物音がした気がして振り返るが、誰も居ない。
心を押し潰す恐怖。怖い、怖い、怖い。
……誰かに監視されている。
今度は四方を見渡す。
空で笑い合う月や星。頭上から見下ろす高層ビル。無意味に辺りに光を与える無数のネオン。
人は見当たらない。でも平常心の息の根は聞こえない。
神経が過敏になりすぎて、また後方を顧みる。それを繰り返す。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返す。
――フラッシュバックする、少年の頭が吹き飛んだ場面。
込み上げる胃液。押さえる唇からこぼれ出る吐息。
吐き気をこらえて、胸の中のディパックを強く抱き締めた。
(怖い……)
私、押水菜子は水泳が得意なだけの、いたって平凡な女子高生である。
[[殺し合い]]などという物騒なワードとは無縁の生活を送ってきた。
友達と学校に行って、授業を受けて、放課後はバイトに励み、家に帰る。
平和で穏やかな毎日がこれからずっと続いていくものだと。
それが当然のことだと思っていたから、そんなことを改めて考えてみたことさえなかった。
テレビで事件や事故のニュースが流れる。
怖いな、かわいそうだな。そんな感想を呟く。
でも、私は関係ない、大丈夫。今日も明日も私は生きている。
…無意識にそう思い込んでいた。何だか他人事のよう。
けれど実際、人間にはいつだって死がつき纏っているものだ。
寿命なんて来なくたって交通事故に遭っているかもしれない。
殺傷事件に巻き込まれるかもしれないし、誤って学校の窓から転落死してしまうか もしれない。
一秒後が保障されている人間など居やしない。
……知ってはいたが、自覚はしていなかった。
だから、本当に今回は思い知らされた。
人間はみんな、いつだって死ぬ。もちろん自分も例外ではないということを。
(みんち、緒花ちゃん、どこに居るの?逢いたいよ…)
参加者名簿に並べられていた友人たちの存在だけが唯一の救いであり、
同時に気がかりでもある。
他人が怖い私にとって二人は信頼できる心強い味方。
だからこそこんなゲームに巻き込まれていてほしくなかったのだ。
逢いたいのは自分が不安だから。それでいて、二人のことが心配だから。
二人は私ほど弱虫ではないけれど、きっとこんなことになって心細いだろう。
一緒に居たからといって何かができるわけではない。
それでもきっと、恐怖心を弱くすることはできるはずだ。
だって、友達だから。
「!!?」
覚束ない足取りで歩いていると突然大きな影が頭上を覆った。
驚愕に開いた瞳孔で仰ぎ見たそれの正体は、発芽した植物を思わせる…
青紫色の人形?ロボットのようにも見える。得体の知れないそれに早鐘を打ち始める心臓。
逃げなければ、と思うよりも先に足が後方へと方向転換し猛烈なスピードで走り出していた。
三つ編みと前髪が追い越していく風に押し流され、スカートの裾を大胆に揺さぶりながら全力疾走すること約十秒。
恐ろしすぎて路地に逃げ込むと凄まじい勢いをもって石ころにしてはあまりに大きすぎる
はたまた何なのか分からないものと衝突し、私のパニックは最大値を越え山を越え谷を越え地球をも越えた。
「いやあぁあぁあああ!誰か!ころさっ、殺されちゃうぅっ!みんち、緒花ちゃぁん!」
「いてて…。ってちょっと待って!あんまり大きな声を出したら誰か来ちゃうよ!」
「お願い、殺さないで!!」
「ねえったら!!!」
「ひっ……あれ?」
肩を強く叩かれてやっと我を取り戻す。
冷静に近付いた脳が認識したのは、どう見たって普通の男の子。しかも小学生くらいの。
人見知りとはまた違った意味で恥ずかしくなって、しかしさきほどの青紫の物体を
思い出すと赤くしたり青くしたりと忙しなく顔色を塗り替える。
「オバケだよ!オバケみたいなのが居たの!三丁目のおじさんにおへそを取られるとか
そんなレベルじゃないよ!全部食べられちゃうんだよ!」
「……ごめんなさい。脅かすつもりはなかったんだ」
ゆらりと立ち上がった男の子の背後に浮かび上がる巨体。
よく見なくとも分かった、青紫のオバケだ。まさか仲間だったとは。
予想外の展開に髪の毛が逆立つような感覚を覚えた。
震えが止まらない足で必死に身体を支え逃げようとするが、後ろから手首を掴まれる。
「待って!違うよ、案山子は…武未禍槌は人を殺したりはしない!」
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
「さっきのも違うんだ。周りに人が居ないか、案山子を使って偵察してただけで…決して驚かしたり食べたりしたかったわけじゃない……」
「……ぅぅ…」
男の子の必死な様子に段々と興奮状態から覚めていく。
振り返ってカカシと呼ばれたそれを一瞥して、改めて男の子と向き直った。男の子は多分、嘘はついてないのだろう。
だって本当に何かするつもりなら、オバケを使ってとっとところ、殺されてると思うから。
「お姉さん、逢ってないかな?…僕と同じ顔をした女の子と、黒い髪の…えっと、背はお姉さんよりもう少し高い男の人……」
「ぅ…ううん、こ、……ここに来て初めて人に逢ったから。そそ、それよりも」
男の子の背中からこちらを睨みつけるように佇んでいるカカシを指で示す。
「その…カカシって、何?」
◇
案山子とは、選ばれし人間である隻だけが自らの意思とリンクさせ操ることができる神様の抜け殻である。
それもまたただの一説でしかないけれど、昔からとある村を…空守村を護り、救ってきた存在。
そう言い伝えられてきた村の人々にとって、案山子とは神様と変わらないものなのだ。
◇
街の灯りが届かない路地裏の一角。
小型のゴミ収集庫を椅子にして、…僕、桐生と菜子お姉さんは肩を並べていた。
「神様……?」
「別に信じなくてもいいよ。
悪意が無かったってことだけ分かってもらえれば…」
一通りの説明を終えて僕は武未禍槌を恐々と、しかし興味深げに熟視する菜子お姉さんを見やる。
武未禍槌を疑似空間に閉じ込めると、お姉さんは目を丸めて周囲を見回していた。
歳は…まひる姉様と変わらないくらい、あるいはそれ以上か。
いちいち反応が大袈裟なところをみるとお姉さんはきっと一般人。しかもかなり気が弱い。
本来なら案山子に関する解説なんかせずに放っておいても良かったのだが、他の人間に変な風に
言い触らされても面倒だし、万が一自分のせいで彼女の心身に何かが起きたら…。
そう考えると説明せざるを得なかった。
「本当に悪いことはしないんだよね…?」
「しないよ、言ってるだろ」
「そ、そうだよね、だってこの子を操作?してるのはあなただもんね。
こんなに小さい子が人をこ、殺す…なんて…。子供にしては少し落ち着きすぎだとは思うけど……」
小さい子、か。
人に歳上ヅラするくせに、一度気が動転すると誰かに宥められなきゃ
平静を取り戻すことができない姿が誰かさんに似ているな。
「そんなことないよ」
本当はここに転送されたときは僕だって冷静ではいられなかった。
怖くて怖くて、だからこそ情緒不安定に陥っていた精神で武未禍槌を操り、付近に誰か居ないか下手くそな操作で巡回させていたのだ。
数十秒後には菜子お姉さんを見つけて、見つけられた。慌てて姿を消そうとしたけど、それより早く目標が動き出した。
そして邂逅。こっちだって取り乱しそうになったけど…、お姉さんの派手すぎる狼狽っぷりに逆にいつもの調子が舞い戻ってしまっただけだ。
「人の振り見て我が振り直せってね」
「…そ、そんなことよりさっき言ってた捜してる人はお友達なの?
あ、でも同じ顔してる女の子と背が私よりも高いってことは家族か何かかな?」
痛いところを突かれ無理矢理話題を変えるか。
大人げないなあ、と双眸が細くなるのが自分でも分かった。
「家族…。まあ、似たようなものかな」
「…」
たしかに血は繋がっているが家族というには語弊がある気がして露骨に曖昧な物言いをしてしまう。
怪訝に思われているだろうけれどあまり自分の境遇を誰かに打ち明けたくはない。
…隠し事はもう一つ。
実を言うと、二人…匡平と詩緒は捜し人というわけではない。
禍津妃との闘いの最中に誤って詩緒の案山子・玖吼理を攻撃してしまったこと、
あまつさえ匡平の救出を放棄してその場から逃げ出してしまったことへの後ろめたさから、逢えたところで
どんな顔をすれば良いか分からない。寧ろできることなら逢いたくないというのが本音だ。
だからこそ二人の居場所を把握しておきたかった。そのポイントだけ避けて行動すればいいから。
もちろん二人もずっと同じ場所に留まっているわけではないだろうがそれでもなるべく遭遇しないための、一つの手段として。
「お姉さんこそ捜してる人が居るんじゃないの?さっき誰かの名前を叫んでたけど」
「…うん。鶴来民子ちゃんと松前緒花ちゃん……友達なの。桐生くん、知らない?」
「残念ながら。僕も初めて逢ったのが菜子お姉さんだから」
「そうだよね…、あれからまだ一時間も経ってないくらいだもんね」
一時間…か。匡平と詩緒は無事なんだろうか。これから僕はどうしようか。
人を殺すだなんてことは絶対に有り得ないが、この殺し合いにおいてどんな立ち位置で居ればいいのだろう。
菜子お姉さんはどうするつもりなんだろう。
様子を見る限りではどこかに隠れてやり過ごすとかそんなところかな?
◇
「家族…。まあ、似たようなものかな」
桐生くんが言葉を濁したことから、他人には話したくない複雑な事情があることを感じ取った。
秘密事は誰にでもあるし、深入りすれば人を傷つけることもある。だからそれ以上追求はしなかった。
「菜子お姉さんは捜してる人は居ないの?さっき誰かの名前を叫んでたけど
「…うん。鶴来民子ちゃんと松前緒花ちゃん……友達なの。桐生くん、知らない?」
「残念ながら。僕も初めて逢ったのが菜子お姉さんだから」
「そうだよね…、あれからまだ一時間も経ってないくらいだもんね」
みんちに緒花ちゃん。今頃どうしてるかな、私みたいに怖い思いはしてないかな。
…まぁ私の場合は相手が弟よりも年下の男の子だったから、今はもう平気なんだけど。
話も一段落したし、そろそろまた二人を…うんと、桐生くんと一緒に四人を捜しに行こうかな。
「それじゃあ行こうか。みんながどこに居るかは分からないけど…」
「え?」
「な、何?」
立ち上がる私。間抜けな声を出す桐生くん。
もしかして何かおかしなこと言っちゃった?!
「隠れてなくて平気なの?」
平気じゃないよ!全然平気じゃない!素数が数えられないくらいに混乱してるよ!
あ、あれ?…なのに何で私、最初から隠れなかったんだろう……。
(……あ、そっか)
正直怖いしどこかに隠れていたいけど、みんちと緒花ちゃんの存在が背中を押してくれるんだ。
私は怖いから二人に早く逢いたくて、きっと怖がってる二人の元に早く駆けつけてあげたい、傍に居てあげたい。
臆病な私が最初からそうしなかったのは二人へのそんな思いのおかげなんだろうな。
隠れてるだけで何もしない間に……本当に二人に二度と会えなくなっちゃうことがいちばん怖いよ。
…一度逃げはしたけど。
今は神様?を操れる桐生くんも居て、こんなにしっかりした子と一緒ならきっと大丈夫。
…何かあったら逃げると思うけど。
「桐生くんが居るから平気だよ」
「それってさ、子供の僕を当てにしてるってこと?年上のくせに?」
「ち、違うよ…!そうじゃなくて……!」
「………いいよ、分かった。しばらくはお姉さんの友達捜しを手伝ってあげる」
「桐生くんの家族もちゃんと捜すよ」
「僕のはいいよ、お姉さんに協力してもらうほどのことでもないし」
「駄目だよ、そんなこと言っちゃ。桐生くんの捜してる人たちだって
桐生くんに逢いたがってるはずだもん」
…少しだけ、桐生くんが嬉しそうに頬を弛めた気がした。
みんち、緒花ちゃん、待っててね。
【一日目深夜/A-1、市街地】
【押水菜子@花咲くいろは】
[状態]:健康
[装備]:無し
[所持品]:基本支給品、アイテム1~3所持
[思考・行動] 基本:人殺しはできない
1:みんちと緒花ちゃん、桐生くんの家族を見つける。
2:桐生くんと一緒に行動する。
【桐生@神様ドォルズ】
[状態]:健康
[装備]:武未禍槌@神様ドォルズ(疑似空間)
[所持品]:基本支給品、アイテム1~3所持
[思考・行動] 基本:人殺しはしない。
1:お姉さんの友達捜しを手伝う。
2:匡平たちには逢いたくない、でも…。
【武未禍槌(タケミカヅチ)@神様ドォルズ】
桐生の案山子。
右側から伸びる細長い隻腕が特徴で、指は無く、小さな楔状パーツが伸縮する楔状パーツは放電機能があり、その出力は放射状からビーム状まで、自在に調整できる。
最終更新:2011年08月10日 12:19