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赤い翼の輪舞曲 第17話――幸せの“セッション・アンサンブル”――




 ピシリ、ピシ、ピシピシ――

 イースの真っ白な闘衣の胸部にある、赤いダイヤの亀裂が広がっていく。
 今の演奏が終わるまで、持つか持たないか。残された時間が、遂に尽きようとしていた。

 それを待たずして、街の人々が元に戻ったのを見届けて安心したのか、ノイズの目がゆっくりと閉じられる。
 辺りが闇に閉ざされる。これで、イースには何の情報も得られなくなってしまった。
 スーツの損傷と共に身体の機能も大きく損なわれ、既にいくつかは停止している。
 もう、目を凝らしても何も見えず、耳を澄ませても何も聞こえない。
 それが、本当に光や音が存在しないからなのか、単に自分が知覚できないだけなのか、イースにはそれすらわからなかった。

 時を置かずに、フュージョンの侵食が再開される。フュージョンを呑み込んだまでは良かったものの、ノイズにも、この化け物を滅することはできなかったらしい。

(――と言うことは……あなたもフュージョンに吸収されてしまうのね)

 イースは、薄れていく意識の中でぼんやりとそう思った。

 ピシピシ――パキィーン!

 ついに、強化服の制御装置でもある、胸のダイヤが砕け散る。
 イースの変身が解けて、東せつなの姿へと戻っていく。
 こうなっては、いくら常人離れした身体能力を誇っていても同じ。人間であるせつなに、フュージョンの侵食を阻む術は無い。
 せつなは観念して目を閉じる。あと数秒で、跡形もなく喰らい尽くされてしまうはずだった。






『赤い翼の輪舞曲――幸せの“セッション・アンサンブル”――』






 五秒……。十秒……。二十秒……。

(……なぜ? なぜ、私はまだ意識があるのかしら……)

 せつなは、ゆっくりと目を開ける。驚いたことに、辺りは闇ではなかった。
 濁った高密度の液体を通して、外の景色が透けて見える。耳を澄ませば、外の物音も聞こえてきた。
 どうやら変身が解けて制御が無くなったせいで、身体の機能の一部が回復したらしい。でも、それだけでは説明の付かないことがあった。

(どうなっているの……?)

 感覚器官が数百倍に強化されたイースならともかく、生身の体で、こんな隔離された場所から外の情報を得られるはずがない。
 まして、ここはフュージョンの体内なのだ。プリキュアですらダメージを受けるような場所だ。
 それなのに、どうして人間である自分が無事でいられるのか? もちろん自由に動けるわけじゃない。それでも、液体金属並みの高圧の中で、潰されもせずに生きていられるのは異常だった。

 混乱しながらも、せつなは外の状況に意識を集中させる。
 驚いたことに、メロディたちはフュージョンと互角以上に戦っていた。彼女たちの技は、以前見た時の十倍も二十倍もの大きさと威力を発揮し、巨大なフュージョンをも圧倒する。
 しかし、決め手に欠けるようだった。フュージョンが街の人々を盾にするようになってからは、次第に劣勢に追い込まれていく。

「どうした? 私を滅ぼす切り札があるんじゃなかったのか? 見せてみるがいい!」

 勝ち誇ったようなフュージョンの声。プリキュアの切り札とは、クレッシェンドトーンの力を借りた必殺技のことだろう。
 それを使えない理由とは――メロディの言葉に、せつなは愕然とする。

「前にも、同じようなことがあったよね。世界を救うか、仲間を助けるか、そんな選択がさ」

(何を……言っているの!?)

 そして――どこを見ているのか?
 彼女たちが守らなければならないものは、足元にいる人々のはずだった。
 やっと、ようやく街のみんなが戻って来たんじゃないのか……。
 今――ここでコイツを倒さなければ、その奇跡も、これまでの努力も、全てが水泡と化してしまうのだ。

「きっと、せつなは自分をあきらめるのが正しいと思ってる。いつだって、それが正しいと思ってる。わたしはね――そんなせつなが許せないから!」


“わたしは――わたしたちはっ! 絶対にせつなをあきらめないっ!!”


(そんなこと、私は望んでいない! わかってるくせに、それでも助けようというの……)

 せつなの心に、一瞬浮かび上がる激しい憤り。それがすぐに、もっと強い別の感情に塗り変えられていく。
 それは“歓喜”――感謝と、喜びの気持ち。
 今のせつなが決して持つべきではない、あたたかくて幸せな気持ち。

(どうして――)

 自分がこの世界に来て、まだたったの二日しか経っていない。仮に助かったところで、明日にも遠い世界に旅立つ人間だ。
 とてもじゃないけど、彼女たちの大切な者と、比べられるような関係は結んでいないつもりだった。

「出会いに間違いなんてないよ。結んじゃいけない絆なんてあるわけない。わたしは、そんなもの絶対に認めないから!」

 昨夜の響の言葉が蘇る。

 自分はどれほど、この加音町に来たことを後悔しただろう。
 関係のない世界を争いに巻き込んで、後少しで滅ぼしてしまうところだったのだ。
 それなのに響たちは、自分がこの世界に来たことを、フュージョンという災厄を招き入れたことを、僅かばかりも恨んでいなかった。

 恵まれた環境の元に生まれて、ここまで何もかも上手くことが運んできた響だから、そんなことが言える――あの時、自分はそんな風に思っていた。
 でも、響の信念は、どんな状況に置かれてもまるで変わらなかった。

 再び始まるプリキュアたちの死闘を、ただ茫然と眺めるせつなの耳に、“幸せのスキャット”が聴こえてくる。
 加音町とメイジャーランドの住人の、プリキュアへの応援のメッセージ。そして――

「せつな姉ちゃん! 聞こえてないかもしれないけど……。あきらめるのなんて無しだからな! ヒーローってのは、一度や二度くらい負けたっていいんだよ! 絶対にあきらめずに、最後は必ず勝つのがヒーローだろ?
 俺はヒーローになるのをあきらめないよ。だから、せつな姉ちゃんもあきらめないでくれよっ!」

(あの声は……奏太君!?)

 せつなの目が、大きく見開かれる。
 怨んでくれていいと思った。彼をあんな目に合わせたのは、他でもない自分なのだから。
 でも、彼は恨むどころか、一心に自分を心配して、助けようとして、力の限り応援してくれている。

「がんばれ! がんばれっ! せつな姉ちゃん!!」

 その声に――

「がんばれ~!」
「がんばれ、プリキュア~!」

 わずか数日前の、あのラビリンスでの最終決戦の日。
 あんなに戻るのが怖かった、思いやりも、喜びも、幸せも無かったはずの故郷で聞いた、心震わす人々の声援が、鮮やかに蘇る。

「がんばれ! イース!」
「負けるな! 俺達が付いてるぞ!」
「イースお姉ちゃん、がんばれ――!」

 その上に、初めてパッションに変身した時の、四つ葉町の人々の応援の声の記憶が重なっていく。

 加音町から――ラビリンスから――四つ葉町から――心に響く、優しいメッセージ。
 それらは組曲のように、繋がり合い、重なり合う。

 そう、まるで――この“幸せのスキャット”のように!

 ドクン ドクン ドクン

 せつなの胸の奥から、熱い塊がこみ上げる。
 それが迷いという、イースの闇を蹴散らして、一つの答えを導き出そうとしていた。 

「聞こえる? フュージョン。あんたの言ってる“融合”がどれほど薄っぺらいか、この音楽が証明してるよ!」
「人はみんなバラバラで、時には理解しあえずに、傷付けあったり、いがみあったりもする!」
「だけど、間違うからこそ、許してもらえる。弱いからこそ、力になってあげられる!」
「みんな違うからこそ、一つになった時に、より大きな喜びを感じられる。助け合い、補い合って、大きな力を出すことができるの!」

 四人の確信に満ちた声が響く。

 これがもし四つ葉町だったら? フュージョンに街の人全てを吸収されて、持ち直すことなんてできただろうか?
 ノイズの存在は確かに危険だ。でも、そんな彼を、それでも受け入れたからこそ、この世界は滅びから救われたんじゃないのか。
 では、四つ葉町にとって、ラビリンスの襲撃とは何だったのか? せつなの心が後悔に苛まれる。不幸な出来事だったと思う。でも、それが無ければ、プリキュアだって生まれなかった。
 いつか訪れるフュージョンの襲撃にだって、まるで無力だったはずだ。

 管理国家ラビリンスの侵略行為。そして、その尖兵であったイースの犯した罪。それらを正当化するつもりはない。
 決して許されることじゃない。けれど――

(響が、ピーちゃんの鳴らす雑音を、素敵なセッションの演奏に繋げて見せたように)

 同じように、ラビリンスのもたらした不幸だって、イースの過去だって、これからの幸せに繋げることならできるんじゃないのか?
 ラビリンスはもちろん、四つ葉町にとっても――きっと、いつか幸せに変えられる!
 そして――それは、この世界も同じはず!

(ラブ。あなたは初めから、そう言ってたわよね。不幸は必ず、幸せに生まれ変われるんだって)

 せつなの腕が、ゆっくり、ゆっくりと上がっていく。胸の奥に生まれた熱が力に変わり、鼓動に乗って、全身に広がっていく。
 生きたいと思った。生きて――もう一度やり直したいと思った。

(このまま吸収されるわけにはいかない! 私には、やりたいことがある。もう一度、会いたい人がいる。そして、帰りたい場所がある!)

 そう強く念じた時、せつなの身体が赤い光に包まれた。
 懐かしくて、あたたかくて、不思議な気持ち。その光は――自分を守り、生かそうとしている力!

(アカルン? そう、あなただったのね。私がまだ生きていられるのも。ノイズの目で、この街の様子を見せてくれたのだって!)

 思考の迷宮を潜り抜け、せつなは初めて声を出す。
 そう、これは誓い。だから、言葉にしなければ意味がないから!

「来て! アカルン。あなたは奇跡の扉を開く“カギ”よ。どんな障害だって跳び越えて、世界を結ぶ“幸せ”よ。
 今ならわかるわ。どうして“幸せ”の妖精であるあなたが、移動能力も持つのかも! 距離を越えて、人と人との絆を繋ぐため。
 もう一度……やり直したい! 今度こそ、私も一緒に幸せになるために! いつか、全ての世界の人々を、笑顔と幸せでいっぱいにするために!」

 せつなは、招き入れるように両手を胸の前に掲げる。
 その腕の中に、重ねた掌の中に、せつなの体内から赤い光の球が飛び出した!

「キィ――!」
「驚いた。あなた、私の身体の中に居たの? じゃあ、フュージョンはリンクルンだけを取り込んで、それが使えないのを、私が居ないせいだと思っていたのね?」

 無理な長距離移動とフュージョンからの脱出で、激しく消耗していたアカルンは、せつなの体内に隠れて回復を待っていたらしい。
 せつなにもそれを明かさなかったのは、フュージョンから完全に身を隠すためだったんだろう。

「さあ、始めましょう、アカルン。“過ち”を不幸のまま終わらせないために。未来に続く幸せへと繋いでいくために。私たちの、セッション・アンサンブルを!」

 せつなは抱きしめるように、アカルンを胸の中に、再び自分の体内へと招き入れる。

「見ていなさい、フュージョン。本当の融合ってのはこうやるの。心と心を絆で繋いで、立ち向かうのよっ!」

 せつなは、両手を胸の中心で合わせ――そして、開く!

「チェインジ・プリキュア・ビートアップ!!」

 変身のキーワードを唱える。光は爆発的に膨れ上がり、周囲が知覚できない程の眩い光体となる。
 視界一面が、真っ赤に彩られる。その光が収まった時、せつなは普段とは異なる空間に来ていた。

(やっぱり、この世界にもあったのね)

“幸せの泉”たくさんの人の嬉しい気持ちや、楽しい気持ちが集まって生まれた、幸せのエネルギーの行き着くところ。

 身体が勝手に動く。ダンスを踊るようなモーションと共に、せつなの衣服が解かれていく。
 足元が液状に変化して水中に投げ出される。水に温度はなく、呼吸も妨げない。
 泳ぐ必要はなかった。まるで導かれるように、“想い”という名の水中を高速で潜り抜けていく。
 染み込んでくる優しい心は、せつなの身体に力を与え、新たなる姿を創り上げる。

 胸にはクローバーのマークが、身体には真っ赤な衣装が、髪は大きく伸びて薄紅色に染まる。
 両足にブーツ、耳にはハートのイヤリング。頭の左右には大きな髪飾り、翼を思わせる真っ白な羽が伸びる。
 精神力の物質変換、腰にリンクルンが装着される。額にはイースのシンボルの赤いダイヤ、ティアラとなって燦然と輝きを放つ!

 恵み、注がれる想いが臨界に達した時、イルカのように軌道を変えて垂直に飛び上がる。
 水面から巨大な水柱が伸びる。突き破るようにして、

 舞い降りる――伝説の戦士。
 幸せの赤いプリキュア!

 ハートを形取った指から、真紅の瞳が覗く。愛する者を見つめるために。
 失いたくないもの。大切なものを守るために!

 細く美しい腕が華麗に十字を切る。

 真っ赤な!――ハートは!――幸せの証!
 熟れたて!――フレッシュ!――


“キュアパッション”


 時間にして、コンマ数秒。特殊な空間から帰還し、せつなはキュアパッションへと変身を遂げる。
 しかし、今居る座標がフュージョンの体内であることに変わりはない。

「なんとか、ここから脱出しましょう。アカルン、すぐ外でいいから、跳べる?」
「キィー……」

「そんな顔しないで。あなたは疲れているんだし、フュージョンもパワーアップしてるものね」

 パッションの問いに、アカルンは力なくうな垂れる。
 そうでなくとも消耗していたのに加えて、先程まで生身の状態のせつなを護っていたのだ。もう、せつなを変身させるのが精一杯だったのだろう。
 パッションは、イースの時にそうしたように、フュージョンの体内を移動して抜け出すことを試みる。
 無理にコアに戦いを挑まなくても、自分の無事さえ知らせれば、メロディたちの技で殲滅することもできるはずだ。

 しかし、動こうとした瞬間に、両手が捻られるように締め付けられる。
 次に両足に、螺旋状に渦を巻いた水流が絡みつく。四肢を封じられたパッションは、そのまま見えない力で磔となった。

「なるほど、同じ手は食わないってことね」

 先程までは、メイジャーランドと加音町の住人を大量に呑み込んでいたため、制御が利かない状態であったらしい。
 だからこそ、イースが自由に動き回ることも出来たのだろう。
 だが、今やフュージョンはノイズの身体を完全に掌握しつつある。このままでは脱出どころか、パッションとていずれ溶かされてしまうだろう。

「大した力ね、打つ手無しってところかしら? ただし――私一人ならね!」

(せつな、忘れないで。あたしたちは、いつでも繋がっているよ)

 そんな声が聞こえたような気がした。

「ごめんなさい、ラブ。忘れていたわ。私はひとりじゃないってことも、そして――」

 パッションの左手が、渾身の力を振り絞って、リンクルンへと辿り着く。

「どうしてリンクルンが、通信機の形をしているのかってこともね!」

 その瞬間、リンクルンが眩い輝きを放った。
 そう、これはただの変身アイテムじゃない! 空間を超えて、仲間との絆を繋ぐもの。
 リンクルンが届けるのは――心。

(みんなっ! 私はここよっ! お願い――力を貸して!!)


“ラブゥ――ッ!!”


 この世界は、平行世界と呼ばれる、ラビリンスで定義するところのパラレルワールドではなかった。
 同一の次元の中に存在する異世界ではなく、異次元とも呼ぶべき、本来ならば決して交わるはずのない遠い場所。
 そんな届くはずのない世界からの叫びが、想いが、――次元の壁をも打ち破る。


“キュア・キュア・プリップー!!”


 フュージョンの頭上、加音町の上空の一点が、水面に小石を投じたようにグニャリと歪む。
 その歪みは徐々に大きくなって、やがてぽっかりと、人が通れるほどの時空間ゲートが出現する。


“やっと、見つけたよっ!!”


 空間を捻じ曲げて出てきたのは、可憐な衣装を纏った三人の少女たち。
 そして、フワフワと浮かぶ小さなヌイグルミと、悲鳴を上げながら落下する小動物だった。


“ピンクのハートは愛あるしるし! もぎたて! フレッシュ! キュアピーチ!”
“ブルーのハートは希望のしるし! つみたて! フレッシュ! キュアベリー!”
“イエローハートは祈りのしるし! とれたて! フレッシュ! キュアパイン!”


「貴様らは……」

 三人と二匹は、フュージョンの正面でピタリと静止する。
 それは、メロディたちのような飛翔ではなかった。一緒に居るヌイグルミが作り出した、不可視の力場によって身体を支える。
 その中央で仁王立している少女――キュアピーチは、迷わずフュージョンへと挑みかかった。

「せつなを、返してもらうよっ!」

 弾丸のように飛び出したピーチは、フュージョンにピタリと視線を据えて、見えない足場を一気に駆け抜ける。

(何があっても、必ず、せつなを取り戻す!)


 その決意を、胸に秘めて――



最終更新:2013年02月17日 10:53