彼は何も言わなかった。
池の隣の話に紛れた私は、ただただ足音にだけ耳を澄ませていたのだ。
と、向こうから足音がするのだ。ぱしぱしと土を踏む音。足音は常人よりかなり小さい。常人ならこんな足音は聞こえないだろう。こんなときだけ、私の能力はとても重宝するのだ。
どうしよう、知らない人だったらどうしよう。狐太郎だったらいいな。目を瞑って祈る。私の唯一の肉親、狐太郎。こんなときにだけ頼りたくなるのだ。いつもからかってごめんね、お姉ちゃんなのに迷惑かけてごめんね。今度あなたの大好きなグラタンを作るよ、もう家事だってサボらないよ。ごめんね、ごめんね、だからお願い、助けて――!
「……!」
そして目を開けて、凍りつく。
林の外にいた人は、狐太郎ではなかった。加えてこちらを見ている。
だけど、一つだけ救いがあった。
その人は、知り合いだったのだ。
彼は何も言わない。当然だ。彼には声が無い。真田麻緒という、名前だけを聞けば女性に間違われるでしょう、その「彼」。彼は一年半前に私たちの「国(寧ろ町といったほうがいいサイズだが)」で起こった大事件の際、彼の弟を救う際に声を失った。直接声帯を切ったわけではないのだけど(寧ろ無傷)、私たちのもつ「能力」の副作用(ちょっとちがうけど、まあ似たようなものらしい)で声を失った。
そんな彼は、現在通称「外交官」と呼ばれる職(本人曰く、普通の外交官ほど堅苦しくは無いらしい)に十九歳という若さで就いている。まだ歴史の浅い私たちの国の、歴史に残る「天才」。そして美形という、もう殆ど完璧な人間。それが真田さんだった。
「真田さん……!」
私より年下の彼にすがりつく。無様だと笑って欲しい。でも、彼よりもっと年下である私の弟に頼るよりましだと、どうか許して欲しい。
彼は予想できていたかのような表情だった。
長身の彼に思い切り抱きつく。ぼんと音を立てて私のデイパックが彼の腹に当たった。
「あ、ごめんなさい!」
ぱっと離れて頭を下げると、彼は気にしていないように顔の前で手を振った(所謂「いや、いや」のポーズ。うーん、表しにくい)。
彼が私の肩に触る。思わずびくりと肩が跳ねるが、彼は当然いやらしい意味や「恐ろしい」意味でやっているわけではない。これが彼のコミュニケーションなのだ。
彼がどんな能力を持っているのかは知らないし、どれほど規制されているのかもわからない。だけど、彼のこのコミュニケーションの仕方に問題は無いようだった。「話したい対象に触れると、頭の中に文章が流れ込んでくる」。どんな能力を応用しているのかは当然しらない。だけど、これができれば彼とのコミュニケーションに筆記用具を使わずにすむ。それだけで随分よかった。
≪不安ですか?≫
頭の中に文章が浮かぶ。本を読んでいるイメージ。綺麗な明朝体だった。
こくりこくりと頷くと、彼は私を安心させるように微笑んで、わしわしと頭をなでてくれた。……私のほうが年上なんだけど、それほど気にすることじゃない。
≪俺でよければ共にいましょう≫
彼はやさしげな文字。黒くてかたいものなのに、彼の優しさが浮かんでくるようで……。
「え?」
思わず聞き返す。だって、海よりも山よりも遠い天才が、私に手を差し伸べてくれているのだから。
≪仲間が困っていたら、助けるのは当然でしょう≫
続いていく彼の言葉。その言葉は蕩けるように優しくて……思わずぼろぼろと泣き出してしまった。彼はさして驚いた様子もなく私の頭をなでてくれた。
「よっ、余裕があったら……お、弟の、狐太郎もっ、助けてやってください……!」
そんな私のわがままにだって彼は優しく頷いてくれた。なんて優しいんだろう……!
≪ただ、一つお願いが≫
彼の「文章」が頭に響く。
「な、なんですか? 私にできることなら何でも言ってください!」
≪俺、今声が出るんですよ≫
「えっ……!」
それは驚きだ。もう一年半聞いていない(というか、当時からなかなか聞かなかったけど)彼の声がまた聞こえるらしい。
≪もともと意図的でない声は出せたんですけどね。驚いたときの声とか。でもまあ、さっき柚希とかいうあの女が俺のデイパックにメモを突っ込んだんですよ。「今なら声が出ますわ」って≫
「な、ならどうして話さないんですか?」
≪あなたが一人でいると思わせるためです≫
話が読めない。首をかしげると、彼は少々申し訳なさそうな顔をして。
≪極端に言い方を悪くするなら「囮になってください」ということです。その際の命の保障は必ず致します。女性一人と、男女の二人組みなら、どっちが殺しやすいかなんてすぐわかりますよね? あなたを狙ってきた者を殺します。積極的に動いて殺人に回るより、よほど効率ですから≫
「……!」
迷いの無い言い方。彼の言いたいことはよくわかった。……怖いけれど、絶対助けてくれるのだという。当然、これを断ったら私はまた一人。今度も助けてくれる人にめぐり合える確率は……。
頷こうとしたところで、彼の言葉が続いた。
≪別にゆっくり考えてくださっていいんですよ。「俺がいないように振舞ってくれれば」それでいいんです。あなたの聴覚でまわりの音を拾ってくればもっと嬉しいですけど、……その前に≫
彼の優しげな文字が最後で崩れた。理由は知っている。……足音だ。
十時の方向に五十メートル。ぱたぱたという足音がする。どうやらこちらには気づいていないらしかった。
≪死体を見たくなければ、目を瞑っていてください≫
言って、彼は拳銃をデイパックから取り出す。反射的に目を瞑る。真田さんが私を左腕で抱きしめてくれた。庇ってくれているのだろうか、それとも死体を見せないためだろうか。どちらにしても嬉しかった。
「ひいい!」
向こうから駆けてきていたらしい少女の悲鳴。それに被るような形で。
ぱん、と。
乾いた音がした。
銃声だった。
びくりと震えた私の身体を、彼が優しく抱きしめてくれる。
≪心配しないで。もう大丈夫です。死体を見たくないのなら、もう少し待っててくださいね≫
そっと彼が離れていく。たったったっと彼の走る音。次いで、どぷんと湖に物が沈む音。女の子の死体を沈めたのかもしれない。
≪ごめんなさいね。怖かったでしょう? もう大丈夫ですよ≫
帰って来た彼の優しい文字。それから、目を開けた私の視界に広がる、彼の美しすぎる微笑は、彼を信じることを決めるのに不足の無いものだった。
ああ、これが恋なのか。なんて惚れっぽいのだろう、私。
でも、彼は信じても問題ないほどに優しいのだ。
決めた。
私はあなたの耳になります。あなたのそれより使えるこの耳を。どうか使ってください。
【4-D/高原池付近/一日目-午前】
【真田麻緒@亡國ノ村】
[状態]:健康
[装備]:ベレッタM92@山城美樹(ヒカリノコエ)
[持物]:基本支給品
[方針/目的]
基本方針:生き残る
1:弟である美緒を探す
2:生き残るついでに綾乃の保護
3:ついでに狐太郎の捜索
[備考]
※ 彼はこういいました。≪極端に言い方を悪くするなら「囮になってください」ということです。その際の命の保障は必ず致します≫。「その際の」。
※ 天才です。
※ 声は出ますが出しません。この事実を知っているのは麻緒自身と柚希、そして綾乃だけです。
【4-D/高原池付近/1日目-午前】
【瀬戸綾乃@亡國ノ村】
[状態]:健康、不安
[装備]:なし
[持物]:基本支給品
[方針/目的]
基本方針:生き残る
1:麻緒に助けてもらいながら行動する
2:狐太郎を見つける
3:「囮にならなくちゃ……!」
[備考]
※ 麻緒のことを全面的に信用しています
※ 麻緒に惚れました。一種の吊り橋効果かもしれません。
※ 常人よりかなり良い聴力を持っています。
【ルーナ・セレージュ@ヒカリノコエ:死亡】
【残り61名】
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最終更新:2012年03月16日 19:53