幸せは、赤き瞳の中に ( 第18話:幸せのラプソディ )
それは不思議な光景だった。
どんよりとした空を、さらに暗く覆う影――“不幸のゲージ”をその身体の真ん中に取り込んだ、巨大な蔦の塊のようなソレワターセが、上空で突然、淡い光を発して苦しみ始めたのだ。
「ソレ……ワターセ……」
「何……馬鹿な!」
怪物の呻き声と、メビウスの慌てふためいた声が重なる。次の瞬間、ソレワターセの、まるで花のようにも鎌首のようにも見える部分が、白い光を放って消えた。
「これは一体……」
「何? 何が起こってるの!?」
サウラーが唸るような声で呟き、ピーチが叫ぶように誰にともなく問いかける。と、その時、パッションが不意に人差し指を唇に当て、しぃっ、と皆を制した。
遠くから、何か物音がしたような気がしたのだ。聞こえるか聞こえないかというほど、微かな音が。
パッションの直感を後押しするように、音はすぐにそこに居る全員の耳に届き始める。そして少しずつ、少しずつ大きくなっていく。
何かが硬い地面を、無造作に叩いているような音――。
足音? だが、それはラビリンスで聞き慣れた、一糸乱れぬ行進のリズムではない。聞こえてくるのはもっとバラバラで、統一感の欠片も無い音だ。
やがて地面からも、僅かながら確かな振動が感じられるようになった時、少年が一方向を指差して、大声で叫んだ。
「何だ? あれ!」
黒々とした街の向こうから、何か白い波のようなものが押し寄せてくる。
いや、波よりは遅いスピードながら、こちらに向かう勢いのようなものを感じさせる何かが。
やがて、その正体に気付いた時、そこに居た全員が、驚きに言葉を失った。
押し寄せる白い波の正体――それは、グレーの国民服に身を包み、それぞれに違う淡い色の髪をなびかせて走る、数えきれないほど多くのラビリンスの人々の姿だった。
幸せは、赤き瞳の中に ( 第18話:幸せのラプソディ )
六人の中で最初に声を発し、そして動いたのはウエスターだった。ああっ、と叫んで目をウルウルさせ、人々の群れに向かって走り出す。
慌てて少年がその後を追う。二人の後ろ姿を見送ってから、サウラーは隣に立つピーチの方に向き直った。
「礼を言うよ。どうやら、また君たちプリキュアの戦う姿に気付かされたようだね」
いつになく頬を紅潮させたサウラーの言葉に、ピーチはニコリと笑ってゆっくりと首を横に振り、人々の方に目を移す。
そこには、人々の先頭を切って駆けてきた警察組織の若者たちが、ウエスターに駆け寄る姿があった。バシン、バシン、と辺りに響くような音で肩を叩かれ、皆少し照れ臭そうな笑みを浮かべている。
続いてやって来たのは新政府のメンバーたちで、こちらは恐縮しきりの表情でサウラーの元へと駆け寄ると、深々と頭を下げた。
「サウラーさんたちが、この国のために懸命に戦ってくれている――その姿を見て、私たちも目が覚めました」
「僕たちの力は小さい。かえって足手まといになるかもしれない。でも、僕たちもこの国を――僕たちの国を守りたい。そう思ったんです」
「みんな……」
サウラーが、珍しく感極まった様子で何かを言いかける。と、その時、サウラーの周りに居た人たちが、ピーチとパッションの姿に気付いて驚きの声を上げた。
「えっ、プリキュア!?」
「せつなさん、もう一度プリキュアになってくれたんですか!?」
「ピーチさんも駆け付けてくれるなんて!」
あっという間にその場に居た全員が、サウラーそっちのけでパッションとピーチを取り囲む。
あっけにとられてその様子を眺めるサウラーに、ピーチがもう一度ニコリと微笑む。
それを見て、サウラーもいつもの調子に戻った。ピーチに向かってニヤリと笑い、すぐにゴホンと、わざとらしく咳払いをする。
「しかし分からないな……。あなたたちはどこで僕たちが戦っている姿を目にしたんです? その頃、みんなはあの――新庁舎だった建物に居たはずでは……」
それを聞いた人たちは、少しバツが悪そうに顔を見合わせた。
「確かに、私たちはメビウスに管理され、あの建物に集まっていました。ですが……」
「そう……あれは突然のことでした。室内の全てのモニターに突然、皆さんの戦う姿が映し出されたんです」
人々は口々に語る。皆が集まっていた新庁舎内部の巨大スクリーンに、突如、外の戦闘のシーンが映し出されたことを。
最初は“不幸のゲージ”と、それに立ち向かおうとするホホエミーナの映像だった。だがすぐに画面が切り替わり、次に大映しになったのは、ウエスターとサウラー、そしてせつなの戦う姿であったことを――。
「何だか目が離せなくて、見ているうちに、胸の中がカッと熱くなってきて……」
「それで思い出したんです。廃墟に隠れて皆さんが戦う姿を見ていた時、私たちにも何か出来ることは無いかって、みんなで考えたあの時の気持ちを」
「そっか。それでみんな、戻って来てくれたんだね」
「でも、一体誰がそんな映像を……」
泣き笑いのような表情で人々を見回すピーチとパッションの隣で、サウラーが大きな疑問を口にする。と、その時三人の後ろから、新たな声が聞こえて来た。
「おお……見てくれていた。本当に、皆が見てくれていたんだな……!」
震える声でそう呟きながら、よろよろとこちらへ向かって来る人物。その姿を見たサウラーが、パッと顔を輝かせてその人物に駆け寄る。
それは、さっきまで共にソレワターセと戦ってくれた人物。公園予定地の奥の畑を世話している、あの老人だった。いつの間にか現れた少女が彼に肩を貸し、その身体を支えている。
「もしかして……あなたがモニターのスイッチを入れたんですか?」
サウラーの問いかけに、老人は小さな笑みを浮かべて頷いた。その反応は、相変わらず控えめではあるものの、その表情は今まで見た中で一番楽しそうで、少し得意そうにすら見える。
「じゃあ、あの時あなたが、メビウスに管理されたように見えていたのは……」
「メビウスが復活すれば、私たちが元通り管理されるのは目に見えていた」
老人が、相変わらず低くしわがれた声で言葉を繋ぐ。
「無力な私に、それに抵抗する術はない。だが、復活したばかりの今なら、システムはきっとまだ完全ではないだろうと思った。それで一か八か、管理されたフリをして、新たな城に潜り込んだ。まさか……こんなに上手く行くとは思っていなかったが」
老人はそう言って、うっすらと上気した顔で辺りを見回す。そしてピーチの姿を見つけると、少し照れ臭そうに微笑んだ。
「何とかしたいって想いは、強い力になる……本当だな」
「おじいちゃん……ありがとう!」
ピーチが老人の手を取って、実に嬉しそうに笑いかけた、その時。
「危ない!」
パッションが鋭く叫ぶが早いか、サッと空へと跳び上がった。見ると、白く光る大きな塊が、上空から老人めがけて落下してくる。
「はぁぁぁっ!」
パッションが鋭い蹴りで、その塊を上空へと蹴り飛ばす。塊は上空で粉々に砕けると、小さな光の粒になって消えた。
着地したパッションの隣にピーチが駆け寄る。ウエスターとサウラーが、少年と少女が、皆油断なく身構えながら空を見上げる。
人々の遥か頭上では、さっきよりも少し小さくなったソレワターセが、相変わらず苦しそうに身悶えていた。“不幸のゲージ”はボコボコと泡立ち始め、ソレワターセの身体は、白い光と共に少しずつ消えていく。
だがその時、ソレワターセから切り離された巨大な蔦が、さっきパッションが蹴り返したものと同じような、白く光る塊となった。そして消える間もなく、地面めがけて迫って来る。
「おりゃあっ!」
拳を振るってそれを空へと弾き返したウエスターが、少年を含めた警察組織の若者たちを、厳しい顔つきで振り返る。
「このままでは危険だ。お前たち、住人たちを廃墟の中へ避難させろ!」
「はい!!」
「ほら、お前も来い!」
走り出した仲間たちの後に続きながら、少年が少女に呼びかける。少女は少し逡巡してから、意を決したように、少年を追って走り出した。
一斉に散ったウエスターと若者たちが、人々を誘導して移動を開始する。その後ろ姿を見送ってから、サウラーは残りのメンバーの顔を見渡した。
「そうなると、避難が完了するまでの間、僕らはここで皆を守ればいいわけだね」
ピーチとパッションが、うん、と頷いたところへ、今度は一挙にバラバラと、幾つもの白い塊が降って来た。
「はぁっ!」
「たぁっ!」
「とりゃぁっ!」
空中へ飛び上がった二人のプリキュアとサウラーが、切り離されたソレワターセの欠片を上空高く弾き返す。それらが全て、さあっと空に溶けるように消え失せたが、ホッと息を付く間もなく、これまでより大きな塊が、人々の列めがけて降って来た。
「キャー!」
列の中に居た小さな女の子が、頭を抱えてしゃがみ込む。その時、彼らを誘導していた少女が、即座に空中へと踊り上がった。
「たぁぁっ!!」
白い塊を抱き留めると、渾身の力で、それを空へと投げ返す。上空で白く光って消える塊。それを見定めてホッと息を付く少女に、さっき悲鳴を上げた女の子が嬉しそうに駆け寄って来た。
「おねえちゃん、ありがとう! すっごく、つよいんだね」
「い、いや、私はそんな……」
赤い顔でそっぽを向く少女の周りを、他の住人たちも取り囲んで口々にお礼を言う。
その様子を微笑みながら眺めていたパッションは、ふとあることに気付いて、避難している人々の姿を食い入るように見つめた。その目が次第に、驚いたように大きく見開かれていく。
不安そうに空を見上げる幼い子供たちを、体を盾のようにして庇いながら、避難に向かう大人たちがいる。皆が避難した廃墟を補強しようと、早速作業を始めている男たちが居る。
そして――。
「頑張れ! プリキュア、頑張れえ!」
「おねえちゃん、がんばって!」
「ウエスターさん! サウラーさん! しっかり!」
「警察の兄ちゃんたちも、頼んだぞ!」
避難所となった廃墟の窓から、扉の向こうから、数多くの人たちの声援が聞こえ始める。いや、応援されているのはパッションたちだけではない。
まだ避難所に向かう途中の人たちは、お互いを励まし合い、避難所に入った人たちは、作業をしている人たちに感謝の言葉をかけている。
それは、非常事態でありながらも活気に満ちた、これまでのラビリンスでは見たことも無い光景だった。
決して統制が取れているわけではない。各人の行動には無駄が多く、応援の声もてんでバラバラで、細かいところは何を言っているのかも聞き取れない。
それでも、応援の声を聞いていると、体中に力がみなぎって来るのを感じる。人々の真剣な眼差しに、これまでの何倍も強い光が宿っているように思える。
――ラプソディ。
そんな言葉が、不意に脳裏に浮かんだ。「歌え! 幸せのラプソディ」――キュアパッションの決め台詞のひとつだ。
ラプソディの意味は「狂詩曲」。即興性に富んだ、自由で情熱的な楽曲のことらしい。でもそれだけではよく分からなくて、複数の辞書を調べたり、学校の音楽の先生に教わって、その名前が付いた曲を聴いてみたりもした。それでもどうもイメージが掴めなかったのだが、今の光景を見ていると、何だかこの言葉にぴったりのような気がしてきた。
皆がそれぞれ自分の意志で、自分に出来ることを懸命に行ったり、仲間のことを応援したり――。
その光景は、自由に、そして情熱的に奏でられるそれぞれの楽器の音が、時に寄り添い、時に共鳴し合いながら、壮大な物語のようなメロディを奏でていくイメージにぴったりで――。
(本当に、ここは……)
いつかのようにそう思いかけてから、パッションは静かに首を横に振る。
(ううん。ここは、今の本当のラビリンス。これからもっともっと変わっていくラビリンスの、今の姿よ)
そこで表情を引き締めたパッションが、もう一度空を見つめる。もうほとんど剥き出しに近い状態になった“不幸のゲージ”。その中から、かつて聞いたことの無いような、メビウスの狼狽えた声が聞こえてくる。
「何だ……何なんだ、これは!」
「パッション。あれって……」
ピーチもパッションの隣に降り立って、彼女と同じように、心配そうな顔で空を見上げた。
“不幸のゲージ”の中にあった薄黄色の液体は、今ではすっかり色が変わり、ぼうっと輝く透明な液体に変わっている。その輝きに、パッションは見覚えがあるような気がした。
キュアパッションに変身するとき、せつなが水中を進むあの泉。無限メモリーが開く異次元に出現する泉だが、その水の輝きと、同じもののような気がする。
「不幸のエネルギーが、違う何かに変わっている。ひょっとしてあれは……幸せのエネルギー?」
その時、再びメビウスの絞り出すような声が聞こえた。
「何だ、これは……知らない……こんなもの、私のデータには存在しない!」
その声を聞いた途端、パッションの胸に、正体の分からない熱い何かがこみ上げてきた。あの時伝えられなかった想いが、再び胸の中で渦を巻く。
「メビウス様!」
瞬時に大地を蹴って、ゲージ目がけて跳び上がるパッション。だが。
「来るな!」
雷のような声と共に、ソレワターセが衝撃波を放った。どーん、という地響きと土煙と共に、パッションの身体が地面に叩きつけられる。
「メビウス様! どうか話を……私の話を、聞いて下さい!」
すぐに跳ね起き、上空に向かって必死で呼びかけるパッション。その肩を優しく叩いたのは、ピーチだった。
「せつな。その想い、みんなでメビウスに届けようよ!」
「みんなで……?」
オウム返しで聞き返すパッションに、ピーチが笑顔で頷く。その周りには、ウエスターとサウラー、それに人々を避難させて戻って来た少年と少女の姿もあった。
「あたしもね。メビウスにちゃんと伝えられなかったこと、あるんだ」
そう言って、ピーチが心なしか寂しそうな笑顔を、パッションに向ける。
――メビウス、あなたの幸せは何?
あの最終決戦の時、メビウスにそう呼びかけた、ピーチの声が蘇った。
「そんなものはプログラムされていない」
その答えを最後に、メビウスは自爆の道を選んだのだ。
「今思えばさ、あたし、メビウスの幸せが何かを聞きたかったんじゃないの。メビウスに考えて欲しかった。そして、知って欲しかったの。あなたが守り続けて来たラビリンスの人たちの幸せが、きっとあなたの幸せだって。でも……」
「ラブ」
うなだれるピーチの手を、パッションの手が優しく包む。それを見て、フッと小さく微笑んだウエスターが、よし! と叫んで自慢の大声を張り上げた。
「みんな! メビウスに俺たちの想いを伝えるぞ!」
「想いって……何を伝えるんですか?」
警察組織の若者の一人が、首を傾げて無邪気な質問を投げかける。
「何を? う、う~む、それは……伝えたいことだっ!」
一瞬目を白黒させてから、ビシッ! と人差し指を立てて見せるウエスターの言葉に、しかし辺りは、しーんと静まり返った……。
「……詳しいことは何も考えていなかったね? ウエスター」
額に手を当て、やれやれ、と呆れたように呟くサウラー。が、その時さざ波のように巻き起こった人々の声が、ウエスターの言葉を支えた。
「メビウスに? いや、もう命令に従うのはごめんだ。俺たちは、新しいラビリンスを作る!」
「ああ。みんなで笑って、幸せに暮らせる国を」
「だが、事件や事故への備えはもっと必要だな。今回のことでよく分かったよ」
「そういう意味では、メビウスに感謝しなきゃならんのか? その気持ちを伝えろってことか?」
「そうかもな。でもこれからは、全部俺たちでやるんだ」
「おお! 体力は無いが、機械のことなら俺に任せろ」
「私は、もっと大勢の人たちと料理を作りたいわ。みんなでハンバーグを作ったお料理教室、とても楽しかったから」
「僕は、前に映像で見た異世界みたいな、明るくていろんな色に溢れている街をつくりたいです」
「そうだ! その決意、その想いを、共に願おう! メビウスに、宣言してやればいい。新しいラビリンスで、俺たちが作りたい未来の姿を!」
途端に元気を盛り返してそう言い放ったウエスターが、胸の前で太い指を組み、頭を垂れる。それを見て小さくほくそ笑んでから、サウラーも続いた。
少年が、少女が、ラビリンスの人たちが、そしてピーチとパッションが、皆一様に目を閉じて、それぞれ一心に何事かを願う。
まだ不確かな未来。何が待っているか分からない未来。でも、自分の足で歩いていきたいと、想いを新たにする。
やがて一人一人の胸の前に、小さなハート型の光が出現した。
「ハッ!」
ピーチが短い気合いを発して、無数のハートをひとつにする。
中空に浮かび上がる、透明でキラキラと光を放つ大きなハート。それを愛おしそうに見つめてから、ピーチはパッションに小さく頷いてみせた。
「プリキュア! ラビング・トゥルー・ハート!」
ピーチの高らかな声と同時に、パッションが宙を舞う。そして、打ち出された皆の本当の想い――トゥルー・ハートの真ん中に飛び乗ると、天空のメビウスを目指して、高く高く、ただ一直線に飛んで行った。
~終~
最終更新:2019年02月17日 21:46