいな人だったのに。
どうしようもない悪人だったと、分かっているのに。

それでも、それは『人の死』なのだと、澪には感じられたから。
目に滲みそうになったものをこらえて、首を振る。

――――行こう。

そう思って歩き出そうとして、少しだけ振り向き、言葉を掛けた。





「さよなら」




進んでいく少女の背中に、返答の声は無く。
ただ、黒い水たまりに、最後の波紋が広がっていた。







【言峰綺礼@Fate/stay night   死亡】




◇ ◇ ◇

さて、とりあえず、目を開けるのが怖かった。



今、泥の中に倒れ伏す僕の目の前には、いったい何が在るのだろう。
死後の世界だろうか。
誰かの死体だろうか。
どちらも在りそうで、そして見たくない物だった。

だけど、どちらも見なくちゃいけない物でもあったから。
目の前に何があっても、見なきゃ、なにも始まらないから。
僕は、阿良々木暦はゆっくりと、目を開ける。

「おはようございます」

目を覚ました時、最初に認識できたのは、少女の顔。
インデックスと呼ばれる女の子の、いつもの無表情だった。
倒れた僕の顔を覗き込むように屈んでいた彼女の銀髪が、頬にさらさらと触れている。

どうやら、死体を見るハメにはならなかったらしい。
だとしたら僕の方が……。

「痛、ッ!!」

「死んでもねーよ」と訴えるように、肉体は痛みを取り戻す。
インデックスの無表情と同じくらい『いつも通り』の、僕の身体はボロボロだった。
うーん、なんというか、安心、する。

いつも通りのボロボロ感は、いつも通りの最悪で、いつも通りの、生きているのだと示す証拠だから。
断じてマゾっけは無いけれど、今は『何もない』よりマシなのだから。

「ここ、どこだよ」

しかも幸いなことに、動けない程ひどい状態じゃないらしい。
僕も、そして周囲も。
泥溜まりがそこら中にみられるものの、まだ展示場内部としての原型を留めている場所だった。
辺りには相変わらず気味悪く変色した廊下の壁と床と、電力が途切れ動きを止めたエレベーターの扉、そしてやはり黒く変色した、階段室に続く扉。
ここはエレベーターホール、だろうか。
痛む上半身をゆっくりと起こしながら、インデックスに向き合った。

「展示場の地下1階です」

ぼそりと彼女は現在地を告げる。
展示場、地下『1階』、恐らくここより地下のフロアは全て泥の海に水没している。

全身を包む痛みに同期して、頭に戻ってくる映像がある。
地下深くに隠されていたシェルター内。
秋山澪との戦いに負けた後、襲い来る泥の波に万策尽きかけた僕を、ここまで連れてきてくれたのは他でもないインデックスだった。

「あなたが案内しろと、そう言った筈ですが?」
「そっか。ああそういや……そうだったな」

ああ、そうだ、確かにそうだ。
黒い迷宮と化した地下通路を逃げ惑う最中、彼女と合流できていなければ、いまごろ飲み込まれていたに違いない。

「希望された、『泥のない場所』は、この建物内に存在しませんでしたが、
 比較的希望に近い、『泥の少ない場所』なら、ここです」

「ありがとう、助かったよ」

淡々と告げる少女に、僕は笑顔を作って礼を告げようとして、見事に失敗した。
痛みに表情筋が固まり、不気味な表情にしかならなかっただろう。

「……はい」

素直に御礼を受け受け止める。
そんなインデックスの確かな変化を見て、僕は、まあ、特に何もしない。
良い兆候なら、それはそのまま伸ばしていって欲しいものだから。

「さて、じゃあどうしようかな、これから」

常時痛み続ける全身を、痛みに慣らしつつ、僕は思案する。
秋山との勝負には負けてしまったけれど、どうやら彼女の策もまた成就しなかったらしい。
世界の終わりは来ていない。
どうやら未だに、戦いは続いているようだから。

「ま、どうするも、こうするも、ないよな」

ならば、向かうべきところなど、今更一つしかないだろう。
忍野との邂逅は終わった。
秋山澪との対峙も終えた。
僕に飛ぶ力は無いから、空の戦いには参加できない。
じゃあ、ここから辿り着ける場所なんて、最初から一つしかないだろう。

黒き泥が流れ出す中心。
必ず、戦いがあるだろう。
僕の二本の足で駆けつけられる場所で、きっと誰かが戦っている。

そこには、居るはずだ。
今の僕と違う理由で、だけど同じ思いで、戦っている誰かが。

僕に何ができるか、そんな事は分からない。
いや、含みを持たせる言い方はやめよう。
出来る事なんて、きっとないだろう。
秋山澪という一人の少女を相手に、結局なにも出来なかったように。

まして、この先に待つモノはきっと、魔法、魔術、超能力。
そういう形の企画外だ。
中途半端な半怪奇の人間じゃあ、殺されに行くようなもの。

ロクな戦力になりゃしない。
というか僕がこの場所で出来た事なんて、そもそも在るのかわからない。
僕はどうしようもなく弱い存在であって、この先もそれは変わらない事実だろう。
『できること』は、無い。

だからまあ、向かう先は間違いなく死地であって。
だけどまあ、『やれること』くらいは、残っているかもしれないから。



―――全員、生きて、また会おう。


そういう約束をした。
また出会うと。
『偶々残った、数人の他人』を相手に。


「……」


目指すは『終わり』。
その終わりがいったい何を指すのか。
きっと、もうとっくに示されている。

身体を完全に起し、階段へと歩む。
向かう先は展示場一階、全ての中心、展示ホールだ。

「じゃあ僕は、そろそろ行くから。インデックス、お前は今のうちにここから逃げ……」

「また、置いて行くんですか?」

その時、あり得ない感触が、背中に在った。

「え?」

引っ張られる様な、しがみつかれる様な。
いや、まて、これは違う。
背中だけじゃない……頭に何かとがっ……。






――――がぶ。



「あだだだだだだだだだっだだだだっッ!!!!!!」


ぼんやりとした思考は一瞬にして真っ赤に染まり。
頭頂部で痛みに一斉変換された感触に、僕は飛び上りながら何とも情けない悲鳴を上げていた。



――――がぶがぶがぶがぶ。



「うおおおおおおおおおッッ!!!」

いやいやいやいやいや、なんだこれ!
ついさっきまでそれなりにカッコつけて覚悟完了をキメてさあいくぞってノリノリだったのに!
結構決まってるような気がしてたのに!!
なんで唐突に女の子に、インデックスに!!
頭に噛みつかれ悲鳴を上げる男子高校生に堕とされてるんだ僕は!?


―――――がぶがぶがぶがぶがぶがぶ。


「マジ噛みッ! マジ噛みは勘弁ッ!」


抵抗の声虚しく、足元の泥溜まりに映るインデックスは無表情のままで僕の脳みそをかじり続けている。
かくして、シリアスムードはぶっ壊れた。
「あーもう、そういうのは聞き飽きたわい」と言わんばかりに、
インデックスは僕の脳内かっこつけモノローグを咀嚼粉砕し、
吐き出してくれた時には、もう全身の痛みが気にならないくらい、ただただ頭が痛かった。

「……お前……そういうキャラだったっけ?」

「そう……だったのかも、知れませんね」

僕の頭から降りた後も、インデックスは表情を変えぬままだった。

「ですが、なんとなく、『そうしたい』、と」

そっか。

「私も、行きます」

じゃあ今の彼女も、僕と同じなのだろう。
説得は無駄という事だ。

「だったら、仕方ないか」

並んで、行く。
彼女は間違いなく主催の一人、事の発端のうち一人で、
けれどいつか天江衣が、友達になりたいと願った一人だった。

「お前、天江の友達なんだよな?」
「……いえ、考慮するとは伝えましたが」
「じゃあ結局どうしたいんだよ。今、アイツの友達になりたいと思うか?」
「……、…………ですが、彼女はもう」
「なりたいんだな。じゃあ、天江とお前は友達だ。天江は生きてるうちにお前と友達になりたいって言ったんだ。
 お前が承諾するなら、それで大丈夫だ」

僕たちは黒い展示場の中を進む。
ゆっくりと、ゆっくりと。
痛む全身とディパックを引きずり、握り続けていた紅い槍を杖にして、階段を昇り続けた。

「いいんでしょうか?」
「いいんだよ。だからさ、僕とも友達だ」
「……それはなぜ?」
「友達の友達は、友達ってことだ」

インデックスの表情は変わらない。
だけど、その瞳から、赤い血の涙を絶やさず。
その意味を、僕は問わない。

「それで、本当にいいのでしょうか?」

短い時間で、彼女はとても変化した。
要因も、過程も、何も詳しく知らないけれど、変化したのだと、僕は思う。
だけど、変わったのは彼女だけじゃない。

「じゃあ、しかたないな」

今、生き残る全て。世界に残る全て。
最初と同じで在れたモノなんて、一つも無い。
ここは何もかも、変えてしまう場所。
何故ならここは、何もかも失ってしまう場所だから。
だからこそ―――


「僕と、友達になってください」


ここに残る物は、こんなにも尊い。
何かが変わってしまっても、何かが変わらず、在り続けるものたち。
今でも手に届く、『僅か』が。


「これでどうだ」




いつか僕は、何も持たない事が『強さ』だと信じていた。
失うもののない、傷つくことのない。
一切の痛みの無き場所こそ、優しい世界なのだと。
そんなふうに、思い込もうとしていた。

いつか傷を受けたことがあった。
それはまだ塞がらず、ここに来て、傷はまたたくさん増えた。
沢山のものを失った。

いつか何かを得た事があった。
ほんの少しの偶然と、ほんの少しの勇気と言葉で。
ちっぽけなモノを、手にすることが出来た。


「貴方の事を………みたいだと言っていた人がいました」
「……え?」
「耳が悪いところは、確かに似ていますね」


それは最高の出来事だったから。
こんな失うばかりの場所ですら、何かを得ることが出来ればと、強く思う。
新しい、『何か』を。

「着きましたね」

階段を上り終え、インデックスの指す方を見れば、目前には展示場ホールに繋がる扉。
それは本質的な意味で、何処に繋がっているのか。
地獄に近いどこかの戦場で在ることは確実で、紛れもない死地で、それでも僕はそれを開く。

訪れる終わりの形。
神の救済。
幸せな結末。
そのままで、終わらないために。

開け放つ扉の先。
ホールの奥から、溜めこまれた空気が吐き出され、突風と化して僕を襲った。
口の中、喉を圧力が蓋をして、一瞬息が出来なくなる。
咄嗟に目を覆って、顔を逸らして、呼吸を整えて、ゆっくりと前を向く。


目の前には、最後の戦場。
背後に飛び去っていく黒い風が明るく、僕へと告げた気がした。











―――それでは、また、失え。







◇ ◇ ◇



泥の器が崩れていく。
まるで主の死に引きずられていくように。

悪を渇望する聖杯(こんげん)は潰え、ここに残るのは煉獄から続くような燃える炎。
未だ残留する無数の泥肉の群れ。

そして、一方通行と両儀式の二者のみだった。

二人は今、向き合っている。
先程まで、半ば協力関係に在ったと言っていい状況だったが、決して労いの握手を始めようという雰囲気ではなく。

ただ、次を始めようとしているに過ぎない。
共通の敵が消えたことで、両者は再び対峙する。

「で、だ。
 邪魔な汚物はこれで永久退場と相成ったワケなンだが……」

血走った目。黒く変色した血管の浮き出た白い肌。
過去最高潮の状態にあって、一方通行の肉体は今、異様を発現させていた。
まるで先ほどまで対峙していた存在の穢れを、まとめて喰らい尽くしてしまったように。

「待たせたな。ようやっと、『オマエの順番』がやってきたぜ」
「……別に、待ってた憶えはないけど……というか、まだやる気なんだ、おまえ」

対する式は、気怠く。
眼に怯みこそ見られないが、全身は疲労困憊であり、負担を隠せてはいなかった。

「なンだ、もう降参か?
 いィぜ命乞いのひとつやふたつ見せてみな、少しはキレイに死なせてやるよ。
 まァ俺の場合何したってェ? ペースト状にしかならねェけどさァ!」

言峰綺礼にトドメを刺したのはどちらだったのか。
それがそのまま、現在の差を表しているかのようだった。
かたや疲労をそのままに、かたや新たなる異常を全身に。

「まったく……元気だな……」

一方通行は最高のコンディションを維持したまま笑う。
笑う。狂ったように。
それは実に分かりやすい、異常者の振る舞いだった。

「けど、そんな下手な芝居はやめとけよ、似合ってないぞ」
 別におまえ、狂ってもいないのに」
「あァ?」

だが、式の言葉は一瞬にしてその虚飾を払っていた。
どこか痛々しいものでも見るかのように目を細め、指摘する。
この世全ての悪(アンリマユ)に精神を犯され続け、間違いなく狂気に侵されている目前の悪鬼は、
両儀式の視点ではそうおかしくはないものだと言うように。

「……やっぱ、眼がイカれてやがンだな。なンにも見えてねェンだろ?」
「ちゃんと視えてるよ。だから言ってる。
 そんなになっても、おまえは初めて会った時から変わってない。まだ、最後の線を越えちゃいない。
 何かの為に誰かを殺そうとしている。殺人鬼にも怪物にもなりきれていない、ただの殺人者だ。
 きっとオレよりも、さっきの奴よりも―――おまえのほうが、まだ全然人間だ」

そう、両儀式は今も断言する。
理由のある殺人は化物ではなく、ありきたりな人間の在り方だと。

その言葉は刃だ。
どれほど肉体をヨロイで覆っても、一切の障壁を無視して精神に触れてくる。

「――――は?」


だが、それでも尚、

「ヒャハハハハハハハハハハハ!!」

一方通行は嗤った。
式の言葉を、蹴り飛ばすように。

「……オマエ……笑わせてくれるじゃねェか!
 俺がまだ人間だァ? 狂ってない? だから、なンんなンだよクソッタレが!
 どうでもいいンだよそンなモン。俺がどこの誰だろォが、正気だ狂気だ正義だ悪だ、全部意味ねェンだよ!!
 俺は、俺は、俺は――――――!」

守護(ころ)すモノだ。
アイツを泣かせるもの、アイツを苦しめるもの。
アイツにどうしても人並みの幸せってものをくれてやらない世界を。
こんなやり方しか知らないから。こんなやり方しか出来ないから。
だから、この世の狂気罪科刑罰全て、身に集めてでも絶対に―――――――


「あァ……クソ、ちくしょうが。何言ってンだよ、俺は。どうせ今すぐ殺す奴相手によォ……!」
「同感だ。オレも多分、どうでもいいことを言ってる。
 しかもそれでも構わないとすら思っている。まったくさ、どうしようもないよな」


その時、一瞬だけ、何かが緩んだのだろうか。
空気は緊迫としているのに、互いにどこか穏やかな口調で言葉を交わし合う。
だがそれも、きっと最後。

「……さっき、ああは言ったけどさ、その力はやっぱり化物じみてるよ。
 確かに、こいつは魔的だ。なら―――」

魔眼が、耀る。
灰色の痩躯に浮き上がる死線。
今は限りなく人離れしたその肉体にも、薄らと、確かな死は存在している。
そこに終わりを齎す亀裂を、突き入れる様を幻視して。

「オマエが言えたクチかよバケモノ女が。
 ……けど、あァ全くだ。こんな(モン)は、ここで潔く――――」

一つの世界の頂点に君臨する超能が、再び起動する。
解き放たれた能力を全開していく。
殺害方法は無限に徹底。
眼から五体に至るまで、対峙する存在を欠片も残さず粉砕するために。

「きっちり殺しておかないとなぁ―――!」
「キレイサッパリ、殺してやらくっちゃなァ―――!」

衝突する魔と魔。
和装の殺人鬼がナイフを片手に駆け走る。
旋風となり迫る影を、白髪の鬼は無形で立ち待ち受ける。





崩落していく泥の舞台。
灼熱の漆黒が埋める淵の底で、彼ら『人』の、最後の戦いが始まった。

◇ ◇ ◇




颶風と化した一閃は一直線に、一方通行に向かって疾走する。
当然である。今の両儀式(かのじょ)にとって、対敵への攻撃手段はそれしかない。
そしてそれは今、どんな策にも勝る単純にして最強の一手である。
踏み込み、斬撃。
ただそれだけ、それのみで、両儀式は最強の超能力者を圧倒する。

それを当然に理解していた一方通行の取った行動とは、極めてシンプルだった。
正面に迫っていた式の上を征服するが如く飛翔し、彼我の距離が縦に大きく引き離された。
真下の式を睨みつけ、おもむろにポケットから数本のコーヒー缶を取り出す。
握り締める手から放された飲料水の容器は、重力だけでなく周囲の力の方向を巻き込み、星に落ちる隕石と化す。
人体が浴びればたやすく肉と骨を貫通する死の雨に、気後れすることなく式は身を翻してみせた。

「なンだァ、その目はァ?
 お行儀良くヨーイドンで正面から殴り合いするとでも思ってたのかよォ?」

展示場の吹き抜け空間にそびえる柱のひとつ、
既に根元は崩れ役目を果たしていない支柱を足場に、眼下の女を睥睨する。

「相手の土俵で踊るバカがどこにいやがる。  
 ましてやオマエみてェなバケモノ相手に」

最初から、勝負の形は見えていた。

「俺は近づかねェ。オマエは近づけねェ。
 ナマクラ振り回してせいぜいみっともなく逃げ回ってろ」

それは一方通行にしてみれば当然の選択だ。

「さァて―――どこまでもちますかねェ!」

一方通行の立つ柱が、踏みつけた衝撃に同調して激震。
根が折れ特大の砲と化して顕現する。
距離計測。
式との間合いを計算し―――

「に・げ・ン・な・よォ。
 そンなにバリエーション豊富に殺されてェのかァ!?」

俊敏に回避行動を続ける式を捉えるべく、一方通行が選択したものは線よりも面を重視した包囲攻撃。
柱一本を砕いて創る規格外の散弾だ。
延焼を続ける炎を巻き込み風を集め、飛び散った黒聖杯の成り損ないを掴んで投げ飛ばす、
この世の全てを武器に変え、たった独りを殺そうと火力を投入し続ける。

凌ぐ式に選択肢は二つしかない。
一つ、かわす。
単純明快だ。
軽やかに舞い、瓦礫の礫を避けていく。

だがそれにはいずれ限界がやってくる。
初対面の時とは違う、ここは閉鎖された屋内だ。
逃げる場所は限られて居る。
また一方通行は今や式の能力をある程度把握している。
その間合い、力の及ぼせる限界。計測して動く戦術眼が今は在る。

そして何より疲労。
先の戦いで大きく消耗している式は、動くが鈍くなっていた。
それは僅かな差異でしかない。微々たる違いだ。
しかしこの敵の前では、その差こそが命取りになる。

躱し切れない一撃が必ず来る。
それは分かっていた。
分かっていたからこそ、遂に回避不能の一撃を予感した時、迷わず行動に移れた。

全身を穿ち貫く瓦礫の嵐。
空間的に、左右どちらも逃げ場無し。
上に飛んでも後退しても死期を早めるだけだ。

故に、握る(ゆいせん)に力を込める。
長大なる刃渡りを秒を数えず抜刀し、刀身を視認させぬまま納刀に達する。
『聖人』の一撃を再現する断割は、式の全身を引き裂くはずだった散弾全てを、窮地ごと薙ぎ払っていた。

それも、たったの一振りで。
明らかに斬撃の範疇を超える挙動であったが、それでも本来の聖人の動きを模倣(トレース)仕切れてはいない。
そんな事をすれば式自身の身体が持たず崩壊するだろう。
これはあくまで、唯閃に残されていた使い手の残り香、その更に残滓に過ぎない。

そして残滓の一撃ですら、式の身体に及ぼす負担は尋常ではなかった。
一振り毎に、皮膚に亀裂が走り、肉が潰れ、骨が砕ける。
それでも、目前で展開される絶死の弾幕を踏破するには、斬撃を放つ他無い故に、式は刀を振るい続ける。

命を繋いではいるが、式の肉体には次々と傷が刻まれていく、事実として詰めに入られていることは明らかだった。
間合いに近づけず、逃げ回るか切払うしかない。
時に遮蔽物に逃げ込むが、それも長くもつことは無い。

対し、一方通行は仕留めきれぬ得物を追う。
額から滴る血は、前の戦いでの傷であると無視する。
ぐずぐずと煮え立つような自らの身体の異常を黙殺して。

今はただ、冴えわたる計算と制限の取り払われた能力をフル回転させ疾駆する。
時間制限は最早ない。
代わりに、肉体が現在進行形で崩壊を続けているとしても。

能力を解放するために用いたのは、黒聖杯の魔力。
超能力者に対し、魔の力は猛毒だ。
まして呑み込んだのは呪詛の塊。

アンリマユを受け入れたと言っても、体質的な拒絶反応は消せるものではなかった。
一方通行はそれに気づかない、あるいは気づかぬフリをしているのか。
能力の行使に一切の躊躇は無かった。
まるで、それは罰の顕れなのだと受け止めるかのように。

二人、相手を傷つけながら、自らを傷つけていく。
お互い、相手を殺すために自らを削り続ける行為を続けている。
死に落ちる螺旋を描く、それはまるで円舞だった。


「――――ッ―――――――は―――」


倒れた柱の陰に、身を隠したまま、式は思う。
早くも、限界が近い。
全身の感覚が薄れつつある。

馬鹿な事を、無駄な事をしているな、と思った。
相手は遠からず崩壊する兆しを見せている。
自分を殺したとて、それは変わらない既定事実だろう。
簡単に逃げられるわけもないけれど、それでもマトモに立ち向かっているのは、何故なのか。

同情か、親近感か、どれも違うと思う。
特に、似ているものがあるでもない。

比べるものがあるとすれば。
二度と手に入らなくなっても、残ったモノを守りたいから生きると決めた式。
常に脅かされる大切なヒトを守るため、永遠に離れることを固く刻んだ一方通行。

そこにあるのは羨望なのか。
まだ壊れていないなにかの為に懸命に抗う一方通行に、思うところが在ったのか。
その答えさえきっと、無駄なもの。
どうしようも、ないものだ。

感じるのはただ、残骸を握り締める痛みだけ。
痛みが生きる実感をくれる。かつてそう語った少女がいた。
少しだけ、分かるような気が、した。

「……それでも、ここにいるから」

生きる為に殺すという思考に疑問はない。
殺人衝動は波を引いていた。彼の命を欲しいとも思わない。
今、両儀式は紛れもない「人間」を殺す。その罰の重さを耐え切れないと知った上で。
それは生きる為というより、罪を受け入れるのに似た決意だった。


「――そろそろ、行くかな」


柱の影から出れば、待ち構えていたように浴びせられる炎風。
今度は逃げるつもりも無かった。
何故ならもう、見えているから。
両手に握り締めた七天七刀を振るうだけで、それらは簡単に掻き消えてしまうから。
続いて襲い来る雷電も竜巻も、同様の末路を辿る。
万物に内包された死に切先を通すだけで、全ては死に、還っていく。

「おまえの能力は、形も色もその時によってバラバラだけど、常におまえの周りを囲んで走っているんだ。
 規則性がないっていう規則に基づいて動いている。まるで、星の系図みたいでさ。
 なんて言うのかな、まるで宇宙そのものを見てるようで―――本当に、綺麗だよ」

忌憚のない感想と共に、微笑して、進み続ける。
直死の魔眼、その本領を発揮する舞台が今目の前に在る。
重力や大気といった見えない要素も、超能力という加工を受けたカタチなら見切る事は可能。


飛来する砲撃を、一振りで切払う。
落下してくる圧力を一足で躱し切る。
純粋なる量に訴えて来ようが、打撃、斬撃、銃撃、全て神速の斬撃が斬り払う。
炎刃、風刃、雷刃、如何なる手段によってか、迫りくるそれらを纏めて殺す。
床や天井に罅入れる崩落すら、式は地面に刀を突き立てて、流されていたベクトルごと、全て殺す。
殺す、殺す、何もかも殺して先に行く。

空間上の、一方通行に操作された『ベクトルの線』を、片っ端から殺していく。
そう、対敵がこの世の全てを悪意に変えて殺しに来るならば、両儀式はその『全て』を殺し尽くす。


「―――!?」


瞠目する敵へと、式は確かに距離を詰めていく。
どこかの喫茶店からくすねてきたナイフを二投。
一方通行の逃げ場を塞ぐように投げ放ったのを合図にして、縮地如きの足運びで、彼我の間合いを詰めていく。
浴びせられる殺意を、殺して、殺して、殺し尽くしながら迫り行く。


「オマエ――――!」


飛来するナイフが、離脱を許さない。
一方通行は予感した。
オマエはコイツに殺される、と。
持てる全火力。
全攻撃手段を浴びせかけて尚、近づていて来る敵の姿に。

考え付く殺害手段全てを投下しても止められない相手。
いつか、己を倒した誰かのように。
最強の攻撃を悉く凌ぎ、眼前にたどり着き、拳を届かせた者のように。


「―――――ふざけンじゃ、ねェぞ?」


認めない。全てを出し切れ。
敵は一瞬にして己を上回った。
ならば、そんなふざけた結果など、再度、書き換えろと猛り吠える。


「おおおおおおおおおおおおおおおおォォォォオォォォ」



質量の雨、プラズマ、火炎、地盤沈下、天井崩落。
何一つ通じやしない。
何をやっても、運動の根源(ベクトル)を殺される。

ならば次の手を撃て。
何でもいい、こいつを殺すための手段を探せ。
片っ端から撃ちまくれ。

そうだ、あるだろう。
まだ対敵に為にしていない殺害手段が、一つだけ。



「――――――gapwzg殺aekseh――――!!」


咆哮に顕れたのは黒翼だった。
その本質は未だ正体不明なれど、破壊力だけは疑いようがない。
何より敵は、まだこの力を解析できては居ない。
振りかざす二枚羽。
消え失せろと叫ぶと同時、漆黒を振り下ろす。


「――――!!」


目の前に迫る極撃。それでも式は怯む事無く突き進む。
黒き翅が視界を埋め尽くそうとするも、するべき事は分かっていた。
打倒すべき奔流は式とは出自の異なる物なのだろうか。
未だにハッキリとした死線を捉えることが出来ない。
一方通行の能力を見るに時間が掛かったように、この交差が終わるまでに捉え切るのは不可能だ。

ならば、出来ることは一つ。
両者ともに、最大の破壊力でもって相手を打ち砕く。
唯閃、その開放。奇しくもそれは一方通行の世界と出自を同じくし、同時に対立する世界の極点。

一方通行の翼を見切る時間は無くとも、今握る刃を理解する事ならもう十分に済んでいる。

読み取る情報(かんかく)は多岐。
之の使い手は、天草式十字凄教、それを土台にした剣術を主体とする。
が、それだけでなく、どこか式の生きてきた世界と根本的に異なる種類の魔が絡んでいる。

仏教術式・神道術式・十字教術式。
知らぬ(ことわり)が渦を巻き、使いこなす事はやはり不可能だと訴えかける。
だが十分だ、やりかたを『参考』にできればそれでいい。

再現できなくとも編み出そう。
特殊な呼吸、自己暗示による身体組み換え強化、『聖人』。
式に馴染まない異界の魔術。
しかし、それによく似た技法なら馴染みがある。

特殊な呼吸―――この程度なら可能だ。
自己暗示――――よくやっている。
聖人――――――己は違うが比べるべくもない、何故なら己は――――――

走るノイズすらどうでもいい。
重要な技能はただ一つ。

如何なる対魔防御も異なる教義にてすり抜け『迂回して傷つける』対神格。
天使の翼を刈り取る斬撃。
その概念を創作できれば、それでいい。




「唯―――」


―――抜刀。


「―――閃」


黒と銀の閃光が通り抜ける。
落ちてくる巨大な漆黒の一翼を、両儀式は両断した。
切り落とされた羽が展示場の床に落下し、地を抉り壁を吹き飛ばす。

刹那の間断すらなく、降ろされる二枚目。
その時点で既に納刀されいてた唯閃の二撃目が、引き抜かれ迎撃する。
切断された二枚目が宙を舞い、そして、その向こうで。


三枚目と、四枚目が、既に控えていた。


「――――gph割akn!」

否、それだけでは終わらない、五枚目、六枚目が発現する。
まるで熾天使。
この世全ての悪を喰らった体は、異界の魔術と魔術が交差した力は、ここに最大の変貌を遂げていた。

「―――――!!」

式は、死を、視る。
その無敵の翼に走る死を。
脳回路が焼き切れるほどに凝視して。
飛来する四枚の翼へと、全くの同時に、四つの斬撃を叩きこんだ。


「―――――く―――そ―――!」


それはどちらが発した言葉だったのか。
耐えきれず砕け散った唯閃の柄を握る式か。
三枚の翼を同時に殺されるのを感じた一方通行か。

ラスト一枚。
死を捉え切れず、殺し切れなかった翼が落ちてくる。
身体の限界を振り切って斬撃を行使した反動か、唯閃を振りぬいた式の右腕は動かない。
だから代わりに、懐に差し入れていた左手を抜き放つ。
落ちてくる翼へと、握るルールブレイカーを突き刺して、その時、両者の動きが同時に止まった。

「オ……マエ……!」

唯閃を囮にして、最初から、これを狙っていたのか。
ピシと、ルールブレイカーと、この世全ての悪との契約に罅が入る。
故に一方通行は刃の触れた翼を、破棄せざるを得なかった。
彼は驚愕しながら一歩を踏み出す。
最後の翼と、短刀が同時に砕ける。

一方通行はこの世全ての悪(アンリマユ)との契約破棄こそ免れたものの、全ての翼を破壊された。
両儀式は最大の武器である七天七刀を失った。

故にここからが両者にとって、本当の正念場。
お互い間合いに入ったうえでの、両者武装解除。
開始される、クロスレンジでの殺り合い。

一瞬一瞬が生死を分ける。
一歩でも先を行ったモノが、勝者となる。

刀を失った式に対し、翼が無くとも攻撃に移れる一方通行の有利、かに見えた。
一方通行は足元に転がっていた無数の小石を蹴り上げ、右手で触れることによって射出しようとし、
そのさらに先に、一体いつ持ち替えていたのか、式の右手のナイフが一閃された。
切先が小石の弾丸を払い、空間に走るベクトルの能力を殺害する。
能力の封じられた一方通行の五体へと切り返すように、式がナイフを突き入れようとする最中、彼女の頭に突きつけられていたのは銃口だった。

それは、一方通行の左手が握り締めていたモノ。
ベクトル操作によるものではなく、懐に隠し持っていた、何の変哲もない拳銃。
能力を盛大にブラフとした、能力殺しへの切り札だった。


血が、飛び散る。
首を傾け、急所を避けた式の動きは驚嘆に値する物であり、だがその間隔は、隙以外のなにものでもない。

間髪入れずに腕が伸びる。
破壊の魔手。
能力を取り戻した一方通行が放つ、殺人接触。

伸びる手が胴体に触れる前に、式はその腕を自らの手で受け止めていた。
一方通行は勝利を確信する。
触れる場所は何処でもいい、これで詰みだ。
血流を逆転させ、腕から全身を破砕せんとし――

「―――――あァ?」

次の瞬間、困惑に支配される。
破壊が胸にまで届かず、腕の部分だけに留まっていた事実に。


"―――義手、だと!?"


機能が停止してただのモノに戻った義手は肉体との接続を失い、結果的にベクトルの流れを途中で断ち切っている。
身代わりにした左腕のパーツに混じって、地面へと零れ落ちるペーパーナイフ。
それを式は、ブーツの爪先で蹴り上げた。


「――――がっ!!」


防御の反射は当然の如く無視し、切っ先は身を捩った一方通行の左肩に突き刺さる。
一方通行は肩に熱を感じるよりも早く、いましがた己の細い胸板へと接触していた、式のたおやかな指に底冷えしていた。
指は蠱惑的にさえ思える動きで、泥に浸すようにずぶりと、肉の内側に沈み込み。


「終わり……だ……!」


―――死ぬ。


死を、直に味わう。
今まで受けたどんな感覚よりも冷たく、深く、昏く。
抵抗の力さえ奪われていく中、全身で死の手触りを知る。
そうして指先が、己が心臓に、達しようとした刹那―――――


「オマエが、なァ」


あらん限りのベクトルを、式の腹に蹴り入れた。


「――――――ッ!!!!」


声を上げる事すら許されず。
式は叩き込まれた衝撃によって、遥か後方に吹き飛んでいた。

一方通行に血液を逆流させる余裕が無かった故に、即死は免れたものの。
それは事実上、勝負を決める一撃だった。

先程まで身を隠していた柱に全身を叩き付けられ、両義式は沈黙する。
左腕を失い、肋骨は数本折れ、立ち上がれたところで満足に動けるかも怪しい。
少なくともこれ以上、一方通行との戦闘に耐えることは出来ないだろう。



「……まァ……なンだ。つまり、そういうこった」



死を実感し、一方通行はここに至り、直死の魔眼の本質を悟る。
確かに強力な能力だ。生者も死者も、幻想すらも殺す能力。
事実として、最強の超能力者を敗死させる寸前だった。

喉笛に刃を押し付けられる、あるいは心臓を直に掴まれた程の瀬戸際。
ほんの僅かな差で、結果は逆転していたと言えるほどの僅差。
だが。だからこそ。自分は負けず、対する敵は勝てなかった。

『全てを殺す』、ほどの規格外。

目の前の彼女はかつて一方通行を倒した彼より強く。
けれど彼とは違う。違うと、断言できる。
何故ならば、



゛ふざけた幻想だけを殺し、それ以外の全てを守ってきたアイツだからこそ、己は負けたのだから゛



結局ところ、彼女の敗因とは、ただ一つ。



最弱(さいきょう)のアイツ以外が、俺に勝てるワケねェンだよ」



そして己の勝因を告げ、終わりの一撃を放とうとして、




「―――――ァ?」



一方通行の視界の隅に、何か、些末なものが、映っていた。







◇ ◇ ◇





―――――そこで私は、観測を停止した。



「オマエ、何だ?」


そこに立つものに、一方通行は問いかける。


「……なァ? 頼むぜおィ。
 今更、弱い者イジメさせられンのは気分悪ィンだよ」


一方通行の目前に立つ者。
膝をつき敗北寸前の両儀式の、更に背後。

一人の男が、立っていた。
阿良々木暦という、一人の人間が。
一人の弱者が、そこには立っていた。

「……なぜわざわざ、殺されにやってくるンだよ?」

どうして、死ぬと分かっていながら、姿を現したのか。
そう、一方通行は問うている。

一方通行の目の前に立つ彼に。
同時に、彼の後ろに居る存在、インデックスの目の前に、守るように立つ彼へと。

殺すものは問いかける。
なのになぜ、一方通行の前に姿を現した。
注意を引き付ける為だけに、前に出たのだと誰の目にも明らかだ。
両儀式の死を、数秒間遅らせることしか出来ない無能。
障害として機能しないレベルの性能差。


にも、拘らず―――――


彼は、前に出た。
両儀式の死を、数秒間遅らせる為、本当に、ただ、それだけの為に。

泥だらけの学生服。
傷だらけの皮膚。
何度くじかれたか知れない心。

敵は強い。
己は弱い。
勝ち目は無い。
どうしようもない。

それでも立ち続ける者を。
立ち向かえる者を。
誰かが死ぬのを、傷つくのを、見ていられないから行ける、そんな者を。
さて、物語では何といったろうか。

「悪い、ちょっと待っててくれ」


彼は背後に守るインデックスへと、そう言って、また一歩、踏み出す。


「すぐに戻ってくる」


がくがくと震える足で。


「大丈夫、僕は死なないし、誰も殺させない」


紅の槍を両腕に構え。



「なんて、ね。似合わないよな。
 でも、一生に、一度だけ、
 言ってみてもいいだろ。こういう―――」


目に、敵を映し。


「主人公っぽい、セリフを、さ」



この場、この一瞬だけの主役は、駆け出した。




彼の、絶対的な死を前に。


背後にいた者が、無意識に伸ばしていた手は、届かない。
すり抜ける。掴めない。
いつかのように。いつものように。

―――いつも?
――――いつもとは、いつのことなのだろう?

分からない。
だけど、分かる、今なら理解できる。

そうだ、いつもすり抜けてきた。
いつも止められなかった、何も出来なかった。
いつも私は、何も、知らなかった。知る事さえ、出来なかった。



『――何を、望みますか?
 自己の消滅を前にして、あなたは』


どこかで流れたノイズ。
記録に残る誰かの言葉が、再生される。


『……せめて、戦いたいな、衣も。
 それは無理だって、止められるだろうって、分っているけれど
 終わる前に、衣も最後に……力になれたなら』


最後に死ぬ前に戦いたいと彼女は言った。
戦って、彼女は死んだ。

誰かの為に、生きたいと、彼女は最後まで願っていた。
ああ、その願いは、果たして、いつの、誰の、願いだったのか。


―――傍にいたい、私はあなたと共にいたい。
貴方の抱える物を代わりに背負う事が出来なくても、せめて隣で戦いたい。


「―――」


あなたは私に何も話してくれず、私を置いて行ってしまう。
私は守られていることしかできなくて、何もできなくて、傷つくあなたを知ることすらできなくて。


「―――」


だからいつも、ボロボロになって帰ってきたあなたに、微笑しか渡せない自分が悔しい。
わたしだって本当は、あなたを守ってあげたいのに、戦いたいのに――――


「―――」


そんな苦くて淡い思いは、いったい誰のものだったのか。



「――――――――――」



悲鳴すら、上がることは無かった。
彼が血を流したのは、僅かな思考の、一瞬の後。
一方通行が投射した質量が彼の右腕をばっさりと切断し。
紅い、紅い、飛沫が散る。

インデックスの足元の床に、千切られた腕が落ちてくる。
そして遅れて、血の雨が降ってきた。
紅い血が、『歩く教会』を滑り落ちて、インデックスの頬をぬらした。

「………ぉ……がぁ……ぎ……」

彼が何を言っているのかは分からない。
それはただのうめき声だ。
痛みに咽び、弱さに打ち震える、潰されたカエルのような鳴き声でしかない。
意味をなさない、ノイズ以下の音だ。

そんなものを吐き出しながら、阿良々木暦は、未だ立っていた。
先の途切れた右腕から、鮮血が迸る。
ショート寸前の痛覚に耐える為に噛み締めた下唇から、どろどろと血が流れ出す。
そうして、もう一度、足を、踏み出す。


―――て。


踏み出して、いく。


―――って。

彼が一歩を踏み出す度に。
重なるように見える何かに。



―――まって。

脳が、粉々になっていく。
思考が、意志が、インデックスという装置を、構成するものが破壊されていく。

それは今に始まった事ではなく。
最初から加えられていた一つの機能。
ゲームの終了と同時に、破棄される予定に在った禁書目録。
その自壊装置が、駆動し続けている証。

誰かの喪失を目にする度に、ほんの少しずつ。
時をかけて、少しずつ、少しずつ、罅割れていたガラス、噛み合わなくなっていた歯車。
エラーの蓄積は遂に、致命的な狂いとなり。
砕けた機能の内側から、秘せられていた『感情』が滲み、滲み、溢れ出し―――


「―――告」


このからっぽな心に、意志を、表す。







「――――警告」

耳に聞こえるそれは誰の声か。
この施設に在る全ての存在を、インデックスは知覚していた。

阿良々木を一撃で殺せなかったことに表情を歪めた一方通行。

自らの血に足を滑らせ、インデックスの目の前で床に倒れ伏していく阿良々木暦。

僅かに肩を震わせた、両儀式。

インデックスのさらに背後に立っていた、秋山澪。

外周廊下を駆け抜けて、ホールへと近づてくる平沢憂。

どれでもない、と断定する。


「―――――警告、第三章、第一節。
 『その行動』は自身の生命活動を著しく脅かします。即時の停止を推奨」


これは、自らが発する警鐘だ。
いま新たに一歩を踏み出し、阿良々木暦の千切れた右腕を拾い上げた存在。

一方通行の注目を集める、のみに留まらず。
阿良々木暦の右腕が掴んでいた槍を、手に取った者の口から、己自身へと発せられる。
自動書記(ヨハネのペン)という、機能のエラー音声に他ならない。

「対面する存在の敵意を確認。一方通行。学園都市最強の超能力者。
 危険度はバトルロワイアル全参加者中最大域を計測。10万3000冊の書庫の保護の為、迎撃を開始します」

壊れていく、機械の音。

「――――警告、第十四章、第十三節。
 現在の行動に意味は皆無。ヨハネのペンは残り一時間と二十三分と十八秒をもって内在する意識ごと自壊破棄され■■■■■―――警告、第十二章、第十節。
 迎撃対象に最も有効なローカルウェポンを組み上げ開■■■即刻の中止を推奨、現在の行動は禁書目録の存在理由に■■■接触した聖遺物の解析を開始。
 ■■■自動書記の機能不全、魔術の不正使用を確認、暴走状態に在ると断定、これより予定(シナリオ)を繰り上げ禁書目録の完全消去を実行しま■■■■」


ざあ、ざあ、と。
聞こえるノイズは強まっていく。

ばきん、ばきん、と。
脳裏では破砕の音が響き続ける。

全身の細胞が次々と弾け、高温の血液が沸騰し、己が存在よ速やかに終われと自動書記は筆を速める。
瞳からは血の涙がこぼれ続け、視界(がめん)は、壊れたテレビのように砂嵐が覆っていく。
ここに来て、加速度的に進んでいく全身の崩壊。

魔術の行使。
そんな事は許されない。
本来、インデックス自身からその機能は排除されている。

インデックスという、ヨハネのペンという、存在を破棄された後でなく、しかし正常でもない。
『崩壊の過程』で在ったからこそ起こり得た、これは『現象』だ。




そう、とっくに、禁書目録は、ゲームを円滑に動かすための装置は、壊れて始めていた。
自らの機能によって、そして観測してきた『彼ら』によって、関わってしまった『彼女』らによって。
彼女もまた、例外ではなく、『変えられて』いたのだから。






「――――警告、第二十三章、第三節。
 接触聖遺物の解析―――失敗。
 禁書目録とは異なる世界の聖遺物と断定。
 内臓された■■の完全再現は不可能。
 実行可能な類似奇跡の■■警告、禁書目録の消去進行■■■■検索を開始―――成功。
 ―――迎撃対象個人に対して■■■警告、術式の発動停止を即時推奨■■■■最も有効な魔術の組み合わせに成功しました」







観測する端末は壊れ、消えようとしている。
『完全な機能』は崩壊した。
僅かに灯された何かの指令(コマンド)に、ブレーキすら失ったそれが暴走しているに過ぎない。
ならば、今この肉体を暴走(うご)かすものとは―――





「――警告、第■■章第■節。■の解析に成功しま■■■■。
 『ケルト神話』より英雄の記録を抜粋■■■警告、禁書目録の消去を更に加速■■■警告、聖遺物の攻勢術式再現開始■■■■。
 ■■特性により■■警告■■■■如何なる障壁も迂回無視■■運命■転■■■警告■■概念武装を■■■警告■■■■構築し■■警告■。 
 術式を固定■■■警告■■■組み込み開始■■■警告■……第一式、■■警告■■第二式、第三式■■警告警告■■■■警告警告警告警告警告――――」





『私』の、意志。
そう、これは、この時だけは、私の――――






「命名、『刺し穿つ死棘の槍』完全発動まで十五秒――――」






私の、物語だ。



「オマエ―――――――!!」






突如、展開された術式。
紅き槍を構えた存在から発せられた異質な空気。
本能的に危機を感じ取ったのか、一方通行がすぐさま攻勢に移ろうと地を蹴った。
そこに、刃を構える銀色が、割り込む。

「鬱陶しい!!」

投擲される鉛の散弾を、両儀式は断絶させた。
ほぼ全身が機能不全陥った状況下、唯一動く右腕を振り上げ、旋回させるナイフによって断ち切る。
限界に達した肉体で、一挙動ごとに血を吐き出しながらも。

残り十五秒。
之より背後。
絶対に進ませぬと阻んでいる。



「残り、十三秒」
一撃。


銀の鉛が舞う。
威力は相変わらず一撃必殺。
対する一振りも一撃相殺。


「残り十秒」
二撃。


銀のナイフが翻る。
限界は初めから見えていた。


「八秒」
三撃。


銀と銀が衝突し、散る火花。
一振りする毎に、吐き出される鮮血と、遅くなる腕の動き。


「七秒」
四撃。


地を踏みつけた一方通行の足元から、両儀式の蹲る地面を吹き飛ばすべく衝撃が飛来する。
式はすぐさま、床へとナイフを振り下ろし、ベクトルを殺害し―――


「五秒」
五撃。


そこで詰んだ。
空中に飛び上っていた一方通行は展示場の支柱の破片を投げつける。
未だ床に突き刺さったナイフを振り上げる。
ナイフ一本を、持ち上げる為の筋力が、既に、両儀式には残っていなかった。


「残り――――」


その時、強く紅槍を握り締めた私の、更に背後から。



「――――式!」
「――――阿良々木さん!」


ホールに響き渡った、二人の少女達の声に。




「これが本当に、最後のッ!!」
「立って――――――――!!」


―――両儀式は無意識の内に、ナイフを手放していた。
―――倒れ伏した阿良々木暦の指先が、ぴくりと動いた。


「最後の一本だからッ!!」
「約束を破らないでッ!!」


声が、届く。
空手で天に翳した式の掌へ、煌く刀身が飛来する。
刀身が中程で折れた、その刀。
殺すもの、守るもの、幾人もの手を渡ってきたその刀。
戦国より受け継がれた刀身に、一瞬だけの紫電が煌いて。

もう、振り上げは済んでいる。
だから力は要らない。
ただ、振り下ろすのみ。
過たず、死の点を貫かれた砲撃は四散し―――



「――――完全発動まで残り■秒――――」


展開されていた魔法陣に、亀裂が走る。
僅か十五秒の経過を待つまでも無く、私の思考が分断される。
視界は罅割れ位相がズレ、敵の姿を、もう捉える事すらできない。


「――――――――警告、■■■■■。
 ―――――――――――――――――――――――――
 ――――――――――――――――――――――――――
 ――――――――――――――――――――――――――――」


身体の感覚が掴めない。
腕の神経などとうに失せ、槍を握り締める実感すら最早ない。
敵の名、己の名、目的、全て砕け散って戻らない。
例え発動までこぎ着けたところで、穂先を何処に向ければいいか、定まらない。


定まらない狙いは乱れ、感覚の失せた腕は槍を、取り落とす。
最早、数メートル先も見えなくなった視界で、私は最後に見た。



「―――――頑張れ」


血を流しながら立ち上がる、阿良々木暦(しょうねん)の姿。
何度でも立ち上がる、主人公の姿。
『彼』が、その穂先を掴み、放つべき敵へ、狙いを定める。


「―――まだ、終わってないだろ?」


ただ、それだけ。
彼に出来た事はそれだけで、それだけが、いま必要な全てだった。



「―――ねえ」


私は、告げる。
目の前の背中に。
立ち上がる少年に。
先を行く、いつか先に行ってしまった、もう届かない誰かに向けて。


「―――ねえ、とーま。私も」


彼に重ねる、いつかの主人公に。



「――――私も一緒にッ!!」



私自身の想いを。
ずっとため込んでいた想いを、壊れた声帯で告げていた。




「――――私も一緒に、連れて行ってッ!!」

「――――ああ、一緒に勝とうぜ、インデックス!!」



もう存在しない筈の右手が、最後に私を抱き寄せる。
振り向いた『彼』の姿は、声は、果たして幻だったのだろうか。
何もわからない。
けれど、ああ、どうしてだろう。
壊れていく私は、全ての思考が粉砕される直前に、ただ一つだけを思っていた。





神様、どうか、どうかこの幻想だけは―――――





「「―――刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルグ)」」






壊れないで、永遠に。











◇ ◇ ◇


「あ?」


一方通行は、放たれた穂先を簡単に弾く。
飛来する槍のベクトルを『反射』させ逆方向に撃ち返す。

「……なンだァ?」

すると槍は妙な挙動をした。
反射に触れる寸前か、瞬間か、或は直後か、それは逆方向すなわち後ろに進んだのだ。
枢木スザクが示したものと同じ、反射の攻略法。
『遠ざかる槍撃』は一方通行自身へと反射され、心臓を貫きに来る。

「なンだよ?」

その程度なら予測していた。
通常の攻撃でないことは見るに明らかであったし、一方通行は既にスザクの動きを観ているのだ。
万が一の対策はしてあった。元より反射はオートではなくリモートにしてある。
増幅された計算能力を総動員し、すぐさま設定を切り替える。

「なンなンだよおィ」

斜め方向に向きを変える屈折現象は無意味だった。
一度だけあべこべな位置に飛んでいった槍は、すぐさま穂先を此方に向け直し再度飛来。
以降、同じ手は通じなかった。

「おィおィ」

槍の運動エネルギーを奪い地面に流し込む転換も大して効果が見られなかった。
一瞬止まったかに思われた槍は、すぐさま自力で運動力を取り戻し再度推進。
以降はどれだけエネルギーを奪っても無駄だった。

「おィおィおィ」

向かってくるエネルギーを利用し、動きに合わせて一方通行自身の位置を変え続けることすら。
その槍撃には意味を成さなかった。
何故かほんの少しずつ、少しずつ、穂先が、一方通行の胸元へと、迫ってくる。

「おィおィおィおィおォォォォォォォォィ!!!!!!」

それは一方通行の思考を上回るがごとき計算起動。
正しく一方通行の能力を開発した科学者の動き、ですらない。

「くそがァ!! いったい――――何を――――仕掛けやがった?」

そうであれば、今の一方通行ならば、凌ぎ切れるはずなのだ。
この世全ての悪(アンリマユ)』を取り込んだ影響か、過去最大に回転する思考回路は刹那の間隙すら見逃さない。
万物の動きを捉え切り、理論的な攻略方法ならば、数値の勝負ならば、その悉くを上回ろう。
今の彼を傷つけられる物は、両儀式の眼や、上条当麻の腕のような、基礎数にゼロを掛けるが如き反則のみ。

しかし今ここに、また違う形の反則が存在する。
基本的な反射による防壁を初め、屈折、転換、あらゆる迎撃設定を多重に張り巡らせようと、
その悉くを次々と方法を変え踏み込んでくる。
何度弾いても、何度上回っても、どれだけ運動ベクトルを操られようと、違った角度から違ったアプローチで迫る一突き。
抗するべく一方通行は無限に己を更新し、それを更に槍撃が上回り続ける。

穂先が、一方通行に触れる。
ベクトルが操られ、離れていく。
ならばと言わんばかりに穂先は逆方向に動き、迫り、また一方通行の設定が切り替わり、
すると合わせるように槍も動きを変えるのだ。

それは既に、槍撃の挙動をしていなかった。
槍と言う形状では説明のつかない軌道だった。

一方通行の全身を嵐のように埋め尽くす刺突。
多重に屈折した紅き軌跡はまるで人一人を囲む檻の如き情景だったが、あくまで『一突き』だ。
右へ左へ後ろへ前へ、一方通行の周囲数ミリを縦横無尽駆け巡る動作は実のところ後付でしかない。


因果逆転。
心臓を穿つという結果を確定した上で放つ、必中必殺のそれは正に宝具。
放たれたのはそういう特性の術式であり、故に回避も防御も不可能だ。

槍は今、一方通行の心臓を狙っているのではなく。
『一方通行の心臓を穿つ結果』に向かって疾駆する。
最初から当たると決まっている『運命』を相手に、ベクトル操作も、計算能力も何の意味もありはしない。



「―――――――――は」



にも拘わらず、一方通行は抵抗する。
常に己の能力を更新し、設定を変え続け、穂先の到達を一秒でも遠ざけんとする。
決して逃れられぬ運命は刻一刻と心臓に近づいてくるが、諦める気配は微塵も無い。

「―――――――――はは」

理屈を超える奇跡の具現。
唯一要求されるのは、因果逆転の呪いを逸らすほどの幸運。
『幸運』、そんなもの、己は決して持ち得ないと知っていて。
だからこそ、



「はははははははっ、やっとかよ」



何故未だに、己が抵抗を止めないのか、彼は本当に不思議だった。



「ははははははははははははははははははははははっ、やっと俺を!!」



怒るでもない。
嘆くでもない。
滑稽だったから。

何度もあった死地と同じく。
やはり彼は笑う。

そうだ。
これでいい。
これでいいんだと分かってる。
全力の抵抗は及ばず、今度こそ完敗だ、己はもうすぐ殺される。

それでいいじゃないか。
こんな悪は、殺さなきゃいけない。
間違いは、誰かに、正しい何かに、殺されなきゃいけない。

悪を殺した、正義を殺した、ただの弱者すら殺しつくした。
ただ、守る為に。正義じゃなく、『誰かの味方』になるために。

それは願われたわけでも、命じられたわけでもない。
己自身の意志で選んだのだ。
誰か手によってではなく、己が守りたいという、くだらない我欲(エゴ)の為に。


「ははははははははははははははははははははははっ!!」



だからそう、本当に、ああ本当に、ここに『彼女』が居なくてよかったと、心から思った。
こんな悪党の居る世界に、彼女が連れて来られなくてよかった。
悪に穢れた姿を、見せずに済んでよかった。
それだけが今の一方通行にとって、紛れもない『幸運』だったから。
ならば、これ以上なにを望むことがある。


終わる『チャンス』は何度もあった。
何度も、何度も、それを掴めず、誰かを殺して生き延びた。
俺が守る。なんて願望がそうさせた。


「――――――――は」


こんな悪は、やっぱり許しちゃだめだろう。
まして彼女の居る世界に、戻したりなんかしちゃあ、絶対に駄目だろう。
ここできっちり殺して、死なせて、終わらせて、さあ今こそ――――――――




















「―――会いてェ……」





台無しだった。


「は……なンだァ……そりゃァ……笑えねェだろ……」


まったくもって嗤えないくらい、ぶち壊しだった。
ぞぶり、と。
遂に胸をえぐった穂先が、心臓を貫くその刹那。

鮮血と共に口から漏れ出したのは、自分でも驚愕するほどに腐った泣き言で、
今までの全部を無意味にするダサい弱音で、
そしてこれまで、絶死の運命に抗い続けた本当の本当の本当の理由(ワケ)で――――



「クソ……あァ……ちくしょォ………………会いてェ……なァ…………」



彼にとって、本物の願いだった。










◇ ◇ ◇






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