海に響け! わたしたちの歌(前編)/一六◆6/pMjwqUTk
海の中が次第に明るくなり、頭上に白い光が揺らめき始める。それを見て、ローラは一気に加速すると、勢いよく海上へと躍り出た。
海面から飛び出ている岩の上に着地して、ふぅっと息を吐く。ここは、まなつと二回も“初めて”出会った思い出の場所。ローラがあおぞら市にやって来る時に、決まって通る玄関口だ。
グランオーシャンに戻ったローラが、再び人間の世界を訪れて、まなつたちと再会してから数カ月。次期女王候補としての勉強に忙しく、そう頻繁にここに来ることはできないが、明後日の日曜日には、あすかが高校に入って初めてのテニスの試合があるという。それで、いつものメンバーで応援に行くことになったのだが、せっかくだから夏海家を拠点にして仲間たちと週末をゆっくり過ごそうと、ローラは女王の許可をもらって少し早めにやって来たのだった。
――そうですね……勉強もはかどっているようですし、いいでしょう。ただし、あまり目立つ行動はしないように。
穏やかにそう言って送り出してくれた女王の顔を思い出しながら、ローラはじっと海面を見つめる。が、すぐに顔を上げると、眩しそうに掌をかざして空を見上げた。もう夕方が近い時間だが、太陽はまだ力強く辺りを照らしている。
「今から行けば、部活に間に合いそうね」
そう呟くや否や、パン、と尾びれで岩肌を蹴る。次の瞬間には、人間の少女の姿になったローラが二本足で海岸に立っていた。
「さあ、急がなくっちゃ!」
くるりと得意気にターンを決めてから、軽快な足取りで岩場を駆け上がる。そしてローラは小走りで、懐かしいあおぞら中学校へと急いだ。
海に響け! わたしたちの歌(前編)
「あ、ローラ!」
「こんなに早く来られたんだ」
校舎の屋上にある、勝手知ったるトロピカる部の部室。ローラがひょいと顔を覗かせると、さんごとみのりがすぐに声をかけて来た。二人の周りに居たローラの知らない生徒たちが、少し戸惑った顔でぺこりと会釈をする。トロピカる部は部員が増えて、昨年の倍以上の大所帯になっているらしい。
「あれ、まなつは?」
ローラがキョロキョロと辺りを見回す。いつもなら真っ先に、しかも大声で話しかけてくる親友の姿が見えない。
「まなつなら、今日は学校を休んで南乃島に行ってるよ」
「え、南乃島に?」
「うん。あ、でも、あすか先輩の応援にはちゃんと行くからって」
「……何かあったの?」
さんごの言葉に、ローラが心配そうに眉をひそめる。するとみのりが、いつもの冷静な口調で言った。
「昨日まなつのお父さんから電話があって、とみ婆が病気なんだって。だからお見舞いに行って来るそうよ」
とみ婆なら、昨年の合宿で南乃島を訪れた時、ローラも会っている。島の長老だという優しいお婆さんで、“森の人魚”という不思議な昔話を聞かせてくれたのだ。
ローラは少し考え込んでから、うん、とひとつ頷いた。
「じゃあ、私も今から南乃島に行って来るわ。お婆さんのお見舞いもしたいし、それに――ちょっと確かめたいこともあるしね」
「えっ!?」
さんごとみのりが、揃って驚きの声を上げる。
「でも、もう今日のフェリーは無いよ?」
「まなつは明日帰って来るだろうから、明日行っても入れ違いになるし」
心配そうな二人に、ローラはニヤリと得意気に微笑んで、ここぞとばかりに胸を張る。
「私を誰だと思ってるの? 南乃島なんて、ここからならひと泳ぎで着いちゃうわよ!」
それからおよそ一時間後――。すっかり日の落ちた南乃島の鬱蒼とした森の中で、一人大きなため息をつくローラの姿があった。
「確かに“秘密のビーチ”まではあっという間だったけど……」
人魚のローラにとっては、フェリーで数時間の海路などわけはない。だが、問題はそこから先の陸路だった。昨年の夏にここを訪れた時には、まなつが“探検”と称してワザと道なき道ばかりを選んで歩いていたのだ。
「もうっ! こんなことなら、まなつの家までのちゃんとしたルートを聞いておくんだったぁ!」
森の中にローラの絶叫がこだました、その時。
「ロ~ラ~! ローラ、居るのぉ!? 居たら返事して、ロ~ラぁぁぁ!!」
今一番聞きたかった声が――まなつの声が遠くから聞こえてきた。
「さんごから電話をもらってさぁ。ローラがこっちに向かったって言うから、慌てて迎えに来たんだよ。会えて良かった~!」
ローラの顔を見るなり、まなつは腕を振り回しながら、まるで機関銃のようにまくし立てた。右手に持った懐中電灯の光が、森の木々をぐるぐるとせわしなく照らす。
(そういえば、まなつは人一倍怖がりだったわよね……)
こみ上げてくるおかしさと、それでもこうして迎えに来てくれたんだという嬉しさとの両方を噛みしめながら、ローラは何食わぬ顔でまなつと並んで歩き出す。
「それで、お婆さんの具合はどうなの?」
「それがさぁ……とみ婆、ただの風邪だったんだ」
「はぁ? どういうことよ」
風邪でわざわざ学校を休んでお見舞いに行ったのだろうか。怪訝そうなローラの声に、まなつがバツが悪そうに頭を掻く。
「いやぁ、わたしがお父さんの電話を早とちりしたみたいで……。重病かと思って慌ててお見舞いに行ったらもうすっかり元気で、とみ婆本人が出迎えてくれたんだ。アハハ……」
「まったく」
「で、でも! とみ婆、すっごく喜んでくれたんだよ?」
はいはい、と答えてから、ローラはこらえきれずにクスクスと笑い出した。やることなすこと、本当にまなつらしい――そう思うと何だか胸の中がくすぐったくて、自然に顔がほころんでくる。
森から出ると、月明りで辺りはずいぶん明るかった。まなつがようやく安心した様子で懐中電灯を消し、思い出したようにローラの顔を覗き込む。
「ローラの方こそ、わざわざ南乃島まで来るなんてびっくりしたよ。とみ婆のお見舞いに来たの?」
「ええ、それもあるけど――実は、お婆さんに聞きたいことがあったの。それで、いつか南乃島に行ける機会があればって思ってたんだけど、まなつが居るならちょうどいいと思って」
そう言って、ローラはピンと人差し指を立てた。
「ほら、国語の授業で習ったでしょ?『渡りに船』って。あれよ!」
「渡り……に……船? えーと、わたしは島までフェリーで渡ったけど?」
「そういう意味じゃないわよ。ちょうど港で船が待ってるみたいに、タイミングばっちり! ってこと。ま、私は船より速く泳いで来たけどね!」
「え~、何それ。ローラの泳ぐ速さは関係なくない?」
妙に得意げなローラと、すかさずツッコむまなつ。いつもの調子を取り戻した二人が、間近で顔を見合わせて、同時にプッと吹き出す。笑い合う彼女たちの前に、『海の家』と大きな看板を掲げた夏海家が見えてきた。
次の日の朝、とみ婆の家を訪れた二人は、その足で森の洞窟へとやって来ていた。ローラが人魚の宝のブレスレットを見つけた、あの洞窟だ。
ローラがとみ婆に聞きたかったのは、“森の人魚”の話のもう少し詳しい部分だったのだが、去年聞かせてもらった話以上のことは、とみ婆も何も知らないらしい。そう聞いたローラが、もう一度洞窟に行って確かめたいことがあると言い出したのだった。
洞窟の入り口は、昨年来た時とまるで変わっていなかった。あの時一部が崩れてしまったものの、ここは今でも島の人気の観光スポットであることに変わりはないらしい。
洞窟を目の前にしたところで、ローラが不意に辺りを見回す。そして誰も居ないことを確かめると、突然、人魚の姿に戻った。
「え……ローラ?」
「さあ、行くわよ、まなつ!」
ぴょんぴょんと尾びれで飛び跳ねながら、ローラが洞窟の中に入っていく。しかしものの五分も進まないうちに、ぐったりとその場に身体を投げ出した。
「やっぱり無理……。ここの地面は学校の廊下と違って、石だらけでごつごつしてるんだもん。この姿じゃろくに進めないわ」
「そりゃそうだよ~。なんでわざわざ人魚の姿で?」
「ちゃんと確かめたかったのよ。去年来たときは気付かなかったけど……こんな場所に、人魚が何か持って来て隠すなんてことが本当にできるのか、って」
「え? それって……どういうこと?」
「つまり、女王様も誰か人間に出会って、その人が助けてくれたのかもしれない、ってことよ」
そう言うと、ローラは再び人間の姿になって、ぴょん、と立ち上がった。今度はまなつと肩を並べ、スタスタと洞窟の奥に向かって歩き出す。
洞窟の中は、昨年来た時と同じく広々としていたが、ローラが崖を踏み外した辺りは、今はかなり手前にロープが張られて立入禁止になっていた。
「もうこの先には行けないのね……」
『キケン』という札が下がったロープを見ながら、ローラがポツリと呟く。そしてその口調のまま、まなつ、と呼びかけた。
「記憶を取り戻してから、私はこうして何度か人間の世界に来てるでしょ? 女王様はいつも快く送り出してくれるんだけど、その度に何だか寂しそうな顔をしている気がして……最近、それが気になるのよ」
「そうなんだ。メルジーヌ女王様も南乃島で会った人のことを思い出して、ローラが羨ましいって思ってるのかな」
まなつがいつになくしみじみとした調子で頷いた。“森の人魚”の正体が、若かりし頃の女王だったということは、まなつもローラから聞いて知っている。だが、まなつの言葉にローラは静かに被りを振った。
「多分それは無いと思う。私は、まなつと初めて会った小さい頃のことを思い出せてはいないもの。記憶を消す機械に残っていた記憶は持ち主に戻ったけど、『記憶の部屋』に封じ込められた記憶は、もう思い出すことはできないのよ、きっと」
「え、そうなの?」
「ええ。だからもしかしたら、女王様は私がまなつたちに会いに行くのを見て、自分にも人間の友達が居たのかもしれないって、それを思い出せないのを寂しく思っているのかも」
「う~ん……」
まなつが眉根を寄せて考え込んだ。しばらくそうしてから、改めてローラの方に向き直る。
「それで、ローラはどうしたいの? 女王様に何かしてあげたいって思ってるんでしょう?」
「私は……」
ローラの声が、そこで途切れる。行く手を阻むロープに目をやったまま、黙りこくったローラの横顔を、まなつは真剣な顔でただじっと見つめていた。
☆
次の日、南乃島から戻ったまなつとローラは、さんごとみのりと一緒に、あすかの試合の応援に出かけた。力強いスマッシュを武器に、あすかは新人ながらベストエイトに入る大健闘。試合の後は五人で久しぶりに、さんごの家であるプリティ・ホリックの二階に集まって、ローラが持って来たグランオーシャンのお菓子とトロピカルメロンパンで祝勝会をすることになった。
新生“もっとトロピカる部”の最近の活動のこと。今度この近くで行われるCM撮影に、さんごがメイク担当助手で参加するというニュース。みのりが最近書いている小説の内容。百合子に必死で止められた、あすかとテニス部監督のバトルの顛末。ローラが人魚の学校で授業をしたという話――。
それぞれの近況で盛り上がって、お菓子も一通り食べ終えたところで、まなつが突然立ち上がった。
「じゃあ、久しぶりに全員揃ったことだし、今から部活をやりたいと思いまーす!」
「部活かぁ。何をやるんだ?」
あすかが懐かしそうにそう言って身を乗り出す。まなつはちょっと得意そうに微笑んでから、おもむろにローラの方を向いた。
「それはねぇ……はい、ローラ!」
「え、私?」
キョトンとするローラに、まなつが満面の笑顔で頷く。
「議題はねぇ。ローラが今、一番話したいこと!」
「まなつ……」
ローラがハッとしたように目を見開いてから、うん、と嬉しそうに頷く。
「まなつには昨日話したんだけど……。みんな、私の話、聞いてくれる?」
真剣な表情で全員の顔を見回してから、ローラはゆっくりと話し始めた――。
ローラの話が終わると、辺りはしんと静まり返った。その束の間の沈黙をおずおずと破ったのは、さんごだった。
「あの……それなら『記憶の部屋』にある女王様の記憶を探し出して、見せてあげることはできるんじゃないかな」
「でも……」
今度はみのりが口を開く。
「女王様が南乃島を訪れたのは、随分昔の話でしょう? とみ婆が子供の頃におばば様と呼ばれていた人が、子供の頃に女王様の姿を見たってことは……」
「そうか。じゃあその時女王様と関わった人は、もう……」
みのりの後を引き取ったあすかが、バツが悪そうに口ごもる。ローラはあすかに小さく頷いてから、改めて仲間たちを見渡した。
「ねえ。みんなはどう思う? 女王様は、南乃島で出会った人のことを知りたいのかな。それとも、もう居なくなってしまったその人のことは、知らないままでいたいのかな」
ローラの問いに、仲間たちが再び考え込む。ほどなくして、真っ先に顔を上げたのは、まなつだった。
「わたしは、ローラがまず女王様の記憶が封じられた貝殻を探し出してから、女王様にどうしたいか聞いてみたらいいと思う!」
きっぱりと言い切るまなつを、あすかがたしなめる。
「おいおい、それって順番が逆じゃないか?」
「逆じゃないよ、あすか先輩。あの『記憶の部屋』に女王様の記憶があるかもしれないってことは、女王様も知ってるわけでしょう? でも今までは探せなかったのかもしれない。だったら、探す前に聞いたらそこで諦めちゃうかもしれないもの。女王様は……ほら、女王様だから色々忙しいしさ。その点、ローラならきっと探せるもんねっ」
「失礼ね。私がヒマみたいな言い方しないでよ。私だって次期女王候補として、色々忙しいんだから」
少々ムッとした様子で食ってかかるローラに、アレ? と首を傾げるまなつ。まなつの言葉の意味は、そういうことではなかったらしい。
「わたし、ローラのこと忘れていた間も、誰か大切な友達がいたはずだって、ずーっと胸の中に引っ掛かってて……。だから、ずっと探してたんだ。女王様もそう思ってるんだとしたら、たとえもう会えなくても、その友達のことを教えてあげたい。ローラもずっとわたしたちのこと探してたんだもん、そう思うでしょ?」
「まなつの言うこと、なんかわかるな~」
さんごがいつもの穏やかな調子で相槌を打つ。
「ローラのこと忘れてた間ね。わたし、自分が好きな物や可愛いと思う物をみんなに紹介しても、何か物足りなくて、どこか欠けてるような気がして不思議だったんだ。忘れちゃったら寂しいこともわからないって思ってたけど、やっぱり何か足りないっていうのはわかった。だから、わたしもまなつに賛成」
「わたしはローラの記憶が無かった時、自分がどうしてトロピカる部に入ったのか、不思議だった」
小さく右手を挙げるさんごの隣で、みのりも口を開く。
「まなつとさんごが声をかけてくれたから? いや、何かもっと強引に、強烈に、背中を押してくれたものがあったはずだって思って……。だから、記憶が戻ってとても合点がいったわ」
「強引だの強烈だのって……。もっと別の言い方無いわけ?」
口を尖らせるローラに、みのりがわずかに口角を上げて見せてから、すぐに真面目な顔に戻る。
「つまり、そうやってローラが背中を押してくれたことが、今のわたしの中に生きてるってこと。女王様もそうなんだとしたら、やっぱり知りたいんじゃないかと思う。自分の中の大切なものの、きっかけになったかもしれない人のことを」
「となると、みんな意見は同じだな。」
あすかが腕を組んで、全員の顔を見回した。
「ローラが女王様のことを心配する気持ちはよくわかる。ならば確かにまなつの言う通り、まずは女王様が諦めないで済むようにしてから、本当の気持ちを聞いてみるのがいいかもな。まあ、女王様だの生徒会長だのって立場の人は、自分の気持ちを素直に表に出すのが下手くそだし」
「それ、誰のこと言ってるの?」
ローラがあすかにニヤリと笑いかけてから、仲間たちの顔を見回した。
「よくわかったわ。やっぱりみんな、私と同じ気持ちだった……ありがとう!」
一瞬だけ目を潤ませたローラの顔を嬉しそうに見つめて、まなつが勢いよく立ち上がる。
「よーし。じゃあ女王様の思い出の貝殻探し、みんなでトロピカっちゃおう!」
「おー! ……ん?」
まなつと一緒に拳を突き上げかけて、三人は途中で首を傾げた。
「ちょっと待て。わたしたちはもう、グランオーシャンには行けないだろ」
「リップがあれば、きっと今でも海の中で息ができるよ! 試してみる?」
「いや、まなつ。そうじゃなくて、グランオーシャンまで泳いでいくのが無理、って話」
早速ポケットからリップを取り出すまなつを、みのりも冷静な声でたしなめる。
以前はプリキュアに変身して行ったから、人魚のローラの泳ぎにもついていけたのだ。リップやハートクルリングはまだそれぞれが持っているが、トロピカルパクトを女王に返してしまった今、変身することはできない。しかもグランオーシャンは、前よりずっと遠い場所にあるという。
「残念だけど、一緒に探すのは無理そうだね……」
「え~、わたしも探したいのになぁ。それにあの部屋、すっごくたくさんの貝殻があったよ? ローラ一人じゃ大変だよぉ」
「それは……」
「確かにそうだが……」
さんごの言葉に、まなつが両手をブンブン振り回して叫ぶ。確かにまなつの言う通り、『記憶の部屋』には壁一面におびただしい数の貝殻が埋め込まれていた――その光景を思い出して、みのりとあすかも口ごもる。すると、ローラがわざとらしくコホンと咳払いをした。
「大丈夫よ。このグランオーシャンの次期女王に任せなさい!」
いつもの調子で胸を張ったローラが、もう一度全員の顔を見回す。
「みんなのお陰で悩んでた気持ちが吹っ切れて、まなつじゃないけど、私、今すっごくトロピカってるから。あっという間に見つけて驚かせてみせるから、楽しみにしてなさい」
自信満々にそう言い切って、ローラは実に嬉しそうに微笑んで見せた。
~前編・終~
最終更新:2022年04月20日 22:55