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白魔嬢

 かつん。
 かつん、かつん――静謐の中に、軍靴の音が響いていた。
 規則的に響くその音声は心を安らがせる子守唄の音色宛らに美麗であったが、この場所が如何なるものかを鑑みれば血と硝煙の芳香が否応なしに染み付いた装束は余りに不似合い、不釣り合いだと言うより他ない。
 此処は教会だ。神の名と救済を盾に凡百の民と異教徒を虐殺し尽くしてきた世界最大規模の巨大暴力装置――基督の教えを説き礼を排する聖域である。
 掲げられた十字架はきらびやかな黄金を湛え、ステンドグラスの向こう側より降り注ぐ陽光は穏やかな初夏の安らぎに満ちていた。端的に言って平穏。争いを感じさせるのは、それこそ一人の存在以外にはなかったろう。
 この少女は雪のように白かった。
 髪も、肌も。色素が真実抜け落ちて、漂白されているように見える。
 けれどその双眼は血染花を連想させる朱色だ。怪談奇談に語り継がれる百鬼化外魑魅魍魎をその色彩からは連想しそうなものだが、如何せん容姿とは人の価値観すらも容易く覆す、人間が生まれ持った最大の兵器である。
 少女は掛け値なしに美しい。齢が齢なだけあり、綺麗というよりは可愛いと呼んだ方が適切であろう顔立ちだが、じっと身動きをせずにソファにでも腰掛けていたならアンティークのビスク・ドールと見紛っても何ら可笑しくはない。
 黒衣の黒と白貌の白がコントラストを生み、神話から抜けだした天使然とした少女は壇上で待つその男へ歩んでいく。
 彼女は基督の教徒ではない。
 信仰することを否定するつもりはないが、特定宗派に跪くことはまず有り得ないと断言できた。彼女自身、己はそういうモノでないと把握している。その上で、幾つかの釦を掛け違えつつも、結果神へ縋ることは論外と切り捨て歩んできたわけだ。
 さて、では彼女は何をしに此処まで来たのか。
 精々が十代に入りたてといったところの背丈から推察すれば、学校行事か何かの成功を祈念すべく、なんてのがお誂え向きの理由だろうが、生憎とそれは的外れも良いところ。

 「……、ほう。随分と遅かったね、白貌ちゃん」
 「皮肉のつもりだとしたら落第点ですよ、トンプソン神父」

 これは失敬。
 言って、トンプソンと呼ばれた神父は口許を押さえる。
 もう老人と呼んでいい年頃だろうに、様々な意味合いで衰える気配がないことで有名なこの教会の主と少女が顔を合わせるのは初めてだったが、どうもこの手の人種は苦手だと改めて印象付けられる以外に新たな発見はなかった。
 手玉に取られるということが生粋嫌いなのだ。莫迦と主に折檻を食らったことも一度や二度ではない。しかし彼の要望に反逆するようでどうにも恐れ多いのだが――生まれ持った性というやつばかりは、改善するにも難儀する。

 「しかしね。実際君待ちも同然だったんだよ、白貌ちゃん。令呪を持つ者は既に六人揃っている。一昨日六人目が現れた」
 「つまり、開戦は今夜にでも……と?」
 「まさか。それでは土地勘のない君に余りにもアンフェアだろう。三日は事前準備の時間を与えるつもりだし、どうも三番目に此処へ駆け込んだ少年が乗り気ではないようでね。令呪が返上される可能性が高い」

 懸命だ――そう少女は思う。
 男の癖にだの何だのと阿呆らしい精神論を語るほど愚かしいこともないだろう。フィクションの世界とは訳が違う。鉄火場においては程度を弁えず蛮勇に走った者から死んでいき、またそういう者こそ一番殺し易いのが道理。
 覚悟がないならば、戦場に立つべきではない。力及ばず野垂れ死になどと、笑い話にもなりはせぬ。

 「というわけで、開戦までは猶予がある。それまでの内に拠点を拵えるなり地理を叩き込むなりするといいさ」
 「当然そのつもりです……尤も、然程込み入った仕掛けは無用となるのが見えています故、程々にさせて頂きますが」
 「ほう。――ああ、読めたぞ。君が狙っているのは“アレ”か」
 「はい」

 少女の顔に迷いはない。
 良い面構えだ。トンプソン神父は内心高評価を下す。
 これよりこの少女が身を投じる“とある戦争”に於いて、彼女の選び取らんとしている選択肢は紛うことなき最善手である。堅実に勝利を獲りたいならばコレ、といっても良い。
 話には聞いていたが期待以上か。これならば、成程願望器に認められるワケだ。


 「――――私は、セイバーのサーヴァントを召喚します」




 そもそも、聖杯戦争とはなんであるか。
 聖杯戦争――それは奇跡を叶える『聖杯』の力を追い求め、7人の魔術師が7人の英霊を召喚して競い合う争奪戦。

 マスターと呼ばれる七人の魔術師が、あらゆる願いを叶えるたった一つきりの聖杯を奪い合う殺し合い
 何百年も前から伝わってきた聖杯の儀式。世界各地で行われる聖杯の争奪戦は全て聖杯戦争と呼ばれるが、冬木という地のソレを基軸とし行われる此度のソレは、他のものと決定的に異なる。
 何故、魔術師がマスターと呼ばれるのか。このマスターとは階級を表す呼称ではなく、単に"主"を意味する。つまりは、この聖杯戦争に参加するマスターと呼ばれる魔術師は、ある存在の主ということだ。

 その存在こそ、サーヴァントと呼ばれるモノ。

 サーヴァントとは、すなわち使い魔である。七人のマスターの数だけ存在する、異なった役割クラスの使い魔たち。
 使い魔とは、本来魔術師の代理で遣いをする程度の能力しか持たない。おとぎ話に登場するような魔女が飼う黒猫や鴉、本来の使い魔であればそのイメージが十分当てはまる。
 だが、万能の釜たる聖杯を奪い合う聖杯戦争において使役される使い魔が、ただの使い魔であるはずがない。
 サーヴァントは『かつて、あるいはこれから存在し得る英雄』である。

 歴史で語られる者。

 神話に謳われる者。

 実在、幻想を問わず、人々に語り継がれる偉業を為した人物を"英雄"と呼ぶ。
 そうした人々は人々の想念によって祭り上げられ、死後も英雄としてあり続けることになる。人間側の守護者たる、英霊と呼ばれる精霊に人の身から昇格するのだ。
 人間以上の存在、本来であれば魔術師はその力の一端を借り受ける程度のことしか出来はしない。
 しかし、聖杯戦争システムはそんな常識など易々と無視して、英霊を召喚し、マスターに仕える使い魔なんてものにしてしまった。それだけでも、この形式の戦争の景品とされる聖杯の出鱈目ぶりが魔術師には理解できるだろう。
 とは言え、流石の聖杯も七人の英霊をそっくりそのまま呼び出すことは出来なかったらしい。
 英霊が形になり易いよう、システム側が"器クラス"を用意した。それは顕現した英霊の仮初の名であり、在り方である。

 剣の騎士、セイバー。
 槍の騎士、ランサー。
 弓の騎士、アーチャー。
 騎乗兵、ライダー。
 魔術師、キャスター。
 暗殺者、アサシン。
 狂戦士、バーサーカー。

 基本的にこの七つのクラスのいずれかの在り方を持つ英霊が冬木の地に召喚され、聖杯戦争において己がマスターを守る盾となり、他のマスターを砕く剣となる使い魔、サーヴァントとなる。
 それこそが冬木の地にて行われる聖杯戦争。
 他の地ではありえない、人知を超えた英霊同士の最強の競い合いだ。

 そう――“本来は”。

 冬木の聖杯はイレギュラーだ。
 簡単には再現など出来ないし、その途方もなさは一度でも魔術について学んだ者ならばすぐに理解できようもの。
 故に誰もが羨み、畏れる。
 半端な気持ちでそこへ身を投じれば命を落とすが、万一にでも勝ち抜いた時に得られる恵みたるや真実桁違い。

 だが。
 東洋の島国、日本より遥かに離れた異国イタリアの田舎町に――かつてない完成度の聖杯が観測された。
 純度は大聖杯に負けずとも劣らず。
 未だ未知数な箇所が多いことを踏まえても、十二分にあらゆる願望を成就できるだけのエネルギーは備えている。
 万能の願望器、此処に出現……その所有権を求め、サーヴァントを従える権利を有した魔術師達が世界中から今この地へ集いつつあった。台湾の魔嬢と呼ばれた彼女・杏紅花(シン・ホンファ)もれっきとしたその一人だ。
 紅花の右手の甲には、三画の刺青が浮かび上がっている。これは聖痕(スティグマ)にも等しい徴。名を、令呪。

 聖杯からマスターに与えられる、自らのサーヴァントに対する3つの絶対命令権。
 英霊の座から英霊を招くにあたり、聖杯を求め現界するサーヴァントが、交換条件として背負わされるもの。
 その一画一画が膨大な魔力を秘めた魔術の結晶であり、マスターの魔術回路と接続されることで命令権として機能する。
 急拵えの仕事ではあったが冬木のシステムを模倣することで、当地の魔術協会は聖杯戦争を成り立たせんとしたのだった。
 サーヴァントにこれを用いた命令以外に従う義務はない。
 いわば暴れ馬を従えるための手綱なのだ。それだけに無駄に消費するなど言語道断。サーヴァントにも望みがあって戦いに参加している以上ある程度の共闘は自然と期待できるが、寝首を掻こうと思われたなら人間の力で対抗することはまず不可能だ。

 聖杯に選ばれた者達の殺し合い――バトル・ロワイアルにも似通った儀式。
 当然無血開城で幕を閉じる筈はなく。
 血と嘆き、断末魔の絶叫があることは確約されている。
 この少女も又、そういう可能性が例外なく己にも存在することを理解し反芻した上で、尚この役割を曲げることなど出来ぬと立ち上がり、覚悟を決めた上で聖杯戦争へ身を投じたのだ。




 「なるほど。流石というべきか……その様子では、触媒も既に?」
 「無論。聊か集めるのには難儀しましたが、確実に望み通りのカードを引けるでしょう」

 紅花にはとある後ろ盾が存在する。
 というのも、今回彼女が聖杯戦争を戦い抜くマスターとして抜擢されたのはそのバックアップ直々の推薦だ。
 魔術結社『四海幇(スー・ハイ・パン)』の白魔嬢――落ち目に瀕しているとはいえ、表向きのマフィアとしてはかなりの力を持つ集団が送り出した虎の子、それが彼女。
 高い戦闘能力と資質、有能な人材を根刮ぎ失ってきた彼らに残された最後の鬼札と言って差し支えなかった。失敗は出来ない。誰もがそう肝に銘じているからこそ、多少の無理は道理に変わっていったらしい。
 紅花とて、扱いに難のあるキャスターやバーサーカーのクラスを引いていたなら危うかった。
 だがセイバークラスとなれば、ほぼ確実に勝利は約束されたようなもの。セイバー、アーチャー、ランサー……俗に言う三騎士クラスの中でも頭ひとつ抜きん出た最優を僕として戦うことが出来るのだ。これで、どうして臆する理由が出てこよう。

 「監督役として背中の一つでも押してあげようと思っていたが、この分だと不要なようだ。全く恐ろしいね、亜州の白貌鬼と呼ばれただけのことはある。しかし疑問に思わずにはいられないな? そんな君なら、もっと行き場などあったろう」
 「…………」
 「何故態々黒社会組織などに与したんだい? ましてや四海幇。十年も前に事実上解散まで追いやられた敗残者共……とてもじゃないが正気とは思えないね。何なら代行者にでもなれるよう、私が口利きでも――」
 「――――黙れ」

 かちゃっ――そんな無機質な音とは裏腹に、杏紅花は殺意を剥いていた。
 グロック17の銃口が、魔物の眼球めいた威圧感を孕んで神父の眉間へ向けられる。
 ヴァリー・トンプソン神父は高名な魔術師だが、その所以は基本的に彼が有する知識の質量にある。魔術師としても決して落第点ではないにしろ、四海幇の魔嬢、亜州の白貌鬼と呼ばれる紅花と交戦すれば抹殺されるのは自明だ。
 専門分野の外へ出れば、どんな優秀な人材も容易く磨り潰されるのが現実。時には万能な人間も存在するだろうが、その総量が凡人、才人の数と比較して遥か遙かに少数なことは語るまでもない。

 「それ以上私を、お義父様を侮辱するというならば……明日の朝日を拝めると思わないことだ」
 「おお、怖い怖い……いえ、煽るつもりなどない。今のは確かに私に非があったね。謝罪しよう」

 この通りだ。
 両手を挙げ神父が述べると、渋々といった様子で拳銃は下ろされた。
 あのまま尚も軽口を叩いていたなら、まず間違いなく紅花は本気で殺しにかかっていただろう。
 これから始まる聖杯戦争の監督役を手に掛けるなど到底正気の沙汰ではないが、白貌鬼の異名がどういう意味かを少し想像すれば彼女が狂気に堕ちていることは言うまでもなく理解できる。紅花が彼を苦手と思ったように、彼もこの手の人種は苦手だった。
 狂言回しの天敵は獣。理性を度外視して行動してくる存在こそ、策士・軍師というチョキに対してのグーである。

 「……要件が済みましたので、これで失礼致します」

 とはいっても、紅花だってここで短気を起こすことのリスクが分からない阿呆ではない。
 最悪ペナルティを課されたとしても不思議はないし、そうなれば強烈な痛手となるのは確実だ。
 もう一度琴線を刺激される前に立ち去らせて貰う。実に賢明な判断だった。

 「聖杯が降臨した後にでもまた会おう、白貌ちゃん。その未来に、幸福のあらんことを」
 「似合わない真似はやめてください。気持ち悪いです」
 「手厳しいねえ」

 教会の扉が重々しい音を立て閉ざされる。
 これで聖堂の中にはヴァリー・トンプソンただ一人となった。やれやれ、とんだお嬢さんだ……困ったように漏らすと、神父はふっと蝋燭の火を吹き消した。――さて。憶測が正しければ、直に件の少年が令呪を返上に現れる頃の筈だ。
 神父とは人の心へ触れる仕事。懺悔を聞く時も、教えを説く時も。他者の心理に常に触れている彼らには、ある程度人間の動向を予測するスキルが自然と備わっていくものだ。楽な仕事ではないが、やり甲斐は確かにあるといえる。

 「でもね、『紅花ちゃん』。騎士が最後に必ず栄華へ辿り着くだなんてお伽話はいい加減卒業した方がいい。でなければ、その慢心はいずれ必ず君へ災厄を齎すよ。……と言っても、もう遅いのだけど。ああ、怖いねえ怖いねえ――」

 戦争の導火線は灯された。
 もう誰にも、戦火が燃え盛るのを止められない。
 聖杯はすぐそこに――七人の求道者達が、その生誕を待っている。






 これは、運命を外れた物語――――





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最終更新:2014年06月12日 19:43
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