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翼をもがれた鳥 第8話――友の胸に抱かれて――




 ここは……。

 重いまぶたをゆっくりと開く。
 眩しい、強い光量が瞳に突き刺すように差し込んでくる。
 辺りは一面の白。布団も、壁も、天井までも。手をかざして光を遮ろうとした。
 しかし、両手が動かない。感覚もおぼろげで力が入らない。そのうちの一方がほのかに温かかった。

 私は……。

 なぜか自分の名を思い出せなかった。
 その代わり、別の名前を思い出した。
 心に思い浮かべるだけで、懐かしいような、寂しいような、不思議な気持ちになる。


「……ラブ」
「せつな? 気が付いたの? せつな!」


 なんとなく、口にしただけの名前。その人が隣にいた。
 そう――私の名前は、東 せつな。そして――
 動かない手に感じていた温もりは、ラブから伝わってきたもの。
 その柔らかな掌の感覚が嬉しくて……。私を呼ぶ声が耳に心地良くて……。
 不意に視界が揺らぎ、頬に温かいものが流れる。悲しくもないのにどうして? 不思議だけど不快じゃなかった。


「せつな! どうしたの? どこか痛いの? 苦しいの?」
「……ん……なさい。ごめ……ん……なさい」


 ぼんやり映るラブの顔も、泣いているように見えた。
 手が強く、強く握られる。
 体中の感覚が無くて、まるで闇の底に落ちていくような不安に囚われる。
 そんな私を、繋ぎ止めてくれる最後の拠り所。だから、力の入らない手で、それでも少しだけ握り返した。


「ラブ。私は……うらやましかった。あなたが……あなたたちが、うらやましいと思ったの」
「うん……うん……わかるよ」

「やり直せなくて……ごめんなさい。でも……嬉しかった」
「大丈夫だから! せつなは何も心配しなくていいからね! あたしがなんとかするから!」


 ありがとうって、言いたかった。そんなこと無理だってわかっていたけれど。
 楽しかったって、伝えたかった。たとえ、一時の夢のような記憶であったとしても。
 でも、言えなかった。口は開いても動いてはくれず、まぶたは閉じたきり開こうとしない。
 手にも力が入らなかった。ただラブの温もりにすがりながら、深い、深い眠りの底へと沈んでいった。







『翼をもがれた鳥――友の胸に抱かれて――』







 せつなが眠ったのを確認してから、ラブは布団を掛けなおした。
 そして、そっと手を差し入れてせつなの手を握り直す。その手は悲しいほどに冷たかった。

 せつなが戸惑っていた。不安そうな顔をしていた。
 人目を好まないと思って取った個室。でも、病院の殺風景な部屋は寂しかった。
 本当は――家に連れて帰りたかった。どうしてもお医者様の許しが得られなかった。

 せつなの体は酷い状態だった。外傷も軽くはないけれど、もっと深刻なのは原因不明の衰弱。
 生命維持に必要な能力の大半が機能していない。きっと、ずいぶん前から食事もとれてなかったはずだって。
 多分、あのカードを使った時からだ。そんな気がした。ろくに自然治癒も、回復もしないような体で戦ってきたのだろう。

 ごめんなさいって言った。震える声で――そう言っていた。
 まだ麻酔が効いている。意識も朦朧としていたはず。もしかしたら、さっきの記憶は残らないかもしれない。
 うわごとのような状態だったのだろう。でも――だからこそ、本当の気持ち、素直な気持ちが聞けたような気がした。

 あたしこそ……ごめんなさい。

 どんな気持ちで、あたしと会っていたんだろう。
 どんな気持ちで、あたしと戦ってきたんだろう。
 どんな気持ちで、あたしにあやまったんだろう。

 悪いことをしてきた。
 どうしてこんな酷いことをするの? って……。
 仕方がないじゃない! 何も選ぶことすら許されてないんだもの。

 あたしは……今まで何をやってきたんだろう。
 あたしは……一番助けてあげなきゃいけない人と戦ってきたんだ。

 幸せを奪われて、泣き叫んでいる人たちにだって、自由は残されていたはず。
 自分の意思で選んで、自分の人生を生きて、自分の幸せを掴む権利は持っていたはずだった。

 何が……罪を憎んで人を憎まず……だよ。

 自分が正しいつもりでいた。
 だから、大切な友達にわかってほしかった。
 わかっていないのは――あたしの方だった。

 あたしが幸せな環境で育っただけ。温かい家庭に恵まれただけ。自由な国で生まれただけだった。
 そんな特権を振りかざして、何も持っていない、ただ――生きるだけで精一杯なせつなを責めていたんだ。


「ねえ、せつな。せつなの幸せは何?」


 なんて……酷いことを言ったんだろう。どんな気持ちで聞いていたんだろう。
 願いを持つことすら許されない子の前で、あたしは夢を語り、友達を見せびらかし、応援までさせようとした。


「せつなはいつも一人で居ることが多いから、寂しいのかなって」
「本当は、命が尽きてもいいなんて思ってないんだよね!」
「ラビリンスから抜け出させるために来たの。あたしの全てをかけて!」


 やめて! もう……やめて……。
 何を言ってきたんだろう……。ずっと、せつなを傷付けてきたんだ。あたしが、あたしの言葉が……。

 できないんだから……しょうがないじゃない……。

 ラブの頬から落ちる涙がシーツを濡らす。
 辛くて、悲しくて、何より悔しかった。だから、声を押し殺して泣いた。
 せつなを起こさないように、布団にしがみつくようにして。一瞬たりとも、繋いだ手は離さないようにしながら――







 一夜明けたせつなの病室。窓にかかるカーテンの隙間から朝日が入り込む。
 うつら。うつら。ラブの頭がゆっくりと前後する。目が開いたり閉じたりを繰り返す。
 やがて、せつなの布団に倒れこんだ。そのショックで目が覚めて、慌ててせつなの手を探く握りなおす。
 昨日より、ほんの少しだけ掌が温かくなっているような気がした。安堵の表情を浮かべて、空いている手もせつなの手に被せた。
 こうしていると、少しでもせつなに力を分けてあげられるような気がしたからだ。

 部屋が遠慮がちにノックされる。ラブは惜しみつつもせつなから手を離し、ドアを開けた。
 そこには心配そうにしている母親、あゆみが立っていた。


「おかあさん……」
「見舞いに来たの。お友達の具合はどうかと思って。少しいいかしら?」
「うん……」

「心配なのはわかるけど、メールの返事くらいはしなさいね。意識はまだ戻らないの?」
「ごめん。昨夜一度だけ目を覚まして、後はずっと眠ったままだよ。多分、ずっと寝てなかったんだと思う」

「それをご家族には連絡したの? どこに住んでいる子なの?」
「ちゃんとした家はないの……。家族もいないの。お願い、それ以上は聞かないで」
「そうなの……わかったわ。苦労してきたのね」


 あゆみは、そっとせつなの頬に手を当てる。一瞬驚きの表情を浮かべて、また優しくせつなを撫でる。
 そして、ラブがしていたように、両手でせつなの手を握った。
 その表情が、仕草が、あまりにも自分と似ているような気がして嬉しくなった。親子なんだって、心が温かくなった。
 そして、そんな幸せも、きっとせつなは知らないんだろうなって思った。

 少しづつ言葉を選びながら、せつなとの出会いを話した。
 道に迷った自分を導いてくれたこと。街を案内してあげたこと。一緒に遊んだこと。相談に乗ってもらったこと。心配してもらったこと。
 倒れた時、見舞いに来てもらったこと。ダンスの応援に来てもらったこと。
 上品で礼儀正しい子だってこと。優しくて、可愛らしい子だってこと。笑顔がなぜか、いつも寂しそうに見えるってこと。

 あゆみは静かに聞いていた。時々口ごもる娘の様子から、きっと話せないこともたくさんあるんだろうって察しながら。
 聞き返すようなことはしなかった。娘がこれほど愛している子だから。いい子なんだってことは、説明されるまでもなかったから。


「目が赤いわよ、ラブ。徹夜したんでしょ。今日はお仕事休んでわたしが見てあげるから、帰って少し休みなさい」
「ううん、大丈夫。さっき少し寝たから平気。お店の人が困っちゃうよ」

「そう。せつなちゃんと言ったわね、具合が良くなったら家に連れていらっしゃい。力になってあげられるかもしれないから」
「……ありがとう、おかあさん」


 ラブはあゆみの背中に回って、後ろから抱きついた。名残を惜しむように、その抱擁は長く、長く続いた。


「それじゃ、夕方にはまたここに来るから、その後は休むのよ」
「うん、ありがとう」

「あんまり無理しちゃダメよ。行ってきます」
「あっ、待って! おかあさん」
「どうしたの?」

「ううん、なんでもない。おかあさん、本当にありがとう」


 それは――いろんな想いを込めたありがとうだった。







 ベッドの横にある小さなテーブルでラブが手紙を書く。それは、おとうさんとおかあさんに宛てたもの。

 今まで愛してくれてありがとう。何も話せなくてごめんなさい。
 そして、もしも自分が帰って来れなかったら、その時はせつなをお願いって。
 幸せと呼べるようなものを何一つ知らずに育った子だから、その分愛してあげてほしいって。
 本当に、いい子だからって。

 あと二通書いて同封した。
 一つは美希と祈里に宛てたもの。酷いことを言ってごめんなさい。気持ちはわかっているからと。
 今から身勝手な行動を取ること、その謝罪。そして、後のことをよろしくと。
 もう一つは、ミユキと友人に宛てたもの。同じく感謝とお別れの言葉を書いて閉じた。

 もう一度、これまでに出会った全ての人に感謝して手紙を置いた。
 こんなもの――役に立たなければいいと願いながら。

 ラブはせつなの傍に立ち、そっと髪に手を伸ばす。細く、柔らかな髪がラブの手から逃げるように零れ落ちる。
 うなされていた昨夜と打って変わって、穏やかな安らいだ寝顔。規則正しい寝息。
 本当は抱きしめたかった。体全体でせつなを感じたかった。でも、眠りを妨げたくなくて我慢した。

 どうしても名残惜しくて、頬から顎にかけてそっと指を滑らせた。くすぐったいのか、せつなは軽く首を振って逃げる。
 びっくりして手を引っ込めた。そして、顔はあきらめて手を繋いだ。
 今度は力を分け与えるためじゃなくて、気持ちを伝えるため。
 言葉では伝えきれない心を届けるため。


「ねえ、せつな。せつなの幸せは何?
 まだわからないよね。それをこれから探してほしいの。
 世の中にはね、い~っぱい楽しいことや嬉しいことが溢れているんだよ。
 ドキドキしたり、ワクワクしたりね。ハラハラしたり、落ち込んじゃったりすることもあるけど。
 みんな幸せになるために、みんなで幸せになるために、助け合って精一杯がんばっているの。
 大丈夫だよ! せつなはな~んにも心配しなくていいからね。
 あたしがなんとかするから。だから――帰ってきたら笑顔で迎えてね」


 そっと、せつなから離れる。


「さよならは言わないよ。あたしは欲張りなんだから。せつなの幸せも、あたしの幸せも、二兎を追って両方ゲットするんだからね!」


 扉の前に立ち、そして微笑んだ。


「それじゃあ、行ってくるね」


 扉が静かに閉じられた。通路を駆ける音が小さく鳴り響く。
 そして、ついに堪えきれなくなった涙が、せつなの瞳から零れ落ちた。







 せつなは布団の中で素早く体の状態をチェックする。昨夜のような半覚醒ではない、しっかりとした意識が戻っていた。
 戦士の本能が身体の掌握を求める。手も足も動く。頭痛も軽く、全身に走る痛みもいくらかマシになっていた。
 この世界の他の技術力に比べて、医学の進歩は大変なものだと感心する。

 更なる休息を要求する体を無理やり起こす。
 痛みは無視した。動けばいい。今は――それどころじゃない!

 立ち上がり、周囲を確認する。手紙が目に止まった。一目でラブが書いたものだとわかる。
 悪いと思いつつも開いて目を通した。

 やっと止まったばかりの涙が再び溢れてくる。そこに綴られている想い。
 ラブは、どれほど大切なものと自分を天秤にかけようとしているのか。

 ポタリ。ポタリ。と落ちて手紙の文字がにじんでいく。
 ついに堪え切れなくなって、ベッドに顔を埋めて号泣した。


 うらやましいと――思った。
 いつもいつもバカみたいに笑っているラブが、うらやましいと思った。
 夢を語り、仲間と共に追いかけているラブが、うらやましいと思った。
 心配してくれる人たちに囲まれているラブが、うらやましいと思った。

 だから、私も何かを手にしたかった。
 ラビリンスから離れることができないのなら。
 メビウス様の僕であることしか許されないのなら。
 その中で一番大きなものである、メビウス様の寵愛が欲しかった。

 私は――私は――
 幸せに……なりたかったんだ。


「もう、いい」


 もう、いいと思った。
 いつ尽きるかわからない寿命に脅えて生きてきた。
 ずっと幸せを知らず、メビウス様の僕として、イースとして生きてきた。

 それが……なんだというのだろう。
 何も持っていない者が、何かを手に入れるのをあきらめるよりも、
 多くのものを手にしている者が、それを失うほうがずっと辛いに決まってるのに。


「もう――いい!」


 メビウス様に忠誠を誓ってきた。
 命すら捧げようとしたこともあった。その悲願の成就のために。
 だけど、思う。私は、イースは、メビウス様の幸せを願って仕えていたのかと。
 違う――と思った。
 求めていたのは、常に見返り。自分の幸せのためだった。


「私は――もう――幸せを手に入れたから」


 寂しかった。誰からも愛されず、必要とされないまま消えるのが寂しかった。
 だから、命と引き換えにしてでもプリキュアを倒そうとした。

 でも、愛してくれる人はもっとすぐ側にいた。
 その者は今、命を賭して勝算の無い戦いに挑もうとしている。私を救う、ただそれだけのために。
 両手に抱えきれないほどの幸せを置き去りにして。

 ならば、私が望むものはただ一つ。
 生まれて初めて、他人の――友の幸せを願おう。

 たとえ、寿命の全てを奪われることになろうとも。
 イースでも、せつなでもない。本当の自分を生きてみよう。
 それが一瞬の輝きとなってもいい。本当の自分の願い。それは――


「私は――ラブの笑顔と幸せを守るために戦う!」


“スイッチ・オーバー”


 全身の細胞が戦うための配列に切り替わる。ラビリンスの技術力の結晶。人体の完全管理が生み出した力。
 しなやかな肉体が、強靭な漆黒の闘衣に包まれる。朝の日差しを浴びて、白銀の髪が煌く光を放つ。
 だが、日頃感じている破壊の衝動は起こらなかった。湧き上がるのは勇気。そして――
 友の幸せを願う優しい心。

 生まれて初めての、名乗りを上げない変身。心が温かい。そんな気持ちで戦いに臨むのも初めてだった。


「待ってて――ラブ。今――行くから!」


 こんなものは必要ない。必要とさせない!
 ラブの手紙を粉々に破り捨てる。
 四階に在る病室の窓から飛び降りる。そのまま住宅の屋根に飛び移り、風を切り裂くように駆け出した。

 真っ直ぐに――ラブの元に向かって。







 朝の柔らかな日差し。小鳥のさえずりに急かされるように祈里は目を覚ました。
 穏やかな目覚め。不謹慎だとは思うが、祈里は昨日の結果に満足していた。
 最良にして非情な手段。それが駄目になったことで状況は間違いなく悪化しているのに。
 やっぱり、ほっとしていた。

 窓を開けて爽やかな空気をいっぱいに吸い込む。
 少し寝坊してしまった。夏休みだから差し支えはないけれど。
 先日の戦闘の疲れ。寝不足と心労。昨日の薬の効果も少し残っていたんだろう。
 寝汗を気にして下着も全て替えることにした。

 今朝の気分に合わせて、あれこれ迷いつつ下着を選んでいく。
 どれも自分の趣味に合わせたもの。全部可愛いに決まってる。
 誰に見せるわけでもないのに、女の子って不思議だと思う。

 そんな時、リンクルンが鳴り出した。
 恥ずかしい格好のまま手に取って開いた。
 思った通り美希からだった。見えるわけじゃないのに、なんとなく体を手で隠した。


「ブッキー! ブルンが戻ったんだけど、なんだか様子がおかしいの。キルンで通訳して! もうすぐそちらに着くから」
「えっ? えぇ~~! わかった、用意して待ってる」


 美希の前で、まさかさっきまで寝ていましたなんて言えない。
 急いで着替えなくちゃいけない。女の子の用意は着替えだけじゃないんだから。
 慌ててタンスに小指をぶつけて下着姿で転げまわった。こんな格好見られたら絶交されるんじゃないかと思う。

 ブルンの様子がおかしいと言っていた。それ以降はテキパキと支度を進めながら考える。
 まさか昨日の今日でイースが、せつなが何かするとも思えなかった。そんな状態だとはとても思えなかった。

 ともかく、ブルンの言葉を聞けるのはキルンだけ。大急ぎで着替えとお化粧を済ませて一階に降りる。
 同時にチャイムが鳴り響いた。食事はあきらめることにした。


「ブッキー、朝からゴメン」
「ううん、さっそく通訳するね」


 緊張感の漂う美希の様子に気を引き締める。もしかしたら、また戦いになるかもしれないと思った。
 キルンを呼び出してブルンから話を聞きだしていく。たちまち祈里の顔が青ざめていく。


「美希ちゃん! 急ごう。ラブちゃんが病室からいなくなったって。その後、せつなさんはイースになって部屋から出ていったって」
「なんですって! ――甘かった。まさかこんなに早く動きがあるなんて」


 二人は同時に駆け出した。事態は、最悪の想像を恐るべき速さで現実に変えつつある。
 そして、こちらは常に後手を踏んでしまっている。

(お願いだから早まらないで)(どうか、無事でいて)美希は悔いるように、祈里は祈るように走り続けた。

 目指すは占いの館――ラブの元に向かって。



最終更新:2013年02月17日 09:30