翼をもがれた鳥 第7話――飛べない鳥は地に斃れ伏す――
四つ葉町郊外の森。
クローバーの名を冠したこの街は、自然との共存を重んじて豊かな緑を守り抜いてきた。
爽やかに吹き抜ける夏の微風。森の木々を揺らし、耳に心地良い音楽を奏でる。
街に照りつける真夏の輝く太陽も、緑の木の葉に遮られ、緩やかな木漏れ日に変わる。
心が洗われるような美しき光景。その自然の美のなかに、全く異なる美しさを放つ人物が静かに立つ。
似合わない。その場に不自然なまでに似合わないその姿が、一層その存在を神秘的なものとして際立たせる。
スカイブルーの衣装を、ナイルブルーの鮮やかなラインで縁取る。
同色のブーツに、ダークブルーのタイツが脚線美を引き立てる。
ハートの髪飾りが、藤の花を連想させるサイドポニーの髪を豊かに纏め上げる。
左腰に結ばれた長い帯のリボンが、風を受けて旗のようになびく。
青い瞳が、高い戦意を宿して鋭い光を放つ。常人離れした高い頭身。スレンダーな肉体美。
はちきれんばかりの、獣のようなしなやかな筋肉が開放の瞬間を待つ。
そして、可愛らしいリストバンドの先の、小さな拳が硬く握られる。
「確か、ここだったはず。出てきなさい、イース! キュアベリーが一対一の決闘を申し込むわ」
見えなくても、在るはず! ベリーの両手が左右から大きく弧を描き、頭頂で重ねられてまばゆい光を放つ。
悪いの――悪いの――飛んで行け!
“プリキュア・エスポワールシャワー”
指の先で収束されたスペード型の光弾が、文字通り雨のように放射状に広がりつつ放たれる。
辺りを一瞬青く染め上げ、再び変わらぬ静寂が戻る。
その数秒後、視界が大きく歪み、建物らしき姿が映る。
人間サイズの穴が何も無い空間に開き、目的の人物が姿を現した。
ラビリンスの四大幹部、イースがベリーの前に降り立つ。直後に空間の扉は閉じられる。
黒いボンテージ風の闘衣から覘く、透き通るような真っ白い肌。それは夜空に映える月のよう。
柔らかな銀色の髪を、黒いカチューシャが纏める。紅の縁と胸飾り、そしてブレスレットが内に秘めたる情熱を表し、衣装を華麗に引き立たせる。
比肩しつつも、対照的な美しさのキュアベリーとイース。それは、動と静の対比であり、青空と夜空の違いでもあるかのようだった。
「無駄だ。館は座標をずらし、異空間に在る。外部から干渉することは不可能だ」
「あなたが出てきてくれたなら問題ないわ。怖気付かれたらどうしようかと思ったけど」
「白々しい挑発など不要だ。ナケワメーケも増援も呼ばん。その殺気、本気のようだな」
「ええ、これで終わりにしましょう。アタシも、ピーチやパインを呼ばないと約束するわ」
これ以上の話し合いは不要と、双方が判断して口をつぐむ。互いの覚悟は放たれる殺気で十分に伝わる。
互いの呼吸を計りつつ、タイミングを待つ。
人間同士の戦いにおいては、先手を取った者がペースを掴む。
睨みあいつつ対峙する。そして、申し合わせたように両者が同時に飛び出した。
交差する青と黒の閃光。繋がって音が聞こえるほどの、超高速の打撃戦が繰り広げられる。
キュアベリー対イース。最初にして、恐らく最後となるであろう、死闘の幕が切って落とされた。
青を基調に、美しく飾られた美希の部屋。寒色と呼ばれるこの色合いは、夏場において涼やかな印象を与えてくれる。
程よい温度で調整された空調が、心身ともに疲労している祈里を深い眠りへと導く。
きっちりと閉じられてはいたものの、鍵はかけられてなかった窓が静かに開く。
そっと、小さな何かが忍び込んだ。
コツン――コツン――コツン。
祈里のおでこに何かがぶつかる。休息を求める身体が、睡眠を維持しようとおでこに手を伸ばす。障害を払いのけようとする。
しかし、幾度往復しようとも、何の手ごたえも得ることはできなかった。
コツン――コツン――コツン。
ノンレム睡眠の深い眠り。投薬によって機能を妨げられた脳が、活動レベルを取り戻すべく全身に大量の血液の循環を命令する。
軽い眩暈と動悸を感じつつ、祈里はゆっくりとまぶたを開いた。
視界の隅に、遠ざかっていく赤い何かを見たような気がした。頭がぼんやりして、その姿を正確に捉えることはできなかった。
「ここ……は? 美希ちゃんの……部屋? わたし、どうして」
徐々に意識が覚醒する。眠りに付く前の記憶をさかのぼる。
そう、話したいことがあった。だから美希に会いに来たのだ。
このままでは、きっと取り返しの付かない悲劇が起こる。だから、自分と美希とでイースと戦おうって。
そして……。
そして、その後淹れてもらったハーブティーを飲んで、突然眠くなって――
(ハーブティー! そうだ、あれを飲むまでは何ともなかった)
ベッドから降りようとしたが、足に力が入らず落下する。数十センチの高さだから痛くはなかったが、身体の異変に気が付く。
(薬を盛られた? 何のために? まさか――美希ちゃん!)
祈里が話し終えた直後に入れたハーブティー。それに薬を盛るなんて準備が良すぎる。そう考えて気が付く。
もしかしたら、美希も同じ事を考えていたのかもしれない。それに自分を巻き込みたくないと悩んでいたのだとしたら……。
(だとしたら、最後の一押しをしてしまったのはわたし……。だけど、一人でなんて無理よ!)
イースが見た目通りに弱っているとしても、ナケワメーケを使われたら勝ち目がない。
ウエスターやサウラーが介入してくるかもしれない。
まして敵の本拠地である占い館に行くのなら、どんな罠が用意されているかもわからない。
ラブを失いたくなくて戦う決意を固めた。でも、そのために美希を失うようなことになったら……。
(美希ちゃん……ごめん)
祈里はリンクルンを取り出す。思った通り、美希の携帯には繋がらなかった。
ラブに連絡を取る。もう、手段は選んでいられないと思った。
「もしもし、ブッキー? 昨日から全然連絡繋がらなかったじゃない。何かあったの?」
「ラブちゃん、お願い! 美希ちゃんを止めて」
「どういうこと? それじゃわかんないよ」
「美希ちゃんが……一人で占い館に行っちゃったの。わたしは薬で眠らされて、今も動けなくて」
「薬を? 美希たんがブッキーに? どうなってるの!」
「お願い、早く美希ちゃんを止めて! まだ家を出て三十分くらいだから間に合うかも」
「もう向かってるよ。一体、二人で何を隠してるの? 話して!!」
観念して祈里は事情を話し始める。昨日の戦闘の後のウエスターの言葉。それからの
美希と祈里のこと。
祈里が美希に話したこと。その内容と気持ちの全てを。
始めは相槌を打ったり、聞き返したりしていたラブがだんだん話さなくなる。
耳元から聞こえてくるラブの荒い息だけが、電話がまだ繋がっていることを教えてくれた。
しばらくしてから、一言だけ返事があった。
普段からは想像もできない低い声。それは、内に秘めた激しい怒りを顕していた。
その言葉を最後に電話が切れた。
「……死なせないよ、絶対に。せつなは――あたしの友達だから」
ラブの怒りと悲しみが祈里に突き刺さる。たった一言に秘められた、強靭な意志。
それは、二人の決意を打ち砕く言葉。真っ向から否定する宣言。そして、きっと、自分自身に対する誓い。
ラブの想いの強さに呑み込まれそうになる。祈里は、自分の情けなさに目の前が真っ暗になった。
何があっても後悔しない。そんな覚悟の上での決断だったはずなのに。
舌の根の乾かぬ内にこの有様だ。
わたし――何をやっているんだろう。
自分の意思で判断して、行動するんだ。そう決意してここにやってきたのに……。
結局、美希ちゃんに頼っていた。
わたしと美希ちゃんとでイースを倒す。そこで思考が止まってしまっていた。
きっと美希ちゃんが仕切ってくれると思ってたんだ。
こんな話を持ちかけておきながら……。
わたしが失うものを、美希ちゃんも失うことになるのに――
わたしは自分のことしか考えてなかった。美希ちゃんの気持ちすら考えようとしなかったんだ。
結局、美希ちゃん一人に負担をかけて、美希ちゃんの想いを踏みにじって。
ラブちゃんを傷付けて。
わたし一人がこんなところで、成す術もなく休んでいるなんて……。
行かなくちゃ……。
闇に落ちそうになる意識に、唇を噛んで抵抗する。力の入らない足を両手で押さえつけて立ち上がる。
壁に手をつくようにして、祈里は部屋を出た。
せめて――自分の目で結末を見届けるために。
キュアベリーの変幻自在の蹴り技の応酬。恐るべきリーチと破壊力でイースを襲う。
ベリーの膝蹴りをイースはバックステップで避ける。それが前蹴りに変化、左サイドステップで逸らす。
更に回し蹴りに軌道を変える。両手でブロックして受け止めた瞬間に、身体を翻して逆の足での二段蹴りとなって襲いかかる。
一つは止めて、一つは屈んで避けた。その瞬間に右わき腹にフックを打ち込んで距離を取る。
威力ではイースに勝ち目は無い。長期戦も消耗戦も今の体の状態では話にならない。
確実に回避して一方的に攻撃を加える。
まずはダメージを与えて、コンディションの面でのハンデを減らさなくてはならなかった。
突き刺すようなベリーの闘気。明確に伝わってくる殺意がむしろありがたかった。
イースを苦しめていた全身の痛みが綺麗に引いていく。身体が嘘のように軽くなる。
アドレナリンの分泌。脳内麻薬の精製。
意識が戦闘に集中される。生死をかけた戦いを身体が感じ取り、生存することを最優先させる。
「非力ね。その程度なの?」
「挑発には乗らないと言ったはずだ」
ベリーの言葉は、挑発ではなく本心そのものだった。
小細工は無し。矢継ぎ早の蹴りで一方的に力で押してきた。それは攻勢に出ないイースの真意を見極めるためだ。
隙も当然あるはずだ。それなのに一発入れただけで下がってしまう。それも、悲しいほどに軽かった。
(これは――思った以上に身体が弱っているのかもしれない)
本来はこんなに楽な相手ではないはずだった。以前に公園で戦った時は、イースはピーチを一方的に押していた。
自分の力量がピーチと変わらないことを考えれば、むしろ勝てるはずのない相手だった。
恐らくイースは長期戦を望んでいないはず。でも、それはベリーも同じだった。
もともと賭けのようなものだったのだ。この戦いは。
イースの性格から考えて、たとえ不利になっても、この期に及んでナケワメーケを召還するとは考えられなかった。
だが、ここは占いの館。敵の本拠地の前なのだ。
対等に戦ってる間はイースに配慮して手は出してこないだろうが、形勢が不利になればどうなるかわからない。
だったら互角の流れの中で、一気に崩して必殺技で決めるしかない。
必勝パターンが決まれば、後は誘導するだけ。まずは、大事にしている体力を削ぎ落とす。
一方的にならないように、肉を切らせて骨を断つ!
大きく息を吸ってから地面を蹴った。
縦横無尽、変幻自在、不規則な弧を描きながらベリーの蹴りがイースを襲う。
一気呵成――目的は休む時間を与えないこと。凪ぐよりも斬るという表現が似合うほどの切れ味の鋭い蹴り技の連撃。
空を切る音、受けて凌ぐ打撃音が途切れることなく鳴り響く。攻撃の残像が複雑で美しい模様を描く。
しかし――当たらない!
どのような反射神経の成せる技か、どのような動体視力が音速に迫るほどの動きを見極めるのか。
時に半歩のステップ、時に片手で流し、時に、数センチで見切って避ける。
(もし……イースが本調子だったら、アタシなんて手も足も出なかったかもしれないわね)
フェイントもない、崩しもない、ただ渾身の力で振り回すだけの打撃。それでも、もう一人の自分が受けたとして凌ぎきる自信なんてありはしない。
それほど蹴り技には自信を持っていた。それがここまで通じないなんて……。
やがて無酸素運動の限界が訪れる。息が続かない、そう思った瞬間イースが動いた。
一瞬の迷いの隙を突かれて軸足が払われる。バランスを崩した所に両手を合わせた掌打が腹部に打ち込まれる。
だが、これは予定通り。体力を奪うのと引き換えに多少のダメージをもらう。相手を油断させつつ逃げ足を封じていく。
有利と思わせつつ罠に誘い込むためだ。
(なに――これ?)
そう、受けたのは予定通り。しかし、予定にないほどのダメージがベリーを襲う。
ただの掌打ではなかった。小柄なイースが、生き残るために死に物狂いで身に付けた技。
力を螺旋状に高め、加速させて叩きつける。流し込んだ気が体内からベリーを食い荒らす。
ダメージは隠す必要がない。油断を誘わなくてはならない。だからこそ、隠せないほどのダメージを本当に受けていたのでは意味がなかった。
(これは……楽には勝たせてもらえそうに無いわね)
「なぜ……お前だ?」
「どういう意味?」
「お前が、私とキュアピーチの間に割って入るほどの者か!」
「必死で生きてきたのが、自分だけだなんて思わないで!」
先程までの繰り返し。暴風の如くベリーの蹴撃が吹き荒れる。
余裕なんてあるものかとイースは思う。紙一重で見切っているわけじゃない。蹴りの間隔が短すぎる。大きく回避したら次が避けきれない。
まるで綱渡りだ。一つ間違えば次はない。一度バランスを崩し、あの暴力の前に身を晒せばどうなってしまうのか。
神経をすり減らしながら回避していく。そのうちのいくつかは避けきれずに受け流す。
正面から受けているわけではないのに、腕ごと持っていかれそうになる。
歯を食いしばって耐えながら気を練る。こちらの攻撃のチャンスは何度ももらえない。
確実に大きなダメージを与えなければならない。しかし、この技も身体に大きな負担をかける。後、何度打てるのか。
(それでも、倒すしかない! 私の命を奪う資格があるのは、メビウス様か、ラブだけ。こんな所では死ねない!)
ベリーの呼吸が切れ、攻撃から防御に切り替わる一瞬。それだけが今のイースに許された攻撃のチャンス。
再び放つ必殺技。手ごたえあり! しかし、その瞬間に腹部に衝撃が走る。
膝蹴りが肝臓の上に突き刺さる。呼吸が止まり、嘔吐がこみ上げてくる。
カウンター? 違う、手ごたえはあった。相打ちに持ち込まれたのだ。
息が切れた振りをして誘い込まれたんだ。避けることだって出来たはずなのに、あえてこちらのダメージを優先させるとは……。
共に膝をつく。しかし――先に立ち上がったのはベリーの方だった。
(化け物め! あれを二度も受けてまだ立つのか?)
全身を駆け巡る苦痛の電気信号。戦いによって忘れられていた痛覚神経が、一部本来の機能を取り戻す。
襲いかかる激痛が肉体の限界を知らせる。危険な状態にあると伝えてくる。
(危険なのは、目の前にいる敵だ!)
気力を振り絞って立ち上がる。震える膝を殴りつける。この先すぐに壊れるとしても、今は動け! と。
幸いにも、ベリーはすぐには仕掛けてこなかった。しかし、それは幸運などではなかった。
(相打ちはこれが狙いかっ!)
イースが動けない間に、ベリーは最大の攻撃技の発射準備を行っていたのだ。
警戒していなかったわけではない。ただ動きの鈍いナケワメーケと違い、モーションの大きなあの技は、対人戦闘では使えないとタカをくくっていた。
自分は、今――その時間をベリーに与えてしまったのだと知る。
“響け! 希望のリズム! キュアスティック・ベリーソード!”
キュアベリーの呼びかけに応え、リンクルンからアーティファクトが出現する。乙女の口付けで、希望の青い鍵、ブルンが目を覚ます。
軽やかなステップと共に、舞う! 踊る! 回る! 力の門を開く錠が解き放たれる!
引き出された巨大なエネルギーが、ベリーソードに注ぎ込まれる。
収まり切らぬ力の奔流が、青白い光となって駆け巡る。
もう、何も考える余裕なんてなかった。あれが決まれば全てが終わる。
いつ奪われるかわからない寿命。そんな曖昧なものじゃない、確実にこの場で命を断つ死神の鎌。
そして、改めて知る。自分は――死にたくないのだと!
「そうは――させん!」
ベリーが破邪の言霊を紡ぎながら刀身で印を刻む。その動きを阻止すべくイースが間合いを詰める。
狙うは一点! ベリーソードのみ。
ウエスターの強化されたナケワメーケすら一撃で浄化する必殺技。撃たせるわけにはいかなかった。
(まだ――私はラブに伝えていない気持ちがある!)
しかし、イースの渾身の一撃は空を切る。命中する瞬間、ベリーの手から突然ソードが消えた。手首の動きだけで上空に放ったのだ。
「なにっ!」
「隙だらけよ、イース!」
イースのミゾオチに、ベリーの膝蹴りが突き刺さる。
再び強制的に止められる呼吸。全身を駆け巡る激痛にイースの時間が停止する。
(これが……キュアベリーの実力。始めから、何もかも計算通りだったということか……)
悶絶して動きを止めたイースに容赦ない追撃が加えられる!
膝を軸足と交差する位置で降ろし体を反転させる。
ダンスのステップの応用。回転加速した強烈な回し蹴りが、イースの頭部に直撃し体ごと弾き飛ばした。
同時に落下してきたベリーソードがベリーの手に戻る。
一瞬浮かぶ寂しそうな憂い。そして――謝罪の言葉。それもほんの一時の事。
厳しい表情で必殺の言葉が紡がれる。
「ごめんなさい、イース。――さようなら」
“悪いの・悪いの・飛んで行け! プリキュア・エスポワール・シャワー!!”
イースは十数メートル先に飛ばされ、巨木に叩きつけられる。
歪む視界、軋む身体、焦る気持ち。脳震盪を起こし立ち上がることが出来ない。
死の宣告にも等しいキュアベリーの詠唱を聞きながら回復を待つ。動けるようになるまで後二秒――間に合うか?
その時、自分の名を叫ぶ声が後ろから聞こえてきた。
「せつなっ!」
森を駆け抜けたラブが目にした光景。まるで、スローモーションのように映る。
時間が恐ろしくゆっくりと流れる。ただし、自分は金縛りにあったかのように動けなくなった。
黒い人影が直線軌道で飛んでくる。目の前の大木にぶつかり、跳ね返って地面に叩きつけられる。
全身を震わせながら、両手の力だけで上半身を辛うじて持ち上げる。
すぐに駆け寄って助け起こしたいのに、体が動かない。
当然だ。集中力が高まって遅く見えるだけで、実際にはほんの一瞬の出来事。動く時間などありはしない。
ラブにできたのは、ただ大声で名前を叫ぶことだけ。
イースがラブの声に反応して振り向き、その目が驚愕に見開かれる。そして、次の瞬間には飛ばされてきた方を向いて立ち上がった。
通せんぼをするように――両手を広げて立ち上がる。
その小さな体が、青い閃光に包まれて覆い隠されていく。
「っ――ぁぁあああ!!」
イースの絶叫が響き渡る。
その光はよく知っている。キュアベリーのエスポワールシャワー。
その威力もよく知っている。今からじゃ間に合わないなんてことも、嫌ってほどわかる。
「美希! 止めてっ! やめて――!!」
こちらに気が付いているのか、いないのか。技は最終段階に入っていた。
キュアスティックの先端が回転し、輝きを増した浄化の光がハートの形で膨らんでいく。
せつなが消えてしまう。絶望的な思いの中でラブは走る。
記憶に蘇るせつなの顔が、笑顔から寂しそうな顔に、そして泣き顔へと変わっていく。
(助けて――誰か――助けて!!)
“キィィィィィ――!”
その時、弾丸のような速度で小さな何かが光の中に飛び込んだ。ハートの中心に球状の赤い光が生まれ、どんどん膨らんでいく。
次第に青い光が収まっていき、同時に赤い光も消えた。
その後に、気を失った一人の少女が残される。それはイースではなく、黒髪の少女。
「せつ……な? やだ……よ。せつな、せつな、起きてよ、せつなぁ」
ラブがせつなを抱きかかえる。軽いはずの体が不思議に重く感じる。
全身から筋肉が失われてしまったかのように、手も足も、首も、あらゆる関節がダラリと垂れ下がる。
「死んじゃ……やだよ……」
「落ち着いてラブちゃん。胸が上下してるでしょ。とても……小さい動きだけど」
「ブッキー? 動けないんじゃなかったの」
「変身したら少し楽になったの」
いつから居たのだろうか、ラブの後ろから遠慮がちにキュアパインが話しかける。
パインは屈んで、せつなの横に落ちていた物を大切そうに拾った。
プリキュアの妖精にして力の源。愛の鍵ピルン、希望の鍵ブルン、祈りの鍵キルンに続く、幸せの鍵アカルン。
今ので力を使い果たしたのか、動く様子がない。
(どうして、この子がここに? せつなさんを助けた? わたしを起こしたのもあなたなの?)
ベリーも気持ちが落ち着いたのか、ラブの元にやってくる。既に戦意はない。
せつなの無事を認めて、瞳が複雑に揺れる。
「ラブ……ごめんなさい。アタシ……」
「事情はブッキーから聞いてる……。でも、絶対に認めないから!」
ラブがせつなを守るように立ち上がる。敵を見るような目で睨みつける。激しい怒りの感情が、多くの言葉を紡ぐことを拒んだ。
そして、せつなを背中におぶった。
「ラブ、手伝うわ。いくらなんでも気を失った子を傷付けたりしないから……」
「わたしも……」
「触らないで! 二人ともせつなには、指一本触れさせない!」
「聞いてラブ! 許してくれなんて言わない。でも、こうしなきゃあなたが」
「もう放っといて! せつなは――あたしの友達なんだから」
どこに運ぶ気なのか、ラブはせつなを背負って歩き出した。ここに来るまでも、そして今も、変身もせずにラブのままで。
ベリーとパインにはその気持ちがなんとなくわかった。
もともとピーチは、イースと戦闘などしていないのだ。言葉で伝えきれない想いを届けるために、体ごとぶつかっていたにすぎない。
せつなが寿命を管理されている事実を知った。説得を受け入れられる環境ではないことを知ってしまった。
だからもう戦う理由が無い。無防備な姿をせつなに晒すことが、ラブなりの愛情表現なのだろう。
ラブの姿が消えるまで、ベリーとパインは油断無く周囲を警戒し続けた。そして疑問に思う。
ここから館は見えなくとも、館からここは見えているはず。どうしてイースが連れ去られるのを黙って見ているのかと。
「ごめん、ベリー。わたしラブちゃんに話しちゃったの」
「まあ、アタシもフェアじゃなかったしね。それに、失敗したのはその子の力なんでしょ?」
「そうだと思う。わたしを起こしたのもアカルンみたい。どうしてなのかはわからない」
「もういいわ。正直言うと、ほっとしちゃったの」
ベリーは一度家に戻って、祈里とこれからのことを改めて相談することにした。
念のためブルンを飛ばしてラブの後を追わせた。
あの様子では、せつなは当分は起き上がることもできないだろう。どちらにしても、少し時間を置かなければラブは話も聞いてくれそうになかった。
結局目的も果たせずに、意味もなくラブとせつなを傷付けてしまった。
自分のやったことは、傷口を広げ、問題を大きくしてしまっただけなのかもしれない。
ラビリンスの様子も不気味だった。寿命を管理する。そんな非道なことをしているにしては、今のイースの扱いは甘すぎる。
もしかしたら、これまでの事も今日の戦いも、全てはメビウスの掌の上で踊らされているだけなのかもしれない。
次こそ、失敗は許されない。事態は最悪のシナリオに向かって真っ直ぐに進んでいる。そして、それこそがメビウスの狙いかもしれないのだ。
ラブとイースの様子を注意して見守って、最悪ラブだけでも守り抜く。必ず――守ってみせる!
今度こそ二人でと、パインと誓いを新たにするのだった。
最終更新:2013年02月17日 09:19