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ゼロの花嫁-20 B - (2009/05/21 (木) 03:29:24) の1つ前との変更点
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#navi(ゼロの花嫁)
早朝、皇太子ウェールズは慌てふためく兵に起こされる。
要を得ない兵の言葉に、ともかく現場へ向かうべしと城を出て、城壁上へと足を運ぶ。
そこで彼は信じられない物を目にする。
城下町の更に先、包囲が完成して以来、最早突破は不可能と思われた敵の前衛が大きく崩れているではないか。
すぐに視線は混乱の中心と思われる戦場に向けられる。
まるで巣に群がる蟻のようだ、そう最初に感じた。
包囲網の中心に位置し、先陣をきるべく備えていたであろう敵部隊のど真ん中で、
時折この距離からでもわかるぐらい人が跳ね跳んでいる。
人の波が混乱の只中に殺到する、その隙間隙間に見える大地は、薄茶色のそれではなく、
黒く濁った色をしており、その場の異質さをより強調してくれる。
少し考えて気付く。
あの黒は大地の色にあらず。人の成れの果てであると。
あれだけの大地を黒に染めつくす死体の数、十や二十では効くまい。
百か、二百か、それを、まさか、あの中心に居るたった二人がやったというのか。
前衛の布陣が乱れる程の時間、ああして戦い続けていたというのか。
遠眼鏡で確認したその姿は、トリステインからの客人、ルイズ・フランソワーズとその使い魔燦に間違いない。
使い魔が手練なのは知っていたが、あの主人ルイズ・フランソワーズの豪勇はどうだ。
彼女の周囲に居た敵兵達は、まるで空を飛ぶ竜の巨体に跳ね飛ばされているかのようではないか。
オーク鬼ですらあのような真似は出来まい。いや、あんな真似が出来る存在が、この世に居たという事がそもそも信じがたい。
あまりに非現実的すぎる光景に、ウェールズは騒ぎを聞いて駆けつけた部下達同様、ただ見入る事しか出来なかった。
キュルケとタバサは知らせを聞き、血相変えて城壁上へと向かう。
まさか、という気持ちと、やっぱり、という気持ちが入り混じったまま階段を駆け上ると、
キュルケはその先にあった光景に仰け反ってしまう。
十メイルを越す高さであるにも関わらず、視界いっぱいに広がる敵反乱軍の陣容。
五万という数を頭の中ではわかっていたが、こうして眼前におかれて初めてキュルケは理解する。
無数の人の塊が、城の周りに幾つも点在している。
誰もがきらきらと輝いて見えるのは、手にした武器や鎧のきらめきであろう。
そんな銀色に、大地の半ば以上が埋め尽くされている。
あれだけの数を集めながら戦えぬ女子供は一人として存在せず、全てが武器を手にした必殺の意思を持つ者達。
統一された意思の元、ただひたすらに敵を倒すべく、それだけの為に存在している集団。
あの群集の中にあっては、個人の意思など存在する事すら許されず一瞬で踏み潰されてしまうだろう、そんな圧倒的な質量。
ちらと目をやると、遠すぎて区別がつかないが、確かにその一角に乱れに乱れた陣容が見られる。
「……何……やってんのよ……。こんなの……どうこう出来るわけないじゃない……」
そこにルイズ達が居る。そう聞かされている。
しかし、ルイズ達の圧倒的なまでの戦力を知っているキュルケですらわかる。
個人の武が、この絶望的な景色を覆すなぞありえない。
そこにたかだかアルビオン軍三百人を加えたとて結果は一緒だ。
大海に砂粒を落とすような行為だ。
ルイズ達の奮戦を目にしながらも、キュルケはそう結論づけざるをえない。
城壁上から見える反乱軍五万の陣容は、笑えるぐらいに、どうしようもない存在であった。
不意に、アルビオンの兵が雄叫びを上げる。
声も枯れよとばかりに張り上げた叫びは、次第に感染していき、城壁上の兵達全てに伝播する。
そう、アルビオン三百の兵は全て城壁上に上がり、この夢まぼろしのような光景に見入っていたのだ。
勇むでなし、脅すでもなし。雄叫びに目的など無い。
ただ体の奥底から湧き上がる衝動を堪えきれず、喉を介してこの世に解き放つのみ。
この時彼等兵達の心は、襲いくる敵兵達の殺意に負けじと気勢を上げるルイズ、燦と完全な同一化を成し遂げる。
遠眼鏡でなくば姿すら定かではないルイズが周囲を薙ぎ払い、天空目掛けて絶叫を迸らせる。
それは聞こえるはずの無い声。
しかし、その響きは男達の魂をも揺さぶる。
「うおああああああああああああああっ!!」
それは返礼。城壁上からの勇士達の声に、ルイズは全身全霊を持って応えたのだ。
ほんの僅かばかり冷静さを残していたウェールズは、ロクに音も聞き取れなくなる大絶叫の最中、周囲を見渡し人を探す。
二人見つけた。
ルイズと共に来た青い髪の少女、
そして、これだけの興奮に包まれながらもウェールズ同様鋭い視線で周囲を探っている緑髪の女性。
より大人な緑髪の女性の手を取り、ウェールズは縋るように、いきり立つ競走馬のように猛り狂いながら言う。
「後を頼む!」
「え? ちょ、ちょっとまさかアンタ……」
ウェールズは剣を抜き、高々と天へと掲げる。
「我に続け! あの勇者を見捨てるなぞアルビオン人の名折れぞ!」
一際大きな歓声と共に、城壁を駆け下り馬に飛び乗るアルビオン兵達。
キュルケは震えながら彼等の迷い無い動きに慌てふためく。
「ね、ねえタバサ! 何なの! 一体何するつもりなのよ!」
タバサは苦々しく眉根に皺を寄せる。
「……彼等も後を追うつもり」
縋りつくようにタバサの両肩を掴むキュルケ。
「何でよ! こんなの勝てるわけないじゃない! みんな死ぬわよ! 一人残らず殺し尽くされるわよっ!」
「それが彼らの望み。剣で斬られ、槍で貫かれ、魔法でズタズタに切り裂かれる為に彼等は戦場に向かう」
「そんなのおかしいじゃない! 何で死ぬのが恐くないのよ! 何で……」
がたがた震えながら、彼方を見やるとルイズが暴れる戦場が目に入る。
「何でルイズがあそこに居るのよおおおおおおおおお!」
タバサはキュルケの腕を優しく掴む。
「……もう打つ手は無い。私達は逃げる女子供を誘導しよう……」
冷静に戦場の動きを見ていたタバサは、ルイズ達を包囲している兵の数と、こちらが保有する戦力とをしっかり見据えていた。
なし崩しに城への攻撃態勢を整え始めている軍も居る。事は一刻を争う。
しかし、キュルケはその場から動こうとしない。
気勢を上げるアルビオン兵達を城壁上から見下ろし、何度も首を横に振っている。
タバサはキュルケの腕を強く握り締める。
「ダメっ! 流されたらキュルケまで失う事になる! お願いだから踏み止まって!」
キュルケはぼろぼろと涙を溢していた。
「だって……アイツ、友達だもの……でも、恐くて恐くて仕方が無くて……足が動いてくれないの……」
「それでいいっ! 私が助けるから城を脱出して!」
泣き笑いの顔で、キュルケはタバサを突き飛ばす。
「わああああああああああああっ!」
何もかもを吹き飛ばしてくれと言わんばかりの勢いで絶叫を上げると、
城壁下で城門が開くのを待っていた兵達が声に気付いて一斉に見上げる。
これでキュルケにも逃げ道は無くなった。
彼らの視線を一身に受け、キュルケは城壁から飛び降りつつレビテーションの魔法を唱える。
「私はツェルプストー家のキュルケ! 友の為! 薄汚い反乱軍を燃やし尽くす為! 助太刀させていただくわ!」
来るんじゃなかった。それが土くれのフーケ兼ロングビル兼マチルダ・オブ・サウスゴータの偽らざる本音である。
ルイズが使い魔と一緒に敵に突っ込んだと聞いて、
そんな馬鹿なと思いつつ城壁上に上がってみると、本当にやってやがったあの馬鹿。
如何にロングビルのゴーレムを粉砕した力があるとて、五万相手にたった二人で何が出来るというのか。
平民の兵ばかりではない、メイジもぞろそろ居る中に突っ込んでは、
損害は与えられるだろうが、一軍すら打ち崩せず力尽きるであろう。
何が何やらわからない中、どうやら他の兵達もつっこみそうな気配を感じ、混乱の最中にここを抜け出し、
お宝を頂いておさらばするかと段取りを組んでいた所、何とウェールズ王子に声をかけられてしまった。
ロングビルに声をかけてきたのは、
この場で冷静に物を見ているのがロングビルだけだったせいであろうと当たりをつける。
アルビオン王家には恨みがある。というより恨みしか無い。
だが、しかし、勇敢な人間の託すような最後の願いを鼻で笑う程、ロングビルはまだすれてはいなかった。
何より、彼が頼むと言ったのは、城に残された女子供達の事なのだ。これを見捨てるなんて真似出来ようはずがない。
平然と人を見捨てられる者が、自身の全てをかなぐり捨ててでも誰かを救う為に働くなんて真似、出来るはずがないのだ。
「あー! もうっ! よりにもよって私に頼むなんて正気!? 何だってこんな事になってんのよ!」
他に出来そうな人間も居ない。こちらには気付いていないようだが、
同じ城壁上に居るタバサやキュルケに頼むわけにもいくまい。
何やら揉めているタバサとキュルケを置いて城壁を駆け下りると、
不安げに城の入り口付近に集まっていた女子供の下に駆けつける。
「何時までもぼけーっとしてないの! 段取り通り脱出に取り掛かりなさい!
この期に及んであの人達の足手まといになりたいの!?」
開口一番怒鳴りつけると、皆はっとして城内へと走り出す。
「そこの貴女! 貴女は城内回ってまだ残ってるボンクラ引っ張り出して来て!
そっちの貴女も一緒に行きなさい! それと……」
次々指示を下し、脱出の手はずを進めさせる。
城壁上で敵の動きは見てきた。
攻城準備を整えている軍は、下手すると脱出より前に乗り込んで来るかもしれない。
そうなってしまったら終わりだ。脱出船の存在がバレれば、如何に秘密の抜け道を通るといえど、
回り込まれて捕捉されてしまうだろう。
避難の為山ほど人間を積む予定の船が、軍船に速度で敵うはずなどないのだから。
「あーもう! チンタラしてないの!」
片足を引きずっている老人に肩を貸しながら船へと走るロングビル。
『アニエスは? まさか一緒になって突っ込んでるとは思わないけど……
まったくもう! 何もかも無茶苦茶じゃない! 少しはまともに戦争しなさいよアンタ等!』
城門が開かれると、そこから噴出してきたのは、殺意の塊であった。
一塊の疾風と化し、城下町を抜けるとその姿を反乱軍の前に晒し出す。
遠目に見えるその姿は、まるで一個の生命体のようである。
しかし間近まで寄った所でようやく正体を悟る。
魔法による砲撃を歯牙にもかけず、まっすぐ標的目掛けて突き進む姿はまるで死そのものだ。
飲み込まれれば命は無い。そう確信出来る程、彼等の目は狂気と殺気に満ちていた。
尋常ならざる事態とばかりに、亜人の兵すら差し向け押し囲んだ正体不明の二騎の為の包囲網。
この包囲網に真っ向から飛び込むと、無人の野を駆けるがごとく突き進み、あっと言う間も無く合流を果たす。
「ルイズ殿! サン殿!」
アルビオン兵が引き連れてきた馬を放つと、ルイズと燦の二人はこれに飛び乗り死の濁流の一部となる。
馬を寄せたウェールズが、喧騒の最中でも聞こえるよう大声を張り上げる。
「我等はこれより敵首魁、オリヴァー・クロムウェルの首を狙います!」
言葉自体にはまだ品の良さが残っていたが、それを発するウェールズの顔はとても一国の王子には見えぬ。
まるで地獄の底より這い上がってきた悪鬼羅刹のように目尻を吊り上げ、犬歯をむき出しに獰猛な笑みを見せる。
汗にまみれた顔で、それでもルイズは声を張り上げ笑い返す。
「はっ、はははっ! それはいいわ! サン! 一度歌は落としなさい! 私達もこのまま突っ切るわよ!」
「わかった! 大将首取れば私らの勝ちじゃ! そこまでの道を斬り開くんじゃな!」
「ええそうよ! 行く道塞ぐ間抜けはどいつもこいつも叩き潰してやりなさい!」
城壁上から確認してあったクロムウェルの居る本陣まで、たった三百騎で斬り進むとウェールズは豪語しているのだ。
本陣は一万騎の兵を擁する。それ以前に、辿り着くまでに三つの軍を突き抜けなければならないというのに。
ウェールズは狂気にその身を委ね、三百の勇者達と共に戦場を駆ける。
かつて、これ程の興奮があっただろうか。
率いる兵達との一体感、全てが一つの命となり、怨敵目掛けてただただ無心に突っ走るのみ。
心の奥底に溜めに溜めていたドス黒い情念を思う様ぶちまけ、一心不乱に全ての敵を蹂躙する。
そこに正義や国を守るといった心は無い。
あるのはただ、飽くなき闘争本能に支えられし一人の男が居るのみだ。
殺意に満ちた悪鬼となり、慈悲の心無き悪魔となって、敵を打ち砕く。
その為だけに、今、ウェールズは存在しているのだ。
タバサは呆然としたまま、開け放たれた城門を見下ろしている。
何も出来なかった。二人の無二の仲間が死地に向かう事にも気付かず、
学院入学以来の親友がそれとわかっていて死に向かうのを止める事も出来なかった。
抜け殻のようにぼうとした顔のまま、戦場へと目を遣る。
霞がかかっているようで、良く見えない。
母を救い出してくれた大切な仲間達は、決して生きては戻れぬ戦場へと飛び出して行った。
後を追えればどれほど楽な事か。
彼女達と共に戦場を駆け、死す時も共にと武勇を誇り合う。
そんな幸福に、ともすれば惹きつけられそうになる自分を全力で戒める。
母を守れるのはタバサだけなのだ。
その為だけに生きてきたはずなのに、何時の間にかタバサの心に、こんなにも深く彼女達は入り込んでいた。
母を失った後の人生など考えられない。そしてそれと同じぐらい、彼女達抜きでの人生など想像もつかなかった。
一人楽になるような真似は出来ない。そう頑なに言い聞かせてきた半生を恨めしく思う。
そんな意思の強さが無ければ、タバサもまたキュルケ同様城門から駆け出していたであろうから。
ふと、タバサの視界に入った景色に違和感を覚える。
その意味に気付き、愕然として城壁から身を乗り出すと、
どうやら違和感は事実である事と、それを解決する術が無い事がわかる。
きょろきょろと周囲を見渡し、城壁端にかかげられたアルビオンの旗を見て、気付いてしまった。
思いつかなければそれで済んだはずなのだが、タバサは思いついてしまったのだ。
三百騎は走る。走る。走る。
幾たびも陣を飛び越え、軍を切り裂き、悲鳴と断末魔を纏いながら。
魔法をまともにくらい、馬から転げ落ちたアルビオン兵は、地面に叩き付けられるなり飛びあがる。
血走った目のまま、トドメを刺さんと近寄って来た兵の首元に喰らいつき、首回りの筋肉ごと咬み千切る。
後ろから槍で突かれ、深々と胴体に刺さったそれを片腕を振り下ろしてヘシ折り、
同じく横から槍で突きかかってきた男に飛びかかる。
槍で脇腹を抉られながら、敵の口と目に指を突き入れ、全力で握り締める。
同時に四方から槍を突き刺されるが、手の力はいささかも衰えず、
くぐもった悲鳴をあげ敵が倒れるのと同時に、男は力尽き倒れた。
ほっと、皆が一息ついた直後、男はがばっと立ち上がる。
全身から垂れ下がる槍を引きずりながら数歩歩いた後、男は再び倒れ、二度と起き上がる事は無かった。
歩み寄られた兵は、蒼白になりながら尻餅をつく。
「何だよこれ! こんなの聞いてねえぞ! こんなバケモノ相手なんてやってられっかよ!」
又、別所で同様に落馬した兵は、自らをも巻き込んだ炎を放ち、
全身を炎で包みながら更に斬りかかり、都合六人を巻き込んで絶命した。
戦場に正気を持ち込むなどそれこそ正気の沙汰ではない。
が、そんな戦場にあっても更に異質であるこの狂乱は、
長きに渡って裏切りに耐え続けてきたアルビオン兵の魂の叫びなのだろう。
男達は、戦場故と無理矢理納得してきた理不尽、不条理に、全身全霊を持って抗う。
理不尽な敗北も、不条理な死も、我等のみに下る裁可ではないぞと言わんばかりに。
最前衛を走るウェールズは緊張に身を硬くする。
上空彼方より飛来する飛竜部隊を目にしたからだ。
これに対する術をウェールズ達は持ち合わせていない。
ただ耐えに耐えて敵陣に斬り込み、敵味方入り乱れた状況を作る他無いのだ。
「任せて!」
馬列の中ごろから一騎が前へと走り出てくる。
その姿を認めたルイズがこの場に合わぬすっとんきょうな声を上げる。
「キュルケ!? アンタまで来てたの!」
「来ちゃ悪いみたいな言い方ね! アンタへの文句は地獄でありったけ聞かせてあげるから今はすっこんでなさい!」
杖を翳して詠唱を始める。
重苦しい言の葉の数々と、額に汗するキュルケの様子から並々ならぬ術であるとわかる。
「爆炎!」
キュルケの澄んだ声が響くと、見上げる空一杯に炎が広がった。
竜騎士達は隊列を組み、暴徒としか形容しようのないアルビオン軍へ急降下攻撃を敢行する。
そんな彼らの眼前に、突如炎の壁が出現したのだ。
慌てて竜を操る手綱を引く者は最悪の結果を迎えた。
減速した状態で炎の中に飛び込み、全身を炎に包まれ落下する。
勇気を持って加速を行った者は、それでもキュルケの爆炎の魔手から逃れる事は出来なかった。
炎の壁はすぐに突き抜けたが、極端に酸素が失われた大気を吸い込んでしまった彼らは、
胸を襲う苦しみに耐え切れずやはり竜から転げ落ちた。
後方に位置していた為、辛うじて回避が間に合った数騎のみが空を飛びまわるが、見下ろす惨状に目を覆う。
アルビオンが誇る竜騎士が、ほんの一瞬で二十騎以上失われたのだ。
数十メイルにも及ぶだろう炎の壁、こんなものを作り出す魔法など聞いた事も無い。
竜騎士隊の隊長は、それでもと再度の突撃を命じる。
これほど規模の大きい魔法を連発など出来るものかと。
儀式や魔法の道具を用いて行ったと考えるのなら、確かに隊長の判断も正しかっただろう。
しかしこれはキュルケがただ一人で、詠唱のみを頼りに行った魔法である。
五度の突撃に失敗し、多大な損害を出した所で竜騎士隊副隊長は撤退を決意する。
隊長は怯える部下達を叱咤する為三度目の突入に参加し、とうに落竜していた。
「アンタいつの間にこんな大技使えるようになってたのよ!」
ルイズがぼろぼろ落ちてくる竜騎士達を見ながら怒鳴ると、
キュルケはぬぐってもぬぐっても垂れてくる汗に辟易しながら答える。
「何時までも貴女が一番何て思わない事ね!」
「言ってなさい! すぐに突き放してやるわ!」
「はっ! あの世までだって追い掛け回してやるわよっ!」
二人の会話に合わせるように、後方から急を知らせる馬が駆け寄って来る。
そんな馬と並ぶように上から声が響いて来た。
蹄鉄が大地を蹴る音は、それ以外の音を全て消し去る程の音量であったが、
確かに、その声はルイズとキュルケに届いたのだ。
「北西へ!」
二人が同時に見上げると、後方上空に見慣れすぎたあのバカヤロウが居た。
敵中をただ一騎のみで突き抜けてきたのだろう。
美しさすら漂わせていた竜の体はそこかしこに魔法傷やら矢傷を負っている。
それでも威容は失われず、雄々しき姿を、シルフィード、風の精の名に相応しい優美さを失わず、
何より目立つアルビオンの旗を掲げながらルイズ達の真上を飛び抜ける。
「北西へ! 敵本陣からずれてる! 私が先導するからついて来て!」
小さい体から、ありったけを振り絞って叫ぶのは、最後の仲間、タバサであった。
「は、はははははははっ! 何よタバサ! 貴女まで来ちゃったの!」
キュルケは笑いが止まらなくなった模様。聞こえるはずもない呼びかけをしながら笑い転げる。
狂騒の中にあっても、アルビオン兵達がこの旗を見失うはずがない。
兵達は更なる歓喜に包まれ、タバサとシルフィードに従い進路を変える。
ルイズはウェールズの側に馬を寄せる。
「殿下! 露払いは我等にお任せを!」
「わかった! ははっ! 全く君達は何処まで我等を奮い立たせてくれるというんだ!」
「無論! 敵大将を討ち取るまでですわ!」
軽やかに宣言し馬を進めると、真横に燦の馬が並ぶ。
「魔法は私が叩き落す! タバサちゃんの魔法と後ろからの風の魔法があれば、連中の飛び道具はほとんど通じん!」
すぐにキュルケも横に並ぶ。
「距離が詰まったら私が一気に大穴空けるからルイズはそこに突っ込みなさい!」
上空にタバサ、その真下を燦が駆け、すぐ後ろにルイズとキュルケが並ぶ。
何という興奮、何という感動か。
死すら恐れぬ勇猛果敢な戦士達が、タバサが掲げる旗に従い後に続いてくれる。
眼下にはそうありたいと心から願った、共に死ぬ事を無上の喜びと出来る友が居る。
四人が先導し、敵陣を切り裂く刃となる。
皆の顔が良く見える。
ルイズも、キュルケも、サンも、皆が歓喜に包まれている。
笑顔に自信などないが、それでも今自分が彼女達と同じように笑っていると確信出来る。
母には申し訳ないとも思う。
だが、全身を貫く興奮を、彼女達と共にあれる喜びを、誤魔化す事など出来ようか。
今自分は、人生において最高の時を過ごしている。
心の底から沸き起こる衝動に任せ、タバサもまた声を張り上げた。
「うぅあああああああああああっ!」
ロングビルは城内の全ての人間が船に乗ったのを確認する為、最後の点呼を行う。
青髪の少女、タバサの姿が見えないとの事だったが、
最後まで残っていた女性がタバサが竜に乗って飛び立つのを見ていた為、これは無視する事にした。
不意にロングビルの裾が引かれる。
「ん?」
ロングビルの腰までしかない身長の少女が、半泣きになりながら服にすがりついていた。
「……ぐすっ、お姉ちゃんが……お姉ちゃん何処?」
充分に確認はさせたはず。背筋に寒いものを感じながらロングビルは少女の両腋を掴んで勢い良く持ち上げる。
「誰か! この子の姉を知らない! 一緒に連れて来てる人は居ないの!」
ロングビルと共に、城中を駈けずり回っていた女性達もロングビルの側に集まって来る。
恰幅のよい女性はこの子に見覚えがあるらしく、ロングビルから少女を受け取ると宥めながら事情を聞いている。
神経質そうに見える痩せぎすの女性は、険しい表情のまま少女の姉の名を叫ぶも、何処からも返答は無い。
ロングビルの目算では外の軍もそろそろ攻城の準備が整うはずである。
中がすっからかんだと気付いた瞬間、連中は恐ろしい勢いで雪崩れ込んで来るだろう。
それまでに、痕跡すら残さずこの城を発たねばならない。
突然、ロングビルの脇を駆け抜ける影があった。
船から飛び降り、後ろも見ずに彼女は叫ぶ。
「ロングビル! その子は私が探す! 間に合わなければ出航しろ! お前ならばそのタイミングが計れるはずだ!」
そう言って走り去っていくのはアニエスであった。
血相変えてロングビルは怒鳴る。
「バカ! 戻りなさい! もうとっくに時間切れなんだってば!」
共に城を駆け回った女性達も、とうに時間切れである事は承知している。
連れ戻そうと勢いこむロングビルの腕を、恰幅のよい女性が掴んで止める。
「……我慢して、お願い」
ロングビルは振り向くと、女性に向かって両手を広げる。
自身の顔がひきつっているのにも気付かない。
「裏切って騙した後は見捨てろって!? あの子は親友なのよ! 私の大切な友達なの! もう嫌よ!
大好きな人を裏切るなんてもう耐えられない! 私は! もう二度とあの子を裏切るような真似したくないの!」
絶叫して女性の手を振りほどくと、桟橋すら使わず船から飛び降り、魔法の力で空を飛ぶ。
アニエスは城内を駆ける。
心なしか青ざめた顔色は、任務の致命的なまでの失敗によるものだ。
ウェールズ殿下からの密書が、今何処にあるのか全くわからなくなってしまった。
ルイズが密書を受け取ったとは聞いていたが、それを以後どうしたのかがわからない。
突入前にルイズが燃やしたのか否か。あのバカはそれすら明らかにせず突っ込んでしまった。
最悪の場合、密書を手にしたまま戦いに赴き、捕えられて敵の手に渡ってしまう可能性もある。
何という失態。捜査部に配属になって以来、最悪のミスをよりにもよってこのような場面でしてしまうとは。
このままではとてもではないがワルド様に合わせる顔が無い。
そんな焦りが、アニエス程の戦士の判断をも狂わせていた。
悔恨の念に苛まれながら走るアニエスの後ろから、鋭く風を切る音が聞こえた。
何事かと振り返ると、すぐそこに、ロングビルの顔があった。
魔法で空を飛びながら、勢いを殺す事すらせずアニエスに飛びついたロングビル。
二人は重なりあったままごろごろと廊下を転がる。
ようやく止まったと顔を上げかけたアニエスの眼前に、ロングビルのくしゃくしゃに歪んだ顔があった。
「バカッ! バカバカバカバカバカッ! 何でこんな事するのよ! 貴女まで死んじゃうじゃない!」
普段の冷静なロングビルの姿からはとても想像出来ない、駄々っ子のようにアニエスの胸を叩き続けるロングビル。
「お、おい……」
「うっさいバカッ! 船はもう行っちゃったわよ! どうしてくれるのよ! 私も一緒に死んじゃうじゃないっ!」
色々聞きたい事もあるが、とりあえずは、とばかりにアニエスはロングビルの両の頬を優しく両手で包み込む。
「まずは落ち着け。それで……その、なんだ……私の上からどいてくれるとありがたいんだが……」
仰向けに倒れるアニエスの上に、のしかかるようにロングビルが倒れこんでいるのだ。
「し、知らないわよそんなのっ!」
とか言いつつぴょこんとアニエスの上から飛びのいて座り込むロングビル。
体勢の恥ずかしさに気付き、ちょっと照れてるらしい。
何と言ったものか困りながら身を起こすアニエス。
「えっと、だな。ロングビル。船は行ってしまったんだな」
「……そうよ」
「ならば、何とか城から脱出しないとまずいな」
「……うん」
「ではこうしていても仕方あるまい。戦況を確認してこよう」
「…………」
立ち上がりかけるアニエスの手をロングビルが引いて止める。
「ロングビル?」
「……聞いて、欲しい事が、あるの……」
今にも敵兵が城壁を乗り越えて来るかもしれない。
そんな最中でありながら、ロングビルはぽつりぽつりと語り出す。
その真剣な表情にアニエスも抗議の言葉を飲み込む。
ロングビルは、自らの生まれと、今までにやってきた悪事を、
そしてアニエスを隠れて盗賊を行って来た事、今ここに居る理由を一つずつアニエスに語って聞かせた。
しんと静まり返った城内。
全てを語り終えたロングビルは、恐ろしくて顔も見れないのか俯いたままである。
アニエスは真顔のまま口を開く。
「ふむ、私にはそもそも友人と呼べる存在はあまり居なかったが……
それでも、盗賊の友人を持っているというのは珍しいと、思う」
先と同じように、両頬を手で包み込み、俯いたロングビルの顔を上げさせる。
「まずは生き残ろう。先の事はそれからでも遅くはあるまい。何心配はいらん、
私とお前の二人ならば大抵の問題は解決出来るだろうからな」
ロングビルの手を引いて立ち上がると、二人は並んで城の外に向かう。
途中、ぽつりとアニエスが呟いた。
「……すまん。任務に失敗し、何とか失点を取り戻そうと冷静さを欠いていた。
そのせいでまたお前を危険に巻き込む事になってしまった……」
ロングビルはおずおずと訊ねる。
「怒って……ないの?」
「正直に言うと何と答えたものか困っている。ただ、確かな事は一つある。私にはそれで充分だと思えた」
「確かな事?」
アニエスは振り返り、細い目を更に細くして答えた。
「お前は私の友だという事だ」
最早何も言わずにアニエスの首根っこに抱きつくロングビル。
「こ、こらっ。危ないだろう」
「うるさいっ、貴女はかっこつけすぎなのっ」
「人の事が言えるか。まったく、私の後を追って船から降りるなど正気を疑うぞロングビル」
ロングビルはアニエスの前にずいっと顔を寄せる。
「マ・チ・ル・ダ」
苦笑しながらアニエスは言い直す。
「マチルダ、だな。ほら、いつまでも遊んでないで、残った一人を探し出すぞ」
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