赤い翼の輪舞曲 第1話――ラビリンスからの誘い――
弾けるような加速によって、瞳に映る景色が溶けていく。太陽の光も、星々の輝きも、全てが一つに交じり合う。
ラビリンスを発った一行は、数多の世界を渡り、故郷へと帰還する。
混沌の闇を越えて、光の門を潜り抜ける。その先には、七色に彩られた不思議な空間が広がる。
世界を繋ぐ奇跡の花、プリズムフラワーの力が作り出す虹の回廊。
ホホエミーナの、純白の翼が力強く羽ばたく。
再び、真っ白な光に包まれる。あまりの眩しさに目を閉じる。一呼吸してから、そっとまぶたを持ち上げた。
大好きな街、四つ葉町の公園の景色が映る。瞳が潤み、わずかに視界が歪む。
冬の夜の、澄んだ空気が胸いっぱいに広がる。
大気の綺麗な世界なら、他にもあった。景観の美しい世界なら、他にもあった。
でも、心が安らぐようで、それでいてときめくような、こんな不思議な気持ちにさせられる場所はここしかない。
「帰って――来たね。せつなっ!」
「ええ!」
「お父さんとお母さん、心配してるだろうなぁ……」
「早く帰って、安心させてあげなきゃね」
全力で走っているのに、意地悪なくらいにゆっくりと景色が流れる。
早く――早く――帰りたい。
不思議だと思う。自分の故郷はラビリンスで、ここは異世界のはずなのに。
どうして、帰るなんて言葉が出て来るんだろう。どうして、こんなにも心が弾むんだろう。
やがて見えてくる、優しい肌色の壁に、ピンクの屋根。赤い色のひさし。
手入れの行き届いた広めの庭。二階には、植物を這わせてあるバルコニー。大きくはないけれど、温かみを感じさせる家。
ノックなんて必要ない。だって、自分の家なんだから。
もどかしい気持ちをぶつけるように、やや乱暴にドアを開ける。
パタパタと、転がるように出て来る二人。たまらなく会いたかった、大切な家族だった。
「ただいま」
「ただいま、おかあさん……」
「お帰りなさい。せっちゃん、ラブ」
手を引いて、抱き寄せられる。温かい胸。優しい匂い。
泣いているのに、涙声で震えているのに、こぼれるように明るい笑顔。
必ず帰ってこいと言ってくれた。必ず帰ってくると約束した。なにものにも変えがたい、せつなの大切な居場所だった。
『赤い翼の輪舞曲――ラビリンスからの誘い――』
テーブルの上に、所狭しとご馳走が並ぶ。突然の帰宅だったはず。あり合わせの食材で、急遽作ったとは思えない。
あゆみの自慢のラザニアや、圭太郎が作ったと思われる肉じゃがもあった。
二人がいつお腹を空かせて帰ってきてもいいようにって、冷蔵庫はいっぱいにしてあったらしい。
見ていたラブとせつなもじっとしていられなくなって、それぞれが得意とするハンバーグとコロッケを作り上げる。
「うーん。これ、どうしよう?」
「確かに、ちょっと作りすぎちゃったわねぇ」
「大丈夫よ。私、精一杯頑張るわ!」
「じゃ、あたしも負けないよ~」
「それでは、せっちゃんとラブが、無事に帰ってきたことを祝って!」
「私たちの、自慢の娘たちを称えて!」
「「「「乾杯~!!」」」」
夕ご飯を食べながら、ラブはラビリンスでの出来事をあゆみと圭太郎に話して聞かせる。
せつなはラブに相槌を打ちながら、あまり過激な表現をして二人を心配させないように目を光らせていた。
ラブが力を入れて話したのは、ラビリンスの人々の暮らしや彼らとの交流について。
ドーナツが大評判だったこと。陰から力を貸してくれた人たちがいたこと。みんなの応援を翼に変えて戦ったこと。
彼らなら、きっと素敵な国が作れるだろうってことだった。
あゆみは驚いて目を丸くしたり、優しく微笑んで見せたり。話の展開があまりに現実離れしていたので、全ては理解できていないようだった。
それでも、二人が精一杯頑張ってきたんだってこと。これでやっと、本当の平和が訪れたんだってことは、ちゃんとわかってくれた。
「ラブ、せっちゃん、今回は特別に許します。でも、本当は親に心配かけるのはいけないことなのよ。以後、危ないことはしないこと。いいわね!」
「はぁ~い!」
「はい……」
元気に手を挙げるラブに対し、せつなは歯切れの悪い返事をする。
そんなせつなを、あゆみは心配そうに見つめる。
「せっちゃん? もう、どこにも行かないのよね?」
「えっ? ええ……。うん、大丈夫よ」
考え事をしていたせつなは、あゆみの問いかけに慌ててそう答える。
首を振って、バツが悪そうに笑顔を作る。
しかし、大丈夫と言っただけで、その先の言葉が続くことはなかった。
せつなには、この幸せが長くは続かないであろうことが、なんとなく感じられるのだった。
帰還から数日後。公園で、せつなはウエスターとサウラーと待ち合わせをしていた。
二人とも、この世界の人間の姿である西隼人と南瞬として現れる。
もう三人の間には、以前のようなわだかまりはない。
しかし、ラビリンスの幹部仲間であった頃のような関係とも違い、なんとなく気まずさを覚える。
「それで、私に話って何?」
「ああ、それなんだがな、イース」
「私をイースとは呼ばないで! 少なくとも、ここでは」
「スマン、せつなと呼ばせてもらおうか。単刀直入に言おう。俺たちと一緒に、ラビリンスに戻らないか?」
隼人と瞬は、今はラビリンスに生活の拠点を置いていた。
そこでライフラインの復旧作業に協力しながら、四つ葉町を中心に、各パラレルの様子を見て回っているらしい。
「私たちで、ラビリンスを導こうってわけ?」
「いや、僕たちはそこまで傲慢じゃない。もちろん協力は惜しまないつもりだけどね」
「そうとも、せっかく自由になったんだ。俺たちがあれこれ決めてちゃ、意味ないからな」
「だったら――」
「なぁ、イ……せつな。俺たちも、昔のように三人で仲良くやらないか?」
「冗談でしょ? 私は、あなたたちと仲良くしたことなんてないわ」
せつなは、話は終わったと言わんばかりに、踵を返して立ち去ろうとする。その行く手を瞬が遮った。
「この世界で、もう君がすべき事はないはずだ。僕たちは、もともと招かれざる客だということを忘れたのかい?」
「俺には難しいことはわからん。だが、俺たちはラビリンス人だ。役目が終われば帰る。それが自然だ」
「何の役目よ!」と、一瞬せつなはムッとする。自分たちに課せられた使命は、この街の人々の不幸のエネルギーの収集だった。
ハッキリ言ってしまえば、ラビリンスはこの世界に対して迷惑しかかけていない。
しかし、だからこそ、招かれざる客と表現した瞬の言葉には、逆らえない響きがあった。
「少し考えさせて。二週間後にダンス大会の決勝戦があるの。返事は、その時にさせてもらうわ」
そう言って、せつなは今度こそその場を離れた。そのまま公園の奥にある、石造りのステージへと向かう。
今日はダンスレッスンを再開する日だった。別行動をとっていたラブたちも、そろそろ到着している頃だろう。ミユキさんが来るまでには、準備運動を済ませておきたい。
自分のせいで延期になってしまった、クローバーの夢の舞台。今度こそ、何があっても成功させたかった。
パンキングから、ハンド・ウェーブ。波を意識したモーションが続く。その流れがせつなの所で止まってしまう。
普段の完璧な演技からは、考えられないようなミスだった。
気を取り直してもう一度。今度はしっかりと繋がった。しかし、その次のコンビネーションでまた外してしまう。
「ストップ! 今日はここまでよ」
ミユキがレッスンの終了を告げる。全国大会の決勝戦の日程が決まったこともあり、練習は相当にハードなものだった。
ふ~っと息を吐いて、その場に座り込むラブと美希と祈里。これでも予選を突破したユニットだ。もう十分に技術は伴っている。
後は、徹底的な反復練習を重ねて、本番でのミスのリスクを減らしていくしかない。
ミユキはそんな三人ではなく、一人立ったままのせつなと向かい合う。息は荒いものの、体力の地力が違うのか、せつなにはまだ余裕があるようだった。
「せつなちゃん、今日はどうしたの? 全然ダンスに集中できてなかったわ」
「すみません。次までには、必ず合わせられるように練習します」
「戦いが終わったばかりで疲れてるのはわかるけど、またとないチャンスなの。しっかりね」
「はいっ!」
普段なら、教え子の悩みや迷いには、人一倍敏感なミユキだった。しかし、最後の戦いが終わった安堵感のためか、そこまで気が回ることはなかった。
せつなも、すぐに表情を引き締める。ダンス大会における意気込みは、他の三人よりも強いくらいだった。
「ねえ、せつな。もしかして、何か考え事をしてたんじゃない?」
「やっぱりそう見えるよね、美希たん。大丈夫? せつな」
「ごめんなさい」
「怒ってるんじゃないよ、せつなちゃん。ただ、何かあったのなら、わたしたちには話してほしいから……」
ミユキはたまたま調子が悪いのだと判断したが、他のメンバーの目は誤魔化せなかった。
ラブたちには、ラビリンスでの戦いが、単純に勝利として喜べるものではないことがわかっていたからだ。
しばらく迷ってから、ためらいがちにせつなは口を開く。
「みんなは――ダンス大会で優勝できたとしたら、その後はどうするの?」
「もちろん、プロデビューだよね!」
「どうかな。モデルと両立できる範囲でなら、ダンスは続けたいと思うけど」
「わたしも美希ちゃんと同じ。プロになるかはわからないけど、みんなとダンスは続けたいと思ってる」
「うん、そうだね。美希たんとブッキーには、夢があるもんね。でもさ、せつなはずっと一緒だよね!」
「ええ、そうね……」
ふと、既視感に捉われる。こんなやり取りが、前にもあったような気がした。
それは現実ではなくて、ラビリンスのイースだった頃に見た夢。
あの時は、答えようとして、幸せの素に力を入れて――そのまま砕け散ってしまった。そこで夢から覚めた。
今のせつなは、夢の中にいるわけではない。ここは現実なのだ。小さいけれど、確かな実体を持ったペンダントを握り締める。
四つ葉の一葉となった、小さな小さなペンダント。その一枚きりの葉っぱは、この先のせつなの運命を暗示しているかのように感じられた。
コンコンと、ラブの部屋が控えめにノックされる。
部屋の主は留守だった。タルトがジャンプしてドアノブを回す。
廊下で待っていたのはせつなだった。タルトしか居ないのを確認した上で、ラブの部屋に入る。
「パッションはん。ピーチはんと料理しとったんやなかったんか? シフォンもリビングにおったし、ここはわいだけやで」
「わかってる。タルトとお話がしたかったの。今、いいかしら?」
「なんや、珍しいこともあるもんやなぁ。まっ、遠慮せんとくつろいでや!」
自分の部屋のように言うタルトの様子に、思わずクスッと笑みがこぼれる。リラックスして、話が切り出しやすくなった。
「あなたに聞きたいことがあったの。タルトは、このままずっとここで暮らすつもりなの?」
「まさか、そんなわけあるかいな。わいはスウィーツ王国の王子なんやで。それに、ここはそもそも妖精の住む世界やないからな」
タルトはダンス大会を見届けたら、シフォンを連れてスウィーツ王国に帰るつもりだと言う。
帰る日を延ばしているのは、自分もラブたちの夢の行方を見届けたいから。そして、大会前に帰ることで、みんなの心を乱したくないからだった。
「まあ、隠してるわけやないんや。けど、湿っぽいのは苦手やし、シフォンを泣かせとうはないやろ。せやから、このことは内緒やで」
「それって、つまり……隠してるってことになるんじゃない?」
「聞かれたら答えるんやから、隠してるんと違うでぇ。あ、そや。リンクルンとクローバーボックス、持って帰るように長老から言われてるんや。せやから、変身するなら今の内やで」
「そう。ラブたちは、普通の女の子に戻るのね……」
「パッションはんもおんなじやんか。もう、プリキュアに変身できんようになるんやで?」
「私は、イースになれるもの。普通の女の子とは言えないわ」
タルトが言うには、リンクルンを回収するのは、それがプリキュアの掟の一つだかららしい。
プリキュアであることを、他人に明かさないこと。平和な世界に、プリキュアの力を残さないこと。
タルトは理由までは判っていないようだったが、これらはきっと、プリキュアとなった少女たちの日常を守るための決まりなのだろう。
人を超える力を持つことは、人を超える義務と責任を負うことでもある。プリキュアの力を残したままで、ラブたちがダンサーやモデルや獣医になれるとは思えなかった。
「なるほど。わいは長老に指示されただけやけど、そうかもしれへんな。現にわいの正体がバレそうになって、大騒ぎになったこともあったしな」
異世界の住人であるタルトが、このまま四つ葉町に留まるのは、お互いにとって決して良いことではない。
どんなに隠したところで、いつかは誰かの目に留まる。この世界に妖精はいない。四つ葉町に限らず、この世界は人間が暮らす世界なのだ。
まして超能力を持つシフォンは、どれほど奇異の目を向けられることだろう。多感な幼児であるシフォンにとって、教育のためにも良いはずがなかった。
自分はどうなのだろう? とせつなは考える。せつなは既に桃園家の家族だ。いなくなれば、間違いなくあゆみたちは悲しむだろう。
せつなが留まることは、家族の幸せになる。それはメリットと考えてもいい。でも……。
『日常が戻る』
本当の意味で、四つ葉町は本来の姿を取り戻す。ラビリンスの襲撃を受ける前の、平凡だけど、あたたかくて穏やかな日々が戻ってくる。
そんな中で、イースの力を宿したせつなが残ることは、どういう意味を持つのか。
何か、大きな危険が迫った時の備えにはなるだろう。それは逆に言えば、この街を、桃園家を、危険に巻き込むことを意味していた。
それに、せつながこの世界に留まれば、ラビリンスや他のパラレルとのパイプも、完全には切れないだろう。
メビウスが滅んだとはいえ、未だに高い文明を誇るラビリンスや、独自の超能力で、個人単位の異世界間移動すら可能とするスウィーツ王国。
そんな特殊な国々に比べて、未発達であるがゆえに平和でもある四つ葉町。この世界を、そっと静かにしておくためには……。
「私も、居ない方がいいのかもしれない」
離れていても、心は繋がっている。私たちは、いつだって四人。
そんな言葉を、心の中でそっとつぶやく。
チクリと胸が痛む。別れは絆を断つことではない。ただ、会いたい人に、会えなくなってしまうだけ。
この街の人たちと、一緒に幸せになると誓った。だけど、それはこの街の人たちと、一緒にいることが幸せだという意味ではないはずだ。
(ラビリンスに戻ろう。ダンス大会が終わったら、結果がどうなろうとも……)
せつなはタルトにだけ決意を伝えて、そのまま自分の部屋に戻った。
そこから先の、その日の出来事は何も記憶に残らなかった。料理の味も、自分がどんな表情をしていたのかすらも……。
そして、ついにダンス大会の日が訪れた。
最終更新:2013年02月17日 09:46