第1話『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。素直な気持ち――』
抜けるような青い空が広がる。透き通った水色で澄みきっていて、どこまでも見渡すことができそうだった。
だから、なんだと言うのだろう。
この空の果てにだって、せつなは居ない。海の向こうにも、どこにも、
もう――違う世界の人間なのだから。
『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。素直な気持ち――』
「続きを桃園、読んでみなさい」
「あっ、えっと……すみません。聞いていませんでした」
「それ以前に、お前が持っている教科書は日本史だ。今は現国の時間だ、わかるね?」
舌を出しておどけて見せても、誰も笑う者はいなかった。
後で職員室に呼ばれて叱られた。それも、思ったほど厳しくはなくて……。
いっそ、きつく叱ってほしかった。落ち込むくらいに叱られたら、その間だけでも考えずに済むから。
「どうしたの、ラブ? こってり絞られた?」
「由美……平気だよ。むしろ悩みでもあるのかって心配されちゃた」
本当に悩みがあるのかって由美の質問を、笑ってごまかした。
跳び箱でつまづいた。バレーボールを顔面で受け止めた。何もないところで転んだ。
もう、笑顔でも隠せなくなってきていた。
「もしかして、東さんのことが忘れられないの?」
「忘れないよっ! せつなは確かに居たんだもの」
思わず大きな声を出してしまった。ごめん、どうかしてるって謝った。
由美は悲しそうな顔で言った。
会いたい人と会えない辛さは、アタシもよくわかるって。
辛い? 辛くなんてないよ。やっと、やっとせつなが自分の夢を見つけたんだもの。
自分の幸せを見つけられたんだもの。
こんなに――嬉しいことはないよ。
なのに――なんでこんなに胸が痛いの?
美希たんも正式な雑誌契約のモデルになった。
ブッキーも本格的に獣医の勉強を始めた。
みんなの笑顔と幸せがあたしの幸せだもの。そして、あたしの笑顔と幸せをみんなに喜んでもらうんだ。
何も間違っていない。
望んだ全てが――確かにあるんだもの。
嘘だ……。わかってる――嘘だ!
一番大切なものが、足りないじゃない!
あたしがせつなと一緒に過ごせる時間が、足りないじゃない!
会いたい――会いたいよ! せつなに会いたいよっ!
ずっと考えないようにしていた。これでいいんだって! これが一番いいんだって。
ずっと――自分を騙していた。
でも、気が付いてしまった。本当の気持ちと向き合ってしまった。喪失感が、心を蝕んでいく。
嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だよ!!
がむしゃらに駆け出した。行き先なんてわからない。
ただ、せつながいない。こんな――こんな場所には居たくなかった。
どこを走ってきたのか、商店街の大通りに出た。力尽きて近くの樹にもたれかかり、荒い息を吐く。
馬鹿だ――探したって、いないのに。この世界の――どこにもいないのに。
顔を上げる。ここは、一年前にせつなと出会った場所。
占い師じゃなくて、同じ年の女の子としてのせつなと出会って、友達になった場所。
知らなかったよ、せつな。せつなの力になってあげたかった。せつなの幸せを見つけてあげたかった。
あたしが! こんなにたくさん! せつなから、幸せをもらっていたなんて……。
突風が吹きつける。
フワリ――フワリ――フワリ――
あたしの胸に、腕の中に飛んでくる白い帽子。
既視感――頭に走る懐かしい過去の記憶。
「お久しぶり。私のこと、覚えているかしら?」
白い清楚な服。やわらかい、少し低めでやさしい声。 うそ……そんなはず……。
これも……既視感? 願望が生み出している幻?
頭が――働かない。一歩でも動けば、一言でも言葉を発すれば、目の前のせつなは消えてしまうような気がした。
「冗談よ、ラブ。ただいま」
「せつな……ほんとうに、せつななの?」
記憶の中のせつなは、ここで冗談なんて言わなかった。あたしの中の時間が少しづつ動き出す。
目の前にせつなが居る。柔らかい笑顔。でもその目には確かに涙が浮かんでいて。
「やだっ、ほんとうに忘れちゃったの?」
「せつなっ!」
――ドンッ!
「きゃっ! こほん。苦しいわ、ラブ」
「せつな、せつな、せつな、せつな、せつな、せつな」
体当たりするくらい強く、せつなに飛びついた。力いっぱいに抱きしめる。それだけしか考えられなかった。それが、今のあたしの望みの全てだった。
せつなもそっと、両手をあたしの背中に回してきた。
「ただいま、ラブ。心配かけてごめんなさい」
涙声のせつな。 本物だ。間違いない、夢じゃないんだ。
この声、匂い、温かさ、あたしが忘れるはずがない。こんな確かな夢なんてあるはずがない。
「おかえり、せつな」
街の人通りの多さも、取り巻き注がれる視線も気にならなかった。
ずっと――ずっと長い間、あたしたちの影は重なり続けていた。
最終更新:2013年02月17日 08:13