麻雀残酷物語(前編)◆LJ21nQDqcs
無残だった。
哀れだった。
惨敗だった。
目も当てられぬほどの有様だった。
この日、カイジの被った被害は、おおよそ25000スタートの麻雀とは思えないほどの有様であった。
時間にして一時間。
衣とカイジの半荘勝負は、終始衣が主導権を握ったまま終了した。
それでもカイジがなんとか四位終了を回避できたのは、
NPCハロ演じる紫炎姫が、衣から親の倍満直撃を受けてトビ終了したためだ。
「@@@@@@@@!」
奇妙な機械音を上げて紫炎姫ハロがおどけた爆発演出を披露し、
YOU WINのテープを紙吹雪とともに衣に浴びせる。
それまでの衣であれば、飛び上がってハロと戯れるであろうその演出を、衣は泰然として受け、
精神を極限まですり減らし、卓に突っ伏したまま半気絶状態のカイジを見やった。
一旦正しくハコテン、持ち点をちょうど〇点にされたカイジは、
マイナスに突入しなければハコテン、つまり首輪爆発にはならないと言うルールに助けられつつも、
リーチすら出来ぬまま衣の連荘を黙って見続け、なんとか起死回生の手を上がり一息つくも、
すぐさまのどっちハロに早上がりでチャンスを潰され続け、衣の爆発的な手に火傷を繰り返し、
気がつけば先程稼いだ点数を殆ど吐き出した。
衣とのどっちハロの、コンビ打ちとも言える連携に、カイジは完全に翻弄されたと言える。
通常の人間であれば東場だけで席を立って逃げ出そうとし、
首輪の爆発によってその命を奪われていたであろう。
カイジは不屈であった。不撓であった。最後の瞬間まで勝利を諦めなかった。
つまりは諦めることを諦めた悪あがき。
それこそがカイジの真骨頂であった。
しかし利根川を引きずり出し、そして未来には兵藤をもおびき出したカイジの悪あがきですら、
衣の確率操作とも言える場の支配には、全くと言っていいほど及ばなかった。
当然である。
馬に長距離走で勝てるだろうか?
象に綱引きで勝てるだろうか?
チーターに短距離走で勝てるだろうか?
衣はおおよそ麻雀においては、サバンナのチーターであり、草原の汗血馬であり、狂乱の巨象。
イカサマという利器を、知恵を、武器を使えぬカイジが及ぶはずも無かった。
さらに言えばこれは麻雀でありながら、遊びや勝負ではなく、競技。
麻雀を、純粋に、極限に、他の要素が全く混じらないまでに昇華させたこの場において、
衣は競技麻雀のみに純化された、まさにサラブレッドであり、
カイジは馬蹄も鐙も鞍も手綱もなにも付けぬまま放り出された、哀れな駄馬。
勝てる道理が無い。
もう一度言おう。
勝てる道理が無いのだ。
とはいえ、衣は未だ全力ではない。
力の源泉である月は地平よりいでたるを知らぬし、
出ていたとしても、その月は真円ではない。
さらに太陽が世界を支配した今では、衣は力の全てを出し得ない。
衣いわく「まだこちら側の領域」の状態。
カイジが付け込む隙は、たとえ勝てぬであろうと、まだかろうじてあったはずだ。
ならば何故、ここまで翻弄されたのか。
◇
この男、しばらくは立ち上がれぬであろうな。
衣はとりあえず一万ペリカを支払って麻雀セットを手に入れると、
卓に突っ伏したまま、何かを掴もうとするがごとく手を腕をもがき喘いでいる男を見た。
ただひたすらに哀れ。
だがこの半荘。
この衣に立ち向かう気概、気運、奮起。
それだけは評価できよう。
この男の打ち筋は過去に蹂躙した、とある雀士に似ていた。
だが、果たしてそれが誰だったのか、どのような名前だったのかは思い出せない。
確かニュアーだのダシだのと吠えていたような記憶があるが、もとより名などに興味はない。
だがこの地に呼び出される直前、清澄の嶺上使いによって、
蹂躙されるだけの人間たちにもそれぞれ個々の打ち筋があり、
個性があり、考えがあることを衣は教わった。
故にこの男に麻雀勝負を挑んだ。
この男は本当に殺し合いに乗ったのか、
人殺しをするような男なのか、アレは突発的な事故、もしくは正当防衛だったのか。
その本質を見極めるために。
この半荘の内にあるひとつの疑念が浮かんだが、とにかくも試みは功を奏した。
この男、カイジの魂に一欠片も曇りはない。
勝利を掴もうとする悪あがきには驚嘆するほどの執念を燃やしていたが、
それで他人を突き落とそうだとか、陥れようだとか、そんな思いは隠されてはいない。
ひたすらに直情的で、直線的で、無謀で、無手勝で、
それでいて考えることをやめず、諦観とは無縁の、そう、挑戦という暴力にとりつかれた男。
それがこのカイジという男なのだろう。
非常に危うく、あやふやな性ではあるが、この半荘において絶対的な敗北を与えた今、
衣に対抗しようとすることはあっても、それを理由に危害を及ぼそうとはしないであろう。
やるのであればこちらの領域、つまり麻雀で勝負を仕掛けてくるはず。
ならばカイジは、少なくとも衣にとって無害な男に成り下がった。
このギャンブルルームにおいて、イカサマの介入が不可能な場において、
衣に勝ちうるはずも無し!
そして全力で麻雀で戦った今、この男と衣の間には特別な絆が生まれたはず。
元より、いまはこの男しか、頼ることの出来るものはいないのだ。
ならば少し様子を見てから、グラハムとも話していた計画を実行に移すことが出来る。
そう考えると、衣の胸中はなんとも言い難い恍惚と、そして不安に苛まれる。
果たしてうまくいくのだろうか。うまくいって欲しい。
「で、どうするのだ。もう半荘続けるのか、それとも終わりにするのか」
サングラスをかけた黒服の男が言う。
知れたことを聞く男だ。きっと杓子定規にしか動けぬ木偶であろう。
「一目瞭然。歴然。明白。見よ、対面に座った男の有様を。アレが続行を願う姿に見えるか」
黒服はゆっくりとカイジを観る。未だ貴奴は突っ伏したままじゃらじゃらと牌を弄んでいる。
驚愕。納得。冷笑。侮蔑。
黒服は無表情を張り付かせ直すと踵を返す。
「回復したら即ギャンブルルームを出るように。ここは勝負をする場で避難場所ではない」
「嘉納した」
多少の躊躇、戸惑いが足取りに見えたが、
おそらくは今言った言葉をすぐには理解出来なかったのであろう。
そうだ、あと一点、用事があった。
背中を向けた黒服に今一度語りかけを試みる。
「ところでひとつ、頼みがあるのだが」
◇
「うあああああああ…!畜生…!畜生…!あのガキぃ…!」
俺はスィートルームのベッドの上で突っ伏していた。
赤っ恥…!後悔…!慚愧…!
枕に顔を埋め、シーツに爪を立て、手足をバタバタとまるでゴキブリのように…!
いくら思い返してもあの
天江衣と言うガキは有り得ない…!異常…!イカサマ…!
対局中、俺に対する、あの虫けらを踏みつぶすかのような、あの圧倒的存在感…!
俺の身体が立ちすくむ…!身じろぐ…!そして、あらゆるものを平伏させるあの威圧感…!
それに気勢を削がれて、あっという間にハコテン…!
しかもマイナスになるのを見逃された…!わざわざ、一役下げて…!
弄ばれた…!それが一番の後悔…!
「チクショオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
枕に口を押し当てた程度では抑えきれない絶叫、怒り、自嘲。
散々悔しさを枕と部屋のありとあらゆる家具に八つ当たりし、ようやく落ち着いて時計を見る。
11時30分。
つまり三十分もここでジタバタしていたと言うことだ
なんという浪費…!なんという失態…!なんという思考停止…!
例えば、この三十分で他の参加者がよう、とこの船にやってきていたとする。
三十分もあれば、一室で絶叫している自分を見つけることは十分可能…!
鍵も掛けてないこの部屋の扉をラッキーとばかりに押し開き、
自暴自棄に陥っている自分を、例えばトカレフでバン!と一発…!
それでゲームオーバー…!それでおしまい…!どうしようもない、あと戻り不可能の状況…!
そうはならなかったのは単なる幸運…!平和ボケと取られてもしょうがない、お粗末な危機管理…!
「あ~酒飲みてぇ…」
ゴロリと寝返りをうって天井を見ながら呟く。
キンキンに冷えたビールがいい。
冷凍庫で冷やしたグラスにとっとっとっと注ぎ、
たっぷりの泡とともに、喉に注ぎ込まれる黄金の液体。
食道に、胃に、肝臓に染み渡る…!
口の周りに泡をこびりつかせて喝采を上げる…!
その達成感…!幸福感…!酩酊…!
酒の力を借りて、全て忘れてしまいたい。
あのガキに負けた事実。ベッドの上でジタバタしている状況。…利根川を殺した罪。
なにより、この狂ったゲームに放り込まれた自分。
だが、
それは諦めだ。逃げだ。
なによりこんなところにぶち込んだアイツら…主催者をぶちのめすことが出来なくなる。
これはどうしようもなく情けない自分に対する怒りを、主催者へ転嫁したわけではない…!
これは、人の尊厳を…!命を…!死を…!
軽視し、奪うことに何ら躊躇しない奴らへの、
正当なる怒り…!そして裁きだ…!
ベッドに腰掛け、両手で顔をゴシゴシと擦り、ようやく頭がハッキリしてきた。
ぼやに包まれていた脳の中が晴れてくる。
エスポワール号で、スターサイドホテルで、帝愛の喉元で、
起死回生を誓い、切り抜けてきた理想の状態に近づく。
そうだ、絶望的な状況なら既に経験済みだ。
ならば後は切り抜けるのみ…!
決意も新たにしたその時、ドアをノックする音が聞こえた。
トントンと二回。しばらくして慌てたようにトントントンと三回。
音からして叩いている位置はかなり下。
つまり…
扉を開けて飛び出てきたのは、自身の身ほどもあるぬいぐるみを大事そうに抱きかかえた、
腰まである金髪と、頭を飾るフザケた赤いうさみみリボンが特徴的なガキ。
天江衣だ。
■
天江衣は荒れた部屋の中を見渡すと顔をしかめた様子だったが、
俺に向き返り、ベッドに、つまり俺の隣に腰掛ける。
先程までの威圧感など欠片もない。
驚くほど華奢で小さい、クソガキでしか無いように見える。
「カイジ!先程の対局は楽しかった!」
俺の方を向いて満面の笑顔でそう言う。
そりゃアレだけ好き勝手暴れて大勝ちすりゃ、そりゃそうだろうよ。
誰だってギャンブルで大勝ちしてりゃはしゃぐ。
それが文句なしの完全勝利だったら、なおのことだ。
だが、天江衣は視線を逸らすと、ひたすらモジモジしてこう続ける。
「それで、お前とは、麻雀を通して、戦った、わけ、だから」
一世一代の大勝負に出るかのように、慎重に、緊張して、
一言一言、一言一句。噛み締めるように綴る。
「衣と!」
真剣な顔をして俺の顔を見る。
「友達になって欲しいのだ!」
は ぁ ?
■
その真剣な表情から、嘘とか冗談とか、そういうものではないと分かる。
いや、騙しているかもしれないが、ここでこのような嘘を付く必要も特に見当たらない。
だとしたら尚更、理解不能だ。いや、理解不可能だ。
だったら何故あんな踏みにじるような麻雀をする。
だったら何故あのように相手を威圧する。
友達ってのはイーブンな関係だろ?
片方が威圧して俺たち友達だよな!なんて言うのは、そりゃ友達じゃないだろ。
そりゃただの奴隷と主人だ。
鎖と首輪をつけて、こいつは友達ですって、そりゃ成り立たないだろ。
例えばこのゲームの主催者が俺たちのことを友達とか言っても、
ふざけんな、てなるだろ?それと同じことだ。
それをこのクソガキは、やっている。おそらく無自覚で。
「お前な、そりゃ無理ってもんだ。俺はお前に叩きのめされた直後で、リベンジを誓っているんだぜ?
つまり俺とお前は敵同士…!到底友達なんてものにはなれないな」
呆れたように、言い放つ。絶縁宣言だ。
天江衣は突然泣き出しそうな顔をする。
流石に罪悪感が芽生える。だが仕方ない。こいつとは友達になれっこない。
「衣は、清澄の嶺上使いに、全身全霊、本気の全力でぶつかり、負けて、それで分かりあえた。
友達になれた。だから、グラハムとも話した。麻雀を、通して、友達を、作ろうって」
もはや涙を堪えることも出来ず、ぽろぽろと泣きながら、鼻水もたらして、
言葉も途切れ途切れになりながら、天江衣は続ける。
「麻雀は、人の性が、出る。だから、お前が、本当に、悪党か。それを、確かめたかった!
あわよくば。友達に、なれると思って、全力で!」
それ以上はもはや嗚咽で言葉にならない。
あぁ、そうか。こいつ友達作った事ないんだ。
だから友達の作り方も分からない。相手を踏みにじっても分からない。
人の事は全く言えないが、コミュニケーション能力が大きく欠落しているわけだ。
それにこいつは俺のことを、人殺しと言っていた。
それは全くその通りで、覆しようのない事実であり、俺のもはや隠しきれない罪だ。
だがこいつは、そんな俺を試そうとした。
見極めようとした。
それってつまり俺を信用していた、もしくはしているってことだよな。
出会って間もない、話もろくにしてない俺を、信用するしか無かったってことだよな。
不安だったんだろう。絶望的だったんだろう。
考えてみればあの保護者みたいな軍人のおっさん、グラハムといったか、とも離れ離れになって、
頼れる者もろくに無い状態だった。
エスポワール号に残った他の三人。
俺と利根川と真宵。
その三人にすがるしか無かったわけだ。
なのにおれは、その不安をぬぐうこともせずに、利根川と話し込むことに夢中だった。
挙句の果てに真宵を失い、利根川を…殺し、船の中に人殺しの俺と二人っきりの状況になった。
最低だ。
麻雀で負けたからって、その不満をぶつける筋合いじゃない。
天江衣はあの時、不安で不安で、身の危険で体内がエマージェンシーを叫び続けていたいはずだ。
だがギリギリで踏みとどまり、俺を信用し、信頼し、麻雀で最後の見極めをしようとした。
極限状態でなおも続く信用…!信頼…!
それがどれだけ力強いか…!どれだけ助けになるか…!俺は知っていたはずだ…!
なのに俺は腹いせで天江衣に辛く当たり…!その信頼を裏切り…!
バカか…!俺は…!
極限状態での信用と信頼と、そして見極めを終えて、なおも近づいてきてくれた、この少女は、
間違いなく…!
俺は天江衣の頭に手をやり、くしゃくしゃと撫でる。ふぎゅう、と小動物のように鳴く。
「すまなかった。前言撤回だ。衣、お前は俺の
友達だ…!」
■
抱きついて俺の胸の中で泣きじゃくる衣が、ようやく落ち着いたのは11時40分のことだった。
鼻をぐずっとならして鼻水をすする衣の様子は、本当にクソガキのそれで。
俺は衣の涙と涎と鼻水でぐずぐずになった自前のTシャツを、ばっちぃ感じでつまみ上げながら、
あぁなんていうか、こんなに歳の離れた友達なんてあったもんじゃないな、とやや後悔したが、
まぁそれは一度決めたことなんだから仕方が無いか、と思い返した。
「友達とはいいものだな、カイジ。このように恥も外聞もなく、目の前で泣くことが出来る」
いや、お前さっきぐずってただろ。
とは流石に突っ込まずに居ると、
衣は巨大なぬいぐるみと共に抱きしめていたのであろう、ファイルを二つ手渡した。
ファイルと言ってもコピー用紙の束であり、既にくしゃくしゃになっている。
一方のファイルの表紙には、《UNKNOWN》と書いてあり、もう一冊には何も書いてない。
中身は、なんだこりゃ。東南西北白發中。麻雀牌らしきものが羅列されてある。
「知らないのか?これは牌譜だ。過去の打ち筋を検討する上で役に立つ」
パラパラとめくる。1ページが一局だとするならば、
1ファイル10枚、表紙含めて11ページあるこれは、過去10局の打ち筋と言うことだろう。
単純に考えてほぼ半荘一回分。
「へぇ、なるほど。黒服からもらったのか?」
「いや、1ファイル1000万ペリカだった」
衣は即座に答える。事も無げに。
あぁそうなのか。こんなものにも金がかかるとは、さすが帝愛だな。
いや、ちょっと待て。
「1000万だと?!おい、勝手になにをしているんだ!?」
思わず食って掛かる。
俺たちに残された約1億ペリカは、俺と利根川で必死にかき集めた血と汗の結晶だ。
利根川の遺産と言っていい。
それを勝手に!
「お前はその内半分を溝にすてようと、同士討ちを仕掛けてきたはずだぞ」
いや、それはそうだが。しかし限度と言うものがあるだろう。
大体アレは衣、お前がふっかけてきた勝負であってだな。
「第一、先程の勝負で衣が稼いだペリカは6800万。
カイジが吐き出した2500万を差し引いても、なお4300万のプラスだ。
2ファイル、計2000万使った所で大した事はあるまい」
「あ~」
間抜けな声を出して、納得する。
つまり衣は稼いだペリカを正当に使用しただけにほかならない。
しかし、それにしたってこんなファイルに2000万って。
二億円だぞ、二億円。
「そう嘆くな、カイジ。友との勝負で稼いだ2000万。無駄では無かったぞ」
そりゃ二億円だからな。無駄だったらどうしようもない。
■
「カイジ、友達のお前にだから言えることだが、衣に既に家族はいない」
見張りのために甲板で座っていると、一緒に甲板に上がっていた衣が語りだす。
やや震えながらも気丈に振舞うその声には、この上ない悲しみが綴られていた。
こんな時なにを言えばいいんだ…!
なにも思いつかず、ただ黙って外の様子を眺めるだけしかできない。
あまり意味の無いことではあるが、ギャンブル船の浮かぶ海原のその向こうを見る。
陽の光を浴びてキラキラと輝く水面。ゲームの陰惨さとは無縁のばかみたいに明るい風景。
そしてその海中は、特に濁っているようにも見えないのに、あまり魚も泳いでないように見える。
そして島さえ見えず、水平線がズラッと続く湾の向こう側の眺めは、
仮にここから脱出してもしばらく長い間、船上の人間になるしか無いことを物語っている。
帝愛のことだ。このフィールドの周り、見えないところにも何らかの防御手段が講じられているだろう。
元よりこの忌まわしい首輪をどうにかしなければ、脱出も出来ずに爆殺されるだけだが。
「大好きであった父母を事故で亡くし、母同然であったトーカもあのように首輪を爆破されて、」
衣は次の句が継げられない。まだ納得出来ない、認知出来ない、認めるわけことが出来ないのだろう。
人の死を乗り越えるには時間が必要だ。しかしその時間もこのゲームは与えてくれはしない。
それにしてもトーカって誰だよ。とも思ったが、首輪というからには参加者だろう。
そういえばゲーム開始前に頭を吹き飛ばされた少女は、
龍門渕透華と名乗っていた。
参加者名簿にトーカと読める名前が無いから、多分その少女のことを言っているのだろう。
アレは衣の家族だったか。
「故に頼れるものは最早グラハムと、カイジ。友達のお前しかいないのだ」
頼られるのは悪い気持ちじゃない。
打算が無いわけじゃないが、俺も独りでは心細い。
なにより、人を殺した罪悪感がまだ重くのしかかっている今、
傍にいて、そんな自分を信頼してくれる友が居るこの状況は有り難い。
「無論、衣には他にも友達がいた」
言い訳がましい台詞だ。
「《はらむらののか》、そして《清澄の嶺上使い》、だ。二人とも本当に強い打ち手であった。
ことに《清澄の嶺上使い》はそれまで無敗であった衣を唯一打ち負かし、
衣を孤独の虜囚から救い出してくれた、大切な友達だ」
ちょっと待て。
「無敗って麻雀でか?」
麻雀ってのは運がその要素の大半を占める。
常勝と言われるプロだって無敗と言うわけにはいかない。
いや、そのようなプロですら、ズブの素人に負けることもある。そんなもんだ。
「衣は生まれ落ちてより17年間、ただの1半荘ですら後塵を拝したことはない」
あ~、確かにさっきの感じが常に出せるんだったら、そりゃ無敗だろうな。
さっきはあいつが好きな牌を、好きなときに好きなだけ、手に入れて手を出してあがっていた。
「さきほど言った二人も、おそらくは衣と同じほどの力は持っている。
故に衣は孤独ではないと、悟ることが出来たのだ」
あんなのが三人一斉に卓囲んだら、と思うだに恐ろしい。
俺程度だったら苦もなく蹂躙されるだろう。
「そのような顔をするな。カイジ、お前はかなり強い打ち手だ。衣が保証する。
ただ、あの場が異常だっただけだ」
確かにお前みたいのが居る、ってだけでかなり異常だろうな。
「衣は、詳しくは省くが、今の状況では全力には程遠い。
カイジ、お前ほどの打ち手なら、衣に及ばずとも、あのように蹂躙されることは無かったはずだ」
しかし結果として俺はお前にいいようにやられていた。それは事実だ。紛れようも無く。
「では、何故お前は蹂躙されたのか。答えは単純だ。
あの場に、衣と同レベルの打ち手、」
衣は苦渋に満ちた顔だ。次の句を告げるのが嫌なのだろう。
先程龍門渕透華について語った時と同じだ。
しかし衣は意を決して口を開いた。
「《はらむらののか》がいたからだ」
■
はらむらののか ののか のどっち
あぁなるほど。
「先ほどの対局で、衣は既知の人間二人と対局しているかのような感覚に陥った。
一人はすぐに猿真似をしているだけの機械、木偶だと分かったが、
最悪なことにもう一人は本物であった。すなわち《はらむらののか》、だ」
悲しそうに、だがなぜか得意げに答える。
「《はらむらののか》は世界最高の、いやおそらく世界一のデジタルの打ち手だ。
その対応力、計算能力はすさまじい。
そして衣のもう一人の友達、《清澄の嶺上使い》のツガイでもある」
ん?ツガイ?あぁ恋人とか夫婦とかそういうことか。
アレ?
「その《はらむらののか》ってのは男なのか?」
衣はきょとんとした表情で答える。
「いや、双方ともに女性だが。なにか問題でもあるのか?」
ありまくりだ!
「なんだそりゃ!世界に男と女は半分ずつしか居ないんだぞ?!
それが女同士でツガイって!わけわかんねぇよ!非生産的すぎだぞ、オイ!」
俺にもよこせ!とは言えなかったが。
さらに不思議そうな顔で衣は答えてきた。よし、来い。叩き潰してやる!
「なにを言っている、カイジ。同性同士の恋愛くらい普通のことであろう。
それに同性間でも子供は作ることが出来る。それくらい常識だろうに」
それを聞いて愕然とする。
そうだ、俺たちは複数の世界から来た人間だとかいう結論が出ていた。
しかし衣と俺は、せめて同じ世界の人間だと思っていた。
だが、甘かったと言わざるを得ない。まさに世界が、文化が違う!
「まぁともかく。《はらむらののか》は、そのデジタルの腕で持って、衣ともに場を蹂躙し、
カイジ、お前ほどの腕の人間が、苦もなく敗れるに至った、というわけだ」
しかしデジタルって言うと早和了の安和了って言う印象があるな、と衣に言うと
衣は滔々とデジタルの優位性、有効性、汎用性、優秀性について語った。
最後に、自分は世界一の打ち手だから、並大抵のデジタル派では対応不可能だ、と付け加えて。
お前、麻雀のこととなると、言葉が多くなるのな。
「話が逸れたな。先ほどの対局で《のどっち》が《はらむらののか》だと確信した衣は、
さっさと木偶を直撃でトばし、黒服から《のどっち》"以外"の者が参加している牌譜を買い上げた。
なるべく一局一局バラバラの卓のものを、と付け加えて」
そういうと衣はファイルを留めてあるクリップを外し、甲板の上に牌譜をばらばらと置いた。
「麻雀は四人でやる競技だ。十局分の牌譜があれば、延べ40人分のデータを取得できる」
なるほど、確かに全部違う面子だ。
「しかしものは麻雀だろ?一局程度で何か分かるものなのか?」
さっきも言ったが、麻雀は運が大きく勝敗を左右する。
だからデータを検討するにも、長期的に見なければ意味が無いはずだ。
「なるほど、確かに並みの打ち手ならそうであろう。
しかし、例えば衣は場を支配する打ち手だ。確率や統計など問題ではない。
そして、それは《清澄の嶺上使い》にも当てはまる。衣と同じ地平に、あやつは居る」
懐かしむように、単なる友達に対するもの以上の感情を込めて、衣は語る。
「この40人分の資料を得て、そのような打ち手が居ないか精査したところ、
ひとつの仮説が持ち上がった」
一枚の牌譜を指差しつつ、もう一方のファイルをバサリ、と置く。
「《UNKNOWN》 、それがあやつ、《清澄の嶺上使い》だ、と」
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最終更新:2009年12月31日 23:28