おはなし(終)

46◆おはなし3




 この世界に生まれ描かれた時、天飼千世は一人だった。
 どこかも分からぬ研究室に、気が付けば文字は存在していて。
 天飼千世を生み出した「何か」あるいは「誰か」は、どこかへ消えてしまっていた。

 ただ自分が文字であることと、文字なのに人間の姿をしていることだけが分かって、
 そのアンバランスさに天飼千世は戸惑い、不安を覚え、自らの未来を憂いに憂いた。
 どうすればいいのか。何をすればいいのか。この先、何が起こるのか。

 知りたくなって。

 気が付けば天飼千世の視界には、《1000パターンの未来が映っていた》。
 はっきりと、見えていた。現在点、現在状況からの――《天飼千世の、結末》。死の瞬間の千が。

「正直言って、最初の《1000》は、全く好いものではなかったよ」

 天飼千世はその《結末の羅列》によっていくつかの事を知ることになった。
 天飼千世の血が虹色であること。
 食事を取らずとも生きていけること。
 年も取ることはなく、身体が衰えるということもないこと。
 身体を動かせばその身体能力は、人間の限界以上まで引き出せること。
 そして、心臓を貫かれれば……人間の身体と同じように、普通に死んでしまうこと。

 それが分かったのは天飼千世が多くの《結末》で血を流していたからだ。
 《結末の1000》のうち1000全てが、天飼千世の死を予見していた。
 発見され、実験動物にされた果ての死。
 気味悪がれ、化け物扱いされた果ての死。
 見つからないよう逃げ続け、孤独に耐えきれなくなって自ら選んだ死。
 近くて数年後、遠くて千年後、どのパターンであろうとも、
 天飼千世はその生き様の中で、弄ばれ、苛まれる結末に至るようだった。

「ふふ、分かってるよ。もともと学者だしね、論理的に考えたらそうなることくらい分かってた。
 ヒトの形をしてても、文字はあくまで文字。ヒトじゃない。
 そんな「にせもののばけもの」がいつまでも楽しく暮らそうなんて、できっこないって、普通はそうなる」

 でも。

「だからこそ、天飼千世は望んだ。……アナタとおなじように。 
 たとえ何を犠牲にしようとも、自らが楽しく生き続けることを望んで、選んだ」

 天飼千世は、そんな未来を否定した。結末を棄却した。
 戦うための資料は近くにあった。
 天飼千世を生み出すために、重ねられた実験の資料の数々。
 それらは何年もかけたらしいわりにはお粗末なものだったが、参考にはなった。
 虹色の血で描いた文字を誰かに解釈してもらえば、それが力になる――ルール能力のシステムことはここで知った。

 任意の《未来》は見えず、《自己の結末》だけだったが、《1000の未来》も参考になった。
 たとえば、天飼千世が殺される《結末》なら、その殺害者は知ることが出来る。
 それ以外にも、多くの場合天飼千世は、誰かを恨みながら死んでいた。
 その恨み言に浮かんだ名前も、ヒントだった。天飼千世が生き抜くために邪魔になる者は、リストアップできる。

 天飼千世自身には、《未来が見える》以外になんの力もない。
 しかしその血液で綴った文字に力を持たせれば、何だって出来る。誰とだって何とだって、戦える。
 そこまでは、分かった。
 だけどそれでも、そう簡単には未来は変えられなかった。

「いくつかの可能性で、天飼千世を拘束し、研究施設に売り渡す役をする教授がいた。
 人間だったころの「天飼千世」の恩師だったらしいけれど、天飼千世にとっては害成すものでしかない。
 殺すことにして、いくつかの文字を用意した。自らの身を護り、相手を確実に殺すための、文字」

 天飼千世が懐から紙を三枚取り出す。
 虹色のインクで描かれているのは、
 《八方美人》、《高論卓説》、そして、《生殺与奪》。

「たとえば、アナタの銃弾を避けたのは、《八方美人》の解釈能力。
 これは《所有者と会話をした人は、その後、所有者を殺せなくなる》強力な能力で――」

 と、天飼千世は《八方美人》の紙に手を伸ばしてきた少年からひらりと紙を躱す。
 少年はなおも追いかけようとするが、硬直する。《椅子から身体が離れない》のだ。

「ふふ、油断も隙もないね。こちらにも、ないけれど。
 今体感している通り、アナタを椅子に座らせたのは、《高論卓説》。
 《所有者が説明している間、聞いてる人を卓から離れられなくする》解釈能力だ」

 ならばと耳を塞ごうとする少年を、天飼千世は愛しそうに見つめる。
 指でふさいだ程度では完全に声を遮断など出来はしない。
 鼓膜を潰せばいいが、そのディスアドバンテージを負うリスクを少年は「まだ」取れないだろう。
 そこまでは考えただろう上で、なお試行をためらわない少年が、天飼千世にはかわいく見えた。
 だから? いや、だからこそ。
 天飼千世は最後の文字まできちんと説明し、少年に対等を押し付ける。

「そしてアナタから銃を奪ったのが、《生殺与奪》の解釈能力、だよ。
 これによって天飼千世は、《目の前の一人が持っている、命を含む持ち物の所有権を、握ることが出来る》」
「……」
「まあ、これはあくまで例であって、実際その時は他の文字で殺したんだけど」

 話しを戻そう。
 天飼千世はそこまで言って一旦言葉を区切ってから、上を向いて言った。

「言ってしまえば。障害を殺した程度じゃ、たいして変わらなかったんだよね。
 得るものはあったけれど、この方法は明らかに効率が良くなかった」

 未来を変えることの、難しさ。
 予知能力者のジンクスとでも言うべき現象は、どんな生命にも平等に発生した。
 天飼千世がその《結末》に影響を与える・与えるであろう存在を排除したとしても、未来は好転しなかった。
 恩師たる教授を殺した天飼千世が見たのは――およそ二百の《結末》が、別の《結末》に差し替えられる瞬間だった。
 でも、差し替えられた先も望んだ《結末》ではなかった。
 なにせたった一人の文字に対して、人間は七十億いる。
 一人を未来から消したところで、《結末》に現れる名のリストには、代わりの誰かが入ってくるだけだった。

 好転ではないが、変化といえば変化はあった。
 殺害のために「解釈能力つきの文字」という武器を手に入れたことで、天飼千世が殺される確率は減ったのだ。

「未来は人を殺すより、文字を増やした方がよく変わった。
 天飼千世はそこに希望を見出して、まず「使える」文字を増やしていった」

 天飼千世は文字を増やすことにした。
 ルール能力を纏い、天飼千世単体の戦力を強化していく。
 誰にも邪魔されないように。誰にも止められないように。銃火器でなく理論でもなく、文字で武装をしていく。
 結果、少し経ったころにはもう、
 《1000の未来》の中に天飼千世が殺される《結末》はほぼ存在しなくなった。

「そしたらそこで、終わりかなと……天飼千世も思ったよ。
 でも、終わりじゃない。《死の結末》が1000パターン見えているということは、結局は死ぬということで。
 殺されることは一切なくなった代わりに、
 今度は、“天飼千世のせいで人類が滅ぶかもしれない”ことになっていたんだ」

 そりゃあそうだよね、と天飼千世は呆れ笑いする。
 当たり前の話だ。
 人類がどう頑張っても倒せない存在が居るのであれば、それは人類の敵だ。
 敵として認定され続け、戦いに直面し続け……気が付くと人類が滅んでいたパターン。
 あるいは畏れられ、崇められるというパターンもあった――しかし天飼千世の血が「文字の力」を生む以上、
 天飼千世が存在する限りその「力の使い方」をめぐって争いは絶えなかった。

 常に銃口を向けられるか、常に顔色を伺われるかの、二択。
 そんな未来は天飼千世は望んでいなかった。
 望んでいるのは、安寧と、退屈しない世界。ただそれだけなのに。
 殺されなくなった先の《1000の未来》では、天飼千世はすべてに嫌気がさして、
 人類を滅ぼしたあと、または一人でひっそりと、自決することを選んでしまっていた。

「ここに至って――天飼千世は気付いてしまった。文字が1人きりである限り、望む幸せは訪れないのだと。
 個人ならともかく、人間全体と分かりあうことなんて、文字には出来ないのだと。
 そこで、天飼千世は手詰まりを感じて……《文字に話しかけた》。初めて助けを、求めた」

 すると不思議なことに……《文字が人になった》。

「天飼千世が《文字をヒトにする》ルール能力に気付いたのは、ここからだ」

 ・
 ・
 ・
 ・

 文字をヒト化することで、その文字はほぼ完全に天飼千世の支配下に置くことが出来る。
 ヒト化させた文字に意識を与えるかどうかのオン・オフ権限は、天飼千世が握っていたからだ。
 絶対に刃向かうことのない駒は、それでいて自分ではなく、ヒトとしての意識も持つ。
 それはとても平和で。
 しかも退屈しないことができる。
 天飼千世にとって、素晴らしい発見だった。

「それだけじゃない。《ヒトを文字に挿げ替える》ことで、
 天飼千世は未来の《1000》に対して新たなアプローチが出来るようになった」

 これまでは、天飼千世の邪魔となる因子を天飼千世は殺すことしかできなかった。
 しかし《文字のヒト化》は、《ヒトを文字へと挿げ替える》方法とも呼べるものだった。
 つまり。
 天飼千世のジャマをするヒトをただ殺すのではなく、しかし《文字のヒト化》は、《ヒトを文字へと挿げ替える》方法とも呼べるものだった。
 つまり。
 天飼千世のジャマをするヒトをただ殺すのではなく、
 それをそのまま《文字にして》、「こちら側」にしてしまうことで。
 ヒトそのものの外形を殺さず、それがもたらす未来だけを殺すことができるようになったのだ。

「《未来は減った》。結末を導く因子を《文字へ替える》たびに、
 1000あった未来は、900になり、800になった。
 それは、減った分の未来可能性線では、《結末が訪れない》ことを意味する。
 天飼千世が生き続けられていることを意味する。
 天飼千世にとっての理想の未来が、ここにきてやっと導けるようになったんだ」

 そうとわかれば後は効率化だ。
 文字をヒトにするためにはヒトに文字を与えて歴史を刻まなければならないのは、すでに語った。
 それを最も効率よく行えるのは殺し合いであることも説明済みだ。

 あとは、「天飼千世にとって障害となる沢山の因子、
 および因子へ影響を与えることができる周囲の人物」からランダムに人間を選び取り、集めて殺し合わせるだけだ。
 次へ生かすため実験データを取り、かつ死んだ因子は《文字へと挿げ替え》ることで未来を良いものへ替える。
 文字の仲間も増え、殺し合いの中継と管理で天飼千世は退屈せず、
 さらに新たな戦闘向けの解釈能力が手に入ることで天飼千世の戦力はさらに充実する……。

「お陰さまで、残りの悪い未来は400を切った。でもまだまだだ。
 《1000の未来》のどれにたどり着くかは、平等じゃない。天飼千世の予測では、
 残った400の未来のどれかにたどり着いてしまう確率の方がまだ多い。
 ここに至って、ただ《文字に挿げ替える》だけでも未来が変わりにくくなった。
 未来は減った、減ったけれど、この方法だけで可能性を全て消すには、足りないらしい」

 決定的な何かが必要なんだ、と天飼千世は言う。

「そこで――勇者だ」

 勇者。
 天飼千世に対して因縁を持ち、自分から天飼千世を殺しに来る存在。
 それが400を1にする、鍵。

「天飼千世はそれまで殺して文字に変えていた“殺し合いの優勝者”を、ここ数回は野に放つことにした」

 それどころか、自分の目的を伝え、弱点すら伝え、殺しに来るように仕向けた。
 するとどうなったか。
 情報が共有され、単純に天飼千世の死亡確率が上昇する? そんなことはない。
 四字熟語の殺し合いが行われているなどそれこそ都市伝説めいた話、簡単には信じられない。
 “殺し合いの優勝者”は自然、一人で天飼千世に立ち向うことになる。

 優勝者が増えて徒党を組むこともあろうが、それでも数人。
 その数人だけが――天飼千世を倒すすべを知っていて。
 いずれ訪れてしまう天飼千世と人類の終末戦争に、参加せざるを得ないとなれば。

「人間ってのはさ、誰かが代わりにやってくれるなら、自分は後ろに下がる生き物なんだよね。
 そのくせその誰かが失敗すると、自分がやってすらいないのに非難して悲観する。もうそれは出来ないものだと思いこむ。
 学習能力が高いというのも考え物だ。押し付ける術を、生贄を作る術を、理性が心得てしまっている。
 さらに押し付けられたほうは押し付けられたほうで、それが自分にしかできないことであるならば、
 やらなければならないのではないかという義務感を感じてしまったりする。よく出来ているよ、本当に」

 勇者がいるならば、勇者に任せて人類は後ろから見るだけになる。
 400ある結末は「勇者との戦い」というひとつに集約する。
 さらに、その勇者がひどく、とにかくひどく、無惨にやられれば――折れる。

「まあ、そうゲームのように単純にはいかないから、いまはバランス調整の段階だけれど。
 アナタで何人目だったか――“勇者”たちはすでに、天飼千世を倒そうと動いてくれているよ。
 それによる未来可能性線の減少も天飼千世は確かに感じている。進歩がある。とても嬉しいことだ」

 なにより殺し合いの優勝者をそのまま勇者とする発想がよかったかもしれない――と天飼千世は述べた。

「――だって、理不尽に開催した殺し合いを生き抜いてくれれば、間違いなくこちらを恨んでくれるからね――」



「そろそろ、まとめてもいいですか?」

 と、紆余曲折は言った。
 長く身の上を喋っていた天飼千世に対して、ずっと興味なさそうな顔で話を聞いていたが、
 ここでついに言葉を差し挟んだ。

「ん? ああ、いいよ? 長話してすまなかったね、しかも一方的に。そうだなあ、アナタの意見も聞きたいかな。
 今の話、まあすべて本当な訳だけどさ――どう思った?」
「そりゃあもうあれですよ」

 それが当たり前だという風に、紆余曲折は斬って捨てる。

「うだうだ言って周りに迷惑かけてないで勝手に死ねとしか言いようがありません」
「あー……あははは! 言うねえ!」
「だってなんか、色々語ってましたけど、それ結局あなたが死ねば早い話ですよね。
 千個の未来すべてで惨たらしく死んじゃうことが確定してるなんて、世界に嫌われてるとしか思えませんよ。
 実際に所業も最悪だし、救いようがないです。僕から言わせれば――あなたは欲張りすぎる」

 欲張りだと。
 業突く張りの、欲の塊であると断じた。
 天飼千代はふふ、と笑うと、楽しそうに言葉を返す。

「でも、これはアナタと同じですよ?
 いえもっと言うなら、一般的な人間となんら変わりはありません。生きたいから生きる術を探している。それだけなんですよ。
 死ぬのなんて嫌に決まってるじゃないですか? 殺されるなんてもっとまっぴら御免だ。
 ひとりで生きていくことならできるかもしれないけど、そんなのは楽しくない。それだったら死んだほうがまし。
 だったら答えは一つでしょう? それ以外に方法なんてない。生まれた時点で決まってたこと……」

 そらぞらしく言い振る舞う天飼千世に、冷たい目線を向ける。 
 ふと言葉を思い出す。紆余曲折にとってかけがえのない存在となった、ある恩人の、剣であり盾でもある彼女の言葉。
 生きているっていうのは――誇りを持っている間の事を言うんだ。
 生きたいって思ってない奴は――死んでいるのと同じだ。
 じゃあ、何を犠牲にしてでも楽しく生きたいと思うのは――。

「違う」

 紆余曲折は言う。

「生きるっていうのは」

 紆余曲折は、結論を言う。

「死から逃げるって、ことじゃない。辛いことから逃げて、楽しさだけを追い求めることでもない。
 いつか死ぬってことも、目の前に辛いことがあるってことも、全部全部飲みこんで、呑みこんで、体中にそれを浸透させて、
 何度でも嫌な気分になって、何度だって負けそうになって、何度だって諦めそうになって、何度だってそういうことを繰り返して、
 それでも、それでも……それでも前に進むのが。傷だらけで進むのが。生きるって、ことなんだ。
 ずっと楽しく生き続けようだなんて欲張りもいいところだ。
 良い未来だけ、おいしいところだけ食べて生きて、それで生きたつもりになってるなら――大間違いだ」
「たかが十数年しか生きてない君が、人生を説いてくれるの? 面白いね」
「一度も辛い選択肢を選ぼうとしなかったあなたよりは生きてるんじゃないですか?」
「ははは……アナタから見た天飼千世は、人を殺すのが辛くないんだね」

 天飼千世が笑う。

「もう、そういう風に見られちゃうんだよね。まあ、仕方ない、かあ。麻痺、しちゃってるもんな」
「……」
「うん。そうだ。辛いことは起きる前に回避してきたからね。辛いことは経験していない。
 経験していないんだから、辛いと感じたことだってもちろんない。天飼千世は、そういう存在さ――。
 ふふ、やっぱりアナタは素晴らしいよ、紆余曲折。アナタみたいな勇者を、天飼千世は望んでた」

 酔ったような表情で紆余曲折を見る。

「アナタはアナタがアナタらしく生きるため……“それだけのために”こちらを殺しにきてくれる。
 復讐や夢を叶えるために動くようなのは、それが達成しちゃった瞬間に終わってしまうけれど、アナタは終わらない。
 いつまでも相手をしてくれる。いつまでだって遊んでくれる。
 ふふ、そろそろ、元の世界に“還す”けど……ホントならずっとここでこうやっておはなししていたいくらいだよ?」
「そうですか」
「そうです」
「じゃあ、よかったですね」

 ?
 天飼千世は頭の上にハテナマークを浮かべた。
 いま、紆余曲折は「よかった」と言った。
 どうしてこの流れで、自分のほうがよかったと言われなければならない?

「ん? どういうこと?」
「だから、よかったじゃないですか。死ぬまでおはなしできるんですから」
「……何を言ってるのかな」
「もうおはなしは充分聞いた、ということです」

 紆余曲折はふう、と短く息を吐いた。
 そして、着ている学生服のポケットに手を入れた。

 ポケットに、手を入れた。

 天飼千世は考える。なにかがそこにある? では、何がでてくる。
 《百発百中》の銃は、こちらが取ってしまっている。紆余曲折は見た限りでは他に武器を使っていない。
 首輪は回収させた。首輪の中に入っていた《紆余曲折》の紙か? だがそれでなにができる。

 何が出てくる?
 ――いや、何が出てこようと問題はないはずだ。
 天飼千世は手札を見せている。
 天飼千世という存在を守る文字の盾は三つある。

 一つ、《八方美人》を使う限り、天飼千世と喋ったことのあるものは天飼千世を殺せない。
 一つ、《高論卓説》を使う限り、天飼千世が喋っている間、紆余曲折は席から動けない。
 一つ、《生殺与奪》を使う限り、天飼千世は紆余曲折の所有物の所有権を握る。

 これらの文字がこの場の絶対のルールだ。
 これは覆せない。
 覆せない、はずだ。

「あなたは覆されることを望んでる。だからそう、これはあなたの……望み通りなんじゃないでしょうか」

 紆余曲折はつまらなさそうに、見透かしたことを言ってくる。
 いや、それは当たりだった。
 なぜなら、万全を期すならば、紆余曲折が紙を取り出そうとした時点で《生殺与奪》によりその紙を奪うべきだからだ。
 しかし天飼千世はそれをしない。ぎりぎりのぎりぎりまでスリルを味わいに行く。
 どうあがいても覆せないはずの仕組み(ルール)だからこそ――それをどう覆してくるのかに、興味が行ってしまう。
 それは認めよう。

「望み、ですか」
「そうなんでしょう。そうとしか思えない。そうじゃなきゃ、僕はこんなに反抗的な態度を取らせてもらえない。
 さきの狂乱を思うに、“僕”は、あなたが見通す未来に居ないんでしょう?
 【どうしてきみが世界を変えうるかだけは、最後まで見えなかった。】
 僕があなたの邪魔になることまでは探し当てたのに、どう邪魔するかまでは見えなかったんでしょう」
「……ふふ、そうだね」

 そしてこれを語る時、紆余曲折という存在自体がイレギュラーな勇者候補だったことにも言及せざるを得ない。
 「天飼千世にとって障害となる沢山の因子、および因子へ影響を与えることができる周囲の人物」のリストに、紆余曲折は「いない」のだ。
 他の因子は、1000あるうちのいずれかの結末に登場する。あるいは結末を導く立場にいる。あるいは結末から逆算してその存在の重要性を確認できる。
 どうして天飼千世の敗北に彼または彼女が関わるのか、という問いに、理由をつけることができる。
 例えば傍若無人であれば軍人として相対してくる。例えば一刀両断であれば弁護士として相対してくる。例えば切磋琢磨であれば武人として相対してくる。
 優柔不断などは関わりを調査するのに少々時間が掛かったが、彼がとある日にとある女の子をナンパしようとして出来ずに逃げたことが巡り巡って面倒な事態を引き起こすことを導いた。

 しかし紆余曲折と言う少年は、どの結末にも登場しない。
 1000あるどの結末をどれだけ推察しても、紆余曲折はそれに関わっていないし、紆余曲折の周りの人物も関わっていない。
 世界の終焉――天飼千世以外が全て死んでしまう可能性線では、彼はいち一般人としてゴミのように死んでいる。
 そもそも彼の将来を見ても、どう転がしたとしてもせいぜいがゲームの世界大会で優勝する程度の存在でしかなく、
 世界を相手に阿呆な大立ち回りをしようとしている天飼千世からすれば、あまりにもちっぽけな存在であるはずだった。

 それでも彼は天飼千世の敵だと、四字熟語は導き出した。
 危険な敵を知らせてくれる四字熟語を使って洗い出した【天飼千世の敵】の中に、彼は名を連ねていた。
 不一致。
 1000の未来に登場しない、敵。
 完全な勝利を必須条件にしている天飼千世にとってそれは、看過できない不整合性だった。

「そうそう。だから天飼千世は、アナタのことを隅々まで調べ上げて、様々なことを確かめようとした。
 アナタは覚えていないだろうけど、天飼千世はこの世界に来る前のアナタに、ほんの少しだけ接触していて、気に入っていたんだ」
「そうなんですか。それは残念ですね。
 ちょっとだけ期待してたんですが――記憶を失う前の僕も、やっぱり貴女に気に入られてしまうような人間だったんだ」
「名誉だと思ってくださいよ。勇者に選ばれるに足る精神性を持っているんですから」
「僕みたいな人なんてどこにでもいると思いますよ」

 それこそ、どこにでも。と言ってから。
 紆余曲折がいよいよ、ポケットから手を取り出し始める。

「ところで。まだ、《見えて》いませんか?」

 そして、質問をしてきた。
 《天飼千世》は返す言葉の前に確認する。1000の未来を。
 正確には、ここまでの足掻きによって400パターン程度まで減じた、敗北の未来世界可能線を。
 ――変化は、ない。
 天飼千世が見る未来に変化はない。

「見えないな。アナタはいったい、何をしてくれるのかな?
 こちらには《八方美人》があるのだけれど。天飼千世とおはなしをしてしまった状態から。どうやって、天飼千世を殺すのかな?」
「そうですか。見えていないんですね。
 可哀想なくらいです。あなたは、肝心なことが、見えなくなっている」
「……?」
「だから、なんで僕がこんなに怒っているのかにも、あなたは気付くことができない。
 そしてあなたは、あなたがもう詰んでいて、もう未来が訪れないことにだって――気づくことは無い」
「何を言っているのか、やっぱり分からないなあ。
 分からない――分からないよ、分からない……うふふ、未来が見える天飼千世が、アナタのことだけはこんなにも分からない……」
「では、ひとつだけヒントをあげましょう」

 紆余曲折はポケットから手を引き抜く。

「あなたの失点はただ一つ。僕がリョーコさんをなぜ殺せたのかを、見ていなかったことだ」

 引き抜いたそれを両手で持って、天飼千世の前に広げる。

「見ていないんだ。自分で開いた殺し合いの一部始終を。
 奇々怪々に任せて、経過を報告させるだけで、あなたは何も見ていない。
 今から僕を現世へ送り返した後に、ゆっくりと楽しむつもりだったのかもしれませんが、ふざけてる。
 人を殺し合わせておいて、その観測すらせずに、ただ優勝者が決まるのだけを待つ、そんな人に、そんな文字に、
 ごちゃごちゃごちゃごちゃ身の上の悲劇を言われたところで――何が心に響くんでしょうか!」
「あ……」
「僕はあなたを殺しに来た、そう最初に言いましたよね。“これ”が答えです」
「アナ……タ……」

 天飼千世は目を見開いた。

「僕があなたを殺す未来が見えない? 当たり前です。僕は、あなたの未来ごと殺しに来たんだ」

 紆余曲折が取り出したのは、四角い紙。
 娯楽施設からの脱出に使われた、《胡蝶之夢》が描かれた紙。
 その裏に。裏側に。
 ここに来る前に、彼はもう一つ、七色のペンで文字を書いていた。

「おはなしはもう充分聞きました。あなたを殺せない僕に、たくさんのご教授をありがとうございます。
 今度は――あなたを殺せる僕と、殺し合いをしましょうか」

 ――《原点回帰》。

 それは天飼千世が見ることのできない、千一個目の《結末》への切符。
 おはなしを、ふりだしにもどす、四字熟語。

 いくら《結末》が見えようと、《結末》にたどり着く前にその未来を過去に接続されてしまえば――その行為は、観測できない。



おはなし(中) 前のお話
次のお話 殺し合い

前のお話 四字熟語 次のお話
おはなし(中) 紆余曲折 殺し合い
おはなし(中) 天飼千世 殺し合い

用語解説

【1000の未来】
天飼千世がその目に見る、1000通りの「結末」。
千の世界が彼女を終焉へと導く。
だれもかれもが彼女の死を予約しているかのように。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2017年04月23日 21:21
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。