『さらば悟くんのオチンチン』1/猫塚◆GKWyxD2gYE
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犬飼いろは13歳、中学2年生(女子)。
ある休日の朝、目が覚めたら、股間にオチンチンが付いていた。
兎山悟(とやま さとる)13歳、中学2年生(男子)。
彼の場合は目が覚めたら、股間からオチンチンが消えていた。
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「いや~、ビックリだね~」
早朝。24時間営業のファミレスにて、いろはは真向かいの席に座る悟を見て笑ってしまった。というか、もう笑うしかなかった。
目の前にいる彼の姿は、両サイドのもみあげを肩まで垂らしたショートの髪と、華奢な身体に元気をいっぱい詰め込んだ女の子。
―― つまり、肉体に関しては『犬飼いろは』なのである。
対して、いろはの現在の身体は、眼鏡が似合う知性的な瞳に温和な顔立ち、そしてスラリとした体躯。すなわち『兎山悟』の肉体である。
「わたしと悟くん、本当に入れ替わっちゃってるんだ」
と、まだ慣れてない手付きで、いろはが眼鏡を、くいっ、と直す。
悟(※ 外見は犬飼いろは)が、なんとも言えぬ微妙な表情で詫びてくる。
「ごめんね、犬飼さん。こんな朝早くから呼び出して」
「ううん。悟くんが電話してくるまでは、もう何が何やらでパニックだったし。
それに……」
いろはが視線を横に流して、プラスチック製の低い柵で区切られたキッズスペースのほうを見た。
そこでは、犬飼家の愛犬こむぎ ―― 人間の女の子、さらにはプリキュアにも変身できるパピヨン犬が、悟のペットであるロップイヤーラビットの大福と戯れている。
キッズスペースと言いつつも、小さな子供だけではなく、小型のペットも放して遊ばせられる。人と動物が仲良く共生するアニマルタウンならではの光景だ。
チラッと悟の様子を窺うと、彼もまたキッズスペースで遊ぶ大福を見ていた。
「こむぎを連れてきてくれてありがとうね。
……不思議だね、今、すごく大変な事が起こってるはずなのに、こむぎの元気そうな姿を見てたら、まあ大丈夫かなって気分になっちゃう」
「うん、ぼくもだよ。大福が視界にいてくれるだけで、心が落ち着く」
―― さて、と空気を変えて、いろはと悟が向かい合う。
「わたしたちが入れ替わっている理由 ―― 実はちょっと心当たりがあるんだけど、
……今はもっと重要な問題が目の前にあるよね?」
「うん。それについて話し合うために、犬飼さんに足を運んでもらったんだ」
兎山悟の姿のいろはと、犬飼いろはの姿の悟。二人がテーブルを挟んで真剣に互いを見つめあう。
数秒間の重い沈黙。いろはが先に口を開いた。
「あの……わたし、もうずっと、オシッコに行きたくて……」
「ぼくも、その……朝起きたときから……」
モジモジ……そわそわ……。
モジモジ……そわそわ…………。
いろはも悟も、目が覚めてから ―― つまり、お互いが入れ替わってから、まだ一度もトイレに行っていない。
イスの上で腰を微かに浮かせながら、生まれて初めて女子の身体になった悟が、やや早口でしゃべる。
「でもオシッコするとなると、い、犬飼さんのパンツを下ろさなきゃなワケでっ」
「ま…まあ、変な意味でパンツを下ろすワケじゃないし。それに……悟くんだし。わたしは気にしないよ。うん、大丈夫。全然平気」
いろはが赤くなった顔でうつむき、「うん大丈夫、うん大丈夫」と繰り返す。
……本当はあまり大丈夫じゃないな、と自分でも思いながら。
それよりも、
「ていうか、わたしの場合、パンツどころか、もっと直接的に悟くんのオチ……、オ、オチっ…オチっ……」
「犬飼さん、落ち着いて」
「いや、オチツイテじゃなくてオチンチンだよっ!!」
「ちょ…声大きいっ」
休日の早朝とはいえ、朝食を食べに来ている客も数人いた。全員が驚いた顔でこっちを見ていた。
……皆の視線から逃れるように身をかがめた二人が、声を小さくして話を続ける。
「ごめんね。……オチンチンのことだけど、悟くんは平気?」
「この状況で恥ずかしがってもいられないし。あ、ちなみに、お風呂には毎日入っているから。汚くはないよ」
「うん、ありがとう」
さわっちゃっても ―― 大丈夫らしい。
でも、どうやって触(ふ)れたらいいんだろう?
無意識に両手がオチンチンのさわり方をシミュレートし始める。
(どうしたんだろう、犬飼さんの両手。……素手でウナギを捕まえる練習?)
いろはの様子を眺める悟が首を傾げた。
……いや、首を傾げている場合じゃない。早くトイレに行かないとマズイ。
「えーっと、とりあえずレディーファーストってことで、犬飼さんが先に」
「あ、待って。今は悟くんのほうがレディーでしょ」
「そっか」
悟が自分の身体 ―― 犬飼いろはの肉体を一瞬見下ろして、納得したようにうなずいた。
「じゃあ、先に行ってくるね」
「わたしのパンツのことなら気にしないで。悟くんに下ろされるなら、きっとパンツも本望だよ」
いろは、尿意が高まりすぎて、何を言ってるのか自分でもよくわからない。
だが、『とにかく早く行ってきて!』という強い祈りにも似た感情は、悟にも伝わったらしい。
犬飼いろはの姿の悟、凛々しく席を立つ。
「待ってて、犬飼さん。すぐに終わらせてくるから」
まっすぐ店内のトイレへと向かう彼の背中を、いろはが見守る。
…………その背中は、迷うことなく男子トイレのほうに入っていった。
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10秒もしないうちに男子トイレから出てきた悟。再びいろはの正面の席に座り、両手で顔を覆った。
「ごめんね。ぼく、犬飼さんの身体なのに、つい、うっかり……」
「それはいいけど、なんで戻ってきちゃうのっ? そのまま女子トイレに入り直せばよかったじゃないっ」
「……トイレでオシッコしてた男の人、こっち見て驚いてた」
「うわちゃーっ」
思わず天を仰いで、いろははペチンと片手で顔を覆った。
今の自分の身体は兎山悟だし、もう色々ありすぎて、どうしていいのか分からなくなってきた。
―― しかし、尿意のタイムリミットは待ってはくれない。
するり、と手の平が顔を滑り落ちた。眼鏡のレンズ越しに、悲しみを帯びた目で悟を見つめる。
「悟くん、ひとつだけ言わせて。このままだと……、わたし、たぶん漏らす」
「え、犬飼さん……?」
悟が顔を覆っていた両手を下ろして、戸惑ったような視線でいろはを見返してきた。だが、すぐに状況を察して覚悟を固めてくれた。
「やっぱり、ぼくたちは行くしかないんだね ―― トイレに」
「今度は二人で一緒に行こう。……考えてみたら、そもそも一人ずつ順番に行く意味って無いし」
「あ、たしかに」
「ふふっ、大丈夫だよ。もしまた悟くんが男子トイレに入りそうになったら、しがみついてでも止めてみせるから」
いろはが笑顔で約束する。……が、その光景を想像して、すぐに笑いを引っ込めた。
中身が入れ替わっているとは言っても、見た目的には、女子に抱きつく男子という構図。
うん、悟くん(の身体)が逮捕されちゃう。
いろはの心配を前に、悟は微笑みを浮かべて言った。
「大丈夫、犬飼さんの手はわずらわせないよ」
中学2年生・男子、なにがなんでも女子トイレでオシッコするんだ、という決意が表情に満ち溢れていた。
いろはがうなずき返し、共に席を立ってトイレへと向かう。
言葉は不要。互いの心は通じ合っている。 ―― とはいえ、一応確認しておく。
「……ちなみにだけど、悟くんのオチンチンを握ったあとは、牛の乳搾りみたいな感じでオシッコを搾り出していけばいいんだよね?」
「違うよッ!?」
ギョッとした顔で見返す悟。いろはのほうにそっと近づき、ひそひそとアドバイスしてくる。
「……まずね、ズボンのチャックを下げてオチンチンを出したら、
その……あとはね……、あとは……、うん、とにかく、ぼくのオチンチンを信じて」
……全然アドバイスになってない。
しかし、なぜか、いろはは元気づけられたような気分になってニッコリ笑った。
「わかった、信じるよ。……だって、悟くんのオチンチンだもん」
悟が ―― 犬飼いろはの姿で、ちょっと恥ずかしそうに照れる。
(犬飼さん、ぼくのオチンチンをそこまで信頼してくれるなんて。……うれしいな)
身体は乙女でも、心は思春期の男の子。妙にドキドキ ―― してる場合ではなかった。
もう尿意が完全に限界で、二人は滑り込むようにそれぞれのトイレへと入っていった。
……………………。
………………。
…………。
先にトイレを終えたいろはが待っていると、無事、女子トイレから悟も出てきた。
いろはは男子の身体で、悟は女子の身体でオシッコするという初めての体験。
視線が合う。無言。身体だけが自然に動いた。
パンッ!!
ノーモーションからビンタを繰り出すみたいな動きで、互いの手のひら同士を派手に打ち合わせる。
近くにいた客が「えっ、『スラムダンク』!?」と驚いて声をあげた。
最終更新:2024年08月22日 16:33