翼をもがれた鳥 第4話――そして飛べない現実を知る(前編)――
いつからだろうか? そこで暮らすと、幸せになれると信じられてきた街。
人々の笑顔と、優しさと、思いやりの集う所。それが四つ葉町。
そのシンボルたる、クローバータウンストリート。
夏の昼下がり、強い日差しを優しく遮る街路樹。
恋人、夫婦、親子連れでショッピングを楽しむ人たち。
友達とはしゃぎながらウィンドウショッピングを楽しむ学生たち。
木陰のベンチで語らう老人たち。
決して強引には勧めず、お客さんの立場になって親身に相談に乗ってくれるお店の人たち。
笑顔の連鎖。幸せの輪に連なった人々。
その輪の中に、一人取り残された少女がいた。
年頃は十代前半。儚さと鋭利さを併せ持った清楚な顔立ち。
月の光を想わせるような、透き通る白い肌。肩までかかる、綺麗なミディアムレイヤーの黒髪。
背丈は、人々の中にあっては小柄。しかし、小顔と均整の取れた体形のため、小さい印象を与えなかった。
およそ少女として、これ以上を求めることの出来ないほどの完璧な造形。未完成な年頃ゆえの妖精のような美しさ。
しかし、街行く人々の目に止まり、関心を引くことはほとんどなかった。
少女の持つ刃物のような不可侵の気品が、興味本位の若者を寄せ付けない。
何の感情も映さぬ暗い瞳が、彼女と視線を合わすことすら許そうとしなかった。
喜びもなく、怒りもなく、無関心ですらない。
氷の彫像のような表情が、少女の存在を異なる空間に切り離しているかのようだった。
(四つ葉町のことなら、あたしにまかせて。子供の頃からずっとここで暮らしてきたんだ)
少女――東 せつなは、桃園ラブの言葉を思い出した。
ちょうどこの辺りだったはず。
自分とラブが、初めて街で会った場所。
想いごと奴の存在を断ち切るならば――思い出の場所こそ相応しい。
“スイッチ・オーバー”
少女の両手が胸の前で合わさり、左右に広げられる。
全身の細胞が入れ替わる。心が切り替わる。表から裏に。正から負に。光から闇に。
湧き上がる戦意。こみ上げる破壊の欲求。そう――これこそが自分の本当の姿だと言い聞かせる。
氷のような少女の表情に、猛々しき闘志が宿る。暗い色の瞳が怒りに赤く燃える。
雪のような肢体は、漆黒の闘衣に覆われ、しなやかな髪は月の雫に濡れたような白銀の輝きを宿す。
平穏な日常の中に、突然舞い降りた破壊の女神。残酷なまでの美しさ。
圧倒的な存在感を放ちつつ、人々に幸せの終わりを宣言する。
“我が名はイース! ラビリンス総統メビウス様が下僕!!”
「愚かな人間どもよ、不幸を嘆くことしかできない弱き者たちよ。お前たちに我が占いを授けよう」
懐から、拳二つ分くらいの大きさの水晶球を取り出す。
占いの水晶球。この街に来て最初に手に入れた、幸せをもたらすためのアイテム。
「お前たちには、これから大いなる災いが降りかかるだろう」
“ナケワメーケ! 我に仕えよ!!”
上空高く放り投げられた占いの水晶球に、真紅に輝くダイヤが突き刺さる。
科学と神秘の融合。
コントロールコアが対象物の成分を分析し、分裂増殖を繰り返す。
成分だけではない、蓄積された物質としての記録。残留思念までもが力に変換されていく。
一瞬の後に現れる、半透明の巨人。水晶で構築されたゴーレム。
体長は十メートルほどで、ナケワメーケとしては巨大な部類ではない。しかし、細身でありながら力強いフォルム。
人間の体形に限りなく近いその姿には、これまでにない知性と俊敏性を感じさせた。
キラキラと太陽光を乱反射する体表は、まるで金剛石のようだった。額にはダイヤが変化した宝玉が輝く。
そして、胸には大きな水晶球がその存在を主張していた。
“クリスタル・ゲージング”
(水晶占い)を意味する咆哮を上げながら、ナケワメーケが豪腕を振るう。
一撃で街路樹の一本を圧し折り、歩道に大きな亀裂を入れる。
折れた大木を振り回し、商店街の一部を薙ぎ払う。
近くに居たトラックの運転手が、車を置いて逃げ出す。そのトラックを別の車に投げつける。
爆発音と共に、破片が弾丸のように飛び散り、周囲を混乱に陥れる。
それぞれのガソリンに引火して炎上する。その炎を恐れるように、人々は悲鳴を上げながら散り散りに逃げていった。
「燃やせ! 奴の大切な場所を燃やし、奴の怒りに火をつけろ! これが最後の決戦の狼煙だ!!」
イースの悲鳴にも似た怒号が、もはや人気のなくなった戦地に響き渡った。
『翼をもがれた鳥――そして飛べない現実を知る(前編)――』
蒼乃美希がジョギングを終えて自宅に戻る。
六キロもの距離を走り終えてきたにも関わらず、大きく息は乱れていない。
早朝の涼しい時間に日課のトレーニングを済ませる。時間と努力の大切さを誰よりも知っている子だった。
昨日の今日。あんなことがあった後。
でも、
だからこそ、自分を甘やかしたくなかった。
いつ、何が起こっても万全のコンディションで対応できるように。
どんなことになったとしても、決して後悔だけは残さないように。
完璧を口ぐせにしている彼女だからこそ、本当は完璧なんて存在しないことも、誰よりも知っていた。
だからこそ、常にそれを目指し努力し続ける。
この後に、受け入れられない現実が訪れたとしても、決して後悔だけは残さないように。
だから、厳しくしてきた。時には心を鬼にしてでも。
自分自身にも、大切な家族にも。
身体の弱い弟にも、かけがえの無い親友にも。
後悔ほど、不幸なことなんてないと知っていたから。
大切な人たちと、ずっとずっと、笑いあって生きていきたかったから。
「ただいま――って、ブッキー?」
「お邪魔してるね、美希ちゃん」
家の扉を開けた先に待っていたのは、昨日の夜に別れたばかりの幼馴染、山吹祈里だった。
「お待たせ、レモンティーとクッキーしかないけど」
「ありがとう、美希ちゃん」
シャワーだけ浴びてから、簡単にお茶の用意をしてもてなした。
プライドの高い美希が、何の身支度もせずに素顔を晒すのは祈里とラブの二人だけだ。
祈里の方も、あまり誉められた状態ではなかった。例えるなら、しおれた花のよう。目が腫れぼったく、肌に張りが無い。
もともと、タンポポのような可憐な少女だった。美希のような華やかさはないが、しっかりとお日様に向いて花を咲かせる可愛い子だった。
おしゃれはしていても、ちゃんとお化粧はしていても、美希の目は誤魔化せない。
多分、寝不足なのだろう。ラブが心配で泣いていたのかもしれない。不安で、一人じゃいられなくなって会いに来たのだろう。
ラブのようにせつなを信じることもできず、疑っていたのに告げることもできず。成す術もないまま最悪の事態を迎えてしまった。
自責が余計に祈里を追い詰めるのだろう。それは美希も同じだった。
「ラブには、メールしたの?」
「うん、でも返事は来ないの」
そうだろうと思った。だから、美希は連絡を取らなかったのだ。
ラブはまだ、答えを見つけられていないのだろう。どうすればいいのか、どうしたらせつなを救えるのか。
でも、叱咤する必要はないように思えた。
もうラブは前を向いている。たとえ躓き、転んで立ち止まることはあっても、一度走り出したら決してゴールまで歩みを止める子じゃない。
ただ、自分たちも手をこまねいてそれを見ているわけにはいかなかった。
昨日、ラブは確かに言ったのだ。「あたしの全てをかけて止める」って。
きっと、ラブは本当に全てを賭けるだろう。身も――心も――命すらも――
それだけは、なんとしても止めなければならなかった。
「ねえ、美希ちゃん。どうして、せつなさんはあんなに……苦しそうなのに、メビウスに従うのかな?」
「そうね、洗脳って感じじゃなかった。ちゃんと、自分のしていることがわかっているようだった」
人に強迫観念を植え付けて、手駒として自在に操り戦争に狩り出す。そんな悪魔のような手段があることは聞いている。
この世界よりも科学技術が進んでいるラビリンスなら、それは簡単なことだろう。
でも、人の自由意志を奪うことはメリットだけではない。自由な発想、臨機応変な判断力、そうした戦士として必要な物まで失ってしまうのだ。
一介の兵士ならともかく、ラビリンスの四大幹部にそのような処置をしているとは考えられなかった。
何より、イースには強烈な意思の輝きがあった。怒りや悲しみや苦悩も感じられた。
「本で読んだことがあるの。命の危険を感じるほどの虐待を受けて育った子は、かえって深く親を愛するようになることがあるって」
「美希ちゃんて……そんな怖い本も読むんだ」
「こんな時に茶化さないの!」
「ごめん」
「虐待はともかくね、生まれた時から自由を奪われて、尽くし捧げることでしか何も得られないような環境で育ったんだとしたら……」
「それって! タルトちゃんが言ってたのと同じ」
「うん、そうよ。だとしたら、メビウスの意思が全て! そう思う人間になってしまっても無理はないわ」
人は、どんな環境にも適応しようとする。生きていくために、命を繋ぐために。
しかし、それは自己防衛本能の顕現に過ぎない。そんなものは愛情でもなければ忠誠心でもない。
「どうしたら、助けてあげられるのかな?」
「抵抗するだろうけど、無理やり束縛の影響下から引きずり出して、自分が自由であることをわからせてあげるしかないわ」
相手は無力な少女ではない。凄まじい戦闘力を持つ、異世界の軍事国家の幹部なのだ。一筋縄で行くとは思えなかった。
それでもやるしかない。イースの戦闘能力を根こそぎ剃り落として、場合によっては拘束する。
希望はある。イースは、せつなは確かにラブに心を開きつつある。
ならば、自分たちはラブに出来ないことをするだけだ。
それが、せつなを深く傷つけ、痛めつけることになるとしても!
「辛い戦いになるかもしれないけど、ラブのため、そしてせつなのためにも。やるわよ、ブッキー!」
「うん! きっと最後は上手くいくって、私、信じてる」
その時、地響きが起こり、外から騒がしい声が聞こえてきた。
そんなに遠くない。すぐに火の手が上がり、煙の匂いまでもが開け放たれた窓から入り込んできた。
「美希ちゃん……街が――燃えてる!」
「行くわよ! ブッキー!」
頷いて、すぐに二人は駆け出した。彼女たちもまた、幾多の戦いを潜り抜けてきた戦士だった。
桃園ラブは、トボトボと街の中をさまよい歩いていた。
ふと、既視感にとらわれる。(こんなこと、前にもあったっけ?)と。
考えて、おかしくなって少し笑った。前どころか、つい昨日の同じ時間のことだった。
この辺りで、こんな風に、どうしていいかわからなくて歩いてたっけ……。
「何が……いけなかったんだろう」
わざと言葉に出してつぶやいてみた。
カオルちゃんに教えてもらった、気付かせてもらったヒント。
“罪を憎んで人を憎まず”
自分にとって、せつながイースであったとしても、何も気持ちは変わらない。
ただ、悪いことはやめさせなくっちゃ。そんなことしてたら、絶対にせつなも幸せになれないから。
間違ってることをしてるなら、止めなっくちゃ。友達だからこそ、放ってはおけない。
ラビリンスを抜けてもらう。イースであることをやめてもらう。
そして、せつなはあたしが守るんだ。そして、幸せになってもらうんだ。
きっと、今からでもやり直せるよ。そう伝えたかった。
せつなに教えてあげたかった。
せつなを取り戻したかった。
せつなを……あれ?
なにか――引っかかる気がした。
大事な――何かを忘れているような気がした。
馬鹿だ――あたしは――馬鹿だ。
やっと……わかった。
あたしの声が届かなかったのなんて、当たり前だ。
どうして――こんな簡単なことに、気がつかなかったんだろう。
どうして――こんな大事なことを、考えてあげなかったんだろう。
あたしは――自分の気持ちを押し付けることしか考えてなかった。
せつなはあたしの友達なんだから、あたしもせつなの友達でなきゃいけないのに……。
自分だけ高いところから、許してあげるなんて気持ちでいたんだ。
せつなの苦しみを聞いてあげなかった。
せつなの悩みを知ろうとしなかった。
どうして、こんな酷いことをするの?
なんて、口ばっかりで。
それじゃ責めてるだけじゃない……。
本当に、どうしてそんなことをしたのかを、わかってあげようとしなかった。
馬鹿だ――あたしは――馬鹿だ。
せつなが悩んでいることなんて、とっくに知っていたのに。
せつなが苦しんでいることなんて、痛いほどわかっていたのに。
せつなには居たんだろうか?
悩みを聞いてくれる――友達が。
苦しみを理解してくれる――友達が。
せつなが寂しそうな顔をしていた時だって、
ここに居るから会いにきてねって、それだけで、
あたしは、どうして寂しいのかを聞いてあげなかった。
せつなはいつも一人で居ることが多いからって、
わかっていながら一人にしておいたのはあたしじゃない!
何が――友達だよ……。
会いたい――もう一度――せつなに会いたいよ。
突然、地震のような地響きが起こる。
足元が揺れる。悲鳴のような叫び声があちこちから聞こえてくる。
そして、爆音! 視界の先に赤い炎が舞い踊る。
その先に見えるのは巨人? ナケワメーケ!
距離にして数百メートル!
せつなであって欲しいような、せつなであって欲しくないような。
ラブは複雑な気持ちのまま、逃げ惑う人々の波をかいくぐって戦地目指して駆け出した。
最終更新:2013年02月17日 08:56