アットウィキロゴ

赤い翼の輪舞曲 第6話――ようこそ、加音町へ!――




「私は、この世界に――あなたたちに――助けを求めに来たの」

 まるで、相手の反応を目にするのを恐れるかのように、せつなの長い睫毛が伏せられる。
 震える声で、搾り出すように、ゆっくりと言葉が紡がれる。

 四つ葉町という街で、プリキュアの一人として、管理国家ラビリンスと戦ってきたこと。
 自分はかつて、そのラビリンスの尖兵であったこと。
 メビウスとの決戦の後、四つ葉町を離れる決意をしたこと。
 最後の思い出として、ケジメとして、ダンス大会の決勝に臨んだこと。
 突如出現した謎の怪物フュージョン。ソレは、せつなの妖精が持つ能力を狙っていたこと。
 応戦したもののまるで敵わず、囚われの身となった自分にできたことは、脅威を仲間と四つ葉町から遠ざけることだけだったと。

「それでフュージョンは、瞬間移動の力を奪って、何をするつもりだったのかな?」
「逃げ出すのに便利だから、とか?」
「その逆よ。誰も逃がさないため、全ての世界の人間を吸収するためよ」

 せつなは、何一つ包み隠さずに話す。とても丁寧で、ゆっくりとした説明だった。心を内に秘めるタイプのせつなが、心情を他人に吐露することは珍しい。
 しかし、面識の浅い彼女たちに、そんなことはわかるはずもなく……。しびれを切らせて、響と奏が一番気にかかっていることを質問する。
 せつなは、両手の拳をギュッと握り締めて、最悪の回答を口にした。
 これは戦闘の駆け引きで、イースが直接フュージョンから聞き出したこと。最悪だけど、これ以上ない確かな情報だった。

「でも、あなたの妖精は吸収されちゃったんでしょ? だったら、もうその力を手に入れてしまったってことじゃ?」
「ええっ!? あんな化け物が……神出鬼没になっちゃったの?」
「それはないわ。アカルンは私と一緒でなければ力を使えないみたいなの。私が一緒に吸収されない限りは大丈夫よ」

 ズバリと危惧を口にするアコに、エレンが顔色を変える。そんな二人に、せつなは今度こそ力強く、否定の言葉を返すことができた。それを確認できたことが、先ほどの戦いにおける唯一の収穫だったと言えるだろう。
 瞬間移動は、味方が持てばこの上なく便利なスキルだが、敵が持てば最悪の“超”能力となる。倒すどころか、対峙すら困難となるのだ。
 アカルンもそれを恐れて、なんとかパッションだけでも逃がしたのだろう。

「それで、あなたは『フュージョンを倒せる力』を求めて、この世界にやって来たってわけね」

 アコの問いかけにせつなが頷く。これでやっと、せつなが最初に口にした言葉の意味を、その想いを、全員が理解した。






『赤い翼の輪舞曲――ようこそ、加音町へ!――』






「フュージョンは、また私の前に姿を現すわ。勝手なのは分かってる。でも、どうかその時に、あなたたちの力を貸して欲しいの」

 せつなは立ち上がり、四人に向かって深々と頭を下げる。

「うん、大体のことはわかった。安心して! せつなは必ず、わたしたちが守ってみせる!」
「待ってよ、響。そんなにあっさりと、安請け合いしちゃっていいの?」
「だって、せつなが可哀想じゃん!」
「そんなこと言ってるんじゃないの! 現に、私たちだって敵わなかった相手なのよ?」

「つまり、対抗手段が必要ってことよね。わかった。私、メイジャーランドに行って来る!」
「エレン、ヒーリングチェストを取ってくるのね?」
「じゃあ、ハミィも一緒に行くニャ!」

 ギャアギャアと喧嘩になりつつある響と奏を無視して、エレンが立ち上がる。アコも同じことを考えていたらしく、すぐに頷いた。
 エレンを見上げて、せつなが問いかける。

「それがあれば、なんとかなりそうなの?」
「絶対、とは言えないけど、クレッシェンドトーンの力があれば、きっと……」
「普段は響が保管してるんだけど、この前、おじいちゃんがメイジャーランドに持って行っちゃったの」

 ヒーリングチェストとは、せつなたちにとっての、クローバーボックスに該当するアイテムらしい。つまり、プリキュアの切り札だ。
 もっとも、それにまつわる伝承は尋常なものではなかった。
 ヒーリングチェストには、『この世界の全ての音を生み出した』とされる、“クレッシェンドトーン”と呼ばれる高位の精霊が宿っているのだとか。
 アコの祖父であり、元はメイジャーランドの国王でもある調辺音吉は、ノイズとの決戦で荒れ果てた国土を修復するため、クレッシェンドトーンを伴って里帰りしているとのことだった。

「お願いね、エレン、ハミィ。できれば、おじいちゃんも連れてきて」
「わかってる。すぐに戻ってくるわ」
「まかせるニャ!」

 話が一段落したこともあって、部屋の中を奇妙な静寂が満たす。
 まだ誰も口を付けられずにいるカップケーキを、ピーちゃんがガツガツと齧る音だけが響く。
 ハミィは、それを羨ましそうに眺めてため息を付いた。エレンがそんなハミィをたしなめるように見つめてから、ドアへと向かおうとする。が、小刻みに震えるせつなを見て、足を止めた。

「どうして? どうして誰も私を責めないの? 私は自分の愛した街を守るために、この世界に災いを持ち込んだのよ!」

 せつなが、いらだったような、怒っているような、泣いているような声で問いかける。

「誰も――怒るわけないじゃない。せつなは一生懸命戦ったんでしょ? だったら、困った時はお互い様だよ」
「そうよね。せつなまで吸収されてたら、いつかは私たちの世界も襲われるはずだし」
「奏っ! 言い方が冷たいよ!」
「失礼ねっ! 私は、『手遅れになる前に力になれて良かった』って言ってるの!」

「二人ともそのくらいにしてっ! せつなが困ってるじゃない」
「人を責めるなんてことは、わたしにもできない。パパが、この世界にしてきたことを考えるとね」
「それを言うなら、私なんて……。私たちって、もしかしたら似た者同士なのかもしれないわね」

 アコの父親、つまり現在のメイジャーランド国王メフィストも、この世界に酷いことをしてきたらしい。当時、その手下であったエレンたちを使って。
「だから、大丈夫よ」と言ってアコが笑う。これまで、せつなに厳しい視線と言葉を投げかけてきた少女が初めて見せる、信頼と歓迎の証だった。

「みんな、ごめんなさい。そして、ありがとう。私も力の限り戦うわ」
「うん、ここで決めなきゃ女が廃る!」
「気合のレシピ、見せてあげるわ!」

「えっ?」
「今のは、気にしなくていいわ」
「あ、ああ、私の心の――えっと……」

「ああ~、もうっ! ヒドイよ、アコ。エレンも、途中でやめない!」
「そうよ! 私たちばっかり恥ずかしいじゃない」

 響と奏が口を揃えて文句を言う。この二人は息が合ってるのか、まるで意見が合わないのか、どうにもよくわからない。
「だったら、そんなの言わなければいいじゃない」と、アコはツンと突っぱねる。エレンは、「なんか、タイミングを逃しちゃて……」と逆に悔しがっていた。
 何か決め台詞を言おうとして、流れに乗りそこなったらしい。

「オホン! まあ、ともかく――」

『ようこそ、加音町へ! せつな、一緒に頑張ろう!』

 響と奏とエレン、そして、小さな声でだが、アコも一緒に口を揃えて手を差し出した。

「ありがとう。私も、精一杯がんばるわ!」

 せつなは、思わず涙ぐみそうになって、懸命に堪えた。
 仲間と口ぐせを言い合える、そんな“幸せ”を噛み締める。不思議と力が湧いてくるような気がした。
 真っ直ぐに手を伸ばして、四人の掌に重ね合わせる。そして、この世界に来て初めての、心からの笑みを浮かべた。






「到着~! ここがわたしの家なんだ」
「ここって……。この建物の全部が響の家なの?」

 夕闇が迫る加音町の住宅街。小分けされた区画に、規則正しく住宅が立ち並ぶ。
 響の父親にして大音楽家、北条団の自宅だけを例外として。
 大きい――それは、まるで占い館を思わせるほどの、巨大な洋館だった。
 広場ほどもある庭。豊かに生い茂った庭木。自然石やレンガをふんだんに用いた、強固な造りの西洋風のお屋敷。
 桃園家のような、壁を薄く少なくして風通しを良くする、和風の家屋とは正反対の発想で作られた建築物。
 もっとも、これだけ大きければ、風通しに配慮する必要なんて無いに違いなかった。

「そうだよ。ここでパパと二人で住んでるんだ。あっ、もちろん、ハミィや、ピーちゃんや、フェアリートーンも一緒だよ」
「……本当に、こんなお屋敷に入れてもらっていいのかしら」

「もっちろん! 部屋はたくさん余ってるから、好きなのを選んでいいよ」

 そういう意味じゃないんだけど、とせつなは嘆息する。確かに部屋は余っていそうだ。二階だけでも二桁はあるかもしれない。とても、二人で暮らすような規模じゃない。
 演奏用の機材の保管や、騒音等の問題で、家や敷地は広い方が都合がいいのだろうが、それにしても限度というものがある。
 少なくとも、四つ葉町でこんな住宅は見たことがなかった。やはり、色々と違う世界なのだと実感する。

「やっぱり、気が進まない? 本当は調べの館がいいんだろうけど、今は音吉さんもエレンも出払ってるからさ」

 当面のせつなの住居として、最初に候補に挙がったのが調べの館だった。ノイズと呼ばれる強敵との決戦に備えて作られた拠点でもあり、強度や侵入者対策も申し分ない。
 もっとも、管理人である音吉の留守中に勝手に上がり込むわけにもいかない。まして、そこの住人であるエレンも加音町から離れているのだから、尚更だった。
 そこで、音吉とエレンが戻るまでの間、せつなは響の家で世話になることになったのだ。

「ううん、ちょっとびっくりしただけよ。それで、私の部屋なんだけど……」

「うん! 何か、希望ある?」
「一階の部屋がいいわ。できるだけ、響や、響のお父様から離れた場所がいい」

 フュージョンの狙いが、せつな個人であることは間違いない。万一にも、屋敷に居る時に襲われでもしたら、と警戒しての発言だった。

「う~ん……よし、決めた! 今日はもう遅いし、わたしの部屋で一緒に寝ようよ。二階の部屋の窓から眺める景色は最高だよ」
「ちょっと! 私の話を聞いてるの!? 私は――」

「いいからいいから。行こっ!」

 響に、強引に手を引かれて扉をくぐり、屋敷の中へと入る。
 玄関を潜ったとたんに、大音量のクラッシックの演奏が聴こえてきた。

「パパ! ねえ、パパったら!」

 響がせつなを連れて、ズカズカと音の出所に向かって歩いていく。
 一階のホールには、ステレオから鳴り響く曲に合わせて、一心にタクトを振る男性がいた。
 ブラウンの髪に、真っ白なタキシード。日本人離れした格好が似合う、若々しくて、美しいとすら思える人。
 何度話しかけても返事は無く、響は「はぁ~」とため息を一つ吐いてから、曲が終わるのを待つことにした。
 やがて一曲終えると、響がすかさず大声で話しかける。

「もう! パパったら。携帯に送ったメール、ちゃんと読んでくれた? この子がせつな。わたしの新しい友達なんだ」
「東せつなです」

「やあ! 話は聞いてるよ、せつな君。響のことをよろしくね。自分の家だと思って、ゆっくりしていくといい」

「あっ、ありがとうございます」
「じゃあ、わたしたちは部屋に居るから。それと、今夜の食事当番はパパだからね!」
「わかってるよ、任せておきたまえ」

 せつなは、もっとちゃんと自己紹介をしたいと思った。とは言え、本当のことを話せるわけでもない。
 それに、響の父親は独特のリズムを持っていて、響との会話も息が合っていて、なかなか二人の会話に割り込めなかった。
 だから、最後に一つ、大きくお辞儀をして、響の部屋へと向かった。

「どうぞ、上がって上がって!」
「ええ。ここは――普通なのね?」

「あはは、それってなんか、他が普通じゃないみたいだね……」

 青い絨毯。緑色の壁。そして、女の子らしいピンク色のベッドとラグカーペット。
 意外にこじんまりとした部屋で、四つ葉町のせつなの部屋と比較しても大差なかった。
 家具が少ないのは、家にスペースが余っていて、無理に全てを部屋に入れる必要がないからだろう。
 それにしても、他に大きな部屋がいくらでもあるのに、どうしてわざわざ小さな部屋を選んだのか? 
 それも、せつなにはわかるような気がした。
 占い館に居た時の自分がそうだったから。大きくて広い空間は、より孤独を際立てるのだ。

 部屋の中を見渡していると、机の上のパソコンのランプが点灯していることに気が付いた。

「あれは、何かしら?」
「あっ、ママからだ! このパソコンを使って、外国に居るママとお話できるの」

 響がパソコンを操作する。画面に浮かび上がる、“Yukype”(ユカイプ)の文字。
 ほどなくして、響によく似た、凛とした雰囲気の美女が画面に映し出される。響は、嬉しそうに画面に向かって話しかけた。

「ママっ! ちょうど良かった、紹介したい人がいるんだ。わたしの友達で、せつなっていうの」
「あら、そう。はじめまして、響の母の北条まりあです。よろしくね、せつなちゃん」
「えっ? ええっ!?」

「ママからも、こっちの様子が見えてるんだよ」
「はっ、はじめまして、東せつなです!」

 二人きりだと思っていたのに、いきなり母親を紹介されて、せつなは戸惑ってしまう。
 ラビリンスに生まれ育ったせつなにとって、テレビ電話くらいは当たり前のもの。本国では通信回線を使って、アイテムの転送まで可能としているくらいだ。
 しかし、四つ葉町に近い文明の世界だと思っていただけに、すっかり不意を付かれてしまったのだった。

「それじゃ、おやすみなさい。響、せつなちゃん」
「おやすみ、ママ」
「おやすみなさい」

 まだ夕方になったばかりなのだが、時差があって、向こうの国では今は深夜らしい。
 響は実にあっさりと、短い時間で通話を終えた。

「お母様もいらしたのね」
「そっか、言ってなかったね。ママは有名なヴァイオリニストなの。だから、ほとんどこっちには居ないんだ」

「それでも、ちゃんと連絡を取り合ってるのね」
「そりゃあそうだよ! 家族なんだもん」

 家族なんだから、連絡を取り合うのは当たり前。そう言い切る響の言葉に、せつなはチクリと胸に痛みを覚える。
 自分はラビリンスに戻ったら、もう連絡は取らないつもりでいたのだから。
 せつなは、部屋の隅に膝を抱えて座り込む。思い悩んだ時のクセだった。
 響もせつなの隣りに、同じようにして座る。そして少しためらってから、せつなに語りかけた。

「ねえ、せつな。フュージョンの目的は、全ての人間を吸収することなんだよね。どうしてそんなことをするのかな?」
「……私にも、詳しいことはわからないわ。けど、吸収されかかった時、奴の心の一部が流れ込んできたの」

 それは、完全なる“個”の否定だった。
 我は、人を超えるために生み出された存在。不完全な人間を、完全な生命体に導くための先導者。
 人は、他人と違うからこそ衝突し、いがみ合い、争い合う。他人と比較することで、優越を感じて見下し、劣等を感じて羨みもする。
 新たなる個の誕生でそれまでの調和が乱れ、存在していた個の消滅で、再び構築した調和も崩れ去る。
 個が存在する限り、恒久的な幸せなど訪れない。個を統合させることによってのみ、人は真の安息を得られるのだと。

「そっか、まるっきり悪ってわけでもないんだね。でも、そんなの間違ってるよ!」
「同感だけど、どうして響はそう思うの?」

「わたしね、ついこの間まで、奏と喧嘩ばかりしてたんだ。気が合わなくて、顔を合わせるたびに憎まれ口を叩いてさ」
「でも、響は奏のこと、好きなんでしょ?」

「うん。でも、そんなことすらわからなくなってた。わたしと奏は“違う”から、互いに理解できない部分を否定しあって……。せつなは、仲の良い友達と喧嘩したことないの?」
「もちろんあるわ。殴り合いをしたことだってあるわよ」

「あはは、それは過激だね。でも、わたしは思うんだ。喧嘩って、お互いが寄り添うために、合わない部分をぶつけて形を整えていく作業なんじゃないかって」
「お互いが寄り添うために、必要だってこと?」

「うん。“違う”部分はなくならないよ。でも、そうして、お互いの違いを知って受け入れることができたら、それまでより、ずっと親しくなれると思うんだ」
「人はみんな、違うから親しくなれるってことね」

「そうだよ。わたしは自分よりも奏が好き。奏も自分よりわたしが好きだと思う。違う部分を伝え合って、理解しあって、人を好きになるってそういうことでしょ?」
「そうね。みんながそう思えたら素敵ね」

「うん! だから、メビウスだとか、フュージョンだとか、人の個性を否定するようなやり方は間違ってると思う」
「メビウスは個の能力を重んじていたけど、個としての考え方や生き方は否定していたわ。そういう意味ではフュージョンと同じね」

 でも――と、せつなは思う。個としての環境や意識の違いが、他人を不幸にすることはあるんじゃないかって。
 その極端な例が、メビウスであり、フュージョンなのだろう。彼らとて、元は一つの“個”が導いた結論に基づいて行動しているに過ぎない。
 四つ葉町は、ラビリンスに侵攻される前が一番平和で、幸せであったはずだ。加音町だって、自分がフュージョンを連れて来なければ、このような不幸に見舞われることもなかったろう。

「確かに、響と奏のように理解しあえたら、“違い”は幸せに変わるかもしれない。でも、どうしても理解しあえないほどの“違い”は、不幸を呼ぶんじゃないかしら」

 だったら、そんな出会いは無い方がいい。自分が、四つ葉町とラビリンスとの繋がりを断とうとしたように。

「わたしは、そうは思わないな」

 響が、せつなの目を見てキッパリと言い切る。それは、強い意志を伴った否定だった。

「出会いに間違いなんてないよ。結んじゃいけない絆なんてあるわけない。わたしは、そんなもの絶対に認めないから!」
「それは、響が恵まれた環境に生まれて、ここまで何もかも上手くことが運んできたから、言えることなんじゃないの。そんな人にはわからないことだって、あるわ!」

“一触即発”といった様子で、二人は睨み合う。互いの表情に隠せない怒りを宿して――
 そんな緊迫した空気を、パタパタと頼りない羽音が遮った。

「あっ、ピーちゃん! お帰り、どこ行ってたの? 遅いよ~」
「ピィィー!」

 開けっ放しの窓から侵入した小鳥が、響とせつなの顔を見比べて小さく鳴く。
 その愛嬌のある顔が可笑しくて、二人は顔を見合わせてプッっと吹き出した。

「今のも、寄り添うために必要な作業ってことなのかしら?」
「そうそう、喧嘩するほど仲がいいってね。理解しあって、絆を深め合うんだよ」

 二人の張り詰めた気持ちが緩んで、喧嘩するのが馬鹿馬鹿しくなる。せつなは、それよりもこの不思議な生き物に興味が沸いた。

「この子、ノイズって化け物の幼生体なんでしょ?」
「うん。ピーちゃんはね、自分の声や容姿を醜いと思ってるの。だから、この世界の全てを憎んでいたんだ」

 だけど――と、響は愛しそうな表情で小鳥を撫でる。自分はピーちゃんと出会えて良かった。
 ノイズと戦ったことも含めて、その全てに感謝しているって。

「ねえ、せつな。音がみんな違うように、人はみんな違うんだよ。全ての世界は、人と人との繋がりで奏でる組曲なの」
「だけど、調和しない音が混じれば、雑音になることもあるんでしょ? その子が、ノイズと呼ばれていたように」

「そうだね、音は違う音と出会って音楽になる。時には音が合わなくて、雑音になることもある。だけど、そこから生まれる音楽だってあるの。それをせつなに、見せてあげる!」
「なんでも音楽に例えるのね。いいわ、私もぜひ見てみたい!」

 再び、響とせつなの意見が分かれて対立する。でも、それは喧嘩って雰囲気ではなかった。
 響の瞳には自信が、せつなの瞳には、期待が篭っていたのだから。
 二人と一匹は、部屋を出て一階へと向かった。






 やって来たのは、響が毎晩ピアノの練習をしている音楽室だった。
 音響設備と防音設備の整った私設スタジオで、高価そうな楽器がいくつも用意されている。
 響は、その中のグランドピアノの前に腰をかけた。
 重厚感の漂う、黒の艶消し塗装を施された大きな楽器。素人のせつなから見ても、相当な逸品であることが伝わってくる。

「まずは、一人で弾いてみるね」
「えっ? ……ええ」

 一人で、という言葉の意味がわからなかったが、とりあえずせつなは頷いた。
 ここで演奏できる人物なんて、元より響しかいないはずなのだ。

 響の指が、軽やかに鍵盤を弾く。
 発する音は力強く、立ち上がりは鋭く、響きは繊細にして、メロディは柔らかに。
 オクターブの調整と和音の組み合わせは、音階という物理を超えた、無限の表現力を発揮する。
 音は弦から生まれ響板から響いているはずなのに、まるでピアノ全体が音を発しているような気がしてくる。
 大きなスタジオの隅々にまで旋律は響き渡り、聴く者を魂ごと魅了する。

 興奮とも、感動とも、表現の付かない衝動にせつなの心は揺さぶられる。
 ラビリンスには、ダンスも音楽も存在しなかった。だから、せつなはその両方を四つ葉町で知った。
 ダンスと、その“バック・グラウンド・ミュージック”として。
 本当に、何もわかってなかったと思う。ダンスなんて無くたって、音楽はそれだけで、ここまで人を幸せにすることができるんだって。

「不思議だよね。ピアノの鍵盤の数はたった八十八鍵なのに、それらが出会うことによって、無限の音楽を奏でるんだよ」
「無限の音楽……無限の幸せ」

「じゃあ、次はピーちゃん、いってみようか!」
「ピィィー!」

「えっ? ええっ!? ちょっと!」

 小鳥がパタパタと羽ばたいて、鍵盤の上に降り立つ。ボーンと耳障りな音が響く。さっきまで、あれほど神々しい音を響かせていたのが嘘のようだった。
 小鳥はそのまま、黒光りのする尖った鉤爪で、前後左右、好き勝手に鍵盤を踏みつけていく。
 このピアノが、どれほどの腕のある職人が生み出した名器なのか。どんなピアニストの手に渡って、どんな調律師に整えられて、どれほどの素晴らしい音楽を奏でてきたのか。
 そんな歴史ごと、小鳥はいとも簡単に、文字通り踏みつけにする。子供の遊びにも劣る、暴力的な音の乱打で。

 せつなは、思わず不快感で眉をしかめる。
 しかし、響は楽しそうに聴いていた。小鳥の鳴らす雑音に耳を澄ませて、リズムを取って身体を揺らす。

「じゃあ、セッション行くよ!」

 響の指が鍵盤に触れる。なんと、小鳥の踏みつけた音に合わせて、響がメロディを追加していくのだ。
 時に小鳥の動きを予測して、時に小鳥の音に繋げて、音域に幅を持たせ、リズムに意味を与えて、雑音を素敵な音楽に書き換えていく。
 そう、“音”に良い音も悪い音もありはしない。雑音は、音に繋がりが無いだけのもの。ならば繋げてやればいい。
 やがて、その音に変化があらわれる。小鳥に響が合わせていたはずなのに、小鳥が響の音に影響を受ける。
 響の奏でるリズムに乗って、小鳥が踊る。それは、まるでダンスのようにも見えて――
 二つの異なるリズムは重なり、一つの美しい旋律を導き出す。
 追随、誘導、連結、そして生まれるハーモニー。二組の奏者の連弾は、他楽器の二重奏のような音の広がりを見せる。
 やがて曲は激しさを増してゆき、小鳥が疲れたのか、満足したのか、最後は静かなメロディで幕を閉じた。

「どうだった?」
「凄い……。ピーちゃんの音までもが、素敵な音楽の一部になっていたわ」

 あくまで即興だから、響が一人で弾いた曲ほどの完成度はない。
 だけど、セッション・アンサンブルで生まれた音楽には、独奏にはない、心躍る響きが込められていた。

「そう! 音は出会い、人は繋がり、そこから音楽は生まれるの。次はせつなとやってみようか?」
「えっ? わっ、私には無理よ、やったことないもの」

 そう言ってから、すぐに二人は吹き出す。経験なんて無くても、上手な演奏なんてできなくても、音楽を楽しむことはできる。
 たった今、ピーちゃんがやって見せたように。
 響が誘導し、せつなが合わせる。あるいはその逆で。やがて、聴いているだけでは我慢できなくなったのか、ピーちゃんも参加した。
 二人と一匹の奏でる即興連弾は、時間の過ぎるのも忘れて、楽しそうに続けられた。

「おーい! 響~、せつなちゃん、夕ご飯の支度ができたぞ~」

 そんな、団の呼び声すら聞こえないほどに。

「ほう! “wunderbar”これぞ、音楽だね」

 今度は団が、二人の演奏が終わるのを待つことになった。






「いっただきま~す!」
「いっ、イタダキマス……」

 まさか、大音楽家である団に出鱈目な演奏を聞かれているとは思わなかった。せつなはそれに気付いて、真っ赤になってうろたえる。
 その足で食堂に向かった一行を待っていたのは――せつなの顔よりも赤い、毒々しい海鮮鍋だった。

 蛤、大蛸、真鯛、伊勢海老、椎茸といくつかの葉物野菜。食材は最高のものに違いないだろうが――

「全部、丸ごとね。包丁が、一つも入ってないわ……」
「うっわ、ホントだ。まあ、パパの手にかかれば、こんなもんだよね~」
「お褒めに預かり光栄だなぁ。夕ご飯は、パッショナートにいただこうじゃないか」

(誉めてないけど……)と思いながら、せつなはスープを口にする。
 こう見えて案外――

「美味しい?」

 と、恐る恐るせつなに尋ねる響に対して、

「美味し……」

 正直なせつなは、お世辞という名の真っ赤な嘘を最後まで口にできず、涙を浮かべて首を振る。
 その様子が可笑しくて、響と団は一斉に笑い出す。

「でも、とっても楽しい!」

 そう言って、せつなも嬉しそうに笑った。
 今度は、一片の嘘もお世辞も含まれていない、本心からの言葉だった。

 その後、お風呂に、なぜか響と一緒に入ることになって――
 借りたパジャマに着替えて、なぜか同じベッドで寝ることになった。

「ねえ、せつな、起きてる?」
「ええ、どうしたの?」

「やっぱり、わたしの言った通りだったでしょ?」
「出会いと、幸せのこと? 演奏は見事だったけど、例えは例えでしかないわ。まだ認めないわよ」

「認めさせてみせるよ。わたしはせつなと出会えたことだって、感謝してるんだから」
「そうなると、いいわね」

「えっ?」
「なんでもないわ。おやすみなさい」

 激動と争乱の一日は、夜という名の闇のカーテンに覆われて、ようやくその幕を閉じた。



最終更新:2013年02月17日 10:01