【百年戦争】
百年戦争はイングランド王エドワード3世が自らのフランス王の血統を主張し、
フランス王位継承者のヴァロア伯フィリップに異を唱えた事から始まった。
以来休戦を挟みながら百年間争い続けることになった。
【百年戦争末期】
- フランスのアルマニャック派とブルゴーニュ派との内紛に乗じて
ヘンリー5世が休戦中だった百年戦争を再会。
- 1415年、アジャンクールの戦いでフランス軍を殲滅。
- 1420年、トロワ条約締結。
これによりヘンリー5世(英王)はシャルル6世(仏王)の娘と婚姻を結び、
シャルル6世崩御後のフランス王国継承権を得た。
一方フランス王の嫡男、
王太子
シャルル7世は議会から廃嫡の承認を受け継承権を失う。
これによってイングランド王による英仏連合王国が実現し得る事となった。
その後僅か二年でヘンリー5世、シャルル6世が立て続けに死去。
英仏連合王国の継承者ヘンリー6世は僅か9ヶ月の赤子であった。
そこでシャルル7世はフランス王国の正当なる継承者と名乗りを上げ
ブルージュを拠点に抵抗を挙げることと為る。
だが抵抗の要と為っていたロレーヌ河沿いのオルレアンが陥落。
最早フランス軍の逃げ場が無くなった時にジャンヌが登場する。
【ジャンヌダルク年表】
1337年: 百年戦争はじまる。
1403年: のちのシャルル7世誕生。
1407年: オルレアン公ルイがブルゴーニュ派に暗殺される。オルレアン家一党とブルゴーニュ派が国内を二分。
1412年: 1月6日、ジャンヌ、ロレーヌ地方のドンレミ村に誕生。
1415年: アザンクールの戦い。フランスはイギリスに大敗。
1416年: イギリスとブルゴーニュ派の同盟成立。
1420年: トロワ和約成立。イギリス王ヘンリー5世とシャルル6世の娘が結婚、王太子シャルル、王位継承権を否認される。
1422年: 王太子シャルル、フランス国王を称す。
1425年: ジャンヌ、<神の声>を聞く。
1427年: ジャンヌ、16歳。ボクルールの守備隊長を訪れ、「神の声に従い、オルレアンを救いたい」と初めて申し出る。
1429年: 2月13日、ジャンヌ、ようやく王太子の謁見を許され、シノンへ。
2月23日、王太子シャルルと初会見。
3月22日、イギリス軍への降伏勧告書状を口述。
4月29日、ジャンヌ、オルレアンに入る。
5月 4日、サン・ルー砦奪取。
5月 6日、オーギュスタン砦奪取。
5月 7日、トゥーレル砦奪取。ジャンヌ、胸に矢を受ける。
5月 8日、オルレアン解放。
6月12日、ジャルジョー占領。
6月15日、マン占領。
6月17日、ボージャンシー占領。
6月18日、パテーの戦いでイギリス軍に圧勝。
7月17日、ランス大聖堂にて王太子は祝聖式を挙行。正式にフランス国王、シャルル7世となる。
9月 8日、パリ奪還のために攻撃。ジャンヌ、腿に矢傷を受ける。
12月24日、ジャンヌ、シャルル7世により貴族の称号を授与される。
1430年: 5月22日、ブルゴーニュ派軍団、コンピエーニュを包囲。
5月23日、ジャンヌ、コンピエーニュにて捕わる。
7月11日から11月初めまで、ボールボワールの塔に閉じ込められる。
11月末、イギリス軍に引き渡される。
12月23日、ルーアンの城に閉じ込められる。
1431年: 1月9日、ジャンヌの宗教裁判が始まる。
2月21日、ジャンヌの公開審理開始。
3月10日、牢内での非公開審理開始。
4月5日、12ヶ条の罪状が決定される。
5月24日、ジャンヌ、<悔い改め>の誓いを立てる。
5月27日、ジャンヌ、再び男装する。
5月28日、誓いを破ったとして異端再犯の審理。
5月30日、ルーアンの広場で火刑に処される。ジャンヌ、19歳。
1437年: 9月21日、フランス、ブルゴーニュとアラス和平を締結。
1450年: シャルル7世、ジャンヌ裁判の見直しを命令。
1453年: 百年戦争、終わる。
1456年: ローマ教皇がジャンヌ処刑裁判の無効を宣言。
1920年: 教皇ベネディクトゥス15世により、ジャンヌ、<聖女>の列に加わる。
【参考文献】
最終更新:2007年08月10日 23:33