清水康英
レベル
45-7
合戦配置
北条家左中副将
構成
名前 | 職業 | レベル | 初期付与 | 使用技 |
清水康英 | 鍛冶 | 45 | 追込撃・極 | |
風魔練達 | 忍者 | 45 | 蘇生・壱 | |
北条健脚侍 | 侍 | 40 | ||
武蔵野薬採り | 薬師 | 40 | 蘇生・壱 | |
鶴ヶ岡神官 | 神主 | 40 | ||
伊豆衆闘兵 | 陰陽 | 40 | ||
修善寺僧 | 僧侶 | 40 |
備考
ドロップアイテム
列伝
康実。郎左衛門尉、上野介、上野守。1532年生まれの説があるが確証はない。なお、康の字は北条氏康から一字拝領したものである。
清水氏は伊勢宗瑞(北条早雲)とともに伊豆に入国した家臣の中でも最古参の一族である(南伊豆の土豪という説もあるがこちらは有力ではない)。また、藤原姓を名乗っていたようである。なお、宗瑞に従ったのは彼の祖父に当たる。本拠は伊豆国加茂郡加納村の加納矢崎城である。伊豆郡代の笠原氏とともに伊豆奥郡代・三島社奉行を勤めており、北条家の伊豆支配を担っていた。
康英は伊豆衆、馬廻衆に列せられ、評定衆にもなった北条家重臣である。847貫40文の知行を誇り、これは伊豆衆では最高、北条家の中でもかなり多い部類に入る。
最初康実を名乗るも後に康英に改名する。
1579年には韮山城将となっている。
1588年には秀吉への備えとして伊豆下田城主となりこちらに移る。
1590年、北条水軍を率い豊臣水軍と対決するも敗北、下田城に籠城することになる。豊臣方はこれを長宗我部、九鬼、脇坂らの水軍で包囲する。その数1万5千。
康英は下田城に籠城すること50日余りの後開城する。
開城後は河津林際寺に退去させられる。その後筏場の三養院に隠棲、1591年6月没。