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赤い翼の輪舞曲 第10話――天翔ける黒き翼(前編)――




「昔っからいつもそう。仕事だ、演奏だ、って留守ばかりのクセに、間の悪い時に限って帰ってくるんだもん……」

 キュアメロディは、北条家の床に落ちていた真っ白いタクトを拾い上げる。
 今日の予定は聞いてなかった。仕事で外出していればいい。うんと遠い所に行っていればいい――そんな期待が、脆くも打ち砕かれる。
 まるで羽のように軽い、カーボングラファイトの本体。使い込まれて所々黒ずんだ、赤塗りコルクの持ち手。
 それが振られていた頃には、クラッシックが鳴り響いていたのだろう。ステレオスピーカーシステムには、LEDランプの小さな光が点灯していた。

「ありがとう、イース。ううん、せつな。ここはいいから、奏のところに行ってあげて」
「ごめんなさい、響。私が、この世界に来たばっかりに――」

「それ以上言ったら、絶交だよ」

 両手で抱きかかえるように指揮棒を手にしたメロディが、声を震わせてイースの言葉を遮った。
 ぐっと睨み付けるその大きな目に、見る見るうちに涙が盛り上がる。
 それを隠すように、メロディはイースに背を向けて、絨毯の上に崩れ落ちるように膝を付いた。
 力なく肩を落として小さく震えるその姿は、伝説の戦士なんかじゃなくて、十四歳の少女そのものだった。

「響……」
「お願い。少しだけ、一人にさせて」

「わかったわ。フュージョンはどこに潜んでいるかわからない。気をつけて」

 屋敷を出て行こうとするイースの耳に、メロディの――響の咆哮のような泣き声が突き刺さった。

 イースは北条家を飛び出して、通りをひた走る。もう、祈る気持ちはなくなっていた。
 街中のあらゆる場所から、生活の音が消え失せていたからだ。
 無人の歩道。道端に転がっている、ストリートミュージシャンのギターとマイク。
 青信号になっても、動き出す車は一台もない。街の名物のモノレールも、路面電車も空っぽで、まるで大きな空き箱のようにぽつねんと停車している。
 街頭テレビもまた、砂嵐を映し出したまま沈黙していた。

 やがて見えて来る、ピンク色の建物。街の人気のケーキ屋さん、ラッキースプーン。
 ほんの数時間前まで、大勢のお客さんが居たはずの店内も、今はガランと静まり返っている。イースは、二階にある部屋へと駆け上がった。
 奏の部屋の隣に、人の声と気配を感じる。今朝、お邪魔したばかりの奏太の部屋だった。
 そこで、キュアリズムが力なく座り込んで――声を押し殺して泣いていた。

「せつな?」
「響の家では、団おじさまが行方不明よ。ここも――同じみたいね」

「うん。お父さんも、お母さんも、奏太まで居ないの……。おかしいでしょ? どこに行っちゃったんだろう」

 そう言ってイースを振り仰いだリズムの顔は、あまりにも痛々しい笑顔だった。一瞬の後、その表情が苦しげにグニャリと歪む。

「私ね、優しいお姉ちゃんじゃなかった。いつもガミガミ口うるさくて、喧嘩ばかりしてた。どうしてだと思う?」
「私には――弟がいないからわからないわ」

「平気だと思ってたの。家族だから! 何があっても、絶対に、離れ離れにはならないって! だから! だから……何を言っても、大丈夫だって思ってた……」
「奏太君は、奏のことが大好きだったわ。私に家族のことを語る資格は無いけど、奏は間違ってないはずよ」

 リズムがフラフラと立ち上がる。そして思いつめた表情で、まるですがるように、イースの肩を掴んだ。

「ねえ、せつな。みんな、助かるのよね? この戦いに勝ったら、全部元通りになるよね? ね! お願い……答えてよ」
「ごめんなさい……」

「謝ってなんて……欲しくない!」

 リズムはそう叫んで、突き放すようにイースから離れると、そのまま背を向けて走り去った。
 人の居なくなった部屋で、イースは一人立ち尽くす。ふいにその目が、ラグカーペットの上の一点を見つめた。

「これは……」

 そこに転がっていたのは、太陽を擬人化したヒーローのお面とマント。そして、折れ曲がったプラスチックの剣。
 奏太が好きだった、太陽マンの変身セットだった。

 ヒーローに、なりたいと願っていた。お姉ちゃんたちの力に、なってやりたいと言っていた。
 それでも、せつなの気持ちを察して、「諦めるよ」って、笑ってくれた少年だった。

 イースの心に、じわりと喪失感が広がっていく。
 急展開の出来事で反応しきれなかった心が、ようやく現実を認めて、悲しみを受け入れていく。

「戦ったのね? 勝ち目なんてあるわけないのに。馬鹿ね……」

 ポタリ、ポタリ、とイースの瞳から透明なしずくが滴り落ちる。手にした太陽マンのお面の上に落ちて、そして零れていく。
 その様子は――まるで、太陽マンが泣いているかのようだった。

「怨んでいいわ、奏太君。あなたをこんな目に合わせたのは――私よ!」

 どうして、この世界に逃げてきたんだろう? 
 考える時間なんてなかったから? この世界には、フュージョンに対抗できる力があったから?
 そんなものは、自分を納得させるための言い訳に過ぎない。こうなる危険性はわかっていた。わかっていたから逃げてきたのだ。
 力尽きるまで、戦っても良かったはずだ。四つ葉町の世界の、別の場所で仕切り直しても良かったはずだ。ラビリンスの、デリートホールに飛び込んでも良かったはずだった。
 あの時――あの時自分は、何を思った?

(守りたい……。せめて、――だけでも!)

 そうだ。自分は、意識的にその選択肢を避けたんだ。
 こうなることを予期して、四つ葉町やラビリンスに危害が及ぶことを恐れて――この世界に、全てを押し付けたんだ。

(守りたかった……。せめて、私の大切な人たちだけでも!)

 ふと、今朝の奏との会話を思い出す。「大切じゃない人なんていない!」自分は奏に、確かにそう言った。
 だけど、それを一番わかっていないのは自分自身だった。響たちは、「全ての人の幸せを守るために戦っている」と、そう宣言していたのに。

 グシャリ、と右手に持ったプラスチックの剣が潰れる。
 イースの激しい感情が体内電流を発生させ、銀色の髪がパチパチと逆立つ。
 ギリッと奥歯を鳴らす。氷の彫像を思わせる美貌は醜く崩れ、真紅の瞳は怒りを宿して燃え上がる。

 こうしていても、飲み込まれ、吸収されていく、人々の恐怖の叫びが聴こえるようだった。
 脳裏に甦る、ラビリンスのイースとしての戦いの記憶。罪なき人々に、嘆きと悲しみを、ただ与え続けた日々。

(来るんじゃなかった。やっぱり、この世界に関わるんじゃなかった)

 変わらない――何時だって、自分にできるのは不幸を振りまくことだけ。

(プリキュアになっても、メビウスを倒しても、結局何も変わらない。繰り返す。私は――何度でも同じことを繰り返す!)

 胸が痛い。心が軋みを上げる。今日までイースを苦しめてきた想い。
 それは悲しさ。それは後悔。それは怒り。
 それらが一つに結びつき、全身を焦がす激しい感情となる。

 それは――憎悪。

 フュージョンが憎かった。
 それを呼び込んだ、自分自身が憎かった。
 優しくしてくれた人々を、不幸に追いやる自分の運命が憎かった。

 許せない!――絶対に――許さない!!

 私は、やっぱり、幸せになってはいけなかったのかもしれない。
 だけど――これが私の犯した罪だというのなら、どうして私だけを罰しない!!

 イースは、胸に輝くペンダントを見る。ラブとあゆみの想いのつまった、幸せの素が微かな光を放つ。

(ごめんなさい、ラブ、おかあさん。今の私に、これを身につける資格はないわ)

 イースは、ペンダントをそっと首から外す。そして、太陽マンのセットと一緒に、奏太の机の上にコトリと置いた。


“心を憎悪で塗りつぶせ!”


(フュージョンの狙いがアカルンの制御なら、そのために私を吸収したいのなら、アカルンが近寄れない、かつてのイースに戻ればいいこと!)


“スイッチ・オーバー”


 握った拳を、胸の中央で合わせて――開く!
 純白の衣が、体の中心のダイヤから、徐々に暗黒の色に染まっていく。
 心の中に、破壊衝動が沸き上がる。怒りは力となり、憎しみはエネルギーとなって全身を満たす。
 夜空のような闇を宿す漆黒の闘衣。鮮血を予感させる真紅の瞳。対峙する者に死を覚悟させる白銀の髪がなびく。

「滅びるがいい。これより先に、お前の世界は存在しない!」

 ユラリ、とイースの身体が揺らぎ、次の瞬間には姿を失う。部屋の空気圧が一気に下がり、窓ガラスが粉々に弾け飛ぶ。
 二階から飛び降りたイースは、そのまま疾風となって無人の街を駆ける。

 戦いの地へと――

 もう、イースにはどこからでも感じることができた。人気の無くなった街の中で、唯一つ濃厚な気を放つ場所。
 この世界における、始まりの場所。
 大きな時計塔とモニュメントが建つ、音楽広場に向かって――






『赤い翼の輪舞曲――天翔ける黒き翼(前編)――』






 まだ昼間だというのに、空を闇が覆っていく。生気を失った加音町に、更なる静寂が訪れる。
 陽の光は厚い雲に遮られ、風すらも吹き止み、全ての音は失われていく。
 その異常な光景は、まるで自然のエネルギーまでもが、フュージョンによって吸収されてしまったかのようだった。

「メロディ! さっき、ミューズから連絡があったの!」
「うん、わたしもビートから聞いたよ。急ごう――二人が危ない!」

 時計塔の広場に続く大通りで、メロディとリズムは合流する。この先に、フュージョンが現れたらしいのだ。
 既に二人は戦闘に突入している。ミューズはともかく、ビートは本調子ではない。フュージョンが強化されていなくても、苦戦は免れないだろう。

「それで、イースはどうしたの? リズムの家に行ったはずだけど」
「うん。私、イースに八つ当たりしちゃって……。気まずくなって、先に出てきちゃったの」

 それを聞いて、メロディの顔が青ざめる。まさかとは思うが、リズムがイースを責めたのかと思ったのだ。
 しかし、すぐに頭を振って、その考えを頭の外に追い出す。奏は感情的な性格だが、その分だけ情が深くて優しい子だ。
 奏の厳しい一面は、全て相手に対する思いやりから生まれている。そんな彼女が、一番苦しい思いをしているイースを傷付けるはずがなかった。

 広場まで、あと少し。さっきから感じられる激しい戦いの余波が、二人の焦りをいやが上にも掻き立てる。
 爆音は耳をつんざき、土煙は視界を覆い、振動が激しく体を突き上げる。
 メロディとリズムは、最後の数十メートルを一息に駆け抜け、同時に空高く跳躍した。


“プリキュア・スイート・ハーモニーキック!!”


 狙いを付ける必要なんてなかった。薄暗闇の空を、さらに塗り籠めたかのような鉛色の闇。とても生物とは思えない、圧倒的な巨体が視界を多い尽くしている。
 この化け物の前では、時計塔すら、おもちゃのように小さかった。

 二人の身体が、物理を超えた“理力”を纏う。メロディとリズムにしか放てない、必殺の蹴り技が炸裂する。
 前回の戦いでは、フュージョンに大きなダメージを与えた、打撃系で最強の技。

 フュージョンの巨体が一瞬だけ揺らぎ、バランスを崩してたたらを踏む。
 しかし――それだけだった。

「そんなっ! 今のが……」
「牽制にしかならないなんて!」

 遥か上空で、赤い目が不気味に光る。ジェット機の墜落を思わせるような轟音を響かせて、巨大な拳が地上に迫る。

「リズム、行くよ!」
「わかってる!」

 普通に逃げていては間に合わない。咄嗟にそう判断したメロディとリズムは、その場で垂直に跳び上がる。
 空中で身体を捻って、互いの足の裏を蹴って左右に跳躍した。
 そのまま、前回り受身で着地に成功する。
 最短の動きで回避に成功した二人は、すぐさま仲間たちの元に駆け寄った。

「ビート! ミューズ! 大丈夫?」
「来るのが遅くなってごめんなさい」

「平気よ。ちょっと足が痛むだけで、攻撃を受けたわけじゃないわ」
「わたしも大丈夫。でも、もう何をしても通じないの」

 キュアビートとキュアミューズは、それぞれ防御と補助の技を得意とする。その相性の良さもあったのだろう。
 しかし、決め手が無い。二人は既に、それぞれの最大の攻撃技を放っていた。
 ビートの“ハートフル・ビートロック”は、敵の巨体を囲むことすらできずに不発に終わった。
 ミューズの“スパークリング・シャワー”もまた、子供のシャボン玉遊びのように、敵に傷一つ付けられず儚く弾けるのみだった。

「そっか。フュージョンには、一度見せた技は通じないんだったよね」
「だったら、今度はわたしたちがやるよ!」

 メロディの宣言に、リズムが力強く頷く。“スイートセッション・アンサンブル”が使えない以上、残された中で最強の技を試すしかない。
 まだ一度も見せていない技であり、メロディとリズムの絆があって初めて可能となる切り札でもある。
 そう――これが、本当に最後の希望だった。


“交換すれば、もっと強くなれる!!”


 メロディがミラクルベルティエを、リズムがファンタスティックベルティエを、それぞれ高く掲げて交差させる。
 セパレートしたベルティエを両手に持って、ダンスのように舞い踊る。

「「二つのトーンを一つの力に!!」」

 真っ直ぐ突き出された二人の右手から、それぞれのベルティエが光の尾を引いて、同時に相手の手の中に収まる。

「奏でましょう、奇跡のメロディ! ミラクルベルティエ、クロスロッド!!」

 右手のファンタスティックベルティエと、左手のミラクルベルティエ。メロディは、大きく広げた両手を閉じるように、胸の前で合体させる。

「刻みましょう、大いなるリズム! ファンタスティックベルティエ、クロスロッド!!」

 右手のミラクルベルティエと、左手のファンタスティックベルティエ。リズムの手の中で、二つが合わさりカチリと回転する。
 ミラクルとファンタジーの融合。そして生まれ出でる、強大無比なエネルギー!

「「かけめぐれ! トーンのリング!!」」

 メロディの右手とリズムの左手。掲げられた二つのベルティエから、まるで新体操のリボンのように、クルクルとリングが踊り出す。
 繋がれる二人の手から生まれる、金色に輝く友情の光。それは見る間に、始まりのト音記号へと姿を変える。
 二人の周りに集まる五つのリングは、五色のエネルギーとなって解き放たれる。


“プリキュア・ミュージックロンド・スーパーカルテット!!”


 これがメロディとリズムの、二人の友情が生み出す究極の奇跡。
“パッショナート・ハーモニー”と、“ミラクルハート・アルペジオ”と、“ファンタスティック・ピアチェーレ”の、三つの技の力を併せ持つ複合技だった。

 巨大な光のエネルギーが、フュージョンに炸裂する。
 その輝きは留まるところを知らず、更に大きく、大きく膨らんでいく。

「せーの! フィナーレ!!」

 決めポーズと共に、五色の光が大爆発を起こす。

「やった!」
「決まったの!?」

 ビートは、両手を握り締めて勝利を確信する。ミューズは身を乗り出しながらも、慎重に様子をうかがう。
 やがて眩い閃光が収まり、徐々に視力が戻ってくる。

 薄暗がりの中にあって、尚一層に暗い闇。
 高層ビルのような巨体から放たれる、絶望的な威圧感。
 フュージョンは、まるで何事もなかったかのように、静かにプリキュアを見下ろしていた。



最終更新:2013年02月17日 10:14