「甘い夢を、その唇に」1
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「ゆかりは私の恋人だッ! ――― 分かったら、二度と彼女に付きまとわないで!」
その視線に込められた意志の鋭さは、まるで白刃のごとく。
剣城あきらが滅多に見せない激情。
喉元に切っ先を突きつけられたように怯んで二歩、三歩と後ろに下がる相手へ、なおも厳しい視線を送ったのち、
「行くよっ、ゆかり」
と、自分の後ろにいた女子高生の手を取り、強引に歩き出した。
足を止めて成り行きを見守っていた通行人たちが、自然と道をあける。
もしかしたら、こちらに好奇のまなざしを向けている者もいるかもしれないが、今は全く気にならない。そんなものは無視だ。足早にその場を立ち去る。
手を引かれている少女 ――― 琴爪ゆかりは、ほんの少しだけ眉をひそめた。彼女の手は、握られているというより、力任せに掴まれているという感じで、正直なところ痛い。しかし、今の状況は自分の誤算が原因でもあるため、文句は言えない。
(でもまあ、こういうのって……)
17歳にして、女としての容色を見事に開花させた女子高生が、微笑みでくちびるを緩ませた。
( ――― ちょっと面白いかも)
天性の美貌を彩るのは、猫の目のような気まぐれさ。フワリと柔らかなウェーブがかかったロングヘア。何を着ても似合ってしまうほどに完成されたプロポーション。
今のゆかりは普段着とはいえ、洗練されたファッションセンスのせいで、モデルの仕事をしている少女が撮影現場を抜け出してきたように見えなくもない。
さっきのしつこいナンパに関しても、それほど相手が悪いとは思っていない。あくまで罪なのは、自分の美しさである。
待ち合わせの時間よりも10分以上も早く来てしまったせいで、少し退屈で、つい軽く溜め息を洩らしてしまったのが発端。
ただの溜め息でも、ゆかりほどの美人が洩らせば、それは傾国の溜め息となってしまう。目にすれば、男性どころか女性ですら心を強く掴まれてしまうような代物だ。ナンパの一つや二つ来ても仕方がない。
とはいえ、ゆかりがつれない態度で何度あしらっても相手は全然退(ひ)かなかったので、
「ごめんなさい。もうそろそろ待ち合わせの時間だから、わたしの恋人が来ちゃうわ」
と、告げて追い払おうとした。
――― ちょうどその時、タイミングよく、待ち合わせていた『恋人』が現れた。
…………ただし、学校の制服姿で。
剣城あきらは、性別でいうと間違いなく女性だ。しかし、本人は自身の性別をあまり気にすることはなく、普段の服装は動きやすいユニセックスなものを好む。
年齢は、ゆかりと同じ17歳。
容姿はスマートで凛々しく、端麗な作りの目鼻立ちは誰が見ても爽やか。ボーイッシュさを意識させるショートの髪型も手伝って、外見的には女子が理想とする『王子様』そのものだ。
スポーツ・学習面共に優秀で、さらに内面も、老若男女分け隔てなく、困っている者には手を差し伸べる博愛の精神に満ちており、その優しさが所作の端々に感じられる。
中性的な美形に加えて、つややかな髪質、すらりとした長身、そして穏やかで品のある立ち振る舞い。これだけ揃えば、彼女の性別を知ってなお、憧れ以上の感情を抱いてしまう女子が後(あと)を絶たないのも頷ける。
そんなあきらが、いつもの格好でゆかりと並べば、見た目には美男美女カップルの出来上がりだ。
だからこそ、ゆかりはそれを利用して面倒な状況を切り抜けようとしたのだが……。
てっきり着替えてから来ると思っていた『恋人役』が制服の姿のままで ――― つまり学校指定のスカートを穿いたままで来てしまったために話がややこしくなり、相手のしつこさに怒ったあきらが幕を引くまでの間、結構モメる羽目になった。
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…………そんな事がありつつも時間は流れ、現在、夕刻。
いちご坂の隣の街に、ベルギーで最近新たに王室御用達になったショコラトリーの直営店がオープンした。そこへ是非一緒に行ってほしいと、あきらがプロポーズでもするかのように真剣なまなざしで、ゆかりの手を両手でギュッと握ってきたのが昨日。
連れ添って入ったショコラトリーの店内で、宝飾品のようにデコレーションされた美しいチョコレートの数々を前にして、
「このお店のチョコレート、とても評判いいから、みくに絶対食べさせてあげなくちゃって、昨日からずっと考えていて。私だけじゃ心もとないから、ゆかりにも選ぶのを手伝ってほしいんだ」
と、にこやかにお願いされると同時に、誘われた理由を理解したのが一時間半前。
チョコレートを買った二人が、あきらの妹・みくの見舞いを終えたのが、つい先刻。
そして、現在。
ゆかりは非常に不機嫌だった。
ちらっ、と隣を歩く彼女を見たあきらが、さりげなく話しかけた。
「私も初めて見るような珍しいチョコレートが多かったから、ゆかりのアドバイスがあって助かったよ。おかげで、みくもすごく喜んでくれたし」
「ええ。みくちゃんが喜んでくれたコトに関しては、わたしも素直によかったと思っているわ」
ゆかりの声色が、なんだか冷たい。
あきらが申し訳なさそうに訊ねる。
「……もしかして、選ぶのを手伝ってくれたお礼に買ったチョコレート、気に入らなかった?」
「いいえ。気に入ってるわよ。あの店で一番値段が高いものを、あえて選んだんだから」
「…………」
会話が途切れる。
あきらが困ったようにぽりぽりと頭をかく。
ゆかりが不機嫌な理由が分からない。
今度はゆかりのほうからあきらに話しかけてきた。
「ところで、どうして制服のままなの? いったん家に戻って着替えるくらいの時間は十分にあったと思うけど?」
「あっ、実は学校の帰りに ――― 」
「もういいわ。事情はよく分かったから」
話そうとしていたあきらが、うっ…、と声を詰まらせた。
いつものように困っている人を目にしたあきらが ――― というパターンなのだろうと、ゆかりが心の中で頷いた。実際に、その通りだったワケだが。
気付かれないように、ゆかりが隣へ視線を走らせる。なぜゆかりが不機嫌なのか、あきらには本当に分からないのだろう。今にも頭を抱えそうな表情をしていた。
「……鈍感……」
と、隣に聞こえない程度に、ぼそっとつぶやく。
昨日の流れだと、あれは、確実に……。
(馬鹿みたい……)
ゆかりがそっと視線を伏せた。
――― だが、すぐに視線を上げた。
こんな腹立たしい気持ちにさせられて黙ってはいられない。
「ねえ、わたしの『恋人』の剣城あきら」
瞳に微笑みを宿して、隣を向いた。
恋人という言葉を妙に強調して話しかけてきたゆかりへ、たじっ…と一歩下がりつつ、あきらが答える。
「いや、待って。恋人っていうのは、あの時の……あくまで方便……」
「フーン? わたしの一体どこに不満があるのか、ハッキリと言葉にして言ってほしいわね」
「えっ、不満は全然ないんだけど……」
「あら、そう? じゃあ、かまわないわね」
「何がっ!?」
今すぐにでも逃げたそうなあきらを無視して、ゆかりが物欲しげに自分のくちびるを指先でなぞりながら続けた。
「わたし、すごく食べてみたいショコラがあるんだけど…………。あのお店でも売っていないような、恋人同士でしか味わえない ――― 特別なショコラよ」
そして、あきらが何かを言う前に、真顔になったゆかりが一方的に宣告した。
「今晩、あなたの家に泊めてもらいます」
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あきらが夕食を終えた頃に、本当にゆかりがパジャマを持参して訪ねてきた。
祖母のトミには柔らかな物腰で丁寧に挨拶し、「今夜は一緒に勉強するために」という女の子同士ならではのお泊まりの理由も告げて、終始やんわりとした笑みを欠かさなかったのに、部屋であきらと二人きりになると、言葉数が極端に減った。
部屋全体に広がる居心地の悪さ。
(い…、家の外で寝たい……)
と、あきらが自分の机に手を着いた。心が折れそう……。
「ねえ、あきら」
後ろから、ゆかりが話しかけてきた。
「パジャマに着替えたいんだけど」
「あ、私もそろそろ着替えるよ」
二人がお互いに背中を向けて、着替え始める。
……居心地の悪さに代わって、部屋を支配する妙な緊張感。
相手も自分と同じ女の子だと分かっているのに。
(ううっ、今日は本当に……。ゆかりと一緒にいるだけで調子がおかしくなってくる……)
胸がドキドキしてきた。耳をそばだてているわけではないが、背後から静かに聞こえてくる衣擦れの音に、どうしても意識が向いてしまう。ゆかりに内緒で聞いているみたいで、ちょっと後ろめたい。
ハァ…、とあきらが溜め息を着いた。
こうなったら、今夜はとにかく早く寝てしまおう ――― 。そう決意する。
ゆかりが着替え終わったのを音で確認してから、あきらがゆっくりと体ごと振り返った。
ベッドに腰かけて指先で髪をいじっていたゆかりが、ちらっ、と上目遣いで視線を投げて寄こした。
「ゆか……」
彼女の名前を呼ぼうとしたあきらが、一瞬、言葉を忘れるほどに見蕩れてしまった。
薄藤色のケーブルニットのルームウェアは、今、あきらが着ているパジャマと同じくセパレートタイプ。サイズはややゆったりめで、手首は完全に袖に隠れて、手の甲がかろうじて見える程度。
多少の可愛らしさをあしらったルームウェアだが、ゆかりが着ると、彼女に合わせて大人っぽい印象が強まる。今はそこに、あきらの目を気にして微妙に恥じらっているようなゆかりの様子が組み合わさっている。
見慣れているはずの同級生が、初めて見せる微かな色香。
その姿はまるで、夜露に濡れた可憐な花のごとく ――― 。
「見世物じゃないわよ」
両手を頭の後ろに回して、長い髪を一本結びにしているゆかりが、尖った声で責める。
あきらが、フフッ、と笑って謝った。
「ごめん、ゆかりがすごく可愛く見えたから……」
その言葉に、ゆかりが逃げるように顔を背けた。
「……からかわないで」
「…………」
いつもなら、この手の褒め言葉には余裕を持って返してくるはずなのに……。めずらしく、彼女がしおらしい態度を見せたせいで、あきらもどう反応していいか分からなくなる。
でも、そんなゆかりの雰囲気に、たまらない愛しさを覚えてしまう。
ぎゅっと、チカラいっぱい抱きしめてあげたいほどに。
――― もし、ゆかりが本当に私の恋人だったら。
胸に芽生えた想いに、あきらが小さく首を横に振って現実へと戻った。
「ゆかりはそのままベッドを使って。私は布団を持ってきて、それを敷いて寝るから」
あきらがそう言うと、ゆかりは顔を背けたままでベッドを ――― 自分の腰のすぐ隣を、ポンポンと軽く叩いてみせた。それに対して、あきらが苦笑を浮かべて答える。
「いや、二人だと狭いと思うから、やっぱり……」
ぱんっ、ぱんっ。
ゆかりが、さっきよりも強くベッドを叩く。まだ顔を背けているため表情はよく見えないが、逆らうことを絶対に許してもらえなさそうなプレッシャーが、あきらに圧し掛かってくる。これはもう降参を認めるしかないと思った。
「じゃあ、電気消すよ?」
――― あきらの部屋が、暗さに沈む。
最終更新:2018年03月12日 01:11