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天使のはしご(上)/ゾンリー




 太陽が昇り切らない、まだまだ冷え込む早朝。
「ふあぁぁ……」
 大きな欠伸を漏らしながらリビングに降りてきた私——虹ヶ丘ましろは、やかんにお水を入れながらネコさんみたいに大きく伸びをする。
「おばあちゃんおはよう」
「おはよう、ましろさん」
 カチカチっと火を付けて、あとはお湯が湧くまでゆっくり待機、とおばあちゃんの横に座ると、何だか訝しげな顔。
 その手に持ってるのは……プリント? なんかの文書みたいだけど……。
「?」
 気になってそっと覗き込んでみる。えーっとどれどれ『地域の集いへのお誘い』、だって。わわ、温泉旅行……!?
「大丈夫、お断りしますよ」
 そう言って優しく微笑む。バレちゃってたか。
 おばあちゃん、いっつもこういうお誘い断っちゃうんだよね。曰く、「ましろさんに淋しい思いさせちゃうから」って。
「行ってきてよ」
「でも……」
「今はソラちゃんもいるし。それに私のせいでおばあちゃんに窮屈な思いしてもらいたくないもん」
 私は立ち上がって、おばあちゃんお気に入りのお茶っ葉を急須に入れる。うーん沸騰までもう少しかな。
「そこまで言うなら……お言葉に甘えちゃおうかしら」
 無邪気そうな笑顔。うんうん、こっちの方が断然いいよね。
「たーだーし」
「?」
 おばあちゃんが私に差し出したのは……映画の招待券?
「ましろさんも、お出かけして頂戴。私だけだなんて気が引けちゃうわ」
「それはいいけど。どうしたの招待券なんて? ……っと」
 危うく吹きこぼれそうになったやかんの火を止めて、お湯を注ぎながら問いかける。
「この便箋に入ってたのよ」
「エアメール! あ、はいどうぞおばあちゃん」
 煎れた緑茶と交換で受け取った、白地に赤と青の模様をした封筒。その宛先は、私が何度も見たことがある文字で書かれていた。
「これ……やっぱり、パパとママからだよ!」
 よかったぁ、お茶持ってたら絶対零しちゃってたよ。
 私はタブレットを急いで立ち上げて、パパとママに電話を掛ける。向こうは時差があるから夜だけど、きっとまだ起きてるはず。
「もしもーし」
『ま・し・ろ・ちゃーん! も・し・か・し・て~、早速プレゼント届いた?』
 窓から覗く夜空をバックに、パパとママが映し出される。反応がちょっとヘビィなのは……ひとまず置いておいて。
「うん。嬉しいけど、どうしたの?」
 もしかして忘れてるだけで私の誕生日? いやいや七月十六日、ちゃんと覚えてるもん。
『仕事の取引先から貰っちゃってね。『アキラー! これジャパンにいる娘さんにあげてよ!』って』
「なるほど……」
 自分が記憶喪失じゃなかったことに一旦安堵して、肩の力を抜く。するとママがどこか遠くを見るように目を細めた。
『映画といえば、ましろちゃん覚えてる? 初めて映画見に行った時のこと』
「え……? あっ」
『そうそう、『真っ暗怖い~!』ってずっと半泣きだったっけ』
「もーせっかく忘れかけてたのに!」
 蓋をしていた黒歴史の記憶を開かれて、顔が熱くなる私。それに追い打ちをかけるかの如く、パパが半泣きになっている私の写真を取り出した。
『『んふふ~』』
「思い出さなくても見せつけなくてもいいからー! もう平気だし。お友達と行ってくるから……ありがと」
 なおも思い出してはニヤけてる両親に呆れ笑いをこぼして、通話を切る。暗くなったタブレットの液晶に反射する私の頬は案の定真っ赤っかで、おばあちゃんが何食わぬ顔でお茶を啜ってくれてるのが救いかな。
「……ふぅー」
 私もすっかりぬるくなったお茶を一気に飲み干して、乾いた喉を潤す。
(恥ずかしいし忘れてたけど、ちょっと懐かしいかも)
 しがみついた、パパの力強い腕。
 スクリーンの光に照らされた、ママの優しい顔。

 昇りきった朝日に照らされながら、私はそんな感覚に思いを馳せていたのでした。
(……)

 ・
「おはようございます! ましろさん、なにをニヤついてたんですか?」
「へっ!?」
 いつの間にかランニングから帰ってきていたソラちゃんに言い寄られて、一気に現実へ引き戻される。
「そ、そんなニヤけてたかなぁ……?」
「はい! そうですよね、ヨヨさん」
「えぇ」
「おばあちゃん知ってたなら教えてよー!」
 再度顔を赤らめて、逃げるようにキッチンへ。
 ごはんの炊き上がりを伝えるメロディが、やけに楽しげに聞こえたのでした。

「映画……」
「うん、パパとママからチケット貰って」
「ってなんですか?」
「そうだよねそこからだよね……」
 ソラちゃんが炊き立てのご飯を頬張りながら、首を傾げる。
 映画っていうのは、かくかくしかじか……、私も美味しくできた玉子焼きを間に挟みながら説明。
「なるほど……行ってみたいです!」
 ふんすっ、と早速食べ終わって、鼻息を荒くするソラちゃん。
「よかったぁ。じゃあ当日はよろしくね」
「はい!」
「えるぅ!」
 エルちゃんの元気なお返事を聞いて、ハッとする。
 映画館に赤ちゃん(エルちゃん)連れていくのって大丈夫なのかな!? 途中で泣いちゃったりしたらマズいよね……。お留守番なんてもってのほかだし。
「大丈夫。エルちゃんのお世話は任せて頂戴」
 おばあちゃん……!
「でもいいんですか? ヨヨさんだってお泊りなんじゃ……」
「あら、私だってママだったから今のましろさんがいるのよ? このくらい世話無いわ」
 そう言ってエルちゃんを抱き上げるおばあちゃん。うんうん、確かに初心者二人だけでお世話するより経験者の方がいいもんね。心なしかエルちゃんも上機嫌だし。
「世話無いって、お世話しないんですか!?」
 あー、そこ引っかかっちゃうかー。
 慣用句ってのを説明して、朝のドタバタはおしまい。

 私は久々の映画館に浮足立たせながら、鼻歌交じりにお皿を片付けるのでした。


 それから数日後。約束の日を迎えた私たちは、揃って玄関前に集まっていた。
「それじゃあ、行ってくるね」
「エルちゃん、ヨヨさんの言うことをきちんと聞くんですよ」
「えるぅ!」
 朝日に照らされて、笑う。おばあちゃんはそんなエルちゃんを抱え直すと、「私達も行きましょうか」と集合場所に向かって歩き始めた。
「私たちはコッチですね!」
「うん」
 ちょっとだけ心配になって玄関の施錠を確認してると、ソラちゃんはずいぶん先に進んでいて。
「ソラちゃん、気合十分だね~」
 小走りで追いついた私が尋ねると、ソラちゃんはふんすっ! と言わんばかりに、鼻息を荒くした。
「もちろんです! ソラシドモールは二回目……もうあんな失態は起こしませんっ」
 確か一回目もそんなこと言ってたような気がしたけど。
 人通りの多い舗装路を、二人で歩く。しばらく無言だったけど、「そういえば」とソラちゃんが声を上げた。
「ましろさんは、よくソラシドモールに行っていたんですか?」
「うん。品揃えいいし、ほら今日行く映画館も併設されてるから、よくお友達と来るんだ。ちっちゃい頃はパパとママと一緒に来てたんだけどね」
 そう説明しながら、不意に胸のあたりが虚しくなる。
 何度も感じたことあるけど、やっぱり慣れない感覚。
「ソラちゃんは、映画初めてなんだよね。楽しみ?」
「はい! それは勿論」
 ソラちゃんの笑顔で、心も平穏を取り戻す。
 けどプリティホリックのショーウィンドウに写った自分の姿がまだちょっぴり寂しそうで、私は気合を入れなおした。
(今は、ソラちゃんといるんだから)

「よかったぁ。丁度いい感じに席空いてるといいんだけど……」


 ……なんて口に出したのがいけなかったのかなぁ。
「んー」
「どうしたんですか? ましろさん」
 見上げた劇場窓口の液晶モニター。お目当ての映画、午前中の回はすべてバツ印……つまり満席。
 そのことを伝えると、ソラちゃんも私と同じように唇を尖らせた。
「むー」
 私たちが見ようとしている映画は、歳がそう変わらない、人気急上昇中の女優さんが主演なんだ。えっと確か春日野……何だっけ。その話題性もあって、公開から数日経っているにも関わらず劇場は朝から人だかりが出来ていた。
 それに春休みだから忘れてたけど、追い打ちをかけるように今日は日曜日。周りを見渡せば私たちみたいな学生の他に、家族連れも沢山。
「午後の回だったら空いてるね。それで大丈夫?」
「はい!」
 私は劇場窓口に向かうと、パパとママから貰った招待券で横並びの席を無事確保。あとは……
 チケットの一枚をソラちゃんを渡しながら、尋ねる。
「私から誘っといてなんだけど、どこか行ってみたいお店とかある?」
 ソラちゃんは映画館を飛び出すと、吹き抜けのモールを見渡した。
「じゃあ……少し歩きながら決めませんか?」
「うん、そうしよっか」
 裏表のない、澄み渡る笑顔に手を引かれるような気持ちで、太陽の光差し込むモールへ歩き出す私。
 せっかく時間があるんだし、ソラちゃんと目いっぱい楽しみたいな。私はそんな思いを込めながら、エスカレーターの手すりを掴むのでした。
  ・
 吹き抜けの縁、様々なショップが並び立つエリアを私たちは歩く。
 ソラちゃんは各店、趣向を凝らしたディスプレイに毎度毎度足を止めて目を輝かせていた。
 思えば、いつもソラシドモールに来るときは決まったお店しか回らないから、こうしてゆっくり歩くのは新鮮かも。
「ましろさん、ここ入りませんか?」
 指さしたのは、カジュアルなシャツからジャージまでなんでも揃う、大きめの洋服店。
 ん、ジャージ……?
「この前は私が選んでもらったので、今度は私がましろさんにピッタリのジャージを選んでみせます!」
 サイドテールと、その反対側にあるもみあげを元気に揺らしながら、ソラちゃんが意気込む。
「やっぱりジャージなんだね……」
 私はずり落ちそうになったポシェットの紐を肩にかけ直して、脱力気味にツッコんだ。
 自分のジャージかぁ。お古はソラちゃんにあげちゃって、ソラちゃんとのランニングで使っているのはおろしたてなんだよね。
 でもでもソラちゃんの気持ちは嬉しいし、どうしたらいいんだろう……!
 なんて、悩み塞ぐ私に一筋の光を差し込ませたのは……これまたジャージで。
「そうだ、ソラちゃんっていつも寝るときはジャージだよね?」
「はい。ましろさんは動きやすそうな奇妙な服で寝てますよね。あれもジャージですか?」
 あぁやっぱり。私はちょっとだけ微笑むと、少し歩いて、ソラちゃんを手招きした。
「?」
 疑問符を浮かべながらひょこひょこ付いてくるソラちゃん。その無邪気さが、(いないけど)妹っぽいなって思っちゃう。
「パジャマって言ってね、寝るとき専用の服……みたいなものかな。だからソラちゃんが大好きなジャージじゃないよ」
「おぉ……ん?」
「だからさ、パジャマ選んでもらえないかな? 私とソラちゃんの分、折角ならお揃いで」
「おそろい……!」
 何かツッコミかけたソラちゃんの表情が、またしてもぱぁっと明るくなる。
「お任せください! 全身全霊を掛けてお揃いのパジャマを選んでみせます!」
 とりゃああ! なんて掛け声と共に、棚を物色し始めたソラちゃん。おおよそショッピングとは思えない気合だよ……。
 その勢いの甲斐あってか、彼女が見繕ったのは可愛らしいスカート+パンツスタイルとロングスカートのパジャマ。それぞれ水色と淡い桃色を基調にして、スカートはそれぞれの色も取り入れたストライプ柄。袖のフリルもさりげなくキュートさを演出してていい感じ!
「いい! すごく良いと思う!」
「えへへ」
「試着して、サイズがちょうどよかったらこれにしよう」
 私は埋まらないうちに試着室を取って、ソラちゃんと交代で入る。無事二人ともぴったりサイズだったよ。
「気に入ってもらえてよかったです! あ……」
 お会計を終えて、お店を出ようとしたソラちゃんがふと見つけたのは、赤ちゃん用のパジャマ。
「エルちゃんに似合いそうですねー」
 でも……どこかで見たような気がして。
「これ、確かお家にあるよ」
「またヨヨさんが、エルちゃんに用意してたんですか?」
 思い出して、私は首を振る。
「ううん。私が着てたんだよ。パパがね『ちっちゃい頃の思い出全部残しておくんだー』って」
「このパジャマ姿のましろさん……見てみたいです!」
「恥ずかしいけど……現物は押し入れにあるし、私が着てた時の写真はアルバムに残ってるんじゃないかな……? 帰ったら探してみるよ」
 ここに居ても邪魔になるだろうって今度こそお店を後にし、またあてもなく歩き出す。

 午前中って案外長いもので、壁掛け時計が指さしたのはまだ十一時。
「まだ……映画まで時間ありますね……」
 ソラちゃんもどこか持て余してるようで、少し困り顔。
「少し早いけど、お昼にしよっか」
「ですね」
「そういえば、駅前に新しくオープンした定食屋さん、気になってるって言ってなかった?」
「はい! チラシに載っていた鮭の塩焼き定食……美味しそうでした。いえ、絶対美味しいですよ!」
 よだれ垂れてるよー……って言葉をそっと伝えながら、私は次の目標を決める。
「じゃあそこまでちょっと距離があるけど歩こっか。そしたら丁度いい時間になりそうじゃない?」
 ソラちゃんの手を引いて、私たちはソラシドモールを一旦後に。
 ぴゅうと吹いた春一番が、パジャマの入った紙袋を揺らしたのでした。

「パジャマ着るの、楽しみですね~」
「じゃあ今日はパジャマパーティだ。映画終わった後にでも、お菓子とか買っちゃおう」——

現11-2
最終更新:2023年06月01日 01:04