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#navi(虚無と狼の牙)
虚無と狼の牙 第三話
夜、コルベールはいつものように自分の研究室にて、研究に没頭していた。
現在の彼のテーマは竜の血、その成分の解析と複製である。
最近の熱心な研究のおかげで、ある程度の成分の解析にも成功したし、それに近いものなら複製できるようになってきた。
竜の血独特のにおいを嗅いだ彼は満足そうに鼻を鳴らす。
そのとき、誰かがドアをノックする音がした。
コルベールはただでさえ普段人が寄り付かないこんな場所に、夜に人が訪問してくるという事態に首をかしげながらも、
それでも人がやってくるということは何かの緊急事態かもしれないと重い、ドアを開けた。
そこに立っていたのは十字架を背中に担いだ、彼よりも背の高い黒髪の男だった。
「えーと、コルベールせんせ、でええんかな?」
その男はコルベールの顔を見ると少し遠慮がちにそう言った。
「いかにも、私がコルベールですが。ええと、そういう君は確かウルフウッド君、だね?」
「おっ。ワイの名前知っててくれてたんか?」
話のきっかけがつかめたとばかりに目の前の男は顔をほころばせる。
「良くも悪くも君は有名人だからねー」
それをコルベールは苦笑いで返す。目の前この男の存在を知らないものは学院にはいないだろう。
平民が使い魔になったという珍しさに加えて、先日の決闘騒ぎである。
実際に彼と会話した事のある人物は限られていても、彼の存在はこの学院に関わるほとんどの人間に知られている。
「で、こんな夜に私に何のようだね?」
コルベールは努めて平静を装った声を出した。
目の前の男、その存在を知っている人間は学院のほとんどとはいえ、その男が伝説の使いまであるガンダールブであることを現時点で知っているのは学院でもほんの一部だけである。
コルベールもその一人だった。そして、その上で彼の中に存在している『何か』に感ずいている人間はコルベールただ一人だけだった。
「ちょっとせんせに相談したいことがあってな。中に入らせてもろてもええか」
「ええ、どうぞ」
コルベールは散らかった研究室の中に彼を招きいれた。
「すまんの」
そう言って彼はコルベールの研究室に入ると担いだ十字架を床に突き刺すように置いた。
「ちょっとこれを見て欲しいねん」
そして、その十字架を包んでいたベルトのホックを一つ外す。
十字架を覆っていた布が取り払われ、その本来の姿が現れる。
「こ、これは……」
コルベールは目の前の物体に驚愕した。ただの何かのオブジェかと思っていたが、違う。
これは精巧に作られた何らかの機械である。
そして、その白いボディには無数の石でもめり込んだような傷が付いており、向かって左側の部分にいたっては完全に外壁が破壊されて中身が出ている。
コルベールにはこれがどんなものかは全く想像付かない。しかし、その姿を見て彼はこれがどんなことに使われるものかは見抜いた。
「これは……一体?」
「簡単に言うと銃、やな」
ウルフウッドは重い息を吐くように答えた。
「これを私にどうしろと?」
「修理してほしいねん。うちのおじょうちゃんに聞いたら、あんたがこういうことに興味を持っている、って教えてもろうてな。
もしかしたら、直してくれるかもしれへんと思って」
コルベールは困惑した。目の前の物体はこれ以上なく彼の知的好奇心を刺激するものである。
破損しているとはいえ、その精巧な機械構造は彼の心を惹きつけるに十分である。
目の前のものの正体はわからない。しかし、彼はそれを銃だと言う。
おそらくその言葉に嘘偽りはないだろう。
この武器の現状を見て、これが一体どういう場所で使われるものか位は簡単に想像がつく。
コルベールは自らに課した誓いを思い出す。
「し、しかし私にはこれが銃であるというのは信じられない。あまりも私たちの常識を超えているよ、この機械は」
「わかってる。それは今日街ん中を見物してきたから、ようわかってる。
そやな、ほなこれが銃であるという証拠を見せたらええんやな」
「そうですね、これがどういう風に動くものかを見せていただかなくては、私としてもいかんともしがたいですから」
これが武器であるということにコルベールはちゃんと気付いていた。しかし、彼自身湧き上がる好奇心には勝てない。
そうして二人は部屋の外に出た。部屋の中で銃をぶっ放すわけにはいかないだろうというウルフウッドの判断である。
「ところで、それはちゃんと動くのですか?」
半壊したパニッシャーをコルベールは指差した。ひどいダメージを受けている。とても動くとは思えない。
「大丈夫、とは言えへんけど、片側半分のマガジンはなんとか生きとるから、だましだましやったら動くと思うわ」
ウルフウッドはパニッシャーを憐れむような目で見つめる。外壁が破壊され中身がむき出しになった片側のマガジンが痛々しい。
「さてと、なんか手ごろな的はないか?」
ウルフウッドは隣のコルベールに尋ねた。
「そうだね……じゃあ、あの塔を狙ってくれたまえ」
「ええんか?」
建物を狙えと言われたウルフウッドは確認するようにコルベールに問い返した。
「大丈夫だよ。あの塔はうちの学院の宝物庫だ。
スクウェアクラスのメイジたちによって強力な固定化の魔法が掛けられている。
この学院で、いや世界でもっとも頑丈な建物だよ。銃で撃ったからといって傷すらつくまい」
「そうか。まぁ距離もちょうどええわ。ほな遠慮なく」
「ええ、どうぞ」
このときコルベールはタカを括っていた。
彼は銃の威力を彼の常識の範囲内で考えていた。
この男はここから銃で撃つとは言っていたが、おそらくこの距離なら届くのでやっとであろうと。
そんなコルベールの思惑はお構いなしにウルフウッドは手に持ったパニッシャーを大きく回転させて構える。
両足を大きく開き、腰を落とす。
そして、パニッシャーを胴に密着させることにより安定させる、この武器を扱う独特の構えだ。
ガシャという機械音と共に、その先端が開くとその銃身が顕わになる。
そして、小さな爆発音が三発連続して鳴り響いた。
その直後宝物庫の塔に三筋の砂礫の煙が舞い上がる。
「な、なんという……」
それを見ていたコルベールは驚愕に足を震わせた。
彼の足元には先ほどウルフウッドがパニッシャーを撃ったときに飛び出した薬莢が三発転がっている。
「あんまし弾薬の無駄遣いはできひんから、この程度で勘弁したってな」
ウルフウッドはそう言って、パニッシャーの銃身を閉じた。
「信じられん。なんという破壊力だ……」
コルベールは呆然と視線の先で宝物庫の塔を追う。
宝物この壁を傷つける予想を超える恐るべき破壊力。そして、彼の常識からは考えられない高い命中精度。
「けど、さすがに魔法がかかっているだけのことはあるな。本来やったらあんな壁簡単に粉々にできるんやけど」
ウルフウッドも自分の銃弾が当たった塔を眺めて、感慨深げにそう呟いた。
「……ウルフウッド君、一つ訊いていいかい?」
コルベールはゆっくりと深呼吸するように言った。
「なんや?」
「君はそれを修理してどうするつもりなんだい?」
「どうするも、こうするも、ワイはあのじょうちゃんの使い魔やろ。
あの子をまもらなあかん。それにはそれ相応のものがいる、それだけのことや」
「本当にそれだけなのかい?」
コルベールはウルフウッドのほうを向いた。二人は相対する形になる。
「どういう意味や?」
「君は彼女を守るためと言った。そのためにその銃を使うと。しかし、本当にそれだけなのかい?
何かを守るといえば聞こえがいい。しかし、時としてそれは人に向けられるのではないかね?」
ウルフウッドは静かに目を閉じる。
「そうせざるをええへんときは――そん時や」
「あの銃の弾が人に当たればどうなる?」
「そんときはただの物言わぬ肉塊になる」
こともなげにウルフウッドは言ってみせた。その言葉にコルベールは静かに頭を振る。
「私は――私は人を傷つけるための道具など作り出したくはない。
君は、君は彼女を守るためだといった。でもそれは欺瞞じゃないのか?
君自身が力に魅入られているから、自分の力を失いたくないから、そう言っているのではないのかね」
ウルフウッドは目を閉じたまま、動かない。
戦いの日々から解放された今、自分の牙はどこへ行こうとしているのだろうか。
「……誰かが牙にならんと、誰かが泣く。少なくとも、オレはそう信じて自らの牙を突きたて続けてきたつもりや」
ウルフウッドは静かに、ただ静かにそう言い放った。
「君の突きたてた牙で誰かが泣くとしても?」
「センセ、ワイらは万能の神様やない。選ばなあかんねん。
それがクソみたいな選択肢でも、それでほんの少しでもマシになるんやったら。
最高なんて選ばれへん。ただ、最低から逃げ回るだけや」
「それが――それがどうしようもない後悔に繋がるとしても?」
「後悔しようが何しようが、現実に問題は起こり続けるねん。
そうやって、後悔を理由に自分の殻に閉じこもって何もせえへんのは最低や。
ほんまに後悔しとるんやったら、血ヘドを吐きながら前へ進まんかい。
立ち止まったって過去から逃げ切れるわけやないんやで」
ウルフウッドの言葉の最後は重いため息に変わっていった。
二人の間を沈黙が包む。
十分、二十分、一体どれくらいの間そうして佇んでいただろうか、何かを吹っ切るようにウルフウッドが沈黙を破った。
「センセ、それはセンセに預けておくわ。ワイを信じてくれなんておこがましいことは言わん。
ただ、ワイは、ワイの信じるもののために十字架を背負い続けてきた。その生き方はもう曲げられへん」
ウルフウッドはパニッシャーをコルベールに手渡す。
コルベールはそれを両手で抱きかかえるようにして持つと、苦しそうな息を吐くように彼の名を呼んだ。
「ウルフウッドくん」
ウルフウッドはその言葉に振り向くことなく歩き出す。
「ほな夜分遅うに失礼したな。おやすみ、センセ」
二つの月明かりの下ウルフウッドがルイズの部屋に戻ろうとした、そのときである。
先ほど銃弾をぶつけた宝物庫の傍で大きく地面が盛り上がるのが見えた。
そして、その盛り上がった地面はやがて人のような形を成す。
その大きさは先ほどウルフウッドが撃った塔ほどもあり、それが月明かりに照らされて不気味な姿を晒す。
「な、なんや、あれは?」
ウルフウッドは呆然と夜空にそびえ立つ土の巨人を見上げた。
「ゴーレムだ。しかもあの大きさ。ただのメイジじゃない。トライアングルクラスか?」
コルベールもウルフウッドの隣まで走りより、遠くの巨人を見上げながらひとり言のように呟く。
「なんや、あれは? 魔法使いの演習かなんかか?」
「そんな馬鹿なことが。第一こんな非常識な時間に」
呆然と見上げる二人の前でゴーレムはその巨大な腕を振りあげた。
そして、その腕を宝物庫の壁に向かって振り下ろす。まるで蝋細工のように宝物の壁が崩れていく。
「な、なんだと!」
コルベールは大声で叫んだ。宝物庫から土煙のように崩れた砂礫が落ちる。
そしてゴーレムはその穴から手を突っ込むと、その腕伝いに黒っぽいローブを着た誰かが中に入っていくのが見えた。
「つ、土くれのフーケだ!」
「なんやねん、それ?」
ウルフウッドは状況を全く飲み込めない。
「盗賊だ! 最近、町を騒がしている貴族専門の!」
「なんやて!」
「今、ゴーレムの腕を伝って中に入ったのがおそらく土くれのフーケだ」
「どないすんねん! 行くんか?」
「まともな装備もない状態では返り討ちがオチだ!」
「ほな、パニッシャーであの土人形を泥の塊に変えたる!」
パニッシャーをとろうとコルベールの研究室へ行こうとしたウルフウッドの腕をコルベールが掴んだ。
「なんで止めんねん!」
「無駄だ! ゴーレムに遠くから物理攻撃を加えても直に再生されるのがオチだ。操っているメイジを叩かないと意味がない」
ウルフウッドはコルベールの研究室のほうに目をやる。
どちらにしても、ここからパニッシャーを取りに戻って接近するまでの時間は与えてくれないだろう。
「くそったれ……こっちは見ているだけかい」
ウルフウッドはいらだたしげに地面を蹴った。
塔から出てくる人影が見えると、やがてゴーレムは崩れていき、辺りはまた何事もなかったかのように静かになった。
「あんな大胆な方法の盗賊とはな。おそれいったわ」
憎憎しげにウルフウッドは呟く。
別にこの学院の宝物に対して彼自身は何の興味もない。
しかし、このような何も出来ない無力感にさらされるのだけは耐えがたかった。
「しかし、信じられない。いくらあれほどの巨大なゴーレムとはいえ、あの塔には強力な固定化の魔法がかかっていたんだ。
そうたやすく破壊されるとは到底思えない……」
コルベールは顎に手を当てて考え込む。
そうなのだ。ありえないことなのだ。
磐石の堅牢性を誇る塔が破壊されることなどありえない。
魔法に対してはほぼ無敵であるし、それに物理的な衝撃に対してもあの分厚い壁をそうそう打ち砕けるものではない。
「考えられるとしたら、壁のどこかに亀裂が入っていたとか……あっ」
ウルフウッドとコルベールはお互いに顔を見合わせる。
コルベールは顔面蒼白に、ウルフウッドは顔中を引きつらせる。
「ちょっとまってや。ひょっとしてワイがあれを撃ったせいや言うんか!」
「し、しかし、それしか考えられない!」
「けど、そもそもあんたがアレを撃て言うたんやないけ! 大丈夫やからって!」
ウルフウッドは塔を指差して、腕をピコピコと振る。
うっ、とコルベールは胸を押さえる。
「君の銃があんな破壊力を持っているなんて知らなかったんだ!
そもそもそんなむちゃくちゃな破壊力の銃があること自体がおかしい!」
コルベールは自分の研究室前に立てかけてあるパニッシャーを指差して叫んだ。
ウルフウッドは鼻の穴と口を大きく広げると、
「な、なんやと、おんどれのその頭は後先のこともろくに考えられへんと禿げ上がるばかりかい!」
コルベールは自らの頭を両手で押さえると顔を真っ赤にした。
「き、君! 今のは侮辱だよ! 全く持ってしてデリカシーのない!」
「研究室にこもって四十過ぎてまで独身のおっさんにいわれたないわ、ボケ!」
「な、なんですとぉー!」
「何やねん!」
ゴーレム騒ぎが収まって静かになった夜の空の下、今度はその下で醜い二人の男の言い争いが始まっていた。
醜い、実に醜い争いであった。
*
翌朝、トリステイン魔法学院は喧騒に包まれていた。
教師たちには緘口令が出ていたものの、派手に壊れた宝物庫を隠しとおせるわけもなく、フーケのニュースは学院を席巻していた。
「フーケの襲撃を目撃したのはミスタ・コルベールと、そちらのミス・ヴァリエールの使い魔……」
「ウルフウッドや」
片手を腰に当てたまま無愛想にウルフウッドは名乗った。
「そう、ウルフウッドくんの二人だけなのじゃな?」
フーケ襲来の翌日の朝、唯一の目撃者であるコルベールとウルフウッドはオスマンの部屋に呼ばれていた。
彼らの周りには学院の教師たちがいる。これから彼らの目撃証言を元に対策を立てるのだ。
「なんであんたが昨日の晩に現場にいたのよ?」
ウルフウッドの袖を引っ張って小声でルイズが訊く。
「まぁ、いろいろあるんや。大人の事情っちゅうやつや。ちゅうか、なんでおじょうちゃんここにおんねん?」
その言葉にルイズは不快感を露に顔をしかめる。
「あのねえ。わたしはあんたのご主人様なの。あんたを監督する責任がわたしにはあるの!」
「あー、ちょっとそこ私語は慎んでもらえるかの?」
「……すいません」
オスマンの注意に二人の声が重なった。
「で、ミスタ・コルベールの言うようにフーケはゴーレムを使って、塔の壁を砕き、破壊の杖を奪ったと」
「ええ、その通りです」
「しかし、不思議ですな」
その話を聞いていた教師のギトーが口を挟んだ。
「あの壁がゴーレムの力で破壊されるとは到底思えない。
なにか、どこかに我々の与り知らぬところでクラックでも入っていたのではないかね?」
その言葉にコルベールとウルフウッドは同時に胸を押さえる。
とにかく二人は昨日の一件は内緒にしようと決めた。
彼らに責任を追及されるのが怖かったからではない。
とりあえずパニッシャーの存在とその破壊力はあまり公にしないほうがいいだろうという判断だった。
そう、断じて怒られるのがいやだったとかそういうわけではない、ことにしておく。
「そ、その破壊の杖っちゅうのはいったいなんなんや?」
ここで話題を変えようとウルフウッドが口を挟む。
ギトーは平民が自分の話の腰を折ったことに、露骨に嫌そうな顔をする。
「我々の学院にある秘法じゃよ。破壊の杖の名にふさわしく、それを振ると信じられん破壊力の爆発がおこる代物じゃ」
「……なんかえらい危険なもんが奪われてしもたんやな」
ここでウルフウッドとコルベールは目を合わせた。
ウルフウッドは右頬を少し引きつらせて、コルベールは頭頂部を湧き上がる汗できらきらと輝かせていた。
「それはそうと君たち二人は昨日の夜に二人で何をやっていたのかね?」
ギトーが思い出したように、ウルフウッドとコルベールの顔を交互に見た。
「え、っといや、それはですな……」
その質問に頭を掻くコルベール。間違っても昨日の出来事が知られてはいけない。
「そうよ。何しにコルベール先生のところに行ったのよ? あんた、『大人の用事やから子供は知らんでええ』なんて言っていたけど?」
その言葉の後をルイズが受ける。
「大の男が夜中に二人っきりで会って、大人の用事……?」
ギトーが怪訝そうな目で二人を見る。
まずい? 話がなんかへんな方向に行っている?
「そういえば、ここ数日コルベール先生はよく彼の方を見ていらしたわ」
シュヴルーズが疑惑の火種に油を注ぐ。
「ち、ちょっと待ってや! ワイはそんなんやなくて」
「じゃあ、どんなんだね?」
ギトーの言葉にウルフウッドは何も言い返せない。そうしていると、ふつふつと怒りが湧いてきた。
なんで自分にこんな疑惑が向けれられているのだろうか。そもそも悪いのはこの隣にいるやつだ。
こいつが「あそこを撃て」なんて言わなければ、宝物庫も襲われなかったし、こんな疑惑を掛けられることもなかった。
そう思うと、一気に怒りがこみ上げる。
「っちゅうか、お前あっこやったら大丈夫。絶対にばれへん、て言うたやないけ!」
「な、わ、私のせいだというのですか!
そもそも最初から君の『アレ』があんなにすごいなんて知っていたら、わ、私だってあんなところ向けてなんていいませんよ!」
え、『アレ』ってなに? まさか『アレ』って『アレ』?
醜い言い争いをする二人の傍で疑惑が固まっていく。ギトーは露骨に嫌な顔をして距離を取った。
ルイズは顎を落ちんばかりに開いて呆然としている。シュヴルーズはなにやら顔が真っ赤だ。
オスマンはとりあえず現実逃避している。
「そもそも誘ってきたのは君のほうでしょう!」
真っ赤な顔でコルベールはウルフウッドを指差す。
誘ってきた? あぁ、やっぱりそうなのね。やっぱり『アレ』って『アレ』なのね。
周りの人々の表情に苦々しい色が出始める。
四十過ぎて独身なのはそういうわけだったのか。ギトーは納得していた。
あれだけ女の子にもてるくせに、そして、同じ部屋で寝ているのにわたしに全く手を出してこなかったのはそういうことだったの。
ルイズは呆然とする頭の中で納得していた。
オスマンは一人窓に向かって現実逃避している。あぁ、朝日が眩しい。
「わ、私は認めませんよ!」
そのときシュヴルーズが大声を上げた。一同が彼女のほうを振り返る。
「私は断じて認めません! そ、そんなカップリング!」
カップリング?
一同同時に首をひねる。
「ウルフウッド×ギーシュのウルフウッド誘い受けですよ! それが一番です!
そ、それがまさか、ウルフウッド×コルベールのウルコルカップリングなんて!
コルベール攻めウルフウッド受けなら、ありかもしれませんが。いや、むしろあり? 逆に萌える? いや、でも……」
そこから始まった突然のシュヴルーズ独壇場。一同このカオス極まりない現状に石になるしかない。
シュヴルーズ、四十代独身。彼女こそはまさしく貴腐人であった。
ミス・ロングビルがこの部屋に入ってくるまでの十分間。時が止まっていた。
ミス・ロングビルの報告によると、フーケの居場所の目星は付いているらしい。町外れの森にある廃屋だ。
オスマン氏らの話し合いの結果、どうやらことは学院内で内密に処理する方向のようだ。
メンツとかなんとか、まぁそういう事情らしい。
「して、誰が破壊の杖を取り返しに行くのかの?」
オスマン氏の質問に誰も答えない。みんなそれ以前の騒動で疲れ果てた顔をしている。
「しゃあないな。ワイが行くわ」
そんな中ウルフウッドが手を上げた。その場にいた一同が驚いた顔でウルフウッドを見つめる。
貴族のメンツとかは彼にとってはほんとうにどうでもいいのだが、自分が遠因である事件だ。
自分のケツは自分で拭く、そういう信念を持つ彼だからこその行動だった。
「しかし、君はメイジではない――」
心苦しそうなオスマン氏の言葉をルイズが遮る。
「わたしも行きます」
一同はもっと驚いた。今度は魔法の才能ゼロのルイズが名乗りを上げた。
「じょうちゃん、危ないからやめとき。子供のお遊びちゃうんやで」
「うっさいわね。使い魔のあんたか行くのにわたしが留守番なんて出来るわけないでしょ!」
たしなめるウルフウッドにルイズは胸を張って反論した。
「けどなぁ……」
「じゃあ、わたしも行きますわ」
そのとき入り口のほうから声がした。
ウルフウッドたちがそちらを振り向くと、キュルケがドアに背を持たれかけて立っていた。
「キュルケ! あんたなにやってるのよ!」
「朝からあんたたちがどっかに行こうとしてるから後をつけてみたら、なんか面白そうなことになってるわね。あたしも混ぜてもらうわよ」
「あのねえ、遊びじゃないのよ。これは盗賊相手の危険な――」
「あら、いざとなったらダーリンが守ってくれるわよ。ね?」
ウルフウッドはため息を付いた。昨日からとことんついていない。
「私も行く」
さらにキュルケの後ろから声がした。
「タバサ!」
「ちょっとあんたまで何言ってるのよ!」
ルイズとキュルケの声が重なった。
「心配」
タバサを見てウルフウッドは思い出した。
たしかこの子はルイズが例の授業で爆発騒ぎを起こしたときに出て行った子やったかな。いつも本ばかり読んでいる。
ウルフウッドは見下ろすようにタバサを見つめる。タバサもウルフウッドをぼーっとした目で見つめる。
ウルフウッドはこの少女の目の奥にどこか自分と似たものを感じた。
「うむ、いいじゃろ」
「オールド・オスマン」
コルベールが慌ててオスマンを止めたが、オスマンのこの一言で全ては決した。
ロングビルに案内されて馬車に向かう道すがら、ウルフウッドはコルベールに尋ねる
「あんたは行かへんのか?」
「……無責任だと、もしくは臆病だといいたいのですか?」
「ちゃう。ただ単に――訊いてみただけや」
コルベールは歩きながらうつむく。
「フーケの捜索へ向かえば、私は私の魔法を人へ向けるかもしれない。それだけは、やりたくないのです」
「そうか」
「臆病だと思いますか?」
「かめへん。牙を剥け続ける覚悟も、牙を収め続ける覚悟も同じや」
「――君に渡された武器をお返しします。あれがないとあなたも困るでしょう?」
ウルフウッドは歩きながら上を見上げる。
「ええわ」
「え?」
「あれはワイがあんたに預けたもんや。別に返してもらわんでもええ」
「しかし――」
「別にあんたにあげるわけちゃうで。ただ――ただ牙をなくした自分に何が出来るのか、そして何が出来ひんのか。それを見極めたいだけや」
ウルフウッドは大股で歩く速度を速める。一歩一歩をしっかりと踏みしめる。前へ進むために。
「わかりました。君がそう言うのなら、そうしましょう。あと、老婆心ながらゴーレムとの戦いについてメイジとしてのアドバイスを差し上げます」
「……あぁ、そうしてくれるとありがたいわ」
そんな風にして会話する二人をルイズは怪訝な目で見つめていた。
本人たちは必死に否定していたが、さっきの話は本当なのだろうか。だって、今でも二人でなにかこそこそ話をしているし。
「ルイズ、どうしたの? そんな面白い顔でダーリンのほうを見て」
「え、いや! なんでもない! うん、なんでもない!」
キュルケが不思議そうにルイズを見つめる。
ルイズはルイズで絶対にこの話はキュルケに伏せておこうと思っていた。
もうこれ以上収拾のつかない厄介事は増やしたくないのである。
「へんな子ねえ?」
「男同士の絆」
首をかしげるキュルケの横でタバサがぞっとする一言を言った。
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虚無と狼の牙 第三話
夜、コルベールはいつものように自分の研究室にて、研究に没頭していた。現在の彼のテーマは竜の血、その成分の解析と複製である。最近の熱心な研究のおかげで、ある程度の成分の解析にも成功したし、それに近いものなら複製できるようになってきた。竜の血独特のにおいを嗅いだ彼は満足そうに鼻を鳴らす。
そのとき、誰かがドアをノックする音がした。コルベールはただでさえ普段人が寄り付かないこんな場所に、夜に人が訪問してくるという事態に首をかしげながらも、それでも人がやってくるということは何かの緊急事態かもしれないと重い、ドアを開けた。そこに立っていたのは十字架を背中に担いだ、彼よりも背の高い黒髪の男だった。
「えーと、コルベールせんせ、でええんかな?」
その男はコルベールの顔を見ると少し遠慮がちにそう言った。
「いかにも、私がコルベールですが。ええと、そういう君は確かウルフウッド君、だね?」
「おっ。ワイの名前知っててくれてたんか?」
話のきっかけがつかめたとばかりに目の前の男は顔をほころばせる。
「良くも悪くも君は有名人だからねー」
それをコルベールは苦笑いで返す。目の前この男の存在を知らないものは学院にはいないだろう。平民が使い魔になったという珍しさに加えて、先日の決闘騒ぎである。実際に彼と会話した事のある人物は限られていても、彼の存在はこの学院に関わるほとんどの人間に知られている。
「で、こんな夜に私に何のようだね?」
コルベールは努めて平静を装った声を出した。目の前の男、その存在を知っている人間は学院のほとんどとはいえ、その男が伝説の使いまであるガンダールブであることを現時点で知っているのは学院でもほんの一部だけである。コルベールもその一人だった。そして、その上で彼の中に存在している『何か』に感ずいている人間はコルベールただ一人だけだった。
「ちょっとせんせに相談したいことがあってな。中に入らせてもろてもええか」
「ええ、どうぞ」
コルベールは散らかった研究室の中に彼を招きいれた。
「すまんの」
そう言って彼はコルベールの研究室に入ると担いだ十字架を床に突き刺すように置いた。
「ちょっとこれを見て欲しいねん」
そして、その十字架を包んでいたベルトのホックを一つ外す。十字架を覆っていた布が取り払われ、その本来の姿が現れる。
「こ、これは……」
コルベールは目の前の物体に驚愕した。ただの何かのオブジェかと思っていたが、違う。これは精巧に作られた何らかの機械である。そして、その白いボディには無数の石でもめり込んだような傷が付いており、向かって左側の部分にいたっては完全に外壁が破壊されて中身が出ている。
コルベールにはこれがどんなものかは全く想像付かない。しかし、その姿を見て彼はこれがどんなことに使われるものかは見抜いた。
「これは……一体?」
「簡単に言うと銃、やな」
ウルフウッドは重い息を吐くように答えた。
「これを私にどうしろと?」
「修理してほしいねん。うちのおじょうちゃんに聞いたら、あんたがこういうことに興味を持っている、って教えてもろうてな。もしかしたら、直してくれるかもしれへんと思って」
コルベールは困惑した。目の前の物体はこれ以上なく彼の知的好奇心を刺激するものである。破損しているとはいえ、その精巧な機械構造は彼の心を惹きつけるに十分である。目の前のものの正体はわからない。しかし、彼はそれを銃だと言う。おそらくその言葉に嘘偽りはないだろう。この武器の現状を見て、これが一体どういう場所で使われるものか位は簡単に想像がつく。コルベールは自らに課した誓いを思い出す。
「し、しかし私にはこれが銃であるというのは信じられない。あまりも私たちの常識を超えているよ、この機械は」
「わかってる。それは今日街ん中を見物してきたから、ようわかってる。そやな、ほなこれが銃であるという証拠を見せたらええんやな」
「そうですね、これがどういう風に動くものかを見せていただかなくては、私としてもいかんともしがたいですから」
これが武器であるということにコルベールはちゃんと気付いていた。しかし、彼自身湧き上がる好奇心には勝てない。
そうして二人は部屋の外に出た。部屋の中で銃をぶっ放すわけにはいかないだろうというウルフウッドの判断である。
「ところで、それはちゃんと動くのですか?」
半壊したパニッシャーをコルベールは指差した。ひどいダメージを受けている。とても動くとは思えない。
「大丈夫、とは言えへんけど、片側半分のマガジンはなんとか生きとるから、だましだましやったら動くと思うわ」
ウルフウッドはパニッシャーを憐れむような目で見つめる。外壁が破壊され中身がむき出しになった片側のマガジンが痛々しい。
「さてと、なんか手ごろな的はないか?」
ウルフウッドは隣のコルベールに尋ねた。
「そうだね……じゃあ、あの塔を狙ってくれたまえ」
「ええんか?」
建物を狙えと言われたウルフウッドは確認するようにコルベールに問い返した。
「大丈夫だよ。あの塔はうちの学院の宝物庫だ。スクウェアクラスのメイジたちによって強力な固定化の魔法が掛けられている。この学院で、いや世界でもっとも頑丈な建物だよ。銃で撃ったからといって傷すらつくまい」
「そうか。まぁ距離もちょうどええわ。ほな遠慮なく」
「ええ、どうぞ」
このときコルベールはタカを括っていた。彼は銃の威力を彼の常識の範囲内で考えていた。この男はここから銃で撃つとは言っていたが、おそらくこの距離なら届くのでやっとであろうと。
そんなコルベールの思惑はお構いなしにウルフウッドは手に持ったパニッシャーを大きく回転させて構える。両足を大きく開き、腰を落とす。そして、パニッシャーを胴に密着させることにより安定させる、この武器を扱う独特の構えだ。ガシャという機械音と共に、その先端が開くとその銃身が顕わになる。そして、小さな爆発音が三発連続して鳴り響いた。その直後宝物庫の塔に三筋の砂礫の煙が舞い上がる。
「な、なんという……」
それを見ていたコルベールは驚愕に足を震わせた。彼の足元には先ほどウルフウッドがパニッシャーを撃ったときに飛び出した薬莢が三発転がっている。
「あんまし弾薬の無駄遣いはできひんから、この程度で勘弁したってな」
ウルフウッドはそう言って、パニッシャーの銃身を閉じた。
「信じられん。なんという破壊力だ……」
コルベールは呆然と視線の先で宝物庫の塔を追う。宝物この壁を傷つける予想を超える恐るべき破壊力。そして、彼の常識からは考えられない高い命中精度。
「けど、さすがに魔法がかかっているだけのことはあるな。本来やったらあんな壁簡単に粉々にできるんやけど」
ウルフウッドも自分の銃弾が当たった塔を眺めて、感慨深げにそう呟いた。
「……ウルフウッド君、一つ訊いていいかい?」
コルベールはゆっくりと深呼吸するように言った。
「なんや?」
「君はそれを修理してどうするつもりなんだい?」
「どうするも、こうするも、ワイはあのじょうちゃんの使い魔やろ。あの子をまもらなあかん。それにはそれ相応のものがいる、それだけのことや」
「本当にそれだけなのかい?」
コルベールはウルフウッドのほうを向いた。二人は相対する形になる。
「どういう意味や?」
「君は彼女を守るためと言った。そのためにその銃を使うと。しかし、本当にそれだけなのかい? 何かを守るといえば聞こえがいい。しかし、時としてそれは人に向けられるのではないかね?」
ウルフウッドは静かに目を閉じる。
「そうせざるをええへんときは――そん時や」
「あの銃の弾が人に当たればどうなる?」
「そんときはただの物言わぬ肉塊になる」
こともなげにウルフウッドは言ってみせた。その言葉にコルベールは静かに頭を振る。
「私は――私は人を傷つけるための道具など作り出したくはない。君は、君は彼女を守るためだといった。でもそれは欺瞞じゃないのか? 君自身が力に魅入られているから、自分の力を失いたくないから、そう言っているのではないのかね」
ウルフウッドは目を閉じたまま、動かない。戦いの日々から解放された今、自分の牙はどこへ行こうとしているのだろうか。
「……誰かが牙にならんと、誰かが泣く。少なくとも、オレはそう信じて自らの牙を突きたて続けてきたつもりや」
ウルフウッドは静かに、ただ静かにそう言い放った。
「君の突きたてた牙で誰かが泣くとしても?」
「センセ、ワイらは万能の神様やない。選ばなあかんねん。それがクソみたいな選択肢でも、それでほんの少しでもマシになるんやったら。最高なんて選ばれへん。ただ、最低から逃げ回るだけや」
「それが――それがどうしようもない後悔に繋がるとしても?」
「後悔しようが何しようが、現実に問題は起こり続けるねん。そうやって、後悔を理由に自分の殻に閉じこもって何もせえへんのは最低や。ほんまに後悔しとるんやったら、血ヘドを吐きながら前へ進まんかい。立ち止まったって過去から逃げ切れるわけやないんやで」
ウルフウッドの言葉の最後は重いため息に変わっていった。
二人の間を沈黙が包む。十分、二十分、一体どれくらいの間そうして佇んでいただろうか、何かを吹っ切るようにウルフウッドが沈黙を破った。
「センセ、それはセンセに預けておくわ。ワイを信じてくれなんておこがましいことは言わん。ただ、ワイは、ワイの信じるもののために十字架を背負い続けてきた。その生き方はもう曲げられへん」
ウルフウッドはパニッシャーをコルベールに手渡す。コルベールはそれを両手で抱きかかえるようにして持つと、苦しそうな息を吐くように彼の名を呼んだ。
「ウルフウッドくん」
ウルフウッドはその言葉に振り向くことなく歩き出す。
「ほな夜分遅うに失礼したな。おやすみ、センセ」
二つの月明かりの下ウルフウッドがルイズの部屋に戻ろうとした、そのときである。先ほど銃弾をぶつけた宝物庫の傍で大きく地面が盛り上がるのが見えた。そして、その盛り上がった地面はやがて人のような形を成す。
その大きさは先ほどウルフウッドが撃った塔ほどもあり、それが月明かりに照らされて不気味な姿を晒す。
「な、なんや、あれは?」
ウルフウッドは呆然と夜空にそびえ立つ土の巨人を見上げた。
「ゴーレムだ。しかもあの大きさ。ただのメイジじゃない。トライアングルクラスか?」
コルベールもウルフウッドの隣まで走りより、遠くの巨人を見上げながらひとり言のように呟く。
「なんや、あれは? 魔法使いの演習かなんかか?」
「そんな馬鹿なことが。第一こんな非常識な時間に」
呆然と見上げる二人の前でゴーレムはその巨大な腕を振りあげた。そして、その腕を宝物庫の壁に向かって振り下ろす。まるで蝋細工のように宝物の壁が崩れていく。
「な、なんだと!」
コルベールは大声で叫んだ。宝物庫から土煙のように崩れた砂礫が落ちる。そしてゴーレムはその穴から手を突っ込むと、その腕伝いに黒っぽいローブを着た誰かが中に入っていくのが見えた。
「つ、土くれのフーケだ!」
「なんやねん、それ?」
ウルフウッドは状況を全く飲み込めない。
「盗賊だ! 最近、町を騒がしている貴族専門の!」
「なんやて!」
「今、ゴーレムの腕を伝って中に入ったのがおそらく土くれのフーケだ」
「どないすんねん! 行くんか?」
「まともな装備もない状態では返り討ちがオチだ!」
「ほな、パニッシャーであの土人形を泥の塊に変えたる!」
パニッシャーをとろうとコルベールの研究室へ行こうとしたウルフウッドの腕をコルベールが掴んだ。
「なんで止めんねん!」
「無駄だ! ゴーレムに遠くから物理攻撃を加えても直に再生されるのがオチだ。操っているメイジを叩かないと意味がない」
ウルフウッドはコルベールの研究室のほうに目をやる。どちらにしても、ここからパニッシャーを取りに戻って接近するまでの時間は与えてくれないだろう。
「くそったれ……こっちは見ているだけかい」
ウルフウッドはいらだたしげに地面を蹴った。
塔から出てくる人影が見えると、やがてゴーレムは崩れていき、辺りはまた何事もなかったかのように静かになった。
「あんな大胆な方法の盗賊とはな。おそれいったわ」
憎憎しげにウルフウッドは呟く。別にこの学院の宝物に対して彼自身は何の興味もない。しかし、このような何も出来ない無力感にさらされるのだけは耐えがたかった。
「しかし、信じられない。いくらあれほどの巨大なゴーレムとはいえ、あの塔には強力な固定化の魔法がかかっていたんだ。そうたやすく破壊されるとは到底思えない……」
コルベールは顎に手を当てて考え込む。そうなのだ。ありえないことなのだ。磐石の堅牢性を誇る塔が破壊されることなどありえない。魔法に対してはほぼ無敵であるし、それに物理的な衝撃に対してもあの分厚い壁をそうそう打ち砕けるものではない。
「考えられるとしたら、壁のどこかに亀裂が入っていたとか……あっ」
ウルフウッドとコルベールはお互いに顔を見合わせる。コルベールは顔面蒼白に、ウルフウッドは顔中を引きつらせる。
「ちょっとまってや。ひょっとしてワイがあれを撃ったせいや言うんか!」
「し、しかし、それしか考えられない!」
「けど、そもそもあんたがアレを撃て言うたんやないけ! 大丈夫やからって!」
ウルフウッドは塔を指差して、腕をピコピコと振る。うっ、とコルベールは胸を押さえる。
「君の銃があんな破壊力を持っているなんて知らなかったんだ! そもそもそんなむちゃくちゃな破壊力の銃があること自体がおかしい!」
コルベールは自分の研究室前に立てかけてあるパニッシャーを指差して叫んだ。ウルフウッドは鼻の穴と口を大きく広げると、
「な、なんやと、おんどれのその頭は後先のこともろくに考えられへんと禿げ上がるばかりかい!」
コルベールは自らの頭を両手で押さえると顔を真っ赤にした。
「き、君! 今のは侮辱だよ! 全く持ってしてデリカシーのない!」
「研究室にこもって四十過ぎてまで独身のおっさんにいわれたないわ、ボケ!」
「な、なんですとぉー!」
「何やねん!」
ゴーレム騒ぎが収まって静かになった夜の空の下、今度はその下で醜い二人の男の言い争いが始まっていた。醜い、実に醜い争いであった。
翌朝、トリステイン魔法学院は喧騒に包まれていた。教師たちには緘口令が出ていたものの、派手に壊れた宝物庫を隠しとおせるわけもなく、フーケのニュースは学院を席巻していた。
「フーケの襲撃を目撃したのはミスタ・コルベールと、そちらのミス・ヴァリエールの使い魔……」
「ウルフウッドや」
片手を腰に当てたまま無愛想にウルフウッドは名乗った。
「そう、ウルフウッドくんの二人だけなのじゃな?」
フーケ襲来の翌日の朝、唯一の目撃者であるコルベールとウルフウッドはオスマンの部屋に呼ばれていた。彼らの周りには学院の教師たちがいる。これから彼らの目撃証言を元に対策を立てるのだ。
「なんであんたが昨日の晩に現場にいたのよ?」
ウルフウッドの袖を引っ張って小声でルイズが訊く。
「まぁ、いろいろあるんや。大人の事情っちゅうやつや。ちゅうか、なんでおじょうちゃんここにおんねん?」
その言葉にルイズは不快感を露に顔をしかめる。
「あのねえ。わたしはあんたのご主人様なの。あんたを監督する責任がわたしにはあるの!」
「あー、ちょっとそこ私語は慎んでもらえるかの?」
「……すいません」
オスマンの注意に二人の声が重なった。
「で、ミスタ・コルベールの言うようにフーケはゴーレムを使って、塔の壁を砕き、破壊の杖を奪ったと」
「ええ、その通りです」
「しかし、不思議ですな」
その話を聞いていた教師のギトーが口を挟んだ。
「あの壁がゴーレムの力で破壊されるとは到底思えない。なにか、どこかに我々の与り知らぬところでクラックでも入っていたのではないかね?」
その言葉にコルベールとウルフウッドは同時に胸を押さえる。とにかく二人は昨日の一件は内緒にしようと決めた。彼らに責任を追及されるのが怖かったからではない。とりあえずパニッシャーの存在とその破壊力はあまり公にしないほうがいいだろうという判断だった。そう、断じて怒られるのがいやだったとかそういうわけではない、ことにしておく。
「そ、その破壊の杖っちゅうのはいったいなんなんや?」
ここで話題を変えようとウルフウッドが口を挟む。ギトーは平民が自分の話の腰を折ったことに、露骨に嫌そうな顔をする。
「我々の学院にある秘法じゃよ。破壊の杖の名にふさわしく、それを振ると信じられん破壊力の爆発がおこる代物じゃ」
「……なんかえらい危険なもんが奪われてしもたんやな」
ここでウルフウッドとコルベールは目を合わせた。ウルフウッドは右頬を少し引きつらせて、コルベールは頭頂部を湧き上がる汗できらきらと輝かせていた。
「それはそうと君たち二人は昨日の夜に二人で何をやっていたのかね?」
ギトーが思い出したように、ウルフウッドとコルベールの顔を交互に見た。
「え、っといや、それはですな……」
その質問に頭を掻くコルベール。間違っても昨日の出来事が知られてはいけない。
「そうよ。何しにコルベール先生のところに行ったのよ? あんた、『大人の用事やから子供は知らんでええ』なんて言っていたけど?」
その言葉の後をルイズが受ける。
「大の男が夜中に二人っきりで会って、大人の用事……?」
ギトーが怪訝そうな目で二人を見る。
まずい? 話がなんかへんな方向に行っている?
「そういえば、ここ数日コルベール先生はよく彼の方を見ていらしたわ」
シュヴルーズが疑惑の火種に油を注ぐ。
「ち、ちょっと待ってや! ワイはそんなんやなくて」
「じゃあ、どんなんだね?」
ギトーの言葉にウルフウッドは何も言い返せない。そうしていると、ふつふつと怒りが湧いてきた。なんで自分にこんな疑惑が向けれられているのだろうか。そもそも悪いのはこの隣にいるやつだ。こいつが「あそこを撃て」なんて言わなければ、宝物庫も襲われなかったし、こんな疑惑を掛けられることもなかった。そう思うと、一気に怒りがこみ上げる。
「っちゅうか、お前あっこやったら大丈夫。絶対にばれへん、て言うたやないけ!」
「な、わ、私のせいだというのですか! そもそも最初から君の『アレ』があんなにすごいなんて知っていたら、わ、私だってあんなところ向けてなんていいませんよ!」
え、『アレ』ってなに? まさか『アレ』って『アレ』?
醜い言い争いをする二人の傍で疑惑が固まっていく。ギトーは露骨に嫌な顔をして距離を取った。ルイズは顎を落ちんばかりに開いて呆然としている。シュヴルーズはなにやら顔が真っ赤だ。オスマンはとりあえず現実逃避している。
「そもそも誘ってきたのは君のほうでしょう!」
真っ赤な顔でコルベールはウルフウッドを指差す。
誘ってきた? あぁ、やっぱりそうなのね。やっぱり『アレ』って『アレ』なのね。
周りの人々の表情に苦々しい色が出始める。
四十過ぎて独身なのはそういうわけだったのか。ギトーは納得していた。
あれだけ女の子にもてるくせに、そして、同じ部屋で寝ているのにわたしに全く手を出してこなかったのはそういうことだったの。ルイズは呆然とする頭の中で納得していた。
オスマンは一人窓に向かって現実逃避している。あぁ、朝日が眩しい。
「わ、私は認めませんよ!」
そのときシュヴルーズが大声を上げた。一同が彼女のほうを振り返る。
「私は断じて認めません! そ、そんなカップリング!」
カップリング?
一同同時に首をひねる。
「ウルフウッド×ギーシュのウルフウッド誘い受けですよ! それが一番です! そ、それがまさか、ウルフウッド×コルベールのウルコルカップリングなんて! コルベール攻めウルフウッド受けなら、ありかもしれませんが。いや、むしろあり? 逆に萌える? いや、でも……」
そこから始まった突然のシュヴルーズ独壇場。一同このカオス極まりない現状に石になるしかない。
シュヴルーズ、四十代独身。彼女こそはまさしく貴腐人であった。
ミス・ロングビルがこの部屋に入ってくるまでの十分間。時が止まっていた。
ミス・ロングビルの報告によると、フーケの居場所の目星は付いているらしい。町外れの森にある廃屋だ。
オスマン氏らの話し合いの結果、どうやらことは学院内で内密に処理する方向のようだ。メンツとかなんとか、まぁそういう事情らしい。
「して、誰が破壊の杖を取り返しに行くのかの?」
オスマン氏の質問に誰も答えない。みんなそれ以前の騒動で疲れ果てた顔をしている。
「しゃあないな。ワイが行くわ」
そんな中ウルフウッドが手を上げた。その場にいた一同が驚いた顔でウルフウッドを見つめる。
貴族のメンツとかは彼にとってはほんとうにどうでもいいのだが、自分が遠因である事件だ。自分のけつは自分で拭く、そういう信念を持つ彼だからこその行動だった。
「しかし、君はメイジではない――」
心苦しそうなオスマン氏の言葉をルイズが遮る。
「わたしも行きます」
一同はもっと驚いた。今度は魔法の才能ゼロのルイズが名乗りを上げた。
「じょうちゃん、危ないからやめとき。子供のお遊びちゃうんやで」
「うっさいわね。使い魔のあんたか行くのにわたしが留守番なんて出来るわけないでしょ!」
たしなめるウルフウッドにルイズは胸を張って反論した。
「けどなぁ……」
「じゃあ、わたしも行きますわ」
そのとき入り口のほうから声がした。ウルフウッドたちがそちらを振り向くと、キュルケがドアに背を持たれかけて立っていた。
「キュルケ! あんたなにやってるのよ!」
「朝からあんたたちがどっかに行こうとしてるから後をつけてみたら、なんか面白そうなことになってるわね。あたしも混ぜてもらうわよ」
「あのねえ、遊びじゃないのよ。これは盗賊相手の危険な――」
「あら、いざとなったらダーリンが守ってくれるわよ。ね?」
ウルフウッドはため息を付いた。昨日からとことんついていない。
「私も行く」
さらにキュルケの後ろから声がした。
「タバサ!」
「ちょっとあんたまで何言ってるのよ!」
ルイズとキュルケの声が重なった。
「心配」
タバサを見てウルフウッドは思い出した。たしかこの子はルイズが例の授業で爆発騒ぎを起こしたときに出て行った子やったかな。いつも本ばかり読んでいる。
ウルフウッドは見下ろすようにタバサを見つめる。タバサもウルフウッドをぼーっとした目で見つめる。
ウルフウッドはこの少女の目の奥にどこか自分と似たものを感じた。
「うむ、いいじゃろ」
「オールド・オスマン」
コルベールが慌ててオスマンを止めたが、オスマンのこの一言で全ては決した。
ロングビルに案内されて馬車に向かう道すがら、ウルフウッドはコルベールに尋ねる
「あんたは行かへんのか?」
「……無責任だと、もしくは臆病だといいたいのですか?」
「ちゃう。ただ単に――訊いてみただけや」
コルベールは歩きながらうつむく。
「フーケの捜索へ向かえば、私は私の魔法を人へ向けるかもしれない。それだけは、やりたくないのです」
「そうか」
「臆病だと思いますか?」
「かめへん。牙を剥け続ける覚悟も、牙を収め続ける覚悟も同じや」
「――君に渡された武器をお返しします。あれがないとあなたも困るでしょう?」
ウルフウッドは歩きながら上を見上げる。
「ええわ」
「え?」
「あれはワイがあんたに預けたもんや。別に返してもらわんでもええ」
「しかし――」
「別にあんたにあげるわけちゃうで。ただ――ただ牙をなくした自分に何が出来るのか、そして何が出来ひんのか。それを見極めたいだけや」
ウルフウッドは大股で歩く速度を速める。一歩一歩をしっかりと踏みしめる。前へ進むために。
「わかりました。君がそう言うのなら、そうしましょう。あと、老婆心ながらゴーレムとの戦いについてメイジとしてのアドバイスを差し上げます」
「……あぁ、そうしてくれるとありがたいわ」
そんな風にして会話する二人をルイズは怪訝な目で見つめていた。
本人たちは必死に否定していたが、さっきの話は本当なのだろうか。だって、今でも二人でなにかこそこそ話をしているし。
「ルイズ、どうしたの? そんな面白い顔でダーリンのほうを見て」
「え、いや! なんでもない! うん、なんでもない!」
キュルケが不思議そうにルイズを見つめる。ルイズはルイズで絶対にこの話はキュルケに伏せておこうと思っていた。もうこれ以上収拾のつかない厄介事は増やしたくないのである。
「へんな子ねえ?」
「男同士の絆」
首をかしげるキュルケの横でタバサがぞっとする一言を言った。
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