「家探しの話(問題編)」―Life goes on―

利益は正義を作り 正義は利益を生む
How Much is Your Justice?



※  ※

一人のキノ(注、旅人。“魔女の刻印”がついている参加者だけを指す)がB-8の診療所に入っていきました。

黒く短い髪に、大きな目と精悍な顔。
頭には鍔と耳を覆う垂れがついた帽子をかぶり、その上に外したゴーグルを乗せています。
黒いジャケットを着て、腰を太いベルトで絞めています。
背中には支給されたディパックを背負っています。
ベルトにいつも吊っているハンド・パースエイダー(注、パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)やウエスポーチの数々は、今は没収されています。
その代わり、支給されたポンプアクションの散弾式パースエイダー(注、パースエイダーは銃器。この場合は散弾銃)を、いつでも撃てるように携行しています。
逆の手に持った懐中電灯が、診療所の待合室と受付を照らしました。

建物は鉄筋コンクリートのようでしたが、内装には木目調の壁紙が使われ、床のタイルもピカピカに保たれています。
受付窓口には色鮮やかな折り紙の細工や、動物のぬいぐるみが並んでいます。
人気がないながらも、温かみのある診療所でした。

受付のカウンターの向こう側の部屋には、二階への階段があります。
おそらく、二階には主に従業員が利用する部屋があるのでしょう。
受付を無視して通過すると、さほど長くない廊下が伸びていました。
右手には検査室、左手には診察室と書かれたプレートが、それぞれ付いています。
廊下に取り付けられた見取り図によると、検査室の奥にはレントゲン室もあるようです。

キノは、診察室に直行しました。
中に入ると、そこにはひととおりの医療器具が揃っています。
懐中電灯を向けた小さな円の中に、ぴかぴかのガラス棚と、ガラスの奥の『生理用食塩水』と書かれたボトルが映ります。
棚に鍵はかかっていませんでした。

キノはさっそく、家探しを始めました。
医薬品は内服薬、外用薬ともに充実しています。
消毒薬。鎮痛剤。栄養剤。解熱剤。胃薬まで。そして包帯。縫合用の針と糸。
薬品は効能を知っているものだけを選び出し、荷物が膨らまないよう必要最低限の量だけを取り出します。
瓶詰の薬は、小さめの空き瓶に詰め替えてから、その辺から見つけたコットンとタオルで割れないよう梱包しておきます。
錠剤のプラスチックフィルムも、必要な分だけをハサミで切り取って、カバンの底にまぎれてしまわないよう紙袋にまとめます。
そしてディパックの口を大きく開けて、

容量を心配する必要のない不思議なカバンだということをやっと思い出して、

しばらくディパックとにらめっこをして、
「このカバン、帰る時に持ち帰りはできないのかな……」
真剣な声で呟きました。



※  ※

鳴海歩は行動を起こす。

足元に落ちていたディパックを、『鳴海歩に配布された支給品』と正しく認識。
拾い上げると、路上の街灯の灯りの下で、中身を取り出す。
出て来たのは、ルールブックと参加者名簿、懐中電灯、食糧2日分、コンパスと会場内の地図、筆記用具といった、おそらく全員に等しく配られた共通の荷物。

まずは、ルールブックを一読。
先刻の兄の演説と食い違いがないか、演説にはない内容が記述されていないか、それに留意しておく。

次に、参加者名簿を確認。
ミズシロ火澄。アイズ・ラザフォード。カノン・ヒルベルト。浅月香介。高町亮子。
他に知り合いはいない。
しかし、あのおさげ娘(名前忘れた)が呼ばれている可能性も考えておく。

ついでに、支給食糧の日持ちや、コンパスに狂いがないかなどもチェック。

そして、地図を取り出して現在位置を確認。
スタート地点を示す赤い丸は、B-8エリアの診療所の、そのすぐ右に打たれている。
つまり、左手にのびている道をまっすぐ行けば、まもなく診療所に着くらしい。

これで、ひととおり共通支給品の確認を終える。
それらは、まだディパックに戻さずにひとまとめにしておく。
そして、ランダム支給品、すなわち鳴海歩の個別アイテムを探る。

まず出て来たのは、明らかにディパックより体積の大きい、巨大な鍋だった。
……ひとまず、ディパックの構造に関する考察は保留する。
鍋の取ってに、説明書代りのタグがついていた。

『ベーコントマトのリゾットと舞ちゃん特性オリジナルトマトスープ』

『舞ちゃん』という固有名詞に、参加者名簿の『雪村舞』を思い出す。
品目は二つあるのに鍋は一つしかない。そのことに首をかしげつつ、鍋の中身を見た。

鍋のふたを取ると、そこは地獄だった。

そう、それはスープではなく『血の池地獄』。

毒々しい生煮えのトマトの『赤』の上に、タールのような油膜がいくつもの輪を描く。
例えば、『オリーブオイル大さじ一杯』と『オリーブオイルひと瓶』を取り違えるような暴挙をしでかさない限り、こんなタールの色にはならないだろう。
まさか、このタールの上澄みだけを掬い取って『トマトスープ』として出せということなのか。
そして、その『血の池』から先端をのぞかせている『リゾット』の具材は、どう見ても生煮えにしかなっていない。
当たり前だ。こんな深い煮込み汁から先っぽが出ている時点で、この具材のひとつひとつが石ころのように大きいと想像できる。火が通るはずがない大きさだ。
料理することが大好きかつ大得意な少年、歩は思う。

これは断じて『トマトスープ』ではない。これは、『かわいそうなトマト』だ。


見なかったことにして、次なる支給品を取り出す。
次に出て来たのは、見覚えのあるものだった。
竹内理緒の『猫耳ヘアバンドと肉球手ぶくろ』。
……兄の悪意を感じる。
この支給品は、本当にランダムなのだろうか。
任意ではないだろうか。弟に対する嫌がらせじゃないだろうか。

最後の支給品は、それら二つよりはマシなものだった。
ヘルメット。
顔を覆うシールドのスモークがかなり厚い。機動隊の突入にでも使われていそうなデザインだ。
もちろん頭部の防御は可能だろうが、しかしそれ以上の用途があるとは思えない。
強いて言えば、スモークのおかげで顔を隠すことができるという程度か。
……まさか支給品全てがこんなものじゃあるまいし、歩は運悪く(悪意の産物かもしれないが)外ればかり引いたということなのだろう。
全ての支給品をチェックした歩は、それら全てをディパックに戻した。



作業を終えると、夜空を見上げた。
ダイヤモンドの粗悪品を砕いて散らしたような、眩しい星が無数に散らばっていた。
漆のように深い色の瞳が、しばらくの間、満天の星を映す。

「星座の位置関係は日本の秋の空のそれだな。
いくら兄貴の組織力があったとしても、国内の町ひとつを空にして殺し合いの会場に使えるとは思えないが。
……しかし、空気がキレイであることは確かだ。星がよく見える」


そして、歩は立ち上がる。
診療所へと歩き出した。



※  ※

診療室を出たキノは、検査室などには立ち寄らずに階段を目指します。
階段をのぼる前に、カウンターのカルテらしきファイルの棚から、
「ベストの修繕には……細すぎて使えないか。まぁ、あって困るものじゃないし」
ぬいぐるみの補修用らしい裁縫箱から、針と糸をいただきました。
もっとも、こちらは薬品類と違って、必要な分だけを調達しましたが。
ついでに机の引き出しも見るだけ見るかと振り返り、

事務机の上に、四角いノート型の機械が一台、鎮座しているのを見つけました。

それに見覚えがあるキノは、裁縫箱をその辺に置いて机に向かいます。
以前に訪れたある国で、国民が『つながっている』為に使われていた、情報端末機と似ていたのでした。
適当にボタンを押してみました。
待機状態がとかれ、画面が明るく点灯します。
青空が描かれた背景に、何かの用途をこなすらしいアイコンが並んでいます。
端末の横には、コードでつながれた用途不明な丸い部品が置かれていました。
その形は、丸まったネズミに似ていなくもありません。
キノは少しおっかなびっくりに、そのネズミ型のものを動かします。
すると、画面上の矢印がネズミと同じ動きをしました。
キノは、感嘆の声をあげました。
しばらくマウスをぐるぐると動かして、画面上の色んなアイコンを押して、適当に楽しんでいました。

つまりは、遊んでいます。

とはいっても、『マイコンピュータ』だとか『ドキュメント』だとか『ゴミ箱』だとか、その意味するところはキノには分からないのですが。
ちなみに、画面を閉じる方法が分からないので、それらの画面は全て開きっぱなしでした。
「エルメスがいたら教えてもらえるのに……」
機械類に詳しい相棒の不在を嘆きます。

しかし、ある青いアイコンをクリックすると、画面は劇的に変わりました。

大きな画面が新たに開かれ『バトルロワイアル@wiki』という赤文字が、デカデカと表れます。
『参加者名簿』とか『地図』とか、現状と関係のある単語がキノの目にとびこみます。
『地図』の文字に矢印をあててネズミのボタンを押すと、画面が会場の地図に切り替わりました。
その仕組みはキノにとって新鮮なものでしたが、そこに描かれた情報は知っていることばかりでした。
しかし、やがて『したらば』というよく分からない単語がキノの目に留まります。
その文字を選ぶと、画面が大きく変わって、『バトル・ロワイアル専用掲示板』の文字。

どうやら、そこは機械ごしに情報交換をする場所のようです。
キーボードで文字を打ちこみ、『書きこむ』を押せば、掲示板に伝言を書けるのです。
今のところ、書き込みはたったの2件しかありません。
キノはそのシステムを前に、しばらく熟考します。
考えて、考えて、考えて、
「…………予備弾薬は欲しいな」

つたなく指を動かして、キーボードを叩き始めました。



※  ※

鳴海歩は考える。

鳴海清隆が何を考えているのか、それを考える。

いくら清隆でも『起爆装置もなしに人の首を爆破する』ような真似は出来ない。
確かに、清隆は条理を外れた『オカルト』に守られている。
しかしそれは、『清隆は誰にも殺せない』という奇跡だとか、『何もかもが鳴海清隆の都合のいいように動く』というジンクスだとか、
言わば、『神の見えざる手』に乗って動く信仰めいたもの。
『魔法で人の首を爆発させる呪い』とはあまりにも『毛色』が違い過ぎる。
そして、そんな色の異なる手段を用いて、殺し合いを主催する理由も清隆にはない。
鳴海清隆の役割は『人類を脅かす異分子』を、この世界から排除すること。
その排除される異分子とは、悪魔の子どもたちブレード・チルドレンであり、また、人の世の理を外れた鳴海清隆自身でもある。
その計画を遂行する為に、清隆は歩を精神的に追い詰め、絶望を見せようとしていたはず。
だから、今さら清隆が『実験』などを起こして、何を確かめる必要もない。
こんな殺し合いなどを開かなくとも、歩を追い詰める方法などはいくらでもある。
例えば、歩が推測しているある仮説――あのおさげ少女の正体――をぶつけるだけで、歩の心は充分な痛手を受けるだろう。

ただ、万が一、『殺し合いで歩を精神的に追い詰める』こと自体が目的だとしたら、その企みは――今のところ大成功といっていい。

正直、かなりのストレスになっている。
こうやってテキパキと動いているが、その実、なかなかに胃が痛い。
もっとも、『長いこと行方不明になっていた兄が呪いの力を得て帰って来て、家族含めたおおぜいの人間を拉致し殺し合いを強要しました』
という状況でストレスを感じない人物がいたとしたら、そいつはここに呼ばれる前から既におかしくなっているに違いない。
いっそおかしくなれたら、それはそれで楽かもしれない。

けれど、頭は狂うより先に色々なことを考えてしまうし、
そうすると、この狂った企みに巻き込まれた他の参加者のことだとか、
ここで歩が根を上げたときに、鳴海清隆が浮かべるであろ意地の悪い嘲笑だとかが浮かんでしまう。
そうすると『おかしくなっている場合ではない』ということまで理解できてしまうのだ。

だから歩は、即座に支給品の確認をするような真似ができたし、
こうやって状況の打開策を練りながら前に進めている。

清隆にこんなことをする必然性がないなら、この『実験』は清隆の『計画』の外、
ブレード・チルドレンや火澄問題とは無関係、ということだろうか。
この事態が清隆にとってもイレギュラー、という可能性は高い。

大きな根拠は、名簿に死んだはずの『カノン・ヒルベルト』が存在していることだ。

鳴海清隆は意味のない偽証をするようなやり口を取らない。
単に参加者を混乱させて殺し合いを誘発させる目的なら、他に効果的なやり方がいくらでもある。
清隆の言う『魔法』による技術では、『死者蘇生』をも可能とする。
カノン・ヒルベルトは確かに生きて、この会場にいる。
そういう考えの元に動いた方が妥当だろう。
しかし、そんな技術があるのだとしたら、そもそも『世界の異分子を全て殺してしまおう』とする清隆の企み自体がひっくり返ってしまう。
全てが終わった後に安寧な死を望んでいる(と歩は推理している)清隆が、
死人を叩き起こすような技術の存在を知って、その技術に興味を持ち、活用するとは思えない。
清隆が自身の生を望んでいなくとも、清隆の権力、知力、影響力を欲し、その蘇生を企みかねない存在はそれなりにいるのだから。
清隆にとってもそれは不本意なはずだ。そんな技術を見せつける意味はない。
そもそも『どんな願いも叶う』のなら、誰よりも清隆自身が『どうか神の座から解放してください』という願いを叶えたくて仕方がないはずだ。
清隆の言動には矛盾が多すぎる。
それまで何の無駄もなく整えられていた『神の盤面』が、『魔法』という新しい要素が加わったことで、逆に複雑に、矛盾をはらんだものになっているのだ。

ならばこの実験は、清隆の意思とは別の思惑によって動いている、とするのはどうか。
清隆はその『魔法』という技術を持つ未知の相手から『実験』を依頼され、何らかの理由があってその実験に乗っている。

つまり、清隆には『黒幕』ないし『同盟相手』が存在するという可能性だ。

とはいえ、これも歩には納得がいかない。
『あの』清隆に、不測の事態、対等な立場で渡り合える相手、それらが存在するとは思えない、
との経験則もそうだが、何よりの根拠は清隆自身が演説した言葉。


――いずれ、殺される者は殺され、殺す者は殺す。


最初にいた空間で、何かの間違いだと訴えかける竹内理緒に、無慈悲に宣告した言葉。
それは、かつての戦いで清隆が言い残していった言葉と同じものだ。
事態の思わぬ展開に、計画に歪みが出たのではないか、という問いかけを受けて、清隆はそう続けてみせた。
その言葉を改めて口にしたということは、この戦いは『元からの計画』の延長戦として存在する可能性が強い。

「つまり、『黒幕』や黒幕の使う『魔法』という要素に遭遇したことは兄貴にとってもイレギュラーだが、
兄貴はそのイレギュラーを使って、自分の『計画』に新たな可能性を見出した、ってところか……」

とはいえ、断定は危険だ。
あらゆる可能性を疑ってかかれ。
それが歩の思考法、そして戦い方だ。
現時点では、両方の可能性から考えた方が賢明だろう。

しかし、
これが今までの戦いの延長線上だというのなら、
いや、仮に今までの戦いとは次元が異なるとしても、
ならば、鳴海歩には、できることがある。

全ての手がかりを集めて、推理する。
全ての証拠を手元に揃え、論理の力で『殺戮』という暴力を倒す。
つまり、いつもと同じことをすればいい。


診療所が、見えて来た。


地図にわざわざ記されていることから、単に目印としてだけでなく、
実際に『診療所』としての医療設備を備えている可能性が高い、と歩は踏む。
それは、施設の用途に惹かれて集まった参加者と出会う可能性が大きい、ということだ。

参加者との接触は必要なことだ。
仲間と情報。どんな方法で主催を打倒するにせよ、それらは絶対に不可欠。
しかし、ただ一言『仲間をつくる』といっても、アプローチの方法は色々と考えられる。
例えば、あの奇妙な空間で清隆が言っていたこと。

――ファーストネームだけで失礼させてもらうよ。私の身元が知られると、余計な面倒を背負う参加者もいるからね。

『余計な面倒を背負う参加者』――すなわち、名簿に『鳴海歩』とフルネームで書かれており、
清隆が『鳴海清隆』と名乗っていれば、明らかに関係性を疑われていた、歩自身のことだ。
歩の安全を気遣った――わけではないだろう。決して。
清隆本来の『歩に清隆を殺させる計画』(現段階では推測だが)には、歩が必要だ。
しかし、歩の生存率を上げたいならそれこそもう少し使えるアイテムを支給したっていいし、殺し合いに放り込むこと自体が不合理だ。
むしろ、歩に選択肢をゆだねる意味合いの方が大きいと思う。
主催者の弟だという身分を明かせば、それなりに情報は得られやすくなるだろう。
しかし、歩に打倒清隆の過剰な期待をする参加者と、歩に不信感を持つ参加者。その双方が確実に存在するだろう。
こんな状況では誰しも藁にもすがりたい思いだろうし、『清隆の弟』という印籠を持つ歩は、さぞかし魅力的な藁にうつるだろうから。
しかし、歩は『魔女』の知識などを持たないし、“刻印”の原理などさっぱり分からない。
その点では、他の一参加者と何ら変わらない。
大きく損ねられた期待というものは、失望と不信に反転しやすい。
いざ“刻印を解く目途が立たない”となった時に、“期待していたのに裏切られた”との感情論から、必要以上の不和を招く可能性もある。
つまり、『鳴海清隆』を名乗って名簿の『鳴海歩』に参加者を注目させるよりは、それさえも歩の選択として任せた方が面白いと踏んだのだろう。

――とは言っても、歩はそう隠しだてするつもりもない。
どのみち隠せることだとは思っていない。元々この顔は、兄である清隆に生き写しなのだ。
清隆とは16も歳が離れているし、初見の人間に気づかれるほど致命的ではないだろう。
しかし、長いこと行動を共にすれば勘づいてくる参加者もいるはずだ。
ただし、身分を明かすタイミングと相手は機を見ておこなうこと。それを頭に留めておく。
歩としても『あの清隆の弟ならきっと何とかしてくれる』などと、親の七光りのような理由で信用されても、あまり嬉しくないのだから。

思考を続けながら、鳴海歩は診療所の外壁を一周する。
これは、いざというときの逃走経路が何通りあるか、その確認の為。

期待、か……。
歩のことを信じ切っていた小さな少女を思い出す。

――どうか全ての残酷な神を倒し、あたしたちの行く先に、殺戮以外の物語を置いてください。
この身の死以外に罪を償う時間を、どうかお与えください。

夜空を見て、謝った。

「すまないな……幸せな物語をプレゼントしてやれなくて。
だが、あんたの守りたかったものは、代りに守ろう。
あんたの未来を奪った残酷な神は、俺が倒そう」

今はもういない少女に向けて。



そして、歩は診療所に入った。

死角からの狙撃を恐れて、塀に囲まれ窓も小さい裏口から侵入。
裏口は、検査室に繋がっていた。
懐中電灯で照らしながら歩き回ってみるが、人がいる痕跡も、人がいた痕跡もゼロ。
スチール棚に置かれた薬品も試薬ばかりで、特に物色すべきものはない。
隣のレントゲン室も一応のぞいてから、見るべきものはないと廊下へ。

懐中電灯の細長い灯りで照らすと、足跡が続いていた。
まごうことなき、人が侵入した痕跡。

正面入り口から堂々と侵入し、まっすぐ診察室へ。
診察室を歩きまわったらしく、部屋から出て行く足跡はだいぶ薄くなっていた。
その足跡は、二階への階段へと続く。
そして、診療所から出て行く足跡はない。
足跡が途中で完全に消えたのかもしれないが、『実験』開始からまだそう時間は立っていない。
まだ診療所内にいる可能性の方が高いだろう。
おそらく、そいつは二階にいる。
それを頭に留め置きながら、歩はまず診察室へと侵入する。



※  ※

キノは家探しを続けます。
診療所の二階は、主に従業員が使う部屋になっていました。
ロッカールームとリネン室。台所。食堂兼、休憩室。トイレ。シャワー室もあります。
キノは真っ先に台所に入りました。
食堂の棚を開けて、缶詰など日持ちするものや、お茶菓子を優先して回収します。
がめた食糧は、ディパックに放り込んでいきます。
ついでに台所から調達した包丁も一本、布でくるんでディパックに入れます。
小さめの果物ナイフは、すぐに抜けるようベルトに差しました。
そして冷蔵庫を開け、

「……………………これは」

冷蔵室に、色とりどりのフルーツをのせたホールケーキを発見し、

そのおいしそうな、しかしディパックに入れるには日持ちのしないケーキを、
いささか、だいぶ、かなり、恋しげな視線で見つめます。
少し迷った後、食器棚からフォークを取り出し、
家探しを中断して、休憩室のテーブルに座り、
パースエイダーをテーブルの上、いつでも手にとれる位置に置いて、
ホールケーキを丸のまま、もりもりと食べ始めました。



※  ※

鳴海歩はその部屋を観察する。

診察室には、物色の痕跡が濃く残っていた。
薬品棚は、すっかり空になっていた。
真新しいスチール棚の、それでも微かにのこった丸い日焼け跡が、そこに薬品の瓶が多く置かれていたと証明する。
つまり、この場所には診療所としての用途に見合った医薬品が置かれていたが、
歩より先に潜入した者――おそらく足跡の主――によって持ち去られてしまったのだろう。
どういうしかけかあの大鍋を呑みこんでしまったディパックなら、容量の心配をする必要もない。
それに、タイル張りの床には、まだ渇いていない薬品の染みがあった。
傷の手当てをしてこぼしたにしては、瓶の原液をそのままこぼしたような不自然な染みだったし、
ゴミ箱の中身が空であることからもここで治療をした可能性は低い。
おそらく、ここで薬品の中身を移し替えるような作業をしていたのだろうと推測する。
包帯やガーゼが収納されていたらしきダンボール箱も、ことごとく空になっていた。
めぼしいものはあらかた取られていると判断して、歩は部屋を出る。

次に侵入したのは、受付のカウンター奥の部屋。

何故なら、部屋から液晶画面の灯りが漏れていたからだ。

光源は、事務机の上に置かれた一台のノートパソコン。
フタに備品であることを示すシールが貼ってあることから、支給品の類ではないだろう。
椅子に座ると、PCの隣に置きっぱなしの裁縫箱が目についた。
ぎっちり詰められた糸巻きの収納場所の一部に、不自然な空洞。
針山に刺さった針の本数も、針山の大きさに対して少ない。

どうやら先客は、この部屋でも物色を行ったらしい。

階段へと意識を向ける。
侵入者が降りて来る気配はない。

そして、問題のパソコン。
スクリーンセイバーがとけると、幾つものウインドウが目に入って来た。
やけに多くのウインドウが開かれている。
「これは……ネットが繋がってるのか?」
とりあえずドキュメントやらゴミ箱の不要な画面を次々と閉じてから、PCの履歴を確認。
これを操作した先客が何を見たのか、ひととおり同じ手順を踏む。

『バトルロワイアル@wiki』の画面には仰天し、続いて兄のセンスを思いげんなりする。

そして、最後に先客が開いた画面、『バトルロワイアル専用掲示板』へとたどり着いた。

書き込みが、3件あった。

「3:キノ 投稿日:一日目 深夜 ID:8nYRymLQ0
診療所を探索しましたが、医療品はほんの数人分しか残っていませんでした。
病院へ行くことをお勧めします。
ボクの回収した医薬品ですが、求めている人がいれば弾薬やパースエイダーその他武器、食糧などと物々交換でお譲りしたいと考えています。
欲しい医薬品などがあれば、この掲示板で声をかけてください。
ボクの持っているものがあれば、取引に応じます。
安全に取引を行う方法などは、状況によって相談していきましょう。」

それを読み、少しだけ沈黙する。
そして、おもむろにキーを叩き、新たな書き込みを行った。

「4:迷える子羊な名無しさん(sage) 投稿日:一日目 深夜 ID:8nYRymLQ0
てすと」

IDは同じ。
つまり、“キノ”の書き込みは間違いなく、ここにいる先客によって書かれたもの。

鳴海歩は、笑った。
会心の笑みだった。



※  ※

ホールケーキを丸ごと全部食べてしまったキノは、

「幸せだ……ボクは今すごく幸せだ……」

テーブルにもたれ、とても殺し合いの最中とは思えない発言をして、余韻に浸っていました。

しかし、階下からカツンという足音を聞いてはね起きます。

「くつろいでいたいのは山々だけど、やるべきことはやらないと」
パースエイダーを手に取り、開け放しだったドアの近くへと即座に移動します。
先刻から階下で薄々と感じていた気配が、階段を上がって来たからです。
靴音が規則正しく、階段をのぼって近づきます。
靴音を隠そうともせず、良く言えば堂々と、悪く言えば無警戒に上がってきました。
その足取りの軽さから、少なくとも重火器の類は持っていないようです。
(ディパックの中に入っている可能性もありますが、殺し合いの場で相手を見てからモタモタと武器を取り出すような人間はすぐに死ぬでしょう)
キノはドアのすぐそばの死角に立ち、侵入者の額にパースエイダーを突きつける準備をして待ちます。
しかし、足音は休憩室ではなく、その隣のロッカールームへと入っていきました。
ドアを開ける音が聞こえて、閉める音は聞こえませんでした。
キノが隣室へ侵入すべきかどうか一瞬逡巡して、このまま待ち伏せようと即決した時、

「“キノ”さんだな。俺は鳴海歩だ」

そこそこよく響く声が、壁越しにキノへと届きました。
少年のような、しかし少しだるそうな、緊張感のない声です。
キノは、隣室には聞こえないぐらいに小さく息をのみ、
「ボクの名前は、掲示板で?」
少し沈黙してから、そう尋ねました。
「ああ、下の階でアンタの書き込みを見た。そこで俺はアンタと交渉がしたい」
「壁越しに話しているのは、用心の為ということですか?」
「まぁ、そういうことだ」
ドアを開放したまま会話しているので、二人の声はよく通ります。
キノは少年の声を傾聴します。
その声に不審な――妙に早口だとか、声色が媚びているとか――狼藉を企む人間特有の感じはありません。
むしろあまりにも緊張感がなく無防備ですが、その無防備さが逆に底知れなさをかもします。
まるで、キノがパースエイダーを持っている可能性をみじんも考えていないか、
持っていると考えているのに全く怯えていないか、そのどちらかのようです。
「交渉とは、つまり物々交換の申し出ですか?」
キノの問いかけに、
「そういうことだ。……ただし、交換したいのはモノじゃない。『情報』と『信頼』だ」
少年はさらりと答えました。
「情報は分かりますが、『信頼』とは?」

「俺の目的は、この『実験』からの脱出し、主催者のくだらない企みを潰すことだ」

あまりにも簡単そうに発言した少年に、キノは少しだけ眉をひそめます。
しかし、キノは、決して少年の考えを見下しているのでも、呆れているのでもありませんでした。
ただ、疑問視しているだけでした。

しかし、次の瞬間、その『ただの疑問視』は、『こいつ大丈夫か』という顔に変わります。

なぜなら、彼は続けてこう言ったからでした。

「その為に、“殺し合いに乗っている”あんたを仲間に加えたい。
俺の考えでは、あんたは殺し合いに乗っているはずだ」



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最終更新:2011年06月04日 12:54
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