キラパティの節分(前編)/一六◆6/pMjwqUTk
「ねえ、いちか。“節分”って何?」
「えっ?」
キッチンから追加のケーキを運んできたシエルが、興味津々といった様子で問いかけた。お持ち帰りのスイーツを箱に詰めていたいちかは、それを聞いて一瞬、その手を止める。
二人が居るのは、キラパティことキラキラパティスリーのカウンター。今日はシエル・ドゥ・レーヴの定休日なので、シエルもこちらで腕を振るっている。
エリシオとの決戦から、あと少しでひと月になる。いちご坂の街は、何事も無かったかのように平穏な日常を取り戻し、キラパティには今日も賑やかで忙しい時間が流れていた。
「昨日、お店に来たお客さんが話していたの。それを聞いて、これは日本の伝統的な行事に違いない、って思って。ねえ、もうすぐなんでしょ?」
「うん。二月三日だから……あ、今度の週末だね」
「わぁお! どんなイベントなの?」
「ああ、それはねぇ……」
いつもの明るい口調でそう言いかけたものの、いちかの言葉はそこでちょっと途切れた。視線が僅かに泳いで、シエルから逸れる。それに気付いて怪訝そうに首を傾げたシエルに答えたのは、いちかではなく、彼女が詰めるスイーツを待っている、幼い兄弟だった。
「おねえちゃん、知らないの? 節分はね、みんなで豆まきをする日なんだよ」
「鬼はぁ外! 福はぁ内! ってかけ声をかけてさ」
「そうやって、悪い鬼を追い出すんだ」
「あ……へぇ、そうなんだ」
シエルが子供たちの勢いに圧されて、少々引きつりながら答える。そしていちかの方にチラリと目をやり、小さく微笑んだ。その顔にはほんの少し、すまなそうな表情が浮かんでいる。
(悪い鬼を追い出す日、か……)
そう聞けば、いちかのさっきの様子にも頷ける。何でもないフリをしながら、きっとシエルにどう説明しようか、あれこれ考えていたのだろう。弟のピカリオと、今は家族として一緒に暮らしているビブリーは、かつては“悪い鬼”よろしく、闇の僕としてこの街の人々に酷いことをしてきたのだから。
(ありがとう、いちか)
心の中でそっと語りかけてから、シエルは気持ちを切り替えるように、子供たちに向かってもう一度にっこりと笑って見せた。
「メルシィ。教えてくれて、ありがとう」
「はい、お待たせしました~!」
いちかもシエルの隣から、元気な声と一緒にスイーツの箱を差し出した。
途端に兄弟の顔が、揃って嬉しそうにキラキラと輝く。すると、満面の笑みで箱を受け取った弟の方が、もう一度シエルの顔を見上げた。
「あとね、節分には“恵方巻”っていうのを食べるんだ。昨日、ママとシュークリームを買いに行ったんだけど、そこのお店では、節分の日限定の“恵方シューロールケーキ”っていうのがあるんだって!」
「ねえ、キラパティでは節分スイーツ、何か作らないの?」
「う~ん……ごめんね。それは、まだ考えてなくて……」
再び身を乗り出す兄弟に、いちかが困ったように口ごもる。なぁんだ、とさして気にしていない口調で呟いてから、兄弟は笑顔のままでカウンターを後にした。
「ありがとうございました~!」
明るい声でそう言いながら頭を下げたいちかが、打って変わった低い声で、ごく小さな呟きを漏らす。
「どうして“鬼は外”なんだろう……」
「いちか? 何か言った?」
シエルが不思議そうに問いかけた、その時。
「こんにちは~! あ、いちか、シエルさん」
店の入り口から、聞き慣れた声がした。やって来たのは、いちかとシエルのクラスメイトである、神楽坂りさ。カウンターに近付くと、彼女は声を潜めてこう囁いた。
「ねえ、キラパティのスイーツは大丈夫? なんかさ、ヘンな噂を耳にしたんだけど……」
☆
「ええっ!? いちご坂から、またスイーツが消えたぁ!?」
「また、キラキラルが奪われたんですか?」
大声を上げるあおいの隣で、ひまりが眉毛をカタッと下げて、消え入りそうな声で問いかける。
『準備中』の札が下がった、閉店後のキラパティの店内。ここに居るのはいちかたち六人と、長老とペコリン、それにシエルに呼ばれてやって来た、リオとビブリーだ。
「りさの話だと、今度はスイーツが石みたいになるんじゃなくて、影も形もなくなってるんだって」
「アンポルテ……えっと、お持ち帰り用のスイーツが、ちょっと目を離した隙に箱ごと消えたっていう店が大半らしいの。だけど、中にはショーケースの一段分が空になったっていう店もあって……」
「それって、単に万引きに遭っただけなんじゃないの?」
説明するいちかとシエルから、少し離れたところに立っているゆかりが、事もなげな調子で口を開く。それを聞いて、今度はあきらがゆっくりと首を横に振った。
「いや、気になることは他にもあるんだ。今日、お客さんたちが話していたんだけど、小さな鬼のような不思議な生き物を見た、って言っている人が何人も居てね」
「鬼……?」
「ああ。その姿形がどうも、グレイブの部下の、あのネンドモンスターみたいなんだ」
あきらの言葉に、あおいとひまりが再び「えっ!?」と声を上げ、ゆかりはじっと考え込む。
グレイブの部下のネンドモンスターたちは、ジュリオやビブリー、それにガミーの仲間の妖精たちと違って、いちご坂の人たちにはほとんど目撃されていない。だが、今日耳にした数々の“鬼”たちの情報は、彼らの特徴をはっきりと捉えたものばかりだった、とあきらは言った。
「グレイブ、またキラキラルを狙ってるペコ?」
「そんなはずはないジャバ!」
不安そうなペコリンをなだめるように、長老が両手を振り回して叫ぶ。だがその言葉が終わらないうちに、ビブリーがあさっての方を向いたまま、相変わらずぶっきら棒な調子で言った。
「いや、十中八九ヤツらの仕業でしょうね。アイツら頭悪いから、まだグレイブのためにキラキラルを集めなきゃ、なぁんて思ってるんじゃないの?」
「そうだな。ヤツら自身は、キラキラルを奪う力は持っていないはずだ。だからスイーツをそのまま持って行くしかなかったのかもしれないな」
リオも珍しく、ビブリーに同意する。そんなリオに、シエルとあきらが心配そうに詰め寄った。
「だけど、ピカリオ。グレイブだって今はノワールのしもべじゃないんだし、もうキラキラルを奪ったりはしないんじゃない?」
「それに、もしまたキラキラルを集めているのなら、もっと早く騒ぎになっていたはずだよね」
「それは……俺にも分からないけど」
リオがそう口ごもって目を伏せる。するとゆかりが顔を上げて、何てことない調子で言った。
「だったら、直接聞いてみればいいんじゃない?」
「な、何ですとぉ!? 直接聞くって、どうやって……」
慌てふためくいちかに、ゆかりが僅かに口元を緩める。
「今度の週末、ちょうど節分じゃない? いちご坂のスイーツショップが、一か所に集まってイベントをやれば……」
「そうか! それならきっと、あいつらはそこに現れるね」
あおいがポン、と手を打って叫ぶ。だがそれを皆まで聞かず、いちかは激しくかぶりを振った。
「節分イベントなんて、今からじゃ無理ですよ!」
「あら、どうして?」
「だって急すぎて、出店してくれるお店も集まらないだろうし……」
「私とゆかりが、手分けして商店街を回るよ。事情を話せば、みんな分かってくれると思う」
「……そうだ、場所は? イベントの場所はどうするんですかっ?」
「今度の週末なら、野外ステージのある広場が空いてるよ。あたし、あそこのスケジュールはいつもチェックしてるんだ」
「あおちゃん……で、でも、お客さんだって、そんな急には……」
「いちか」
ゆかりがいつになく厳しい声で呼びかけると、すっといちかの目の前に顔を近づけた。
「らしくないわね」
「……えっ?」
「そりゃあ、絶対に賛成しろなんて言わないけど……いつものあなたなら、もう少し考えてくれるんじゃない?」
「そ、それは……」
まるで獲物を狙う猫のような目で見つめられて、いちかのこめかみから、タラリと汗が流れる。と、その時、ほっそりとした白い腕が、二人の間に割って入った。
「ゆかり。あんまりいちかを責めないで」
「シエル……」
ゆかりが驚いたように、仲裁役の顔を見つめる。シエルはフッと表情を和らげると、固唾を飲んでこちらを見つめている仲間たちに視線を移した。
「昼間、スイーツを買いに来てくれた男の子が教えてくれたの。節分って、悪い鬼を追い出すイベントなんでしょう?」
「そうペコ……?」
押し黙るリオとビブリーの隣で、ペコリンが不安そうに長老の顔を見上げる。
「だから、いちかはわたしたちのことを思って……」
「それは違うよ、シエル」
さっきとは違う穏やかな声が、シエルの言葉を遮った。いちかが微笑を浮かべながら、今度はゆっくりとかぶりを振る。
「リオ君やビブリーは大丈夫だよ。もうこの街の仲間だもん」
「ペコ~!」
それを聞いて安心したのか、ペコリンの耳がぼうっと明るいピンク色に染まる。愛し気にその様子を見つめてから、いちかは地面に視線を落として、いつもより低い声で言った。
「でも……今日あの子たちに、キラパティで節分スイーツ作らないのか、って聞かれたでしょ? わたし、それ……作れる気がしないんだ」
――本当にバラバラの生き物が繋がる世界を作れると言うのなら、見てみたいものです。
エリシオの言葉を思い出す。彼が初めて見せた静かな微笑みと共に、もう何度も何度もいちかの脳裏に蘇っている言葉だ。
あの時キュアホイップは――いちかは、「任せて」とはっきりと答えた。その瞬間から、エリシオの言葉はいちかの中で、大切な約束になった。
でも、節分の“鬼は外”という言葉は、その約束とはかけ離れたところにあるように思える。大昔から続いて来た、この国の伝統行事。いちか自身も、物心つく前から慣れ親しんできた行事だというのに……。
「……ごめんね。でも、このままにはしておけない、もっと多くのスイーツが消える前に何とかしなくちゃ、っていうのは分かってる。新作スイーツも、もう少し考えてみるよ」
辺りがしんと静まり返ったのに気付いて、顔を上げたいちかは仲間たちを見回すと、少し寂しそうに笑った。
☆
その夜。差し向かいで夕食を食べていた父の源一郎が、お茶をすすりながらこう言った。
「いちか。長い間早起きさせたが、寒稽古は今度の週末までだからな。来週からは、父の朝めしを食べさせてやるぞ」
源一郎は道場を構える武道家だ。冬場の寒稽古の期間は朝が早いので、その間はいちかがずっと朝食当番を務めるのが、宇佐美家では当たり前のことになっている。
母のさとみが海外に赴任して、父一人子一人の生活になってもうすぐ二年。源一郎もいちかも、もうすっかり今の生活に馴染んでいた。
「そっか。まだ寒いのに、もう立春なんだね」
「ああ、暦の上のことだからな。寒稽古の最後の日は、節分だ。そろそろ豆まき用の豆を買って、道場の神棚にお供えしておかんとな」
「え……豆を、神棚に?」
「なんだ、知らんのか」
ご飯を頬張りながら不思議そうに聞き返すいちかに、源一郎が、オホン、とわざとらしく咳払いをする。
「節分の豆は、邪気を祓うものだ。邪気とは、病気や災いをもたらす悪い“気”だな。家長が豆をまいて邪気を祓い、一家の幸せを願うのが、節分だ」
「そう言えば、うちではわたしが小さい頃も、お父さんが鬼のお面をかぶったりしなかったね」
「家長だからな。今は色々なやり方があるが、うちでは昔から、そうしている」
そう言って、源一郎は得意そうにニヤリと笑った。
「誰が豆をまこうが、大事なのは皆の幸せを願う想いだ。昔の人は、「魔(ま)」を「滅(め)」っすると言って、その想いを豆に込めた。それを食べることで身を清め、「福」を願った。神棚に供えるのも、その想いからだな」
「お父さん、詳しいんだね」
「武道家の父をナメるなよ? 先人の志を尊び、己の魂に引き継ぐ。武道家の心得だ」
重々しく言い放った源一郎が、箸を持ったままの右手の親指を、グイっと立ててみせる。そんな父に、もうっ! と口を尖らせてから、いちかはつやつやとしたご飯粒の表面を、じっと見つめた。
目の裏に、暗く悲しい闇に染まったキラキラルが、また元の色とりどりの輝きを取り戻す、その瞬間の光景が蘇った。プリキュアとしてキラキラルを守ってきた日々の中で、何度も目にした光景だ。
病気や怪我に、事故や事件。心が闇に染まってしまうような出来事は、この世の中にたくさんある。そんな悲しい出来事が、少しでも遠ざかってくれますように――節分に込められたその想いは、やっぱりキラキラしていて、スイーツに込めた想いと繋がっているように思えて――。
「そっか。節分の豆って、キラキラルとおんなじなんだ」
「キラキラ……って何だ?」
「ううん、何でもない。ご馳走様!」
怪訝そうな父の視線から逃げるように、いちかはそそくさと夕食を食べ終えると、二人分の食器を持って立ち上がった。
「あ、お父さん。節分の日、わたしキラパティのイベントで遅くなるかもしれないから」
弾むような声でそう言いながら、台所に向かういちかの背中に、源一郎の声が飛ぶ。
「えーっ!? じゃあ、豆まきはっ?」
「遅い時間からでもいいでしょう? それに、まくのはわたしじゃなくて家長だって、今言ってたじゃん」
「いや、それはそうだが……そんなに遅くなるのか? 何のイベントだ?」
心配そうな父を尻目に、いちかが水道の蛇口を思い切りひねる。そして鼻歌を歌いながら、洗い物を始めた。
☆
「まず、ボールに粉を入れて、水を少しずつ足しながら、ダマにならないように混ぜて下さい」
「ダマがないドロッとした状態になったら、残りの水と砂糖を加えます」
「混ぜ終わったら、笊で濾しながら鍋に入れて、強火にかけ、鍋底から起こすように混ぜて下さい」
スイーツノートの最新のページと調理台の上とを交互に確認しながら、ひまりが指示を出していく。木べらを手に、鍋底を力強くかき混ぜているのはあおいだ。その隣のコンロでは、いちかがあおいの鍋にチラチラと目をやりながら、丁寧に大豆を炒っている。調理台では、ゆかりとあきらが次の材料の準備に余念がない。
キラパティは、節分スイーツの試作品づくりの真っ最中だった。
今日、集まった仲間たちを前にして、いちかが「ごめんなさい!」と勢いよく頭を下げたのだ。
「やっぱりやりましょう、節分イベント。わたし、新作スイーツ作りたいです」
「そう。いいの?」
いつものように事もなげな調子で尋ねるゆかりの瞳が、心配そうに揺らいでいる。それを見つめ返して、いちかは力強く頷いた。
「節分に込められた想いが、キラキラルに込められた想いと同じなんだな、って分かったから。だから……せっかくだから、わたしたちらしい節分をやりたくて」
「わたしたちらしいって、どういうこと?」
突然、まだ『準備中』の札が下がっているはずの店のドアが、バタンと開いた。外光をバックに、右手を腰に当てた人物のシルエットが浮かび上がる。
「シエル! どうしたの? お店は?」
「今日は早仕舞い。気になって、来ちゃった」
パチリと片目をつぶって見せてから、シエルがいちかに歩み寄る。
「それで、わたしたちらしい節分って、どんなの?」
「鬼はぁ外~、じゃなくて、鬼さんもみんな一緒にわーって楽しめるような、そんな節分、やりたいんだ」
いちかの声に、店の中が一瞬、しーんと静まり返る。そしてゆっくりと、全員の顔が明るくなった――。
「生地が重くなって来たら、火からおろして、氷水で冷やします。そして一口サイズに千切っていきます」
作っているのは、わらび餅。透明なものの他に、抹茶を混ぜたものとオレンジジュースを混ぜたものの三色を作る手はずになっている。炒った大豆は、ミルで粉にしてきな粉にするのだ。
千切ったわらび餅に出来たてのきな粉をまぶしながら、あおいがニッと悪戯っぽく笑った。
「みんな一緒にわーって楽しめる節分、か。じゃあ、鬼も~内~! って感じ?」
「そうですね。昔ながらの節分とは違うけど、わたしたちらしくていいと思います」
「いや、別に違ってるわけじゃないと思うよ」
弾んだ声で賛同したひまりが、あきらの言葉に、え? と動きを止める。
「豆まきで追い出すのは、本当は鬼じゃない。いちかちゃんには、それが分かったんじゃない?」
「はい。邪気を追い出すんだ、ってお父さんが教えてくれました。病気や災害を起こすって言われてる、目に見えない悪いもの。それを追い出して、みんなが幸せに暮らせますようにって願うのが、節分の豆まきなんだ、って」
「そうだね」
「でも……それでもやっぱり“鬼は外”、なんですね」
少し寂しそうに呟くいちかに、あきらは小さく笑いかけた。
「私は、おばあちゃんにこう聞いたんだ」
そう口を開いたあきらの瞳が、優しい光を帯びる。入院している妹のみくの姿を思い浮かべているような口調で、ゆっくりと語り始める。
「邪気は、目に見えないでしょう? でも目に見えないものを、小さな子に説明したりするのは、ちょっと難しいよね。だから、誰かに鬼の役をやってもらって、豆まきをやりやすくしているんだって。逃げたふりをした鬼役の人につられて、邪気が逃げていくようにね」
「へえ。じゃあ節分には、鬼も一役買ってるっていうわけね?」
「そうなんだ……。それって、なんか嬉しい!」
少し頬を染めて微笑むシエルの顔を、ほんの一瞬見つめてから、いちかがテンション高く叫ぶ。
不意に、白、緑、オレンジのキラキラと光る小さな塊が、鬼たちに手招きされて、辺りをほんのりと照らしながら行進していく景色が頭に浮かんだ。
塊は少しずつ大きくなり、次第に三色に彩られた、美しい扇のような姿になって……。
「あーっ! キラッとひらめいた!」
いちかはもう一度高らかに叫んで、ピョン、とその場で嬉しそうに飛び跳ねた。
~続く~
最終更新:2018年04月29日 13:21