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ゼロのガンパレード 14 - (2007/10/07 (日) 17:10:33) の最新版との変更点
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その日は、端的に言って良い天気だった。
日差しは暖かく、風は心地よい。
広い草原に大の字に寝転がって、流れ行く雲を見ていれば時間の過ぎ去るのを忘れてしまうだろう。
そんな陽気に誘われるかのように、一団の男達がラ・ロシェールから魔法学院に続く街道を歩いていた。
時刻は既に昼をあらかた回り、もう少しすれば空が西から赤く染め上げられていくような時間である。
男たちの多くは剣や弓で武装しており、装束もただの服ではなく強固な革鎧といった者が殆ど。
雇われてラ・ロシェール近くの崖の上でグリフォンに乗った一行を待ち伏せていた筈の傭兵たちであった。
「お頭、学院まで行ったらどうします? 王都まで行きますか?」
「そこまで行っても、コネもねぇしな。まぁ学院近くまで行ってから考えるさ」
昼近くに空を行くグリフォンを確認した後、崖を降りてゆっくりと進んできたのである。
そのまま待っていても仕方がないし、ラ・ロシェールに戻って雇い主といざこざを起こしても面倒だ。
ならば目的の相手が中々来ないから街道沿いに探していたことにしよう。
リーダー格の男のその提案に、部下達はなるほどと諸手を挙げて賛成した。
ぶっちゃけ反対する理由がなかったのである。
待ち伏せを行う際の習慣として非常食の数日分くらいは皆持っているし、懐が暖かいからどこかの村で食べてもいい。
少し戻る形になるがこの辺りにはタルブの村があったか。
あそこの酒は旨い。あそこの名物料理「ヨシェナヴェ」を久しぶりに食べるのもいいかも知れぬ。
そんなことを思いながら足を止めようとした時、斥候として放っていた部下の声が響いた。
「お頭! グリフォンに乗った連中がやってきます――――!」
「……こっちが本命だったか?」
/*/
室内は沈黙で満たされていた。
港町ラ・ロシェールは魔法学院より馬で二日ほどの場所にある。
馬の代わりにグリフォンやヒポグリフなどの幻獣を使っても一日から一日半はかかる。
だから朝方に魔法学院を出発した筈のワルド子爵が日が落ちる前に姿を現した時、
その男が彼を遍在によって作り出された分身だと思っても仕方のないことだった。
「解せんな」
「やはりそう思うか?」
頷きあうワルドと男。
この速度での移動を可能にした牽引法についてである。
『レビテーション』を使って移動したというワルドの言葉に不思議そうな顔をした男であるが、
説明が進むにしたがってその表情が驚愕に染め上げられていったものである。
「グラモン元帥の次男は確か空軍の艦長の筈だ。
だが彼がそんな移動法を行ったなどというのは聞いたことがない」
「確かミス・タバサはガリアの、ミス・ツェルプストーはゲルマニアの生まれだったな。
そちらの方は?」
「考え付くとしたらゲルマニアだろうが、そんな情報は聞いてないな」
どう考えても異常だった。
およそ常識からは外れた、しかし確実に効果のある移動法。
そしてそれをなんら迷いなくやってのけた子供たち。
「ルイズが言うには、真ん中に結ばれた布は識別用だそうだ。
確かに空中で縄に接触したら危険だからな、それを使うのは理解できる。
だが……」
「空中戦をしたことがない筈の子供たちがそれに気づくとは思えない、か?」
懸念は他にもあった。
アルビオン行きの船が出るのは二日後である。
つまりは早くラ・ロシェールについてもすることがないのだ。
ところが、子供たちはそれを聞いても平然と、
『じゃあ噂話でも集めましょうか』
『ふむ、じゃあぼくは商人たちの溜まり場に行ってみるよ。顔見知りがいるかもしれないし』
『じゃあわたしとタバサは傭兵たちのほうね。男の扱いと賭博なら任せておいて』
ルイズを留守番に残してさっさと自分のすることをしにいってしまったのである。
確かに情報を集めるのは大切だ。それはワルドとて知っている。
だが思い返すに、自分が彼らと同じ年齢の時に同じことが出来たかと言えば首を横に振るしかない。
「そのことだが、僕は魔法学院が怪しいと思う」
「ほう?」
唐突に言い出したワルドに、男は目を細めて先を促した。
「そもそも、だ。
あのオールド・オスマンが、こんな任務に生徒を送り出して平然としていると思うか?」
「いや。……そうか、そうだな。色ボケで健忘症な御仁だが、確かにそれは考えにくいな」
二人は貴族であり、共にトリステイン魔法学院の卒業生であった。
過ぎ去ったあの時代を思い出し、二人の頬に笑みが刻まれる。
懐かしい、あの日々。
現実の辛さも苦しさも知らず、昨日と同じ今日が、今日と同じ明日が来ると信じて疑わなかったあの頃。
父が死に、学院を去らねばならなかったあの日を思い出す。
数ヶ月早いがかまわんじゃろうと卒業証書を渡してくれたオールド・オスマン。
『風』の名を汚すなと、遠まわしに激励してくれたミスタ・ギトー。
軍に入ってもがんばってねと言ってくれたミセス・シュヴルーズ。
そして、早く一人前になって妹を迎えに来いと言ってくれたエレオノール――――
「オールド・オスマンは怒った時のエレオノール嬢の恐ろしさをよくご存知の筈だ。
なら、確かにこんな危険な任務に反対もしないのは不思議だな」
「言っておくが、恐ろしいのは我が未来の義姉上だけではないぞ」
困ったように笑い、ワルドは声を潜めて爆弾を投下した。
「聞いて驚け。
ヴァリエール公爵夫人はな、先代のマンティコア隊隊長殿だ」
男の顔が一瞬にして蒼褪め、震える声が唇から洩れる。
「れ、“烈風”カリン殿だと……?」
「どうだ、敵に回すには恐ろしすぎるだろう」
ワルドが楽しそうに頬を緩め、すぐに真面目な顔つきに戻った。
「そこまで条件が揃っていて、なぜオールド・オスマンは反対しなかったのか。
確かにトライアングルメイジが二人と、スクエアメイジがいれば戦力としては申し分がないが、
だからと言ってまったく反対しないのは不自然だ」
「た、確かに」
「そこで、だ。
すまんが魔法学院を調べてくれ。
僕たちが在籍していた頃はまぁいいとして、その次の代からだ。
生徒はすぐに卒業するから、新しく入った教師や職員に怪しい奴がいないかどうかとかな」
「承知した。お前はどうする?」
男の疑問に少し考え、意地悪そうに笑って見せる。
「そうだな、グラモン元帥の息子に決闘でも申し込むか。
剣と杖を交えねば解らんものもあるだろう。実戦経験があるかどうかとかな」
「……お前、それは単なる嫉妬だろう?」
とんでもない、とルイズの婚約者は首を振り、
満面の笑顔で言ってのけた。
「敵地にもぐりこむのに、友軍の戦力を確認するのは基本だろう?」
「大人気ないにも程があるぞ、おい」
/*/
後日、男の報告を受けた上司の手により魔法学院の調査が秘密裏に行われ、
ワルドたちとは入れ違いのような形で学院に奉職した一人の人物の名が捜査線上に浮かび上がった。
――――元魔法研究所実験小隊隊長、炎蛇のコルベール。
/*/
最後の一人が束縛の魔法で捕らえられるのを確認し、ミセス・シュヴルーズは深い深い溜息をついた。
汗ばんだ手をローブで拭き、後ろに庇った少女に声をかける。
「もう安心ですよ、ミス・シエスタ」
「はい、ありがとうございます」
答える声にも深い安堵の色がある。
この少女を郷里まで護衛するのを頼まれた時にはいくらなんでも心配しすぎなのではと思ったものだが、
現実に襲撃された後では、自分以外にもグリフォン隊の魔法衛士を二人も護衛につけてくれたオールド・オスマンと、
それを快諾してくれたマザリーニ枢機卿への感謝の念で一杯だった。
「失礼します、ミセス・シュヴルーズ。
どうもこの者たち、仮面を被った貴族に雇われたと申しております。
何かお心当たりがございますか?」
礼儀正しく、貴婦人へ接するかのように衛士の一人が問うた。
彼もまた今回の任務には釈然としないものを感じていた。
帰郷する平民にメイジが護衛につき、しかも魔法衛士が二人も同道するのである。
軍務に疑問を抱くのは許されざることだと解ってはいても、それを妙だと思う気持ちは抑えられなかった。
「それは……」
「ミセス・シュヴルーズ。わたしから説明いたしますわ」
言いよどむ教師を抑え、シエスタが一歩前に出て説明を開始する。
かつて自分が一人の貴族に見初められ、無理やり連れ去られそうになったこと。
それを助けてくれた、彼女が終の主人に選んだ少女のこと。
その貴族が彼女と主人を逆恨みしているか、未だ彼女を狙っている可能性があること。
話を聞くにつれ、魔法衛士隊たちの視線は険しさを増し、怒りの色が顔に浮かんできていた。
彼らはすべからく貴族であり、平民を一段低く見ていたのには違いはなかったが、
それでも彼女を狙うその貴族に対する義憤を抑えることは出来なかった。
「この者たち、捕らえろとは言われていなかったようだ」
「殺すのが目的……権力では敵わぬからと、
ミス・シエスタを殺して溜飲を下げようとでも思ったのか? 貴族の恥さらしめが」
吐き捨てるように言い捨てる。
同じ貴族と言われることすら耐えがたい、そんな表情だった。
「自分はこれから、マザリーニ枢機卿に報告に行く。
今から戻ればまだ学院におられるかも知れない」
「解った。ここからタルブの村はすぐだ。あとは任せろ」
言いおいて踵を返そうとした一騎に、縛られたままだった傭兵の一人が声をかけた。
「待ってくれ、騎士の旦那。
証人が必要だろう。俺も一緒に連れて行ってくれ」
不思議そうな魔法衛士たちに、男は尚も訴える。
「確かに俺たちは傭兵だ。人も殺すし、略奪だってする。今さら奇麗事は言わねぇさ。
だがな、その貴族は許せねぇ。俺たちを雇った奴は、あんたらが魔法衛士隊だなんて言わなかった。
メイジでグリフォンに乗ってても、学院の生徒だから危険は少ないまでと言いやがった。
おおかた、死人に口無しを気取ろうってんだろうが、そうは問屋が卸さねぇ」
そうとも、と別の傭兵が頷いた。
「金のために人を殺すのは解る。憎いからって殺すのも解る。
だが、なんだそいつは。当てつけみてぇに平民を殺そうとするなんざ許せねぇ。
しかも、自分でやらずに俺たちに押し付けやがった」
「ああ、確かに俺たちは平民だ。魔法が使える貴族様とは生まれからして違わぁ。
だけどよ、俺たちにだって許せねぇことはあるんだぜ?」
何の気なしに放たれたその言葉に、シエスタはかつての自分を思い出した。
彼女とルイズの始まりを、あの誇り高い少女を終の主人と決めたあの日のことを。
「ルイズ様は、いつも仰っておられました。
“貴族として生まれる人なんて誰もいない。人は自分の意思で貴族になる”んだって」
傭兵と衛士たちが目を見張った。
彼らはルイズを知らず、つまりはそんなことを言う貴族がいるなどということを信じられなかったのである。
視線をシエスタから傍らのシュヴルーズに移し、今の言葉は本当かと無言で問いかける。
「確かに、それはミス・ヴァリエールの座右の銘ですわね。
あの子はどんな時でも、それこそ決闘を挑まれてもそれを撤回しようとはしませんでしたから」
何人もの男性に見つめられ、赤面しながらのシュヴルーズの言葉に、彼らは一様に頬を緩めた。
皆等しく見知らぬ少女のその気高さに好感を持ったのである。
「失礼、ミス・シエスタ。
先ほどあなたはルイズ様と仰ったが、もしやそれはヴァリエール公爵家のご令嬢ですか?」
はい、とシエスタは頷き、胸を張って彼女の主人の名を高らかに告げる。
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。それがわたしの主人の名です」
グリフォン隊の衛士が顔を見合わせて笑う。
彼らは知っていたのだ。
自分たちの隊長の婚約者が、一体どこの貴族の令嬢なのかということを。
よろしい、と頷き傭兵たちの束縛を解く。
ことここにいたっては彼らがシエスタに害を為すとは考えられなかったからだ。
「では、同道願おうか」
「へへ、ありがとうございやす」
傭兵たちのリーダーが頭を下げ、同じく束縛を解かれた部下に言う。
「お前ら、次の勤め先が決まったぜ」
部下たちも心得た者で、口々に賛意を示す。
「ヴァリエール公爵か。戦上手って話だから、まぁ負け戦はねぇでしょう」
「娘さんが立派なら、父親もご立派なのに違いねぇ」
「自分の意思で貴族になるか、いいねぇ。俺も貴族の姫さんと結婚したら貴族になれますかねぇ」
「お頭、俺たちは先に向かってますぜ。あとからゆっくり来ておくんなさい」
――――この後、彼らはハルゲキニア最強を以って知られる軍団の一翼を担うこととなる。
/*/
『女神の杵』亭はラ・ロシェールで一番上等な宿屋である。
かつてはアルビオンからの侵攻に備えるための砦でもあったと言う建物は巨大な一枚岩からの削りだしであり、
中庭には戦場に赴く貴族達が王の閲兵を受けた錬兵場をも備えている。
とは言ってもそれは昔の話であり、今では所々に装飾が見られる豪華な建物になっていた。
「すまないね、知人と話していたら遅くなってしまった」
言いながらワルドが足を向けた先には、他の酒場から帰ってきたキュルケやギーシュたちと卓を囲むルイズの姿があった。
使い魔やグリフォンは外の小屋にいるが、唯一ブータだけは机の脇で皿に入ったスープを舐めている。
主人であるルイズが寛容にも許可を出したために、
先ほどから入れ替わり立ち代り宿で働く女性たちが暇を見つけては喉を撫でたり頭を撫ぜたりしていく。
机の上を見れば幾品かの料理と杯に混じって、金貨の入ったと思しき袋がおいてある。
はてこれはどうしたのだろうと問いかけると、タバサが賭博で巻き上げてきたとのことであった。
「そ、それはまた、意外な特技だね」
おとなしそうに見えるが、なかなかどうしてこの青い髪の少女は曲者らしいとワルドは心に刻んだ。
風のトライアングルメイジであるにも関わらず自分の背丈よりも長い剣を持ち歩き、どんな時も本を話そうとはしない。
アンリエッタ王女は、首輪をしていたから誰かの従者なのですわ、などと赤い顔で言ってはいたが、果たしてそれはどうだろう。
あるいは見られたくないものを隠しているとも考えられる。
空いている椅子に座り、ブータの肉球をつついていた給仕の少女に飲み物を頼むと、一同を見回して口を開いた。
「それで、どうだろう。なにか芳しい情報はあったのかね?」
「芳しいかどうかはともかく、気になる情報があったのは確かよ」
喉を潤しながらルイズが答えた。既にワルドへの言葉使いは敬語を止めて普段の彼女のそれである。
彼自身がそうしてくれと頼んだのだった。
「空賊? 別におかしいことはないだろう。内乱の混乱に乗じて活動が活発になっていると聞いているよ」
「お言葉ですがワルド子爵。こと空に関しては混乱など既に治まっていますよ。
既に王城派は追い詰められ、籠城戦に移行しています。
制空権は貴族派にありますからね、空を行くのは貴族派の支援物資だけでしょう。
ここで盗賊行為を行っても貴族派の恨みを買うだけです。
もし空賊が動くなら内乱終結後だと思いますよ」
答えたのはギーシュであった。いつもどおり薔薇の造花を手にしながら、
落ち着いた表情で情勢を分析する。
「むしろ、王党派の可能性もある」
「私掠船かい? 今の王党派にそれだけの余力があるかな。
どう思う、キュルケ?」
「難しいわね。
報酬以外にお墨付きの有効性の問題もあるわ。
王党派が倒れてしまえばただの空賊行為に利敵行為まで加わるしね」
「違う。王党派自体が、空賊」
「直々に出馬しての通商破壊かい? 確かに定石ではあるけど……」
眼前にて展開される会話に、ワルドは引きつった笑みを浮かべつつ舌を巻いた。
これが学生のする会話か?
軍人の集まる研究会ならまだしも、彼らはただの魔法学院の生徒に過ぎぬ筈である。
だのに私掠船だの通商破壊だの電撃戦だの籠城戦だのと専門用語が飛び交い、
極めて高い水準の戦術戦略論を展開している。
(あの牽引法だけでも驚きなのに、今度は戦術か? いつから魔法学院は士官学校になったんだ?)
口を挟むに挟めない議論を聞きながら、心密かにワルドは決めた。
全てが終わって落ち着いたら、部下を一人残らず魔法学院へ送り込んで鍛えなおしてもらおうと。
床に寝そべって耳を立てていた大猫が、満足そうににゃぁと鳴いた。
/*/
魔法学院の一室で、マザリーニ枢機卿は面白くもなさそうな顔で目の前の書類からある一文を削除した。
タルブの村近くから引き返してきたグリフォン隊の魔法衛士と、彼が連れてきた傭兵の証言を書きとめた調書である。
「グリフォン隊も質が落ちたかの。
感情に流されるようではまだまだじゃて」
それを見ながら白髪の老人、オールド・オスマンが声をかけた。
こちらも面白くはなさそうな顔で鼻毛を抜いている。
「義憤を覚えるのは若者の特権でしょう。
至らぬところは大人が補えばいい。違いますかな、オールド・オスマン」
新たな書類を作り、花押を捺す。
諸所の役人軍人の身辺調査を秘密裏に命じる書類だった。
「しかしな、マザリーニ。
お主も気づいているのじゃろう?
あの傭兵は、シエスタを狙ったわけではないとな」
「勿論ですとも」
事も無げに枢機卿は答え、机の上の調書に目をやる。
今は削除されたそこには、傭兵達が雇い主からラ・ロシェールの入り口付近で待機するよう命じられた旨の証言が書かれていた筈であった。
「ミス・シエスタの故郷であるタルブは、ラ・ロシェールの手前にある。
だから、モット伯が彼女を襲うつもりなのなら、待機させる場所が不自然ですな」
「つまり、目印にしたグリフォンというのは、彼らではなく、ワルド子爵のモノだったということじゃな」
オスマンが長い眉毛の下からマザリーニをねめつける。
先ほどこの枢機卿は、今回の襲撃はモット伯の仕業で間違いあるまいと衛士に向かって宣言したのである。
そして同時に、グリフォン隊がシエスタの護衛につくことが決定したのは昨夜の話であり、
それに合わせたようにグリフォンを目印に使ったモット伯は、
間者かそれに類する者を魔法学院か衛士隊に潜入させている可能性があることを示唆したのだ。
「どちらにせよ、モット伯の行状芳しからぬことはこの鳥の骨めの耳にも入っていましたからな。
綱紀の引き締めにはいい機会でしょう」
「彼は犠牲の羊かね?」
「まさにその通りですな。
彼は常々、王国の為なら命も賭けれると言っていた。
ならばせいぜい高く使わせてもらうといたしましょう。
アルビオンの貴族派との繋がりを探すとしてしまえば誰しも警戒してしまいますが、
モット伯との繋がりを探すとなれば気も緩みましょう。
無論、その際に貴族派との繋がりや汚職の証拠が見つかることもあるでしょうしな」
「白々しいにも程があるな、枢機卿。
お主はおそらく碌な死に方はせんし、天国にもいけぬだろうな」
今さら何をとマザリーニは笑った。
「そんなもの、先帝陛下よりこの国を任せられた時点で諦めておりますよ」
顔だけで笑い、心で自分自身に罵声を浴びせる。
少なくとも今回の点についてはモット伯には罪はない。
だがそれがどうしたというのか。
貴族と平民とでは価値が違うように、馬鹿と勇者は命の値段が違う。
自分の値段は、そしてモット伯の値段は?
貴族であるとさも当然のように平民を虐げる者の値段は?
貴族であるが故に当然のように平民を守ろうとする者は?
そんな勘定は誰にでもできるはずだった。
それに、とマザリーニ枢機卿はアルビオンに向かった桃色の髪の少女のことを思った。
姫殿下の命だと躊躇いなく死地に向かった少女。
自分のことを貴族らしいと言ってくれた少女。
あの時、彼は決めたのだ。
この少女のためなら、どんなことでもしてやろうと。
モット伯が彼女の敵だというのなら、そうなる可能性があるのなら、
そうならないうちに叩き潰してやるだけだ。
「しかし、どうでしょうな、オールド・オスマン。
ワルド子爵を狙ったのはアルビオンの貴族派なのですかな?」
「さてな、その辺りのことはわしは知らんよ。
わしが知っておるのはたとえどんな相手だろうと、
ミス・ヴァリエールは任務を成功させるということだけじゃ」
なにしろ、と老人は面白そうに目を細め、悪戯小僧のような笑みでこう告げた。
「ミス・ヴァリエールには猫の神様が味方についておるからの」
/*/
これよりしばらくの後、マザリーニ枢機卿による綱紀粛正の嵐がトリステイン王宮を中心に吹き荒れることになる。
その嵐は苛烈を極め、モット伯やチュレンヌ徴税官を初めとする多くの貴族がその職を失い、、
最後にはリッシュモン高等法院長の更迭さえも伴った一大事件に発展した。
なお一連の事件の発端となったモット伯は終始ラ・ロシェールに現れた仮面の貴族との繋がりを否定し続けたが、
マザリーニ枢機卿がその弁を認めることは最後までなかった。
/*/
「部屋は二つ取ったわ。わたしとキュルケ、タバサで一部屋。ワルドとギーシュで一部屋よ」
婚約者から言い渡され、ワルドは困ったように頭をかいた。
「そうか、出来ればルイズと一緒のほうが良かったんだがな。話したいこともあったし」
「あら、そんなの昼間でも出来るでしょう?
それにわたしたち、まだ結婚してるわけでもないじゃない」
「それはそうだが……」
食い下がるワルドを見かねてか、ギーシュが止めに入る。
それを見ながらキュルケが猫のようなニヤニヤ笑いを頬に浮かべた。
「ワルド子爵、十年ぶりに会えた婚約者との久闊を叙したい気持ちはわかりますが、
相手の気持ちも考えねば嫌われてしまうと思いますよ」
「なるほど、さすがはグラモン元帥の息子殿だ。
どうやらその道ではぼくよりも上を行っているようだね」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。
子爵とは違い未だ婚約者の一人もおらぬ身ですから、
いざそのような令嬢と巡り会えた際に不快な思いをさせたくない一心でして」
さっそく少女を除け者にして言い争う二人の男を見ながらルイズが頬を膨らませた。
第一印象がよくなかったか、この二人、とてつもなく仲が悪い。
「やっぱり、『風』と『土』だからかしらね?」
「馬鹿ね、ルイズ。そんなこと関係ないわよ。
学院でだって、ミセス・シュヴルーズはミスタ・ギトーに気があるって噂があるくらいなのよ?」
告げられた名前に、ルイズばかりでなくタバサさえも目を見開いた。
それは、確かにギトーは黙ってさえいれば若くていい男だが、しかし、
「ミセス・シュヴルーズ、結婚してる」
「あら、寡婦が恋愛してはいけないって法なんてないし、
わたし的には人妻だって愛を語ってもかまわないと思うわ」
「ツェルプストーが言うと、物凄く説得力があるわねぇ」
後年、ルイズは何度となくこの日の夜の情景を思い出しては懐かしがることになる。
言い争うギーシュとワルド、夜を徹して恋愛話で盛り上がったキュルケとタバサ。
それは彼女の若葉の時代。情熱さえも青臭く、まだ若々しかった頃の物語。
彼女がまだ少女だった時代の輝かしい思い出だった。
その日は、端的に言って良い天気だった。
日差しは暖かく、風は心地よい。
広い草原に大の字に寝転がって、流れ行く雲を見ていれば時間の過ぎ去るのを忘れてしまうだろう。
そんな陽気に誘われるかのように、一団の男達がラ・ロシェールから魔法学院に続く街道を歩いていた。
時刻は既に昼をあらかた回り、もう少しすれば空が西から赤く染め上げられていくような時間である。
男たちの多くは剣や弓で武装しており、装束もただの服ではなく強固な革鎧といった者が殆ど。
雇われてラ・ロシェール近くの崖の上でグリフォンに乗った一行を待ち伏せていた筈の傭兵たちであった。
「お頭、学院まで行ったらどうします? 王都まで行きますか?」
「そこまで行っても、コネもねぇしな。まぁ学院近くまで行ってから考えるさ」
昼近くに空を行くグリフォンを確認した後、崖を降りてゆっくりと進んできたのである。
そのまま待っていても仕方がないし、ラ・ロシェールに戻って雇い主といざこざを起こしても面倒だ。
ならば目的の相手が中々来ないから街道沿いに探していたことにしよう。
リーダー格の男のその提案に、部下達はなるほどと諸手を挙げて賛成した。
ぶっちゃけ反対する理由がなかったのである。
待ち伏せを行う際の習慣として非常食の数日分くらいは皆持っているし、懐が暖かいからどこかの村で食べてもいい。
少し戻る形になるがこの辺りにはタルブの村があったか。
あそこの酒は旨い。あそこの名物料理「ヨシェナヴェ」を久しぶりに食べるのもいいかも知れぬ。
そんなことを思いながら足を止めようとした時、斥候として放っていた部下の声が響いた。
「お頭! グリフォンに乗った連中がやってきます――――!」
「……こっちが本命だったか?」
/*/
室内は沈黙で満たされていた。
港町ラ・ロシェールは魔法学院より馬で二日ほどの場所にある。
馬の代わりにグリフォンやヒポグリフなどの幻獣を使っても一日から一日半はかかる。
だから朝方に魔法学院を出発した筈のワルド子爵が日が落ちる前に姿を現した時、
その男が彼を遍在によって作り出された分身だと思っても仕方のないことだった。
「解せんな」
「やはりそう思うか?」
頷きあうワルドと男。
この速度での移動を可能にした牽引法についてである。
『レビテーション』を使って移動したというワルドの言葉に不思議そうな顔をした男であるが、
説明が進むにしたがってその表情が驚愕に染め上げられていったものである。
「グラモン元帥の次男は確か空軍の艦長の筈だ。
だが彼がそんな移動法を行ったなどというのは聞いたことがない」
「確かミス・タバサはガリアの、ミス・ツェルプストーはゲルマニアの生まれだったな。
そちらの方は?」
「考え付くとしたらゲルマニアだろうが、そんな情報は聞いてないな」
どう考えても異常だった。
およそ常識からは外れた、しかし確実に効果のある移動法。
そしてそれをなんら迷いなくやってのけた子供たち。
「ルイズが言うには、真ん中に結ばれた布は識別用だそうだ。
確かに空中で縄に接触したら危険だからな、それを使うのは理解できる。
だが……」
「空中戦をしたことがない筈の子供たちがそれに気づくとは思えない、か?」
懸念は他にもあった。
アルビオン行きの船が出るのは二日後である。
つまりは早くラ・ロシェールについてもすることがないのだ。
ところが、子供たちはそれを聞いても平然と、
『じゃあ噂話でも集めましょうか』
『ふむ、じゃあぼくは商人たちの溜まり場に行ってみるよ。顔見知りがいるかもしれないし』
『じゃあわたしとタバサは傭兵たちのほうね。男の扱いと賭博なら任せておいて』
ルイズを留守番に残してさっさと自分のすることをしにいってしまったのである。
確かに情報を集めるのは大切だ。それはワルドとて知っている。
だが思い返すに、自分が彼らと同じ年齢の時に同じことが出来たかと言えば首を横に振るしかない。
「そのことだが、僕は魔法学院が怪しいと思う」
「ほう?」
唐突に言い出したワルドに、男は目を細めて先を促した。
「そもそも、だ。
あのオールド・オスマンが、こんな任務に生徒を送り出して平然としていると思うか?」
「いや。……そうか、そうだな。色ボケで健忘症な御仁だが、確かにそれは考えにくいな」
二人は貴族であり、共にトリステイン魔法学院の卒業生であった。
過ぎ去ったあの時代を思い出し、二人の頬に笑みが刻まれる。
懐かしい、あの日々。
現実の辛さも苦しさも知らず、昨日と同じ今日が、今日と同じ明日が来ると信じて疑わなかったあの頃。
父が死に、学院を去らねばならなかったあの日を思い出す。
数ヶ月早いがかまわんじゃろうと卒業証書を渡してくれたオールド・オスマン。
『風』の名を汚すなと、遠まわしに激励してくれたミスタ・ギトー。
軍に入ってもがんばってねと言ってくれたミセス・シュヴルーズ。
そして、早く一人前になって妹を迎えに来いと言ってくれたエレオノール――――
「オールド・オスマンは怒った時のエレオノール嬢の恐ろしさをよくご存知の筈だ。
なら、確かにこんな危険な任務に反対もしないのは不思議だな」
「言っておくが、恐ろしいのは我が未来の義姉上だけではないぞ」
困ったように笑い、ワルドは声を潜めて爆弾を投下した。
「聞いて驚け。
ヴァリエール公爵夫人はな、先代のマンティコア隊隊長殿だ」
男の顔が一瞬にして蒼褪め、震える声が唇から洩れる。
「れ、“烈風”カリン殿だと……?」
「どうだ、敵に回すには恐ろしすぎるだろう」
ワルドが楽しそうに頬を緩め、すぐに真面目な顔つきに戻った。
「そこまで条件が揃っていて、なぜオールド・オスマンは反対しなかったのか。
確かにトライアングルメイジが二人と、スクエアメイジがいれば戦力としては申し分がないが、
だからと言ってまったく反対しないのは不自然だ」
「た、確かに」
「そこで、だ。
すまんが魔法学院を調べてくれ。
僕たちが在籍していた頃はまぁいいとして、その次の代からだ。
生徒はすぐに卒業するから、新しく入った教師や職員に怪しい奴がいないかどうかとかな」
「承知した。お前はどうする?」
男の疑問に少し考え、意地悪そうに笑って見せる。
「そうだな、グラモン元帥の息子に決闘でも申し込むか。
剣と杖を交えねば解らんものもあるだろう。実戦経験があるかどうかとかな」
「……お前、それは単なる嫉妬だろう?」
とんでもない、とルイズの婚約者は首を振り、
満面の笑顔で言ってのけた。
「敵地にもぐりこむのに、友軍の戦力を確認するのは基本だろう?」
「大人気ないにも程があるぞ、おい」
/*/
後日、男の報告を受けた上司の手により魔法学院の調査が秘密裏に行われ、
ワルドたちとは入れ違いのような形で学院に奉職した一人の人物の名が捜査線上に浮かび上がった。
――――元魔法研究所実験小隊隊長、炎蛇のコルベール。
/*/
最後の一人が束縛の魔法で捕らえられるのを確認し、ミセス・シュヴルーズは深い深い溜息をついた。
汗ばんだ手をローブで拭き、後ろに庇った少女に声をかける。
「もう安心ですよ、ミス・シエスタ」
「はい、ありがとうございます」
答える声にも深い安堵の色がある。
この少女を郷里まで護衛するのを頼まれた時にはいくらなんでも心配しすぎなのではと思ったものだが、
現実に襲撃された後では、自分以外にもグリフォン隊の魔法衛士を二人も護衛につけてくれたオールド・オスマンと、
それを快諾してくれたマザリーニ枢機卿への感謝の念で一杯だった。
「失礼します、ミセス・シュヴルーズ。
どうもこの者たち、仮面を被った貴族に雇われたと申しております。
何かお心当たりがございますか?」
礼儀正しく、貴婦人へ接するかのように衛士の一人が問うた。
彼もまた今回の任務には釈然としないものを感じていた。
帰郷する平民にメイジが護衛につき、しかも魔法衛士が二人も同道するのである。
軍務に疑問を抱くのは許されざることだと解ってはいても、それを妙だと思う気持ちは抑えられなかった。
「それは……」
「ミセス・シュヴルーズ。わたしから説明いたしますわ」
言いよどむ教師を抑え、シエスタが一歩前に出て説明を開始する。
かつて自分が一人の貴族に見初められ、無理やり連れ去られそうになったこと。
それを助けてくれた、彼女が終の主人に選んだ少女のこと。
その貴族が彼女と主人を逆恨みしているか、未だ彼女を狙っている可能性があること。
話を聞くにつれ、魔法衛士隊たちの視線は険しさを増し、怒りの色が顔に浮かんできていた。
彼らはすべからく貴族であり、平民を一段低く見ていたのには違いはなかったが、
それでも彼女を狙うその貴族に対する義憤を抑えることは出来なかった。
「この者たち、捕らえろとは言われていなかったようだ」
「殺すのが目的……権力では敵わぬからと、
ミス・シエスタを殺して溜飲を下げようとでも思ったのか? 貴族の恥さらしめが」
吐き捨てるように言い捨てる。
同じ貴族と言われることすら耐えがたい、そんな表情だった。
「自分はこれから、マザリーニ枢機卿に報告に行く。
今から戻ればまだ学院におられるかも知れない」
「解った。ここからタルブの村はすぐだ。あとは任せろ」
言いおいて踵を返そうとした一騎に、縛られたままだった傭兵の一人が声をかけた。
「待ってくれ、騎士の旦那。
証人が必要だろう。俺も一緒に連れて行ってくれ」
不思議そうな魔法衛士たちに、男は尚も訴える。
「確かに俺たちは傭兵だ。人も殺すし、略奪だってする。今さら奇麗事は言わねぇさ。
だがな、その貴族は許せねぇ。俺たちを雇った奴は、あんたらが魔法衛士隊だなんて言わなかった。
メイジでグリフォンに乗ってても、学院の生徒だから危険は少ないまでと言いやがった。
おおかた、死人に口無しを気取ろうってんだろうが、そうは問屋が卸さねぇ」
そうとも、と別の傭兵が頷いた。
「金のために人を殺すのは解る。憎いからって殺すのも解る。
だが、なんだそいつは。当てつけみてぇに平民を殺そうとするなんざ許せねぇ。
しかも、自分でやらずに俺たちに押し付けやがった」
「ああ、確かに俺たちは平民だ。魔法が使える貴族様とは生まれからして違わぁ。
だけどよ、俺たちにだって許せねぇことはあるんだぜ?」
何の気なしに放たれたその言葉に、シエスタはかつての自分を思い出した。
彼女とルイズの始まりを、あの誇り高い少女を終の主人と決めたあの日のことを。
「ルイズ様は、いつも仰っておられました。
“貴族として生まれる人なんて誰もいない。人は自分の意思で貴族になる”んだって」
傭兵と衛士たちが目を見張った。
彼らはルイズを知らず、つまりはそんなことを言う貴族がいるなどということを信じられなかったのである。
視線をシエスタから傍らのシュヴルーズに移し、今の言葉は本当かと無言で問いかける。
「確かに、それはミス・ヴァリエールの座右の銘ですわね。
あの子はどんな時でも、それこそ決闘を挑まれてもそれを撤回しようとはしませんでしたから」
何人もの男性に見つめられ、赤面しながらのシュヴルーズの言葉に、彼らは一様に頬を緩めた。
皆等しく見知らぬ少女のその気高さに好感を持ったのである。
「失礼、ミス・シエスタ。
先ほどあなたはルイズ様と仰ったが、もしやそれはヴァリエール公爵家のご令嬢ですか?」
はい、とシエスタは頷き、胸を張って彼女の主人の名を高らかに告げる。
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。それがわたしの主人の名です」
グリフォン隊の衛士が顔を見合わせて笑う。
彼らは知っていたのだ。
自分たちの隊長の婚約者が、一体どこの貴族の令嬢なのかということを。
よろしい、と頷き傭兵たちの束縛を解く。
ことここにいたっては彼らがシエスタに害を為すとは考えられなかったからだ。
「では、同道願おうか」
「へへ、ありがとうございやす」
傭兵たちのリーダーが頭を下げ、同じく束縛を解かれた部下に言う。
「お前ら、次の勤め先が決まったぜ」
部下たちも心得た者で、口々に賛意を示す。
「ヴァリエール公爵か。戦上手って話だから、まぁ負け戦はねぇでしょう」
「娘さんが立派なら、父親もご立派なのに違いねぇ」
「自分の意思で貴族になるか、いいねぇ。俺も貴族の姫さんと結婚したら貴族になれますかねぇ」
「お頭、俺たちは先に向かってますぜ。あとからゆっくり来ておくんなさい」
――――この後、彼らはハルゲキニア最強を以って知られる軍団の一翼を担うこととなる。
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『女神の杵』亭はラ・ロシェールで一番上等な宿屋である。
かつてはアルビオンからの侵攻に備えるための砦でもあったと言う建物は巨大な一枚岩からの削りだしであり、
中庭には戦場に赴く貴族達が王の閲兵を受けた錬兵場をも備えている。
とは言ってもそれは昔の話であり、今では所々に装飾が見られる豪華な建物になっていた。
「すまないね、知人と話していたら遅くなってしまった」
言いながらワルドが足を向けた先には、他の酒場から帰ってきたキュルケやギーシュたちと卓を囲むルイズの姿があった。
使い魔やグリフォンは外の小屋にいるが、唯一ブータだけは机の脇で皿に入ったスープを舐めている。
主人であるルイズが寛容にも許可を出したために、
先ほどから入れ替わり立ち代り宿で働く女性たちが暇を見つけては喉を撫でたり頭を撫ぜたりしていく。
机の上を見れば幾品かの料理と杯に混じって、金貨の入ったと思しき袋がおいてある。
はてこれはどうしたのだろうと問いかけると、タバサが賭博で巻き上げてきたとのことであった。
「そ、それはまた、意外な特技だね」
おとなしそうに見えるが、なかなかどうしてこの青い髪の少女は曲者らしいとワルドは心に刻んだ。
風のトライアングルメイジであるにも関わらず自分の背丈よりも長い剣を持ち歩き、どんな時も本を離そうとはしない。
アンリエッタ王女は、首輪をしていたから誰かの従者なのですわ、などと赤い顔で言ってはいたが、果たしてそれはどうだろう。
あるいは見られたくないものを隠しているとも考えられる。
空いている椅子に座り、ブータの肉球をつついていた給仕の少女に飲み物を頼むと、一同を見回して口を開いた。
「それで、どうだろう。なにか芳しい情報はあったのかね?」
「芳しいかどうかはともかく、気になる情報があったのは確かよ」
喉を潤しながらルイズが答えた。既にワルドへの言葉使いは敬語を止めて普段の彼女のそれである。
彼自身がそうしてくれと頼んだのだった。
「空賊? 別におかしいことはないだろう。内乱の混乱に乗じて活動が活発になっていると聞いているよ」
「お言葉ですがワルド子爵。こと空に関しては混乱など既に治まっていますよ。
既に王城派は追い詰められ、籠城戦に移行しています。
制空権は貴族派にありますからね、空を行くのは貴族派の支援物資だけでしょう。
ここで盗賊行為を行っても貴族派の恨みを買うだけです。
もし空賊が動くなら内乱終結後だと思いますよ」
答えたのはギーシュであった。いつもどおり薔薇の造花を手にしながら、
落ち着いた表情で情勢を分析する。
「むしろ、王党派の可能性もある」
「私掠船かい? 今の王党派にそれだけの余力があるかな。
どう思う、キュルケ?」
「難しいわね。
報酬以外にお墨付きの有効性の問題もあるわ。
王党派が倒れてしまえばただの空賊行為に利敵行為まで加わるしね」
「違う。王党派自体が、空賊」
「直々に出馬しての通商破壊かい? 確かに定石ではあるけど……」
眼前にて展開される会話に、ワルドは引きつった笑みを浮かべつつ舌を巻いた。
これが学生のする会話か?
軍人の集まる研究会ならまだしも、彼らはただの魔法学院の生徒に過ぎぬ筈である。
だのに私掠船だの通商破壊だの電撃戦だの籠城戦だのと専門用語が飛び交い、
極めて高い水準の戦術戦略論を展開している。
(あの牽引法だけでも驚きなのに、今度は戦術か? いつから魔法学院は士官学校になったんだ?)
口を挟むに挟めない議論を聞きながら、心密かにワルドは決めた。
全てが終わって落ち着いたら、部下を一人残らず魔法学院へ送り込んで鍛えなおしてもらおうと。
床に寝そべって耳を立てていた大猫が、満足そうににゃぁと鳴いた。
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魔法学院の一室で、マザリーニ枢機卿は面白くもなさそうな顔で目の前の書類からある一文を削除した。
タルブの村近くから引き返してきたグリフォン隊の魔法衛士と、彼が連れてきた傭兵の証言を書きとめた調書である。
「グリフォン隊も質が落ちたかの。
感情に流されるようではまだまだじゃて」
それを見ながら白髪の老人、オールド・オスマンが声をかけた。
こちらも面白くはなさそうな顔で鼻毛を抜いている。
「義憤を覚えるのは若者の特権でしょう。
至らぬところは大人が補えばいい。違いますかな、オールド・オスマン」
新たな書類を作り、花押を捺す。
諸所の役人軍人の身辺調査を秘密裏に命じる書類だった。
「しかしな、マザリーニ。
お主も気づいているのじゃろう?
あの傭兵は、シエスタを狙ったわけではないとな」
「勿論ですとも」
事も無げに枢機卿は答え、机の上の調書に目をやる。
今は削除されたそこには、傭兵達が雇い主からラ・ロシェールの入り口付近で待機するよう命じられた旨の証言が書かれていた筈であった。
「ミス・シエスタの故郷であるタルブは、ラ・ロシェールの手前にある。
だから、モット伯が彼女を襲うつもりなのなら、待機させる場所が不自然ですな」
「つまり、目印にしたグリフォンというのは、彼らではなく、ワルド子爵のモノだったということじゃな」
オスマンが長い眉毛の下からマザリーニをねめつける。
先ほどこの枢機卿は、今回の襲撃はモット伯の仕業で間違いあるまいと衛士に向かって宣言したのである。
そして同時に、グリフォン隊がシエスタの護衛につくことが決定したのは昨夜の話であり、
それに合わせたようにグリフォンを目印に使ったモット伯は、
間者かそれに類する者を魔法学院か衛士隊に潜入させている可能性があることを示唆したのだ。
「どちらにせよ、モット伯の行状芳しからぬことはこの鳥の骨めの耳にも入っていましたからな。
綱紀の引き締めにはいい機会でしょう」
「彼は犠牲の羊かね?」
「まさにその通りですな。
彼は常々、王国の為なら命も賭けれると言っていた。
ならばせいぜい高く使わせてもらうといたしましょう。
アルビオンの貴族派との繋がりを探すとしてしまえば誰しも警戒してしまいますが、
モット伯との繋がりを探すとなれば気も緩みましょう。
無論、その際に貴族派との繋がりや汚職の証拠が見つかることもあるでしょうしな」
「白々しいにも程があるな、枢機卿。
お主はおそらく碌な死に方はせんし、天国にもいけぬだろうな」
今さら何をとマザリーニは笑った。
「そんなもの、先帝陛下よりこの国を任せられた時点で諦めておりますよ」
顔だけで笑い、心で自分自身に罵声を浴びせる。
少なくとも今回の点についてはモット伯には罪はない。
だがそれがどうしたというのか。
貴族と平民とでは価値が違うように、馬鹿と勇者は命の値段が違う。
自分の値段は、そしてモット伯の値段は?
貴族であるとさも当然のように平民を虐げる者の値段は?
貴族であるが故に当然のように平民を守ろうとする者は?
そんな勘定は誰にでもできるはずだった。
それに、とマザリーニ枢機卿はアルビオンに向かった桃色の髪の少女のことを思った。
姫殿下の命だと躊躇いなく死地に向かった少女。
自分のことを貴族らしいと言ってくれた少女。
あの時、彼は決めたのだ。
この少女のためなら、どんなことでもしてやろうと。
モット伯が彼女の敵だというのなら、そうなる可能性があるのなら、
そうならないうちに叩き潰してやるだけだ。
「しかし、どうでしょうな、オールド・オスマン。
ワルド子爵を狙ったのはアルビオンの貴族派なのですかな?」
「さてな、その辺りのことはわしは知らんよ。
わしが知っておるのはたとえどんな相手だろうと、
ミス・ヴァリエールは任務を成功させるということだけじゃ」
なにしろ、と老人は面白そうに目を細め、悪戯小僧のような笑みでこう告げた。
「ミス・ヴァリエールには猫の神様が味方についておるからの」
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これよりしばらくの後、マザリーニ枢機卿による綱紀粛正の嵐がトリステイン王宮を中心に吹き荒れることになる。
その嵐は苛烈を極め、モット伯やチュレンヌ徴税官を初めとする多くの貴族がその職を失い、、
最後にはリッシュモン高等法院長の更迭さえも伴った一大事件に発展した。
なお一連の事件の発端となったモット伯は終始ラ・ロシェールに現れた仮面の貴族との繋がりを否定し続けたが、
マザリーニ枢機卿がその弁を認めることは最後までなかった。
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「部屋は二つ取ったわ。わたしとキュルケ、タバサで一部屋。ワルドとギーシュで一部屋よ」
婚約者から言い渡され、ワルドは困ったように頭をかいた。
「そうか、出来ればルイズと一緒のほうが良かったんだがな。話したいこともあったし」
「あら、そんなの昼間でも出来るでしょう?
それにわたしたち、まだ結婚してるわけでもないじゃない」
「それはそうだが……」
食い下がるワルドを見かねてか、ギーシュが止めに入る。
それを見ながらキュルケが猫のようなニヤニヤ笑いを頬に浮かべた。
「ワルド子爵、十年ぶりに会えた婚約者との久闊を叙したい気持ちはわかりますが、
相手の気持ちも考えねば嫌われてしまうと思いますよ」
「なるほど、さすがはグラモン元帥の息子殿だ。
どうやらその道ではぼくよりも上を行っているようだね」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。
子爵とは違い未だ婚約者の一人もおらぬ身ですから、
いざそのような令嬢と巡り会えた際に不快な思いをさせたくない一心でして」
さっそく少女を除け者にして言い争う二人の男を見ながらルイズが頬を膨らませた。
第一印象がよくなかったか、この二人、とてつもなく仲が悪い。
「やっぱり、『風』と『土』だからかしらね?」
「馬鹿ね、ルイズ。そんなこと関係ないわよ。
学院でだって、ミセス・シュヴルーズはミスタ・ギトーに気があるって噂があるくらいなのよ?」
告げられた名前に、ルイズばかりでなくタバサさえも目を見開いた。
それは、確かにギトーは黙ってさえいれば若くていい男だが、しかし、
「ミセス・シュヴルーズ、結婚してる」
「あら、寡婦が恋愛してはいけないって法なんてないし、
わたし的には人妻だって愛を語ってもかまわないと思うわ」
「ツェルプストーが言うと、物凄く説得力があるわねぇ」
後年、ルイズは何度となくこの日の夜の情景を思い出しては懐かしがることになる。
言い争うギーシュとワルド、夜を徹して恋愛話で盛り上がったキュルケとタバサ。
それは彼女の若葉の時代。情熱さえも青臭く、まだ若々しかった頃の物語。
彼女がまだ少女だった時代の輝かしい思い出だった。
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