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Memory of Letter




「さて、昼飯の前に一頑張りすっか」
 久しぶりに晴れた土曜日の朝。
 休日出勤している母の代わりに掃除や洗濯を終えて坂上あゆみが部屋に戻ってくると、グレルは「れんしゅうちょう」を広げた。エンエンが、「僕もやる」と続く。
「あんまり頑張りすぎないでね」
「いや、一日も早く人間の言葉の読み書きをマスターして、あゆみを導いてやらなきゃいけないからな」
「あ…お手数をおかけします」
「あゆみちゃんからのメモくらいは読めるようにならないとね」
 ふたりは一週間ほど前からひらがなの練習をしている。子ども用の練習帳を買ってやると熱心に取り組み始めた。続くだろうか、途中で飽きるのではないだろうか、と思っていたが、何せ勉強の材料はいくらでも目に入ってくる。飽きたり音を上げたりする様子はなかった。
「あれ」
「なんだよ」
「もう 8p 目なの?」
「そうだよ。せっかくガクシューイヨクが一杯なんだから邪魔すんなよな」
「昨日は 6p 目だったでしょ。だめだよ飛ばしちゃ」
「もうできちゃったんだよ」
「グレル」
「本当だよ。ほら」
 グレルは不服そうに 7p 目を開いて見せた。確かにもう書き込んである。さっき始めたばかりではなかったのか。あるいは昨日のうちに 7p 目まで進んでしまったのか。詰め込み過ぎるとよくないと思って一日一ページと約束したのに。
「俺にかかればチョロいもんだよ。
 ほら、上手いだろう?」
 自慢げに練習帳をトントンと叩く。
「…?」
 あゆみは練習帳を手に取った。確かにきれいだ。昨日今日初めて書いたとは思えない。
「エンエンは?」
 言われるとエンエンは 8p 目を両手で隠した。エンエンもそこまで進んでいるのか。お願い、ちょっと見せて、と取り上げる。同じ。7p 目の字は、小学生と言っても通るくらいきれいだった。その前のページとははっきり違う。ひらがなの書き方に慣れた、ということなのだろうか。
 あるいは、ここからの上達は早いかもしれない。グレルもエンエンも妖精だから体は小さいが、子どもというわけでもないのだし、そう遠くないうちに漢字の練習に進んでもいいのかもしれなかった。
「ありがとう。
 でも、やっぱり一日一ページでね。その一ページをゆっくりしっかりやった方が身につくよ」
 子どもの頃に言われて、ちょっと気を悪くしたことのある台詞を自分が言うことになるとは。
「あゆみもしっかりやるんだぞ」
「…。
 はい」
 グレルとエンエンがひらがなの練習を始めるのと同時に、ふたりからあゆみにも課題が与えられた。プリキュア教科書の文字を読めるようになれ、というものだった。しょうがない。一緒に勉強することにしようか。あゆみは栞を目印にプリキュア教科書のページを開いた。
「…」
 妙に読みやすい。ここは前にやったページではないだろうか。栞を間違って挟んだのか。あゆみは前のページに戻ってみたが、その表情が次第に険しくなる。
 このページだけ、今日初めて読んだはずのこの 7p 目だけが、異常に読みやすい。暗唱できたりするわけではない。内容も覚えてはいない。「読みやすい」のだった。
 不思議そうに見ていたグレルとエンエンと目が合う。なんでもない、と取り繕うこともできない。逆に、背筋を悪寒が駆け上がった。
 同じではないのか。
 グレルとエンエンのひらがなが、練習帳の 7p 目でやけにきれいに書けていることと、プリキュア教科書の 7p 目がやけに読みやすいこととは、同じ現象なのではないのか。
「あゆみちゃん…?」
「どうした?」
〈――み。
 ――ゆみ〉
「フーちゃん?」
 三人の頭の中にフーちゃんの声が響いた。あゆみは襟元からペンダントを取り出した。フーちゃんのエコーキュアデコルが、見たことのない早さで明滅している。
〈あゆみ〉
「どうしたの」
 その声に切迫感がある。グレルとエンエンは、あゆみの手の上のエコーキュアデコルを心配そうに覗き込んだ。
〈あゆみ!〉
「フーちゃん、どうしたの」
〈キュアエコーになって!
 空を見て!!〉
「フーちゃん!?」
〈お願い。キュアエコーになって!!〉
「落ち着いて――」
〈早く!!〉
 エコーキュアデコルを見つめて困惑しているあゆみの手をグレルが引っ張った。
「変身するぞ」
「でも」
「フーちゃんがこんな言い方するなんて普通じゃないよ」
 エンエンも真剣な顔で言う。
「何か理由があるんだ。
 急ぐぞ」
「…。
 うん」
 あゆみはその場で立ち上がり、左手をグレル、右手をエンエンとつないだ。エコーキュアデコルから滲み出した光が、その三角形を縁取る。光の渦はあゆみの周りを舞った後、あゆみの身体に吸い込まれていった。
「屋上に行こう」
 キュアエコーはあゆみの部屋の窓を開けると、手すりを足掛かりに一気にマンションの屋上に飛んだ。

 カツ、とキャエコーのヒールが音を立てた。
 風のない好天。確か、晴れるのは三日ぶり、とかニュースで言っていた。足元から街の喧騒が聞こえる。
「フーちゃん、外に出たよ」
〈今、何時?〉
「もうすぐお昼じゃないかな。それがどうしたの――」
 どこかから鐘の音が聞こえる。正午だろう。
〈エコー、空を見て!〉
 フーちゃんの声は悲鳴に近かった。キュアエコーは理由を問うのをやめ、周囲を見渡した。自分の町、繁華街、駅、学校のある方角、さらに遠く、緑にかすんだ山の――
「エコー、あれ」
 気づいていた。山の向こうで小さな光が揺れている。三つ。
「…」
「ミラクルライトの…光?」
 そう言っているうちに光は見えなくなった。
「フーちゃん、どういうこと?」
〈あれは――〉



最終更新:2021年02月19日 22:42