赤い翼の輪舞曲 第14話――響け! 幸せのスキャット!!――
「なんで……。どうして今頃になって、私に幸せのメロディを歌えだなんて言うの? そんなの、あんまりじゃない!」
広場から少し離れた路地を、ビートはフラフラと、あてもなく歩き続ける。
どれだけ歩こうが、どこへ向かおうが、そんなことはもうどうでも良かった。どうせ――逃げる場所などありはしないのだ。
もうじき、全てが終わる。自分が幸せのメロディを歌えないことで、世界が終わってしまうのだ。
「私は、幸せのメロディの歌姫に選ばれることが、自分の全てだって思ってた。自分の歌声が誇らしかった。ハミィに優しくできたのだって、溢れんばかりの幸せを、分けてあげられると思ったからよ」
幸せのメロディの歌姫に選ばれることは、歌の妖精ならば誰もが思い描く夢。これ以上ない最高の栄誉だった。
でも、最高の幸せを手にすることは、最悪の不幸を招き入れることでもあった。
幸せのメロディの歌姫に、ハミィが選ばれた瞬間、自分は全てを失った。
決してハミィに非があったわけではない。彼女の神々しいまでの歌の力が、情け容赦もなく、己の才能の限界を照らし出したのだ。
まるで足元から世界が崩れ、奈落の底に突き落されたような気分だった。
明るく幸せだった毎日は、暗く光の差さぬ不幸に取って変わる。歌姫の自信は絶望に変わり、ハミィへの愛情は、嫉妬から憎しみへと変化した。
「でも、ハミィはそんな私すら見捨てずに、愛し続けてくれた」
今なら――よくわかる。どうして、自分よりハミィが選ばれたのか。
単に、歌唱力が及ばなかっただけじゃない。妖精としての力が劣っていたわけでもない。
もし、ハミィが自分の立場だったらどうしたろう? 他の妖精に、歌姫の座を奪われてしまったら、何を思うだろう?
きっと、ハミィは心の底から、新しい歌姫を祝福するだろう。
自分に勝る歌声を心から楽しみ、惜しみない賞賛を贈るだろう。
ハミィは、誰も恨まない。誰も憎まない。常に笑顔を振りまいて、みんなの心を癒していく。
人を愛し、自然を愛し、世界を愛し、何よりも音楽を愛している。その優しい想いを、幸せのメロディに乗せて歌う、最高の歌姫なのだ。
「幸せのメロディの歌姫は、ハミィにこそ相応しい。不幸のどん底に落ちた、私だって救ってくれたんだもの。だから――だから私は!」
ハミィを――助けたいと思った。それが叶うなら、この身の全てを失ってもいいとすら思った。
そう念じた時、妖精の証である、首のネックレスが粉々に砕け散った。
あの時から、自分にとって一番大切なことは、幸せのメロディを歌うことじゃなくて、親友のハミィを守ることになったんだろう。
だからこそ、歌の妖精の身体と声を捨てて、歌姫の資格を手放すことと引き換えに、人間の身体とプリキュアの力を得たんだろう。
「なのに、今度は私に歌えと言うの? 歌より、戦いを選んだ私に……。もう、この身体では、以前の歌声は出せないというのに――」
普通の歌なら、いくらだって歌えるだろう。本来なら、歌を歌うのに資格なんて要るはずがないのだから。
だけど、人間の身体で、音符一つ操ることのできない声で、世界の運命を担うなんて――
できるわけが……なかった。
「こんな私を見たら、ハミィはどう思うだろう。今度こそ、愛想を付かせて嫌われるかな。それとも、またあの天然ボケの口調で励ましてくれるのかな。ハミィ……会いたいよ。ハミィ!!」
ついに、ビートは足を止めて膝を付く。もう――歩く気力も湧いてこなかった。
力なく地面を叩く手が震え、嗚咽がこみ上げる。
しばらくそうしてうずくまっていたビートは、ふと、誰かに呼ばれたような気がして、顔を上げた。
「嘘っ……」
思わず息を呑む。信じられない光景が――居るはずのない者の姿が、そこにあった。
「ハミィ? どうして、ここに? そんなこと、ありえない……」
ビートの目の前に転がっているのは、一体のネコの石像。
驚きや恐怖の表情を浮かべる石像が立ち並ぶ中で、唯一つ、微笑を浮かべて、見る者を癒すような表情の石像。
それはビートにとって、命よりも大切な存在。世界で一番の歌姫。石になってもなお、自分に笑いかけてくれる、最愛の友達のハミィだった。
「ねぇ、ハミィ。お願い、教えて! 私は――どうしたらいいの?」
ビートは、ハミィを抱き上げて問いかける。穏やかな笑みを浮かべるハミィの顔を、ポタリ、ポタリと零れ落ちる涙が濡らす。その時――
(泣かないでほしいニャ。セイレーンは、とっても頑張ってるニャ。な~んにも、悪くなんてないんだニャ)
「ハミィ……。ハミィなのね! 意識があるの? 私と話せるの?」
(歌は、一人で歌っても楽しいけど、ハミィはできたらセイレーンと一緒に、幸せのメロディを歌いたかったんだニャ)
「そうね。ハミィは、そんなことを言ってたわね。ごめんなさい、私には勇気がなかったの。私は幸せのメロディの歌姫を諦めることで、もう一度ハミィの友達に戻れたわ。
もし、幸せのメロディを歌ったら、またハミィに対する嫉妬の気持ちが沸いてくるかもしれない。それが――怖かったの……」
(セイレーンなら、大丈夫ニャ! あれはちょっとだけ、間が抜けただけニャ。気にすることないニャ)
「馬鹿ね。それを言うなら、魔が差した、でしょ?」
(ハニャニャ~。そうだったかニャ~? やっぱり、セイレーンは賢くて頼りになるニャ)
「でも、もう遅いわ。あなたは石になってしまったし、伝説の楽譜も、どこにあるのかわからない。それに、私は妖精の歌声を失ってしまったもの」
(セイレーン、思い出してニャ。歌は誰が歌っても、力が宿るものニャ。妖精は、少~しだけ、それが強いだけニャ。もしもセイレーンひとりじゃ足りないんだったら、響たちが居るニャ。それに、楽譜がないなら、新しい幸せのメロディを作って、歌えばいいんだニャ)
「新しい、幸せのメロディを作る? そんなことができるの!?」
(セイレーン……)
その言葉を最後に、ハミィは完全に沈黙してしまった。何度話しかけても、心の声が返ってくることはない。
いや、始めから、そんな声は聴こえていなかったのかもしれない。ハミィの石像からは、体温も感じられず、手触りもごつごつと硬く、鼓動も感じられなかった。
今のは自分の心が生み出した、幻聴なのかもしれない。
「だとしても――もう、私は迷わない。忘れていたわ。この胸に宿るト音記号は、全ての音符を奪われて、真っ白になった伝説の楽譜から新しく生み出されたもの!
新しい音楽を、自らの手で作っていくために、伝説の楽譜から託されたもの。
ねぇ、ハミィ。ハミィは言ってくれたわよね? 『不幸のズンドコに突き落とされても、大丈夫!』って。そしたら、私が一緒に泣いてくれるからって。
私も同じ気持ちよ、ハミィ。たとえ世界が滅びたって、全てが石になったって、フュージョンに飲み込まれたって、私はずっと――ハミィと、ずーっと一緒にいるから!」
ビートは、スッと立ち上がる。両の瞳は熱く燃え上がり、猫の目のように爛々と光る。その身のこなしは軽く、足を怪我していることすら感じさせないほどだった。
「私の、本当の夢が見つかったわ。これが最初で、もしかしたら最後になるかもしれないけど。
私はプリキュアとして戦い、人間として歌う。新しい幸せのメロディの歌姫になる。みんなの幸せを守り、ハミィと一緒に幸せになるために!」
キュアビートは、ハミィを大切そうに抱えて、全速力で駆け出した。
逃げ出そうとした自分を、それでも信じて待っていてくれる仲間の元に。最後の希望の集う――調べの館に向かって。
『赤い翼の輪舞曲――響け! 幸せのスキャット!!――』
「違うっ! こうじゃないよ」
「落ち着いて、響。次は、私がやってみる!」
調べの館に到着した、メロディ、リズム、ミューズは、変身を解除して広間のピアノの周りに集まった。プリキュアの状態だと、腕力が強すぎて、繊細な力加減を必要とする演奏は難しいからだ。
三人はさっそく記憶の糸を手繰り寄せて、幸せのメロディの再現を試みる。
しかし、最初の段階から躓いてしまう。曲のイメージは浮かぶのだが、具体的な旋律がどうしても思い出せないのだ。
いや、それは分かっていたことだった。幸せのメロディは記憶できないのだと、先ほどエレンも言っていたのだから。
それでも、その場になれば、楽器を前にすれば、ある程度は何とかなると楽観していた。その考えが甘かったことを、三人は思い知らされる。
大音楽家の団は、絶対音感と呼ばれる正確無比な音感と、音楽のことにかけては常人を超えた記憶力を持っていて、一度聞いた演奏は完全な形で楽譜に再現できるという。
響や奏はそこまで極めてはいないが、二人とも音楽のセンスは人並み外れている。そんな彼女たちですら、ただの一つのフレーズも覚えていない。こんなことは、生まれて初めてだった。
何度か交代して弾いた後、響は悔しそうな表情で鍵盤から指を離した。
「ダメだぁ~、わかんない! 信じられないよ! あんなに間近で聞いた曲なのに、まるで覚えてないなんて……」
「エレンが言ってたのは、このことだったのね。アコは、幸せのメロディについて、他に何か知らないの?」
「わたしも、そんなに何度も聴いたことがあるわけじゃないから……。でも、幸せのメロディは、楽譜のある間でしか演奏されないし、歌姫も必ず楽譜を読みながら歌っていたわ」
奏の問いかけに、アコはなんとかそれだけを答える。メイジャーランドで生まれ育ったと言っても、まだ九歳の少女だ。物心付いてからの年月ならば、その半分にも満たないだろう。
『国で毎年行われている、大切な儀式』という程度の認識しか持っていなかったのも、無理からぬことだった。
「やっぱり、ただのメロディじゃないんだね。音符の一つ一つが、ネガトーンになるくらいの力を持ってるんだし」
「プリキュアの変身の鍵になるト音記号だって、伝説の楽譜から生まれたのよね」
かつての、マイナーランドとの戦いの日々を思い出して、響がつぶやく。
音符の数は、平均的な楽譜でも一ページで五百個近くある。一度は手にしたこともある伝説の楽譜の厚みを考えれば、総数はその数十倍だろう。
それだけのネガトーンに匹敵するほどの力が、伝説の楽譜には宿っている。キュアモジューレだって、その中の四つのト音記号でしかない。
改めて、自分たちがやろうとしていることの無謀さを痛感する。
「もしかしたら――幸せのメロディって、伝説の楽譜と、それに宿る音符の力を解放させる、魔法の儀式みたいなものなんじゃないかな」
「そんなっ! だとしたら、どんなに頑張ったって、私たちには歌えないってことになるじゃない……」
成す術の無くなった彼女たちの思考は、悪い方向にばかり傾いていく。しかも、響の仮説には否定できない説得力があった。奏が悲鳴にも似た叫び声をあげる。
アコも、懸命に過去の音楽祭の記憶を辿ったが、何の打開策も思い浮かばなかった。
今更ながら、メイジャーランドに行った時に、伝説の楽譜を見つけられなかったことが悔やまれる。
もちろん、あったとしても使える状態だったかどうかはわからない。そもそも幸せのメロディとは、一年に一度しか歌われることのないものだからだ。
いずれにせよ、今から取りに行ける時間なんてあるはずがなかった。時間がかかればかかるだけ、ノイズがフュージョンに倒される危険が増すことになる。そうなれば、せっかく掴んだ小さな希望が、あっけなく消え去ってしまうことになるのだ。
「せっかく――せっかくピーちゃんが助けてくれたのに。こんな最期なんて、あんまりだよ……」
「私も嫌よ! またみんなに会えるかもしれないって、そう思ったのに……」
「わたし、エレンに酷いこと言ったわ。エレンはただ、こうなることに気付いていただけなのに」
三人が深くうな垂れる。その時、彼女たちの耳に、ボロロン……という心地よいギターの音色が聞こえた。
「この音は……」
「エレン!」
「帰ってきてくれたんだ!」
響が、奏が、アコが、一斉に立ち上がって、調べの館の入り口に目をやる。そこにはギターと石像を胸に抱いて、少し照れたような表情で階段をゆっくりと降りてくる、エレンの姿があった。
「エレン、ごめん! わたし――」
「ごめんなさい! 私たち、幸せのメロディの、最初の部分すらも弾けなかった……」
「わたしがエレンにどれだけ無理なことを要求したのか、よくわかったわ。ごめんなさい……」
三人がエレンに駆け寄って、口々に謝罪する。エレンは首を振って、そんな彼女たちに優しく微笑んだ。
そして、大切に抱えてきたハミィの石像を、仲間たちに見せる。
ハミィとの会話。その中で気付いたこと。これからやろうとしてること。自分の新しい夢――
それらをエレンは、微笑みを絶やさず、大きな光る目で仲間たち一人一人を見つめながら、穏やかに語った。
「私ね、この世界に来て気付いたの。伝説の楽譜と幸せのメロディがあれば、それで世界中が幸せになれる。そんなの、何か間違ってるって」
幸せのメロディは、確かに最高の音楽なんだろう。だからこそ、最高の歌姫によって、年に一度だけ歌われる特別な歌なのだ。
それはそれでいい。だけど――
「一年に一度だけ、たった一人の歌姫に歌われる、幸せのメロディ。それだけが、私たちの守りたかった音楽なのかしら」
この街に来て、初めて知った。
世界には無数の人が居て、無数の音楽があるんだってことを。
人の数だけメロディがあって、人の数だけリズムがある。中には歌が上手じゃない人もいる。デタラメな節回しだってある。
だけど、どんなに演奏が下手でも、音楽を好きになることはできる。たとえ音痴でも、楽しく歌うことならできる。
この世界は無数の音に満ちていて、ただの一つも不要の音なんてないのだ。
「メイジャーランドの歌の妖精は、ここには居ない。伝説の楽譜もなければ、幸せのメロディもない。でも、それでいいじゃない! ただの人間として、音楽を愛し、この街を愛し、この世界を愛する気持ちを乗せて――」
エレンは、一呼吸置いてから、ビーンと、鋭くギターを一閃する。
「歌いましょう! 私たちだけの、幸せのメロディを!」
エレンの力強い宣言に、響と奏はポカンとして顔を見合わせる。
「それって、幸せのメロディはあきらめて、普通の歌を歌うってこと?」
「う~ん、言ってることはわかるけど、それじゃあ、みんなを石から戻すことはできないんじゃ……」
呆れた口調の奏と、首を傾げる響に、待ってましたと言わんばかりに、エレンは不敵に笑う。
「戻せなくても、大丈夫よ!」
「どうして?」
「たとえこの世界がどうなっても、私たちは一人じゃない。上手くいかなかった時は、一緒に泣いてくれる友達がいるじゃない」
「それって、ハミィの言葉だね」
「でも、それじゃあフュージョンのやってることを、認めることになるんじゃない?」
「そうね。なら――上手くいかなかった時は、最後まで一緒に戦いましょう!」
「クスッ、そうだね。よく考えたら、始めからそれしかないもんね」
「ホント! 私たち、一体何を悩んでいたのかしら」
「やろう! エレン、響、奏。それでどうなったって、何も起こらなくたって、わたしは決して後悔しない!」
そうと決まれば、一分一秒だって早い方がいい。アコの指示に従って、四人は調べの館の音響装置を起動させる。
本来は、ノイズとの決戦に備えて設計された、パイプオルガン用の拡散装置。それは、ここで演奏される音楽を増幅させて、加音町の全域に響き渡らせる仕掛けだった。
「準備OKだよ、エレン!」
「うん」
エレンのギターの音が、静かに響き渡る。
ラ~ララララ♪ ラ~ララ~♪ ラ~ララララ♪ ラ~~♪
「これは……ハミィの夢の中で歌った!」
「スキャットよね?」
スキャットとは、歌詞の存在しない歌。旋律に合わせ、即興(アドリブ)で、意味を持たない声を乗せていく歌。
歌というよりも、声という楽器で演奏するような歌唱法だった。
「そう。決められた意味を持たない代わりに、どんな意味だって込められる。私の歌いたい歌は、特別な人の特別な歌じゃない。誰にでも歌えて、いつでも、どこでも、みんなで歌うことができる歌。
私の目指す、最初の幸せのメロディ。名付けて――」
“幸せのスキャット”
エレンのギターと歌声に合わせて、響と奏のピアノ連弾が加わる。
アコのオカリナの音が、曲に繊細なアクセントを与える。
四人の想いは一つになり、音となって響き渡り、加音町の全域を駆け巡る。
神秘の力を持たない、ただ心からの想いを込めた音楽にだって、人を幸せにする力はあるはずだから。
そう――きっと、奇跡を呼び起こすと信じて。
最終更新:2013年02月17日 10:47