第8話『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。雨の日のお出かけ――』
天から舞い降りる、小さな雫が大地を叩く。
一粒では音もしない。濡れもしない。それが無数に集まって優しい音楽になったり、耳を塞ぎたくなるような轟音になったり。
緑に潤いを与え、地面を溶かし、河川を氾濫させる。
せつなは窓辺に座り、雨音に耳を澄ませる。
今日は雨。ううん、今日も雨。今日は静かな雨。心が落ち着くこんな雨は嫌いじゃなかった。
でも……。
カーテンを開けて、暗い空にため息を付く。
たまには、澄み渡る青空だって見たい。手にした物をぶら下げようとして――
コンコン
「どうぞ」
「お邪魔するね、せつな」
せつなは手にしたものに気がついて、慌ててポケットにしまいこんだ。でも、ポッケの端に布がはみ出していて。
「せ~つなっ、これなあに?」
「きゃあ! やだっ、返してラブ」
それは、可愛いハンカチを仮縫いして作ったてるてる坊主。
中には柔らかい綿が詰められていて、しっかりとした弾力がある。顔は小さなボタンで作られていて愛嬌があった。
「もう、恥ずかしいから返して。おかあさんに作り方を教わったのよ」
「すっごく可愛いよ、せつな。恥ずかしがることないのに」
「だって、子供っぽいでしょ。それに、雨は悪いことじゃないのに、晴れてほしいなんてわがままみたい」
そして、ラブに話す。雨は嫌いじゃない。でも、ずっと続いていると気持ちが塞ぐこともあるって。
最近は、カオルちゃんのドーナツ屋さんにも行ってない。美希やブッキーと会う機会も減っていて、寂しかった。
「じゃあ、お出かけしようよ!」
「ええ。このくらいの雨なら、傘をさせば濡れないわね」
少し浮かれた気持ちを隠しながら準備した。荷物になるからって、一つの傘を二人でさして歩く。
『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。雨の日のお出かけ――』
着いたのは商店街――ではなくて、デパートの一角。レイングッズの特設コーナー。
レインコート・レインブーツ・アンブレラ・レインバック。
雨具という言葉が持つイメージとはかけ離れた、美しいデザインと色合いの品々。見ているだけで心が弾んでくる。
「いいでしょ、美希たんから教わったの。おかあさんが好きなの買っていいって」
「本当……とても綺麗。これ、全部雨の中で着られるのね?」
嬉しそうに試着して、披露しあって、気に入ったものを選んでいく。
せつなが選んだのは、ポップレッドの花柄のレインコートドレスと、リボンの付いた愛らしいレインブーツ。
まるで、モデルになったみたい。そう言いながら鏡の前でポーズを決める。
紙袋を大事そうに抱えて帰ろうとしたせつなを、ラブが呼び止めた。
「待って、せつな。ここで着て帰ろうよ」
「えっ? でも、買ったばかりよ。それに……濡れてしまうわ」
言ってすぐに可笑しくなる。そのための雨具ではないかと。
「雨の日にしか着られないんだよ。チャンス逃さないようにしなきゃね!」
「そうね、わかったわ。なんだかドキドキする」
暗い空の下で、一際輝きを放つ二つの花。鮮やかなレインドレスに身を包んだ二人は、弾む足取りで街を歩いた。
遠回りをして散策する。それは、ラブと初めて街を巡った時のコース。
人通りの少ない道を、傘もささずにのんびり歩く。体に打ち付ける雨も、なんだかこそばくて気持ちよかった。
傘をさしていては、気がつかなかった景色。雨の日にしか見られない風情。
落ちた雫の一つ一つが、弾けた瞬間に宝石みたいな輝きを放つ。
水溜りに落ちる雫が複雑な模様を描く。
濡れた木々や草花が、きらきらと輝く。
心配して、傘を持って迎えに急ぐ人。仲良く一緒にさして歩く人。通り行く人の優しさも感じられて。
「素敵ね、ラブ。雨の中のお散歩が、こんなに心弾むものだなんて知らなかった」
「うん、小さい頃はレインコートすら着ずに遊んだんだよ。ドロドロになって叱られたっけ」
タハハと笑いながら思い出を話す。ラブはともかく、美希とブッキーは迷惑だったかもしれない。想像して、思わずせつなは笑ってしまう。
お土産に、ドーナツを買って帰宅した。庭の紫陽花が美しく輝いていた。
「とても綺麗。濡れている時ほど、美しく咲く花だったわね」
「そうよ、六月の花とも呼ばれているの。おかえりなさい、せっちゃん、ラブ。とても似合ってるわ」
いつの間にか、おかあさんが迎えに来てくれていた。三人で時間を忘れて紫陽花を見つめた。
そして、梅雨の意味を話してくれた。
大量の水は表面を滑って流れてしまうだけ。小さな粒の雨だからこそ、しっかり地面に留まって、深いところまで潤いを与えてくれるんだって。
これから暑い日が続くから、草木が枯れてしまわないように、川の水が干上がらないように、準備するのが梅雨なんだって。
そして、強い日差しに備えて、人の肌や心を休める意味もあるんだって。
そう、梅雨も雨も、優しい自然の働きなんだって。
レインコートとブーツにお礼を言って、しばらく眺めてから部屋に戻った。
また、明日も着られるといいな。そんな風に思いながら。
部屋に戻っててるてる坊主を眺める。可愛らしい顔が、拗ねているみたいに見えてちょっと可笑しくなった。
しばらく考えて、さかさまにつるしてみた。
「てるてるぼうず、てるぼうす、あ~した、あ~めに、な~あれ」
本当はどちらでもいい。雨になればまたラブと散歩しよう。美希やブッキーも誘って。
晴れたら、思いっきり体を動かしてみたい。みんなでダンスをしてもいいわね。
また一つ、見つけた幸せのカタチ。
優しい雨音が、私の心に潤いを与えてくれる。
恵みの雨に感謝しながら、その夜はずっと耳を澄ませて空の歌声を聴いた。
最終更新:2013年02月17日 08:16