2nd / DAYBREAK'S BELL(5)◆ANI3oprwOY





5 / THIS ILLUSION (Ⅱ)








本当なら、ただ待っていればそれで済む話。
なのに「それでいい」とそこで満足出来なかったのは。
今の私があまりに愚かで、恥知らずな思いを抱いたからだった。




息を切らせて、炎のヴェールに包まれた道を走る。
取り込む空気は燃焼に消費され、何度も大きく口を開け息を吸わねば灰に酸素が足りなくなる。
その上壁の隅々からは、濃すぎる程に黒い泥が漏れ出している。
見ただけで吐き気を催す、邪悪が物質化した汚濁。
口からせり上がる胃液を堪えて、ただ道の広がる先に進んでいく。



それはもう、気の迷いとしか言いようのない、最高に頭の悪い考えで。
私達だけが確実に助かる方法はもう手に入れている。
黙っているだけで何もしなければ、求めていた望みが叶う。
なのに、火傷するリスクを背負って火宅に飛び込む馬鹿な真似をするだなんて。


咲さんはいいのだ。
彼女は本当に何もしていない。
良い事もやってないけど、悪い事も犯していない。
一方的に囚われ、弄ばれたただの被害者だ。
他の誰よりも無事でなくてはならない人だし、優先して一番に帰っていい権利がある。


…………なら、私は?
望んでこんなことに協力したわけがない。
従っていたのは人質に取られたから。
仕方なく、嫌々に、無理強いさせされ。
そして……それ以外にどうしようもないから手を貸すしかなかった。

何もかも知りながら。
殺し合いで死ぬ人を、狂っていく友達を見ていながら。
見ぬふりもしない癖に、結局何もしないままで、誰も助けられず。
ずるずると、ここまで都合に引き摺られてきた。

そんな私が、誰よりも真っ先に逃げ道を与えられ、退場の準備を整えられている。
こんなにも整えられてるのは、ここまでお膳立ててくれた人の誠意の表れでもあるけれど。
同時に、私の胸に罪悪感となって突き刺さった。



誰かを助ける力なんて私にはない。
自己犠牲なんて、はじめから言う資格すらない。
これはそれにすら劣る自己満足。
背中を押すでもなく、声援をかけるわけでもない。
こんなのはそう。ほんの少しだけ、道を整理するようなもの。
あくまで私の願いを果たすため。
二人揃って一緒に帰れる未来のために。


泥が集まる中心点。
そこにそびえ立つ黒い大樹と、傍らに立つ神父。
大聖杯。アンリマユ。
普通の世界の人々にとってあまりにも非常識(オカルト)な存在。
その全てよりも、私の目を釘付けにする一輪の花が咲いている。

手を伸ばしても、掴むのは空だけ。
目に入るのに、どうしても届かない高嶺。
行かないで。お願いだから。一緒にいて。
溢れ出す想いは止めどなく。胸をいっぱいに満たして、取り落してはいけなかった恐怖感を薄れさせる。

そして私は手を伸ばし―――。






◆ ◆ ◆

敵の排除は速やかに済んだ。
聖杯と同期した卓上の魔王が打った嶺上開花は泥の爆散として現象化し、一方通行と両儀式の両名をその内に収めた。
急ごしらえの器としては、宮永咲は破格の適正だった。

後はこのまま、黒聖杯が完成するのを待てばいい。
質として白聖杯と同等に至れれば直接接触した瞬間に決まる。
一点の濁りで破綻する白聖杯には、相性の関係上で黒聖杯が圧倒的に優位に立つ。

ダモクレスの防壁は健在。
守護者たるリボンズ・アルマークは空の戦士の掃討を続けている。
遠からず参加者は打ち倒されるだろうが、聖杯浸食を阻止するリボンズの邪魔くらいの働きは見せるだろう。
黒の望みが果たされるにはまだ多くの障害がある。聖杯にとっての勝負はこれからだ。

「彼らが聖杯を手に出来ないのは些か残念だが……これもまた結末か。
 これを見れただけでも、価値はあるとしよう」



展示場内にただ一つ残った青い生命が謳歌する。
奈落に根付いた聖杯は絶えず成長を続けていく。

言峰の頭上に広がるのは、一面の花畑であった。

枝に付くのは美麗な華。
雪の儚さ。薔薇の情熱。桜の可憐さ。
全てを併せ持った、奇跡の造花だ。

咲いた花弁の数とは即ち、樹が熟す段位の証。
吸った血を彩に変えて、喰らった肉を養分に変えて、
花弁はより可憐さを増しながら満開に至ろうとしている。
全ての蕾が花開いた時、造り替えられた黒色の聖杯は完成体への成就を果たす。



それは舞い散る桜吹雪。
風を伝い三千世界を焦がす春の雪。
この世を紅蓮に染め上げる産声の夢が、間もなく現実に成り替わる。

「―――良い光景だ。酒があれば実に進んだろうに」

殺し合いとはあまりに無縁な感想。
これを見届けられるのが自分一人しかいないことに。
最高の肴があるのに肝心の盃を持ってこなかったとを、言峰は心底惜しんだ。


聖杯の中身―――アンリマユが生まれれば言峰も死ぬ。
誕生の余波にも巻き込まれるし、心臓への泥による魔力供給も途絶える。
二極の聖杯の決着を見ることが叶わないのには未練もある。
だとしたらこれこそまさに徒花。冥土の土産には上々といえるだろう。

せめて少しでも長く花の育つ様を確かめていたくて、慈しむように視界を上に傾ける。
その視界で―――天へと屹立していた聖樹の輪郭が、陽炎のようにぼやけ出した。




「―――――――――何?」

それは言峰の視覚が霞んでるのではなく、紛れもなく聖杯に起こった異変だった。





花が散る。
枝が腐る。
強く地盤に張っていた根が飛び上がる。
聖杯の全体が、突如として激しく揺さぶられている。


地震ではない。現に傍に立つ言峰の脚は平衡を保っている。
震えているのは、聖杯そのものだ。

一方通行と両儀式を取り込み満足し得る器を手に入れ、未完成の状態を超えた筈の黒聖杯が、悶えるかのように痙攣している。
規則的に鳴らしていた胎児(アンリマユ)の鼓動も、激しくバラつき出した。
脈拍のリズムが狂い、明らかに安定を欠いている。人間でいう不整脈の状態に陥っていた。

尋常ならざる聖遺物である黒聖杯が生理的な不調を起こすわけがない。
ならば原因は、外部。
この聖樹の活動を阻害させる働きをする害敵(むし)が、付近にいる―――。



言峰が黒鍵を抜き放ったのと、触手の一本が同時に動き、同様の位置に飛来する。
刃は下手人が隠れていた岩を貫き、泥が一帯を融かす。
一瞬にして薙ぎ払われ平らになった地面には、誰もいない。
泥を諸共に食らい跡形も残らず焼失したか。
だが周囲はまだ多く遮蔽物が残っており、先にはホールの準備室もある。やり過ごして撤退した可能性も捨てきれない。
生死は判明しなかったが、攻撃の狙いをすました際言峰の耳に届いた音があった。



女の悲鳴だ。
言峰はその声に聞き覚えがあった。




泥が落下した箇所は泡ぶき焼け爛れて生命のいた痕跡を見つけることは不可能だ。
代わりに、ある筈のない燃え残っていた物質がそこに捨てられていた。

「……」

何の変哲のない、一般の神社で売られているような護符。
だがそれを魔術師としての眼で見れば、そして今しがた何を起こしたかを鑑みれば、その価値は測りがたいものとなる。



障りを起こした蟲を払いのけて、聖杯にも正常が戻ってきていた。
胎動は元通りの間隔に直り、しぼみかけていた花々も再び咲き乱れている。
干渉は一時的かつ瞬間的なもの。反応してからは呪いの概念的な重量で術式ごと破壊されていた。
そもそも聖杯の力を完全に留める術などこの世界には存在しない。
白聖杯ですら、最悪の相性であるが故接触もままならないのだ。
今ので防げるのはせいぜいが残滓。飛び散った泥を避けるかぐらいが関の山だろう。


結局、生まれたは僅かばかりの遅延。
一分にも満たない、何も齎しはしない時間の浪費。
その程度の価値しかない、無駄な足掻き。
通り過ぎただけの一陣の風。流された砂塵。
ただそれだけに過ぎない時間はそのままで終わり。






そして―――







「っ――――!?」







止まっていた運命が、動き出した。












◆ ◆ ◆

闇の中。
地獄が無間の中に反響していく。


人の酸鼻。残虐。冷淡。罪業。殺害。


苦痛と嫌悪に満ちた声。


憎み恨み怒り忌み呪い滅し殺し恨み。


全てが叫びとなってこの闇に捉われる誰彼に喚く。


人類が生み出した、人類を苛む罰の炎。
だから逃げられない。
だから死ぬ。
許されない恐怖に自らの足を食み、自らの脳を飲む。
炙られるに関わらず熱は奪われ、やがてこの声の渦の一部に墜ちる。



「飽きねェよなあオマエらも。
 こンなもンを、ン百ン千年と続けてるってのかよ」



耐えられるはずのない闇の中で、それを退屈だと詰る声が響く。



「ま、当然か。だからあの街にはクズが幾らでも湧いてくるし、俺みたいな悪党も造っちまう。
 あンなのが今ものさばってる限り、オマエらが消える事もないンだろうよ」

淵に浮かぶ白い影。
痩せた体躯に、色素の失せた髪。
もはや元の名前は忘れ去られ、能力の名称でしか語られることのない少年。
亡者と大差のない姿のモノは、だが眼に熱い生気を宿らしている。

「何故だ、どうしてとかつまンねえこと今更聞くンじゃねえぞ?
 だいたい俺を招いたのはそっちじゃねェのかよ」

確かに。
彼の者を招いたのは此方が先だ。
魔王の取り込んだ瘴気を介して、彼は己を受け入れた。
脳に浸った声のままに、この世の全ての悪を請け負うと宣言してみせた。
形成するだけが限度の不完全な器を捨て、より上位の素体へと移り変わるだけの資質と性質を併せ持つ。
普通の人間なら浴びた時点で精神を崩壊させる泥を浴びても平然としているのは、そういうことだ。

「ああ。物理的に焼かれて死ぬならともかく、一度『奥』に潜り込ンじまえば俺にとってはむしろ逆に楽ってことだ。
 声に従って脳波の流れを読めば自然と行き着いたぜ。『ここ』も、もう何度も来た場所だからな」

現実感も不確かな幻影という『ある』が『ない』虚数の澱。
それを、自らの脳の働きを辿って座標を割り出した。

だとしても、あり得ない。
科学の域に収まらない、魔を総べるという行為、それ以前に。
死には至らずとも、狂気には飲まれていなければおかしい。
演算し、向かい合う意思など残せるはずがない。

否そもそも、何故此処で『個』の存在を認めているのか。
泥はただ殺傷し呪いは常に渦を巻き闇はどこまでも否定する為のモノでしかないのに。
闇は気づかない。異物を取り込まなければ完全となれない。
全ての否定が意義たる泥が他を必要としてしまった矛盾を。

「ボサっとしてるンじゃねェよ。
 ほうら、来てやったぜ」

酷薄な笑みのまま語っていた者の顔が引き締められる。
血管が浮き出た手を広げて、招くように待ち受ける。

「ビビンなよ。オマエから誘ったからには腹をくくれ。
 殺してェんだろ?壊したいんだろ?やってやるって言ってンだよ。
 けど使うのは俺だ。俺が、俺だけの意思で、俺の手で殺すンだ」

全てを委ねると、そう言ったはずだ。
望みを叶えるというのなら、今すぐ叶えろ。
新しい力などではない、己の始まりにあった能力(ちから)のありったけを、ここに返上しろ。

「生まれてもねェ奴に、いや誰であろうとこの役を渡してやるかよ」


剥がされる。
空間を支配していた、否、世界そのものであった闇が渦中の白点に収束していく。
伸ばした指先に、優しく振りかかる泥の滝。
熱さはなく冷たい感覚が肌を通る。温度が低いのは果たしてどちらかなど些細なこと。

血管を巡り心臓、そして脳へ流し込まれる。
瘴気とは比べ物にならない原液の濃度。
内包する起源の風景。この呪いの発生、人の醜さ、贖いの罪の数を知る。


「――――――あァ、いいぜ」


云って、嗤う。
人から生まれ、人の手に余るほどに肥大化した悪性の怪物。
それを、残さず飲み干す。


灼熱が血管を通り抜ける。
躰を燃やす。髪を焦がす。
全身に絡みつく泥が魂を染め上げる。


「オマエが何もかも殺し尽くすっていうのなら」


まずはその幻想(あくむ)からぶち殺す。
誓いを此処に。
全身に、脳髄に、魂に刻み尽くして顕す。


一を守るために全を殺す。
常世全ての悪を敷き、咲を拓く。
あらゆる矛盾を乗り越えて、何度でも悪を為そう。
もう誰にも、悪を名乗らせないほどの悪と成ろう。




◆ ◆ ◆


「っ――――!?」

「が、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
 あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
 あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」



濃密な泥の中を貫いて出てきた手から、魂を揺さぶる絶叫が木霊する。
肉を千切り臓腑をかきわけ、魔物が零れる。
戸惑う言峰などお構いなしに、全身が抜かれる。
べちゃりと地に打ちつけられる黒い塊。
母胎から摘出された赤子のように、這い出たモノは身悶えしている。



「――――ぶ、あぐ――――きァ―――――ひ―――――――――――――――――
 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――」


全身を黒い泥に纏われる姿は、溶岩を浴びて炭化した遺体にも見える。
薄らと浮かぶ赤い線は、全身の血管なのだと気づいた。
喉に泥が絡んで呼吸もままならいまま口腔から漏れ出る。


「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――くか」


聞こえてきたのは。
この世からのものとは思えない、ひずんだ奇声。



「く、くかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかkか、
 くかきけこかかきくけききこくけきこ死きかかかききくくくくけけけこかかきききけ死」



爆ぜる哄笑。
壊れたとしか表すしかない音。
そこに隠しきれない異常を感応したか、影が乗り上げる。
否定の海から逃れたあり得ない蟲(バグ)を、泥地から生えた触手が潰そうと押しかける。



「きgかきこけ死ここきかくくけきくか%tdhかき滅くけjh呪ukhijiきけけき殺こ死くけ死asdjij悪knbvくく死死adfg死死死死死死jkjnhbgfcdvbnmgjjjjjj
 ぎィィああああああああああああははははははははははははははははははははは――――――――――――――――!!!!!!」



魂を焼き切る絶唱に呼応して陥没する地面。
降りかかる触手が、見えない足に踏み潰されて千切れ散る。
範囲も威力も、この会場での殺し合い以来最高出力を突破していた。




「――――――――――――――、あァ」




帯電する火花。

逆巻く風塵。

どこまでも砕け続ける地殻。

これまでの制限時間全てを使い切ってようやく出せる破壊の跡。
それを吐き出してもなおまだ余るベクトルの波動。


「そうか。そういやァ、こういうもンだったっけなァ」


意味するのは、即ち帰還。
失われた、二文字の称号の復活。

「随分懐かしく感じるぜ。
 まったく、加減がなってなくていけねェ」


口調は存外に静かなものだった。
穏やかなものすら思わせた。
内にあった激情が際限なく高まり続けて、遂に限界を振り切ってしまったから。


「―――さて、と。聞いてますかァ? そこの三下以下のクズ共が。
 これからさンざンいたぶってくれた落とし前をつけるわけだが」


森羅万象を操作し、真理を推し量る。
世界の根源を解き明かす粒子加速器。
学園都市能力者第一位、その名実が真実であった頃の時代がここに返る。



「ここから先は一方通行だ。
 悪いとは言わねェ。
 謂われなく乞いも聞かないまま、オマエらの存在する価値ごと、ゼロになるまで殺してやるよォ!」



其の能力名は、一方通行(アクセラレータ)。


最強の字名を欲しいままにした異能の全開が、ここに解禁された。





泥団子のような呪いの塊が投げつけられる。
軽く手首を捻るだけで一瞬で、その全てが異常な方向に跳ね上がった。
こうして泰然に、脱力した姿勢でいる今も、赤黒の触手は一方通行に伸びている。
生き物を敏感に察知し、味を舐め上げようと涎を垂らしながら飛び出す何枚もの舌。
その全ては、肌に触れるより前に停止し、ねじ曲がって、下方向に叩き潰された。
衣服に触れるのも叶わず。飛沫ひとつかかることすらままならない。
身をよじりうねらせながら消える様はさながら、罪人が苦悶の叫喚を上げながら死に行く様に見えた。

泥の解析が済んだわけではない。
今まで通り、物理的な衝撃波による迎撃。
違うのは、そこに込められた力が先とは比較するに値しないだけの破壊力をもたらしている点だ。



弾く。
押し出す。
汚濁を一方的に微塵もなくなる程に消し飛ばす。

白貌が孤軍でせせら笑い、大軍を蹴散らしていく。
圧倒的に陣を埋める黒が、ただひとつの白を染め上げられず拘泥している。



これが第一位。
これが最強。

これこそが―――一方通行(アクセラレータ)。



科学によって産み落とされた、絶対という概念に最も近い位置にいる能力者。
その一端だけでも存分に振るえれば、この世は震え、悪は散る。



「終わりかよ。
 なら、もう攻めるぜ?」

零度に冷え込むような凄絶な笑みを、塔の上で磔にされてる少女にぶつける。
視線はおろか形のない声すらもが、殺意に濡れて滴っている。

感情の閉ざされたままの宮永咲は、果たしてそれをどう受け取ったか。
答えは闇に呑まれたままでも、結果として撃退の陣は起動された。
膨張する蕾の爆弾。花開くと同時に空間を塗り潰す黒色の改変。
変わるのは戦勝のルール。嶺上の掌握を確定化する豪運の魔法。
一介の少女を盤上の魔王に引き上げさせる絶対権能が解放される。



「またソレかよ。まァ確かにオマエの生み出すルールはまだ理解できてねェ。
 その中でなら俺にだって無敵を貼れるかもなァ」

すぐ傍で溜め込まれる悪意の波動を目にしても、動揺の素振りはない。
恐れる必要はないのだ。対策の構築は済んでいる。
足りなかったのはたったひとつ。「それ」には多大に時間が必要だった。
そして欠けたピースが揃った今、条件は全てクリアされてる。
ルールそのものに干渉できないのであれば、いっそ―――

「だったら、こういうのはどうだよ」

何のことはない動作。
両手を大仰に広げる。
天を仰ぎ見るように大きく上体をのけぞらせる。
それだけで―――世界は天変をきたした。



一方通行を基点にして渦巻く風。
風は轟然と勢いを強めていき、五秒と経たない内に嵐へ変わる。
すぐにハリケーン級にまで風速は回転していた。
台風が頻発する地域ですら、これほどの大型のものは観測されていまい。
範囲は展示場の内部だけ。局地的の超大型災害が突如として現出される。

有形無形、質量の軽重を問わず全ての物質が浮き上がり螺旋を描く。
大地に強固に張り付いていた根は引き剥がされ、本丸たる大樹そのものにも何重もの裂傷を刻み付けていく。
嵐が運ぶのは泥のみでなく、辺りに投棄された展示品、崩れた会場の瓦礫を巻き込んでより被害を凄惨にした。
牌であったらしきモノ、賽子かもしれなモノも何もかも飲み込んで、範囲は絞られたまま規模だけを拡大させる。

ベクトルは無限に加速し、一帯の空間を断層する。
たった一人のヒトガタがそこにいるだけで、空想の災厄は現実に書き換えられる。
あらゆる生命を許さない異界。それは、己の『敵』である世界に向けられた言葉なき叫びなのか。
混沌した隠滅の舞台に展開されたのは、天上天下を貫く怒りの号砲だった。

「そォさ、簡単な話だったンだ。
 ルール操作してこっちを縛るってンなら、ルールそのものをブチ壊しちまえばいいンだろうがっ!!!」

場の流れではなく、周囲の物理全てのベクトルを滅茶苦茶に捻じ曲げることでルールの土台となっている会場を物理的に覆す。
なんとも乱暴で荒唐無稽な方法は、しかしこの場合には実に有効となった。
宮永咲達の起こす奇跡に等しい運気の力は、卓上というホームでのみ機能し得る小規模の現象だ。
反則、イカサマと呼ばれる行為も、あくまでルールの間隙を突いて試合に勝利する方法のひとつでしかない。
こんな、試合を放棄して暴動に走る行為には、一切の強制力を発揮することはできないのだ。

それこそ究極の反則行為(ルールブレイカー)。
完全復活した一方通行ならではの、暴虐極まる勝利への方程式だった。



身を削られる烈風の直撃を受けていながら、しかし呪いの大樹の根本は崩れない。
押せば沈む泥の肉でいながら、その堅牢さは古の城壁も及ばない。
取り込んだ流体は何故か動きを鈍らせているが、ここまで一体となれば関係ない。
嶺上の台頭を妨げられてはいるが、最上級の聖遺物の神秘は風の刃如きには掠れない。
破壊はあくまで表面的なもの。体を形成する泥の量は損失を補って余りあり、核となる宮永咲にも致命的な損傷は及んでない。

意志の消えた装置と化している宮永咲は、その状況をただ無感情に俯瞰している。
怯えや怯みといった人間的な情緒は切り離されている。故に自らの身を危惧し手を緩ませる隙を生むなど起こり得ない。
機械の本能はただ認識し対策する。
気勢は乱された。
変わってしまったのなら、また変えればいい。
幾ら風速が上がろうとも聖杯を完全に破壊するのは不可能だ。じき一方通行は次の手を取る。
その時には再び支配は戻る。決定打となる一撃をもらうより先んじて場を操作できる。

ただ能力を吐き出す塊になった咲には、知性も知恵も知識も失われている。
残った本能だけで、僅かに残った望みのままに意志(ゆび)を伸ばす。
それは逆説的ながらも、人間の領域の極みとされる無我の境地に達した結果。
不要な生物機能を排すことで全ての潜在力を引き出し、過去最高潮の能力の冴えを見せていた。

心は記憶の彼方に置き去りに。
記憶は楽しかった頃の過去を回帰して、そこで停まっている。




だからこそ。
もう彼女ではないソレは、決定的な破滅の最後まで気づかない。
知識もなく知恵もない姿では察する事すらもできないでいる。
法則を破壊する宝具(ちから)は、白い超能力者のみの特権ではないことを。





豪風にも剥がされないほど野太い木の幹、聖杯を地盤にがっしりと支える気根の一部が弾けとんだ。
奮える根は膨張と収縮を繰り返し、繋がっている聖杯との波長を激しく掻き乱す。
異常の集大成のような泥樹にあって、なおわけても特質な変化。
それは生物に例えるなら、飲み込んで胃に収めた食物が死に至らせるほどの劇物を含んでいると知り、
内臓全体が必死に吐き戻そうと胃液を逆流させようとするような……

死から逃れようとのたうつ様も、その瞬間には無意味となる。
既に中の毒(し)は、免れようのない段階まで浸透している。



恐慌を止まぬ黒体は、実像を保っていられる限界を超えて紙絵のように引き裂かれ、中にいたモノが表れる。

穢れのない和の紬。
肩口に切り揃えられた絹の黒髪。
相貌に宿りし魔眼が視た箇所には、存在の始めから内在される"終わり"の疵痕。
たおやかな指に握られるのは、ひどく歪に捻じれ曲がった、虹色に光る短剣。

宝具の名を、破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)。
コルキスの魔女の辿った裏切りの人生の象徴。遍く魔術的契約を初期化せしめる究極の対魔術礼装。



狂嵐が荒ぶ視界のない場所で、淡く光る双つの蒼光。
破戒と直死。魔を破るふたつの刃を携えて、両儀式は戦場に帰還を果たした。



「――――――まさか、な」

言峰綺礼は瞠目する。
大竜巻に巻き込まれない為に、聖杯の中心部にいる自分の立つ九歩手前。
先程と同様の剣戟の範囲内。
肉を焼かれ骨を焦がし魂を融かす、呪いの具現化である泥に沈んだのにも関わらず。
アンリマユを内側から突き破って出てきた殺人鬼の姿には、言峰もが息を呑んだ。

前例は、ある。
泥に潜む怨嗟にも消化しきれない圧倒的自我によって不純物として廃棄された黄金の王。
一度は自身のみで、二度目は投影した奇跡によって干渉を退け、己の胸に短剣を突き立てた、剣の英霊のマスター。
そして、言峰自身もこの泥に受け入れられ蘇生を果たしている。
だから彼女が同様に打ち破ってくるのには、驚きこそあれ気を揺らがせることはなかった。

完全な『悪』をも殺してのける直死の魔眼。両儀。それへの畏怖はない。
そんなことが、問題なのではない。


「泳いでここまで渡ってきたのか。あれの中を。
 私を殺すという目的だけで……!」

狙いすましたように言峰の近場に落ちたのは、決して偶然ではない。
悪だけが詰められた臓腑の中に潜り込んで、掻き分けて、
確実に言峰を斬る間合いに入るため、この泥を利用したということだ。
直死の魔眼の絶対性。アンリマユの死を見切った事実。「 」に至る器。
それら全て、彼女の行動を前にしては単なる付加物でしかない。

式は何も語らない。
口を広げ息を荒げた、苦しげな呼吸。
腹部に叩き込まれた拳打の傷は今も残っている。
ただ眼だけは一切萎えていない。
研ぎ澄まされた抜身の刀じみた殺気が言峰を貫いて離さないでいた。

短剣を腰に戻し、空になった手を宙に置く。
その手にまるで自らの意志で持ち主の招集に応じたかのように、黒風に流されて降ってきたデイパックの持ち手がかかる。
式は横を見ないまま開け口から覗かせていた先端を掴み、流れるようにその剣を引き抜いた。


「……あるのはこれだけか。
 使いたく、なかったんだけどな」

刀類は日本刀。鍔があり、反りのある形状をしている。
だがその刀身は異様なほど長かった。
平均よりもやや高い式の身長も届かない、恐らくゆうに二メートルは超している。
これでは相当の巨躯でなければ、鞘から抜くだけでも苦労する長大な刀剣だった。

この剣を本来預かり振るっていたのが、今これを有する式と変わりない女の身であると、誰が信じられようか。
無論その持ち手は唯人に非ず。
奇跡の人と同じ造りを持って生まれた現代の聖人。
苦難に満ちた信仰の希望となった、ある英雄の流儀の後継者。


「でもま、仕方ないか」


七天七刀という、貴き幻想にまで昇げられた至刀が、至上の殺人鬼に交差する時。


「絶対に―――許さないって決めたんだから」


ここに物語は、終焉を迎える。





左腰に鞘を差して、柄を握る。
上体はやや前のめりで、右足が一歩前に出されている。
左手は鞘を押さえて下に。右手はゆるりと前方に浮く。
刀身を抜いてからの剣術を表技とするならば、この構えから撃たれるものは裏技。
鞘の内部で刀を走らせる抜刀術、居合と呼ばれる技。

戦国にある侍が編み出した肉体を戦闘用に作り変える、脳の意識変性。
刀を手にすることをトリガーとするこの技術は、即ち翻せば刀が総ての基点となる。

持った刀によって肉体の変革を促すのなら。
刀の構造に合わせて肉体を改造することも可能ということ。

不可能なことではない。
刃渡り。形状。切れ味。
その得物の全性能を把握して自らの肉体の延長とする。否、己そのものへと変えていく。
刷り込まれる新しい自分。知識としてではない鉄の情報が体内を満たす。
創造の理念。構成の材質。製作の技術。成長の経験。蓄積の年月。
そして知るのは、"それ"の力を最大限に発揮させる刀法。
長年に渡って使い込まれた武器に刻まれる、川路の溝のような手順(ルート)に突き当たる。
元来、"それ"は特殊な呼吸法によりもたらされるもの。今まで行ってきたことの延長で条件は済む。

抜刀にはとても不釣り合いな刀身は、肉体の運動を組み替えて補う。
関節を引き伸ばし、血管を締め上げ、内臓機能を停止させる。
そこにどれだけの負担がのしかかろうとも、この一振りのみを完徹するためには躊躇はない。
聖人の力を注ぎ込んで放たれる奥義には多大な消耗を要する。
両儀式の器はそれに耐え得る。後は、振り抜く最後まで体力が保つかどうか。

散々動きを阻んできた触手もこの時ばかりは止んでいる。
代わりに轟と唸る風と瓦礫も、標的である聖杯の中枢が壁となることで邪魔を免れていた。



腰元が捩られる。
柄に指が握られる。



刃向くは拝火教、善悪二元論。
居合うは大陸陰陽道が両儀。

諸々の不安要素、恐れや怯えとは無縁だった。
体の痛みも、心の悼みも、今は忘れる。
この身の全てを一刀に捧げ、「 」になった体は、決められた通りの動きを追想(トレース)する。

用をなす眼球が妖気を捉える。
浮かび上がる死線に、一秒先の剣の軌跡を重ね合わせる。




生を得たが故に、その身には死もまた内包される。
存在するモノである以上、限界(おわり)が来るのは自明の理。



理解せよ。それがモノを殺すという現象(こと)。



この世にカタチを持って生まれようとする、かつて誰にも望まれなかったナニモノか。

自他の望みに依って芽吹いた誕生の兆し。




「アンリマユ……悪神か。売り文句を証明するにはちょうどいいだろ」



そこにある生死の境界を、ここで殺(た)つ。



「―――生きているのなら、神様だって殺してみせる」



解き放つ大太刀。                                

声のない裂帛が、空を叩く。                                

斬り拓かれた唯の一閃(ひとふり)が、邪悪の総てを討ち祓う。







黒き巨大樹に、稲妻めいた断裂が走った。
大地を叩き割るが如し激震が、魔王の居城を一掃する。
過程は省かれ、剣閃が通過した箇所は結果だけを残していく。
屹立した聖杯に深々と穿たれた痕は、端の気根から頂点の先にまで届き切った。
傷は線でなく面状となっており、数千年経とうが朽ちないだろう幹が、左右に泣き別れする寸前に分割しかかる。
剣で斬ったというより、スプーンでくり抜いたといったほうが適切な破壊だ。

傷口からは奈落の闇を思わせる、泥よりもさらに昏い色が覗いている。
それは死の色だった。
闇もない、無という言葉すらありえない螺旋の果て。
記憶流体による防御も、千変万化の呪いの守りも、牌に愛された少女の加護も、この世全ての悪という概念の重さも。
そんなものの一切合切を貫き通し、美麗なまでに殺害してのけた。


居合いを抜く直前の、鞘を納めたままの状態で式は固まっている。
納刀の動作はあまりに自然で、目の前で起きた惨状に霞んで誰にも気づかれていなかった。
直死の魔眼にとって、善悪の秤などなんの意味もない。
カタチを持たない概念であるが故に手出しの出来なかった悪という観念は。
第三の奇跡によって実体を持ち始めた時点で、この異能の前にはただの障害物にまで堕していたのだ。

そして映った破滅の線に打ち込まれたのは、天草式十字教稀代の聖人が出力を全開にしてのみ使用が可能の奥義。
何の抵抗も許されず存分にその力を受け止めてしまった聖杯の被害は決定的過ぎるものだった。
式の放った『唯閃』の破壊は圧倒的の一言に尽きた。
発動に必要となる要素を構成し、直死の魔眼と掛け合わされてその威力は格段に増大された。
複数教義による宗教防御突破の能力を抜いた分の綻びを埋め合わせて余りある絶対殺刃。

それは単なる再現、模倣に留まる域を超えている。
劣るでも勝るでもない、両儀式にのみ可能な必殺の型。
『死閃』は決して名付けられることなく、ただ所以だけを記録した。

真縦に引き裂かれた聖杯の樹が、びくびくと断末魔に喘いでいる。
肉になっていた泥の大部分を失い、損傷は器となっている宮永咲にまで及んでいる。
とうに切り落されていた左腕のあった位置には、ごっそりと陥没して全体が沈みかかっている。
更には通されたのは単なる傷ではなく、直死の魔眼によって捉えられた死の線の上からなぞられた傷だ。
紛れもなく瀕死の状態。なのに樹はまだ崩れない。

それは執念なのか。
知性のないモノであっても、自己の崩壊を潔く認める物質はないと宣言するように。
決定的な柱を壊され、傾いて倒れる間際になっていても存在を諦めてはいなかった。



「なァ? 
 これで敵のターンはオシマイ。ここから奇跡の大逆転、なンてユメ見てるわけじゃねェよなァ?」



―――そんな芥子粒大の希望すらも踏みにじる声が、絶望と共に発される。



いつの間にか止んでいた大嵐。     
塔に磔にされた少女が見たのは、真紅の凶眼を貌に嵌めた、

「カスほどの可能性も与えてやらねェ。ゼロになるまで殺してやるって、そう言ったぜ?
 それでもまだ足掻くってンなら―――」

禍つ音。
新たな風迅が幾重も流れ、ある一点に収束をする。
一方通行の小さな掌に集まる嵐の織。
そこに待つのは嵐も及ばない超自然に潜む殺戮の兵器。
二度目のプラズマ生成はより多くの風を巻き込み、以前を上回る速度で完成される。


「残業サービスだ。くれてやるよ」


線を切る超越の閃光。
黄昏を真昼に書き換える白光の奔流。
既に致命傷の聖杯には、今度こそ凌ぐ術はなかった。


「これでゲームセットだぜクソ神父。
 おっと、試合は俺の反則負けだったか?
 ひはっ。まァ、だからなンだってとこだけどな」




幻想が現実に殺される。腐乱した樹木のように、くの字に折れ曲がる。
冬の一族が妄執の末生み出した第三の法を取り戻す儀式の核。
神秘の結晶の成れの果てが、光の中で焼け落ちていく。

意識もない宮永咲には、己に起きている事態を認識するだけの能力はない。
体を覆う泥ごと炎に包まれている我が身を顧みるだけの感情も残されていなかった。
無価値ではないが無意味な苦痛に濡れた生。
存在の悉くを利用され尽くした少女は、煉獄に続く火にまかれてその幕を閉じる。
僅かに光の灯った、胡乱げに開かれた意識の瞳が映すのは、
赤い目と白い髪をした―――背中に小規模の竜巻を背負って並び立った一方通行。



「遊びの時間はもう終わりだ。
 お楽しみは、向こうで好きなだけやってきな」


目を覆うように出される手。
最後に見えた、三日月状に口を歪めた笑顔は心底恐ろしく。
なのに何故か、とても優しさで溢れているものだと、死に体の彼女は錯覚していた。





夜が明ける。
裂かれた闇の先から光が漏れる。

崩れ落ちる聖杯を、言峰綺礼は落下する破片に臆さず眺めている。

今回も、失敗に終わったか。
残念ではあるが、落胆するというものでもない。
どこかで予感していたなのかもしれない。
こんな風に夢破れ、こんな風に終わるのが言峰綺礼の定めなのだと。
舞台を退場した者に、新たに演じられる劇を止める事などできない。

それに……何一つ無為になった、というわけでもない。
十分に答えに近い者を見つけることはできた。
歪さを抱えたまま悪の道を突き進み、それでも何かの為という願いだけは手放さない狂える聖者。
その末路を見届けられないのは口惜しいが、立ち会えただけでも僥倖とすべきだろう。



「―――満足かね、両儀式。私を殺すことが出来て」

「全然。
 楽しみなんて、始めからどこにもない。
 だいいち、おまえを殺したいだなんてオレは一度も思ってなんかない。オレはただ、」

「私が在るのが許せない、か。
 ああ、その通りだな。
 死人はあるべき場所に還る。ごく自然な正しい成り行きだ」


言峰はもう動かない。
神父の胴体には上から落書きのように黒い線が袈裟上になぞっている。
左胸の黒ずんだ心臓をより濃く塗り潰されて、言峰の体は完全に停止していた。

「死ぬのはこれでもう三度目になるが、なるほど。衰える一方だな」

己の死の淵に対し、特に思うような真似は些かも見せず。
腰から下を置いたまま、半身だけがずり落ちる。

「じゃァな」

追撃に、力を解放した一方通行の魔手が迫りくる。
倒れる先は、男が望んでやまなかったモノである、奈落色の泥の底。

「――――では」

最後に、男は選んだ。
この世界に三度目の生を得て、唯一の選択を行った。
それは『どちらが、殺したか』という判定であり、そして――――







「おめでとう、一方通行。
 君が、――――――――の勝者だ」


言祝ぐ言葉は崩壊の音にかき消され、誰に聞かれることもなかった。















◆ ◆ ◆

5α / メモリーズ・ラスト






地獄のような地獄。
最果ての最低辺。
混沌と屈辱と悪意のスープ。
荒廃しきったこの世界で。
私は腕の中に、一筋の光を抱えている。

「――――……っ、……咲、さん……っ」

堪えていた何かが瞳から溢れ出す。
――やっと、やっと。
あなたを取り戻した。
ああ――。ああ。ああ!
華奢な身体を抱きしめる。ほのかに、あたたかい。
胸に耳を当てると、心臓がドクンと脈打つ音が聞こえた。

あぁ、生きている。

泥に染まる身体が、失ってしまった腕が痛々しいけれど。
でも、生きている。
咲さんが、生きている。
咲さんが、ここにいる。
それだけで、私は。
全部、無駄じゃなかっんだと、思えた。

「よかった……ほんとうに、よかった……っ」

ぴくりと、腕の中の咲さんの身体が震えた。
少し身体を離して、咲さんの顔を覗き込む。
ゆっくりと目を開いた咲さんは……まだ少しだけ虚ろな瞳で私を見て。
首をかしげて私に聞いた。

「泣いてるの、和ちゃん……?」

涙が、止まらない。
悲しみでではなく、喜びの感情で。
私は、震える声で咲さんに答えた。

「いいえ……いいえ! 笑って、いるんです」

うまく言えていただろうか?
それでも、咲さんは一瞬きょとんとした後。

「そっか……。それならいいんだけど」

そう言ってくれたから、私だってそれでいい。

涙を拭い去る。
いつまでもこうしてはいられない。
まだ、やらねばいけないことがある。
それに、時間も多くない……。
私は、咲さんのために出来る最期の役割を……。



「―――っ!?」

びくびく、ずるずる、じるじる、ぞるぞる。
背筋を凍らせる音に思わず振り返る。

目も、鼻もないのっぺらぼう。
ぶよぶよしたゼリーの塊。
ゲームに出てくるスライムみたいな泥の群れ。
それはさっきまで、咲さんを取り込んでいた泥。
バラバラにされた筈なのに、その破片だけが動いている……!?

どうして?
何故?
いや、違う。落ち着け私。
これにもう、知性なんてあるわけがない。
根源だった樹の形をした塊は、さっき砕かれた。
散らばってるのはただの残骸に過ぎないはずだ。

この泥は命を奪うためだけのモノだという。
なら私達が生物だから、それに引き寄せられているのだろうか。

「ぁ――――」

ぴくん、と。
咲さんの小さな喘ぎ声が聞こえた。

「咲さ、―――っ!?」

信じられない、信じたくないものを私は見た。
もうなくなった咲さんの痛々しい左腕。
千切れた腕の先から、夥しい血管のようなものが伸びている。
血の代わりに出てきたのは、黒々とした粘りついた泥。
今もにじり寄ってくるあの泥と、同じ色だった。

「そんな……」

そんな。
まさか。
引き寄せているのは、咲さんの方?
先ほどまでこの泥の核になった咲さんを取り戻そうと迫っている?
体の中に残った泥が、それと引き合っているのか。

「咲、さん……!」

持ち上げようとするが、体は重くてあまり言うことを聞かない。
咲さんが重いのではなく、私の体が思うように動かない。
これでは咲さんを運んで逃げるなんて不可能だ。

……なら。
咲さんのために出来る私の最期の役割は、これしかない。

「咲さん、これを持ってください」
「……何? 和ちゃん」

急がなければ。
早く、咲さんを治療してあげなければ。
その為の手段は手に入れている。
泥と泥が集まり合おうとしてるなら、それがなくなればいい。
これが、最後に残された希望。ぎゅっと、握りしめてから、咲さんに手渡した。

「……お守り?」

寝ぼけたような濁った瞳で咲さんは不思議そうな顔をする。
私は、もう痛みさえ感じなくなってきたお腹を押さえながら、咲さんに伝える。

「咲さんは、悪い、病気のようなものにかかっています。
 それを、治療しなくては咲さんは、いずれ死んでしまいます。だから……これを、」

落とさないように大切に懐に入れていた“それ”を私は取り出した。
神社で売っていそうなお守りだけど、そこに詰められたのは特別なおまじない。
この世全ての悪を退けるための、霊験あらたかな護符。
若干赤い物が付いてしまっているけれど、あの人が言うには少し汚れるぐらいなら平気らしいし、いいだろう。



『……あの子は本当にただ巻き込まれただけの可哀想な犠牲者だからね。
 バランサーたる僕としては、そしてそれを全うできなかった僕としては、彼女を見捨てるわけにはいかないよ』



眼を閉じて思い出す。
……その通りだ。
咲さんは、何も悪くないのだ。
私のようにこの殺し合いに加担したわけでもない。
ただ、利用されただけ。
だから。
死んでいいはず、ないじゃないか……!

「これを握って……それで……」



――――――。



……意識が。遠のく。
流れている血が、止まらない。
少し、あの泥を被ってしまっただけなのに。

近づいただけなら、護符のおかげで大丈夫だったはずだけど。
飛びかかってきた泥は直撃こそしなかったものの、地面に飛び散った飛沫の方は避けきれなかった。
かかった泥はまるでマグマのように私の身体を侵食して、溶かした。
明らかすぎるほどに、腹部を持って行かれた。素人目にもわかる。

もらった護符はふたつ。
自分用のものは、あの時に取り落してしまっている。
致命傷を負った上に、助かる唯一の手段も失った。
もう助からない……死ぬのだ。
私は確実にここで死ぬ。
けれど、それでも構わない。
今になって他人を助けようだなんて考えた、馬鹿な私への罰だ。

咲さんの護符はまだある。それなら彼女は大丈夫だ。
最後に咲さんを救うことができるなら、私はそれで構わない。
だから、最後までやり遂げよう。
私の、この役目を。

「それで……です、ね……。祈って……ください……」
「祈る?」
「そうです……。なんにでもいいから……ただ、祈ってください」

まだ、ぼうっとしたような感じで言葉を聞いていた咲さんは。
お守りに付いた赤いそれを見て首をかしげた。

「……のどか、ちゃん」
「なんですか?」
「……怪我、してる?」
「……そうですね」

気づかれてしまった。
……まあ、いいか。
ここまで来たら同じことだもの。
説明を詳しくしている時間はない。
泥の群れは少しずつ迫っている。急がないと間に合わないかもしれない。
早く、咲さんを救わないといけない。
だから私はあっさりと認めた。

「このまま、死んじゃうの?」
「はい……だから、早く……」
「そっか……そうだね」

咲さんは突然私から離れて立ち上がった。追って視線を上げる。目と目が合った。
黒い。一片の光も、そこにはなく、漆黒に淀んだ瞳で、濁りきって、堕ちきっていた。
けれども、浮かべられた笑みはいつもと変わりない純粋なもので――。
ぞくりと、背筋が震えた。
――とても、愛らしかった。


「えいっ」


そう、一瞬呆けてしまった私の隙を見計らったかのように。
ぽい、と。
咲さんは、護符を投げ捨てた。


「…………え?」


思考が停止した。
放物線を描いて護符は飛んでいく。
心が真っ白になって、体温が冷え切る。
――そんな。
……あれがなかったら!
慌てて立ち上がろうとするけれど、間に合うわけもなく――。
風に乗って護符は何処かへと飛び去って、炎の中に消えて行った。

私の、目の前で。
咲さんを救うための手段が――――。
失われ、た…………?

「あ…………あああああああああああ!!!」
「っと、だめだよ。和ちゃん」

落ちた地点に駆け寄ろうとした私を咲さんが止める。
あぶないじゃない、と私に笑いかけるその顔。
どうして……っ!?
叫びたくなった。
咳き込んだ口から血が漏れる。
言葉にならない。

なんで。
どうして。
助かる、のに。
助けれると思ったのに。
やっと、あなたを助けられると思ったのに!
こんなことじゃ。
私は私は私は一体なんのために……。

「……っ、かふっ……なっ、なんで……どうしてですか……咲さん……っ!」
「あは。ごめんね」

漆黒の瞳で彼女は言った。

「ねえ、『銀河鉄道の夜』……和ちゃんも読んだんだよね」
「え…………?」
「私ね、ずっと思ってたことがあるんだ」

何を話し始めたのだろう。
お腹の痛みも、感じた絶望も忘れ、呆然とする。
読んだ本の話を口にするなんて……。
まるで、いつもどおりの咲さんのようだった。
こんな異常な状態なのに。
平常のように振舞う彼女。
舞い上がっていた私は、のぼせ上がっていた私は、やっと気づいた。
彼女がオカシクなっていることに。


「カムパネルラって、勝手だよねぇ……って」


カムパネルラ。
銀河鉄道の夜の登場人物。
孤独な少年である主人公ジョバンニの数少ない友人にして、物語のキーパーソン。
孤立しているジョバンニと別け隔てなく付き合ってくれる存在。

「もしかして、咲さん……あの泥に――?」
「ジョバンニはね、ずっと一緒に行きたかったと思うんだ。どこまでも、どこまでも」

物語中で、そんな彼と共にジョバンニは銀河鉄道に乗って宇宙を旅することとなる。
旅の中で様々な出来事が起こり、人々と出会い、別れていく。
そんな物語の終盤で、ジョバンニはカムパネルラに言うのだ。
二人きりで、どこまでもどこまでも一緒に行こう、と。
けれど、カムパネルラはジョバンニを置いていく。
それは……。

「私なら、きっとそうして欲しかったな。だって、とっても大切な友達だから。……ね?」


――銀河鉄道とは、『死』へと向かう道行だったから、である。


「行こうよ、和ちゃん。私もうあんな暗い泥の中だってこわくない。どこまでもどこまでも私たち一緒に進んで行こう」
「咲……さん……」

胸が締め付けられるような気持ちがする。
息が苦しくて、言葉がとっさに出てこない。
出尽くしたかと思っていた涙が、零れた。

…………ああ。
ああ!
彼女は言ったのだ。
私に言ってくれたのだ。

あなたが死ぬなら私も死ぬ、と。
死んでもあなたと一緒にいたいのだ、と!

溢れる涙が止まらない。
震える心が止まらない。

ごめんなさい。
きっと、こんなことを言うのはあなたが汚染されてしまったからなんだと思う。
本当のあなたなら、そんなことを言わないのだと思う。
それ以前に、こんな思いはきっと間違っているんだと思う。

だけど。
ごめんなさい。
それでも、私は――。



ありがとう。
――とても、嬉しい。

全て、許されたような気になった。
全てが報われたような気になった。
これ以上なんて、ない。
紛う事無き最高の結末だ。
死んでしまいたいと思うほど辛いことがいっぱいあったけど。
……でも、生きていて、よかった。



咲さん。
好きです。
愛しています。
あなたを知ってから、私の世界は変わった。
あなたが居たから前に進めた。
あなたのためなら何だって出来た。
何の後悔もない、なんて言ってしまったらきっと嘘になるけれど。
あなたが笑ってくれるなら。
――私は、ぜんぶ、それでいい。

だから。
伸ばされた手をとって、私は精一杯の笑顔で彼女に答えた。


「……ええ、きっと。あなたとならば、どこまでも」










……そうして、私たちは取り囲む泥へと飲み込まれていく。
私たちを守っていた護符が無くなってしまった以上、当然の帰結だ。

けれども、決してそれは辛いことではないのだ。
私にとっては。そして、きっと咲さんにとっても。

――だって、こんなにも私に笑いかけてくれるのだ。
幸せでないはずがない。
嬉しい。
最期まで一緒にいてくれる人がいることが。
その笑顔を最期まで見ていられることが。
だから私も最期まで笑おう。

体を包む灼熱の揺りかご。
けれど身を焼く痛みも辛かった出来事も気にならない。
泥のような歓喜が私を覆う。
くすんだ瞳で彼女を見つめて。
繋いだ手を握り合わせる。









ねえ、咲さん。

……私、幸せです。



【原村和@咲-Saki- 死亡】
【宮永咲@咲-Saki- 死亡】

















◆ ◆ ◆



5 / 花痕 -shirushi- (Ⅱ)








時間が、過ぎていく。


『フレイヤ発射まで、残り五分です』


スピーカーから流れだす機械音声。
それは私、秋山澪が勝利するまでの残り時間。
そしていま敵対する彼、阿良々木暦の目的が果たされる可能性の残り時間だった。

とてもとても悪い神父から渡された『鍵』と『情報』は、紛れもない本物だった。

ゲームの行く末。
最終局面を迎えた時、何が起こるのか。
白い聖杯。
黒い聖杯。
神父の目的。
リボンズ・アルマークの目的。
私は、全部を知らされていた。
知っていたからこそ、こうして動くことが出来た。

そして、手渡された、鍵。
ゲームを強制的に終わらせるリセットボタン。
フレイヤ。

『あちら側』に対抗する、『こちら側』唯一にして最強威力の武器。
地上を消し炭にすら出来る、破滅の弾頭の標準は定まっている。
神を名乗るガンダム。
いくら神様が強くたって、この兵器には耐えられない。
そしてもう一つ、黒き塔を崩せば、そこに立つ者達も、連座して消えていく。


最後に、空に浮かぶ城にある、願望の器だけが残ればいい。
それ以外の何もかも、消えてしまっても、いい。
消すことが、ただ一つの勝利条件。
私は、その為に、ここに居る。


「どうする? 阿良々木暦。このままじゃ、時間切れだ」


私は待っている。
時が尽きること、あるいは障害物の影に隠れた彼が動くことを。

手には銃、心には重い重い、一つの思い。
『取り戻す』。
その為に、彼を、殺す。
私の目的の為に、もう一度、殺人という行為に手を染める。

これで、三度目。
一度目は、明智光秀。悪い人だった。
二度目は、福治美穂子。善い人だった。
そして今、目の前に立つ人は、どちらなのだろう。

いや、目の前の人だけじゃない、私は今、全部を巻き込んで壊そうとしている。
地上に居る、生き残る全て。
善い人も、悪い人も、全部。

善と悪。
そこに、やっぱり差異なんて無かった。
例え相手がどんな人だって。
当たり前のように、人を殺すことは、今も怖い。

痛い、と思う。
苦しい、と思う。
悲しいって、どれだけ心を凍らせても、私は思ってしまう。
麻痺する事なんて、どうしても出来ない。
この先ずっと、出来ないんだろう。




だけど、私はこの銃弾を、放つことが出来てしまう。
出来てしまうんだ。



何故なら――――





"――――許せない"




恐怖も、痛みも、悲しみさえも。





"―――その喪失を許さない"





忘れてしまうくらい強い思いが、今、この胸に在るから。












◆ ◆ ◆



『フレイヤ発射まで、残り五分です』


ご丁寧に教えてくれる機械音声を耳にしながら、僕は息を整える。
銃撃から逃げ回るのもそろそろ限界だった。

分かってる。
僕が行かなきゃ始まらないし終わらない。
この勝負は僕が挑戦者の側だから。



「どうする? 阿良々木暦。このままじゃ、時間切れだ」



ごもっとも。
だけど勝算も無しに飛び出す訳にはいかない。
銃を持つあちらの圧倒的優位に対して、無手のままうかつに姿を晒したところで、撃ち殺されるのがオチだ。

部屋中に並ぶ机の影に身を潜めながら、ディパックの中を漁る。
武器として使えそうなものは……真っ赤な槍と、輪刀。
少し考えてから、槍を手に取った。

ファサリナさんが使っていた槍。
名前を、ゲイボルグというらしい。
ファサリナさんが残した説明書を読んだところ、何だか凄い効果が書かれていた(宝具だとか、心臓を貫くとかなんとか)けれど、
残念ながら僕に使いこなせるモノではなかった。

棒術の達人級っぽかった女性に使いこなせなかった物が、僕に使いこなせるワケも無く。
そもそも普通の槍だったとしても、素人の僕がスマートに扱えるわけがない。
つまり折角の宝具が泣いちゃうわけだけど、輪刀よりはまだ使いやすいから泣かせておく事にする。

さて、この武器で、秋山の銃撃をカキンカキンと弾きながら接近してパコンと叩いてノックアウト。
秋山の背後のコンソールを弄ってフレイヤ停止。
なんて簡単に行けば苦労はない。
が、現実は甘くないだろう。

まず、僕には槍で銃撃を凌ぐ力量なんてない。
だからまだ、あと一工夫必要だ。


もう一度、ディパックに手を伸ばし―――



「なあ、阿良々木暦。あんたの『願い』って、なんだ?」


その質問を耳にした。


「ここまで必死に生きて、まだ戦ってるってことは、あんたにも在るんだろ?
 願い。空の上から降りてくる魔法に、告げる祈り。
 無敵の神様をやっつけてまで、叶えたい願望が……」

時間稼ぎかもしれない。
気を逸らそうとしているのかもしれない。
あるいは反応から僕の位置を見極めようとしているのか。
もしかしたら、本当に知りたいのだろうか。

「さっきも言ったけど、私は、取り戻すため、だよ。
 この場所で、失くした全てを、失くしちゃいけなかった全部を、元通りに戻すため。
 だって、絶対にそれは、無くなっちゃいけないものだったから。
 失くしたままだなんて、許せないから。
 あんたは、思わないのか? ……あんただって、きっと死んだんだろ? 大切な、人がさ」

だけど、いずれにしても、答えなきゃいけない。

「……僕は」

「……それとも、あんたも人を生き返らせることなんて間違ってるって、そんな正しいことを言うのか?」


何故なら、僕も、彼女と同じ気持ちを持っているからだ。
目を閉じれば、何時だって、ああ本当に、何時だって浮かんでくる。
消えてしまった誰か。
失くしてしまった何か。
愛していた、全部。
もう、永遠に戻らない。
手に入らない。
少し前までは、すぐ隣に居た人達が。
本当に、本当に、大好きだった、僕の一部。
それを奪われることを、どうして許せるだろう。
ああ、許せねえよな。分かるよ、分かるんだよ、お前の気持ちは。
だからさ―――『人を生き返らせることなんて間違ってる』って?


「……いいや。口が裂けたってそんなことは言えないさ。
 僕だって、できることなら取り戻したい。みんな生き返らせて、ぜんぶをなかったことに出来るなら、それはとても魅力的だ」

僕は正義の味方じゃない。
とても、とても、俗な願い。
単純で、純粋で、愚かでさえある目の前の少女の、当たり前の願望が、理解できてしまう。
痛いほどに、苦しいほどに、良く分かる。

「……そっか。だったらさ、このままフレイヤを発射させるといい。
 その後で私と殺し合って勝てたら、あんたの優勝だ。
 私の持ってるペリカを使えば、きっとあんたの知り合い全員を生き返らせて元の世界に帰るに足りると思う」

負ける気は、ないけれど。
そう言った秋山澪のことを、僕は、阿良々木暦はやっぱり憎めない。
こうやって相手に殺意を伝えておかなくてはまともに人を殺すことも出来ない彼女を憎めない。
だから僕も、まっすぐに自分の気持を偽ること無く口にすることにした。


「いやだ」
「…………」
「僕は、これ以上。誰にも死んでほしくない。誰にも、だ。
 たとえ、友人を、恋人を、大切な人を生き返らせるためだとしても、僕は誰かを殺せない」
「……なんだよ、それ。逃げてるだけじゃないのか? 自分の本当の気持ちから」
「……かもな」

でもさ、って。
一拍おいて僕は言い放つ。

「それでも僕は、あいつらを生き返らせないことを決めた。お前と同じように、選んだんだ」
「……私も、あんたと同じように逃げてるだけだ、って言いたいのか?」
「いや……。逃げてるとか、向き合ってるとか。……そんなものはただの言葉遊びだって言ったのさ!」
「――――!」


言葉と共に、飛び出す。
話している間に準備は終わっていた。
机を乗り越えて、少しずつ移動していた地点から―――秋山の背後から一気に接近する。

「……!?」

机を乗り越える際の物音に、秋山の反応は素早かった。
振り向き、そして放たれる銃弾。
しかし、そこにあるモノは――


「…………人……形?」


衛宮邸で回収していたガラクタが、ココに来て役に立った。
銃弾は囮として投げ入れた彫像(白髭を蓄えた鶏肉屋っぽいおじさん)を吹き飛ばし、少しずれた地点から走りこむ僕に時間を与える。
だけど、その場しのぎだけじゃ……。


「足りないよなあ」


少しだけ遅れたものの、接近を続ける僕へと、今度こそ射撃が浴びせられる。
走る僕の身体のあちこちに鉛が突き刺さる。

「痛ッ……くぉぉぉ……ッ!」

構わず、腕で首と頭を庇いながら突き進む。
幸いなことに、秋山は銃の扱いに慣れてるワケじゃないらしい。
戦うという行いに、そもそも不向きなんだろう。
鋭い痛みが何度も走り、体のあちこちに穴は開くけど、致命傷を負う事は無かった。

「なんで……痛く……ないって言うの!?」

血みどろになりながら近寄る僕に、秋山が一歩下がる、
いやいや、滅茶苦茶痛い。
けど慣れてはいる。
生憎、こっちの強みは痛みへの耐性だけだ。
人形で凌いだ時間と合わせて、ギリギリで、辿り着ける、辿り着いて見せる。

「―――ッ!!」

銃を持っていない方の手に、秋山は何かを持っていた。
それが、彼女の奥の手、ってことだろうか。

―――剣。
幾度も湾曲した刀身、アレは確か……ショーテル、ってやつか。
僕が握る槍以上に、使いにくそうな武器だけれど。
戦い慣れてない少女に果たして扱える物なのか。

「!!」


なんて侮りが僕の頭をかすめた瞬間。
ショーテルの刀身が赤く、紅く、染まり始めた。
加えて、シュウシュウと空気が熱される音と共に、煙が上がる。

違う。
ただの『変わった武器』じゃない。

少女の細腕で、振りぬかれるショーテル。
どういうことだ?
早すぎる。
まだ僕は、剣の通過する範囲に居ないぞ。

扱いなれない武器に振り回されたのか。
いや違うと、気づいたときには遅かった。
秋山の握るショーテルの柄。
トリガーのようなものが見えた瞬間、身を捩って避けようとしたけれど、既に射出は行われた後だった。


熱された刃が柄から放たれ、飛来する。


技量の無さは単純に得物の威力で相殺する、ということらしい。
秋山の握る剣は僕の槍と違って、誰にでも使えるように調整された物。
武器の差で、明らかに、僕の、不利だ。
だったら――僕に取れる―――手段は―――なにも、ない、から。



「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッ!!」



飛び散る血。焼ける肉の匂い。
勝負は、既についていた。

高熱の刃が、僕の左肩口を貫いている。
気づけば全身、血まみれだった。
普通人なら痛みで気絶、ショックで絶命してもおかしくないほどの傷を追いながら。


「……捕まえ、た」


僕はただ歯を食いしばって、秋山の目の前に、立っていた。




「……あんた、いったい、なんなんだよ」
「――ああ、お前には言ってなかったっけ」


襲い来る痛みに耐える。
耐えることに慣れている。
阿良々木暦の最大の武器。
そして、その理由こそ、勝負を分けた僕らの差異―――


「……ただの人間モドキの吸血鬼崩れさ」


ああ、そういえばもう一つ。
こいつに、答えてない事が残ってたっけ。



「――――――――」



だから目を見開く彼女に、ソレを告げて。



「だったら、私たちは……」

「ああ、宿敵って、ことかもな」


残った右腕に握る槍の柄で、思いっきりぶっ叩く。
吹き飛ばされる秋山を見ながら、
なんか僕、ここに来て女の子に叩かれたり、女の子叩いたりばっかだな……なんて、思った。





◆ ◆ ◆




そうして、勝負は決した。
いや、最初から決まっていたのかもしれない。


「がッ……ぁ……っ……」


カランと音を立てて、床に刃が転がる。
阿良々木暦の左肩から抜け落ちた、ショーテルの刀身だった。

血が飛び散ることはない。傷口は焼かれている。
代わりに、焦げた匂いが辺りに漂った。

「あ゛……づ……」


阿良々木は左肩口を抑えながら、数歩、後ろに下がった。
息を整え、床に倒れた秋山澪を見下ろす。
うつ伏せに倒れた少女は動かない。
気絶しているのか、戦意を喪失しているのか、阿良々木には分からない。
分かることがあるとすれば、

「時間が……無い……くそっ……」

澪から視線を切り、振り返る。
背後には、モニターの塔。
その麓にあるコンソールの集合体。

『フレイヤ発射まで、残り1分です』

部屋に響き渡る機械音声は、無情なリミットを告げていた。
コンソールに飛びついて、キーボードを叩いたり、適当なつまみを回しても、意味があるとは思えない。

「それでも……諦めるわけには、いかないよな」

残り時間は六十秒。
出来ることは限られていた。
目立つ装置を探してみる。秋山澪が触っていた部位。モニターの示す表示。
考えられる全部を試し―――


「……おいおい」


残り時間は三十秒。
試そうにも……全て反応しなくなっていた。
コンソールの操作が、何一つ受け付けられない。


「……まさか」


残り時間は十五秒。
機械のロック、あるいは、故障か。
事実は、明らかに、単純な真実を示していた。



「冗談じゃない!!
 みんな、死ぬんだぞ、ここで!! 僕が止められなかったら……!!」


そう、勝負は決していた。
最初から、阿良々木暦に、何かを変えるチャンスなど、用意されてはいなかったのだ。







「……は」



十秒。
背後から聞こえた笑い声に、振り返る。


「……は、ははは」


五秒。
少女の泣き笑いが木霊する。
立ち上がりながら、涙を流しながら、秋山澪は宣言する。


「私の勝ち、だ」


ゼロ秒。


「消えろ神様。ざまあみろ」



最初から決まっていた顛末が、訪れる。



『フレイヤ―――発射』



神を殺す一撃が今、ひとりの無力な少女の手によって、放たれた。
























【 2nd / DAYBREAK'S BELL -END- 】



時系列順で読む


投下順で読む



338:2nd / DAYBREAK'S BELL(4) 両儀式 339:3rd / 天使にふれたよ(2)
一方通行
言峰綺礼
阿良々木暦
秋山澪
宮永咲 GAME OVER
338:2nd / DAYBREAK'S BELL(3.5) 原村和 GAME OVER