幸せは、赤き瞳の中に ( 第12話:守りたいもの )
「見つけたわ……。そのまま進め! ソレワターセ!」
「ソーレワターセー!」
鋭いノーザの檄を受けて、ソレワターセの侵攻がさらに勢いを増す。必死で食い止めているのは、元・幹部たちの二体のホホエミーナ。
ふらふらとせつなから離れた少女が、モンスターたちの激しい攻防を見つめる。その真剣な眼差しとは裏腹に、彼女の瞳には何も映ってはいなかった。
体中が軋むような痛みと共に、戻って来た現実感。同時に蘇る、あの世界での彼女の言葉――。
――あなたの願いは、メビウスの復活なんでしょう?
(そうだ。それなのに私は、与えられた苦痛に耐えかねて、別の世界へ逃げ込もうとした……)
どうしてあの時、あの世界でイースになりたいなどと思ったのだろう。メビウス様のためにと言いながら、自分のことだけを考えていたというのか……。
情けなさと悔しさ。それにメビウスに対する申し訳なさで胸が一杯になり、グッと奥歯を噛み締める。その時、隣に居たせつなが、弾かれた様に走り出した。
怪物が戦っている現場近くに居た仲間――ラブと老人に駆け寄り、二人を抱えてひとっ跳びでその場を離れる。その直後、さっきまで彼らが居た場所にホホエミーナの巨体が叩き付けられた。
土埃の向こうで、せつなが大きく息を付き、ラブに微笑みかけているのが見える。それをぼんやりと眺めながら、少女は自分が無意識のうちに、せつなに打たれた左の頬を撫でていたことに気付き、慌てて手を下ろした。
「おーい!」
不意に遠くから呼びかけられて、思わず身構える。やって来たのは、警察組織の戦闘服に身を包んだ一人の少年――数日前にくだらない諍いを起こした、あの少年だった。
「お前も来い」
「……何?」
「ここは危ない」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。少年の頭の向こうに目をやると、確かに人々が続々と建物から出て、戦場から遠ざかろうとしている。
「気は確かか? 私は、お前たちを……」
「いいから来い。お前、フラフラじゃないか」
心配そうにこちらを覗き込む少年の目。その目を見た途端、少女はくるりと彼に背を向けた。
「言ったはずよ。お前の命令など聞かない、って」
「おい!」
焦れたように呼びかける少年を振り向きもせず、少女が痛む身体に鞭打ってその場を駆け去る。物陰に隠れてそっと様子を窺うと、少年は仲間たちに呼ばれ、後ろを振り返りながら避難者たちの元へ戻っていくところだった。
(ふん。お前に何がわかる)
警察組織の若者たちの誘導に従って、人々が黙々と移動を始めている。
かつてはメビウス様が管理された通り、一糸乱れず歩いていた人々が、こんな不完全な若者たちに、列も作らずただぞろぞろと従っているのだ。
(お前たちに何が出来る。メビウス様が完全に管理された世界こそが、ラビリンスのあるべき姿なのだ)
胸の中に、さっきとは違う何かが渦巻いている。情けをかけられた屈辱と、それとは違う、微かにあたたかさを感じる何か。少女はそれから目を背けるように、震える拳をグッと胸に押し当てた。
(私は……メビウス様を復活させる。ラビリンス総統・メビウス様のしもべになる!)
「ソレワターセー!」
少女の決意を後押ししているのか、それとも嘲笑っているのか、モンスターの雄叫びが、再び辺りの空気を震わせた。
幸せは、赤き瞳の中に ( 第12話:守りたいもの )
「ホ……ホエミ……ナー!」
「ホホエ……ミーナ……」
サウラーが生み出した瓦礫づくりのホホエミーナと、街頭スピーカーから生まれたウエスターのホホエミーナ。それらが左右から抱き着くようにして、ソレワターセを止めようとしている。
「ソーレワターセー!」
そんなことなどお構いなしに、ソレワターセは二体を強引に引きずるような格好で、じりじりと前進を続けていた。
(もう少し、避難に時間がかかりそうか……。それまで何とか、持ちこたえてくれ!)
腕組みをしてその様子を眺めていたサウラーが、避難者たちの方に目をやって、僅かに眉をしかめる。そして空の一角を覆いつくした半透明な姿に、ゆっくりと視線を向けた。
「フフフ……。あともう少し。もう少しで、私の欲しいものが手に入る……」
歓喜に満ちたノーザの声が頭の上から降って来る。
(そうは行きませんよ、ノーザさん。住人たちの避難を終えたら、あとは僕が全力で阻止してみせる!)
感情をほとんど表に出さないその顔からは、そんな心の内は一切窺い知ることは出来ない。しかし、その時向こうから息せき切って走って来たせつなの姿を見て、その表情が僅かに変わった。
「サウラー! ウエスター! 全員の避難が完了したわ!」
「よし!」
言うが早いか、さっきまで老人が使っていたホースを手に取って、残っていた最後の熱水を浴びせかける。そしてソレワターセが怯んだ一瞬の隙に、サウラーはホホエミーナの肩に飛び乗った。
「さぁ行くぞ!」
「ホーホエミーナー!」
次の瞬間、敵にくるりと背を向けたホホエミーナが、ソレワターセが向かおうとしている廃墟を目指して全速力で走り出す。
「ホホエミーナ! サウラーを守り抜け!」
自らのホホエミーナに檄を飛ばすウエスターの声が、背中で聞こえた。続いて、ガツン、ガツン、とモンスター同士がぶつかり合う音が辺りに響く。だがそれも束の間、ドシン、ドシンというソレワターセの足音が、あっという間にこちらに迫って来た。
「ああっ! すまん、サウラー! ホホエミーナ、追え!」
ウエスターの、今度は慌てふためいた声が聞こえる。それを聞くと、何だか心臓の辺りがこそばゆくなって、サウラーはフッと口の端を斜めに上げて笑った。
(十分時間は稼げたよ、ウエスター)
声に出しては言えないので心の中で呟いてから、気合いを入れ直すように、ぐっと唇を噛みしめる。さあ、ここからが本番だ。
廃墟に飛び込み、ホホエミーナの肩の上から滑り降りる。そしてそこに置いてあるものを掴むと、サウラーは不敵な笑みを浮かべてソレワターセの方へ向き直った。
「お探しの物は、これかい?」
それは、ノーザの本体――プリキュアの技を受けて元に戻った、あの球根だった。
「ソーレワターセー!」
廃墟の壁や天井を盛大に破壊しながら、ソレワターセがその場所に飛び込む。だが、その腕が目的の物に届くことは無かった。
「はぁっ!」
サウラー渾身の蹴りが、ソレワターセの胴を撃ち抜く。
もんどりうって転がる巨体から、さらに球根を狙って立て続けに放たれる、矢のような蔦、蔦、蔦。
「はぁぁぁぁっ!!」
サウラーの気合いが炸裂する。息つく暇など全く無い高速の足さばきで、ただひたすらに、蹴る! 蹴る! 蹴る!
ついに全てを蹴り返すと、サウラーは休む間もなく身を翻し、再びホホエミーナの肩に飛び乗った。
「ホホエミーナ。ここからは頼んだぞ!」
皆まで聞かず、脱兎のごとく駆けるホホエミーナ。跳ね起きたソレワターセもすぐに後を追う。そしてホホエミーナが廃墟から今まさに外に出ようとしたところで、ソレワターセの放った蔦が、後ろからサウラーを襲った。
「うわぁっ!」
不意打ちを喰らって弾き飛ばされたサウラーを、ホホエミーナが決死のダイブで受け止める。
盛大な土埃を上げて倒れる巨体。その身体を貫こうと、ソレワターセが蔦の先を鋭く尖らせ、振り上げる……!
その時、不意に地面から、赤紫色の光が出現した。
光は廃墟をぐるりと取り囲むように立ち昇り、光の壁となって四方を覆う。構わず蔦を放ったソレワターセは、その光に触れた途端、弾き飛ばされて再び地面に転がった。よく見ると光の壁の表面には、ビリビリと稲妻のようなものが走っている。
やがて光が収まった時には、廃墟はソレワターセごと消え失せて、後には何も残ってはいなかった。
余裕の笑みを浮かべて一部始終を眺めていたノーザが、呆然と目を見開く。
「何だ、これは。まさか、次元の壁……!」
「ええ。あなたに気付かれないようにこの仕掛けを作るのは、苦労しましたよ」
ホホエミーナの掌から飛び降りたサウラーが、そのゴツゴツした指をポンポンと叩いてから、相変わらず淡々とした口調で答えた。
“次元の壁”――それはラビリンスの科学が生み出した技術。四つ葉町にあった占い館をプリキュアの目から隠すために使ったのと同じ技術だった。この壁が作り出した空間は別次元にあるため、通常の手段では中に入れず、そこにあることすら認識できない。
ノーザが自分の本体を狙ってくるだろうと予測した時から、何とかしてこの国を守り抜くために、サウラーが考えに考え抜いた作戦だった。
「おのれ……!」
完全にしてやられたと知って、ノーザの映像がギリギリと音を立てて歯噛みする。
「やったな、サウラー!」
「喜ぶのはまだ早いよ、ウエスター。モンスターは何とか片付けたが、まだE棟に大物が残っている」
嬉しそうに仲間の肩を叩いたウエスターに、サウラーが無表情を崩さず答える。
E棟にある大物――ノーザのデータの媒体らしき植木と、不幸のゲージ。とりわけ不幸のゲージをどう始末すればいいのか、それはサウラーにもウエスターにも見当がつかない。
(全く……。不幸を集めていたというのに、その扱いについてはまるで分かっていないとはね)
今も昔も、無表情の下は不安だらけだ――自嘲気味にそんなことを思った時、ウエスターが能天気な顔で、再びニカッと笑った。
「そうだな。先発隊は、既にE棟に向かっている。俺もすぐに追いかけるから、心配するな!」
「全く。君のその根拠のない自信は、一体どこから……」
サウラーが呆れた顔でそう言いかけた、その時。
「そう簡単に……終わらせてたまるかぁっ!」
突然、怒りに満ちた声が辺りの空気を震わせた。叫びと共に物陰から飛び出した少女が、サウラーに躍りかかる。
傷だらけの身体。ボロボロの戦闘服。足の震えを必死で抑えながら、やみくもに殴り掛かる。
軽く身をよじるだけの動きで攻撃をかわすサウラー。少女は彼に触れることすらできず、地面に倒れ込んだ。
「無茶な……。そんな身体で、僕に敵うとでも思ったのかい?」
サウラーが苦いものでも飲んだような顔つきで、少女の傍らに歩み寄る。が、すぐにそれは驚愕の表情に変わった。何かが目にもとまらぬ速さで、サウラーに襲い掛かったのだ。
考えるより先に身体が動いた。跳び退って攻撃を避け、相手の正体を見定めようと目を凝らす。だがその時右足に何かが絡みつき、サウラーの身体はそのまま宙吊りになった。
「サウラー!」
ウエスターの隣にせつなも駆け付けて、逆さ吊りにされたサウラーをなす術もなく見上げる。
「フフフ……。今回ばかりはお手柄だったわねぇ。こんなに見事に囮になってくれるなんて」
「私は、そんなつもりじゃ……」
さっきの狼狽した姿など、まるで無かったかのようなノーザの含み笑いに、少女が戸惑ったように目を泳がせる。その映像のちょうど真下に当たる場所。そこにいつの間にか姿を現したのは、大きな鉢に植えられた一本の木だった。
まるで枯れ木のようにしか見えないその木の一番太い枝先からは、空中に向かって光が放たれていた。どうやらそれが、ノーザの映像を形作っているらしい。そして別の枝先からは、サウラーの足に絡みついている触手が伸びている。
(やはりこいつが、ノーザのバックアップの媒体というわけか)
宙吊りにされた格好のままで、サウラーがそこまで観察した時、ノーザの勝ち誇ったような声が降って来た。
「サウラー君。今のうちにそれを渡してくれたら、痛い目に遭わずに済むわよ」
サウラーが、ノーザにちらりと目をやってから、今度は仲間たちの方へ視線を移す。その時、せつながさりげなく、ウエスターの陰に隠れるように立ち位置を変えた。それを見て、サウラーがノーザに向かってため息をひとつ付いて見せる。
「こうなっては仕方がない、か。ならば、お言葉に甘えましょうか」
「いい答えねぇ」
無表情で球根を取り出すサウラーに、するすると伸びる一本の触手。それに向かってゆっくりと球根を差し出す素振りを見せてから、サウラーは不意に手の中の物を勢いよく放り投げた。
「せつな!」
球根が矢のような速さでせつな目がけて飛ぶ。それを追って一斉に放たれる触手。だがそこに待っていたのは、頑強な肉体の壁だった。
「でぇやぁぁぁっ!」
ウエスターが気合い一閃、全ての触手を叩き落す。その隙に、せつなが球根を追って走り出す。
逆さ吊りのまま放たれた球根の軌道は、ほんの少しずれていた。だがせつななら十分に守備範囲。誰もがそう思っていたその時、信じられない出来事が起こった。
球根にせつなの手がまさに届こうとしていた瞬間、横合いから一人の人物が飛び出して、球根を掴んでしまったのだ。
せつなが、ウエスターが、そしてサウラーが、唖然とした表情でその人物を見つめる。
それは、さっきまで消防ホースを構えてサウラーたちに加勢し、今は他の住人たちと共に避難に向かっているはずの、あの老人だった。
「おじいさぁん! 今はそっちに行っちゃ、危ないよ~!」
不意に新たな声が響いた。老人を心配したのだろう。ラブが大声を上げながら、こちらに向かって走って来る。それを見るや否や、せつなが慌ててラブの元へと走った。
「ラブ、こっち」
事情を知らずに老人に駆け寄ろうとするラブを制し、彼女をいつでも守れるように、ぴたりと寄り添う。
「なんだ? お前は。愚かな真似をすると、怪我をするわよ」
怪訝そうな顔で老人に目をやったノーザが、フン、と馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
なんだ、ただの国民風情か――触手もそう言いたげな緩慢な動きで、老人の近くにゆるゆると伸びてくる。
だが、すぐにノーザの表情は凍り付き、触手も動きを止めた。老人が懐から鋭い刃物を取り出して、球根に押し当てたのだ。
「貴様……何をする気だ!」
「こ、これが欲しいのか。こんなちっぽけなものが、あ……あなたの、大切なものだというのか。あの子を……あんな目に遭わせてまで、欲しいものなのか!」
両目を見開いて慌てふためいた声を上げるノーザを、刃物を持った手をブルブルと震わせながら、老人が睨み付ける。
「知らないならば……教えてやる。ここに傷を付けると、運が良ければ傷の周りに、新しい球根が出来るらしい。分球、と言うんだそうだ。どっちにしろ、親となった球根は枯れてしまうがな……」
「そんなこと、させるかぁっ!」
「寄るなっ!」
さっきまでのしょぼくれた老人とは思えないような鋭い声に、襲い掛かろうとしていた触手が動きを止める。その隙にウエスターがサウラーを助け出したが、それに構っている余裕は、今のノーザには無かった。
ただの国民風情と見くびっていた相手に、最高幹部の自分が追い詰められている――その受け入れがたい事実に、ノーザの瞳が次第に大きく、やがては極限まで見開かれていく。
「おのれ……。お前ごときに、そんなことが出来ると思っているのっ?」
「今はもう、命令された以外のことをしてもいい世界なんでね」
金切り声を上げ、恐怖にわななくノーザとは対照的に、老人の声は次第に落ち着き払った、凄みすら帯びたものに変わっていく。そしてたじろぐノーザの映像に向かって、老人が一歩、また一歩と近付いていく。
「あなたはかつての最高幹部・ノーザ……なんですよね?」
「き……気安く私の名を呼ぶな!」
「この国は、新しく生まれ変わったんだ」
「そ……それがどうした!」
「幹部と呼ばれる人間は、もう居ない」
「お、おのれ……」
「古い時代の者たちは、もう要らない」
「や……やめろ……」
「古い時代の者は、新しい時代の者に道を譲って去るべきなのだ」
「やめろ……やめろぉぉぉ!」
「あなたも。そして……」
「おじいさん」
老人の言葉が、あたたかく伸びやかな声に遮られる。
ゆっくりと彼に近づいたのは、少し哀し気な笑みを浮かべて老人の顔を見つめるラブと、油断なくノーザの様子を窺いながら、その隣にぴったりとくっついている、せつなだった。
好機とばかりに、蔦が老人目がけて唸りを上げる。だがウエスターとサウラーの方が早かった。蔦を跳ね除け、三人を守るようにノーザの前に立ちはだかる。
ラブは二人に小さく笑いかけてから、そのままの表情で、まだ微かに震えている老人の手を優しく抑えた。
「それは違うよ。だっておじいさんも、今のラビリンスを作っている一人じゃない」
「私は……古い人間だ」
「そんなことないよ。ラビリンスで初めての、畑作りのお仕事をしているんでしょう?」
「……そういうことではない。私は、今のラビリンスにはついていけていないんだ」
「大丈夫だよ」
ラブはゆっくりとかぶりを振ると、老人の手に重ねた掌に、ギュッと力を込めた。
「あたしたちは、どんどん変わっていくんだもの。だから大丈夫。古い人間なんて……要らない人間なんて、誰もいないよ」
「しかし、私は……」
包み込むような優しい眼差しで自分を見つめるラブから視線をそらし、老人がうなだれる。そのとき静かな声が、彼に語りかけてきた。
「おじいさん。あなたはもしかして、ノーザの球根を傷つけた後、自分も命を絶つつもりなんじゃありませんか?」
「えっ!?」
驚いて顔を上げたラブが、老人と、彼を心配そうに覗き込んでいるせつなの顔を交互に見つめる。老人は力なくうなだれたまま、ああ、と小さく頷いた。
「そうだ。そもそも私が、この惨事を引き起こしてしまったのだから」
さっきまでとは打って変わったぼそぼそとした声で、老人が語り始める。
畑作りの仕事を始めてから、あの少女をしばしば見かけるようになった。メビウス亡き後、何かと話しかけたり会合に誘ったりしてくるようになった他の住人たちと違って、ただ黙って畑を眺めているだけの寡黙な少女。
お互いほとんど口を利くことはなかったが、ある夜、少女が老人を訪ねてきた。そして、今にも枯れそうな鉢植えを抱えて、何とか生き返らせてほしいと涙をこぼしながら訴えた。
八方手を尽くして、植木は何とか息を吹き返したが、その矢先に、枝先から突然ノーザの映像が現れたのだと――。
「ふん、馬鹿馬鹿しい」
いつの間にやって来たのか、少女が少し離れたところに立っていた。憮然とした顔でそっぽを向いているが、その目はちらちらと老人の様子を窺っている。
老人の方は少女の姿を見ると、まるで自分が怪我をしているかのような表情で、おろおろと声をかけた。
「だ……大丈夫なのか? 身体の方は……」
「人のことより、自分の心配をしろ」
吐き捨てるようにそう言ってから、少女の声が低くなる。
「あなたは、あれが何なのか知らなかった。それに、頼んだのは私だ。あなたが責任を感じることはない」
だが、そこで少女の表情が変わった。
「あなたも……後悔しているの?」
「馬鹿を言え! 後悔などするわけないだろう!」
心配そうな目を自分に向けてくるラブに、少女が今度はカッとなったように食ってかかった。
「こんな街など、メビウス様が復活なさればすぐに元通りになる。我らラビリンスは、完全に管理された世界、正しい世界に戻るのだ。だから……それを寄越せ!」
刃物を下ろしていた老人が、少女の声にびくりと反応して身構える。構わず老人に躍りかかろうとする少女。だがその寸前に飛び出したせつなが、少女を捕まえていた。
「残念だが、それを渡すわけにはいかん」
暴れる彼女の腕を、ウエスターが後ろ手に掴んで拘束する。少女は少しの間暴れていたが、老人をじろりと睨み付け、そして大人しくなった。
何か言いたげな目で少女を見つめていたラブが、老人の手が再びブルブルと震えているのに気付いて、もう一度彼の手に自分の手を重ね、その瞳を覗き込む。
「あたしね。小さい頃に、大好きだったおじいちゃんが亡くなったの。時間が経って忘れちゃったこともいっぱいあるけど……去年ね、夢の中でおじいちゃんにまた会えたんだ。それで少し、思い出したことがあるの。昔、おじいちゃんに教わったことを」
サウラーが一瞬だけラブの方に目をやって、口の端を斜めに上げた。「おじいちゃんのお蔭で目が覚めた!」思い出の世界から帰って来て、そう言い放ったキュアピーチの声が、耳元で蘇る。
ラブは、老人の目を見つめながら、ゆっくりと言葉を繋いだ。
「何か困ったことが起こったら、みんなでいい考えをたくさん集めて、頑張って考えればいいんだって。そうすれば、一番いい方法だって、きっと見つかるって」
「いい考え、か」
老人がうなだれたまま、絞り出すように声を出す。
「メビウスが居なくなった今のラビリンスでは、確かにみんな、色々なことを考えるようになった。色々な意見を言うようになった。だが、私にそんな考えは……」
「でも、おじいさんが一番、何とかしたいって思ってるよね?」
そこで初めて、老人が顔を上げてラブを見つめた。さっきまでの苦渋に満ちた顔でなく、驚きに目を見開いて、ラブの目を真っ直ぐに見つめる。
「何とかしたいって想いはね、すっごく大きな力になるんだよ。だからおじいさん、居なくなったりしちゃ、ダメだよ」
ラブの言葉に、老人の瞳が微かに揺らいだ。
「何とか……なるのか?」
「もちろん!」
そう言ってにっこりと笑って見せるラブを、老人は半ば呆然として見つめる。
どうしてこの子は、こんな状況でこんな風に笑えるのだろう。
どうしてこんな自分を、こんなにも力強く励ましてくれるのだろう。
老人の手から力が抜けて、刃物をポトリと取り落とす。
と、その時、目にもとまらぬ速さで放たれた触手が、落ちた刃物を空中高く撥ね飛ばした。
「あっ!」
せつなが慌てて老人の手から球根を取り上げる。その頭上から降って来たのは、聞く者の背筋が凍り付くような、ノーザの高らかな笑い声だった。
「この私をここまでコケにしてくれるとは……。どうなるか思い知るがいい!」
さっきまでとは一変、怒りに目を吊り上げたノーザが、これまでで最大の量の触手を一気に放つ。
「はぁっ!!」
撃ち落とすのは無理と判断したサウラーとウエスターが、バリアを張ってそれを防ぐ。だが、防ぐ以外に攻撃の決め手がない。二人とも、次第にハァハァと荒い息を付き始める。
「あら、どうしたの? 随分苦しそうじゃないの。さぁ、早くその身体を渡して、もう終わりにしなさい!」
「いいや……まだだ!」
「僕たちだって……何とかしたいって思っているからね!」
ウエスターとサウラーが歯を食いしばって、触手を防ぎ続ける。
「何とかしたいって想いが、大きな力になる……。そうね。ラブの言う通りだわ」
二人の背中をじっと見つめてから、せつなが球根をギュッと握りしめる。
「だったら私も、古い時代を知る者として……過ちを知る者として、何が何でもここは何とかして見せる!」
力強くそう言い放ち、せつなが老人に駆け寄る。
「おじいさん。ひとつ教えてください」
そう言って、老人の耳元で何事かを囁くせつな。老人が頷くのを見ると、その口元が僅かに緩んだ。その目には鋭い光が――戦士の光が宿っている。
「私にも教えてくれ」
今度は老人が、せつなに呼びかける。
「どうしてそいつを、処分しようとしないんだ? そいつを守る必要があるのか? それさえ無ければ、あいつは……最高幹部は、もう襲ってこないんじゃないのか?」
「そうとも限りません。それに……」
そう言いかけて、ちらりとラブに視線を走らせたせつなの目が、少し照れ臭そうに揺れる。
「それにラブが言っていた通り、処分されていい存在なんて……要らない存在なんて、居ないんです。私にも、ようやくそれが分かりました」
ラブがせつなの顔を見つめて、嬉しそうに微笑む。その目の前に、せつなは持っていた球根を差し出した。
「お願い、ラブ。これを持っていて」
「え……あたし!?」
思わず素っ頓狂な声を上げるラブに小さく頷いてから、せつなが強い光をたたえた目でその顔を見つめる。
「あなたなら大丈夫。私が絶対に、守り抜くわ」
驚きに見開かれていたラブの瞳が、すぐにせつなに負けずとも劣らぬ強い光を宿す。うん、と頷いてから、ラブはせつなの手から球根を受け取って、大切そうに胸に抱いた。
せつなの戦闘服が、再び風を纏って舞い上がる。
上空高く跳び上がったせつなは、バリアを避けて襲ってきた触手をことごとく回避しながら、鋭い眼差しで地上を見つめた。
やがて人並外れたせつなの視力が何かを捉える。
(あった!)
すぐさま着地し、目的の場所へ向かって走り出したせつなを見ながら、ノーザは楽しげにほくそ笑んだ。
「あら……早速一人裏切ったってわけかしら?」
だがほどなくして、その顔が今度は呆れた表情に変わる。駆け戻って来たせつなが、バリアの真ん前に立って、鋭い眼差しでノーザを睨み付けたのだ。
「おい、何をする気だっ?」
「いいから、黙って見てて」
心配そうに声をかけたウエスターが、あっさりと一蹴される。それを見て、ノーザが相手をいたぶるような目つきに変わった。
「その目……。思い出すわぁ。生意気な幹部だった頃とおんなじじゃないの。生まれ変わろうがプリキュアになろうが、人間はそう簡単には変わらないってことかしら」
からかうようにそう言ってから、その唇が、氷のように冷たい一言を発する。
「そうでしょう? ねぇ……イース」
ノーザの笑みが高笑いに変わりかけて――そこで止まる。
じっとノーザを見つめ続けていたせつなが、その言葉を聞いて、ニヤリと不敵に笑ったのだ。
「そうね、やっと分かったわ。何があろうと、私は――私よ!」
「……小癪なぁっ!」
声と同時に、せつなが再び空中高く跳び上がる。その軌道を追うように放たれる触手。だがせつなは無表情でそれを見つめたまま、今度は一切避けようとしない。
その時、何かが空を一閃する。
華麗に着地したせつなの後を追うようにバラバラと落ちて来たのは、すっぱりと切り落とされた、大量の触手だった。
「あいつ……あの爺さんの刃物を取って来たのか!」
「なるほど。確かにあの戦い方は、昔の彼女を思い出すね」
ウエスターとサウラーが、驚きを隠せない様子で呟く。
獰猛で、果敢で、華麗で、刃物のように鋭くて――そんな彼女の姿を目の当たりにして、彼らの瞳にもせつなと同じ、不敵な戦士の光が宿る。
「ふん、イースに負けてはいられないな、サウラー!」
「当たり前だ!」
二人のバリアが俄然力を盛り返し、一回り大きくなったのを、ウエスターに腕を掴まれたままの少女は、信じられないものを見るような目で見つめた。
「おのれ……。いつまでも続くと思うな。これで終わらせてやる!」
ノーザの声と共に放たれた触手が、今度はことごとく刃物を持ったせつなの右手を狙う。その一本を、せつながグイッと掴んだ。
そのまま触手を手繰り寄せるようにしながら、勢いよく自分の身体を滑らせて、空中を高速で移動していく。
「何を……何をする気だ!」
せつなの意図に気付いたノーザが、再びせつな目がけて触手を放つ。
だが当たらない。焦ったノーザが触手の数を増やしたが、一向に当たらない。
大量の触手は目標を失って絡み合い、こんがらがったロープのようになっている。それをしり目に、せつなが植木の元へと辿り着き、今はまさに頭の上に広がるノーザの映像を見上げた。
「大丈夫。ちゃんと手入れをすれば、枝はまた伸びるそうよ」
「やめろ! 何を」
それが最後だった。まるでテレビのスイッチを切られた様に、ノーザの映像がぷつんと途絶える。
後には全ての枝を短く切られた植木が、所在なげに残された。
小さな刃物を鞘に納めて、せつながようやく、フーッと大きく息を吐く。そして仲間たちのところへ駆け戻ろうとした、その時。
「せーつなぁぁぁっ!!」
世界中で、せつなが一番好きな声が響く。
全速力で走って来たラブが、その勢いのままに、せつなに抱き着いた。
「無事で良かったぁ……。凄かった! 凄かったよ、せつな!」
「そんな……みんなのお蔭だわ」
ラブの後ろから、ウエスターとサウラー、ウエスターに引きずられたままの少女と、あの老人もやって来る。
ラブのあたたかな身体に抱き締められながら、不意に、ただ一人で占い館に乗り込んだあの日のことを思い出した。
自分はどうなってもいい。大切な人たちを巻き込みたくない――その一心で、無謀にもたった一人で不幸のゲージを壊そうとした、あの日の自分を。
あの頃は、守りたいものが増えることが、嬉しい反面、この上なく怖かった。それが今ではどうだ。守りたいものはこんなにも――怖いのは変わらないけれど、そんなことを言っていられない程に増えている。
大切な家族。仲間。友達。ラビリンスの人たち。そして――。
(私自身も、その中の一人……なのね)
それが何だか不思議なようにも、勿体ないようにも思えて、せつなは輝くようなラブの顔を見つめて、くすぐったそうに微笑む。
まだまだ、片付けるべきことは山ほどある。どうしていいか分からないことも、たくさんある。
(守れるかしら……。ううん、守ってみせる。だって、ラブが……みんなが一緒なんだから)
決意も新たに、今度はせつなから手を伸ばして、ラブの身体を抱き締める。
その時――。
少女たちの後ろで、切られたばかりの植木が根元から浮き上がり、植木鉢がカタカタと不気味な音を立てた。
~終~
最終更新:2017年10月29日 23:18