第2話『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。幸せを学ぶために――』
“SETSUNA”
一日のお掃除の最後は、いつもこの部屋。
誰も住んでいない部屋は、決して散らかることがない。
でも――小さな埃も許したくなかった。
綺麗好きで、几帳面な子だったから。
お洋服や家具はもちろん、エンピツ一本に至るまで、全てを宝物のように大切に扱う子だった。
一日で一番悲しい時間。寂しい時間。そして――一番大切にしている時間。
ここには居ない、大切な娘と語り合う時間。
今でも、気を許すと涙が零れそうになる。家族に心配をかけているのもわかってた。
お父さんと喧嘩したことすらあった。
「あなたっ! 何をするの?」
「もう、片付けよう。この部屋を見るたびに君が悲しむのなら」
「何を言ってるの? そんなこと絶対にさせないわ! 帰って来たらどうするの? 親が帰りを待たなくてどうするの!」
どうして、こんなことになったんだろう。
初めは、ラブの真摯なお願いを聞いてあげたくて。困っている女の子の力になってあげたくて。
それがあの丘で出会った子であると知った後は、あの子を笑顔にしてあげたくて。ただ――それだけだったのに。
いつの間にか、こんなに――愛してしまった。
おとうさんやラブにだって負けないくらいに――愛してしまった。
本当の――娘になってしまった。
別れの日まで、あの子の前では泣かなかった。そんな自分を誉めてあげたいと思った。
その分、別れた後は涙が止まらなくなった。
あの子が自分を許せるようになった。自分の夢を、やりたいことを、幸せを見つけた。それは本当に嬉しい。
だけど……その夢を見届けたかった。
笑顔を……幸せな姿を見守りたかった。一緒に暮らして、力になりたかった。
どうして――もっとたくさんお話ししなかったんだろう。
どうして――もっとたくさん抱きしめてあげなかったんだろう。
胸に渦巻く寂しさと後悔。何度も何度も繰り返す自問と自責。
もっと、もっと、してあげられることがあったんじゃないかって。
そしたらずっと、たくさんの思い出を作ってあげることができたんじゃないかって。
でも――しょうがないじゃない! こんなに……別れが早く来るなんて思わなかった。
せっちゃん、あなたはまだ何もわかっていない。
せっちゃん、あなたはまだ、本当の幸せを何も知っていないのよ。
『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。幸せを学ぶために――』
せっちゃんのお茶碗。カップ。お箸。何一つ片付けてはいない。
あの子がここで暮らした痕跡。私たちの家族であることの証。
何より、待ち続けていれば……いつかまた会えるかもしれない。帰ってくるかもしれない。
そのための願掛けだった。
ふと、買い物袋に目が行く。
切花のスズランを買ったのを忘れていた。五月の代表的な花。花言葉は“幸せの訪れ”。
玄関の花瓶を手に取る。一度洗ったほうがいいかしら?
背を向けた瞬間に、勢いよく扉が開いた。
「ただいまっ! おかあさん。あのね、あのね」
手から花瓶が滑り落ち――砕け散る。そんなものに、関心を払う気にすらならなかった。
いつも以上に元気に帰ってきたラブ。 その声すら耳に届かなかった。
ラブの後ろに、隠れるように控えめにたたずむ女の子。恥ずかしげにそっと浮かべる優しい笑顔。
「ただいま、おかあさん」
「…………………………」
言葉が出なかった。目にしているものが信じられなかった。
次の瞬間には、体が勝手に動き出した。混乱した頭を、置き去りにして。
素足のままで駆け寄って――抱き寄せた。
「おか……えり……なさい。せっちゃん」
「おかあさん。おかあさん。ごめんなさい……ただいま」
震える声で、それだけを言った。
言葉にならない嗚咽を繰り返した。謝る娘を、さらに強く抱きしめる。
恥ずかしいとか、大人気ないとか、そんなこと何も考えられなかった。
ただ、この腕の中のぬくもりだけを感じたかった。確かめたかった。
「おかあさん」
ラブが優しく声をかけて私の肩に手を当てた。
「そうよね、ごめんなさい。こんなところで」
せっちゃんの手をしっかり握って、部屋の中に入った。
ラブの入れてくれた、温かい紅茶を飲んだ。少しだけ気持ちが落ち着いてきた。
久しぶりに使われる赤いコップ。そんなことにすら感動で胸がいっぱいになる。
「ラビリンスの様子が少し落ち着いてきたんです」
娘はゆっくりと話してくれた。
元々、科学技術レベル、教育レベルの極めて高い国家だった。
高い専門知識を持つ者に囲まれて、急速に復興を遂げていった。
管理を解かれた市民は、すぐに自我を取り戻し自分で考えて行動することを望んだ。
メビウスの管理支配から解放された市民は、元幹部で解放者でもある三人を英雄として歓迎した。
しかし、新たなる支配を恐れ、その言いなりになるのを良しとしなかった。
せつな自身も支配階級を望んでいたわけではない。何かささやかなことでもいいから、人々の幸せの手助けをしたいだけだった。
だけど、元四大幹部でプリキュアの一人。その影響力は大きすぎた。結果、治安維持くらいしかすることがなくなってしまったのだ。
「それに、ウエスターとサウラーが……」
「ここはもういい。ご苦労だったな、イース。すまなかった」
「後は僕達に任せたまえ。異空間通信機を渡しておく、何かあれば連絡しよう」
「でも、あなたたちだけに……。私だけ…………」
受け入れたい感情。断るべきと訴える理性。頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「お前の気持ち、気がついてないと思ったのか? サウラーとずっと相談していたんだ」
「それでも納得いかないなら、学んできたまえイース。あの世界には我々の知らない、忘れてしまった幸せが満ちている。それを学んできて、持ち帰って欲しい。これが次の任務だ」
そして、空間ゲートをくぐり、また四ツ葉町に戻ってきた。
「そうだったの、ご苦労様。それじゃ、また当分ここで暮らせるのかしら?」
「はい、おかあさんとおとうさんさえ良ければ」
また涙が溢れてくる。誇らしい娘を、今度はそっと抱きしめた。
お話は半分も理解できなかった。話せないこともあるのだろう、遠まわしな表現も多かった。
ただ、愛しい娘が精一杯がんばってきたんだってことは、十分に伝わってきた。
「いいに決まってるでしょ。ここは、ずっと、ずっと、あなたのお家よ」
一緒に二階の部屋に上がる。
何もかもそのままの、綺麗に整えられた部屋。
さっきまで寂しげに見えた部屋が、今は幸せの象徴みたいに感じられた。
「ありがとう、おかあさん」
「当然でしょ、私の娘なんだから。いつ帰って来ても不自由なんてさせるものですか」
「あゆみ! せっちゃんは!!」
バタバタと階段を駆け上る音。滅多に聞けない、怒鳴ってるような声。
さっきメールを入れておいたのだ。
「おとうさん!」
せっちゃんはお父さんに抱きついた。ただいま、ごめんなさいって何度も何度も繰り返した。
こんなに、感情を露にする子じゃなかったと思う。どれほど苦労してきたのだろうか。
「お帰り。よく帰ってきたね、せっちゃん」
仕事を抜け出してきたらしい。ひとしきり説明を聞いたら、すぐに会社に戻って行った。
「せつなっ!」
「せつなちゃん!」
美希ちゃんと、祈里ちゃんが家にやってきた。
今度はラブが連絡したんだろう。
わたしもそのつもりで、パーティーの用意をしておいた。
もう少ししたら、レミさんや正さんや尚子さんも来るだろう。
そちらにはわたしから連絡しておいた。
抱き合う娘達の邪魔をしないように、お祝いの準備に取り掛かった。
そうだ、学校にも連絡しておかなくちゃ。
すでに新学年の授業が始まっている。
学力の高いせっちゃんなら大丈夫だろうけど。
こんなことを、思い巡らせるだけで心が躍る。歌いだしたいような気持ちになる。
「ただいま、待たせたかな」
「おかえりなさい。準備ができたところよ」
おとうさんが息を切らして帰ってきた。
お帰りなさい。お仕事、手に付かなかったでしょ? お疲れ様。
「「お邪魔します」」
「お邪魔しま~す」
レミさん、正さん夫妻もやってきた。
「いらっしゃい。入って、入って」
最高の笑顔で招き入れる。
たっぷりのご馳走も用意した。
今夜は楽しくなりそうだ。
ううん、今夜から――だ。
再び戻ってきた幸せ。愛する家族と共に過ごす毎日。
これから大変よ、せっちゃん。
幸せ、勉強したいんでしょ。
手加減なんてしてやらないんだから、覚悟しておきなさいね。
おかえりなさい、せっちゃん。
最終更新:2013年02月17日 08:13