EDL――――Advance・9

……。
人の命の重さって、いつだって変動する。
株価並みの速度で、変わっていく。

日常生活においての人の命は、とても重い。
戦争最中においての人の命は、とても軽い。

なら、今のあたし達にとっての命はなんなのか。
日本の法律すら、学校の規律すら、生活の旋律すらをも掻き乱した、この催しに限れば、何だっていうんだろう。

……。
軽い、わよね。
面白いぐらいに、笑えないぐらいに、軽い。

ふわっふわ。
もう宙に浮かんでるんじゃないかってぐらい、手応えがない。
現実感なんてものはすべて幻影で、手で、もがいて、足掻いて、必死につかみ取ろうとするけれど空を切り、
感覚が、麻痺して、ぼやけて、犯されて、壊れる。

――――。
そう。
これが始まってから。
あたしの倫理観なんてものの崩壊の序曲は流れていて。
ボロボロに成り果てて。ズタズタに成り果てて。

人が死んだところで、

“ああ、仕方のないことだな”

なんて刹那ばかりとはいえ思った自分自身が怖くて。
人の死を、受け入れてしまうのが、こんなにも簡単にしてしまう自分が。
同時に。
人の死よりも、自分の変貌ぶりを悲しむ自分がいるのに呆けて。

壊れて。
壊れて。
壊れて。
壊れて。

ぶっとんでいる。どうしようもなく今のあたしはぶっとんでいて。
榎本夏美という人間は、もう取り返しのつかないほど、壊れていて。

目の前の死体に悲しい以上の感情が抱けず、不甲斐なさ過ぎて、泣けてくる。
けれでも確かに、悲しいという感情はあたしの中で氾濫して、それも踏まえて泣けてくる。

ああ。ぐちゃぐちゃだ。
あたしですらなにを考えているのか分からない。とりとめがない。
思考回路なんかすでにパンクしている。
文がしっちゃかめっちゃか、ハチャメチャである。

狂う人生。
終わる人生。

確かに今あたしはそんな瀬戸際にいて。
苦しい。なにか劇薬でも飲まされた気分。

「……ああ」

本当にさっきからあたしはなにを言ってるんだろう。
それぞれの言葉に脈絡がない。無関係の言葉を書き連ねて、なにがいいたいんだろう。

……。
いや、答えなんて最初から決まっている。
あたしは最初っからこれをいいたかったんだ。


……人が、クラスメイトが――――死んだ。



 ○


さてはて。
さてはて。
さてはて。

これは一体全体どういうことなのだろうか。
そう。
目の前にいるのは樫山だ。
樫山堅司。
それが如何にして「殺してくれ」と頼んでいるのだろうか。

いやいや。
いやいや。
いやいや。

樫山の手には血の付いたシャベルが握られている。
……。
まあ意味は多分理解できる。きっとそういうことなんでしょう。
……。
恐ろしいほど、理解に容易い。
先ほどでピンチというものに慣れてしまったのか。いやな慣れである。
……。
人を殺したんでしょう。
ころした。ころした。ころした。
楔音のことかもしれない。楓之のことかもしれない。榊田のことかもしれない。
……。
隣を見る。
柳沼がそこにはいた。柳沼卯月は、樫山堅司の親友であったはずだ。
顔を見る。
「柳沼」はそこにはいなかった。いつもの自信に溢れる気合に満ちた彼はそこにはいなかった。
紅蓮に染まる赤よりも紅く。それは果実のように瑞々しいオールバックの紅い髪も今は力なく見える。

目の前で、シャベルを片手で柳沼に差し出す樫山の顔は、どこにも冗談のようには見えない。
今ここで逃げたところで、追ってでも殺されたいと思う自殺志願。そんな意思がそこにはあった。
ふわふわとした今風(最近流行りである髪型らしい。前に豪語された)の茶髪はその表情と合わせてもしっくりこない。
故にあたしたちは蛇に睨まれた蛙の如く動けない。一歩でも動いたら逆に殺されるのではないかという錯覚すら覚える。……実際の立場は逆なのに。

考えていると不意に。
柳沼が言葉を返した。

「……なあ、本気なのかよ」

それは何を思っての言葉だったのか。
他人であるところのあたしでは、やっぱりそれはわからない。
自分が何であるかすらわからないあたしには、他人の気持ちなんて察することなんてできなかった。
……でも、青ざめた表情を見れば、そこはかとなく、伝わっては来る。――――当のあたしが他人事でないためもあって。
不安げな柳沼の声とは対照的に、返ってきた言葉は短く、そのかわりにあまりにも堂々としていて、活気に溢れていた。――――内容と、反してるのに。あまりにも気高く。

「本気さ」
「「……」」

あたしら二人は黙することしかできない。
柳沼……まああたしも基本的に活気な人間ではあるのだけれど、それでもここで気さくに接するほど、とりあえずあたしの心は広くはない。
あたしは元より。柳沼だって、自分がいいと思ったことにはとことん突っ走るが、逆に自己意識に通じない行為にはとことん否定的な人間。
この状況を良しとしないとするならば、顔を顰めるのも当然ちゃ当然なんだ。

けれど。
そんな風に思っていたあたしの考えとは裏腹に。
柳沼の台詞は、おかしかった。耳を疑った。冗談であってほしかった。

「……本気の、本気なんだな」
「ああ、なんだったら、そのおまえの腰に付けている拳銃だって構わねえぜ。
 どっちにしろ風香に対する贖罪にはなんら遠く及ばねえし、そもそもこんなことで拭いきれる罪じゃねえんだよ。
 死にたいんだよ、俺は。嫌なことから逃げたいんだよ。俺は。惨めたらしく格好悪く、逃げるんだ。
 貶されることが怖いから。貶められるのが怖いから。怖くて怖くて怖いんだ。だからこの世からさっさと立ち去りたいんだよ」
「あんなぁ……。なら妹はどうすんだよ。不治の病をおまえが治すんじゃなかったのか? 嘘だったのかよ」
「……嘘じゃ……なかったよ。嘘のつもりはなかった。けれどもうそれは俺には無理だよ。
 人を殺しておいて、人を治すだなんて、どんな横暴で自分勝手で、救えない奴だ。……だからどのみち俺にはもう無理なんだ」
「妹が悲しまないと?」
「いーや、きっと悲しむね。これ以上なく悲しむだろうよ。……でも、だから言ってるだろ。
 俺は自己満足に甘んじたいんだよ。あいつに見せる顔がない以上、俺は生きたくねえんだよ。そんな図太い性格俺はしてない。
 俺が死んで何かが救われる訳でもないことぐらい知ってるし、痛感してる。……でも、だからといって生きたい感情なんて、今の俺にはこれっぽっちもねえ。……だから、死にたい」
「……あっそ。わかったわかった。ならおれが責任もってお前を殺してやる。……ふう、覚悟はいいかよ」
「ああ」

それは。
ほんの二、三回の応答の繰り返しだった。
しかしその間に行われていたやり取りは、あまりにあたしに濃密過ぎた。

今の彼には自殺志願があること。
樫山は既に人を殺していて、被害者は楓之。
樫山の妹のこと(そもそも存在すら知らなかったわ)。

けれど。
そんな重大要素が一瞬でどうでもなるような。
もう全てが吹き飛んだ――――最後の柳沼の言葉のよって。

「――――え?」

あたしが、意識を急速に現実世界へもっていき、言葉を漏らした頃には、遅かった。

――――ん? なんつった? こいつ。
――――ころすとかなんとか。いわなかったか?

柳沼は、樫山から借りて。
胡坐をかいている樫山の頭上を目掛けて、降ろす。

降ろす。

――降ろす。

――――降ろす。

エコーするあたしの思い。
制止の声をかける間もなく、互いになにかのコンタクトが生じたのか如く。
あたしは呆けている間に全てが終わってしまった。……終わった。

「……ああ、いてえな。こんちくしょう……」
「そっかよ」
「……あ、あ」

脳天から、血が噴き出している。溢れ出している。
シャベルは形を変形させていた。……当然ちゃ、当然であり、そんな些細なことからも、柳沼は今人を殺したんだ、と。
理解出来た。理解できてしまった。

動かない。
樫山は動かない。もうどうしようもないぐらいに、死んでしまった。
「死んじゃった」という描写でも間違ってはないのかもしれないぐらいあっさりと。

絶叫するにも、理解が間に合わない。
それぐらいあたしにとっては唐突に。
意味が分からないぐらい、何も見えない、真っ暗な結末、あるいは現在進行形。

「ああ」

柳沼は言葉を零す。
短く、力なく、それ故に違和感しか生じない言葉。

叱責をするにも、あたしにはどうすればいいのかわからない。
あたしだって、どうすればいいのかわからなかったし。今だって、実を言うとあたしが間違えているんじゃないか、なんてすら思える。
あそこで殺すべきだったのか、殺さないべきだったのか。どっちか正しく、どっちがよりよいのか。
――――あたしにはわからない。意志薄弱だからとか、今回はそんな大層な理由ではなく、単純な意味合いで理解に遠いから。

そんな事を思っていた時。
ふと、視界の内で異変が起こった。

…………。
直立不動を保っていた柳沼が、手に握っていたシャベルを、落とし、膝をつけた。
瞬間、あたしが目撃するのは、普段からは考えられない、光景。


「……うぁ、う、うがあああああ」ああぁぁぁああああああ」あああああぁぁぁぁぁあああ」あああああああああああああああああああ!!」


鼓膜が破裂しそうは愚か、視界すらもよろめくような、轟々なる叫び。
両手を顔へ持っていき、うずくまるように、ひたすらと言葉を吐き捨てる。
そんな光景を見て、あたしはただただ黙して、見つめるしかできなかった。
助ける、という行動とか。どうしたの、と訊くとか。見捨てる、とか。
何もできずに、あたしは硬直してなにもできなかった。……その悲痛の叫びを、聞くしかなかった。

……あたしは、役立たずだ。
想いは、この身に、響く――――響く。



【柳沼卯月:生存中:手紙、グロック17、シャベル】
【榎本夏美:生存中:水浸しの衣服】
【樫山堅司:死亡中:もちものなし】
【3人】


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最終更新:2012年04月09日 12:09
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